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この番組は、社会人生活18年、会社員や企業など、つつ裏裏、分野曲折の仕事をしてきたデビューと、
いろんなお仕事における失敗エピソードを紹介し、笑いや学びに変えて、成仏させるチャンネルでございます。
第6回目。
もうですか。
ついと前回も成仏できなかったですよね。
できなかった。前回も失敗回です。
ほんとそうですよね。
全部失敗してますね、この番組は。
ちょっと僕、一個お詫びがあってですね。
どうしました?
2回目か3回目の放送で、サウナでの失敗エピソードの話をして、
そのときに、当時のお客様がいらっしゃったらご連絡くださいっていう話をしたんですけど、
それはそれで誠意があっていいんだが、
どこのなんというサウナなのかを一切言わずに喋ってるので、
どこやねんというクレームが入りまして。
なるほど、確かに。
確かにということで、すいません、ちょっと宣伝も兼ねて。
はい、そうですね。
今、熊本の神野浦307というプライベートサウナをやらせていただいておりまして、
そこですね、熊本、結構繁華街にあるんですよ。
サウナですよね、307。
307はサウナから来てるんですけど、文字としては神野浦がカタカナで307って書きます。
インスタとか結構おしゃれな感じでやってますよね。
見ていただいてるんですか。
私、利用もしましたし。
そっかそっか、来てくれましたもんね。ありがとう。
すごい満足感高かった。水がいいんですよね。
ちゃんと部屋にサウナついてて、水がええ感じで冷たいっていうのが最高でしたね。
サウナ室からウッドデッキの水風呂までの導線とかもよく褒めてもらいますしね。
確かに、いいっすね。
いやーよかった、バーベキューもできて、何も準備せずバーベキューして泊まりもできる。
泊まれますね。
僕だけじゃなくて、熊本の偉大な経営者の兄さん姉さんと一緒にやらせてもらってるんですけど、
ぜひよかったらまた皆さんも使ってもらえたら嬉しいなっていうのと、
当時のご迷惑をかけた方がいらっしゃればご連絡いただければと思います。
すみません、冒頭。
今日はですね、真面目な失敗体験から学ぶエピソードみたいな話をしたんですけど、
今回は、あした製作所というわれわれがレッドスネークというコンビを組むきっかけになった。
やろうって言ってましたね、そういえばその話。
第1回目か2回目のときに……。
後でこれ話しますって言って、してなかったんですね。
してなかったんですよ。
そもそもあした製作所ってなんやねんって話から、
僕らのその失敗の話までぜひ紹介したいなというか、
レッドスネークというコンビの意思ずれも。
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はいはい、コンビの爆誕秘話ですよね。
そうそうそうそう。
誰が聞きたいねんもあるんですけど、一旦ちょっと僕らの番組なんで話しときたいなっていう。
誰が聞きたいねんって6回目で出す話じゃなくて、ずっとそうですから。
あ、そうか。
そこを気にしてもしょうがないと思うんですよ。
あした製作所ってなんやねんから、
鶴さんちょっと説明してもらっていいですか、あした製作所ってなんやねんっていう。
これは当時リクルートエージェントっていう僕らが入った会社で、
初めての取り組みだった2回目だかの取り組みだった、
なんか出来立てホヤホヤの仕組みだったと思うんですけども、
いわゆる新規事業のコンテストみたいな。
社内で新規事業のアイディアを募集しますみたいな仕組みというかプロジェクトですよね。
よくありますよね、新規事業のアイディア募集みたいな社内で。
そうですね。リクルートはそういうのしかも得意ですもんね。
そうですね。リクルート本体というか、
親会社のほうでもニューリングっていうのがあって、そういうふうにやってますし。
そこから実際に事業化された事業とかいっぱいありますもんね、リクルートにも。
ね、ありますよね。スタリーサンビとかそうですよね。
スタサプもそうなんだ。
スタサプはリングからですよ。今はかなり人数高いと思いますけど。
R25とかもそうじゃない?
