1. 神田大介の経験
  2. 男女の友情は成立するか
2025-03-18 29:12

男女の友情は成立するか

サマリー

男女の友情の成立について議論されており、特に年齢や性欲の変化がその関係に影響を与えると考察されています。また、性志向や人間関係の感情についても深く掘り下げられ、友情の可能性についての問いが提示されています。このエピソードでは、日本における同性愛や男女の友情についての文化的な背景と、それに関連する宗教的な影響が考察されています。性欲や恋愛感情の変化についての現代の視点を交えながら、男女の関係やLGBTQ+についても触れられています。さらに、性欲と性的消費の狭い捉え方について考察され、特にLGBTQプラスに関連する議論が展開されています。トランスジェンダーとフェミニストの対立など、性にまつわる複雑な問題も掘り下げられています。

男女の友情とは
割と使い古されたというか、昔からある質問というか提示と言うと、大袈裟ですけれども、男女の友情は成立するか、でありますよね。
聞いたことある人も多いのでは。どう思います、皆さん。
教学校の人と男子高女子高の出身の人では、考えが違うなという話も聞いたことありますけれどもね。はい、いかがですか。
私の考えを申し込めますと、私も今年50歳なんですけれども、これぐらいの年になってくると全然成立するなと思いますね。
それは何でかというと、やっぱり性欲というものが弱まってくるからというところがあるのかなというふうに思いました。
高校生の自分とかっていうのは、最も盛りのついた時期と言っても良いのではないかなってね、そういう言い方が好きじゃないよっていう人ももちろんいるでしょうけど、でも思春期ってそういうことじゃないですか。
第二次成長っていうものが始まり終わりっていう中でですね、やっぱり子どもを産むっていう準備が男女ともに整うという中で、やっぱりその熱病のごとく何か恋い焦がれる時期っていうのがあるというのは、大変文学的技術的に美しい時期だとも思いますが、
一方でやっぱりそれは、動物としての人間にプログラミングされた子孫を残すっていうアルゴリズムが成すものだっていうところもそれはありますからね。
全ての人間ってのはセックスからしか生まれてこないので、それをさせるっていうことが種の保存ということで命令されている。
そのために、やっぱり男性は女性、女性は男性の魅力的な部分に目が行ってしまうみたいなところもあると。
ここまでの話を聞いてですね、気まずさや居心地の悪さを感じた方いらっしゃると思います。
私もそこを認知しながら喋ってましたけれども、そうなんですよ。
性志向と友情
例えば同性愛とかどうなのって話なんですよね。
つまり、こういう話っていうのはシスヘテロっていう言い方をしますけれども、ヘトロセクシュアル、異性が恋愛の対象になる人を念頭に置いた考え方なんですよね。
だから男女の友情が成立するかっていう場合に性別が違っても同じでもですよ。
そこに性欲があった場合、性志向って言いますけれども、ゲイの人を考えましょうか。
男性なんだけれども恋愛対象も男性であるっていう人。恋愛対象っていうことは要するに自分の性欲の向かう先が男性だっていうことですよね。
同性だっていうことですよね。
そういう人にとっては、じゃあその友情って成立するのかっていうふうに言い換えることもできるかもしれませんね。
つまり正確に言うと、男女の友情は成立するかではなく、自分の性的志向が向く先の性との間に友情が成立するか。
長いですね。ややこしい。ちょっとこんがらがありますね。
たぶんそういうことを言っているのかなというのは、レズビアンの方のポッドキャストなんかを聞いても、最初に自分がレズビアンであるっていうのを意識したっていうのはどういうことかっていうと、
やっぱり思春期の頃にそういう性的な行為を想像したときに、その方は女性なんですけど、相手が女性だったと。
