1. 神田大介の経験
  2. ビー玉ギャンブル
2023-11-27 09:38

ビー玉ギャンブル

00:07
私は今48歳なんですが、自分が幼稚園とか小学校の低学年だった時に、何で遊んでいたのかという話をしようかと思うんですけど、何で遊んでいましたかね。
公園とかに行ってたことは間違いない。小学校の時の方がはっきりしてますね、そういう意味ではね。小学1年生の時にビー玉がめちゃめちゃ流行ってましたね。
ビー玉といっても、遊び方がありまして、近所の公園、丸山公園というんですけど、大きめの公園です。
そこにすり鉢みたいな遊具があるんですよ。大きさとしたら大人が両腕でも抱えきれないぐらいだな。
2人の大人が手を扇形に広げて半円ごとにして、それでちょうど収まるぐらいの大きさって言いますかね。そこに砂なんか入れて遊ぶ。
当時の三原寺小学校の小学生たちは、そこをレース場とかにしてたんですよ。
どういうことかというとね、すり鉢状じゃないですか。
だからうまく砂を山みたいに配置すれば、傾斜をつければですね、中心に向かって転がっていくようなコースが作れるんですよ。
何言ってるかわかります?すり鉢の表面に砂なんかで筋を作ればコースができるでしょ。
あとはね、すり鉢の真ん中に山を作るんですね。
山の中心とかからコースを作る。
ビー玉を3つぐらい並べてですね、板ってか木の棒とかアイスクリームの棒とかですけどね。
仕切りを作ってですね、パンと開けると一斉に3つ4つのビー玉が転がり出すと。
転がり出したビー玉の中でどれが最初にゴールにつくかっていうのを当てるんですよ。
当たったらその人は転がったビー玉をもらえるっていう仕組み。
あとはね、小さめのビー玉を用意したりした場合っていうのは、
アイスの棒って言ってもアイスキャンディーの棒じゃなくて、クリーム型のアイスをすくって食べる、そういう木のヘラっていうのがあるじゃないですか。
あれを砂山に埋め込んで、砂山はガチガチに固めるんですよ。
ヘラをね、パーンと弾みをつけることによってビー玉がトンブンでいくんですよね。
ピョコンピョコンって。
それによって、いっていって進めていって、早くゴールに着いた方が勝ちみたいな、そういうやり方もありましたね。
03:07
伝わってますかね。
これね、私今でもすごい高等な遊び方だったなと思って。
もちろんそういうの仕切ってるのはね、小学校の中でも高学年ぐらいの子どもたちだったりするんですけれども、
私も1年生、2年生の自分でしたが、ビー玉をかけたり当てたりってことはやってましたね。
だから手元のビー玉がね、増えたり減ったり。
あとね、ビー玉によって価値が決まってるんですよ。
一番価値がないと私たちの間でされていたのはガス玉って言って、ビー玉の中に何も入ってない、気泡みたいなのしか入ってないやつ。
標準的なビー玉っていうのは、赤とか青とか緑とか、何かしら、何ですかね、あれビー玉の中に入ってるのってね、
鳥の羽というか魚の鱗っていうか、なんかこうね、色が入ってるやつ、単色の色が入ってるやつが標準。
これがね、2色3色綺麗に塗り分けられているものがあって、これは少し価値が高いんですよ。
あとは大きさですよね。
ビー玉が大きくなっていくと標準の5つ分の価値があるとか、何かそういうのはありまして、
それを交換したりね、あるいは自分の好きな色の柄のビー玉を見つけたりとかですね、
それを取るためにゲームにチャレンジしたりみたいなことをやってました。
だからね、まあそうは言っても、かくれんぼみたいなことも多分したのとは思いますけど、
まあおおむねそのビー玉をいかに増やすかっていう、ギャンブルですよね。
どこにかけたらどれが一番早くゴールにつくかって、これは競馬そのものですしね、
いうことをやってましたね。
で、そうだな、だからやっぱり外で遊ぶことがほとんどでしたけれども、