R25もそうでしたっけ?
違うかな。めっちゃ適当に言ってる。
でもあれもあれもっていうのにいっぱいニューリングがありますよね。
たぶん当時リクルートエージェントも、そういう形で新しい事業を社内から埋めればっていうことで、
明日政策署っていうのをね、単なるセレモニーチックなイベントというよりは、
そういう本気で事業を生み出していけるぞっていうね、
なんかそういう本気感のある仕組みが、
僕らが入社した年に早速募集がかかったんですよね。
そう、第1回目でしたよあれは。
そう、やっぱり第1回目ですか。募集がかかりましたと。
そう考えると、僕ら要はそれに応募したって話なんですけど。
要は出ましたね、僕ら。
入社して2、3ヶ月目ぐらいでしたよね。
そう、だから今のコンセプトを僕は話しながら思ったんですけど、
普通はしっかりビジネスを経験してきて、
いろんなお客さんを見たりお客さんの声を聞いて、
今はこういうのが求められるんじゃないかっていうのを提案するという意味では、
おそらく4年目から10年目とか、それぐらいの人たちが出していくようなことが狙いだったんでしょうけど、
まさかデビさんと私は新人でそれに出ましたよね。
デビが誘ってくれたんでね。
そうそう、私がこういうのを参加したいタイプなんで。
しかも当時、2人とも大阪の配属だったんですけど、
オフィスは違ってグループも違って、
デビは梅田の方。梅田は北の方なんですけど、大阪の方。
で、僕は南波という南の方のオフィスだったんで。
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別に内定者時代から仲良くしてたわけでもなく。
そんな言うてっていうぐらいの関係性のときに誘ってくれて、
一緒に出ましたよっていう話なんですよ。
このあした政策書っていう話は。
当時なんで誘ってくれたんですか、そういえば。
そもそも僕は別に新規事業を立ち上げたいとかじゃないけど、
こういうわちゃわちゃしたのに出たいなーって思ってたので。
よこしすぎるね。すごいね。
もうめちゃくちゃよこしますよ。
で、そのときにふと思ったのが、
僕もともとお笑い芸人やりたいっていう思いがあったんですよね、高校生ぐらい。
そういうオーラをプンプンに出てましたよね。
出てましたよね。
出てました、出てました。
芸人やりたいなと思って。
うざいなとすら思ってましたもんね、私。
思ったでしょうね。
それで、芸人のセカンドキャリア、人のキャリアを考える会社なので、
お笑い芸人の次のキャリア、やっぱり残れるのって一握りですから、
やっぱり残れない人たちの生活観みたいなのをリアルで知った経験もあったので、
そういう人たちのパイプというか導線を作れると、
リクルート的にも社会貢献活動じゃないですけど、
みたいなところにもつながるかもなって思ったんですよ。
新規事業としてそういうのができれば。
すごい新人ですね。今、冷静に聞いたらまあまあすごいですね。
次のキャリアがなくなるということを見たんですか?何かで知ったんですか?