ああ、そっかと。私はレズビアンなんだなっていうのを認識したという、そういう話を聞いたことがあるわけです。
だから、自分の性欲を向かう先とのどう友情が成立するかっていうふうにしたら、より普遍的になるんじゃないですかね。
ゲイの方のポッドキャストとかも私、ちょくちょくと聞かせていただいてますけれども、
なんかね、やっぱりそれは、男女、シスヘテロでも自分の性欲の向く相手、私もちょっと単純に言いますよ。
男性です。恋愛対象は女性です。とはいえ、全ての女性に性欲が向くわけではないわけですよ。
それは皆さんそうだと思いますし、もちろん濃淡あると思いますけれども、どんな女の子も好きだっていうタイプの男性もいますからね。
だけど、私は別にそういうんじゃないですし、とりわけ年を重ねるにしたがって、そういうものに関してはブレーキがかかるようになりました。
人間関係の複雑さ
正直、どっちでもいいですよね。今更、恋愛とかちょっとなかなかコスト高すぎるでしょうっていうふうに思いますね。
もちろん私は最大者、妻がおりますので、妻のことを愛しております。
妻と一緒にいられる時間こそ私福ですし、なるべく長い時間を妻と過ごしたいなというふうに思っています。
これは本当に嘘、偽りのないところで、そういう妻と一緒になるとよかったなって思ってますね。
妻だけで全然十分ですから、本当にそれこそ自分の好みのタイプであるとか美人であるとか、おっぱいが大きいとか小さいとか、お尻が大きい小さいとか、本当にどうでもいいですね。
なぜなら妻は妻しかいないですからね。それはもはや逆に、彼女が女性であるっていう部分、もちろん女性としては魅力的な人なんですけれども、
を超えてやっぱり長年連れ添った後に同志であるっていうそういう結束みたいなものが大変強いし、あとは人柄がいいというところが大きいですね。
おそらくそれって今後ますますそうなっていくのかなと、おじいさんおばあさんとかになっていっても連れ添っていければそれは素晴らしいなと思いますけれども、
別に何ですか、うちのおばあさんいい女だから俺好きだわっていうような話には多分なっていかない。
それはそれであるんですよ。やっぱり自分の妻を見て可愛いらしいなって思いますもんね、この歳になってもね。
っていうことと、やっぱりなんかその思春期の時の多分とりあえず男性性を持っている方は分かるんじゃないかなと思いますけれども、あのなんか獣みたいな性欲みたいな全然違うものだなっていうふうには思うんですよ。
で、何の話をしてるのかって思われる方も多いんですけども。
あ、ちなみに男女の友情は成立すか答えなのか。それはだから性欲っていうものが抜きになれば成立するっていうふうに思っているんですよ。
という具合にやっぱり性欲っていうのは大変こう人間のね、行動を感情を採用する要素としてはでけえなっていうふうには思いますね。
一方、それってまあだから、あの時とともにやっぱり衰えていくものであるし、そのようになってるんだろうなという気がします。
というのは男女ともにですね、とりわけ女性がそうですけれども、歳を重ねれば重ねるほど子供を作るということはできなくなってきます。難しくなってきます。
私も50歳ということで、それは当然ね、若い人の精神のほうが元気はいいですからね。
女性はなおさらですよね。もうあの肉体的に子供を持つのは難しい年齢っていうのが厳然としてありますから。
そりゃあだって神様はいないかもしれないけど、プログラムとしてもですね、まあそのぐらいの年になったらもういいよって話になるんじゃないですかね。
そこなんですよ。私が本当にLGBTQプラスみたいなことに対しても、それなりに勉強して、知識も得て、番組も作ってですね、当事者の方の話も聞いていて、という立場で言えば、
大変僭越ながらそれなりに理解はしている。ここが難しくって、例えばトランスジェンダーの方とかの話を伺っていてもですね、やっぱり難しいというか、
