00:06
2024年はどういう年になりますかね。
まあみんなこういう話好きですよね。年末の振り返り撮った時も思いましたけど、そんなのね、年の節目なんていうのは人間が勝手に決めたものであって、別に社会の変容とか、まして自然界の変容とかですね、お構いなしですよね。
年が改まってどうなるとかそういうもんじゃないと思いますけれども、なんてね、48でもなくてそういうことをやめた方がいいと思いますね。
長年続いてきたことにはそれなりの理由があるわけであって、やっぱり年の節目にいろいろなことを考えるっていうのは、逆に言うと普段は考えないから、年の節目ぐらいそれ考えたらっていう機会を与えてもらってるわけですからね。
素直に従っておけっていうふうに思いましたので、私もちょっと考えようかなっていうね、2024年。
それを考えるにはやっぱり2023年をね、定義する必要があると思うんですけど、やっぱりジャニーズの問題大きかったと思います。
年の末にも松本人氏さんの問題、これはまだはっきりしませんけれども、出てきましたよね。
少なくともそういう問題提起がなされるようになってきた。
そういう社会になった。
一方で、やっぱり年末にかけて大きなニュースだったのは自民党のパーティー権問題。
パーティー権問題って何かって言えば、外形的な事実はどうあれですね。
結局やっぱり政治と金、要するに何かを普段ね、いろいろインボイス制度だ、増税だって言ってるような人たちが、
金をですね、法的に違法なやり方でせしめていたっていうその問題性ですよね。
モラルの崩壊ですよ。
こういうところで何が起きてくるかっていうと、直接的には多分パーティー権問題は、
安倍派っていうね、今の自民党の最大勢力であったり、
何しは派閥という存在自体に対してかなり揺さぶりをかける。
なくなると思わないですけどね。小泉純一郎さんが亡くするとしたときもなくならなかったんで、
まだ戻ってきたんでね、なくなるとは思わないですけど、
揺さぶりをかけるっていうことと、同時に多分岸田政権がもうあんまり持たなさそうですよね。
支持率も低いですし、安倍派がですね、例えば分裂するとなって、
じゃあ岸田派が盛り返すのかっていうと、どうもそういう感じじゃない。
安倍派の問題も含めて自民党の問題として、自民党総裁である岸田さんの支持率の低下っていうところにつながっているので、
長いことないでしょ。
そうすると何が起きるかなんですけれども、まずやっぱり安倍派の元々のあれ、
元締めだったのは森吉郎さんですね。
03:00
それから岸田政権を支えているのは麻生太郎さんですよね。
あとパー権問題でもう一つメスが入ろうとしているのが、
戸城さんの二回派で、この辺の80代半ばの自民党の住賃たちっていうのが、
未だに非常に強い力を政界で持っているわけですけれども、これが崩壊していくであろうなと。
だから要するに権威っていうものが失意していくというか、
偉い人は何をしてもいいっていう世の中が明確に変わっていくっていうことなんじゃないかなと思いますね。
ジャニーズ問題とかあるのであれば、吉本お笑い問題、吉本だけじゃないのか。
ホリプロ公務も入ってますからね。
やっぱりああいう芸能界の問題ですよ、広く言えばね。
権力のある人がそうでない人に対して暴力を振るったり、強い態度に出るっていうようなこと。
これがなくなっていくっていうことは間違いないと思うんですよ。
いい世の中じゃないですか。本当に偉そうなやつはいっぱいいましたし。
ただ一方で我々は覚悟しなきゃいけないことがあると思いますね。
権威がこれまで抑えつけてきたものっていうのは一定の秩序、安寧を社会にもたらしていたと思うんですよ。
これはなくなっていくでしょうね。
例えば徴用の女、年功序列。
いやいや私も本当嫌いでしたよ。若い頃なんか特にね。
本当に年取ってだけで偉そうにしやがって、どう考えても俺より能力低いだろうみたいな人たちはいっぱいいましたよね。
でも本当に新聞社の中だけで見ても、例えばPV、CVって言って、
