どちらかというと、自分のほうはあんまり表現じゃなくて、とにかく行動で何かを示そうっていうね。
いろいろ旅したりとか、やばいところに行ったりとか。
日本で感じられない、私を身近に感じる場所とかにいろいろ行ったりとか。
ブルンクスとかインドとか、ユメクラビアとか戦場みたいなそういうところを見たいとかいうことをやってた20代の青春時代があったんで。
じゃあ起業される前はバックパッカーみたいな感じでいろんなところに行かれたりとか?
チケットだけ買って、とにかくあっちこっち回ると。
何らか危なそうなところを選ぶっていう感じだったんですか?
とにかく危ないところにこっち来る。
日本で味わえないような。
本とかそれまで読んだことなかったんだけど、
友達として文学生でいたもんで、
その本棚にいるのを勝手に3冊持ってきたわけよ、そのときで。
そのときにオエ・ケン・ザブの我々の時代かな。
ダダイの人間失格と金閣寺と。
有名そうだからこれもらっていくわって言ってもらって。
やっぱり荷物少ないんで漫画持っていくと重いから、これは持つなと思って、
この3冊をもとに旅に出たっていう。
っていう感じで、そこから読み始めたという感じで。
以前にチラッと目にかかったときに小説読むんだったら、
なるだけクラフト重い小説がいいっていう噛み寄せもしてあったんで。
それはすごく印象的だったんですよね。
ダダイとかミシマとかって。
そのときもちょっと名前挙げられてましたけど。
よく覚えてるんだ、だいぶ昔の。
印象的でした。
そのときに。
だから逆に言うとそういうのとか本当にロフトエスキーとか。
なんか当時ってすごくほら、
たぶん俺らの時代って、ちょっとそういう学生運動とかの次の世代。
熱い時代を知らなかったからさ。
なんとなくちょっと憧れもあって。
で、そういうのを読んでいく中で、
むしろ逆に言うとそれを読んで30歳くらいまではそんなに読んでたんだけど、
そっから全く読まなくなって、それから毎日読んで。
もう属性今まみれてるんだけど。
今でも4年に1回ぐらい一人旅するんだけど、
昔に比べたらあんまり行かなくなってしまって。
今の旅もそういうあんまり人の行かないようなとこに行かれるんですか?
うん。特にあてもなく。
チケットだけ買ってっていうので、
なんかぶらぶらと旅、どこも行かないでぶらぶらしてるだけっていう。
そうですか。
でも今は立場が違うんで、社員とか心配するんじゃないですか。
そのとこ行かないでくださいとか。
でもね、社員はね、昔は本当にね、
給料みんなに分けていいから行くって言って喜んで行かしてくれたし、
最近はもう会長だから、
仕事増えなくてみんなのびとみやれていいみたいよ。
そうですか。
で、今回ちょっと、
そういう中でね、それ以来ずっと本読んでなかったんで、
そう覚えて、そのとき平井さんに本もらったんだけど、
まだ読んでない。すみません。
まあそのうち。ぜひ。
で、昨日ある男とか映画見たりとか、
ちょっとYouTubeの対談とかをごろっこ見せてもらって、
ありがとうございます。
で、その中で、いろんな文人の考え方とか、
ある男とかがいろんなこと言ってきて、
話しやすそうだから大丈夫かなみたいな。
ちょっと心配されてますね。
いや、たぶん三島由紀もね、生きてたから、
たぶん、実際話すと難しいこと書いてるけど、
たぶん平井さんみたいなキャラっていうイメージがあるんだよね。
そうですね。実際三島と親しかった人たちがまだ結構、
僕は昨年デビューしてからご存命だった方多くて、
今でもお元気な方たちいらっしゃいますけど、
みんなすごく懐かしそうに楽しそうに、
その思い出を振り返るんですよね。
で、やっぱりコミュニケーション能力が非常に高くて、
相手ごとにやっぱり結構いろいろな三島を生きてたっていう感じでもありますし、
会えばすごくいろんな話をしてくれた人なんじゃないかなっていう気がしますね。
でもどうなのかな。
俺なんかは結局そういうのって、
あこがれって言ったら変だけど、
そもそも俺は温泉場に生まれていなかったね。
川温泉駅に生まれて、
家がひゃばりとかやってたから、
で、住み込みの女の子いたりとかね。
そういう風俗っぽい世界なんだけど、
一方で親からの愛はすごく受け入れてきて、
俺の中にあんまり闇がないって言って変だけど。
そうですか。
めっちゃ高いね、これ。
で、周りのやつらがすごく愛やつらをいっぱい見てきたから。
でも平野さんの本の中でもそういったことを結構重視してるなと。
俺はどちらかというと自分にないけど、
周りが闇だらけのやつがいっぱいいたっていう。
そうですか。逆なのかと思ってました。
