1. 鴨川でゆっくりしたい。「かもラジオ」
  2. #28 またいつか帰ってきたい。..
2025-04-15 38:08

#28 またいつか帰ってきたい。面白い大人が溢れる京都と出会って(光田 茜さん)

大学生の多いまち・京都。
今年も多くの学生が卒業し、それぞれの新たな道へと歩みを進めていきました。

今回のゲストは、立命館大学に休学を含めて5年半通い、シェアハウス下鴨アオイエの運営にも携わっていた光田茜さんです。2025年の4月からは、東京で社会人生活をスタートさせます。

愛知から京都に進学し、1年が経った頃、新型コロナウイルス感染症の流行が始まりました。思うように学生生活を送ることができないなかでも、発展途上国の支援団体に参加するなど、興味ある場所に積極的に足を運んでいきました。
そうして出会ったのが、夢を追う若者が集うコミュニティハウス「アオイエ」。自由で個性豊かな雰囲気に魅了され、2年後には「下鴨アオイエ」の運営に携わることになります。東京にいる同世代を京都に呼び込むなど、コミュニティ運営に力を注ぎました。

光田さんが感じる京都の魅力は「まちの未来を考えてアクションを起こしている大人たちにたくさん出会えること」だそう。そんな大人たちと出会って、どんな刺激を受けたのでしょうか。

そして最後に、「必ず京都に戻ってきたい」と話してくれました。

卒業や引っ越しで京都を離れる人も多いけれど、「またここに帰ってきたい」と思わせてくれる何かが、このまちにはあるのかもしれません。

ぜひ、あなたの京都の思い出を振り返りながらお聴きください。


▼今回のトーク内容

自己紹介 / シェアハウス アオイエ / ディーバ会 / 立命館大学文学部 / コロナ禍の大学生活 / アフリカ支援の学生団体 / シェアハウスに入ったきっかけ / リバーサイドカフェ / 面白い大人に出会うために / U35 KYOTOに関わる / 京都でやり残したこと / 学生生活でやって良かったこと / 京都のどんなところが好きか / おすすめラーメン / 東京就職の意気込み / これから京都に来る方へ


▼出演

ゲスト

光田 茜:

2000年生まれ。立命館大学進学を機に愛知から京都に移り住み、6年間を過ごす。学生後半から卒業後にかけては「夢を追う若者を応援する」がコンセプトのシェアハウス「アオイエ」のコミュニティマネージャーを務めたり、U35の視点で京都の未来を描く「U35-KYOTO」で防災イベントの企画を担当したりする中で大好きな京都のためにできることを模索。東京の人材会社に就職を決めたが、数年以内に京都に戻ろうと企んでいる。

パーソナリティ

坂井 晃人(ちい):

コーディネーター

1992年生まれ、東京育ち。高校の修学旅行で初めて訪れた京都に心惹かれ、京都大学に進学。大学院を中退したのち、東京でまちづくり会社に就職。誰もが挑戦できる社会づくりをテーマに、全国で住民対話の場づくりや官民連携などに取り組む。 妻の妊娠を機に、2021年に心のふるさと京都へ移住。翌年、ツナグムに参画し、京都を帰って来れるまちにしたいと京都移住計画に関わる。住民対話ワークショップファシリテーター養成や、二児のワーパパとして夫婦向け育児コミュニティの運営なども行う。

▼番組概要

京都の様々なプレイヤーが集まり活動している様子や「居・職・住」について、鴨川でゆっくりしながら雑談する番組。記事に載せきれなかったことや、日々の生活のことなど、音声コンテンツならではの情報もお届けします。ホストは「京都移住計画」のメンバーが務めます。


