1. 神田大介の経験
  2. 確認せよ
2025-02-09 14:28

確認せよ

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これね、難しいんですよ。方言の伝わらない良さって、いろいろあるなと思ってるんですよね。
これの番組で折に触れて話してはいると思うんですけど、こないだ感じたこと、前回もお話ししましたけどね、次男の中学受験が終わりました。
終わったってことは、中学受験に付き合ったってことなんですけど、前も言ったように大したことは何もしてないんですが、
基本的に入試並びに、もしとかの送りは全部私がやってました。いくつか例外あるんですけれども、朝早くから仕事があるっていうこともあるので、
そういう時は妻にお願いしてましたが、送りは基本私。迎えは、平日はやっぱり仕事あるんで妻にお願いしてましたけれども、
私が祝日とか土日とか会社のないときは基本私がやってました。楽しいもんですよ。全然知らない土地に行ってね。
子供が受験してる間、何してるかって言ったら、私はウォーキングをしてるだけですから、知らない街の知らない様子。
そうそう、それもあったわ。いいと思いますけど、境東中学校っていうところに受験に行ったんですね。
これは本当に首都圏で中学受験をする子供たちは、のきなみ受けると言われるぐらいの、大変一番早い時期に受験をしてくれて、
しかも受験生フレンドリーでですね、いろいろ忘れ物とかをしても融通を聞かせてくれたり、遅刻とかに対しても応用であったり、
それからバックアップ体制みたいなもの。受験生が自分たちの学校に初めに来るってわかってるから緊張したりしないようにとか、いろいろ気を使ってくれる学校でですね。
東大進学者数とかでもですね、かなり上にいるっていうすごい学校なんですけど、受験に行ったんですよね。
間の時間空いてたんで、テクテク歩いてたわけです。
そしたらですね、大宮市内ですよ。ごめんなさい、埼玉市内だ。埼玉市大宮区ですよね。
どっちにしても埼玉市といえば100万人都市ですし、大宮市の段階でもすごい人口多かったですよね。
埼玉市って大宮市と浦和市が中心で、他にも世野市であるとか、あともう一個どこかと合併してますもんね。
なんですけれども、やっぱり埼玉県においては大宮と浦和っていうのがね、ある種ライバル関係もあるんだけれども二大都市であるっていうところは間違いないでしょ。
埼玉ってね、大きい市って他にもいろいろあるんですけど、例えば所沢とかもでかいですけど、埼玉の県の真ん中辺にあるっていう道はやっぱりその二つ。
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埼玉県庁はね、昔は浦和にありましたし、県庁所在地は浦和でしたもんね。交通の結成線は大宮にあると。
東北新幹線も上越新幹線もね、今は北陸新幹線もみんな大宮通ってきますからね。首都圏でも東京駅に次ぐ二番目の規模の駅だって言いますもんね。
その大宮ですよ。大宮の駅降りればわかりますけど大都会ですよ。すごい駅ビルとか建ってますし、出る側にもよりますけれども、それは大変な都市です。
その大宮でですね、栄東中学校っていうのは東大宮駅っていう、東北本線で大宮から二つ目の駅、だから埼玉市内にあるんですけど、住宅地ですよね。それは別に東京だってそうですよ。住宅街なんですが。
私はどこを歩いてたかというと、東大宮の駅から隣にトロっていう駅があって、だから大宮駅と東大宮駅の間の駅があるんですけど、そっちに向かって歩いてたんですよね。
そしたらね、もちろん住宅地には違いないんですけれども、突然田んぼが現れてドーンと、さえぎるものがなくって鳥とか飛んでてですね、突然なんかすごいとこ来ちゃったなっていう感じの、飛んで埼玉とかに出てきそうな感じ。
飛んで埼玉の中でも群馬県として描写されるような感じ。すごいんですよね。家とか全然なくって、いきなり田んぼがドーンと広がってて、ちょっとなんかもともと沼地だったとこなんですかね。あの辺三沼とかね、すごい沼の地名を使ったとこありますもんね。
さえぎるものがなくって、遠くを見るとですね、埼玉新都心の、昔の世野の辺ですか、埼玉新都心のビルが見えるっていう放送ビルがバンバンってあったんですよ。でもあれかな、大宮の方なのかな。ちょっとごめんなさい土地勘がないんでどっちかわかんないですけど。
いやなんかすごい光景で、びっくりしましたね。いいとこですね、ああいうのね。僕は本当そういう光景が好きで、完全に住宅地なんだけれども突然田んぼが広がっているっていう、なぜかそこは開発が進んでいないっていう光景ね、素晴らしいですよね。
だからやっぱ歩いてみるもんだなと思いましたけど、電車乗ってたら、あと車で走ってたら絶対あんなとこ行かないですからね。そういうとこはウォーキングっていいんですけど、まあまあそれは別の話。何の話でしたっけ。受験に行ったって話ですよね。
で、いくつかの学校に行くわけですよ。その時にある学校の受験において、子供のうちの次男はリュックを背負って行くんですね。子供用のリュック。そこに筆記用具であるとか、回路であるとか、お弁当が必要な学校であればお弁当であるとか。そう、弁当食ってちゃんと午後まで受験やるとこもあるんですよ。
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なんだかんだ水筒とか三角定規とか必要だったらそういうものとかが入ってるんですけれども。駅に降りてしばらく歩いた時に、学校までの道のりをですね。
