奏でる細胞。奏でる細胞は、サイエンスと音楽を愛する2人が、
アメリカ、インディアナから楽しく奏でるようにおしゃべりする番組です。
はい、こんにちは。奏でる細胞の達です。
今回はですね、前回に引き続いてですね、
2月の科学系ポッドキャストの日企画に乗ってまして、
バリアというテーマで、
ホストのですね、ひよこ研究者のサバイバル日記、
そして、私はママで研究者、ひよけん、ママけんの両方をやってられます。
はちさんにですね、ゲストに来ていただいて、
ゆりかさんと僕と3人でね、話した回になっております。
後になればなるほど非常に盛り上がっていますのでね、
ぜひ最後まで聞いていただければと思います。
それではお聞きください。
え、あとその、ちょっと話戻しちゃうんですけど、3級の話で、
あの、ポスドクとか博士、PhDスチューデントとかの3級育休はどうなんですか?
私が、そう、PhD、3人それぞれ違う形で生んでるんだけど、
最初、日本にいた時は、保育員がなくて戻れなくて、
それがとても辛かったかな。
で、日本は忘れちゃったことだから、もう20年近い。
その時は一応、博士学生だった。
博士学生、その時は学生だったし、博士を取る前にもうお母さんになってたんだけど、
じゃあ次に、ポスドクでアメリカに来て、娘を持った時には、
やっぱり6週間のマタニティリーブで、子供が生まれてこなかったから、
全然予定日も働いてたんだけども、生まれてこないんですよ。
で、これちょっと1週間休まないと、子供生まれてこないぞって自分で思って。
で、これ本当に悲しいよね。
で、結局生まれてこなくて、1週間経ってインデュースで産んだんだけど、
だから、そこで1週間使っちゃったのよ、マタニティリーブの。
産む前に1週間使っちゃって。
だから、5週間かと思って、5週目にのこのこ戻って、
で、その時は、子供5週なんだけど、やっぱりベビーシッターがいて、
ベビーシッターを探して、すごい人が旅つけて、
だから、5週目に戻ったっていう感じかな。
だから、6週っていうものをそのように使って、なんだろう、ぐだぐだ戻って、ことがきを得たというか。
戻る時に、僕が育休を取ってほしいって言われて、
タツさん、その時取ったから、ぐだぐだ戻れたんだ、私。
戻った時の最初の3週間ぐらいを育休にして、
ゆりかさんの戻れる時を赤ちゃんを預けずに戻れるようにして、
なるほど、なるほど。
で、その後かな、ベビーシッターっていうか、ホームデイケアっていって、
誰かの家に預けるみたいな形で、
元、保育士さんをやっていたけど、家で自分でビジネスを始めたっていう人の家でホームデイケアって言うんですけど、
自分の家でやる保育園みたいなとこなんですけど、
信頼の持てる、クリスちゃんのすごい素敵な先生だったんで、そこに預けてね。
そうすると、娘は8週になってたから、2ヶ月ってことで、
ある程度首が座るぐらいまでは、家に行って預けることができたんだ。
そういうことをしたりしてましたね。
でも、認識してみて思いますけど、予定日まで働いてるって、結構クレイジーだと思いますけど。
ゆりかさん、めちゃくちゃバリ割り研究者スイッチみたいなの入ってて、
そこで言うと、ものすごくやってましたし、
子供を迎えに行って、ゆりかさんを迎えに行っても、実験が終わらず、
僕たちは外の駐車場で1時間、2時間待たされるってこともしょっちゅうあったね。
ゆりかさんを拾って帰ったほうがいいのか、1回家に帰っていろいろやってっていう感じもあって。
でも、車がね、あの時1台でやってたのかな。
だから、職場が一緒で、職場まで1時間ぐらい片道かかるんで、
で、預けるところは30分とかその間ぐらいにあったりとかで、
だから、なんかいろいろね、あったけど、だいたいゆりかさんが迎えに行けないぐらい実験をしてたので、
そうですね、子供を拾って大学行ってもまだ実験終わんないみたいな。
終わるって言うんですよ。終わるって言うから迎えに行ってんのに、
うーん、ちょっと終わらなかったみたいな。
マネージができない時代があったかな。
でもなんかさ、それでたぶんごめんねごめんねっていつも言う人だったから、
なんか、それはつらかったかもね。
ゆりかさんにとっては子供とダンサーを待たせながら、
ちょっと涙出ちゃうね、思い出しちゃった。
でも私は実験スイッチがもう外せないからね。
やっぱりその時のゆりかさんはもう実験というかその仕事に
夢中ですね。めちゃくちゃ夢中で。
もちろんね、リベラルアーツも本気でやってはいるんですけど、
なんか研究者スイッチの時はもっと入ってたね。