私が当事者として入っていけない部分ってすごくあるなというのは思っているし、そこは当事者性を尊重すべきだろうと、私が勝手にわかったようなことを言うのはおかしいと思ってるんですよね。
だけどシンパシーっていうのはあって、やっぱり一緒にやろうぜっていう気持ちはある。そういう気持ちを何というかうまく伝えたいなというふうに思ってますけれども、いずれにしてもそういうふうに考えています。
ただ一方でですね、それはその話として大変尊重しているし、マジで重要だと思っている一方で、ちなみに何で重要かと思っているかというふうに言えるかというと、
私が前に暮らしていたイランっていう国だと死刑になっちゃうっていう、そういうことがあるんですよ、同性愛ってね。ダメに決まってるでしょ。
そういうことっていうのはこの世の中なくしていかなきゃいけませんね。死刑になるっていうのは大変限られた国かもしれませんけれども、それに近しい感情を持っている人とかいて、それはおかしいだろうと思うんですよ。人間は人間なんでね。
ということですが、一方でやっぱりすごい気になっているのは、やっぱり性欲がでかすぎるんですよ、人間って。だから性思考の話がかなり中心に据えちゃうなっていうところに対する危惧っていうのはあるんです。
性思考の話も大事だ、それは尊重すべきだ。男性が男性を愛する、女性が女性を愛する、大変でね、別にそれで結構でしょうと。ただ一方で、どういう性的思考を持つのかっていうのが、じゃあこの世の史上の価値かと言えば全然相応ではないと思うんですよね。
いろんな人がいるんじゃないですか。性欲の対象がないっていう人いますよね。それから生命体に対して性欲が湧かないっていう人もいるし、動物みたいなものに対して性欲が湧くっていう人もいますよね。
だからまた、これも枠台に入れるのか入れないのかですごい議論になると思いますけど、私は個人的には入れてるんですけれども、小児性愛者ね。
ちなみに私は何度かこのポッドキス言ってると思いますけど、ペドフェリアっていう小児性愛って大嫌いです。
ですが、やっぱり生まれついてそういう人もいるし、そういう人の人権ってのもあるとは思ってるんですよ。
ただやっぱり生身の人間にそれを向けてもらうのは困るので、創作の世界とかで何とか我慢してもらえるとありがたいかなと、そんなこと私に言えたぎりじゃないと思いますけれども、人の生き様を決めることはできませんのでね。
私の意見としては、個人的な子供を持つ親としての意思感想としては、何とか抑えていただきたいという気持ちが強いですけれども、それだって性欲の対象ってことでしょ。
だから、いろいろな形がまずあるっていう中で、男性性、女性性みたいなもののみにフォーカスしていくっていうことが果たしていいのかってこと。
それと人間と人間のつながりの感情っていうのは、さっきは妻に対する感情の複雑さを申し上げましたが、私は妻を愛してるんですよ。
絶対間違いないですね。ただ一方で何かそれを性欲みたいなところだけに留めるっていうのは全く間違ってると思うんです。
哲学とか好きな人だとこれを愛情の形にはいろんなのがあるんですよと。さっきの性欲っていうのはエロースっていうものの一部ですよみたいな話をすると思うんです。
同性愛の歴史的観点
知ってますけどそういう話は。ただ私日本人なんで、なんでエロースとかアガペとかフィリアとかそういう話をしなきゃいけないのかっていう気持ちもあるんです。
日本の言葉で考えたい。これよく知られた話ですけれども、同性愛って日本においては別に近畿でもなんでもないわけですよ。
むしろ何か推奨されているようなところもあった。修道っていって、修は大衆の修ですよ。
これは戦国大名なんかの間でも有名なのが織田信長と森山丸とかそうだと思いますけど、お子さんとかね。
素性的な対象として男性をはめらせるっていうことがあったと。ギリシャローマの時代にもそういうのがあったっていうことですよね。
