J-POPの源流:社会派フォークソングの世界へ
さて、4月の最終金曜日ということで、学ぼう社会のカギは恒例の、この歌詞が凄い、なんですけれども。
先月まではですね、今年70歳、故期を迎えたレジェンドシンガーの代表曲を紹介してもらっていたんですけれども、
今月からは、さらにその上の世代ということで、レジェンドの上ですから。どれだけレジェンドよっていうね。
どういう人たちがいるんでしょうね。楽しみですけども。
元サンデー毎日編集長、潟永秀一郎さんです。
潟永さん、おはようございます。
はい、おはようございます。
その上の世代にもですね、たくさんいらっしゃるんですけれども、
今回はその中でもですね、今に至るJ-POPの原点、源流ともいえる方々の歌を紹介したいと思います。
まずはこの歌からです。
詩はですね、戦後日本を代表する詩人、谷川俊太郎さん。
で、曲は、こちらも戦後の代表的な作曲家の一人、竹光徹さんでですね、
この歌、ベトナム平和を願う市民の会のために書かれて、
1965年の今日、4月24日に東京で開かれた反戦集会で初めて披露されました。
その時歌ったのは、バリトン歌手の友竹雅則さんだったんですが、
高石さんが1967年に発表したアルバムに収録して、後にシングルカットさえ広まってですね、
その後ですね、森山涼子さんとか、カルメンマキさんとか、大竹忍さんとか、
本当に多くの方々に歌い継がれている、代表的な日本の反戦家なんですね。
最初にこの歌を取り上げたのは、今のJポップに連なる音楽の源流の一つは、
社会派フォークで、高石さんはその元祖ともいえる存在だからです。
高石さんは戦時中の1941年生まれで、おととし83歳で亡くなりました。
ご自身で作られた歌で最大のヒット曲は、受験生ブルース。
こちらも1960年代後半から70年代前半、段階の世代が大学受験期に入った当時、
「死んだ男の残したものは」:戦争の悲劇と平和への希求
国立大学の競争倍率最大で20倍とかになったんですね。
受験戦争って呼ばれた世相を歌った歌ではあるんですけれども、
今、ウクライナに続いてガザ地区、そしてイランとですね、また戦争が相次ぐ時代を迎えてですね、
社会派フォークの代表的存在が反戦家だったことを思い起こして、これを取り上げさせていただきました。
では歌詞ですけれども、1番から3番は、
死んだ男、女、子供の順に、市民の犠牲とその悲惨さを伝えます。
とりわけ胸が痛むのは3番の子供で、歌詞は、
死んだ子供の残したものは、ねじれた足と渇いた涙。
あ、ちょっと今、
あ、与田中さん今ちょっと音が届いてません、声が。
あ、大丈夫ですか。
まず、死んだ子供の残したものは、ねじれた足と渇いた涙まで聞こえました。
他には何も残さなかった、思い出ひとつ残さなかった、という歌詞ですね、3番は。
2月の28日にイランの女子小学校が空爆されて、子供たちとかですね、先生とか100数十人が犠牲になる悲劇がありましたが、
米軍によるミサイル誤爆の可能性が高いとされて、この歌を聞くとですね、
「友よブルース」:日雇い労働者の現実と格差社会
あの時現場で遺体にすがって泣き崩れていた家族の姿が蘇ります。
どんな正義を掲げようとですね、戦争でいつも犠牲になるのは弱者だと伝える歌詞は、今も全く古びないと思います。
4番なんですけれども、死んだ兵士の残したものは、壊れた銃と歪んだ地球、他には何も残せなかった、平和ひとつ残せなかった、という歌詞で、
戦争は常に多くの憎しみを残しますよね、あるいは犠牲者の痛みをいつの間にか忘れてですね、
また次の戦争へと連なることへの今しめ、教訓の歌詞ですね。
ただ最後、死んだ歴史の残したものは、輝く今日とまた来る明日と、希望も歌います。
これは過去の犠牲の上に成り立つ今を生きる私たちが、その平和をどう守って何を次の世代につなぐべきかっていうメッセージだと思います。
その高石さんがフォークソングの元祖って言われるんですけれども、その理由の一つはですね、これ高石さんが所属した高石事務所がですね、その後活躍する高田渡さんとか遠藤健二さんとか五つの赤い風船とかですね、
いろんな方の才能を発掘したということもあるんですね。その代表格が後にフォークの神様とも呼ばれるこの方です。
岡林信安さん、ご自身の作詞作曲で1968年にレコードデビューした三夜ブルースという歌です。
岡林さんは敗戦の翌年1946年生まれの79歳です。
社会派フォークは反戦家ばかり知って、先ほどお話しした受験生ブルースのような世相とか労働問題、貧困、差別など社会問題全般を題材としました。
三夜ブルースが発表される2年前の三浩博さんが作詞作曲して大ヒットした良いと負けの歌と並んで、当時の非雇い労働者の悲哀を歌った代表曲といえます。
実は岡林さん自身も同志社大学を中退した後、三夜の非雇い労働者となった時期があって、歌はそこでの実体現化が生まれました。
三夜はかつて簡易宿泊所が並んで戦後の福音兵や失業者らが集まって土屋街って言われるようになり、土屋って宿の逆なんですね。
「命は一つ」:生きることの尊さと中津川フォークジャンボリー
手配士と呼ばれる元締めから土木工事などに送られて賃金をピンハネされながらも抜け出せないという厳しい街でした。
昭和の万の金字塔ともいえる名作、明日の城を舞台もこの三夜でした。
東京オリンピックを境に三夜っていう重症表示は聞いているんですが、高度経済成長期、高速道路やビルの建設ラッシュを底辺に支えた人たちは、
その経済発展の恩恵に欲することも少なくてですね、気合を抱えて来ていました。
それが最もしみるのは4番のこの歌詞です。
人は三夜を悪く言う。だけど俺たちなくなりゃ、ビルも道路もできやしねえ。誰もわかっちゃくれねえか。
という歌詞です。
岡前と同じく私も学生時代の一時期を工事現場の稼ぎでしのぎましたけれども、そんな時代は遠くなりましたね。
ただこのマンションの平均価格が1億円を超えてですね、株価は昨日史上最高を更新してましたが、
でもそんな大きなお金が動いているのに、日本は今はまた格差社会と言われるようになりました。
そんなことを考えさせられる歌でもあります。
では最後はこの方です。
香川亮さん。
香川亮くん1です。
47年生まれの段階の世代に69歳で亡くなっています。
この歌は日本初の野外音楽フェスティバルであるかつがフォークジャンボリー1907のステージに
あ、大丈夫ですか?
