思考の違いと教育
ちょっと最近考えていることを話そうと思いますけど、抽象と具体ということを考えてるんですね。
で、抽象って何かと。そもそもなんでこんなことを考えるに至ったかっていうと、勉強の話なんですよね。
朝日新聞に記事が、コラムがありましてですね、岡崎明子さんという記者が記事を書いてたんですけれども、
ジェンダーの話じゃなくて個人差の話だっていうことを、岡崎さんは何度も丁寧に説明しているんですが、
ただちょっと性差みたいなのもやや反映してくる部分もあるようですけれども、よく言いますよね、女子学生は数学が苦手だみたいなこと。
だから理系上っていう言葉もあって、理系の女子は珍しいから理系上っていう言葉で表現されたわけですよね。
たくさん言ったら、そんな特殊な言葉を使う必要ないですもんね。理系上なんていうこともなくなったらいいのにねっていうような、そういう意味合いで最近は聞くことも増えましたけれども、ありますよと。
で、なぜそういうことを言えるのか。
ちなみに岡崎さんの記事もありましたけれども、学術統計では男子に比べて女子の方が数学が苦手であるっていうデータはありません。ないそうです。私もそういう論文を読んだことありますね。
実際、数学オリンピック的なところでもそんなに大きな差はないであったりとか、私イランっていう国にいましたけれども、フィールズ賞かな、数学の極めて優れた人に与えられる賞って取ってたの女性でしたし、関係ないと。
そんなトップレベルの数学みたいな話だけでもないとは思いますけれども、ただやっぱり認知の仕方には男女差っていうのはどうやら多少はありそうだと。
これはもう性の話って全部そうですけれども、男子の中にも女子的特徴を備えてる人がいるし、それは逆もまたしっかりって話でしかないんで、それぐらいで聞いてもらえばいいんですが、
どういうことかというと、男子の方が抽象的な思考に得意があると、得点があると。
女子の場合はやっぱり具体的な事象の掌握というのに得意があるし、それの方がうまくできるし、物語性みたいなところにすごく感性が高いと。
だからよく言われるのは逆に国語は女子の方が得意ってやつですよね。
私が言ってるのは中学受験とかのレベルの話をしてるんですけれども、確かに模試の結果なんかを見てもですね、全体に数学ではない算数ですね。
算数は男子の方が得点が高くて、女子は国語の方が、女子は点が高いとね。女子の方が高いと。男子よりも。
人の気持ちを読み取るみたいなことは女子の方が昔から上手であると。昔ってのは小さいから。精神年齢も高いとかって言われるゆえんだと思いますけれども。
だいたいそういうふうに思ってる人も多いんじゃないでしょうかね。
岡崎さんの記事は何が面白いかって、教え方に問題があるのではないかと。
つまり抽象化が得意な男子の目線に合わせた教え方というのが学校とか塾でもなされているので、それは男子の方が算数を得意な方向に行きますよねと。
算数と数学の具体的理解
女子にはというか鍵カッコつきの女子ですよね。
そういう具体的な物語的な思考の方が得意な人に対しては、そのような算数の教え方を本来はしなければいけないんだけれども、そもそもそういう方法論がないので、それは女子の算数の成績も落ちますよねっていう、そんな趣旨ですよ。
なるほどと思ったところではありますよね。
私もどっちかというと算数数学に関していうと本当に点数が低かったんですよね。
小学校ぐらいまであんまり何とも思ってなかったんですけど、とりわけやっぱり高校入ってからですよね。
数学が本当に難しいなと思って。
私も人並みにチャート式っていう参考書なんかいっぱいありましたよね。赤チャートとか青チャートとかあって、赤チャートが多分一番レベル高いやつ。
数学ができる子がやるやつですよね。
赤チャートは無理だったので青チャートをやってましたけど、やっぱりよくわからなかったですもんね。
数学って公式がいっぱい並んでるじゃないですか。
だから公式を覚えてそれをバンバン当てはめていけばいいっていうことではあるんでしょうけれども、それがうまくできないんですよね。
できない。
だからサイン、コサイン、タンジェントとか出てくるじゃないですか。三角関数とかも。
意味を考えちゃうんですよね。何なのっていう。
虚数のiとか、いちいちだから何なんだってことを考えちゃうんですよね。
しっくり入ってこない。もっと典型的に極端に物理は全然できなくて、全く点数取れなかったですね。