自分の中にいろいろあるのかなって勝手に想像したんですけど。
多分いろんなものは見てきたんだけど、
勝手になる分が結構そういったしっかりとした愛情をもらってた。
平野さんの場合はどうなのかな。
僕もやっぱり結構家族とか親類に愛されて育ったって感じがしますね。
特に父親が早く亡くなったんで、やっぱりかわいそうだって言うんで、
親戚とかからも、祖父母とかからもかわいがられましたし、
母からも愛されて育った方だと思うんで、
そういう意味では家族から阻害されてとか虐待されてとか、
そういう意味での暗いものとかっていうのは自分の中にない気がしますけどね。
ただ僕も北九州出身ですから、
いろいろややこしい事情を抱えている友達とかも周りにいっぱいいましたし、
それなりにそういう環境の中で育ってきたとは思いますよね。
あとはやっぱり、
そういう意味では家庭環境は割と恵まれたと思うんですけど、
父親のこと以外は。
ただそれでもなんかやっぱり学校とか行くと、
社会適応が難しいって言うんですかね。
みんなが喋ってる話と自分の思ってることとか合わないなみたいな、
っていう中でだんだん孤独を感じるようになってて、
そのときに文学とか音楽とか僕の場合はすごく大きな存在だったんですよね。
なるほどね。
でも逆に言うと自分の中ではそこまで、
よく作品とか見ると格差とか差別とか、
そういったことが結構お互いっていうかな、
根底にあるみたいな気がする。
まあその辺は神山さんとちょっと近いかもしれないですけどね。
周りにやっぱりすごくそういう格差とかもありましたし、
あとはさっき世代の話されてましたけど、
僕はいわゆるロスジェネとか言われてる世代なんで、
やっぱり自分の同世代の中にすごく格差が開いちゃって、
就職のタイミングとかで友達とかもすごく苦労してましたし、
そのことはやっぱり同世代の人間としてずっと、
やっぱり気に入り続けてることですよね。
だからそうなんだよ。
周りのやつに複雑なやつって、
外国籍でアルゼンチンが戦争になって戻んなきゃいけないかなとか、
あとヤクザの親がいたりとか、
そういうやつが多かったんで、
逆に言った人間たちのほうが大人っぽいから、
自分がそういうことを知らないと浅い人間みたいな気がしてた。
そこにコンプレックスを感じてたのがあったんだよね。
そこに深く入ってかなかったって言いたいんだけど、
絡まらなかった、あの闇に。
そうですね。
だから表現者はやっぱり自分の内側から、
自分の中の問題と向き合ってそれを表現していくってことはもちろん一つあると思うんですけど、
やっぱり友達について描くみたいな距離感も重要だと思うんですよね。
やっぱり当事者が全部自分のことを表現できるかというと必ずしもそうではなくて、
自分はもう例えば文書を書く能力もないし、
自分のことは精一杯だけど、
誰かに理解してもらいたいって思いを抱えてるみたいな人はたくさんいるし、
そういう人たちとの関わりの中で何か書くべきことが見えてくるってこともあると思うんですよね。
だから自分の問題と井上の問題っていうのは混ざり合ったようなあたりで、
やっぱり何が書くかってことを考えてる気がしますね。
そういった意味でヘナさんと共感してるって変だけど、
意外と自分は育ちの悪い環境の中で自分の家庭環境が意外と育ちが良かったみたいな。
まあそう言っていいと思いますね、僕の場合は。
俺もそういう側になったんで、その目線から見ると、
自分がその中にグッと入っていってない。
逆に客観的にさ、物語にできたりするのかなとか。
そうですね、あとやっぱり構造的な問題に見えますよね。
一方で非常に貧困家庭があって、一方で結構裕福な家があってとかいうことの、
淡い友人関係とかを通じて行ったり来たりしてると、
やっぱり自己責任じゃなくて、社会構造の中からこういうふうなことになってるとか、
っていうことをやっぱり考え出すっていうところはある気がしますね。
だから本当にある苦しい境遇の底の底で固定されてしまっていると、
なかなか本人もこれは社会の問題なんだって見えにくいところがあるかもしれないですけど、
僕の場合はその両方のところを行ったり来たりしてるようなところで
考えてることっていうのが結構ある気がしますね。
それを表現で小説化するっていうのと。
俺なんかどっちかと、ヤンキーたち雇って、
こうやってやってけーみたいなプログラムとかってやらしてたんだよね。
今からビデオレンタルのアルバイトにとにかくプログラムやれとか。
だから多分表現っていうか、行動が違ってるだけだけど、
本編が似てる気がしたからちょっと面白いと思ったんだよね。
だいたい亀山さんの周りにはそういうふうに人が集まってくる感じだったんですか?
