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私が今、興味を持って見ているものの一つが、組織です。
組織と個人の関係性、個人と組織がどのように像を結んでいくのか、みたいなことに、
結構最近考えるところが多いんですよね。
これは何かと言いますと、人間って、それぞれいろんな人がいますけれども、
多くの人、僕の観察する感じだと、8割ぐらいの人は、組織の中での自分というものにすごく縛られ、とらわれ、
それを自分だというふうに理解している、そういう印象なんですよね。
もう少し詳しく言いますと、例えば会社で働いている人は、それを想像してもらいたいんですが、
どの人も、会社の部署の中での自分の役割みたいなものに基づいて喋るんですよ。
いろんなところに向かっているのは、例えば部とか、課みたいな、そういう局とかいうところもあると思いますけど、
大体単位になっていますよね、会社組織というのは。
これは大きい会社の話ですけど、小さい会社でも大体そうだと思いますけど、
部長とか課長とかになると、その部であったり課であったりの利益、
その部や課にとって何が一番大事なのかというようなところに、
すごく集中するというのは、いろんなところに見てきたんですよね。
私の勤務先だと、そういうことにこだわりすぎる人は、そんな部益ばっかり考えてないで、みたいなことを言ったりしますね。
部益ってなんだよっていうね、部はその部の益、利益ですよね。
これは例えば省庁とかでも言われることであって、省益ばかり考えるなと。
つまり省庁というのは、天下国家、日本国というものの行く末を全体として判断していかなきゃいけないにもかかわらず、
なんとか関東化省の、例えば経済産業省とか農林水産省とかっていう、
自分の所属している省にとって利益になるようなことばっかり追い求めてちゃいけませんよね、という文脈で使われますよね。
てか、そっから多分部益とかって会社に持ってきた、私の気持ち先の方に持ってきたんだと思いますけど。
でもね、そういうふうに考える人って本当に後を絶たないというか、そんな人ばっかりじゃないですか。
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まあ天下国家を認じなきゃいけない人の典型としては政治家がいますけれども、でも一方でね、俗議員って言葉を聞いたことがある人も多いと思いますけど、
なんとか族、なんとか族っているんですよ。これはね、大体の場合業界というか、象徴にひも付いてるんじゃないですかね。
文部族、文科族みたいな言い方。これは文部科学省的なところにすごく影響力の強い人っていう意味合いですよね。
だからまあ、歴代文部科学大臣みたいな人を出しているところ。
森吉郎さんがそうなんですよね。あの人、文科族ですね。
で、今、森吉さんは石川県の出身ですけど、石川2区の出身ですけど、石川1区に長谷裕さんいて、今県知事ですね、石川県知事。
長谷さんもだから文部科学大臣になってますけれども、だから文科族ってされてますよね。
その象徴に対して強い意向を持っているし、一方でだから持ちつもたれつといいますか、その省の利益になるようなことに関して出てくると。
いや多いんですよね。官僚出身の人なんかでもね、そういうふうになる人多いですよね。警察族とかね、いろいろいますけど。
ということで、要は組織っていうものを守る、組織の利益を考えるっていうふうに振る舞う人ってめちゃ多いなっていうのが私の印象です。
これがね、よくないと思ってるんですよ。
つまり、本当にいろんな人と話しますよね。私、記者という職業なのでそういうことが多いわけですけれども。
高校の人って話すと大体みんな面白かったりいい人だったりする。
ていうか話が通じない人ってあんまりいないんですよね。話はみんなできるんですよ。
いやでもね、いない。私今までいろんな人取材してきて、それこそ政治家やお巡りさんからヤクザ、ハッカー、イランの革命防衛隊員までですね。
本当にいろんな人と話をしてきて、全然そのやっぱり飯食いながらとかね、酒飲みながらみたいなこともありましたけれども、話せます。
みんな私と価値観違うなって人はもちろんいますよ。
だけどゴリゴリの右翼の人とも喋ったことありますけど、なんか共通点はあるんですよ。
例えば右翼だと、まあそうは言ってもお互い国のこと考えてるよなみたいな、私は国のことは考えてないですけど、
社会が良くなればいいなっていうのは同じだとかね。
何かしら人間と喋るときには共通点があるもんですよ。
それこそ話にならないっていうようなことってあんまりないんですよね。
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それはもう政党の議員とかもそうで、自民党の人も公明党の人も共産党の人も別に話はできますよ。みんないい人たちですよ。