家の中で遊ぶってことはもちろんあって、当時から。
まあやっぱりレゴ、今でもやりますよね。
ブロックの遊び、ダイヤブロックってのもありましたね。
まあでもやっぱりダイヤブロックよりレゴのほうが人気ありましたね。
テレビは、テレビを見るってことはあんまりなかったか。
ファミコンはね、だから本当に出たばっかで、スーパーカセットビジョンとかね、
そういうのもありましたよね。
ファミコンはだから僕は米原くん家でやってたのがありましたと。
あとね、私、昭和50年、1975年生まれなんですけれども、
ちょうどね、ヒーローものの狭い期なんですよ。
ウルトラマンとか仮面ライダー、
たぶんこの2つがね、ヒーローっていうものの代名詞的存在だと思うんですけど、
ちょうどね、僕が幼稚園の年長とかの頃って、
06:05
仮面ライダーはね、スーパー1なんですよ。
一つ前がスカイライダーか。
いずれにしてもね、8代目とか9代目とかなんですよね。
ウルトラマンもそうで、
ウルトラマンはね、僕のリアルタイムの記憶は80って書いて80だから、
たぶん1980年にやってたんだと思いますけど、
そうすると僕5歳ですよね。
これがね、あんまりごめんなさいね、
スプレーヤープロの方に申し訳ないけど、あんまりかっこよくないんだよな。
ちょっとね、ずんぐりむっくり丸いというか、
あんまり垢抜けた感じじゃなかった。
これはね、当時僕は全然見てなくて、
後から知った事実ですけど、
当時ドラマで熱血狂死者みたいなの流行ったんですよね。
金八先生筆頭にね。
そこをオマージュしたというか、パクったというか、
ウルトラマンの世界だけれども、学校の先生が主人公みたいな、
そういう話だったらしいですね。
まあ、まはまんなかったんでしょうね。
子供たちの間でだろう。
要するに当時の僕の友達の間では流行ってなかった。
まあでもね、米原君は持ってましたね。
なんか変身セットみたいなね。
仮面ライダーもね、スーパーマンって知ってます?
なんか腕が変わるんですよ。
赤くなったり青くなったりしてね、
火が出たり煌臨だったりするみたいな、
なんかそんな設定だったと思いますけど、
あんまメジャーじゃないんですよね。
やっぱり仮面ライダーがすごい人気あったのって、
初代とかV3とかその辺だと思いますんで、
Amazonあたりからだいぶ人気下がってたんじゃないかなって感じしますけど。
ただね、戦隊もこれは人気ありましたね。
私が最初に見たのはデンジマンだったけど、
多分もっと早い子だと、
バトルフィーバーを見てる。
ゴレンジャー、バトルフィーバー、
バトルフィーバーを見てる子いるのかな。
デンジマン。デンジマン、サンバルカン。
これ話続いてるんですよね。
ヘドリアン女王って出てきますよね。
すげー名前。
デンジマン、サンバルカン、ゴーグルファイブ、
バイオマン、ダイナマンみたいなね。
その辺が多分私の小学生だった頃の戦隊ものです。
これはね、5人出てくるやつね。
あとね、ガンダムね。
ガンダムはね、正確には僕らはリアルタイムでは見てないんですよ。
僕がよく知られた話ですけど、
ガンダムって普通に放送してた頃ってそこまで人気なくて、
終わってから人気出たんですよね。
だから僕らの時もガンプラの大ブームの最中で、
僕もプラモデル買いに行きましたもんね。
全然人気あるのは手に入らなくて。
だから僕が最初に、
これがまさに誕生日プレゼントじゃないかな。
09:00
ガンダムないからガンキャノン買ってもらいましたもんね。
作りましたよ、ガンキャノン。
あとはガンダム手に入らないから、
マクロスとかオーガスとか、
違うアニメのロボットを買ってもらったりしてましたよね。
上司には全くわからないというか、
興味のない話かなという気もしますけれども、
そういう遊びをしてましたね。
はい、今回はこんなところで。
09:38

コメント

スクロール