▼京都移住計画

WEBサイト:⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://kyoto-iju.com/⁠

サマリー

光田茜さんは大学卒業を控え、京都を離れて東京での新生活を迎えています。シェアハウス青い家での活動や国際協力への関心が深まる中で、彼女の人間関係や成長の過程が描かれています。京都を愛する茜さんは、シェアハウスを通じて多様な人々と出会い、京都の魅力を広める活動について語ります。出会いや交流を通じて、自身がどのように京都と深く結びついていったのかを探ります。京都のエリアごとの独自の魅力と特色について、住みながら気づいたことを語っています。また、京都から東京へ移ることになった彼女は、将来的には京都に戻りたいという思いを綴っています。

光田茜の自己紹介
鴨川でゆっくりしたいラジオ、鴨ラジオの時間がやってきました。
本日のパーソナリティーは、ちーこと坂井が務めます。
今日もよろしくお願いします。
今日のゲストはですね、この春に社会人になって、京都から離れて東京の方で働きに行くという、
光田茜さんをゲストにお迎えしてお届けしてまいります。
今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今、僕の目の前にですね、髪が真っピンクな元気な女性の方が座っていらっしゃるんですけど。
ありがとうございます。
ショッキングピンクですか、そのピンク。
はい、ショッキングピンクで、本当は薄ピンクのなんか可愛らしい感じにしたかったんですが、
いろいろあって、こうなって、それでもいいかということで、振り切っております。
この収録を聞く、皆さんが聞く頃にはもう黒に戻っているかもしれないですが、
僕は今日はすごい目に刺激を受けながら、ラジオ収録をしていきたいと思います。よろしくお願いします。
はい、お願いします。
ちょっと最初にですね、簡単に赤根さんの自己紹介をまずはお願いできればと思うんですが、よろしいですか。
はい、ありがとうございます。
今はですね、シェアハウス青い家というところで、住み込みをしながら、コミュニティマネージャーのイベントをしたりとか、内景したりとか、
みんなが気持ちよく住んでもらえるように、いろいろと何でもやるよ、みたいな立ち位置で動いているのがメインです。
4月じゃなくて9月か、秋までは立命館大学の文学部に所属しておりまして、卒業しました。
つい2日前ですね、U35京都という京都のまちづくりしている大人たちが集まっているコミュニティのイベントに関わらせていただいたというのが最新情報になります。よろしくお願いします。
大学生活と国際関係の興味
お願いします。すごいですね、京都離れる直前まで結構いろんな活動をされていらっしゃったということで。
あと青い家のコミュニティマネージャーされていらっしゃると思うんですけど、実は過去ゲストの中にも青い家の住人だったり、昔管理、運営関わっていたメンバーだったりが実は出ていて、
第11回の原田岳さんと、あと25回のアーサーちゃんという、この2人が実は青い家関わっていたメンバーで、気になる方はそちらの回も聞いていただけたらと思うんですが、今中根さんとこのアーサーちゃん一緒に住んでいるとお聞きしましたが。
はい、一緒に住んでいますね。部屋は違うんですけれども、ここの収録スタジオに来る前も一緒にカフェでご飯を食べてまいりました。
そうかそうか、もう普段から一緒に活動というかお互いのことを知っている中で、来る前にこのアーサーちゃんの回も、中根さんご自身も聞いてくださったということで。
はい、もうめちゃくちゃ青い家の、今、青い下鎌の中身をアーサーが喋ってくれているので、私はもう何を喋ろうかと思いながら今日は来たんですけれども。
そうかネタ尽きちゃってるやんみたいなね。
いやもうたくさんまだまだあると思うので、ぜひちーさんに放っていただいて。
アーサーちゃん回でリーバ回という謎のキーワードが出てきまして、それもご出演というか一緒に。
出演しております。