あらね、なんか組織の人間の顔になった瞬間に話が通じなくなる人ってたくさんいるんですよね。
まあ私は取材先の感じで、一番その感じは警察ですよね。
警察官も普段喋ってるときはすごい気さくなおっちゃんなのに、いざ組織の人間として振る舞うってなると、なんかもう本当に冷鉄、鉄面皮みたいになっちゃう。
まあそういうのって、たとえば会社とかも言いますけど、本当にそれでいいのかっていうのは、怒りというよりも、マジ大丈夫っていう心配ですよね。
だからそれがこれまでいろいろなところで悲しい出来事を生んできたと思ってるんですよ。
財務省の改ざん事件、ご記憶でしょうかね。
森友問題、森友学園問題ってありましたけれども、近畿財務局の職員の方が自分の意図に反して、意思に反して公文書を改ざんせざるを得なかった。
彼は悩んだ末に自ら命を絶つわけです。
要は本当の彼はそんなことやりたくない。だけれども組織人としての彼は文書を改ざんせなければいけなかった。
その狭間に立たされて、もうそれがどうにも自分の中で消化できなくなってしまったっていうね、おそらくそういうことなのかなと思いますけれども。
で、あれじゃないですか、そういう事案って他の企業にもいっぱいありますよね。
デンツーでも20代の女性の方が自ら命を絶ったという事案がすごく有名なのがありますよね。
あれなんかも過労ですけれども、死ぬほど働くっておかしいでしょ。
だって自分の意思はもう働きたくないわけですよ。だから体が動かなかったりするのに無理やり働くわけですよね。
なぜかというと組織としての自分の役割としては仕事をしなきゃいけない。少なくともそのように思い込まされているっていうことですよね。
組織として動く人間ってすごく怖くて、だからそれが究極的なところで言うと戦争がそうじゃないですか。
誰もそんな人殺したい人いませんよね。だけど赤髪きたら戦争に行かざるを得なかったわけですよ。
そういう役割を与えられて組織の兵士として動かざるを得なかったということですからね。
そんなにやらない方がいいって決まってるじゃないですか。
ただ人間っていうのは社会的存在であるって言われる通り、社会っていうのはイコール組織ですからね。
組織の中でどう身を処するかっていうのが、言ってみれば人間の生きていく上でですね、
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最も難解かつ重要な課題と言ってもいいんじゃないかなと思うんですよ。
私もそうですよ。こうやって会社組織の中で生きてますからね。
あるいは記者として仕事をするときには組織と立ち向かうんですよ。
本当にね、企業に取材行ったりするとすごい感じますよね。
問題が終わった後でその人と例えば飲みに行くとかそういうのがあるんですよ。
行くとね、なんだとね、ギラギラバカな話で笑ったりするっていう。
このギャップね。組織の人として出てくるときは本当に決まりきったことしか言わない。
つまらない人なんだよっていうのがよくあるわけですね。
だからそれがね、すごく今、多くの人苦しめてるんじゃないのか。
あるいは多くの人が苦しむ原因、そういう組織的な振る舞いに
合わせなきゃいけないことによって苦しんでる人めっちゃいるんだろうなっていう。
おそらく人間はもうそういう組織のつらさ、怖さ、うさんくささみたいなのを肌で感じ取るところがあって。
組織の中に入っていくのやめてる、やめる動きが続いてるっていうのが
おそらくここ最近だったんじゃないかなって思うんですね。
それは例えば地域社会もそうですよね。
だって地元に残る人とかってどんどん減ってるでしょ。
村八部なんて言葉がありましたけれども、今もあるか。
あれは村という組織の中で、それに反する行いをすると怨駄されるっていうことですよね。
組織の人間になりなさいよ、村人として組織の中で振る舞いなさいよっていうことですよね。
で、嫌ですよっていう人が都市に出てきたり移住したりするわけです。
だから家庭とか家族っていうのは多分そうで、今結婚する人がどんどん減ってるじゃないですか。
少子化、少子化って言ってますけれども、たくさんの人が指摘してますけれども、
子どもが減ってるのは結婚する人が減ってるからなんですよね。非婚化なんですよ。
結婚は別に好き好きだから自由にしろよっていう話ですけど、
なんで結婚しなくなるかっていうと、やっぱり家庭とか家族っていうのも一つの組織じゃないですか。
人数は結構ミニマムですけど、2人とか3人とかね。
多ければ5、6人になるのかな。
っていう組織の中で、やっぱり期待される振舞いをしなきゃいけないっていうことの窮屈さ。
これは感じたことが多いという人もいるんじゃないですか。
子どもの頃に親の期待を受けるとか、
昔のドラマじゃないですけど、頼んでくれなんて頼んでないんだよっていう話でしょ。
気づいたら生まれてたわけですね。
勉強しろうだの、運動しろうだの、ピアノ弾けたのって言われるっていうのは何じゃいっていう話。
