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2025-03-22 09:00

母の手料理

サマリー

このエピソードでは、母の手料理が焦点になっています。家庭での思い出や母親の料理の技術について語られています。特に、唐揚げやエビフライなどの揚げ物、煮物やシチューなどが紹介され、普段の食卓に関する思い出が共有されています。

母の料理の思い出
ちょっと今日は食べ物の話でもしようかなと思うんですけどね。
皆さんの思い出の料理って何ですかね。
一般的にですね、例は7年の日本人であるとですね、お母さんの作った料理が手料理ってことになるわけなんですけれども、
お父さんという人もいるとは思いますけども、やっぱり割合としてはだいぶ少なそうですよね。
私の場合も母ということになるんです。何歳のうちの場合はね、父は死んでますからね、私が8歳の時にね。
それ以前の時にも大変な料理下手だったってことは確か、このポッドキャストでも何かどっかで話したような気がしますが、
じゃあ母の得意料理は何だったのかっていうことになると、これは結構難しい。
母はですね、大変気の強い人でありましたが、自分は料理が得意だっていうことを公言してましたね。
それは確かにそうなんですよ。
晩年はなかなかちょっとね、晩年の記憶が最後の味の記憶になっちゃうのは寂しいところなんですけれども、
本当に子供の頃とかは確かに料理美味しかったです。
っていうのと、あと惣菜を買ってくるっていうことがまずなかったですね。
当然当時から昭和の50年代から別に惣菜っていうのは売ってましたし、お弁当屋さんもありましたけど、ほっかほっか弁当みたいなのもありましたけど、
まずあんまり食べたことはない。たまにありますよ、もちろんね。たまにあるんですけど、まあ基本的にないんですよね。
で、そのさっきも言いましたが、父死んでたので母はずっと働いてましたから、働きながら子供の料理、ご飯を作ってたっていうことになりますもんね。
昼は給食にしてもね。で、土日も子供っていますしね。大変だったんだろうなと思った。
あとだから容赦はいいのに名古屋市って中学弁当だったんで、私と妹はですね、ちょうど3年離れてるもんですから、
私が高1になるときに妹が中1になるんですよね。で、高校も弁当ありましたからね。
ってことは私が中1になってから妹が高3を卒業するまで何年間?9年間ですね。弁当を作り続けてるんですよね。
途中3年間に関しては私と妹と重なってるってことですもんね。
大変だったでしょうね。多くの皆さんと同じように私も母に対して愛憎を半ばする感情がありますけども、そういうところに関しては素直に感謝しかありませんよね。
好きな料理とその特徴
晩御飯とかもね、そんな出来合いのものを食べたっていう記憶が本当に少ないですもんね。
何でも作ってくれました。私今でも好きな料理って言うとね、子供みたいなんですけどね、唐揚げが一番好きですけどね。
唐揚げもよく作ってくれましたし、子供の好きなハンバーグとかエビフライとかね。
エビフライを巡った妹との死闘があったって話もしたかもしれないですけど。
揚げ物で言うと天ぷらも作ってくれましたし、
野菜の天ぷらなんかもね、結構好きでしたね。
インゲンとか茄子とかね、ああいうもの揚げたもの、美味しかったですね。
揚げ物で言うと、カツね。カツもよく食べましたよね。
うちはあんまり味噌カツじゃなくてソースかけてたような気がしますけど、味噌もあったな。
母は串カツが好きでしたよね。作るのも食べるのもかな。
だから串カツをよく食べましたね、定期的にね。
あれ作るのめんどくさいですよね。今、自分で作ってみたらって考えると、
肉をあの形に成形しなきゃいけないじゃないですか。
で、棒に刺すわけでしょ。手間が1個増えますよね。2つぐらいか。
この間自分で焼き鳥みたいな、鳥じゃなくて豚で串を作ってみたんですよ。
