今回ですね、田中さんにお越しいただいたのは、もちろんこの乾燥豪計画広国屋さんの事業のお話も伺いたいんですけれども、今まで様々な規模感の企業さんでの働いてみてっていう経験もお持ちなんですよね。
ラジオを聞いてくださっている方の中にも、今の会社から京都に移住して、果たしてどんな働き方をするんだろうとか、ギャップの分ってどう乗り越えるとか、どんなものを待っているみたいなものって結構悩みとして持たれている方多いんじゃないかなっていうことを思っています。
なので、そういった方に対して今回の田中さんの様々な経験されてきたことって感じることがいろいろあるんじゃないかなと思ったりはするので、まずは田中さんについて、今までの話ですね、いろいろ聞いていこうと思っています。
そもそもの出身地はどちらですか?
出身は滋賀県の滋賀ラキ町っていう滋賀ラキ焼きの狸で有名なところが出身地です。
狸マニアとしては絶対に逃せられないような場所にはなるんですけれども、そこから新卒では大手の自動車メーカーに就職をされたんですよね。
これって何であったんですか?もともと自動車がめっちゃ好きとかやったんですか?
きっかけはですね、小学校3年生の時にですね、夏休みの自由研究でそのメーカーの生産工場を見学しに行ったんですよね。
その時、子供ながらにすごくかっこよく見えて、そこで作業されている方が、僕も大きくなったら車を作るおっちゃんになりたいって思ったのを今でも鮮明に覚えてます。
そこからずっとブレずに高校卒業するまでずっと自動車業界で働くっていうことを目指して工業高校入って卒業して、ちょうど休日も来てたので新卒で応募して、
小学校3年生の時に見た職場は製造なんでライン工場だったんですけども、実際に応募して受かったのは開発部門の部署になりました。
なるほど。結構幼少期からかっこいいなと思ってたものが、最初のキャリアというか仕事先になってっていうことですよね。
はい。
結構ね、専門的な分野にはなるんですけれど、そこでされていたことがエンジンですよね。
エンジンの開発に携わっていらっしゃって、働いてあったのは関西のエリアのところでやってってことですよね。
はい、そうです。
はい。大体何年ぐらい働いてあったんですか。
大体10年ぐらいいましたね。
10年間。なんかその10年間でのプライベートの中でもそうですし、仕事での変化みたいなものでいくと、どんなことがありましたか。
10年間ですか。新卒で入りたての頃は、やっぱり社会というものはよく分かっていない年代だったので、18歳とかなので、先輩方に叩き込まれながらですね、いろんなことを。
社会人として自立していった期間を経て、その後はやりたいことをやれてたので、
日々充実した生活になってましたね。
結構激務の会社だったんですけども、新卒で入った一発目の会社なので、全てを素直に受け入れて、こういうもんやという形で10年間働いてましたね。
10年間そこの大手メーカーですかね。働いてみて、もちろん初めて働く場所だから仕事ってこんなものだなっていう、ある種の価値観を得たっていう考え方もできると思うんですけど、
それ以外に、こういうのは身につけられたな、勉強できたな、みたいなものってありますか。
そうですね、やっぱり一番思うのが、仕事に対する姿勢みたいなもの。やっぱり学生気分が初め抜けてない部分結構あったんで、
まあやっぱりこう舐めてかかってた部分とかもあったんですけども、どこかで先輩に悟されて、そういうんじゃないやで、みたいな。
それでやっぱり結構、ほぼほぼ10年間仕事人間みたいな感じで、仕事ばっかりに打ち込んでましたね。
でもいいですよね、そこまで向き合いたいって思うような仕事と出会っていらっしゃってってことですもんね。
途中であれですよね、プライベートでの少し変化もあらはってっていうお話をちらっと伺ったような。
そうですね、大手自動車メーカー在籍中に結婚しまして、その結婚の仕方も無婚入りと言いますか、無婚養子に入る形で結婚しまして、
しばらくは妻と自分の職場の間ぐらいに住んでたんですけども、1年後ぐらいにはもう今住んでる京丹波町の方に移住しました。
京丹波町、京都市についてイメージが強い方からすると、どういうふうに説明しましょうかね。
京都市からさらに北にどのぐらいってある場所になりますかね、今いらっしゃるところは。
そうですね、時間にして1時間半ぐらい北上するんですけども、場所で言うと京都府の形を思い浮かべていただいて、
ちょうどど真ん中ぐらいにあるのが京丹波町、京都のおへそとか言われるんですけど、これが京丹波町です。
めちゃくちゃわかりやすい説明ありがとうございます。ラジオ聞きながら初めて聞くなみたいな方はぜひですね、
Googleマップを片手にちょっと調べてもらうといいのかななんてことを思いましたが、それが2016年ぐらいの話でしたかね。
そこで無雇用士として入られて、関西の大手メーカーで勤められたので、通いながら働いていらっしゃってということですよね。
最初の方におっしゃっていたのが、10年間働いていらっしゃってということなので、その会社から卒業を考えるきっかけが何かあったのかなと思うんですけれども、
どんなことがあって次のキャリアに進もうかなっていうのがあったんですかね。