ギリシャなんていうのは、性愛の対象っていうのは男性は男性を性愛の対象としていて、女性は子供を産む相手として女性っていうのがあったっていうね。
だからその恋愛感情の行き先っていうのは男性の場合男性、女性の場合女性人っていう話ではないんですよね。
あの時代ってまあ所詮ね、人間イコール男性みたいなところがあって。
これも前に言いましたっけ。英語で女性のことウーマンって言いますけれども、あれはワイフオブマン。
ワイフ、マンのマンって人類を指す言葉なんですよね。でもそれ男なんですけど、マンのワイフがウーマンなんですよね。
アダムの肋骨から取られたのがイブっていう価値観ですからね。
だからその平等に性愛の対象になるものって男性でしかなかったっていうことですよね。
で、ただですね、それってローマ、ギリシャローマの文化においてはそのような価値観があったようですが、完全に否定していくのがキリスト教なんですよね。
キリスト教は同性愛禁止です。イスラム教もそうなんですけども、経典の民っていうことで共通点があるってことなんでしょうけど。
一説によると経典の民の元祖といえばユダヤ教なんですよね。キリスト教ってのはユダヤ教の影響を受けているっていうふうに言われてますよね。
そのユダヤ教っていうのはやっぱり当時ですね、ギリシャローマってのは大変強い、ローマ帝国ですよね。ローマって大変強かったと。帝国ですよね。
ユダヤ人の王国なんていうのは滅ぼされるというのは浮き目にあったようですね。それでエグゾーダスっていうのが起きて、ユダヤ人は散り散りになったと。
そこから苦難の歴史が始まっていくっていう話ですけれども、そのユダヤ人のユダヤ教っていうのはやっぱりローマが同性愛に寛容であるから、じゃあやっぱり俺たちの宗教っていうのは同性愛禁止にしようぜと。
そしてそういう人たち共鳴する人たちを集めて大きくなっていこうぜっていうような話があるっていう説がある。
なんせずいぶん昔の話なんで、本当かどうか知りませんけど。でもあってもおかしくないですよね。
当時一世を風靡していたローマの文化に対抗するために同性愛はダメだっていう話にしたというのの影響で同性愛は固く禁止されているし、キリスト教もそれが受け継いでいるというような説ですよね。
だからその同性愛を禁止しているのはキリスト教的な文化なんですよね。日本はそうではないと。
キリスト教の影響
じゃあ女性と女性の恋愛があったかっていうと、日本においてもそういう記録ってのは乏しいようで何とも言い難いんですよね。
結局やっぱり日本においても権力を持っていたのは男性なので、女性の記録が残ってない。これも世界史的にそうだそうですけれども、世界的にどこの国でも。
剥き出しの力を持っている人間が強いっていう事態が随分長く人類史においても続きましたからね。
しゃーねーんでしょうね。大変もったいない話だと思いますが、だからわかんないわけなんですけれども。
ただ性愛というのはそのようなもので、社会の規範において変化するっていうことですよね。
キリスト教に関して言うとカトリックって神父さんって言って、神に仕える職っていうのは男性しかできないんですよね。
なんでかって言うと神に仕える職ができないって言い方がおかしい。神父さんになれるのは男だけなんですよね。父ですよね。
なんでかって言うと神様は男だからですね。神父さんっていうのが結婚できないわけです。
それはキリスト教においては神父さんっていうのは自分の務めに専念すべきであると。
それこそ困っている人を救ったりであるとか、神に仕えたりっていうね。
神に仕えることが第一なんですけど、女の性は親いてる暇はないですよねっていう話にはなってくる。
もちろんだからシスターとかアマさんみたいな人はいるわけですけれども、それはそれっていう世界なわけですよね。
神に仕えるのは神父ですよね。やっぱね。