人が集まってくるような感じだったんですか?
そうだね。そういうやつらが昔から身近にいたから、
逆に言うとヤンキーたちの親分って言ったら変だけど、
そいつらにとにかくこうやってけーみたいな仕事をさせてたのはあるかな。
中には金を盗むやつもいたりとか、家庭が複雑なやつもいたら、
いろんなやり取りしていくわけじゃない。
どう見ても自分が手が届かないっていうときも感じたりするし。
また一方で、かといって憎めないなみたいな。
意外と最近はそうやってたら会社が大きくなってくるじゃない。
そしたら結構いい子たちとか大学大卒年生とかエリートが東大とか入ってくるわけ。
するとなんとなくまたちょっと人種が違ってくるんだけど、
それでも格差で言うと上のほうのやつらが意外と付き合いが多くなってくる。
社長とか。
意外とそんな変わんないなっていうイメージがあって。
平野さんの中でよく格差って問題だと思うんですけど、
経済的な格差以上に、エリートの場所でも親との関係がうまくいってないのもいるし、
ITの中でも結構会場に恵まれてたやつもいたりとか。
そうですね。
あんまり強いじゃない、ヤンキーのほうがむしろ。
僕は文学の世界にいるんで、どうしても小説が必要で、
本を読みたいとか、そういうのを読んで、
作家である僕になんらかの関心をせって持つような人たちっていうのは、
ある意味似てるっていうんですかね。
そういうふうに考えてる問題があって、それに対する見え方があって、
その話を誰かとしたいみたいな。
っていう点では、わりと日本だけじゃなくて、いろんな国に行っても、
文学好きの人たちのコミュニティって、
見方によってはちょっと面白くないぐらい、わりと相通じるところがあるっていうか。
そういう意味でいうと、その中には元々家がお金持ちの人もいれば、
お金なかった人たちもいるんだけど話は通じるみたいなところがあって、
その外側にはもっと自分の話は通じない人たちもいるとは思ってますけどね。
でもやっぱりその中では、例えば小説からさ、
あんまもし読めないやつ伝えようと思って、
例えば漫画家になろうとかそういうのは思わなかった。
え、何になろうとですか。
漫画家とか。
漫画家はやっぱ絵が上手くない人じゃないですかね。
漫画家っていうのもありますけど、
あと、僕少年ジャンプとかの黄金時代の小学生とかだったんで、
よく読んでましたけど、
途中で小説とかが好きになってあんまり読まなくなっちゃったんですよね、漫画を。
それ以来、なんか習慣的に漫画を読まなくなっちゃったんで、
あんまり漫画家に憧れるってことはなかったんですよね。
なるほどね。
そうかそうか、俺30歳見たらもう漫画ばっかり読んでるようになっちゃった。
読めばいいと思うし、いっぱい名作とかあると思うんですけど、
ちょっともう今自分でやってることが手一杯すぎて、
漫画まで手を出し出すといろいろ収集がつかなくなるんで、
漫画とかアニメとかで見るべきだとか言われてるもの、
ちょっとあえて見てないところもありますね。
エッセイとかも結構やるんですか?
