震災の記憶
こんばんは、川小町と申します。
今日は、少し重くなるかもしれない話を、一人で、ここに記録として、お話をします。
このスペースは、2年前の1月1日に起きた、のとの震災について、
その出来事を整理したり、振り返ったりするのではなく、
自分の中に残った気持ちを、一人で話すためのものです。
前向きになる話もしないし、何かの答えとか、記憶になるような話も、今回は目的にはしていません。
重く感じたら、途中で抜けても大丈夫です。聞き流しても大丈夫です。
私は石川県に住んでいます。ただ、野戸地方ではありません。海の近くに住んでいるんですね。
その時は、2年前のその時、夕方、たまたま卦族みんなが卦にいた時間でした。
子どもたちと一緒に、卦の1階にいました。
突然、大きな揺れが来て、部屋の真ん中で、かがんでじっとしていることしかできないほどでした。
テレビはすぐに緊急放送に切り替わり、避難を促していました。
映っていたのは、東京のテレビ局の放送でした。
テレビでは、繰り返し避難を呼びかけていて、気の右のまま卦を出ました。
避難場所になっていた近くの学校は、地区の人たちが集まっていて、すぐに鍵が開き、
寒い中でしたが、学校の屋上に上がりました。
この時、正直なところ、何が起きているのかはわかっていませんでした。
スマホは持っていましたが、充電切れを防ぐため、ほとんど見ないようにしていました。
ただ、卦を出る前に見ていた緊急放送のテレビの印象が強く残っていて、
私はその時、思っていたのです。
今起きているこの地震は、東京をはじめとした日本全国で起きているものだと。
今、自分がいる石川よりも、テレビに映っていた都心部の方が危険が大きいのではないかと、
そんな心配をしていたのです。
ただ、しばらくしてふとスマホを見た時に、Xの通知で相互の方から投稿があったのです。
私と息子のことを、大丈夫かなと気づかれてくださる投稿に気づいたのです。
それで私は、その時、学校の屋上で息子に言ったのです。
みんな無事で避難してるって、そうツイートしてって、そう伝えたことを覚えています。
その時になって、やっと震源地は野戸の方だったんだなと、私は知りました。
知ったというか、何が起こったかわからなかったから気づいたということが正しいですかね。
それから少しして、避難していた学校で電気と水が使えるようになりました。
避難生活の状況
教室が開放されて、テレビと暖房もついていたと思います。
教室でテレビを見ながら、余震が来るたびに机の下に戻りました。
そして夜になって、少し落ち着いた頃、一度卦に戻って、荷物を持ってまた学校に戻ったんですね。
その時、その荷物の中にスマホの充電器とたこわし配線の延長コードを持って、
たこわし配線だったら自分たちだけでなく他の人も一緒に使えるなと思って、また学校に戻りました。
学校でスマホが充電できるようになって、それでようやくその時、きちんとスマホを見ることができました。
その間、Xで多くの方からリプをいただいたんですね。
そこには私や子どもを気遣ってくださる言葉が並んでいて、すごくとても心強かったです。
中にはDMをくださった方もいらっしゃって、県外の方なんですけども、
県外だけどよっぽどピンチの時は行ってねって、車出せるからって、そう言ってくださった方もいらっしゃって、
すごくその気持ちが、その時は本当にありがたかったです。
そして避難所に残る人と卦に帰る人と別れて、私たち卦族は一晩避難所で過ごすことを決めました。
充電が確保できるってことを確認したので、それで急にその時、Xのスペースを立ち上げたんですね。
その時の目的は、自分たちが無事だっていうことを伝えること、それだけでした。
その時のスペースで、私も息子もそれぞれ話をして、私が話したことは、
地震や災害ってのはどこで起こるかわからない、でもどこにいても自分と自分の大切な人を守ってほしい、
そんな話をしたと思います。
それがその時の私の本心でした。
その後、電気とテレビがついたまま、教室の床で卦族で身を寄せ合って一晩過ごして、