理系で行くつもりだったのにこれあかんわっていうことで文系になったっていうね。そういう文系男子ですけども私は。
その意味で言うと鍵かっこつきの助手的な発想なのかもしれませんね。僕国語得意ですからね。
なんかあんま苦労したことはないですね。
ただよくこのポッドレストの中でも特に初期とか僕は勉強はできましたっていう話はしてたと思うんですよ。
だから小中学校ぐらいとか本当に別にそう苦労なく学校のテストぐらいは全然できたし、塾に入ってからも成績は良かったんですけれども。
これって多分僕はそうは言っても抽象化が得意だからだと思うんですよ。
具体と抽象って何が違うのかっていうと、例えば算数で分かりやすいですね。
リンゴが5個ありましたと。そのうち2個食べました。残りはいくつでしょうっていうのは5-2は3っていう数式で表すわけですよね。
これはその場その場のリンゴだけじゃなくて、この算数というものを使えば結局全てを表すことができる。
つまり別にリンゴじゃなくてもいいわけですよ。おまんじゅうでもいいわけだし。
工場とかでもいいわけですよね。5つ工場がありました。2つ潰れました。いくつ残ってるでしょうと。何でもいいわけです。人間でもいいですよね。
5人家族がいました。2人殺されました。何人残ってるでしょうと。別に殺さなくてもいいか。引っ越しとかでもいいですけど。
みたいなことですよね。つまりこの5-3は2という数式があれば、様々な事象に普遍的にこれを使うことができる。
普遍性を持ったものを導き出す。様々なものに当てはめることのできるものを抽出する。これが抽象化ですよね。
具体っていうのはやっぱり自分の今日のおやつのパンが5個あったのに2つ食べたから3つになっちゃったっていうのが具体的な話ですね。
おにぎり食べちゃったと。世の中の学問勉強って全部抽象化なんですよね。だから勉強ができるっていうのはイコール抽象化が得意っていうふうに言っていいだろうと。
算数や数学はもうおそらく多くの方が説明なくてもそうだよねって思うと思います。
抽象化の重要性
そういった公式を使えばすごく普遍的にいろいろなことが説明できるわけなので。国語どうかと。国語も抽象化に他にならなくて、国語というか言語はもう全部抽象化ですよね。
どういうことかというと、そもそも言葉っていうのが全部抽象ですよね。
例えば地面がありますよと。それがこんもり盛り上がっていましたと。それを山っていうふうに言います。これ抽象化ですよね。
別に土が盛り上がってるってのは、じゃあどっからどこまでが丘で、どっからどこまでが山なのかみたいなことも決まりはないわけですけども、我々はなんとなくぼやっと感じてるわけで、抽象化ですよね。
言葉を作るっていうのは完全に抽象ですよね。何かありましたよね。ソシュールとか言ってるやつ。真面目にやれよね。シニフェアントシニフェとか何かありましたよね。大学生の時は勉強しましたけどね。
例えば音楽とかもそうで、音階とかって全部抽象じゃないですか。世の中にある音っていうのはバーと繋がってるもので、それをデジタルに分けたものが音階とか。ピアノの鍵盤ってそうですよね。
あれって世の中にある音を区切っているわけじゃないですか。発鍵と刻鍵、白い鍵盤と黒い鍵盤があってドシャープレってなってますけど、ドとドとシャープの間にも音はあるでしょうよ。
けどそれは捨てて、ドとドシャープに音を代表させて、それでもって美しい音楽を奏でるっていうのは抽象ですよね。絶対音感を持ってる人とかだと、そういう赤ちゃんの鳴き声とか救急車の音とかも全部音符にできるって言いますけれども、それは人間の耳が感知できる範囲内でデジタルに音っていうのを表現することができるっていうことであって。
本来別に音というのは周波数とかでずっと0.000いくつ区切りみたいなことで、てかその区切りすらないですからね。アナログなものですから。
人間の耳がそんなふうに認知できないので、別にあれぐらいのピアノの半音ぐらいで十分だっていう話ですよね。抽象なわけですよ。
思えば絵画とかだってそうですよね。自分の目の前にあるみかんを絵に描くという時も、それをそのまま描くことはできないわけじゃないですか。だから抽出するわけですよね。
どの要素を抽出したら同じように見えるのかっていうことが、絵を描くってことですよね。
体育とかもどうやったら上手に走れるかとか、体育の授業で教えてもらったことないですけれども、に関しても例えば腕の振り方足の振り方であるとか、