そうですね、あんまり味わい深いエッセイっていうよりも、
割とちょっとこう、いろいろ考えて書くようなエッセイのほうが多いですけど。
ニュースピックスとかでもよくコメントとかピックとかしてくださってますよね。
そうです、あんまりコメントちゃんとしてませんけど、
ピックアップぐらいはしてますけどね。
純文学っぽい書き方してないんですか?
全然それはもう、あんまりちゃんとコメントしてないんで悪いなって。
でもやっぱ結構社会課題関係だとビジネスだと、
いろんな技をピックされてらっしゃるので、
結構文学の方って意外とニュースピックスなのだとそんなに多くはないので、
ヒアンさんこういう視点でいつもいろいろニュースピックされてるんだ、
みたいなことは思ったりしてみてます。
やっぱり世の中の変化があまりにも大きいですからね。
結局作家も読者もその世界の中で生きてるので、
それはやっぱりちょっとフォローしていかないと、
小説書くの難しくなっちゃうので、
結構よく見てますけどね。
テック系の記事は興味もありますしよく見てますね。
まさに亀山さんもそこらへんをフレンズさんとお話しされたいっておっしゃってましたよね。
テックの話題だったりとか。
テックとかで今からさっきAIとかも入ってくるじゃないですか。
AIを学べば、結局人はそもそも何なんだ、
起こさないとできないような課題になってくる。
世の中もAI化を進めれば進めるほど雇用とか守りきれるのかなと思うわけです。
経営者としてどう生きればいいかとか、
最近ちょっと夜も寝れないような狙いだけどね、ときどきね。
今までってまだ時間もある程度、
でも何年間かかけて、
例えばビデオレンタルがなくなったら3Dプリンターに貸そうとか、
DVD売ってたやつが売れなくなったら最悪売らせようとかね。
ビジネスの転換ができてきたんだけど、
そうやって雇用とか売るもの変えて続けようとしてきたんだけど、
ここから先がスピードが速すぎてさ、
ロックイヤーじゃなくてマウスイヤーぐらいの速さだから、
今のいる人間たちがここから先どうすればいいかとかね、
DMマッサージやろうかとかね、DM介護してやろうかとか悩んでるぐらいに。
それはやっぱり社会が変わっていくときの一番大きな問題ですよね。
例えば車でEVへの転換がなかなか進まないっていうのも、
やっぱり来年期間をめくる職種がものすごい大きなサプライチェーンがあるから、
じゃあその人たち全部EVの工場で働くように転換できるかっていうと、
やっぱり簡単じゃないですし、
そういうことがあらゆるところで起こっていって、
会社も合理化でAIとか導入すればするほど、
今の従業員どうするのかっていうのはリアルな立場ですごく悩まれるだろうなと思いますね。
特にホワイトカラーとかさ、かなり今からしんどいわけよ、ブルーカラー以上。
そうですね。
最初はやっぱりロボットとかでブルーカラーのダメージ受けるとか言われてましたけど、
結局なんていうか今のJetGPTみたいに、まだまだ精度には問題ありますけど、
やっぱりパターン学習がすごく得意とかっていうような機械だと、
例えばMRIとって人間の体の中でどこにガンがあるかとか、
ああいうの画像診断なんていうのはもう機械の精度が高くなっていくっていうのも目に見えてますからね。
全部任せきりっていうことはできないと思いますけど、
やっぱり部分的には相当いろいろなことが取って変わられるんだろうと思いますしね。
クリエイターとかライターとかいろいろ。
いろんな、税理士とか弁護士とかいろんなものも全部影響を受けるっていう。
そうですね。
小説家もやっぱり結構その問題には直面してると思うんですよね。
だから大体ネットが登場した段階で、昔は紙の本だと程よく絶版になっていって、
手に入らなくなっていくんで、現代作家のものを読むしかないっていうところがありましたけど、
今はもうネット上で全部デジタル化されちゃうと、昔の名作とかもずっとネット上に残り続けるし、
あと世界中でやっぱり膨大な数の本が毎年出版され続けてるんで、
当然時間の消費ってことで言うと、現代作家のものは読まれる割合は小さくなっていく中で、
ああいうAIもそこそこのお話とかを書くようになっていった時に、
単純に競争は増えると思うんですよね。
その時に本当にみんながただコンテンツだけ消費してきてたのか、
やっぱりその作家性というか、あの人が書いた話だから読みたいっていう部分が結構大きかったのかっていうのが、
割と見えてくるんじゃないかなと思ってて、
やっぱりなんか、あの人が書いたからっていう部分を批評とかでは無視して、
作品自体を評価しようって動きもあったんですけど、
なんだかんだであの人が書いてるからっていう部分は割と大きいんじゃないかなって気はしてますけどね。
なるほどね。
平野啓一さんが書いてるから、
例えばそれを真似してないAIのやつができたとしても、
ちょっと違いを感じるみたいなことになるってこと?