そして翌朝、自宅に戻りました。
だけど、私が知らないだけで、ノートとか他の多くの場所で大きな被害が出ていたってことを後で知りました。
そのことを知った時に、すぐに言葉にはなりませんでした。
自分の無力さを感じて、
私は私で、自分とか自分の子供たちのことで、一杯一杯で何もできなかったんですね。
その気持ちは、時間がたってもずっと残ってまして、
卦でもニュースをつけっぱなしにしたまま、普通に卦事をしてたんですね。
情報収集のためにと思って、テレビはいつもつけていたんです。
だけど、もう意識はそこには向いていなかったなと思います。
それでも、テレビの画面に出るL字テロップ、緊急の時に出るものってあれ、
英語のLの文字の形してるじゃないですか。あれ、L字テロップって言うんですよね。
それはもうずっと消えなくて、震災が起こってから、
1ヶ月ずっと、もうどのチャンネルをつけても残っていたんです。
そんな中で、私はなんだろう、もう本当に日常の中で、
そうするしかなかったと思いながら、卦のこと、仕事のことをしていたんですね。
同じ石川県でありながらって言い方、おかしいですけども、
でも、比べてもいけないし、何が正しくてもわからないっていうような、
そんな感覚がずっと残ってたんですね。
そんな頃、私が大好きな野戸島水族館って、石川県の野戸にあるんですね。
そこも大きな被害を受けて、野戸島水族館の陣兵座が亡くなったことを知りました。
その時、私、Xで投稿していたんですね。その投稿をリプに貼ってあります。
2年後の思考
今、改めてその投稿を見て、自分で振り返ってみると、
あれは誰かに何かを伝えるための言葉ではなかったのかなって思うんですね。
あの投稿は、自分自身に向けて、また他にも何か好きなことややりたいことを後回しにしている、
どこかの誰かに向けて届けばいいなと思って書いた言葉だったのかなと。
後になって、私はあの時、自分ができる精一杯のことをしていたのかなって、そう思うんですね。
当時、自分の思いをきちんと言葉にできたかって言われたら、そうではなかったなって思います。
でも、その時は、自分が守るべき日常があって、やっぱり卦のこと、子供のことをこう言うと、
全てそれも言い訳しかすぎないのかなって思ったりもしながら、
そんなことで精一杯で、それでも何か言葉にしなきゃいけないなって思って、
そういうあやふやな何かを伝えなきゃいけない言葉にしなきゃいけない。
そう思っていても、それもできていなかったっていう、そういう状況が、その時の当時の私だったんだなと思うんです。
そして、今日はこれで2年経ったんですけれども、2年経って今もじゃあどうなのかっていうと、
答えは何も出てないんですよね。
2年前の当時、自分が思っていたこと、言葉にしたかったこと、
でもそれは結局、正しいのか間違ってるとか、そういったこともはっきり言っては分からない。
自分でも分からないんですね。
ただ、そういった正しいとか間違いとか、もっと合わせればよかった、こうすべきだったみたいな、
そういった判断できないような状態。
それでも、時間は流れて、2年経って、今も続いて、
何も積み重ねてもないし、何も積み重なってもいないし、
だけどもそのまま時間は流れてきて、今の私がここにいるんだなと。
今日、このスペースで話したかったのは、
ダメになることとか、綺麗な教訓とか、そういったことではないんですね。
そういったことを話せる立場でもないですし。
ただ、非常事態と日常が一緒になっている状態で、そうするしかなかったっていう、
そんな感覚をなかったことにしないという、ただそれだけの話なんですね。
答えも出ないし、言葉にもならない。
だけども、そんな時間があったんだということ。
今日はただ、2年経って、そのことを当時のXと同じようなスペースで話して、
残しておきたかったなと。
それだけの話なんです。
まとまりもなく、拙い話ではございましたが、
見てくださってありがとうございました。