跳躍の時にはどのような姿勢で飛べばいいのかみたいなことっていうのは、これもやっぱりスポーツ選手は誰でもやってるわけですけども、自分のビデオとか撮ってこういうふうになってるなと、
僕はこうやった方がいいなと上手い人を真似たりとかっていうのも基本的には抽象ですよね。かなり具体性が強いと思いますけれども、やっぱり身体性が伴っているんでね。
美術や音楽も中では身体性を伴っているので具体性が強い分野ではあると思うんですよ。例えば数学とかに比べるとね。
数学は別に身体性を伴う数学ってないとは言わないですよ。多分あるんでしょうね。けんけんぱとかそうじゃないですか。
ただやっぱり圧倒的に少なくて、基本的には机の上でやれる。貯金箱にお金入れるとかっていうのは具体性のある数学ですかね。
それも最近ではですね、ペイペイとかで電子的に決済できるんで非常に抽象度が高まっているなと思いますね。
つまり長歩上の数字だけが動いていて、お金っていう効果っていう物質のやり取りは伴わないわけですから。
この抽象化って脳でできることっていうふうに言ってもいいと思いますね。
やっぱりリンゴが5個あって3個減ったみたいなのは脳じゃないじゃないですか。
手で触ったり食べるんだったら口使って食感でみたいな話。
つまり具体性っていうのはそういう身体性を伴っているわけですけれども、公式として抽出するっていうのは、頭脳の中で脳みそでそれを分かるっていうことですもんね。
脳でやることっていうのが抽象化。脳がデータを取り扱えるようにすることが抽象化なんでしょうね。
だから世の中の勉強ってほぼほぼ全て抽象化ですよ。
それこそがまさに人類を発展させてきた技術にしろ文化にしろ物であるっていうこともこれも間違いないでしょう。
ゆえに試験に出るものって全部抽象なんですよね。
だから例えば国語の問題にしても言葉を答えさせるとか文章を読ませて、この時にその登場人物が考えていることを説明している文章を選べとかっていうその説明っていうのは全部抽象化ですからね。
胸の中がもやもやしているではなくて、こういう理由で悲しいからとかこういう理由で寂しいからとかっていう抽象化をするっていうことですよね。
おそらく原始の人類は悲しいとか寂しいとかっていうもやっとするものに関して言葉を持っていないから、そこは抽象化する必要がなかったしできなかったわけですよね。
だから国語のテストもないしあっても答えられない。数学は言わずもがなですよね。
それから例えば論文を書くみたいなことにしても結局、例えばこの世の中の問題について言語化するっていうのは抽象化するっていうことに他ならないですよね。
というのは、僕は嫌だったって言ったってこれは話は伝えられないわけなんで、こうこうこういう理由でこう感じたから嫌だったっていうふうにしないと他者に伝えることができないわけですよ。
だから報道の営みって全部抽象化ですね。具体例から入るんですけれども、具体例から入って例えば殺人事件がありましたと。
ただその殺人事件を伝える、まずそもそも伝えるっていう言語化自体が抽象化のプロセスですけれども、そこから何が読み取れるのかと。
どうしてそういうことをするに至ったのかっていう動機背景の部分っていうのは必ず所在しますけれども。
抽象化の重要性
なんで説明が必要なのかと言えば、やはりそういうふうに抽象化することでしか自分が関わっていない犯罪のことを理解できないからですよね。
新聞記者の仕事って毎日毎分毎秒さっさと抽象化をしてるっていうことですよ。抽象化したものをさらに抽象化したものが見出しですよね。
記事がまずそもそも事象の抽象化なんですけれども、その記事をさらに抽象化させたものが見出しということになりますね。
何言ってるのかっていう話かもしれないですけど、まあまあ付き合っていただけるとありがたいですけど。
ビジネスって全部抽象なんですよね。例えばマーケティングとかっていうのは、物が売れてますと。
誰に売れてるのか。年代とか性別とか。それも今更マーケティングの仕事としては古いのかもしれないですけれども。
それを調べる。それって要するに抽象化ですよね。
これはこういう年代の人がこういう理由で好んでいるので、あるいはこういうインフルエンサーの影響を受けやすいので売れるんだみたいな抽象化ですよね。
だし、PDCAを回すみたいなのは全部抽象化ですよね。
何が問題なのかっていうのを考えて、それをどう改善すればいいのかっていうのはこれまさに抽象化なわけですよ。
具体的な世界における改善っていうのは、例えばリンゴを食べちゃったらなくなると。