リーバ回、ご存じない方のためにご説明しておくと、世界の歌姫になった気持ちでカラオケに行こうみたいな回。
はい、そうですね。もうおのおのが最高に私可愛いんだって思うような服装をして、ご飯食べて夜通し踊り歌いテンション爆上げっていう、男の子も参加可能な回でございます。
誰でも歌姫にはなれると。
はい、うちの住人が主催しております。
どんな格好したんですか?
私はですね、住人から服を借りて、ピンク色のチェックに、またピンク色のワンピースみたいな、そしてピンク色の頭を捨て、ブーツを履いて、カラオケ100万弁のカラオケに行きました。
なんかすげえ人たち来たなって、カラオケの店員さん困惑しそうですけどね。何が始まるんや。
始まらないですね。もうめちゃくちゃ盛り上がってました。
いいですね。それをブースの外から眺めてみたい。中に入りたい気持ちもちょっとありますけど。
ぜひぜひ、何歳でも。
とりあえず眺めてみて。
はい、そんなこんなでわちゃわちゃと暮らしています。
ゆかいな住人たちがたくさん住んでたり排出されている青家というところで活動されていらっしゃるということで、その辺の活動の話も後で聞いていきたいなと思うんですけど、
茜さんのこれまでの変遷、成り立ちなんていうか、これまでどんな歩みをしてきたのかみたいなところをちょっとお伺いしたいなと思うんですけど、出身はどちらから?
出身は愛知県でして、名古屋ではないっていう。岐阜の隣の市宮っていうところが出身になります。
そこから大学で、大学から京都に来た感じですか?
そうですね、大学で立明館大学に進学しまして、京都のキャンパスの文学部に入りまして、そこで東アジア研究学位置っていうのがあるんですけど、主に中国と韓国を勉強しますよっていうところに入りました。
そこで入って、はや何年?聞いていいのかこれは。
今日、茜さんが台本みたいなのを用意していただいたんですけど、立明館大学4かっこはてな開成というふうに記述してくださってて、もう分からないくらいの年齢不詳な感じになってしまいましたが、結局5年半大学生をしておりました。
でも無事に今年9月に卒業されたということでおめでとうございます。
そうですね、ありがとうございます。
今卒業っていうことは、途中コロナとかで通えなかった時期とかもご経験されて。
そうですね、コロナの1年前に入学したので、私が2回生の頃から、厳密に言うと1回生の冬ぐらいから中国で、すごいウイルスが流行ってるぞとなって、あるいはあるいはと世界中に広まって、というのになりますね。
サークルで飲み会をするとか、先輩とどうのこうのっていうのを、私自身はあんまり経験しないで、大学生生活を過ごしたというふうになりましたね。
このピンク髪でいろんなとこ出没してたんかなと思ったんですけど、なかなかそういう機会が。
意外と大人しく、大人しかったのかちょっと分からないんですけど。
大学はそういう文学というか、どういうこと学びたいなみたいなので来られたんですか?
大学って明確には決まっていなかったんですけども、高校の時に世界史を勉強していって、中でも中国史が日本に近いのにカオスな歴史を知ってるなっていうところに惹かれて、
中国の勉強できるところというので受験して、三菱に入ってというふうになりますね。
中でもちょっと三国史とか古めの時代というよりかは、私は近代以降のことを扱うゼミに所属していました。
実際研究とかで中国行ったりとかも?
中国には1回だけ行かせてもらって、コロナ前ですね、大学の留学プログラムで2週間、上海に2日間と、ベトナムに近い地方ですね、南のほうの地域の大学に語学勉強という、手を取って観光遊ぶ会みたいな2週間を過ごしてました。
それはコロナ前にあったので、1回は1機会があったので良かったなと思います。
さっきお話、事前のところでお伺いしてたら、中国だけじゃなくアフリカみたいなキーワードも出てきたので、
そういう国際の関係にすごい興味があって飛び込んだのかなと思いながら聞いてたんですけど、その辺はどういうふうに発展してたんですか?