僕という作家性っていうのがやっぱり重要なんじゃないかなって気がしますけどね。
話としてはこっちの方が面白いけどみたいなものが出てくるかもしれないですけど、
それだけで満足するかっていう。
それもあると思いますけどね。
やっぱりあの人が書いたからっていうのは、
例えば大江さんとか大江健三郎さんとかなくなりましたけど最近、
大江さん風のものをAIは書いていくかもしれないけど、
それ読んでなんか楽しいのかなっていう微妙に。
確かになんとなくそれっぽいけど、
新しいものをやっぱり生み出していけないっていうか、
やっぱり学習ですから基本的に。
そこがAIはちょっと問題だと思うんですよね。
なんか過去のものを学習してなんかそれっぽいものを作れるけど、
じゃあ新しいものを全く作ったときに、
今度は読み手の側がこんな大江健三郎が書くはずないみたいな。
でもご本人はまた一作ごとに新しいものを書いていくわけだから、
その新しいものを作り出していったときの関係っていうのはちょっとやっぱり
違うんじゃないかなって気がします。
確かに昔使った言葉をうまくまとめて編集みたいに、
まとめる覚悟をまとめるしかできないからね。
そうなんですよね。
新しい平田さんの頭の中にあるものを、
毎年進化していくところがあるわけじゃないですか。
そこはまあ学習しようがないわけだからね、未来が。
だから2番戦時3番戦時的なものは相当うまく作っていけるようになるとは思うんですけどね。
なんか時代を作るみたいな作品になると、
なんかいろいろ作ると思うんですけど、
ある人の作家が書いてると、
なんかあの人がまた新しいことやり始めたっていう風に受け止めますけど、
AIがいろいろ作ってる中でなんか珍しいものは出てきたときに、
その受け止め方っていうのはちょっとこう、
戸惑うんじゃないかなって気がするんですよね。
確かにね。でも小説とかは確かにそう思うよね。
でも今グラビアとかだと、結構見た目だけの綺麗な子っていう。
写真集が結構もう、うちらのベスト10の中に何回か入ってくるの、AIが。
いやーなんかAmazonとかでもそのAIの女の子の写真集みたいなのが、
ものすごい数で増殖していってて、
ちょっと見た目本当に普通の人間と変わらないようなものから、
ちょっとまだAIAIしてるなっていう感じのもありますけど、
現状であれぐらいのクオリティだったら、
もう実際なんかインスタとかのフェイクっぽいようなアカウントとかで、
すごい綺麗な女の人がいっぱい写真載せてるのとかも、
割とAIがたくさん紛れ込んでると思うんですよね。
そうだね。本当に時々世の中にお友達になりたいですね。
そうそうそう。僕にとかも来ますけど。
昔は適当に綺麗な人の写真とか拾ってきて、
貼っ付けてるのかと思ったんですけど、
最近これAIなんじゃないかなみたいなの結構ありますね。
そうだね。手を振った写真を送ってって言ったら、
送ってくれるだろうからね、たぶんそれはね。
その通り指示を出せばね、手を振ってる写真とか言えば、
生成してくれるっていうのはね、あると思うんで。
でもそういう中でフェイク的なものがいっぱい混ざってくるわけじゃないですか。
辿り着くのが困難な時代でもあるよね。
つまり、さっきの話で言うと、もちろん元々漫画でも何でも、
もちろんちゃんとしたものは売れてるんだけど、
ベスト10とかに入ってきたりする段階で、
そこの差がわからなくなってきて、
販売機械を侵占とか市場を奪われたりするのもあるんだけど。
そういうときっていうので、結構厄介な時代だなと思って見てるわね。
そうですね。あと日本の場合、少子化っていうのがあるから、
国民総時間っていう概念を提示した人がいますけど、
要するに24時間かける人口っていうのが、
その1日の国民総時間で、
人口が減れば当然国民総時間が減って、
国の総労働時間が減るのと同じように、
コンテンツ消費のための予算っていうものが、
総時間が減っていくっていう話で、
コンテンツの数自体はAIも含めてますます増えていくと思いますけど、