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組織の中で生きるっていうのは極めて窮屈だっていうのは、実はもう家庭から、家族から始まってんだろうなと思うんですよね。
で、嫌だからみんな今結婚しないんじゃないですか。
組織の中に入らないという選択。
これがね、しかしね、私の友人がね、若い人がたくさん働いてる会社で割と取締役をやってるんですけど、
そういうところに限って結構ね、いわゆるベンチャー企業ですよね。
そういうところに限って、しかし運動会みたいなのとかそういう絆を大事にするらしくて、不穏と思ってるんですけどね。
それなんかどういうふうに解釈したらいいのかな。
そういう会社の方がやっぱり組織っていうものの手を取りにくいからこそ、
いわゆる日本の、なんですか、みんな誰でも名前知ってるような企業、自動車会社とか家電会社とかっていうところはもともとそういう文化あるから、
ほっといても組織というものの大きな引力に下がられないっていうところがあると思うんですね。
だけどやっぱりベンチャー企業とかだとそれじゃない。
そういう運動会とかっていう、昭和の時代に終わってしまったような、
いわゆるジャパニーズ・トラディッシュナル・カンパニーでは終わってしまったような文化をあえて取り入れることによって、
組織としての体裁を作っていく。
だってそうしないと今って本当にリモートの作業とか、特にベンチャーとかそうですよね。
それぞれジョブ型雇用、自分がやることをやる。
自分の能力において責任を果たす。
組織としての役割っていうのは果たさなくても良いという、そんな感じにはなってますよね。
いいことだと思うんですけれども、一方でやっぱりそれだけだと立ち行かないものが何かあるんでしょうね。
私は別に経営とかやったことないので何とも言えませんけれども。
ただまあちょびっとは分かります。
一応中学管理職に来てるものはやってますから、そういう引力が働くのは分かりますね。
つまりやっぱり思った通りに動かしたいんですよ、人を。
そうするとそれって組織の論理みたいなものを持ってくるのが早いんですよね、話として。
典型的に言うと先輩の言うことを後輩は聞け。
そうするとほら言うこと聞くでしょ。
人を自分の思った通りに動かせる。
そこじゃないですか。
ガバナンスとか言っても全部それでしょ。
だから人を思った通りに動かさない。
人は思い通りに動かないけどまあいいやっていうふうに考えられるかどうかっていうところね。
ただ私は別にそれを無制限に掌揚するつもりもなくて、
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そうするとおそらく人間の集団としてのまとまりって本当に希薄になっちゃう。
そこに幸せがあるかっていうとまあそうばっかりじゃないかなとは思いますね。
それはやっぱり家族として働くっていう生活するっていうようなことを考えても楽しいですもんね。
うちは別にそういう家訓とかあるわけでもないけれども、
やっぱり一定その家族の中での倫理論理ってのはありますよ。
食器洗いとかね。
洗わない子もいるんだけど。
そういうようなことっていうのはしかし一定の良さはある。
それこそセレンディピティが遠飛ばれる時代ですよね。
自分が選んだものじゃないものっていうところに自分を置ける。
家族がいると何が一番面白いって子供もいますけど、
子供の要望に従ってそうやって動くってことが増えるんですよ。
例えばジナンが鉄道好きなんで大尾本線に乗りたいって言って、じゃあ山形行こうかみたいなんですね。
そういうことですね。
それっていうのは子供いなかったら私絶対かわからない。
まずまず行かないでしょっていうやつ。
だから家族ってセレンディピティを運んでいくんですよ。
会社も一緒ですよね。
私も勤務先の会社で、
私別になんか生涯を通じてこれがやりたいとかそういう信念とかこだわりとか何もないんですよね。
普通な一緒。
だけど会社に言うとこの仕事やれとあの仕事やれとどんどん降ってくるわけですよ。
それはある種助かるんですよね。
渡りに船でないですけど。
どうせ暇なんで人生だったら。
そうやってやることができてお金もらえてね、
暖かい服着れるっていうのはまあいいじゃないですか。
そういう組織の良さってもちろんあるんですよね。
私中吉ツレション精子みたいなの嫌いなので、そこは一切。
何の魅力も感じませんけれども、そういうのに感じる人もいるだろうし、
そのこと自体は否定する気はないですよ。
みんなで仲良くして何が悪いんだって話でね。
ただまあそうね、それが行き過ぎてしまっているのが今の世の中だし、
そこへの疑問の提示っていうのがとりわけ若い世代からはなされているっていうのは間違いないんじゃないですかね。
どうせ仲良くするんだったら自分が仲良くしたい人となりたい、したいっていうね。