ちょっと偶然なのかもしれないんですけども、そのアフリカっていうワードは、私が国際協力の学生団体に所属していまして、ここがアフリカの水問題、綺麗な水が飲めないとか、そういう問題について心象っていうのを掲げてたので、アフリカというワードが先ほど出ました。
もともと社会課題とか、運送地域がどうとか、そういうニュースに興味があって、ちょっと今思い出したんですけども、中国とか韓国の勉強する学部に入ったのも、
ちょうど日韓関係がとか、日中関係がどうみたいなのをニュースで目にしてすごく印象に残ってて、そんなところに興味を持ったんじゃないかなと思います。
当時はボランティアしてたら人の役に立つでしょ、何か役に立ちたいと思って入りましたね、学生団体に。
シェアハウス運営の経験
そこを飛び込んでみて、実際なかなか行くとかはコロナのこともあったりで難しかったりもしたのかなとは思うんですけど、結構ご自身の中では学びだったり、体験的にはすごいいい感じだったなみたいなのか。
そうですね、それこそ今やらせてもらっているシェアハウス青い家の運営も、実はその学生団体、アフリカを支援しようという学生団体に入っていたときに、たまたま当時の運営の方がサークルのミーティングに遊びに来てくださって、
ちょっとシェアハウスで鍋会するからおいでよと誘われ、なんやなんやと思い行ったっていうのが最初の出会いでしたね。
じゃあ普通にまず遊びに行ったら、そこがシェアハウスだったぐらいの。
そうですね、その学生団体に入っていなかったら、青い家とも出会っていなかったかもしれないですね。
すごい、いい出会い方ですね。それで関わってみて、シェアハウス自体は住みたいなとか、関わりたいなみたいなので徐々に入っていった感じなんですか?
そうですね、行った当初はいろいろとカルチャーショックだったというか、まず人と一緒に暮らすっていうことが、えーみたいな感じでしたし、
青い家のコンセプトに夢を追う若者を応援するっていうのがあるんですけども、当時の運営の方だったりとか、結構思想であったりとか、ちょっと尖った方が多く住んでいらっしゃって、
私が大学で作っている友達とは違うタイプの方々がいて、衝撃を受けてちょっと寝込むということを。
インパクトが強すぎた。
インパクトが強すぎてちょっと寝込んで、しばらくは行かなかったですね。
なるほど、刺激強かったんですね。
刺激が強かったですね、大学1回生の私にとっては。
そうか、1回生の時、全然知らない世界がそこに広がって。
すぐに青い家に住むとかはならずに3年くらい寝かしてから、シェアハウスいいなというふうに思うようになり、気づけば運営になっていました。
すごい、でも追い上げというか、そこまで飛び込むまでいったっていうのは、やっぱり肌に合ってたなのか、そういう世界いいなみたいなのを思ってたのか、
どういうところで最終的にはその運営として関わるまであったんですか?
学生団体をやってた時からちょこちょこといろんな場に出るようにはなってたんですけども、
そうしてるうちに学生企業をしている友達であったりとか、何かしらプロジェクトやってるよみたいな活動的な学生さんに会うことが増えてきて、
やっぱり自分も何かしたいみたいな気持ちをふつふつと湧いて、来たものの3回生当時になった時に、
このままアフリカで働く絵は見えない。私は何をしよう、どうしようとなっていったんですけど、
そこから何かを見つけたくて、いろいろな場所にふらりふらりと足を運び、
そして、やっぱりシェアハウスをやってみたい。やってからじゃないと就職できないというふうに思って、
当時の運営の方も青い絵の運営の方はいなかったんですけども、
ツイッターで青い絵を検索して出てきた代表の方に、たまたま関西に行くので会える方、いいねしてくださいみたいなツイートをしてて、
いいねして、そしたらDMをくださって、1回ご飯とかカフェに行って、関西の運営やりませんか?みたいなことに提案いただいて、
実際に3年ぶりぐらいに青い絵に行くっていうことをしました。
なんか行動が実ったというか、ちゃんとそこでアクションとって、いいねをしたとこからそこまでガッと開いたんですね、最終的に。
