東浩紀とげんろんの紹介
ノーコールのマーケ担当佐藤と、ノーコールのCOO阿部です。
今日はまいちさんの、【コタンダには言論という阿部の推しの哲学者がやってる会社がある】
いや、そうなのよ。そもそも、これ聞くとわからないかもしんないけど、
ひゃんさんに推しの哲学者がいるっていう概念わかる?
わかんないです。
そもそもひゃんさん、推しいるの?何でも分野いいけど。
推し?
推しあるって聞かれたとしたら。
推しいないです。
そうか。逆に今だと珍しいのかな?
推しがいることですか?
推しがいないことの方が。
あー、そうですね。確かにみんないますよね。
え、でもライブとか行っても、自分がこの席で遠くてあんまり見えないことが気になっちゃったりして、
全然ライブとか集中できなくて、あんま好きじゃないのかなって思ったりするみたいな。
あー、そうなの?
はい。で、いないですね。
俺は、好きな本とか好きな漫画とかアニメとかありますけど、
推し的やっぱ結構なんか人に使うのかなと。やっぱ一番は。傾向があるのかな。
キャラだけど、キャラも人じゃん。
俺は結構人文系の本とかも結構読むから、哲学的なところ。あと社会科学的なところも。
で、そうすると書いてる人って、作家だったり哲学者なのよね。
はい。
で、そうすると、結構継続的に読む人がいるなと思って、
それが、あずまひろきっていう哲学者なのね。
ほー。
で、普通に本を書いてって、一般のショーとかも普通に本屋さん行けばあるんだけど、
大学教授とかもやってたんだけど、それも辞めて、会社を作ってんのよ。
それが、げんろんっていうカタカナで言うの。
へー。
やってるのが、本を出版していて、
でかつ、動画配信も最近やってんのね。
プラットフォーム自分で作って。
そうそう。YouTubeの哲学版みたいな、そういう感じだよね。人文版っていうか。
で、それをやってる会社が、カタカナでげんろんって言って、
それがゴタンダにあるのよ。
思想の偏りと社会参加
へー。
ちなみに、俺は一回ね、行ったことあんのよ。
げんろんの会みたいな。
あーそう。で、げんろんがあって、さっき言った授業の他にもう一つ生配信みたいなのもやってて、
で、そのげんろんがあるゴタンダの会社の中のスペースで配信してんだけど、
閲覧OKみたいな。金払って、実際に生で行けるみたいな。
その哲学者、げんろんさんのどういったところが推しというか。
一番はね、会社としてのげんろんは基本的にあずまひろきの考え方に沿ってますから、
あずまひろきの考え方が自分とね、めちゃめちゃ近いっていうか、
別に俺そんなに強い考えがあるわけじゃないんだけど、
他の哲学者とか、これが一番のあずまひろきの主張なんだけど、
最近の大学教授の方々であったり、メディアに出てるその哲学者とか言われる人は、
ちょっと思想的に偏ってませんか?みたいなことを逆に言ってる人なのよね。
簡単に言うと、最近の主張は、俺はそれで間違ってないと思うんだけど。
なるほど。思想的に偏ってるっていうのは、
英語の授業とかじゃないですよね。英語の先生とかじゃなくて。
そうそう。
どういう授業で。
それこそ社会科学系だよね。例えばジェンダー論とか、
それこそ人権とまでは分かんないけど、そういう形容。何となく分かるでしょ。
でも私もジェンダーの授業受けたんですけど。
そうなんだ。
確かに言われてみれば。
ちょっとあんまりね、ひゃんさんの場合、実際大学身が悪いからあんまり言いすぎると、
大学の教授が分かっちゃうから、あれから置いときますけど。
そうですね。確かに。
ちょっと前は就職なんでしたから、今大学教授として残って、
それこそ社会科学系、ジェンダーとかわからないけれども、政治とか。
それこそ政治的な。
そういうのは集めて人文系と呼ぶのよ。人に文で人文系ね。
ちょっと人文系の学者の方が偏ってませんかみたいなことを言ってる。
当然保守派も偏ってるんだけど、保守派はもともと偏ってるから、
リベラルって呼ばれる人たちもそれはそれで偏ってませんかっていうのが、その人の主張なんだよね。
もともとあずまひろき自体はすごくリベラルなのよ。思想自体はね。かなりリベラル。
けどその俺から見てもちょっとやばいぞみたいな。
ちょっともう少し現実を見てくれみたいなことを言ってる人ってことですね。
でもそれはすごい、まいちさんが以前おっしゃってた、常に自分を疑うというか、
リベラルだからリベラル全部行こうぜじゃなくて、リベラルだけど、あれ?おかしいなって思ったら疑うっていうところが、
まいちさんの推しポイントってことですか。
そうね。それはあるかもしれない。その道を選ぶのは結構大変なのよ。
言うたら仲間にお前それちょっと違うじゃないって言う必要があるから、やっぱり味方がいなくなっちゃうわけよね。
だけど正しいと思ったら言わざるを得ないということですよね。
あ、言ってるんですか。
そうね。やっぱり哲学者だから喋る場だったり文章書く場があるじゃん。そこで言わざるを得ないよね。
それはだんだん大学とかにいる気がしなくなって、自分で会社を作ったっていうのがあずまひろき。
なるほど。まいちさんはあずまさんが推し。
推しだね。それこそトランプ大統領が誕生しましたみたいになって、一番最初に誰の話聞きたいかなってなったら、
俺大体やっぱりあずまひろきになるもんね。
なるほど。