そしたらもうリンゴを食べるのをやめるかそれを我慢するかどっちかしかないわけです。
だけどやっぱりそこで、じゃあこのリンゴっていうのはどこから来ているのかと。
青森から来ていますと。
そうすれば青森でリンゴっていうのを生産を増やすためにはどうすればいいのかみたいな方に向かっていくと、どんどん話は抽象化していくわけですよね。
具体的っていうのは青森に友達を作って、リンゴ農家の人と友達になってその人からお裾分けをもらえば、僕はリンゴがたくさん食べられるんだって。
これは具体的な話ですよね。
ただそんなのって再現可能性がないじゃないですか。
論文って理系が通り明けそうですけれども、再現可能性のないものって無価値ですからね。
これは抽象化なわけですよ。
抽象化できているからこそ再現できるわけなので、すべてそうですよね。
法律っていうのは抽象化そのものですよね。
で、いろんな人いろんな事象に当てはまるように作られていると。
これ抽象化ですよね。
具体的なものっていうのは、それを当てはめるために存在しているわけです。
中には判例であるとか具体的な事象を積み重ねることによって、そこから抽象っていうのを導き出すっていうことがありますけど、いずれにしても全部抽象化なわけですよね。
だから役所でやってる仕事は全部抽象ですよね。
通過書類回すみたいな仕事は全部抽象ですよ。
具体と抽象の関係
パワーポイントを作るのも抽象ですよね。
グラフを作ったり、何かイラストでわかりやすく表現するとかって全部抽象化ですよね。
何を言ってるかっていうと、この今の世の中って高い給料をもらえる仕事って全部抽象化の仕事なんですよね。
官僚って押し鍋で給料は高めですよね。
例えば商社の仕事。商社の仕事って別に物を売るっていうことではなくて、どこにある物をどこに持っていけば儲けが出るかっていうことを考えるっていう仕事じゃないですか。
これ抽象化ですよね。
別にその人が商店を開いて物を売るわけでないわけです。
どこからどこに物を動かすか、大航海時代のことは別に変わらないのが基本ですよね。
あるいはどういう物を売れば売れるのかっていうのを考えるんですよね。
実際に作る人は別の人なわけじゃないですか。
こういう服が売れますみたいなのも、服作ってるのは中国の人だったりベトナムの人だったりバングラディッシュの人だったりするわけですよ。
ミシンを踏んでるのはね。
ミシンを踏んで働いている人は具体ですよね。
だけど給料が高いのはミシンを踏む人じゃないんですよ。
誰にミシンを踏ませるかを決める人の方が給料が高いわけです。
これ全部そうですよね。
商社はコンサルとかね、完全に抽象ですよね。
例えばどっかの会社があって、その会社っていうのが抱えている問題みたいなものを抽象化して、
課題解決の方策を与えると。
より物が売れるためにはどうすればいいのかっていうのを考えるのは全部抽象化ですよね。
もしですよ。
じゃあ新聞が売れませんと。
新聞が売りたいってなった時に、
じゃあ長谷でヤクザをいっぱい雇ってですね、いろんな家に連れてってですね、
無理やり購入させればいいんじゃないかっていうんだったら具体ですけど、
なんか似たようなことを昔やってたんじゃないかって感じがして、あんまりいい例じゃなかったな。
具体ってそういうことですよね。
新聞だとうまく何も思いつかない。
でもそうそう、基本的にはそのいろんな企画とか戦略とか、
そういうのがあって、
例えばお祭り、お見越しを担ぐとかっていうのは全部具体ですよね。
だけど、例えばその学校祭みたいなやつでどんなお店を開けばですね、
人が来るのか、儲かるかみたいなことを考えると、
そういうのがあって、
そういうのがあって、
そういうのがあって、
そういうのがあって、
そういうのがあって、
そういうのがあって、
お店を開けばですね、人が来るのか儲かるかみたいなことを考えるとか、
っていうのは基本的に中小のプロセスですね。
自分たちがやりたいことじゃない。
人が喜んでくれることを考えるって言ったら、もう中小化ですよね。
マーケティングは全部中小ですよね。
どんどんどんどん太鼓が鳴り響いてきて、
お腹の底が熱くなってきて、
踊りの輪に加わって体を動かす。
これは具体ですよ。
だけど踊りを踊る人とかそういうコンサート会場に行く人ってお金払う側ですよね
稼ぐ側っていうのはそういうコンサートを企画する人
だからこの世の中で賃金の高い仕事は全部中小の仕事です