何かで知ったんすよね。
僕、芸人誌に行こうともしてたりとか、周りにそういう人が言ってたりとか。
僕、親父が芸能系の仕事をしてるんで、
そういうのに触れるシーンが結構あるんですよ。
そういうのができたらいいよなーって思ってたんですね。
エンターテイメントとして、アーティストとして出たけど無理とかって思ったときに、
これを出そうって思ったんですよ。
要は芸人を目指して、若いころ上京してきたり大阪出てきて、
NSCに入ったりなんだりして頑張るんだけども、
そこから売れていく人はひと握りという中で、
やっぱり途中でいよいよ別の道に歩まなきゃいけなくなるっていう人はたくさんいて、
そういう人たちって実は職業選択機会っていうのが十分満たされてないんじゃないかと。
そういう人たちをなんとか救いたいと。
いいですね。
いいですよね。僕本能参加したんでいいですよね。
芸人になりたいってチャレンジしていく人のメンタリティって、
多分前向いてると思うんですよ。
ポジティブな人が多いと思うんですよ、そもそも。
だしやっぱりパワーもあるでしょうし、
かつ喋りもうまいってなったら、
普通の営業職で育てていくと一戦力になるなとも思ったんですよ。
確かに営業できそうですよね。
そう、メリットある話。
だけど書類で見たら、全然キャリアもないから面接しませんみたいなこともあるんだろうなと思ってて、
そこをリクルートガイダーに入ることで、キャリアの架け橋になれるんじゃないかっていう。
そういうサービスが考えればいいなと思ったんですよ。
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もう出来上がってますもんね、それだけでもね。
今でこそ振り返ってもう一回喋ってるから、だいぶ淀みなくデビさんは喋ってますけど、
当時はね、もう少し雑な感じだったんでしょうね。
今やから話せてますけど、当時は、「なんかやりたいなあ、なんか芸人の世界のキャリアがいいやんけー!」って。
見えてないと思うんですけど顔を合わせてますね。
それで言ったらええやないかーですよ。
そんな感じでしたよね、きっとね。
で、ツルを誘ったのは、僕一人だったらできないと思ったんですね。
そんなにこういうの考えるの得意でもないし、
思いは出るけど形にできないタイプなので、
同期見渡した中で、何かを形にするのが一番うまそうだなと思ったのがツルだったんです。
まじ適当ですよね、でもねそれね。
ほとんどだって俺たち何か知ってるわけじゃないじゃないですか。
まあそうですね。
匂いなんでしょうね、じゃあね。
そういう匂いを感じる才能が僕はあったんですよ、たぶん。
現に大阪同期だとツルが一番うまいと思う。今見ても、そういう何かというと。
才能ですね。僕は自分ではそうは思わないですけど、そうなんですね。
現にそうだと思うんですよね。
それでツルに嫌われてるってのもわかってたんですけど、
僕は別にそんな気にしてなかったんです、そのことについては。
だからツルに、「ごめん、こういうのやりたい人間一緒にやれへん。」って。
まあ嫌っていたとは言いましたけども、
内心ただの中心になってる人への悲願みたいなところもあるんで、
中心センターにいる人から誘ってもらえるっていうのは実は内心嬉しいっていうね。
そういうことでやりましょっていうね。
結構すぐ快諾しておりましたよね、やろうって。
いやだから、このチャンネルで僕らはその若い頃をつまびらかにしててますけど、
本当に僕性格悪いですよね、下に構えてて。
今しゃべりながら思いましたけど、でも本当に内心嬉しかったんですよ。
ああそうなんですね。
単なるひがみだったんでね。目立ってるデビ君へのね。
なるほど。
立ち上がってっていうね。