そのカバン、バッグ、ナップサックのチャックが開いてることに気づいたんですよね。開いてるなと思って。で、開いてるぞって言って締めさせて。で、その後、学校まで行ったと。
で、学校では校門のあたりで子供とは別れるわけなんですけれども、その手前のところでですね、ちょっと子供を呼び止めてですね、次男を。ちょっと待ちなさいと。さっきカバンのチャックが開いていたと。
だからその中身のものがひょっとしたら落ちてるかもしれないと。だから確認しなさいっていうことを言ったんですね。で、中身を確認させたんですけど。こういう時私って名古屋弁で喋るんですよ。方言でね。
どういうふうに実際に言ったかっていうと、ちょっと待って、中身を確認せよって言ったんですよね。これどう思います?確認せよ。
普通の言い方じゃないとも言い切れませんよね。例えばなんでしょう、なんでもいいんですけど、ウルトラ警備隊とか、パトロールをしている人たちとかね、軍とかでもいいでしょうね。
なんとかなんとか応答せよとか、前方何百メートル、敵機襲来確認せよとかって言いそうでしょ。だから別に日本語として意味わかんないことはないですよね。
ただですね、それ言われて気付いたというか、その話をうちに帰って妻にした時に妻に言われたんですけど、そんな言い方しないっていうわけですよ。
確かになと思って、確認せよ。東京とか大阪の人、別に九州でも北海道でもいいですけど、言います?言わないですよね、多分ね。お前、カバンの中身確認せよ。
財布が落ちたのか確認せよ。言うんですよ、名古屋弁で。だからテキストとして表記した時に、日本語として通じないわけではないんだけれども、日常の場面でこの何々せよって言わないでしょ。
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名古屋弁って言うんですよね。せよっていうかよをつけるんですよ。命令形によをつけるんですよね。命令形って標準語だと確認しろだと思うんですよね。子供に言う場合は確認しなさいになりますよね。確認しろ。
それを確認せよっていう言い方をする。よで終わるんですよ。妻も名古屋弁の話者なんで、二人でどういう言い方があるかって話してた時にすぐにパッと出てきたのが諦めよ。妻も言ってました。それを言われ続けてきたわって。諦めよ。諦めを促す発言ですよね。
もう諦めろっていうことですよ。これなんかすごい言われてきたわっていう先生、学校の先生とか親とかに諦めよ。どういう光景が思い浮かびますかね。例えば速攻にビー玉が落ちちゃって流れていっちゃったと、手突っ込んでも取れません。諦めよ。
虫を捕まえた、きれいな蝶々を捕まえた虫かごに入れてたんだけれども、ふとした拍子に飛んでいっちゃった。諦めよ。他にもあるでしょうね。受験をしている時とかにも、そういう志望校っていうのがなかなかお手が届かなかった。合格に至らなかった。諦めよ。
こういうことなわけですよ。言わないですよね。一般的におそらく。あまり知らないですけど言わないと思いますね。これなんですよね。命令なんでうながしにも使いますね。早く食べよ。早く食べなさい。そういう言い方もしますね。
やめよ。やめろって意味ですよ。やめよ。なんかネガティブな感じが多いな。諦めよ。やめよ。確認せよ。そういう言い方。これって古い日本語っぽいですよね。
たぶん何かは本当想像でしかないですけど、昔はそういう言い方をしたんじゃないかなって気がする。時代劇とかでお殿様が馬を止めよとか言ってそうですよね。馬を止めろとは言わない感じしませんかね。
前にそういうこと言われた気がする。つまり、日本の方言というのは京都、昔の都ですね。から同心園上に広がっていっていて、だから京都からの距離によって意外と共通点がある。
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名古屋って距離的に言うと京都からの距離で言うと、距離だけじゃないでしょうね。交通の便とかもあるんでしょうけれども、岡山とかに結構通じるところがあるって聞いたことがあるんですよね。
でらみたいな言い方するとかじゃなかったかな。ちょっと違ったらごめんなさいね。そんな中で、しかし名古屋ってちょっと吹き溜まりみたいなところがあって、だんだん世の中が変わっていくにつれて、そういう言葉っていうのは東京の標準語の方に吸い寄せられていくというか変化していくわけなんですけれども、
名古屋は、京都で昔使われていた言葉が伝播したままそのまま残っているみたいな指摘があるわけですよ。で、その漢字っていうのは確かにたわけ。これわかります?
バカアホと同じ意味なんですけれども、たわけ。たわけって言うんですよね。たわけものとか。これ戦国時代っぽいじゃないですか。その感じね。たわけ。
だけどたわけはやっぱりそのバカアホみたいな文脈でたわけって使うっていうのは明らかに方言だってわかりますよね。栃木のデレスケ、茨城のゴジャッペみたいなそのバカっていう間の抜けた人っていうのを表現する方言っていっぱいありますけど、それと同じ。ただ確認せよ。
まあ諦めよう。これは方言としての認知がしにくいですよね。イントネーションの違いと同じで、名古屋と名古屋みたいな僕たちと僕たちみたいな言語化がすごいテキスト化しにくい違いだなと思って。
デラとかウメアみたいなのっていうのはわかりやすい違い。名古屋弁と方言としての名古屋弁と標準語の違いなんですけれども、そういうわかりにくい違いってあるよなあ。そして気づいたので記録しとこうと思いましたよ。
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