だからなんだろうね、ひよこだったんだね。
そして今はなに、ちょっと一つ。
強くなったんだ。
なんか違うステージで自分の情熱を向けられるように自分を飼いならしたって言ったら正しいかな。
でもあのままは続けることはできなかった。
8さん、赤ちゃん産んだばっかりであれなんですけれども、
やっぱりとうとう破綻の日はやってきたわけで、そんなことやってると。
なるほど。
そうなんですね。それはすごく難しいね。
制度とかを抜けて、だからバリアってお話に戻すと、
実は自分の中にバリアとか理想とかすごく強くあって、私の場合は。
そことの戦いで謝りながら働くわけでしょ。
こうやってごめんねって。
理想はあってやっぱり子供と一緒にいたいなだとか、
あとはトラディショナルにこういうものなんじゃないかっていうものもあるから、
ただ一つ良かったのが日本から離れたから、
日本で植え付けられた妙なトラディショナルっていうのはどんどん消えていくんですよ、それは。
例えばおばあちゃんの声、お母さん、まあまあ、
ママもうちの祖母もあまり言わないし、確か聞かなかっただけかもしれないけど、
でもなんか女の人の仕事とかって、なんか嫌顔にも頭に残っていません?
うん、わかります。
あの妙ないろんな雑誌もあるし、日本で。
お母さん賛美の雑誌もあるし、あとCMもあるし、
私は自分の中でいろいろな情報が入ってたんですよね。
それをアメリカに来ることによって少し遠くに持っていくことができたのは、
少し自分を自由にして、なのにも関わらず研究者としてこうなりたいっていうのは、
男の人の研究者の理想が私の絵の中にあって、
それを私が勝手に追い求めて、誰も望んでないのに追い求めて、
そこにすり合わせようとしてた自分もいたのかもしれないです、当時は。
でもやっぱりそれは私ではなかったから、すごく続かなかったんですよね。
その生活は長くは続かなかったかな。
結構やったんですよ、それでも。
すごい。
でもそれが私は60歳、70歳くらいまで続くんだと思ってたんですよ、当時は。
それが普通だと思ってたんですけど、うまくいかなかったね、そこはね。
すごい考えますね。
やっぱり私の中でもそういうのがある気がします。
やっぱり知っているというか、すごい偉大な先輩女性研究者の話を聞くと、
ちょっと本当にゆりかさんみたいな感じの方もやっぱりすごい多いし、
みんなお腹いっぱいでずっと実験して、1週間で帰ってきてまたやってとか、
そういう話とかも普通に聞く。
ビザインのようにね。
しかもどっかでそれが当たり前みたいな気持ちになってきて。
そうですね。それ自体もかっこいいとはもちろん思うんですよね。
それが健康で、人にとってサイエンスしていることがすごい人生の中で大事なことだったら、
もちろんやってはいいことだと思うんですけど、そうじゃないぞーも。
下の家族が盛り上がりすぎて、歌を踊るのなんかパーティーが始まっている感じがして。
大丈夫かな。
パーティー。
はじさん何が正解かなんかさっぱりわからないのに、正解と思っているものがあって、
これが私が今、本当は実ははじさんのために用意していたバリアとは違うけど、
今お話ししながら、私が自分でなんかそういうバリアイコール理想ではないけど、
もう持ってた時期はあったかな。
それはじゃあ誰が作ったのっていうところまで、私はちょっと深く自分の中で反省する日々もあって。
やっぱり息子にね、ママもう十分じゃないって言われる事件があって。
それはすごくドキッとする事件が何個かその後出てくるんですよ。
私が見直さなきゃいけない。
そして私はすごく嬉しかったのは、そうじゃない自分を生かせるっていうんですか、
新しく構築することができる環境がアメリカっていう大地にあったのは良かったです。
こういう生き方があって、こういう子供の育て方と向き合い方があってっていうのを出会っちゃったのよね、みたいな。
でもね、やっぱり未練はあります。
本当ですか?
あのママの研究をしてたかったなって、すごい思う時があって。
そうなんだ。
今でこそ減ってきたけど、ただラッキーなことに、たつさんが私の研究と近いことをずっとしてるから、
たつさんが家に帰ってくる度に、研究での進捗っていうんですかね、面白いことをずっと言ってくれるから、
私はそのラボワークとか、研究者っていう本当のそこの昔やってたことと、いまだにつながってる気持ちはずっとあるっていうのが、
それは本当に助かってて、たつさんやめないで、プリーズといつも言ってる。たつさんもやめたい、やめたいって言うんだけど。
なんでそうなんですか?
