お願いします。すごいですね、京都離れる直前まで結構いろんな活動をされていらっしゃったということで。
あと青い家のコミュニティマネージャーされていらっしゃると思うんですけど、実は過去ゲストの中にも青い家の住人だったり、昔管理、運営関わっていたメンバーだったりが実は出ていて、
第11回の原田岳さんと、あと25回のアーサーちゃんという、この2人が実は青い家関わっていたメンバーで、気になる方はそちらの回も聞いていただけたらと思うんですが、今中根さんとこのアーサーちゃん一緒に住んでいるとお聞きしましたが。
はい、一緒に住んでいますね。部屋は違うんですけれども、ここの収録スタジオに来る前も一緒にカフェでご飯を食べてまいりました。
そうかそうか、もう普段から一緒に活動というかお互いのことを知っている中で、来る前にこのアーサーちゃんの回も、中根さんご自身も聞いてくださったということで。
はい、もうめちゃくちゃ青い家の、今、青い下鎌の中身をアーサーが喋ってくれているので、私はもう何を喋ろうかと思いながら今日は来たんですけれども。
そうかネタ尽きちゃってるやんみたいなね。
いやもうたくさんまだまだあると思うので、ぜひちーさんに放っていただいて。
アーサーちゃん回でリーバ回という謎のキーワードが出てきまして、それもご出演というか一緒に。
出演しております。
リーバ回、ご存じない方のためにご説明しておくと、世界の歌姫になった気持ちでカラオケに行こうみたいな回。
はい、そうですね。もうおのおのが最高に私可愛いんだって思うような服装をして、ご飯食べて夜通し踊り歌いテンション爆上げっていう、男の子も参加可能な回でございます。
誰でも歌姫にはなれると。
はい、うちの住人が主催しております。
どんな格好したんですか?
私はですね、住人から服を借りて、ピンク色のチェックに、またピンク色のワンピースみたいな、そしてピンク色の頭を捨て、ブーツを履いて、カラオケ100万弁のカラオケに行きました。
なんかすげえ人たち来たなって、カラオケの店員さん困惑しそうですけどね。何が始まるんや。
始まらないですね。もうめちゃくちゃ盛り上がってました。
いいですね。それをブースの外から眺めてみたい。中に入りたい気持ちもちょっとありますけど。
ぜひぜひ、何歳でも。
とりあえず眺めてみて。
はい、そんなこんなでわちゃわちゃと暮らしています。
ゆかいな住人たちがたくさん住んでたり排出されている青家というところで活動されていらっしゃるということで、その辺の活動の話も後で聞いていきたいなと思うんですけど、
茜さんのこれまでの変遷、成り立ちなんていうか、これまでどんな歩みをしてきたのかみたいなところをちょっとお伺いしたいなと思うんですけど、出身はどちらから?
出身は愛知県でして、名古屋ではないっていう。岐阜の隣の市宮っていうところが出身になります。
そこから大学で、大学から京都に来た感じですか?
そうですね、大学で立明館大学に進学しまして、京都のキャンパスの文学部に入りまして、そこで東アジア研究学位置っていうのがあるんですけど、主に中国と韓国を勉強しますよっていうところに入りました。
そこで入って、はや何年?聞いていいのかこれは。
今日、茜さんが台本みたいなのを用意していただいたんですけど、立明館大学4かっこはてな開成というふうに記述してくださってて、もう分からないくらいの年齢不詳な感じになってしまいましたが、結局5年半大学生をしておりました。
でも無事に今年9月に卒業されたということでおめでとうございます。
そうですね、ありがとうございます。
今卒業っていうことは、途中コロナとかで通えなかった時期とかもご経験されて。
そうですね、コロナの1年前に入学したので、私が2回生の頃から、厳密に言うと1回生の冬ぐらいから中国で、すごいウイルスが流行ってるぞとなって、あるいはあるいはと世界中に広まって、というのになりますね。
サークルで飲み会をするとか、先輩とどうのこうのっていうのを、私自身はあんまり経験しないで、大学生生活を過ごしたというふうになりましたね。
このピンク髪でいろんなとこ出没してたんかなと思ったんですけど、なかなかそういう機会が。
意外と大人しく、大人しかったのかちょっと分からないんですけど。
大学はそういう文学というか、どういうこと学びたいなみたいなので来られたんですか?
大学って明確には決まっていなかったんですけども、高校の時に世界史を勉強していって、中でも中国史が日本に近いのにカオスな歴史を知ってるなっていうところに惹かれて、
中国の勉強できるところというので受験して、三菱に入ってというふうになりますね。
中でもちょっと三国史とか古めの時代というよりかは、私は近代以降のことを扱うゼミに所属していました。
実際研究とかで中国行ったりとかも?