そうですね。ありがとうございます。拾っていただいて、そんな気持ちはありつつ、良かったですね。今ではいろんな経験をさせていただいて、すごく充実した京都生活になったなと思います。
京都との関わり
青い絵って結構いろんな場所から来て住んでいる方とか、年齢も多分様々。学生も社会人もいて、みたいな感じだと思うんですけど、結構皆さん京都を知らずに来てる方とかもいて、
アーサーちゃんの回聞いていただけると、シェアハウス住んで、そこから結構京都の街を知ることができたみたいな話とかをおっしゃってたので、
茜さんもそういう京都の街につなぐような役割とか、一緒に楽しみに行くみたいなのって青い絵の生活の中でもあるんかなという気がするんですけど、街との関わりみたいなところってどんな感じですか?
そうですね。私がつないだって言ったらとてもおこがましいですけど、やっぱり大好きな京都の街をみんなに知ってもらいたいなということで、アーサーはそれこそ、確かこのカモラジオをやっていらっしゃるつなぐむさんが、
京都市さんとやっていた京ワーキングっていう、京都の企業さんと学生さんとの交流会というのがあったんですけども、そちらにアーサーを連れて行って、皆さんとの出会いがあり、カモラジオに出演することになったりだとか、
あとはもう一人の住人の子で、ベトナム料理屋を月に一回曲がりでやっている女の子がいるんですけども、その曲がりしているお店も、私の友達の方がめちゃくちゃそのお店の長編で、リバーサイドカフェと言います。
出町柳にある、毎回店長が変わる、月から日まで朝昼晩、お店を持ててしまうっていう、カフェで曲がりをしているんですけども、友達を介して、そういうところに出店するみたいな話になったりとかして、
東京から京都に移住してくれた住人のみんなが、いつの間にか京都に根付いているみたいな姿を見たときは、わくわくみたいな感じになりました。
そっかそっか。最初、全然知り合いもいないみたいな中で、そういうところ、やりたいことあるけど、どこでやれるの?みたいなのとか、悩みとしてはある気がするので、そういうところを繋いでいってた感じなんですね。
私の知ってるところは、とりあえず紹介するみたいな感じで。
コミュニティマネージャー的にはそういう、いろんな紹介とかしたりとか、ハウスの管理的なところとかもやったりとか、ミッション的にはどういうことされてらっしゃる?
ミッションとしては、あんまり明確には言われてないんですけど、関西の方面で言うと、私の場合は、盛り上げる。家を盛り上げるっていうのがミッションでした。
それは、例えば、家ににぎわいがある住んでる住人の数が増えるであったりとか、家でちょっとイベントとかご飯会をして、みんなが楽しい場を作るとか、そういうのが結構メインでしたね。
なので、地域とつなぐみたいなのは特に役割としては与えられてはないんですけども、勝手に知ってるところを紹介したっていうふうになります。
出会いのきっかけ
あかねさんが京都出て東京に働きに行くけど、すげえ京都のこと好きなんだみたいな話を前にしてもらったときに、なんで京都こんなに好きになってくれたんだろうかっていうところはちょっと聞いてみたいなと思っていて、
知り合いのお店紹介して繋いだとかもいろいろ、出会いがあったからこそだと思うんですけど、そういう形で京都の街を好きになったきっかけだったり、街と関わるようになったきっかけだったりみたいなのってあったりしますか?
そうですね、好きになったきっかけは、もう気づいたっていうところは多いんですけども、やっぱり愛知県に進学していたよりも京都で進学して、たくさんの学生とか大人の方に出会えて楽しかったなって思うから京都いいなって思ったのが一つと、
あともう一つは、休学期間中に私は何をしていこうってちょっと悩んでた期間があるんですけども、ふと見た鴨川だったりとか、京都の景色がすごく居心地がいい、多分これは東京とか大阪にいたら、なんかもっと焦って死ぬくなっていたんじゃないか、京都が心地いいなと思う瞬間があって、京都好きだなと思ったり、