そうですよ。
科学の心理はどこにもバリアは作ってないよねって。
ちょっと話していい?八木さんに聞いてほしいことあるんだけど、そこで。
ゆりかさん本当ピュアサイエンティストで、すごい夢中な人だったんですよ。
イメージっていうか、言うとアメリカで5年間ポストドックしたんですね、ゆりかさんは。
だいたい僕の時期と重なってて、僕がアシスタントプロフェッションのときはちょっと早かったんですけど、
でもその時のNIHからのお金とかを取ったりとか、論文を書くということでも、より深い心理に近い、
翻訳のスタートさせるタンパク質の形というか動きという、僕らが見たことがないようなものをゆりかさんは掴んでて、
そこまでたどり着いたっていうのが僕にあって、最後その後にもう一頑張りして、
次のキャリアを売ってやるか、子どもたちと少しゆっくり時間を持つかっていう、
そのところでもう掴んでたんじゃないかと、こんなにすごいところまで行き着いたんじゃないかっていうのが僕の意見で、
実は僕はその5年間で、僕はそこまでたどり着けてないぐらいの心理にゆりかさんはたどり着けてたんですね。
同時に長男がゆりかさんに今度は僕の番じゃないかっていうのを言ったから、ゆりかさんはそこで一回研究室から休もうという決断をしたんですけど、
正直その時に僕が見えてた将来このくらいの研究までたどり着きたいなって思ってたものをゆりかさんもその時は掴んでて、
僕がやっとそこから10年ぐらい今やってて、17年目、8年目ぐらいなんですけど、僕は今やっとそれに近いものを掴みかけて、ゆりかさんぐらいピュアにドーンって言ってたら、
僕ももっと早く掴んでたかもしれないですけど、それ掴みかけてきてて、そしたらゆりかさんがそれを今見てて、一緒に2人で話しながら、
でかしたタツと、でかしたここまで見えるようなタツと。
ちょっと見えてきたねというような話をしてるという感じですね。
タツさんもたどり着けたねとやっと褒めてもらえるところに掛かるまでに、僕は17年ぐらい掛かってるという感じなんですけど。
2人ってそういう関係性なんですよ。知らなかったですよ。タツさんがゆりかさんをすごい尊敬されて、もちろんお二人がお互いを信頼して尊敬し合っている様子は普段から伝わってたんですけど、
研究の面でもタツさんがゆりかさんを尊敬して、ゆりすかさんにも見てみてもらうという。
私も尊敬してますよ。
私も尊敬してるものが同じで、というのはとてもうれしいかな。
私はそういう人と実は結婚したいってずっと思っていたので。
ゆりかさんの発見とかが先行き過ぎてて、他の人に理解されないんですよ。
前みたいにその価値をわかってくれない人たちに囲まれるという寂しい時間をあって、ちょっと悔しかったよねあれはね。
5年では計り知れない感情の起伏と、それに子育てのステージが重なるっていうのは、ちょっと寿命を縮めたね。
でもその後私は違う路線を見出しましたので、何の後悔もございません。
大変楽しい10年間でございました、その後。
すごい話です。全然反応できなくてすみません。
どこがバリアだったのかちょっと僕はわからなかったけど、今。大丈夫でした?