数字で自分の出した記事っていうのが評価されてもちろんよしよしあるんですけど、
少なくともどんな大ベテランでもですね、ページビュー取れないような記事書いてたら、なんかダセーなって話にはなるじゃないですか。
大変結構なことで物差しっていうのはすごく平等になったなと思うんですよ。
そういうような動き、権威っていうものがどんどん失通していく動きっていうのは絶対あるんですけど、
みんなそれで言うことを聞かせてきたじゃないですか。
人間は人に言うことを聞かせるっていうことに強い関心がありますよね。
ガバナンスってそういうことでしょ。
言うこと聞けよっていうね。
それが年功序列のもとだと先輩の言うことは聞かなきゃいけないっていうのは不分立だったから、
そこに問題疑問を呈せないっていうところがありましたからね。
それによってしかし一定の秩序があったわけです。
いいものかどうかわかんない、歪だったかもしれないけれども秩序が存在した。
それはなくなりますよね。
一時的になのかもしれませんけれども、おそらく混乱が起きますし混沌になると思うんですけれども、
06:00
私はその混沌大好きなので全然一向に構わないんですけどね。
嫌な人もいるでしょうね。
すでに何かそういうのに抗おうとするような空気みたいなのも感じられますし、コロナの時も感じましたしね。
そこにどういうふうに向き合っていくのかっていうね、そこは一つの問題なのかなと。
あとはですね、ニュースで思うのは、京都アニメの放火殺人事件、ひどい事件での裁判が2023年には始まって続いてますけれども、
やっぱり報道を見ているだけですけど、むちゃくちゃなんですよね。
完全に妄想というか言いがかりとしか思えないような勝手な一方的な感情で放火に至っている。
だから検察と弁護側で見解が分かれていますけれども、責任能力があるのかっていうね、そこが最大の焦点になっているような話ですよね。
これなんですよね。
基本的にはやっぱり普通の人だとそういうことはしないんだけれども、我々の世の中にはそういう普通じゃない人がいるっていうのは知れた話で当たり前なんですよね。
でもそれで何にも罪ない人が30何人とか殺されるとか、これはやっぱり良くないですよね。まずいですよ。
この辺をどう捉えていくのか。
すごく簡単に差別問題に繋がっちゃうんですよ。
ご想像に固くないと思いますけれども、それは多分ね、日本社会の課題。
日本社会って本当に内包しているテロ集団みたいなのってあんまないんですよね。
ヨーロッパなんかだと常に移民とか本来異質な存在っていうのがあって一定の緊張感があるんですよね。
良くも悪くも。もちろん良くもっていうところもあって、それによってその多様な存在を知ることができるし、自分たちの謹慎性みたいなのを相対化できることがいいことですよね。
日本はそういう機会にはどちらかというと乏しいとされてきた。今では全然そんなことないと思いますけどね。
いっぱい外国人の方も働いてますからね。
ともあれ、しかし日本の内包する問題ってそうじゃなくて、簡単にわからないところにそういう恐ろしい存在がいるっていう部分。
こことどう向き合うかっていうね。例えば刑務所に入った人の調査では、かなりの割合の人が脳に障害を抱えていたっていう調査がありましたけれども、そういう部分ね。
09:11
我々はそういうまだらな存在で、みんなどっかおかしいんですよ。それはもう明暗。分かれますけれども、グレーなんですよ、全員ね。真っ白とか真っ黒って人いないんですよ、たぶんね。
グレーの濃さとかあるいはどこがグレーなのかみたいな話だと思うので、そういう不完全な存在としての人間っていうものにどういうふうに向き合うのかっていうのはね、すごく大切な問題だと思いますね。
切り離したり隔離したりして済ませられない。なぜなら私たち自身もいつそうなるかわからないっていう存在でしかないと思うんですよね。
自分の中にいるそういう存在みたいなものにどう向き合うかっていうことでもありますよね。そんなことを思いましたね。