中国には1回だけ行かせてもらって、コロナ前ですね、大学の留学プログラムで2週間、上海に2日間と、ベトナムに近い地方ですね、南のほうの地域の大学に語学勉強という、手を取って観光遊ぶ会みたいな2週間を過ごしてました。
それはコロナ前にあったので、1回は1機会があったので良かったなと思います。
さっきお話、事前のところでお伺いしてたら、中国だけじゃなくアフリカみたいなキーワードも出てきたので、
そういう国際の関係にすごい興味があって飛び込んだのかなと思いながら聞いてたんですけど、その辺はどういうふうに発展してたんですか?
ちょっと偶然なのかもしれないんですけども、そのアフリカっていうワードは、私が国際協力の学生団体に所属していまして、ここがアフリカの水問題、綺麗な水が飲めないとか、そういう問題について心象っていうのを掲げてたので、アフリカというワードが先ほど出ました。
もともと社会課題とか、運送地域がどうとか、そういうニュースに興味があって、ちょっと今思い出したんですけども、中国とか韓国の勉強する学部に入ったのも、
ちょうど日韓関係がとか、日中関係がどうみたいなのをニュースで目にしてすごく印象に残ってて、そんなところに興味を持ったんじゃないかなと思います。
当時はボランティアしてたら人の役に立つでしょ、何か役に立ちたいと思って入りましたね、学生団体に。
そこを飛び込んでみて、実際なかなか行くとかはコロナのこともあったりで難しかったりもしたのかなとは思うんですけど、結構ご自身の中では学びだったり、体験的にはすごいいい感じだったなみたいなのか。
そうですね、それこそ今やらせてもらっているシェアハウス青い家の運営も、実はその学生団体、アフリカを支援しようという学生団体に入っていたときに、たまたま当時の運営の方がサークルのミーティングに遊びに来てくださって、
ちょっとシェアハウスで鍋会するからおいでよと誘われ、なんやなんやと思い行ったっていうのが最初の出会いでしたね。
じゃあ普通にまず遊びに行ったら、そこがシェアハウスだったぐらいの。
そうですね、その学生団体に入っていなかったら、青い家とも出会っていなかったかもしれないですね。
すごい、いい出会い方ですね。それで関わってみて、シェアハウス自体は住みたいなとか、関わりたいなみたいなので徐々に入っていった感じなんですか?
そうですね、行った当初はいろいろとカルチャーショックだったというか、まず人と一緒に暮らすっていうことが、えーみたいな感じでしたし、
青い家のコンセプトに夢を追う若者を応援するっていうのがあるんですけども、当時の運営の方だったりとか、結構思想であったりとか、ちょっと尖った方が多く住んでいらっしゃって、
私が大学で作っている友達とは違うタイプの方々がいて、衝撃を受けてちょっと寝込むということを。
インパクトが強すぎた。
インパクトが強すぎてちょっと寝込んで、しばらくは行かなかったですね。
なるほど、刺激強かったんですね。
刺激が強かったですね、大学1回生の私にとっては。
そうか、1回生の時、全然知らない世界がそこに広がって。
すぐに青い家に住むとかはならずに3年くらい寝かしてから、シェアハウスいいなというふうに思うようになり、気づけば運営になっていました。
すごい、でも追い上げというか、そこまで飛び込むまでいったっていうのは、やっぱり肌に合ってたなのか、そういう世界いいなみたいなのを思ってたのか、
どういうところで最終的にはその運営として関わるまであったんですか?
学生団体をやってた時からちょこちょこといろんな場に出るようにはなってたんですけども、
そうしてるうちに学生企業をしている友達であったりとか、何かしらプロジェクトやってるよみたいな活動的な学生さんに会うことが増えてきて、
やっぱり自分も何かしたいみたいな気持ちをふつふつと湧いて、来たものの3回生当時になった時に、
このままアフリカで働く絵は見えない。私は何をしよう、どうしようとなっていったんですけど、
そこから何かを見つけたくて、いろいろな場所にふらりふらりと足を運び、
そして、やっぱりシェアハウスをやってみたい。やってからじゃないと就職できないというふうに思って、
当時の運営の方も青い絵の運営の方はいなかったんですけども、
ツイッターで青い絵を検索して出てきた代表の方に、たまたま関西に行くので会える方、いいねしてくださいみたいなツイートをしてて、
いいねして、そしたらDMをくださって、1回ご飯とかカフェに行って、関西の運営やりませんか?みたいなことに提案いただいて、
実際に3年ぶりぐらいに青い絵に行くっていうことをしました。
なんか行動が実ったというか、ちゃんとそこでアクションとって、いいねをしたとこからそこまでガッと開いたんですね、最終的に。
そうですね。ありがとうございます。拾っていただいて、そんな気持ちはありつつ、良かったですね。今ではいろんな経験をさせていただいて、すごく充実した京都生活になったなと思います。
あかねさんが京都出て東京に働きに行くけど、すげえ京都のこと好きなんだみたいな話を前にしてもらったときに、なんで京都こんなに好きになってくれたんだろうかっていうところはちょっと聞いてみたいなと思っていて、
知り合いのお店紹介して繋いだとかもいろいろ、出会いがあったからこそだと思うんですけど、そういう形で京都の街を好きになったきっかけだったり、街と関わるようになったきっかけだったりみたいなのってあったりしますか?