故に大学受験とかでもその中小のプロセスが問われているわけで
中小の上手い人がいい大学に入っていい会社に入っているわけですよ
具体的なことがどんなに上手くても
例えばご飯を食べるのが早いとかですね
綺麗にすごい平らげるとかいうことっていうのは評価の対象にならないじゃないですか
上手に踊れる
ダンサーとして踊れるっていうのはお金は発生しますけれども
ただまずそもそも上手に踊るっていうのは
人の振り付けで踊れるっていうことであって
自分が心から好きなことを踊っていればお金がもらえるかっていうことではないですよね
極限られた天才をする人もいるのかもしれないけど
そうはならないと
歌とかもそうですよね
この世の中っていうのは歌手やダンサーがどれだけ頑張っても
プロデューサーのほうが給料高いですから
基本はね
そうじゃない
めちゃくちゃ少ない人はそうでもないかもしれない
本当にそんなのは1億人分の数人数十人の世界ですからね
普通に生きる限りは抽象化ができる方が
稼ぎのいい仕事につけると逆を考えたら分かりますよ
具体の仕事って何かって言ったら
例えば介護
一人一人のお年寄りがいて
その人の世話をする向き合うというのも具体そのものですよね
医療って基本的に具体ですよね
医者は具体の中では給料の高い例外的な存在ですけれども
とはいえですね
看護師さんに比べると抽象度が上がってるんですよね
やっぱりいろんな患者さんに対して治療の方法っていうのは
一定の医学の学説があって
学術的な裏付けがあって
それを施していくわけですから
それは抽象じゃないですか
みんなにあるんだもん
もちろん患者によっていろいろな違いはあるわけですけれども
とはいえ学術的な裏付けがあって
それを執行していく
適用していくわけですか
カウンセリングみたいなのっていうのは具体ですよね
ただそれとてカウンセリングの学説はあると思いますけれども
カウンセリングじゃない
ただ話を聞くと
身の上話を聞いてあげるみたいなのは具体ですね
だからいわゆるケア労働っていうのは
基本的にみんな具体ですよ
抽象化できないから
その人その人に向き合う以外のやり方がないですからね
それから例えばものづくりは具体ですよね
なんでもいいですけど
例えば陶芸とか陶器を作るとか
これは具体的なものづくりだし
自動車を作るってことに関しても
そこには実態が伴ってますもんね
工場労働
建築作業とかもね
建物が出来上がるわけですから
これはかなり具体的ですよね
もちろん全て完全に具体とか完全に抽象ってのはなくて
ちょっとずつの割合があるんですけど
具体の割合が大きい仕事ですよね
運輸
車を運転する
かなり抽象度が高まってきましたけれども
それでもやっぱり車って自分で
ハンドルさばかないと運転ができないじゃないですか
自動運転になったら
つまり何もしなくてね
運転できるようになったら抽象になると思います
でも今はまだそうはならないので
具体の要素が強いですね
とはいえ抽象度はかなり高まってると思いますけれども
もう最近ね
本当にアクセル踏んでるだけで勝手に
高速道路を走ってくれるみたいなのありますからね
しかしやっぱり具体的な仕事って
給料安いんですよね
みんなね
少なくとも書類回す仕事
抽象の仕事よりも低いんですよ
だからみんな抽象の仕事のほうに行きますよね
抽象に秘術が
ちなみに私も抽象化が得意な人間だから
新聞記者になってるわけだし
社会における抽象の影響
新聞社の仕事っていろいろですけど
私も給料いいですからね
っていうことを考えたときに
しかしじゃあ今
この世の中でね
大卒以上ぐらいの人たちって半分ぐらい
っていうふうに言ったらいいと思いますけれども
ものすごい雑な話をしてますよ
半分は抽象の人で半分は具体の人ってしたら
抽象のほうに大卒ぐらいから
抽象のほうにいると思うんですけど
そういう人たちが
社会の主流になるわけじゃないですか
数的にはそんなに変わらなかったとしても
やっぱり発言力とかは
抽象の得意な人のほうが強いわけですよ
政治家とか官僚とか経済界の人とか
全員抽象だから
マスコミもそうですよね
抽象のほうにいるから
だから具体ができないんですよ
抽象のほうは得意なんだけれども
具体ができない
何ができなくなってるかって
例えば子育てとかそうだと思うんですね
自分の子供に向き合うとか
その子のためを考えるとか
応援するとか
っていうのは具体ですよね
僕その前も言ったけど
それがすごいできてないわけですよ
抽象の世界の人間だから