でもその中心人物という人が俺のことに気づいててみたいなね。
でも一緒にやりましたよね。
そうそうそう。それでまさにツルに全部考えてもらったんですよね。
どうしたらいいって言ったら、全部考えてくれたんですよ、ツルが。
あれ、どういうプロセスだったっけ。
書類選考、こういうのを考えてるっていうのをまず書類で出して、
通ったらそこの拠点庁役員に直接プレゼンして、
それがさらに通ったら、東京で役員が集まってるところの会議でプレゼンとか。
そんなプロセスでしたっけ。
そうです、まさにそうです。
だからまずエントリーシートを書かなきゃいけないですよね。
そうなんですよ。
それは事業計画みたいなことですよね、きっと。
そうです。
たぶんこういう人たちを、あるいはこういう企業群を、
こういうサービスでこの課題を解決して喜んでもらいたい。
そして、うちはそれとしてこれぐらい儲かるみたいな、そういうことを書くんでしょうね。
三方四肢のビジネスモデルをエントリーシートに落とし込むっていう。
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それも全部ツールが書いてくれたんですよ、はじめ。
まあそうかもしれないですね。
一緒にはやりましたけどね、きっとね。
たぶんプロセスでこういう人のこういう声があったほうがいいとか、
たぶんこういう生の課題感があったほうがいいとかって話で、
じゃあここにこういうふうにアポとってくれ、デビ行ってくれとかって僕はほんまに手足ワンワンみたいな感じで。
いやそんなことなかったと思うけど。
まあでもそう、デビ君が言ってる考えはすごくいいと。
芸人は確かにセカンドキャリアなさそうだし、
まあでもたぶん喋るのうまいし、
人をあらかすってことは相当相手がどう思うかとか、このタイミングはとかっていう、
まあみたいなこととか、まあいいみたいなこととかを相当考えながら喋りを追求してきた人だから、
営業向いてるって言われたら確かにそうだなと思えるし、
まあそれをリクルートが間に入ることで機械損失した分を紡ぐっていうのは、
なんかとてもビジョナリーだしいいなと思ってましたけど、
それでも全部カテゴリーだから、デビ君の。
本当にそういう課題が現場にあるのかっていうのは聞いたほうがいいよと。
困ったときはお客さんのところに、国民系じゃないですけどね。
それで、でも当時新人なんで別にどこにも何もコネクションがなかったから、
お笑い双方雲山といえば吉本昌竹、アポ取ってみるか、そんな感じでしたよね。
そうですね。吉本さんには断られましたね、普通にね。
何言ってんねんみたいな感じで。
クソガキがぐらいの感じだったんですかね。
何言ってんねんみたいな。
昌竹さんはアポくれましたよね。
そうですね。
行きましたよね、昌竹さんは。
吉本大好きですけどね、僕たち。
もちろんもちろん。僕はNSCに入ろうと思ったぐらいなんで。
ぐらいなんでね、僕たち大好きですけど、当時はたまたま断られて、
昌竹はアポくれましたよね。
ほんとよくくれましたよね。
ほんまによくくれましたよね。なんやこいつらっていうね。
最後までちょっとけげんな顔されてましたよね。
たしか女性の方だった気がするんですけど。
されてた、されてた。
こいつら何知りたいんやろみたいな。
営業をしに来たわけでもなく、何しに来たんやろかみたいな、
質問に対しての答え方がすごい距離感ありましたよね、ずっとね。
そりゃそうですよねけどね。
昌竹に2人で行ってね、アポ取れたんで。
僕らの仮説を確かめるというか、
やっぱり夢を抱いて昌竹に入って、芸人として頑張って、
それでもやっぱりちょっと諦めなきゃいけないとか、
別の事情があるとかっていうことで、
芸人の道から外れるという決断をする芸人さんって実際多いんですか?