ネギ挟んで。見た目も良くて、魚ぶりで作って、子供には好評でしたけど、
刺すだけめんどくさいなと思って、普通に肉とネギをゴロゴロとフライパンで炒めれば、
あんな手間いらないし、味一緒ですからね。どうせ口から外して食うんだから。
それをやるっていうのはね、やっぱり料理が好きだったってことでしょうね、母はね。
で、その他にもシチューの類ね。カレーはもちろんありますけど、クリームシチューだ、ビーフシチューだともあったし、
コロッケもあったなあ。
それからあれですよね。やっぱり煮物みたいなもの。
シチューとか言ってますけど、あんなもんね。
入れるのを醤油、みりん、酒にすれば肉じゃがになるって話なんで。
ハッシュのビーフとかも作ってくれたなあ。
肉じゃがありましたね。
煮物系、おでんね。
外食の少なさについて
あと名古屋っぽいなと思うのは東岩の煮物ってありましたね。
よく冬になると食べましたよね。
子供なんでね、別に食べられなくはないけど、そんな好きなものではなかったですね。
私、じいちゃんばあちゃんのうちで飯食ってたこともありましたけど、
じいちゃんばあちゃんの作る飯と比べるとやっぱりちょい若いんですよね。
煮物の頻度が減るのと、焼き魚もありましたね。
よく食べましたもんね。
でも、じいちゃんばあちゃんの家に行ったときのほうが頻度が高いですね、魚はね。
やっぱり肉のほうが多かったなあ。
焼き魚というよりは、ムニエルとか洋風の料理が多かったかもしれませんね。
自分で料理の本を買ってきて調べたり、アレンジしたりっていうのもすごく好きで、
保険だよりだったと思いますけど、
学校のやつですよ、ご家庭のレシピ教えてくださいみたいなのがあって、
母はそれに応募しましてですね、見事に掲載されてましたもんね。
別に何かもらえるときはないんですけど、
そのときのレシピ何だったかな、何かケーキだったと思いますよ。
そんな滅多にうちでケーキなんか作んないですけど、たまに作ってましたね。
パウンドケーキとか、そういう手合いのやつね。
クッキーも作ってたし、ホットケーキ焼いてもらったりとか、
とにかく一般的に家庭で作られそうな料理、
あるいはあらゆる料理は全部作ってもらってましたし、
うまかったですね、っていう記憶がありますね。
逆に外食は本当にしてなくて、
一度本当に近所に道路を隔てた向かい側に焼肉屋ができて、
いっぺんだけ食いに行って二度と行ってないですもんね。
しきりに高いって言ってたのを思い出しますけどね。
結局そうですよね、私自身自分でも思いますけど、
焼肉って自分で作った方が圧倒的に安くたくさん食えるんですよね。
自分の好きな肉を食える。
分かりません、もちろん焼肉屋さんに行かないと出てこないような
美味しいお肉ってありますよね、舌で溶けるやつ。
僕あれあんま好きじゃないんですよね。
高いし味が美味しいのは分かるんだけど、
油自体が美味しいのか分かるんだけど、
年取ったこともあって、そんなにいらないんですよ。
それでいうと、普通に赤身のお肉とかを食べるのが良くて、
赤身のお肉はスーパーでもいいの売ってますからね、
むしろ肉の状態をこっちで選べるっていう感じもあるし、
結局血をついてるのかって感じますけど、
あとは近所にトンカツレストラン、トンカツ料理松島ってのがあって、
トンカツだけじゃなくて、何でも出す、いわゆる日本の食堂ですけどね、
私の同級生、松島さんって女の子でしたけどね、
のご両親が営んでいて、そこはたまに、
町内会の飲み会みたいなのもあったりしましたので、
たまに行きましたね。
年に1回行くか行かないかぐらいの感じですよね。
外食は滅多にしないうちでしたね。
ファミレスとかもほとんど行ってないんじゃないかな。
うちの周りにあんまなかったな、ファミレス。
っていうのもあったのかもしれませんね。
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