だからそれが推しの哲学者の概念よ。
だから世界で大事件が起きましたと。
当然それに対する私の考えもあるんだけど、でも参考にした人とかいるじゃん。
普通の人は親とか、学生だったら学校の先生とかになるかもしれないけど、
でも学校の先生も言わないよね、社会の事件に対してあんまり。
絶対言わないですね。
でもそれがコメンテーターになるわけよ。誰かの意見を聞きたいってなった時に言ってくる。
でもコメンテーターと呼ばれる人はちょっと偏ってませんか?みたいなことは言ってるのがあずまひろきってことね。
なるほど。
それ何でかっていうと、あずまひろきは言論って会社でやった理由の一つだけど、
やっぱり大学の中でいたら、数学の教授とか理系の教授とか開発してるから別にいいよ、実験とか研究してるの。
人文系の人たちは別に実験とかする前に、もうちょっと社会に出ないとダメなんじゃないですか?みたいな。
なるほど。
まあそれは本当にそうなんだけど、今40とか50の教授にそれ言っちゃったら反発されるよねっていう。
やっぱりそうですよね。
教授の職捨てて今すぐ自分で会社したり作家として活動しろって言ってるわけでしょ。
それはやっぱり反発出ちゃうわけよ。
それは難しいですよね。
大変だから、それしょうがないんだけど。
でも言うことは良くないですか?自分の。
そうね。
それを教えちゃうからダメなんですか?
それ言われて、いじめとかしちゃうとダメなわけよ。言われて、まあまあ。そうそう。ほっとけばね。ほっとけばいいんじゃないかな。
でもその、あずまさんは、教授とかが社会に出ずに社会系のものを申してて、だったら社会出て、それ違うだろ。社会出て言えよっていうことを言ってるんですよね。
そう。そうなんだよ。社会系なのに社会あんま出てないのはどうなんですかみたいなことを。
社会系なのに。
もうちょっと細かくていうか学術的に言ってますよ。
そうですね。
頭いいですから。言ってますけど、端的に言うとキャンさんがまとめてその通りなの。社会系なのに社会に出ないって、それ大丈夫かなって。
それ言われちゃうとまあそれその通りで。そうすると人文系の学者ってそもそも何っていう話になって。でもそれについてはあずまひろき言ってるの。そもそも大学ってなんでできたのかみたいな。
哲学者としての自立
はい。なんでですか。
ていうか、やっぱり最初は人文系っていう学問自体も理系と一緒で、当然別れてなかったの昔は。
へー。
人文自体もまあね研究対象じゃないけど、それこそ文学でもそうなんだけどまあ学問的にっていうか本当にやってる時もあって、でもある時からやっぱり当然理系の重みが増してくるわけよね。
まあそうですよね。
で、再現できないじゃない。文学とか理系とか再現いかにできるかっていうところだけど、でも再現できない問題について考えるみたいな風に人文系の学問がこうだんだん発展していったっていうみたいなそうなんだけど、
そこまでいいの。そこまでいいんだけど、でもそれってより大学の中でこもり続けて答えが出る問題じゃないじゃん。
だからどうなんですかってあずまひろきさんが言い始めて、そうするとやっぱり敵が出てくると。
みんな社会に出て働いて物を申せってこと。
でも究極的に言うとそれはそうなのかもしれない。で、俺は逆にあずまひろきとかハマってた時って若干ニート的な生活してた時だから、それ俺自身にも響いてたのかもしれない。逆にね。
つまりさ、別に働かなくてもいいやとか言って、でもちょっと難しいことわかるから人文系の本でも読んでみるかみたいなことをやってる時にやっぱ言われるわけよね。
それ意味ないですよみたいな。そんな社会に突然引きこもって、難しい本だけ読んでも意味ないですよみたいな。
なるほど。
いうところは若干あるのかもしれない。
え、でもまいちさんはそれを言われたから社会に出ようってなったんですか。そういうわけではないですよ。
それが直接のきっかけってわけじゃないけど、社会に出ずに難しい本だけ読んでたとしても、それは全く意味がないよねっていうことは最初から思うしがあって、あずまひろきも同じこと言ってまあそれはそうだよねみたいな。
なるほど。
そこでああ、それはお前の言うことわかるみたいな。全く意味がないとは言わないけど、でもそれってあんまりやっぱり幸福にはならないよね。
自分のですか。
自分自身のやっぱり。だってどんどんどんどん不満が募るわけでしょ。やっぱりひとつの場所に引きこもりすぎるっていうのはさ、やっぱり人間的じゃないわけよ。それ自体が閉鎖的になるし、腐敗的な部分にもつながるから、それはたとえ一人の組織だとしても自分自身が腐敗する部分が出てきちゃうからね。
ああ、でも幸福じゃないっていうのはすごいわかります。知識ばっかり入れてて、例えばテレビ見たときにそういう実例に落とし込んだときにイライラしちゃうみたいなことですね。
ああ、そうそうそうそう。
あずまさんだとして、私みたいにイライラしちゃうから読まないとか知らないっていう人もいると思うんですよ。その人はどうなんですか。
俺は別にすごく寛容よ。全然それでもいいんじゃないみたいな。確かにめんどくさいしねみたいな。それを好きな奴が読めばいいだけなんじゃないって俺自身は思うし、それでももうちょっと読んでねみたいな部分は若干あるかな。
なるほど。読んだほうがいい理由は?