説教できるのも神父。これはカトリックの話なんで、他のプロテスタントがまた別の話ではあるんですけれども、
ただそのような価値観ではあると。
日本どうですかっていうふうになると、そうじゃないわけですよね。
だから性愛の対象が男性に向いているっていうローマ的な話っていうのは結構長い間、
少なくとも江戸時代では続いていて、だから八字北道中記ってのがありますけれども、八字三北さんですね。
あれは修道だっていう話がありますよね。原因のカップルであったと。
なんていうんですかね、性欲の形っていうものは社会文化的に規定されているっていう話はこれは忘れちゃいけないのかなと。
現代の性別役割の変化
で、そのこと自体もやっぱり性欲っていうものがいかに人間の中において大きな位置を占めていたのかっていうことなんだろうなと。
多分だから食欲とかと同じなんですけれども、食べ物っていうのもすごい世界を動かしますよね。
だってやっぱり故障を欲しくて大航海時代ってところがあるわけでしょ。
他の国に出歯って言ってですね、故障が欲しいって言ってインドに行きたいみたいなことが世界の人類を進歩させたわけですもんね。
結局あの時代にその副産物的にトマトだジャガイモだっていうのを南米大陸とかで見つけてきて持ってきて、
今じゃヨーロッパなんかいって本当にみんなトマトソースの食い物とポテトフライばっか食ってますよね。
ポテト揚げたものフレンチフライって言ってるでしょ。あれ好きですよねみんなね。
本当にベルギーとかに行くとね、もうそれがお国料理ですみたいな感じで言ってますけれども、
いやいやもともとあれでしょ、アンデスとか来た南米のもんでしょ。
そういうものっていうのがしかしすごく大きな役割を果たしてたんだと。
人間ってやっぱりその欲求っていうものは大きな力を持つわけであって、だから性欲もそうですよね。
ゆえに最初の男女の恋愛を成立するか、あるいは要するに性欲向いてる相手に対してセックスしたいという気持ちを抑えられるかということですよね。
なのでLGBTQプラスにおいてもそこの側面に脚光が当たりがちなのかなと。
だから言ってみればですよ、自分の好きじゃない食べ物をおいしいおいしいって食べてる人いてなんか違和感あるわみたいな、非常にこうね。
ある種幼稚な、幼稚って言うとすごい言い方悪いな、根源的な話があるからその話が興味を引き付ける部分があると思うんですよね。
だからそれに比べるとやっぱり政治人の話ってやっぱりちょっとなんか関心の度合いが一歩下がってないかなっていうふうには思う。
だからこれはトランスジェンダーとかそうなわけですよね。女性性を伴っている男性、男性性を伴っている女性っていうね。
心、気持ちとしては女性なのに体つきは男性であるとか、その逆とかね、そういう話。
なんかね、ちょっとそれでいいのかなっていう気はするんですよね。
さらに言うとですね、政治人というものもやっぱり社会性、文化性みたいなのを切り離すことは絶対できないだろうと思ってるんです。
私も会社勤めで会社の中で女性が活躍することは大変結構なことだと思うんですけれども。
やっぱりね、振る舞いがなんていうか、これまで社会の中で男性が担ってきたのと同じ振る舞いをしている女性っていうのをたくさん見かけるわけなんです。
ということはですね、それどういうことかっていうと、
何て言ったらいいかな。さっき実はそれを見たばっかだったんですけれども、
責任感ある上司の姿みたいなのって皆さんね、それぞれご想像つくところあるんじゃないですか。
それをやってたんですよね。
私の隣の席で女性がビデオ会議であったんですけど、やや頼もしいですよね。
頼りがいがありそう。
ただなんていうか、それは会社の文脈において、賃金労働という文脈において、そういう姿っていうのがモデルがあって、
やっぱああいう人いいよねっていう感じの仕草をみんなが真似してるっていうことなのかなっていうね。
何言ってるかわかります?