っていうのが大きな2つの理由になりますね。
そうかそうか、なんかそういういろんな大人とか地域の方と出会うっていうのは、なんかどういうとこで出会ったり捕まえに行ったりしたんですか?
はい、出会ったきっかけは、中職系のイベントに行ったんですね。
みやこさんっていう京都の面白いプロジェクトだったり、いろんなことをされてる会社さんがあるんですけども、そちらと、フラットエージェンシーさんっていう、賃貸のお部屋を仲介してるような会社さんがコラボしてやってた企画で、キャリーバーっていうのが実はありました。
キャリアを考える場っていうのを京都の企業の方と学生でディスカッションしようみたいなイベントがあったんですけど、そこに友達に誘ってもらって行って、当時自分がやりたいことに悩んでいたから、私もそういうのを一緒に考える場を作りたいですみたいなことを言って、
行って、じゃあ一緒にやろうよってお誘い実はいただいて、そこから繋ぎ的にいろんな大人の方に出会う場が増えていったっていうのがありますね。そのキャリーバーっていうイベントに関わったのが一番最初のきっかけだったかなと思います。
そこでの出会いがちゃんと次に繋がっていって、次の機会がどんどん生まれていったような感じだったってことですか?
そうですね。多分京都で面白いことされてる方ってたくさんいると言えども、メインでここの方とここの方とこの方みたいなのがあると思うんですけども、1個に引っかかったらいろいろ引っかからせてもらえたみたいな。
なるほど。1つ目がいけば2つ目3つ目はいけるよみたいな。
はい。運かもしれないですけど、偶然にもそういうご縁をいただけて。
本当に京都好きって言ってくださっている中でのいろんな出会いがあったんだろうなっていうのはなんとなく感じて、どういうところでそういうきっかけつかんだろうかっていうのは結構聞いてみたいなと思ってたんですけど、今なんかその先の、今入口側の話でしたけど、そこから先どんどんいろんな形で繋がってきて、
さっきほどそのU35京都っていうそのアンダー35世代のなんかこう集まりみたいな中でもイベントやったみたいな感じのお話しされていらっしゃいましたけど、そこはなんかどんな繋がりとかどんなことしてたみたいなとかありますか?
はい。お誘いいただいたきっかけがU35京都を今メインで運営されている原田学さんっていう、またこれは青い家を昔関西方面を運営されてた方が、カムラジオにも出演された方がいらっしゃるんですけど、その原田学さんにちょっとU35京都を手伝てよっていう風にお誘いいただいて、
ちょうど京都好きだけど、どう関わったらいいのかどう関わるのかわからないなっていうことを私も思っていたので、ぜひよろしくお願いしますと言って、何をやるかもちょっとわからないけどやりますと言ったっていうのが最初のきっかけになります。
そこから最近2日前ですね、3月11日の日にまちづくり×防災っていうテーマでイベントをU35京都で開催しているんですけども、そちらの企画をやってみようということでお任せいただいて、わからないけどやってみましたというのが今の活動になります。
すごい、なんか飛び込んで全力でやってる感じがめちゃめちゃいいですね。
ありがとうございます。
なんかそういう、何でしょうね、コロナ禍っていうのもあったと思うんですけど、京都の街と関わるきっかけとか、そういう場みたいなのはもっといろいろ欲しかったけど、あんまり出会えなかったなとかつながれなかったなみたいな感じなんですかね。
学生生活の終盤になってドドドドッといろんな方とお会いさせていただいたりとか、いろんな機会をいただいたりとかしたなというふうには思います。なので、もっと早く出会っていたらと思うときも実はあったりしますね。
割と休学するまでは、大学の中というか学生の友達がかなり多くて、京都で働く大人の姿を見るチャンスがなかなかなかったというのがありまして、
それがもうちょっと2、3回戦のタイミングで訪れたら、またいろいろと自分のキャリアも感覚が違ったのかななんて思ったりしております。