そうですね、好きになったきっかけは、もう気づいたっていうところは多いんですけども、やっぱり愛知県に進学していたよりも京都で進学して、たくさんの学生とか大人の方に出会えて楽しかったなって思うから京都いいなって思ったのが一つと、
あともう一つは、休学期間中に私は何をしていこうってちょっと悩んでた期間があるんですけども、ふと見た鴨川だったりとか、京都の景色がすごく居心地がいい、多分これは東京とか大阪にいたら、なんかもっと焦って死ぬくなっていたんじゃないか、京都が心地いいなと思う瞬間があって、京都好きだなと思ったり、
っていうのが大きな2つの理由になりますね。
そうかそうか、なんかそういういろんな大人とか地域の方と出会うっていうのは、なんかどういうとこで出会ったり捕まえに行ったりしたんですか?
はい、出会ったきっかけは、中職系のイベントに行ったんですね。
みやこさんっていう京都の面白いプロジェクトだったり、いろんなことをされてる会社さんがあるんですけども、そちらと、フラットエージェンシーさんっていう、賃貸のお部屋を仲介してるような会社さんがコラボしてやってた企画で、キャリーバーっていうのが実はありました。
キャリアを考える場っていうのを京都の企業の方と学生でディスカッションしようみたいなイベントがあったんですけど、そこに友達に誘ってもらって行って、当時自分がやりたいことに悩んでいたから、私もそういうのを一緒に考える場を作りたいですみたいなことを言って、
行って、じゃあ一緒にやろうよってお誘い実はいただいて、そこから繋ぎ的にいろんな大人の方に出会う場が増えていったっていうのがありますね。そのキャリーバーっていうイベントに関わったのが一番最初のきっかけだったかなと思います。
そこでの出会いがちゃんと次に繋がっていって、次の機会がどんどん生まれていったような感じだったってことですか?
そうですね。多分京都で面白いことされてる方ってたくさんいると言えども、メインでここの方とここの方とこの方みたいなのがあると思うんですけども、1個に引っかかったらいろいろ引っかからせてもらえたみたいな。
なるほど。1つ目がいけば2つ目3つ目はいけるよみたいな。
はい。運かもしれないですけど、偶然にもそういうご縁をいただけて。
本当に京都好きって言ってくださっている中でのいろんな出会いがあったんだろうなっていうのはなんとなく感じて、どういうところでそういうきっかけつかんだろうかっていうのは結構聞いてみたいなと思ってたんですけど、今なんかその先の、今入口側の話でしたけど、そこから先どんどんいろんな形で繋がってきて、
さっきほどそのU35京都っていうそのアンダー35世代のなんかこう集まりみたいな中でもイベントやったみたいな感じのお話しされていらっしゃいましたけど、そこはなんかどんな繋がりとかどんなことしてたみたいなとかありますか?