それは、京丹波町に移住した理由にもちょっとかかってくるんですけども、なぜ無雇用士になってまで京丹波町に移住したのかっていうところをまず説明させていただきたいんですけども、
ちょっとね、こっぱずかしい話になるんですけども、京丹波町というよりは、京丹波町の中の村なんですけどね、
尾長野区っていう村なんです。おっぽの尾に長野県の長野と書いて尾長野っていう村なんですけども、そこが実は妻の出身地です。
妻からしたら里帰りにはなるんですけども、なぜそこに住もうと思ったかと言いますと、妻の性格がね、すごく優しくて純粋で素直な子なんですよ。
お付き合い始めた頃から、どのような環境でこの子は育ってきて、今の彼女の形があるのかっていうのを少し気になって、お付き合い始まってから何度か妻の実家と言いますか、尾長野っていう村の方に何度か遊びに行ったりとか、
地域の皆さんとちょっと交流したりとかするうちにですね、この環境とこのご両親があって、なるほどなって納得する部分があったんですよね。私もこの地域で子育てがしたいなと思って、距離はありますけども移住しようというのを決めました。
めちゃくちゃいい話じゃないですか。いい話でしょ。温めてました。全然恥ずかしくないです。自分が居心地がいいなとか、いいなと思えるような尊敬できるみたいな言葉の方が合うのかなとか聞きながら思ったりするんですけど、そういう人がいて、そういう人が集まっている地域であって、そこの京田馬町の尾長野に惹かれてっていうところもあるんですね。
そこから、じゃあ、移住ももちろんですけど、転職をするっていうのは、これまた通うのが難しくなったとか、なんかそういうのですか。
そうですね。やっぱり片道何時間かかってたのもありますし、あとちょうどね、その勤めてた自動車メーカーの方で転勤の話とかもあって、同じような時期に。
それぐらいの時期にですね、私もせっかく尾長野に移住したので、その地域に根差した生活がしたいなというふうに考えてましたので、できれば自宅で働く、リモートワークって今結構広がってきていると思うんですけども、そういう働き方をしたいなと思って、転職を考えました。
天職に向けて具体的にどんな行動というか活動というかを始めたんですか。
そうですね。当時はまだコロナ禍でもなかったので、あまりリモートワークっていう言葉も広がってなかったんですけども、妻がもともと自宅で個人事業主として在宅ワークをしているものだったので、自分もそういう働き方ができたらなと考えて、
自宅でできる仕事と言いますと、やっぱりウェブポニャララみたいなウェブライター、ウェブデザイナー、ウェブエンジニアとかがあるんですけど、その中でもウェブコーダーと言いますか、エンジニアの方を目指したいなと思って、1年ほど独学でコーディングの勉強をして、ウェブ製作会社の応募をしたという形になります。
なるほど。実際に転職をされたのが2019年というふうに伺ってたんですけれども、デザイン担当として入社をされたんですかね。
そうですね。初め任された仕事が代理店関係のデザインの仕事だったんですけれども、あまり自分にあってなくて、デザインの勉強というのを独学でやってこなかったので、やっぱりやりながら学びながらだったので、なかなかうまくできない期間長かったんですけれども、
そこのウェブ製作会社の社長がですね、「田中くんは話すの好きやね。」っていうのを見抜いてくれまして、そこからはディレクション関係の仕事をさせていただくようになりました。
それはあれですかね。在宅でしながら。
そうですね。初めの1ヶ月ぐらいは研修期間ということで、会社の方まで出社してたんですけれども、それ以降はフルリモートでしたね。完全にリモートワークでした。
なるほど。最初は働き方みたいなところに惹かれてというところはあったと思うんですけれども、どうですかね。まったく異業界、異業種じゃないですか。実際にこの2社目のところですよね。働いてみて、どんなことも学んだりであるとか、ここが正直難しかったよみたいなのって、どんなエピソードがあったりしますか。
そうですね。働いてみて感じたのは、意外といけるなっていうのは思いましたね。初め、転職する前はやっぱり大企業から中小企業だったんで、大丈夫かなっていう不安がすごく大きくて、ウェブ業界の打ち込みとか、めっちゃ調べたりとかして、ほんまにこの方向に舵を切って大丈夫なのかって悩んでる時期は結構ありました。
あったんですけども、いざ行ってみれば、結局仕事相手も人間なので、全然なんとかなります。全然大丈夫です。
すごく大事ですよね。このエリアにいる人とかも、もちろん地域だったりとか年齢とかも、本当になんかいろんな環境、バックグラウンドによって人ってやっぱり違ったりはするので、多分この早々業界に働いている云々は関係なくて、なんかその人ってどんな人なんだっけと、まずそこを知ろうよと。
なんかそこの部分の価値観がやっぱり大事だよねっていうところが気づかれたところ。
そうですね。もう全然違いますね。
ありがとうございます。なんかこれは業界問わず、これが未経験で入るものであったりとか、異業界、異業種で働くっていうところになっても、すごい重要なところなのかなっていうことは感じました。
ちょっと系統を変えて、京丹波町でのこの日々の暮らしですよね。
なんかそこもぜひ伺いたいなと思うんですけども、暮らしておられる尾長の、なんかそこってどんな特徴を持った町なんですか?