○○で言うと6年間京都にいらっしゃったと思うんですけど、別にネガティブな意味じゃなくてもいいんですけど、やり残したなとか、これもっとやっとけばよかったなみたいなことって今の早めに出会いといたらよかったみたいなのを一つおっしゃってましたけど、他にもあったりしますか?
そうですね。やり残したこと、やりたいことをやってこれたなとは思うんですけども、やり残したことで言うと、今の青い家のシェアハウスがとても面白いんですが、
これを住んでない方たちに伝えるのが難しいので、そういう発信をもうちょっとできてたら面白かったかもなあっていうのは思ったりしていますね。映像に残すのか写真で公開するのかちょっとわからないんですけど、そういう形に残したらよかったかもとは思っておりますね。
そうかそうか。いやなんか、とても個性的なというか、いろんなジャンルとか活動テーマの方々集まってるとこだと思うので、もしかしたら見てもあんま伝わんないものかもしれないし、話してみたら何やこの人たちみたいな感じで、なんかいいね、もしかすると寝込むかもぐらいのイメージを。
はい、私は寝込んでしまいました。最初。
できるかもしれないですけど、なんか確かにね、そこはいろいろ発信できる可能性ありそうですね。そうかそうか。逆になんかやってよかったなあと思うこととかあります?この6年間の中で。
やってよかったことは、自分のやってみたいことにとりあえず何も考えず飛び込んでみるということは何に対してもできてたのかなと思って。
それがあって、今の青い家のコミュニティマネージャーの機会であったりとか、U35京都のご縁とかその他の出会いもいただけたなと思っていて、結構私楽観的で何も考えずにやってしまうようなタイプなことが多いんですけど、それはよかったなと思います。
なるほどね。あとあれや、すげえ聞きたかったけど後回ししちゃってたのがあって、京都のどんなとこが好きですかみたいなのをもうちょっと具体的に聞きたいなと思って。場所なのかお店なのか、こういうカルチャーなのか、具体的にあれば。
まずは景観ですね。程よくお店もたくさんあるけれども、自社物価が多くて山にも囲まれていて、街にいながら自然を感じられるのがすごくあの心地がいいなっていう。これが一つ好きなところで、
あともう一つは、いろんな方と出会ったから知れた面でもあるんですけども、京都の街のためにいろんな実験を行っている大人たちがいるっていうのを最近知りまして、そんな人たちいるんだ、京都って面白いなって思ったのが二つ目の好きなところですね。
もう、景観と人っていうのが私が思う京都の好きなところですね。
いいっすね。人の魅力とかがあって、早めにもっと出会っとけばよかったみたいなさっきの話につながるなと思ったんですけど、よく遊びに行く場所とか、そういう系の好きなところとかもありますか?
遊びに行く場所は、昔実は河原町付近でルームシェアをしていたので、その頃は終電を気にせずに木山地で飲んだりとか、そんなことをして楽しかったですね。
今は青い家の下ヶ本部家に、下ヶ本と呼ばれるエリアに住んでいるんですけども、その辺りだったら、ちょっと寒かったので最近は遊んでなかったですけど、デルタにちょっと出発したりとか、
あと一条寺、ラーメン界のある一条寺のあたりでラーメンを食べて、経文社という本屋さんで本を読んでみたいなことが好きでしたね。
いいね。サブカルっぽい感じの楽しみもあの辺ありつつ、ラーメンも10店舗、もうちょっとあるかな?結構いろんな系統のラーメンあるじゃないですか、あそこも。
そうですね、もう大好きですね、ラーメン。
どの店のとか、どういう系のラーメン?
私が一番好きなのが、エーナークっていう、つけ麺の3時まで、昼の3時までで終わってしまうつけ麺屋さんがあるんですけど、そこがとてもおすすめなので、ぜひ皆さん行ってみてください。
京都の魅力とエリアの特色
つけ麺、確かに僕も割とその辺近く住んでるんですけど、あそこは大人気ですね。
美味しい。
味的にはどういう系?魚介?
魚介、よくある魚介とちょっとまた違う味で、カレー味であったりとか、七味というか辛い系であったりとか、つけ麺と言えば魚介系だと思うんですけど、