肝心の受け手の側のその時間っていうのはどんどん国単位で減っていくので、
どうなるとやっぱり、
その中でどう読まれるのかというのは競争になっていくと思うんですけど、
AIが作り出すものは実質的に結構人間が書いてるものと同じだからそれでいいじゃんっていう
考え方も結構広まると思うんですけど、
同時にだからこそ、
リアルなものを求めるみたいなのもあると思うんですよね。
だから絵とかもネット上でモナリザとかいくらでも見れるんだけど、
ネット上でその複製を見てるからこそどうしても本物のループル美術館まで見に行きたいみたいのがあって、
だからそのAIで生成される、
例えば女の人の画像とかいろいろ、
広まれば広まるほどますますリアルな人の価値っていうのが上がっていくっていうこともある気がするんですよね。
だからネットが登場して、
YouTubeとか出た時にもうコンサートとか誰も行かなくなるでしょうみたいなこと言った人結構多くて、
これだけ世界中でライブやってるのもただで見れるんだしって言ったけど、
結局音楽産業はむしろその体験重視の方に行って、
レコードとか売れなくなってもコンサートの方の収益が上がっていくみたいになってるんで、
リアル需要はある意味では刺激されて余計に強くなるんじゃないかなって気もするんですよね。
確かにリアル需要に関してはむしろ映像のほうは広告媒体になって、
飯はこっちで食ってくるよみたいなリアルで世界にはなってきたところがあるじゃない。
さっき言ったようにブランド的なもので言うと、
例えばディズニーとかが映画使ったりCG使ったりしても、
ディズニーのプレゼンツのものなのはあると思うし、
そういったようなプラトーンのキュレーションがちゃんとされてるものが
残ったりとかっていうのもあるかもしれないかなと思う。
平野さんの、例えばさっきのアルタナシアトーター、
いろんな国で翻訳されるじゃない。
翻訳っていうのは、訳自体はどこかのプロに任せて丸投げしちゃうものなの?
それとも、自分の中で、
例えば英語は多少わかるけど、フランス語とかも。
基本的には出版社がやっぱり決めるんですよね、翻訳者って。
ただ、翻訳者が持ち込んで成立する企画もあるし、
そういう中で、日本文学の翻訳者って名のある人たちはやっぱり
ある程度顔ぶれが決まってるとこもあるんで、
ちょっと取り合いみたいになってるとこもありますし、
代々さんに今度訳してほしいとか。
今はネットとかあるんで、結構翻訳途中でここがどうしてもわからないとか、
翻訳者から直接連絡が来ることとかもありますし、
質問に答えたりして、出来上がったもののクオリティは、
僕は英語とか読めますけど、
本当の英語としてのクオリティとかニュアンスとかまでは正直言うと評価できないんですよね、能力的に。
もっと全然わからないアラビア語とかもありますから、
そういうのは読んでくれた人の評判から判断するしかないですよね。
自分ではコントロールできなくて。
だからあの人の翻訳良かったよっていう人が多ければ、またその人にできたらお願いしたいし、
ちょっとみたいな話だったら変えなきゃいけないみたいな感じですかね。
俺の知り合いの人が本出すときに、結局チャットGPTで翻訳させたと。
結局その翻訳の仕方も命令の仕方が大事で、
自分がこういった作家と経路が似てると言ったら、
この人風に書いてくれとかって言われて、それで中国語でやってくれとか。
やると中身がね、普通の直訳じゃなくて戸田成子がちゃんと理解してやったみたいで、
自分が尊敬する、例えば海外の独特性好きみたいな、
あえて考えてくれとかって言うと、
意外とそれを理解して、考え方で翻訳してくれたりとか。
そういった使い方、日本での小説家も使うような気がするんだよね、今から。
そうですね、音楽のポストプロダクションじゃないですけど、
出来上がったものの最終的なアレンジみたいなのを書き上がった小説を投げ込んで、
何風に仕上げてほしいとか言って、最終的なニュアンスの調整するとか、
翻訳でもそういう使い方をするっていうのは、今話を伺うまであまり考えませんでしたけど、