やらないんじゃなくてできないんですよ
それを認めない人のほうが多いと思いますけど
僕はそうは思ってないんだけれども
世の中の多くの人は
抽象のほうが偉いと思ってる
価値があると思ってる
なぜならテストの点数がついてきたから
抽象の得意なやつっていうのは成績上位なわけですよ
褒められてる
それはそう思いますよね
だけど世の中を支えてるのは具体です
だけどもう今
私を含む抽象の世界にいる人っていうのは
それができない
だから子育てもできない
やるとすごい苦痛なんですね
どういうことかっていうとやっぱり
具体性と子供の行動
子供の行動とかって抽象化ができないわけですよ
それぞれの子供がそれぞれの性質を持っているし
あともっと何というか
身体性
まるごと身体性ですからね
子供って赤ちゃんも幼児も
赤ちゃんなんてもう100%身体性ですよね
おむつが濡れれば泣くし
お腹が減れば泣いて
いっぱいになれば寝る
身体性だけですよ
具体のみ
具体のみのものを前にしたときに
抽象の世界に生きる人間はどうしていいか分かんなくなるんです
多分ね
それをすごい思うのが中学受験なんですよ
やっぱり私の妻は大卒もいいところの大卒
結構ちゃんとした大学を卒業してるわけですけども
会社員だったこともありました
ただやっぱり具体ができる人なんですよね
だからそうやって次男に対しても
受験勉強とかでコミュニケーションを取りながら
コミュニケーションを取りながらっていうとすごい抽象的な言い方ですよね
すごいやっぱり一緒に勉強して楽しそうに笑いながら笑顔で
そういうテストのやりとりとかができるっていうのは
完全に具体ができる人なんです
抽象と具体の生活
これ抽象しかできない人ってどうなるかっていうと
自分は働きます
私とかそうですよね
で子供を塾に入れるんですよ
で私の苦手な具体の部分は塾の先生に任せる
介護とかもそうですよね
自分できないから誰かにやらせてるんですよ
それ良い悪いとかいう話をしてるんじゃなくて
実際そうだろって話をしてるだけですからね
中学受験とかを通してもですね
例えばサピックスというすごい有名な塾がありますけれども
ついていくのは大変なわけですよね
そこで子供に向き合うという具体的なことはできないので
もう一つのサピックスに行く用の塾
二つ目の塾に行くとか家庭教師をつけるとかして
その具体の部分を誰かに背負ってもらうわけです
これずっとそうですよね
別にみんなそんな仕事が好きってわけじゃないと思うんですよ
今は本当に働く人をどんどん増やそうということで
経団連も一生懸命ですけれども
本来別に賃金労働なんて金の心配がないんだったら
別にやらなくていいっていう人が大半だと思うんですね
私もそうですけど
じゃあその世の中で本当にやりたいことって何かっていうと
大体みんな具体になるんですよね
例えばうまいもん食いたいっていうのはこれ具体ですよ
抽象的なものは食べたくないでしょ
抽象的な食い物って何かって言ったらサプリメントとか
商品名で言うつもりはないけど完全飯みたいなもの
だからおいしさよりもおいしさとかあと何ですか
そのナラティブ物語性よりも特産品とか物語性ですよね
草屋とか食べるのはあれは物語を食べてるんだと思いますけれども
そうじゃなくて栄養があればいいとカロリーメイト的なこと
そういう食生活っていうのはスムージーもそうだと思いますよ
あれは別に食べ物を消費してるって言ってもないから
要素を消費しているっていうことですよね
抽象的な食べ物ですよねスムージーってね
コンフレクトも抽象的ですよね
だからミルクボーイは言ってましたもんね
生産者さんの顔が見えへんのよ
抽象的な食い物なんですよ
具体的な食い物ってやっぱりばあちゃんの作ってくれたおはぎとか具体的ですよね
レシピに従って作るものとかって抽象的なんですよ
レシピって抽象なんで
大さじ1杯塩を入れるとか
塩を大さじ1杯入れたらしょっぱすぎます
でもしょっぱすぎますねみたいな感覚っていうのは具体なんですよ
だけどネットに転がってるレシピを見て
それと同じように料理を作るっていうのは抽象的なことをやってるんですよね
冷蔵庫にある残り物でなんとなくおいしそうなものを作るっていうのは具体ですよね
でも今は具体ってできないですよ
僕も具体すごい苦手なもん
冷蔵庫の中に入ってるのでありあわせでおいしいものを作るっていうのが苦手で
冷蔵庫にあるものを検索しますもんね
卵とトマトがあるから
卵トマトレシピで検索しようみたいな