何が入ってるのかちょっと私もわからないんですけど、ちょっと違う。
なるほど、ひとひねり入ってる。
ちょっと違うつけ麺っていうのがめちゃくちゃいいなって思います。
一条永山電鉄の一条寺駅から降りて徒歩1、2分ぐらいのところにあるので、ぜひ皆さんも一条寺行く機会があったら行ってみてください。
なんかそういう、なんだろう、また一個京都の好きなポイントで思い出したのが、エリアによって色が違うところが面白いなと思っていて、東京とかもそうだとは思うんですけど、
地元愛知ではちょっと感じなかったポイント。自転車で移動できるのに、ちょっと区だったりとか駅をまたいだだけで、雰囲気とかあるお店が違ったりして、
街のエリアごとに面白さというか魅力があるっていうのが、京都に住んでからわかった魅力かなと思います。
確かに下鎌エリアも一条寺も、それこそ前住んでおられた河原町、牧屋町のあたりも、全然カラーの違う町、色々楽しめますからね。自転車で10分行ったら全然景観も違う町とか、それこそ山すぐそこにありますみたいな場所とかもあると思いますし。
そうですね、京都外に住んでる友達に京都めっちゃいいんだよって言うと、多分みんなお寺とか観光地を近隔地であったりとか想像すると思うんですけど、そうじゃなくて住んでわかる魅力があるんだよっていうのはよく行って連れてきて案内してみたいなやってました。
じゃあ沼に落とすのをやってるんですね。
はい、できてたのかな。それで東京方面からね、葵に引っ越してくれた子は何人かおります。
すごいっすね。京都住んでみようかなってなってきてる。
そうですね、ちょうどアーサーも誘ってくれた住人の女の子、青家下窪のキーマンみたいな女の子がいるんですけど、その子がちょうど私が京都おいでよって誘って、すごく京都気に入ってくれて、
知らず知らずのうちにその女の子の友達が東京からどんどん引っ越してくるというふうにして、青い下窪が発展しました。
なるほど、ありがとうございます。
いろんな京都の好きな魅力も今お伺いしたんですけど、4月から東京に行かれて、社会人1年目みたいな感じになると思うんですけど、最後京都離れるにあたっての思いとか、これからの意気込みみたいなのだったりとか、あるいはこれから京都に来る方に向けてメッセージとかあればいただきたいなと思うんですけど、いいですか。
東京への移住と戻りたい思い
これからの意気込みとしては、東京に出るんですけども、数年経ったら京都に戻りたいなと思っていますっていう度に、いや、どうせ東京に根付いてるんだよとかいう大人もいますが、京都に戻っていきたいなという爪痕をこのカモラジオに収録させていただきます。
はい。これから京都に来る方にとっては、もうそうですね、京都って県民省とかでは多分遠回しに言う文化でちょっと怖い人が多いんじゃないかっていう風なイメージはあると思うんですけど、意外と京都街から来てる京都市民も多分めちゃくちゃ多くて、それで京都が好きって思って移り住んでる方もいらっしゃるので、
そんな方たちと、いろんな方たちと出会って京都の街を楽しんでくれる方が増えたらとってもいいなと思っております。
ありがとうございます。本当にこのカモラジオをお聞きの皆さんも京都、今住んでいらっしゃる方もいれば、これから行ってみたいみたいな方とかいろんな方が聞いておられると思うので、
今回、茜さんに出ていただいたのも京都離れるけどみたいなところでまたね、京都好きだよみたいな方の声とかしっかりお届けしたいなというのでご出演いただきましたが、本当にこれからの新生活も応援をしておりますので。
はい。ありがとうございます。
いつでも京都で疲れたら帰ってきてください。
はい。2ヶ月に1回くらい帰ってきます。
まあまあ、青い家もありますからね。
はい。
いつでもお待ちしてます。
ではですね、鴨川でゆっくりしたいラジオ、通称カモラジオの時間でした。
次回の配信もお楽しみに。ありがとうございました。
ありがとうございました。
38:08

コメント

スクロール