確かにそういう利用のされ方はあるかもしれないですね。
それが意外と検証できないじゃないですか。
よくわかんない、モンガル語でやられたとしても。
そういった中のほうが、たまたま出版社が選んだ翻訳家よりも、
そっちのほうがもしかしたら自分の意図に沿うものになる可能性はある。
つまり、文学をちゃんと伝えてくれてるとかね。
文学、翻訳、機械翻訳って昔は全然話にならないって言われたのが、
やっぱりディープ・エールとか出てきて、結構よく訳してくれるってところから、
でも文学だけは機械翻訳では無理だろうっていうのは、
最後の砦みたいな感じでよく言われることはあるんですけど、
今のところはね、僕もまだ自分の作品を機械翻訳で出すっていうのはとても怖くてできないんですけど、
もっとビジネス書とかそういうレベルから機械翻訳で出すっていうのは進んでいくと思うんですよね。
結構、欧米の書店とかに行くと有名人の辞書店とかよく棚に並んでて、
ああいうのってやっぱりよくできてるんですよね、本として。
すごく読みやすいし面白いし、ああいうのを書いたときにベストセラーになってる本を参照して、
ああいうスタイルでちょっと翻訳してほしいとか書き直してほしいとか言う。
編集者みたいな、編集者プラスアルファゴーストライターみたいな使い方をするようなことももしかしたら出てくるかもしれないですね。
でも文学になると、それってすごく伝わりにくいような話だと思うんだよ。
辞書店というか事実だけどんどん出していくのはそれは難しくない気がする。
そうですね。
いや難しいです。だからやっぱり文学作品も翻訳のおかげですごく世界的に広まってる作品もあれば、
翻訳がダメなおかげで全然受け入れられなかったっていうことも現実的には起きてきてるんで、
ずっと起きてきた歴史なんで、そのラッキーだったかアンラッキーだったかみたいな話が今後機械翻訳でどうなっていくのかなと。
ちょっとねよく見えないところもありますけど、でも機械翻訳もだんだん導入されていく気がしますけどね。
少なくとも部分的に導入して後で人間が手を入れて全体を整えるみたいなことは割と起こっていく気がしますし、
実際大学とかでも自分の読めない言語のDPLで翻訳して参考文献として引用するとかいうぐらいのことはもうちょっと起こってきてるみたいですね。
多分自分の文学はそこに委ねるのはないと思うんだけど、翻訳に関したら意外と短い。
もしかしたらAI版と何とか100版で出だしたら、そっちのAI版の方が書きますかとかわからないけど感動しましたっていうことが起きる可能性は結構近いような気もしてて。
あとやっぱり海外の読者の側がどうしても読みたいけど翻訳されてないものっていうのを自分たちでもGPTで訳しちゃって読むっていうことは普通に多分起こりますよね。
僕とかでもやっぱりドイツ語とか読めないですけど、DPLとかで部分的に翻訳してこういう話かとか言って今でも見たりもするので、それは今も今後もどんどん起きてくることだと思いますね。
そうするとそもそも翻訳、チャットGPTとかで翻訳して出すって以前にも、それぞれの読者が勝手に翻訳するんで、翻訳書自体を出す必要がないみたいな極論も出てくると思いますけどね。
でも多分それって指示自体が、それぞれすごく浅い指示が出てきた。
やるぐらいならむしろ自分で指示を与えたものを作品にした方が、こんなの読まれたくないと。それをもうちょっとコメディ風に言われても困るんじゃないかと。
そうですね。
プリントが全然違うからさ。
そうですね。
今の中で言うと、そういった小説を書きながらも、いろんな社会との兼ね合いとか、政治的な話とかも講演してると思うから、
たぶん今の現代社会とか未来のテクノロジーとかを混ぜたような本も書いていくと思うんだけどね。
今、俺が特に興味深かったのは、いろんなコミュニティの出会いの中では文人というか。
後編ではその辺の話を踏まえて聞かせてもらえたら嬉しいかなと思います。
お願いします。
また次回よろしくお願いします。
ありがとうございました。