ごもっともの話でしょ。
こうやって考えるとしかしまあね、いろんなことっていうのは難しさがありますね。
だって家族もね、別に生まれたところで出会った人が父親だったり母親だったり兄弟だったりするわけですけど、
全然気が合わないってこともそれはあるんでしょうね。
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まあありますよね、実際ね。
私なんかもそうです。
そうやって考えると、じゃあ自分が選んだ相手が本当に気が合う人かっていうと、
それは相当限りないじゃないですか。
一番幸いにしてパートナーの人力もあって楽しくさせてもらってますけれども、
そうじゃないって過程がザラにあるっていうのはよく知ってますよ。
知ってみるとですね、その組織っていうのがやっぱり柔軟であるべきだと思う。
つかず離れずじゃないですけれども、いいところはまあ活かしていただいて、
ただそんなね、やっぱり自らの命を落とすようなのはおかしいでしょ、どうやったって。
そこはね、やっぱり違うんだよっていうところはちゃんと確認しておかなきゃいけない。
それがわかんなくなることが多いんだよな。
で、だいたい組織の一つとして振る舞ってる人って全然面白くないですから。
皆さんも国会の中継ってチラ見ぐらいはしたことあると思いますけど、官僚の答弁って全然面白くないんですよ。
まあ組織の人として用意された台本というか書いたものを読んでるから面白いわけじゃないですよね。
コミュニケーションじゃないので伝える気がないですから。
そういう振る舞いっていうのをしかし組織としての人間はせざるを得ないというかしちゃうんですね。
それがそこに感情が入らなくなるんですよ。
じゃなきゃ戦争とかできないでしょ。どうやったって相手の国の人を殺すんだから、そんなのまともな正直な人の選択じゃないですよね。
だけどできちゃうんだな。
なんとかっていう国のためならばって言えばできちゃうんだな。
それはでも同じですよ、家族でも。
誰かのためだったら、愛する誰かのためだったら人を殺せるって言ったら結構すっとくるでしょ。
戦争とか国家だとね、禍々しい感じするものが自分の大事な人を守るためならって言ったらちゃんと理屈になるでしょ。
あとちょっと嫌ですよ、それは自分の妻とか子供を殺されたらね。
めっちゃ怒ると思いますけど、怒るどころじゃないと思いますけどね。
だけどね、本当にそういうことなのかなっていうのは思いますけどね。
相手殺しても別に私の妻帰ってこないみたいな時ってね、どうすればいいんですかね。
これは別になんていうか、分かんないですよね。
ただだからやっぱり組織で振る舞ってる人っていうのはその印象線上なんだろうなっていうふうに考えれば理解できるんですよね。
理解できるけど、そういう振る舞いを続けてる人を見るとやっぱりなんというか、私は哀れに思いますよ。
だって自分の信念とか自分のやりたいこととか、本来の自分の姿みたいなのと違うところで行動しなきゃいけないでしょ。
それはおかしいですよね。
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あとなんか自分の頭で考えるってことをやめちゃうんですよ、そういうことをやってると。
なんでそのことをしなきゃいけないのかとか、そういう話ってみんなないがしろになっちゃうんですよね。
だって決まったことだから、組織としてこうやるんですっていう話ですからね。
おかしいですよ。でも本当多いんだよな、会社で見ていてもね。
その人がどう思ってるかっていうことよりも、みんなそっちの方がいいんでしょうね。台本があってその上で振る舞うことの方がね。
あんなもんコントみたいなもんじゃないですか。誰がやっても一緒だし。だから人事ってどんどん変わってきますしね。
誰がやっても同じことをやるってどんな意味があるんですかね。変じゃないですか。
私はすごくそこに対してなんというか、違和感がね。めちゃ強い違和感がありますけどね。皆さんいかがですかね。
そう、だからやっぱりこの令和の世の中、21世紀っていうのは、そういう組織に対して我々この人間がどのように向き合っていくのかっていうのが問われ続けているんだろうなと思いますよね。
コロナの騒ぎとかもね、なんというか組織としての社会っていうのはすごく明確に濃厚になった時期でしたよね。
なんか誰かに迷惑をかけないために何々しなきゃいけないみたいなことがすごく普通に言われていたんですよね。
あれもなんかどうなのかなっていうね。迷惑ってなんだよっていうね。
あれこそまさに、なんかその組織っていうものの論理に通じないことをしたときに当てはめられる言葉じゃないですか。
そうしたらちょっとごめん、こう向いたいなって気持ちも私はありますけどね。知らんよ。
ちょっとこの辺の話はですね、今後も考え続けていきたいなというふうに思っております。
今回はね、こんなところで。