間違いについての考え方
前回撮ったですね、パソコン通信と同級生2というゲームの話をやりましたけれどもね、
発端になったのがですね、もともと妻のポッドキャストの方に寄せられたお便りだったんですけれども、
これあるな、下君が寄せてくれたんだなと思ってね、昔なじみの下君だと思ったんですけど、どうも別人ですね。
その後もう一回ですね、下さんと名乗る方からですね、お便りをいただきまして、文脈的には下君じゃないなと。
だいたい下っていう名前にね、すいもってね、す、小さいい、もっていうね、振り仮名が2通目のお便りには書いてありましてですね、
おー、下君じゃないやんっていう。
で、そのことをですね、妻に申しましたところですね、妻にはですね、それ番組取り下げた方がいいんじゃないって言われたんですけど、
いやいや、内容的にはね、思い出を語ってるだけなんで、すいません。
で、あのほら、番組中にもね、下君じゃなかったらね、本当にすいませんけどね、留保もつけたんでいいかなということで取り下げてませんけどもね、
行っとこうかなと思って。というのはすいもさんがね、この番組を聞いてくださるかもしれませんからね、気悪くされたら本当に申し訳ないなと思うんで、取り違えすいませんでした。
だけどすいもさんのおかげでですね、20歳ぐらいの時の下君の思い出を思い出したんで、
良かったということにしておきませんか。
それでね、これで終わっちゃうと1分で終わっちゃうんで、私ね、ほんと訂正しないんです。
訂正はするよ。番組を削除したりとかしないんですよね。間違ったこと言っても、それを消したり削ったりとかしないんですよね。
間違ってもいいじゃんって思ってるところがあって、特に例えばこういう名刺とかを間違うのは失礼だもんみたいなこと言いますけれども、
なんでこういう名刺だけ失礼なんですかね。全て間違うことっていうのは失礼味を帯びてますし、人の名前を間違ったから失礼って、それは間違わない方がいいんですよ、もちろんね。
別に意図的に間違えてるんじゃなければしょうがないじゃんって思ったこともありますよね。だし、漢字の読み方とかも難しいし。
例えばイガラシさんっていう人がいて、五十嵐って読んじゃったとするじゃないですか。
これはね、おそらく私の習慣に日本で五十嵐っていう名字の人はいないですよ。
あえて書いてあったらさっそくイガラシって読むんですよ。ただ、わからなかったとしてもそんなに責められないなっていう気はしてるんですよね。
それって一回知れば二度と間違うことはなくなるけれども、最初はわかんないですよね、あんなのね。
だから別にいいんじゃんって思ってて。
新聞なんか本当にすごいね、こういう名詞の間違いとかめちゃくちゃ怒られるんですけど。間違わない方がいいんですよ、もちろん。
ただ、間違わないにしてても人間って間違っちゃうんですよね。どうしてもミスってあるわけで。
社会の寛容さとミスの理解
そういうやつ、つまり意図的じゃなくてやっちゃったみたいなミスっていうのは、すいません間違えましたって言って訂正するっていうことでいいんじゃないかって思ってるんですよ。
それを消すとかいう、あるいは一個もミスを出さないようにするみたいなのってものすごい大変な労力だし、正直労力に見合わないと思ってるところが私あるんですよね。
だったら素直に謝るっていう、素直に訂正するっていうことを励行した方がよっぽど世のためになるんじゃないかなっていうふうに思ってるんですよね。
だから新聞の訂正とかに目くじら立てるのも、いや新聞社内ですよ。読者の方っていうよりは新聞社内でそうなんですけど。
はるま無病主義みたいなのってよくないんじゃないかなっていう。むしろ報道機関としてやっていく世の中にですね、
通っていくべき理念っていうのは間違っても許される社会じゃないのっていう。だから例えば犯罪者とかだって刑期を終えて食材したら別にいいだろって私思ってますし、
なんかそこの部分すごい揺るがせになってんのってちょっと気になるところではありますよね。デジタルタトゥーンみたいな。
本来はやっぱり、例えば元暴力団組員でしたと。だけど組員辞めたらそれはもうそれでいいじゃないですか。
なんか結構一生つきもと感じないですか。それは私すごい嫌なんですよね。
誰しもミスはありますし、それに出来心とかもありますからね。それをずっと問い続けるのって変なんじゃないのっていう。
あとこれやっぱり会社とかにいてよくわかりますけれども、ミスしちゃう人、つまりミスしないようにしようってみんな思ってるんだけれども、一定程度そういうことが難しい人っているんですよ。
間違いなくいて、それってやっぱりある種自分ではどうしようもない部分っていうのがあるんですよね。
そういう人まで一緒くたにしてミスを問うっていうことが本当に平等なのかなっていうふうには思ってるんですよね。
すごい間違わない人とかもいるんですけど、ただそういう人ってやっぱりすごく慎重だったり、悪い言い方をすると臆病だったりするってことがある。
臆病って言い方は良くないな。よくミスする人も臆病である場合って結構ありますからね。
なんかそういうんじゃないですよ。やりたくてやってるわけじゃないんだから、時間守れないみたいなのも舐めてるのかって思いがちですけれども、舐めてるやつもいるんだけど、そうじゃなくてどうしてもできない人もいるんですよね。
なんかその話前しましたよね。そういうのに対して少しいろんな人がいるよねっていう視点は必要なんじゃないかという意味でも、やっぱりミスはあって叱るべきっていうところは言っていいんじゃないかと。
その代わりに、ただミスをした人は私もそうですけれども、ちゃんと謙虚に謝る。そしてそれを取り返すっていうことは必要だろうなと。
排水管のパイプの使い方を間違えてミスしたみたいなことはあるかもしれないけれども、間違ってますよ。すごい排水管臭いんですけどって言われたら、それはちゃんと直してくださいねっていうね。
外国とかだとそこも開き直っちゃうやついるんで、いやいやしょうがないだろうって。何なんでしょうね、この極端な感じ。
おそらく海外で生活された経験のある方はちょっとうなずくところもあるんじゃないかなと思いますけれどもね。ミスしても全然悪びれないやつってすごいザラにいるっていう。
むしろミスを認めてしまったらなんか良くないみたいなね、やつ。本当にありますからね。
日本社会は逆なんだよ。中間であれば良いと思っているのですが、もちろん何かも言いますけどミスはないほうがいいっちゃいいんですよ。
ただミスを100%なくすってことはできない。これはまず大前提であるし、それを100%に近づけようとして握手く努力をするっていうのは私はちょっと性に合わないっていうのがあるのと、
ミスした人を温かく迎え入れてやりたいっていうのは本当にずっと思ってますね。はい、以上です。