みたいなことだったりとか、
その人たちって簡単に就職していけてるもんなんですか?とか、
あるいは昌竹としてそこをサポートするみたいなことしてんすか?とか。
そういうことを聞いたんでしょうね。
詳細忘れましたけど。
マーケット感とか市場感とかツールが多分散出してくれて、
これぐらいの市場感があって、
こういう企業の紹介もできそうで、
みたいなことをエントリーシリーズに落とし込んだんですよ。
ゲシャーシャーと書いたんでしょうね。
何もわかってん新人のくせに、今思うと。
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それが通って、2人で当時の執行役員、前野さん。
前野さんにね。
前野さんに新規事業をプレゼンするっていうね。
ツールがうまいことプレゼンしてくれたんですよ。
今でも覚えてるんですけど、僕ほぼしゃべらなかったですよ。
いやいや、それね、たぶん美化してますよ、記憶が。
ほとんどまともにプレゼンなんてできてないけど、お前らおもろいなって。
それだけで推薦しとくわって言われたんですよ、たしかに。
あ、たしかに。最後それ言われた。
なんかもうとりあえず推薦しとくわって言われた。
おもろいなーって言われた。
エントリーしてる中で1件ぐらいこういうおもろい枠あってもええやろみたいな。
でもその中に通り過ぎてたぶんね。
それで通ったんですよね。
通ると、今度は東京に行って大衆、役員が集まっている委員会みたいなところの皆さんの前でプレゼンするっていうのに行ったんです。
大人っすよね、新人二人が。
全役員が揃ってる前でプレゼンするってあんまないですよね。
そうですよね。
だから当時本来は、前も言ったかもしれないですけど、
州八県新規アポ行くために一生懸命汗水垂らして頑張らなきゃいけない時期に高い交通費を払って東京に我々行くっていうね。
さすがに城長もいぶかしげな顔してましたよね。
してたしてた。
あの野石二郎お前みたいな顔してましたよ。
いや俺、当時の上司の立場になったら、確かにおもろいけどっていうね、うーんってなるよね。
お前売ってたっけ?ってなるよね。
あれ?お前営業数字上げてたっけ?ってなるよね。
なるよね。
まず上げてからじゃない?ってなるよね。
とか言いたくなりそう。
いやだから偉大ですよ。笑って送り出してくれた。
行きましたよね、二人でね。
レッドスネークの爆誕の瞬間はそこのプレゼンですよね。
これ僕が言ったのを覚えてるんですけど、
プレゼン漫才するせえへんって僕たぶん言ったんですよ、鶴に。
いまだに覚えてるのが、レッドスネークってコンビで。
芸人の話ですからね、そもそも。
そうそうそう。
だからこういう漫才師がいるんだっていうのを伝えるには漫才で伝えたほうがいいんじゃない、プレゼンって僕言ったら、
鶴が乗ってくれたんですよ。
いまだに覚えてるわ。
アホやな。
役員プレゼンで漫才する。
する僕のほうがいいと思うね、とこ言いながら。
ネタ忘れましたけどやりましたよね。
やったんですよ。めっちゃベタベタな漫才やったんですよね。
さあプレゼンどうぞ。事業計画の発表のプレゼンどうぞって言って二人で出て行って漫才したんだよ。
どうもー、レッドスネークでーす。
今から僕がおっきい声で発表します。
めちゃくちゃおっきい声で発表します。
みなさんちょっと耳痛いかもしれません。おっきい声で発表します。
って言ってめっちゃちっちゃい声で発表するっていうのやったんですよ。
ちっちゃーっつってね。
僕がちっちゃいながーいってツッコむっていうところで笑うかと思ったんですね。
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だだ滑りしましたね。
あのときの空気感だけは覚えてますよ、ちゃんと。
覚えてるわ俺も。
やっぱ滑ったシーンって忘れないですね。
でもあの回収の仕方が秀逸でしたよね。
そういう芸人が多いと思うんですけど、みたいな。
このように泣かず飛ばずで売れずに。
落ちていく芸人さん。
そういう芸人さんたちを救いたいというプロジェクトです。
では説明しますって言ってね。
そうそうそう、覚えてる覚えてる。言いましたねそれね。
滑ったって思ってね、切り替えたんですよね。
あれはすごい切り替えしだなと思いましたけどね僕は。
これがレッドスネークの誕生の瞬間。
当時結構言われましたよね、いろんな人にね。