これは抽象ですよ
卵の味とトマトの味ってだいたい自分の舌で分かってるわけだから
それを元になんとなく作るというのが具体的な行動ですよね
できないですよね能力がないから
なんていうかこの世の中にある能力って抽象化だけだっていう風に結構思い込んでるからしょうがないですよ
世の中そういう仕組みになってるからね
だけどそれは違うわけですよ
具体の方には具体の能力があるはず
を軽視しているのがおそらくはこの今の世の中なんだろうなと
話を戻すと数学や算数っていうのが女子の方がね
理解が悪いとかっていうのも結局はその具体っていうものを軽視するシステムの中にいるから
でなんかそのジェンダーの違いとかって多分そういう風に理解すべきだと思うんですよね
そうして考えるとなんかいろんなことがよりこうね視野が広く見えてくるんじゃないのかなと
単に男女さんみたいな話になると
それはどうしてもなんかどっちかの立場でどっちかに有利になる話みたいになりかねないじゃないですか
実際になりがちだと思うしそういうことじゃないですよね
でそうあとだからその何をみんなしたいかっていうのはなんかおいしいもん食うとか言いましたけれども
仕事を辞めてからみんながやることあと休みの日にやることって何か
例えばペット飼うとかありますよね
じいさんばあさんは高齢者だけだけどペット飼ってるのでペット飼うのは全然いいんですよ
いいことだと思いますけれども明らかにやっぱりその人と一緒に暮らすっていうことは代替行為ではありますよね
で人ってめんどくさいからなんか感情とか感情は犬にもあるからだけどなんかね
怒ったり自分の意味に沿わないこととかしてくるからね
ペットもそうですけど犬だって猫だって別に猫なんか特にそうか自分の意味はそうはないですけれども
とはいえ人間に比べると漁しやすいっていうのは間違いないと思いますね
あと人間の同居人ってそんな簡単に作れないんで
それに比べればペットっていうのはどこかからもらってくるとかってことができますからね
ペットショップとかねだいぶなくなってきついんじゃないかなと期待しますけれども
保護猫とかね保護犬とかそういうのありますよね
何度も言いますけどペット飼うことが下だとか上だとか言ってるつもりはないんですけれども
人間はやっぱりペットを飼いたいんですよ
ペットいないのが一番多分コスパはいいです
餌を用意しなくてもいいし何かトイレの心配もしなくていいし
だけど飼いたいんですよ
煩わされたい
なぜなら犬や猫は具体的な存在だからですよ
どんだけゲームとかやってもそれは抽象なんで
そこでは満たされないものがある
で
僕は典型的なのはソロキャンプとあると思うんですよね
ソロじゃなくてもいいですけどキャンプ
わざわざ家から出てって何をやっているのかって言ったら
飯食って寝てるんですよ
あの何か料理を作るっていうことを楽しんで
僕も何度も言いますけど別にキャンプが悪いって言ってるんじゃ全然ないです
ただ出てってやってること何かって言ったら全部家事ですよ
水地あとテントを建てるとかっていうのは自分家を整備するってことに他ならないし
睡眠でしょ
洗濯物干したりするんじゃないですか
家事全部人間って結局は家事っていうのが離れられないし
実はそれをやりたいんですよ
たぶんねやんなきゃいけないことところね
裏表だと思いますけれども
前も言ったかもしれないけどお坊さんはサムって言って作るに勤めって書いて
サムエのサムですよね
毎日朝起きてお経をあげて掃除をしてご飯食べてお経をあげて掃除をしてご飯食べてっていうのをね繰り返すわけです
お経をあげての部分は何か好きにしたらいいんじゃないかなと思いますけれども
人間はここから離れて生きていくことはできないんですよね
人生というのは家事なんですよ
で結局それが人間の本質だからみんなキャンプとか行くんじゃないですかね
だってですよやりたくないことだったらやんなきゃいいじゃないですか
なんでわざわざみんなしかもガスとかない電気とかないとこに行って苦労して家事やってるんですか
やりたいからでしょそりゃ
さらに言うとそれが具体だからですよね
レシピを見て料理を作ると違う世界があるから
だってやっぱり焚き火とかするのってものすごい具体的な行為じゃないですか
具体性を伴う家事っていうのにみんな修練していくんじゃないのかっていう
本当に人間としてやりたいことそれから離れられないことっていうのはもうそこなんだろうと
具体的な家事ですよ