私はバリアっていうのは、ハチさんたちの口からバリアっていうテーマが出てきてるから、やっぱりそういうことではあるんだろうなと思ったけれども、
女の人が女の人として自分の限界を感じさせちゃいけないし、もっともっとセンシティブになってもいいんじゃないかな、社会だとか母親としてだとか、
言葉が何個か重なる言葉が出てきたんだけど、自分をヒゲするだとか、相手と比べるだとか、レールに乗るだとか、そういう言葉はバリアを作りやすいっていう。
あとバリアっていうのは、内と外を決めるものだから、この中に入っている人は優しくするけど、先ほどの人事の話みたいに、バリアの内に入っている人は大事にするけど外にいる人は大事にしないとか、そういう境界線を生むことにもなるし、
実はバリアって言葉でいろんなイメージを持つのかななんて思って、そうね、女の人たちそういうことをいっぱい話さなきゃいけないのよね。
いや男の人もだよ、みんなでね。
そうね、年齢の差だったりね、あと肉体の強さの差だったりね、だっていろいろな障害を持つことだって長い人生であるわけだから病気をすることだって、すごい難しいテーマだね、すごいセンシティブなテーマだね。
でもやっぱりさ、黙認してる人たちも悪いと思ってて、強い人がね、ハラスメントなりしたときにね、黙ってるっていうことをすると楽じゃないですか、周り見てる人たちは。
だけどそれがその場は楽かもしれない、その一瞬は楽かもしれないけど結局環境を悪くしていくわけだから、やっぱりそれを許さない、みんなが。
だから黙っていることも環境を悪くしている一つ、悪い方のグループに入ってるっていうぐらいの意識で、みんなで声を上げていくこと。
少なくともあれはいけないことだったよね、周りで次それが起きたらどうするみたいなことの相談とかをできるぐらいはね、何らかのアクションね、小さくてもいいんだよ、本当に一歩でもちょっと大丈夫って声かけるでも何でもいいんだけど、
アクションを起こしていかないと、やっぱり黙認して何もしないっていうのは環境をただ悪くしていく、そっちの要因になるから。
このいろんな人のバリアの話を聞くことによって、どうやって解決していくかっていうところが話せたらいいかなとは思っているので、
自分の中での原因だったりすることもあれば、周りがちょっとした働きかけで良くなることもたくさんあると思うので、
いろんな人、それってやっぱりいろんな問題によって全然解決策って違うじゃないですか。
いろんな人の話が集まるのが今回はできたらいいなと思ってますね。
なるんじゃないですか、この壮大なテーマ。
面白いね。
この期間にいろんな人の話も聞きたいし。
今回ちょっと新しい試みなんですけど、もし良ければリスナーさんもその障壁エピソード、バリアのエピソードを教えてくれないかなってちょっと思ってるんですよ。
もし良かったらかなでる細胞さんでもお便り募集とか。
そうですね、僕らの番組でもこれを聞いて、そのバリア、障壁というもので自分の場合、自分の体験談を話したい方、シェアしてくださる方がいれば。
幸せの国からこんにちはのイプセンにも聞きたいよね。
あれぐらい幸せな人はバリアを感じてるんだろうか、彼は。
伝説家もバリア参加するので、収録して同じ時期に出せると思いますので。
イプセンさんの考えのバリア。
あの人ゲーマーだからゲームの中のバリアとか喋りそうなんだよね。
それはそれで話していただいて。
あと企画の話に戻っちゃうと、これも新しい試みなんですけど、2月に皆さんからエピソードを配信してもらって、いろんな方のバリアエピソードを聞いて、
3月にオンラインで座談会みたいな形でみんなで集まって話すのができたらなと思っていて、
せっかくいろんな方のエピソードが集まるので、それをもとに学会とかであるランチョンセミナーとか座談会をポッドキャスでもしてみたら楽しいんじゃないかなということで、
ふわっとした企画なんですけど、そんなことも企画していまして。
いいですね。
もしよかったらタツさんとユリカさんも参加いただけるととても嬉しいんですけど。
聞きたい人なんていないってずっと思うのよ、特に女の研究者の方々って。
私はやっぱり皆さんが思う研究者の世界から脱落した人だと思うから。
今回の話を聞いて、むしろ一番ピュアリーなサイエンティストだなって思いましたし。
そうだよ。カテゴリーで言ったらピュアすぎて脱落したカテゴリーだよ。
これやっぱり脱落なわけだし。
でも残ってる人だけの声じゃ足りないと思うんですよね。
いるからこそのすごいバイアスのかかった声しか残らないと思うので。
でもなんかライフは続くわけでしょ、みんなの。
子供との関係なんて、研究者はうぬきに子供と付き合っていかないといけないわけでしょ。
子供や旦那や社会やそういうものと。
だから、私なんかライフしかないから今。
ダメだよねって思うわけ。
みんなもっとライフ考えようよって。
それを言いに来てください。
同じお給料もらって、何悩んでるの?って。
違うお給料もらって、サイエンスしようよって。
心のサイエンスの灯火を。
旦那、ルー・大島みたいな。
最近ルー・大島大好きすぎて。