はい。お誘いいただいたきっかけがU35京都を今メインで運営されている原田学さんっていう、またこれは青い家を昔関西方面を運営されてた方が、カムラジオにも出演された方がいらっしゃるんですけど、その原田学さんにちょっとU35京都を手伝てよっていう風にお誘いいただいて、
ちょうど京都好きだけど、どう関わったらいいのかどう関わるのかわからないなっていうことを私も思っていたので、ぜひよろしくお願いしますと言って、何をやるかもちょっとわからないけどやりますと言ったっていうのが最初のきっかけになります。
そこから最近2日前ですね、3月11日の日にまちづくり×防災っていうテーマでイベントをU35京都で開催しているんですけども、そちらの企画をやってみようということでお任せいただいて、わからないけどやってみましたというのが今の活動になります。
すごい、なんか飛び込んで全力でやってる感じがめちゃめちゃいいですね。
ありがとうございます。
なんかそういう、何でしょうね、コロナ禍っていうのもあったと思うんですけど、京都の街と関わるきっかけとか、そういう場みたいなのはもっといろいろ欲しかったけど、あんまり出会えなかったなとかつながれなかったなみたいな感じなんですかね。
学生生活の終盤になってドドドドッといろんな方とお会いさせていただいたりとか、いろんな機会をいただいたりとかしたなというふうには思います。なので、もっと早く出会っていたらと思うときも実はあったりしますね。
割と休学するまでは、大学の中というか学生の友達がかなり多くて、京都で働く大人の姿を見るチャンスがなかなかなかったというのがありまして、
それがもうちょっと2、3回戦のタイミングで訪れたら、またいろいろと自分のキャリアも感覚が違ったのかななんて思ったりしております。
○○で言うと6年間京都にいらっしゃったと思うんですけど、別にネガティブな意味じゃなくてもいいんですけど、やり残したなとか、これもっとやっとけばよかったなみたいなことって今の早めに出会いといたらよかったみたいなのを一つおっしゃってましたけど、他にもあったりしますか?
そうですね。やり残したこと、やりたいことをやってこれたなとは思うんですけども、やり残したことで言うと、今の青い家のシェアハウスがとても面白いんですが、
これを住んでない方たちに伝えるのが難しいので、そういう発信をもうちょっとできてたら面白かったかもなあっていうのは思ったりしていますね。映像に残すのか写真で公開するのかちょっとわからないんですけど、そういう形に残したらよかったかもとは思っておりますね。
そうかそうか。いやなんか、とても個性的なというか、いろんなジャンルとか活動テーマの方々集まってるとこだと思うので、もしかしたら見てもあんま伝わんないものかもしれないし、話してみたら何やこの人たちみたいな感じで、なんかいいね、もしかすると寝込むかもぐらいのイメージを。
はい、私は寝込んでしまいました。最初。
できるかもしれないですけど、なんか確かにね、そこはいろいろ発信できる可能性ありそうですね。そうかそうか。逆になんかやってよかったなあと思うこととかあります?この6年間の中で。
やってよかったことは、自分のやってみたいことにとりあえず何も考えず飛び込んでみるということは何に対してもできてたのかなと思って。
それがあって、今の青い家のコミュニティマネージャーの機会であったりとか、U35京都のご縁とかその他の出会いもいただけたなと思っていて、結構私楽観的で何も考えずにやってしまうようなタイプなことが多いんですけど、それはよかったなと思います。
なるほどね。あとあれや、すげえ聞きたかったけど後回ししちゃってたのがあって、京都のどんなとこが好きですかみたいなのをもうちょっと具体的に聞きたいなと思って。場所なのかお店なのか、こういうカルチャーなのか、具体的にあれば。
まずは景観ですね。程よくお店もたくさんあるけれども、自社物価が多くて山にも囲まれていて、街にいながら自然を感じられるのがすごくあの心地がいいなっていう。これが一つ好きなところで、
あともう一つは、いろんな方と出会ったから知れた面でもあるんですけども、京都の街のためにいろんな実験を行っている大人たちがいるっていうのを最近知りまして、そんな人たちいるんだ、京都って面白いなって思ったのが二つ目の好きなところですね。
もう、景観と人っていうのが私が思う京都の好きなところですね。
いいっすね。人の魅力とかがあって、早めにもっと出会っとけばよかったみたいなさっきの話につながるなと思ったんですけど、よく遊びに行く場所とか、そういう系の好きなところとかもありますか?
遊びに行く場所は、昔実は河原町付近でルームシェアをしていたので、その頃は終電を気にせずに木山地で飲んだりとか、そんなことをして楽しかったですね。
今は青い家の下ヶ本部家に、下ヶ本と呼ばれるエリアに住んでいるんですけども、その辺りだったら、ちょっと寒かったので最近は遊んでなかったですけど、デルタにちょっと出発したりとか、
あと一条寺、ラーメン界のある一条寺のあたりでラーメンを食べて、経文社という本屋さんで本を読んでみたいなことが好きでしたね。
いいね。サブカルっぽい感じの楽しみもあの辺ありつつ、ラーメンも10店舗、もうちょっとあるかな?結構いろんな系統のラーメンあるじゃないですか、あそこも。
そうですね、もう大好きですね、ラーメン。
どの店のとか、どういう系のラーメン?
私が一番好きなのが、エーナークっていう、つけ麺の3時まで、昼の3時までで終わってしまうつけ麺屋さんがあるんですけど、そこがとてもおすすめなので、ぜひ皆さん行ってみてください。