新人がこれに出して最終まで行くみたいな。
結局滑り倒したし落ちたんですよね。
滑り倒して、当時の事業責任者に、
マーケット規模って何億あるの?って聞かれて、
わかんないっすって言ったのよ、鶴が。
俺が言った。
基本そういうプレゼント、本筋は鶴が話すにしてたと思うんですけど。
ちょっと話すって言ったら、その事業部長がちょっと顔しかめながら、
そんな漫才とかせんでもいいから、
マーケット館ぐらいは言えるようになろうねみたいな言ってきて。
レリックス店長の真っ当。
基本10億のマーケットからじゃないと新規事業ってできないから、
お前らもしそれを本気で考えるなら、
まずそこのマーケット館ちょっと拾ってから来いって言われて終わったんですよ。
何も言えずに「はい!」って僕らは。
「ようこそめー!」って。
「はーい!」って終わったよ。
そうよね。
そのあとドキドキの審査結果とかじゃなくて、
もう落としますと言われたっていうね。
マーケット、ナイスチャレンジだねみたいなこと言われ。
珍しいというか僕らだけでしたからね、新人で出したのが。
その後もね、内容が浮かばれることはなかったんだが、
漫才をしたということの一点において、
その後の社内イベントで散々使ってやらされましたよね。
安田製作所でできた新規事業って続いてないんですよ、確か。
そうなんすか。
覚えてるんですけど、別の先輩が純有償作品なしで純有償が1個あって、
それをやってみようってフィジビリティで一回やったんですけど。
フィジビリティっていうのはお試しでやってみるってことですか。
一回やってみたら半年ぐらいでやっぱ終わりますになってたんですよ。
性格悪いんで、「ああほら無理やったわ」って覚えてるんですよ。
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まじどうでもいいウォッチですよね。
新人ならアポ取り続けろやってる頃に、ちゃんと追っかけてたんですね。
けど僕らが明日製作所で漫才をしたってことは残り続けてるんですよ、会社に。
なぜならその後もずっと社内イベントの依頼だったので。
何かあればお前らレッドスネーク出ろって。
やれって言われてね。
僕ら辞めたのにしに行きましたよね、そういえば。辞めた後にも。
辞めた後に大先輩の退職パーティー。
そうそうそうそう。大先輩を二人の同時の。
そうそうそうそう。
あれ受けたんですよ。
気持ちよかったよね、あれね。
かたまわってたな、俺。
あれ受けたなあ。
やっぱ内輪ネタ使えるのはめっちゃいいよね。
いい感じですよね、内輪ネタってね。
いやもう大失敗でしたね、明日生産されるのに。
あれこれ初の成仏案件ですか。とはいえ漫才としてちゃんと残るものがあったという意味では。
つるさんつるさん。失敗してるじゃないですか。
僕らその後アジーシメってM-1グランプリ出ましたよね。
ほんまや。忘れてた。
ダダ滑りしたじゃないですか。
忘れたのか、あの…
殺したるぞっていう目で見られる。
審査に舐め続けたよ、あれ2分。
早くこの場終われへんかなって。
基本、舞台に立つと舞台のほうが明るいんで客席行って見えないですけど、
前列、2列ぐらいまではギリギリ見えるんですよね、お客様の表情がね。
全員殺したろかみたいな目で見てましたよね。
だめだね、殺したろかーっていう目で見てて。
早いね、早いね、みたいな目でしたよね。
本当に奥地の森林ジャングルより静かでしたよ。
田舎の山の中より静かでしたね。
松本大人がないっていう。
マイナスイオン出てましたもん、静かすぎて。
出てたかもしれない。
出てたかも。
出てましたよ。
客席からマイナスイオン出てたかもしれない、ほんまに。
で、また失敗してるんで。これはまだだから僕らはあれですよ、M-1グランプリまだ出続けてます。
確かにね、これは全く出てないんだよね、ずっと。
これでもM-1の失敗エピソードをまたやりたいですね、どこかでね。
そうですね、そうですね。いろいろやりたいですね。
でも基本は僕らはまだ失敗し続けてるんで、成仏。
今回も失敗か。今回も成仏できなかった。
はい、ということでちょっとお時間を増やしたので。
増やしましたか。でも明日制作所の話ができてよかった。
そうですね、一旦ね。
半成仏。
ということで今週はこんな感じで。
今週も、成仏、成仏。
お届けしたのは、ブレッドスネークのデビューと、
プルでした。
さよなら。