知識の必要性
まあ、判断するためにも知識はつけとかないとねみたいな感じかな。
確かに。
元教授だからそういう面もあるのかもしれないけどね。
でもそれは本当にそうだと思いました。言われて傷つかないっていうか、無知って傷つける人。
なるほどね。だから傷つけないためにも勉強っていうか、そういうことは必要だよみたいなところはあるかな。
彼自身もリベラルで当然頭めちゃめちゃ良くて、勉強とかろくにせずに当然普通に受かるような人だからこその立場だからかもしれないけどね。
へー。
これは別の回でもしかしたら今後は林と原里。
最近Kindleに追加されたやつ。
そうそうそうそうそうそう。
エンジンの?人類の?
サピエンス全史書いた人ね。
なんだけど、実は原里は原里を若干批判してるのよ。
へー。
鉄学者って批判しないとお仕事じゃないから。
簡単に言うと原里の主張って、ここから人類は進化して、戦争速報がなくなるためにみんな新しいステージに行かなきゃいけないみたいな。
簡単に言うとそういう感じなのよ。
だから昔リベラルだと今保守的になってんだけど、そんな簡単な世の中じゃないよと。
逆に1970年代から2000年くらいまでがたまたま平和ですごく技術とか進歩して、まるで次のステージに人類全体が進化してるかのように感じてるけど、
それは一瞬のことでまた次の100年くらいはもしかしたら戦争とか頻発して起きてきて、また次の100年ようやく次もう少し平和になるための仕組みができるみたいな。
もっと長いスパンじゃないかみたいな。
まあまあことは言ってるわけね。
実際ちょっとハラリの最初の本を読んでないからわかんないけど、
ハラリはどっちかっていうとすぐ次のステージに人類は進むべきみたいなところの考えだから、
サピエンス全史っていう今までの人類の歴史をまとめた本を書いて、
今もうまとめたから次の100年は次のステージに行きましょう。
そういうことなんだよ。だからあの本書いたわけ、ハラリって。
それね、実際どっちが正解かわかんないけど。
とにかくそういう有名な人に対しても哲学者っていうのは批判するとこはバッと鋭い批判だなって俺は思ったよ。
でもそうするとね、だんだん友達が少なくなってくるっていうね。
哲学者は大体そういうもんだから。
それが踏み落ちたらすごーってなりますけどね。
そうそうそうそう。
私の知らない世界って感じ。
そうそう、そういう世界もあるっていうことよね。
でもそういうのがまた御壇下にあるっていうのもなんか面白いんじゃない?
私も見てみよう。
そうね、もしかしたら普段のほとんどのコンテンツはキャンさんに刺さらないかもしれないけど、
これ面白いと思うのがあるのかもしれないな。
まずはなんかおすすめのこれ読んでみたらみたいな。
そっかあるでしょ。あるいは動画とかもあるからね。
もし刺さったのがあったらそれについてこのポッドキャッスルで話せばいいんじゃない?
もし毎日さんより熱量高く喋りだしたらどうします?
それはそれでいいんじゃない?
いいですか?
自由にどうぞ。
どうたん拒否じゃないんだ、俺は。
押しにはならないです、絶対に。
大丈夫です。
もう60近いおじいちゃんだからね。
ありがとうございました。
今回もお聞きいただきありがとうございました。また次回のポッドキャストでお会いしましょう。