ペットは具体的な育児の代行行為だったり子供ばっかりか限らないと思いますけど
自分の大事な家族っていうことで言うとね
そこしかないからみんなそれをするんじゃないんですかね
他に老後に何やってるんですか皆さんってね老後じゃなくてもいいんだけどファイヤーとかねして何をやるんですか
プールで泳いだりとかでしょ本を読んだりとか
本を読むは抽象的な行為だな
プールで泳ぐとかっていうのは極めて具体的な行為ですよね
フランスにいた時に思いましたけれどもフランス人の趣味っていっぱいありますけど
プリコラージュってあって日曜大学のことですね
ランドネって言いますけど散歩
めっちゃ身体的で
でもね日に焼く肌を日に焼くと身体性ですよね身体的なんですよ
全部リズムとかね身体性を伴ってるんですよね座禅組むっていうのは
お経を読むだけだと抽象的なんだよなでも座禅組むといきなり具体的になるんですよね身体性を伴うっていう
みんなそれが好きなんじゃないんですか
だけど抽象化が得意な私たちというのは苦手なんですよねそういう具体的なことはね
だから私も子供に対して応援みたいなことがうまくできないわけですよ
運動会で頑張ってほしいとかっていうところでどうしても何かそれはその
それまでにきちんと準備をしていれば早く走れるだろうしそうじゃなければそうはならないよね
それは仕方ないよねっていうふうに思っちゃうそうじゃなくて
AIと抽象化の影響
自分の子供なんだから子供じゃなくていいですよ一緒に暮らしている人なんだからいい順位を取ってほしいって思う
これが人間の本来のあり方具体性の備わった人のできる能力
私にはそれがない劣ってるんですよ
でおそらくはこれを聞いてくださっている方なんかも私よりの人が多いのではないかって思うんですよね
こんなクダクダしい理屈みたいなのをちゃんと聞ける人って絶対抽象側の人だと思うんですね
やばいですよ本当このまま行くと人間としての本質を忘れて資本主義に踊らされるだけ
人に踊らされるの一番嫌いですから自分で踊るのはいいんですけど
なのでそこをきちんと見据えて逆に利用してやるぐらいの気持ちでいきたいと思ってるんですよね
この抽象と具体っていう枠組みを使うと結構様々な現象や問題っていうのが何か一つ立ち現れ方をしていくなっていうふうには思ってるんですよね
例えばですよAIっていうのは完全に抽象化の塊ですよね
ディープラーニングっていうのは要は何億っていう具体例を全部ひたすら読み込ませてそれを抽象化する
その中で最適な回を導き出すっていうのは抽象化の典型中の典型中の典型ですよね
でその抽象的な助言によって我々っていうのは今大変に何か様々な局面において意思決定を楽にすることができたわけです
具体と抽象の考察
だから抽象性の塊に抽象的な仕事を任せるっていうことをやってるわけですよ
で何をしたいかというと抽象的じゃないことをしようとしてるわけなんですよ
これ面白くないですか
面白いっていうか本当に人間として生きる上で本質的なものってここで見えてくる感じを私は受けてるんですよね
だから子どもなんかとももっときちんと向き合いたいなと思いますし
それは妻とかでもそうですけどね
あとはやっぱり身体性を伴う行動例えばウォーキングとかもそうですし旅行とかもそうなんでしょうね
音楽の中ではねとか何かね美術鑑賞とかもいいんじゃないですかね
あれ抽象的な感じしますけれどもその絵に書いてある説明文を読むというのは抽象的な行為ですけれども
綺麗な絵だなとかすげえなんでこんな風に色使ってるのかなとかって感じることは具体的だと思うんですよね
音楽もそうですよね
音楽史を勉強するのもいいんですけれども
抽象的なんでやっぱり音楽そのものの味わい
風景見るのもそうですかね写真に撮るんじゃなくてね
写真に撮るってことはすごく抽象化ですよね
切り取りだから別に否定する気は全然なくて
やっぱり抽象的な人間が抽象的に世界を捉えるために写真とか撮ってるっていうことなんじゃないですかね
5割以上確実に抽象的なのはね
もう本当に具体の世界に生きられる人って別に絶滅危惧種なんじゃないですかね
一割もいない気がしてきたらそうするとやばいですよね
だからなんか昔の人間って多分でも具体の世界にいるんですよ
城に放たされてね怒ったり泣いたりして時にはクワッとなって今日殴りかかったりとかっていうのは全部具体ですからね
殴る人とかってダメでしょアンガーコントロールできない人ってのはね抽象的なんですね
抽象
そんなことを最近は考えてますよということですね