町というか村というか集落みたいなところで、世帯数でいうと20世帯ぐらいの村で、
家と家の間隔はだいたい数メーターから数十メーターあるどい中です。
コンビニまで車で15分とかかかるところで、ただ山の中ではなくて、わりと周りが田んぼばっかりで開けてるような雰囲気の場所になります。
年齢層は60代以上、60代から80代がボリュームゾーン。
30代は3人ぐらいしかいないですね。
なるほど。なんか時々この田舎暮らしをしたい人みたいなので、ネットとかで調べるとあまりにも狭いから噂が何でも広まってしまって、めんどくさいみたいな出てきたりすることもあるんですけど、そういうのって実際あるんですか?
いや、それがね、私の地域、私が住んでる地域はそんなこともないかなと思ってまして、
私がリモートワークしてる期間、ずっと自宅にいて、毎朝妻と一緒に村の中散歩してたんですけども、リモートワークを始めて1年ぐらい経ってからですね、村の方から、
あいつ噂くん、仕事してへんの?みたいなことを言われまして、いやいや、私は家で仕事してますよ。全然広がってなくて。
なんか知らんけどずっと散歩してるなみたいな。いやいや、仕事してますよみたいな話をしてるんで、そんなに噂話が広がるみたいなこともないかなと。
そうなんや。やっぱり噂というか、口コミだけを信頼してはいけないなというのが一ついい事例だったのかなと思いながら。
そうですね。話題にもよるかもしれないですね。もっとお年寄りが好む話題やったらすぐ広がるのかもしれないです。
そういうことですね。日々の暮らしみたいなところでいくとどうですか?食の部分であったりもそうですし、あとは住居とか季節の感じ方とか、そのあたりの暮らしについてはどうですか?
食に関しては、この尾長野区という村に住まれている方のほとんどが兼業農家です。私も兼業農家です。
そうなんですか。
はい。なので稲作してますし、有名なところで言うとタンバグロの枝豆。
食べました、最近。
やってます。
そうなんや。
よく口コミで聞く、近所の人が野菜を持ってくるみたいなこと。これは実際あります。
なるほど。
ありますし、うちでいっぱい採れたかぼちゃ。以前もらったから白菜の苗持って帰ってみたいな。全然あります。
我が家で言いますと、母が毎年かぼちゃを作りすぎるので、もう押し付き合いですね。かぼちゃの。そんないらんでっていうぐらい周りの人に配ったりとかしてますね。
食で言うと、そうですね。なので旬の野菜っていうのは必ず食べますし、お米もたくさん採れますので、大体が農協の方に収める形なんですけども、もう何年も暮らせるぐらいのお米が一気に採れるような形になってます。
食がめちゃくちゃ豊かですよね。
そうですね。
今働いてはるところが、それこそ言ってみたら京都市でも都会と呼ばれる、本当に都心部のところだと思うんです。
そことの違いみたいなところもそうですし、通勤をしての気持ちの変化ってあるんですか?都市部に出てきて田舎部に帰るって、両方も毎日体験されてると思うんですけれども。
それで言うと、田舎の夜は暗いですね。街灯が少ないので。あと季節の変わり目とかですと、やっぱり虫がたくさんいます、田舎は。どうしても入ってきます、家の中に。
もうあんまり動じなくなるんですけど、それは慣れで。
ムカデとか、寝てる時に顔の上にカマキリが乗ってたこともあって。
カマキリって乗るんですね。
カマキリ乗りましたね。
布団の中にムカデが入ってたこともありますし、虫が苦手な方はちょっと難しいかもしれないですけど。
でも徐々に共存していくっていうのもそうですけど、それこそ尾長野がもちろん奥様のご実家というか、住み慣れたところっていうのはあると思うんですけれども、これからもやっぱり住み続けたいなって思える場所ですか?
そうですね。長く住みたい場所だと思います。やっぱり癒しが多いですね。やっぱり静かですし、干しは綺麗ですし、やっぱり緑が多いし、安心して子供を育てられる環境だと思います。
なるほど。
なんかこれからみたいなところでいくとどうですか?それこそ尾長野に住まれてでいくともう8年目、9年目ぐらいになるんですよね。
はい、そうですね。