たとえばお母さんとしてお母さんというのは改革を好きですよ。
昭和の時代のお母さんみたいな人が、お母さん的に大変素養のある人。
部下の話をよく聞くとか、あるいは広報支援的なことができるみたいなことが評価されて、
それが出世につながるっていうような話にはなんないわけじゃないですか。
やっぱりそこも性的な役割っていうものから離れるべきであるっていう議論は散々ばらにされているんですけれども、
それが家事から離れるべきであるみたいな方向に女性は偏り、
男性の場合は家事をするっていう方向の話は出てくるんだけれども、
会社とか賃金労働の中でそういう男性的な振る舞いを求められているっていうのから離れるって話にはあんまなんないわけですよね。
別に会社の中で優しい人が出世してもよくないですか。優しい人って出世しなくないですか。
反例はもちろんございましょうけど、そうかな。
なんとなくやっぱり働く女性のかっこいい姿ってヒールカツカツ丸の内じゃないですかね。
それは男性と変わらなくないですか。僕はやっぱり社会が変わるっていうのはそういうことじゃなくて、
今まで会社の中で評価されないタイプの人が評価されるっていうことだと思うんですよ。
それで言うと専業主婦とかっていうのは全く評価されない対象だったわけなんですけれども、そこに良さがあって、
その良さを見出し社会に敷衍していくっていうことこそが大事なのではないかと。
性欲の捉え方
みんながみんなで男みたいな振る舞いをするのはしょうもない社会ですよね。
それもやっぱりただ性的な役割っていうものの捉え方の狭さみたいなところに起因していないかなと。
何よりもやっぱり性欲ばっかりに注目が集まっちゃうので、これ致し方ないとは思います。
よく知られた話で日本のVHS産業というのが、ビデオテープって昔あったんですけど、テレビを録画できるやつですね。
VHSがなんで発展したのかっていうと、アダルトビデオがいっぱい出たからだって話ありますよね。
で破棄逃げちゃったと。性能はベータの方が良かったのにね。
ちっちゃかったですね。そもそもね。VHSよりもね。
でもベータ負けちゃったと。放送局はみんなベータ使ってましたからね。
テレビ局がベータ使ってるっていうのはやっぱりベータの方が性能が良かったからですよ。
だけど駆逐されましたね。
今やVHSもなくなっちゃいましたけど、とにかくやっぱりそういうエロ、性欲っていうのは
極めて資本主義と相性が良い。食事と一緒ですけれども、可燃があるんですよね。
だから風俗産業とかホストクラブとかは栄えるわけですけれども。
でも性ってそんな狭い範囲で見るものなのかなっていう気はずっとしてますよね。
それは性欲の向かう相手もそうだし、性的な役割もそうだし、性が表すものそのものもそうだなという感じがする。
性欲っていう文脈で言うと性的消費って言葉がありますけれども、誰かを性的に消費するっていうこと自体をですね、やっぱり何か狭く捉えられてる感じがする。
サムナもあるはずなんですよね。
その辺を何かよく考えていきたいっていう気持ちはしますね。
LGBTQプラスの議論
LGBTQプラスみたいなものに関しても、それを全部並べるっていうところにどれぐらいの意味があるのかなっていう。
取っ掛かりとしてはすごくいいと思うんですけれども、やっぱりそれはキリスト教の的価値観の食材っていう部分がすごくあると思います。
ではなくて、やっぱり私たちにはどうしたって好き嫌いみたいなものはあるわけなんですけれども、そこを何というか当たり前のものとしないみたいな感じだし、
それこそ自分と何か全然会わなさそうな人とでも話はできるっていうことの大事さなんですよね、私が言いたいのはね。
なんでそんな話をしているかっていうと、やっぱりLGBTQプラスみたいな界隈でそのカテゴリーごとの結構なんか相互みたいなのを目にすることがある。
あるいはその例えばトランスジェンダーの人たちとフェミニストとの対立が起きたりする。
トランス女性がですね、つまりですね、肉体的には男性の体を持って生まれたけれども、心は女性という人が女性用のトイレに入ったときにそれに対して女性から批判の声が上がるというのは今もある話じゃないですか。
こういうのっていうのはまさに性欲の向かう先みたいなふうなことで、結局男性域を除去せよみたいな話っていうのはそうじゃないですか。
トランスジェンダーと心は女性って言ったってお前の股裏には性器がぶら下がってるんだろうと、それ取ってから出直せよみたいなそういう文脈っていうことでしょ。
やっぱり性欲っていうもの自体をものすごく大きく捉えているっていうことですよね。
それもわかるんですよ。実際そこはすごく大事な話で、性欲があるから起きる犯罪っていうのがいっぱいありますからね。
ただそのことと、しかしじゃあその性欲のみに注目するってことはずっと違うはずなんで、ちょっとその辺気になるなっていうふうにずっと思ってますね。
もっとなんか俺はでかい話が広い話がしたいぜって思ってます。
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