ちょっと時々途切れるんですよね。
あ、そうですか。
中津川フォークジャンボリーの第2回1970年のステージに香川さんが飛び入り参加で歌って、
翌年レコード化されたっていうデビュー曲です。
命は一つ人生は一回だから命を捨てないようにね
慌てるとついフラフラとお国のためなどと言われるとね
青くなって尻込みなさい逃げなさい隠れなさいっていう歌い出しで
鉄塔鉄瓶逃げなさい隠れなさい呼びかけるので
ベトナム戦争当時アメリカで相次いだ長兵巨匪
最も有名なのはプロボクサーのモハメドアリ
長兵巨匪で世界ヘビー級王座を剥奪されましたよね
長兵巨匪の歌だと思ってたんですけれども
香川さんはですね後に当時はベトナム戦争があって
反戦の歌だと思われがちですけど
本当は命の歌なんだと
来ているからこそいい人と出会っていい時間を持てる
生活も大笑いも大泣きも
歳とるってそんなに悪いもんじゃない
やっぱ生きてないといかんという歌だと
これ14年の西日本新聞のインタビューに答えています
格好悪くても臆病者と言われても生きるんだ
っていう応援歌なんですね
さて最後に香川亮さんを取り上げたのには
歌の紹介の他に理由があってですね
それが香川さんを世に出した野外フェス
中津川フォークジャンボリーです
1971年8月に開かれた第3回は
日本の音楽シーンを変えたと言われる
伝説のイベントでですね
と言っても収容人数を大幅に超えた来場者で
トラブルが発生してですね
ステージに瓶が投げ込まれたり
出演者投資を込めたりですね
めっちゃくちゃになったみたいなんですけれども
それでも出演者すごいんですよ
例えばフォーク系では岡林さんが
ガロ、五羽真由美、小室ひとし、山本光太郎、
鎌安博、橋田のりひことかですね
ジャズ系で言うと日野てるまさ、高橋ゆきひろ
ハッピーエンド、カルメンマキ、高中正義とかとかですね
まさにその頃日本のミュージックシーンを
牽引するメインがですね
よくこんだけ揃ったなとすごいですよね
中でもこの年初めて参加した吉田拓郎さんは
音響設備が壊れたサブステージで
メインに負けねえぞって叫んで
フォークソングからJ-POPへ:時代の転換点
人間なんてマイクなしで延々2時間近く歌い続けて
その間に200人程度しか入らない会場に
1000人押し寄せてですね
大合唱になって
最後は拓郎さんも観客も全員で
メイン会場に向かったっていう伝説が残ってるんですけれども
すごいそれは伝説になりますよねまさに
後にですねこの第3回ジャンボリーは
それまで神様とも呼ばれた岡林さんとかから
フォークの主流が拓郎さんたち次の世代に移る転換点
つまりはJ-POPの幕が開いたステージだったって
言われることになるんですね
ちなみに拓郎さんは翌72年
香川亮さんの作詞でその名も香川亮の手紙っていう曲を作ってですね
香川さんはこの歌でも名を残すことになるんですけれども
最後にですからこの源流をもう一回振り返ると
70年暗報学生運動の時代が終わって
それまでフォークは反体制の歌っていうレッテルを剥がれていたんですけれども
まとめと次月への展望
これを剥がします
で挑発も反体制じゃなくてファッションになって
歌はですねそれまで社会を歌っていたのが個人の感情を歌い始めます
で説教ではなくて物語を歌う
そして抗議ではなくて共感を歌い始めるという風に変わるんですね
ここから来月からはですね
その変わった本当にフォークが変わった
まさに変わり目の時代の長寿たちを次は取り上げさせてください
はい来月も楽しみです
そうですね
はいありがとうございました
レジェンドレガシーの人たちよりさらに上の
日本の音楽シーンへの原点という話をお聞きいたしました
この歌詞がすごい元サンデー毎日編集長
片中一郎さんでした
どうもありがとうございました
聞きたいラジオ番組何にもない
そんな時間はポッドキャストで過ごしませんか
RKBでは毎週40本以上のポッドキャスト番組を配信しています
あなたのお気に入りの声にきっと出会えるはず
ラジコスポットファイアップルポッドキャスト
AmazonミュージックYouTubeミュージックでRKBと検索してフォローしてください
RKBオンラインのポッドキャストまとめサイトもチェック