心のサイエンスの灯火はお前の心にあるんだろって思うわけ。
お前のポジションにあるのかって。
いつもタツさんに熱く語ってるんだよ、私ね。
それを言いに来てほしいですね。
なんだろう。
灯火がバーンし始めましたね。
私は今目の前の命を大事にしようっていう覚悟みたいなのが決まったんだと思うんだよね。
そうですね、これをずっとリピートしようと思います、頭で。
でも現実世界に戻ると、
私最近履歴書の更新をしたんですけど、
止まってるなーとか思うんですよ。
新しい論文増えてないなーみたいな。
それでちょっと悲しくなっちゃうじゃないですか。
そういうときに今のところ再生したいと思うんで。
そういう。
忘れちゃうじゃないですか、現実のリアルなライフに。
忙しさとかに。
大丈夫、子供生まずに2年ぐらい泊まったことあるから俺も。
バーナウトの方でね。
そうですよね、なんでなんか、そもそも止まっちゃダメっていうのが良くないですよね。
そうそう、止まってることによって本当に止まって悩んでる人にアドバイスできる人になれるんですよ。
だからそういうときもあったと、絶対大丈夫だから。
笑えるから。
ありがとうございます。
アドバイスできる、頼れる、それがない人ってやっぱり頼れないっていうところを今味わってると思って。
大きな、すごい元気出ました。
大きな道を歩いてるって思うのはいいのかもしれない。
私が橋さん若いから娘のような気持ちになってそういうこと言ってたら本当に申し訳ないんだけど。
例えば娘とかに先ほど言ったように、大きな道を歩んでるっていう風に思ってもらいたいなって思うんですよ。
綱渡りの人生じゃなくて、何もあったサーカスに生きてるんじゃない。
だから、綱渡りをしようって思わないで、より大きな大きな道を歩んで、ちょっと軌道修正しながらもその大きな道を歩んでいけばいいから、
レジュメを更新して足りないだなんて大きな道からしたらね。
大したことないですよ。
だから、楽しんで研究や子育てができたら幸せですよね。
そうですね。今はすごい幸せです。
よかった。
大地、まずポッドキャスターとして大成功させてたくさんの人にいろんな影響を与えてるってことがすごいですよね。
そんな弱小をポッドキャスターとして。
何をおっしゃってるんだ。
ヒゲしないヒゲしない。
大事な大事な発信なんでね。こうやって続けてくる。
無理せずにね。頻度は全然下げてもらって構わないので、発信してもらえれば聞いてる方としては本当に嬉しいし、
多くの人を励ます素敵なポッドキャスターになってると思うので、今後も応援させてください。
応援してます。
ありがとうございます。カノデル細胞さんもぜひ楽しみに聞いてます。
よかった。もっともっと喋りたいとこなんですが、お時間ですし、はじさんのベイビーも待たせるわけにはいかないので。
なんか聞こえてました?なんか遊んでるんですけど。
ううう言ってました。
声を出して。
戻りたいぐらい、こんなこと言うと年寄りっぽいんですけど、その時期に戻りたいぐらい、後から思うとかけがえのない大事な幸せな時間なんだよね。
撮っても撮ってもビデオが足りないって今思ってるんですよ。
本当ですか。
写真ももっと撮ればよかったって思ってて。
まだ毎日何かしらは撮ってますね。
いい時期ですね。ずっとこの時期が、いい時期が続いてきますので。
もっと可愛くなると。
なるんですよね、きっと。
なるよ。可愛いし、ハラハラドキドキさせるのもまた楽しいし。
元気に育ってくれれば何でもいいなと。
本当ですね、本当ですね。
こんなようなお話よろしかったのでしょうか、お二人の。
ゆりかさん今日は最高だったと思いますし。
最高でした。
最高でした。
このゆりかさんが出てきたのもやっぱハチさんと喋れたっていうのもあるので、
今日はこの機会をいただいて、ハチさん本当にありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
もうね、大事な大事な記念会になりました。
はい、聞いていただきました。いかがだったでしょうか。
僕にとってはですね、すごい思い出深いというか、何か記念になるような会になりました。
というのも、ゆりかさんと一緒にね、3人の子供を育てながら、お互い研究者という道を歩き、
ゆりかさんはですね、そこからリベラルアーツ校講師という方にキャリアを変えていくんですけども、
そういった中で僕たちがね、いろいろ感じたもの、経験したことをですね、
ハチさんのおかげでいろいろお話しすることができたというのは、とても良かったと思うし、
何よりね、人気ポッドキャストからハチさんに来ていただいて、
こうやって腹を割ってというか、心を開いて本音でね、深く話すことができたことが良かったと思います。
こういった話っていうのは話しにくい、話すべきじゃないみたいな先入観があって、
なかなか話せなかったりすることなんですけど、
そこをね、このポッドキャストの世界では柔らかくしていこう、
みんなが話せるような世界を作っていこうというところ、
そういった気持ちでね、僕たちはつながっているんで、
そういう話ができたということは本当に良かったと思うし、