すみません、あんまりよくわかってないです。 この部分が。
日本漁業認証サポートっていう、個人事業主として、漁業さんとか漁業会社と一緒にやっているっていうのが、実は主な。
MSCの認証のサポートだから、MSCの方とも連携して仕事する感じになるのかな? そうですね。
MSCは基準を作ったりとか、ルール作りをしていて、 じゃあそのルールを熟知しているスーさんがコンサルティングをする? そうですね。
どうやったら取れるかっていうような。 それが一つ。
もう二つ。 二つ目は、そういう頑張っている漁師さんたちのこととか、そもそも海のこと、魚のこと、漁業のことを子供たち、それから一般消費者に伝えるということで、
6年前から、おさかな小学校っていうオンラインの学校ですね。 オンライン授業ですね。おさかな小学校。これで名前を知る方も結構多いイメージありますね。
本当ですか?ありがとうございます。 で、最後3つ目。 そしてそんな活動をしていたら、いろいろ声をかけていただいて、10月1日から東京海洋大学の水産サステナビリティ講座が新しくできたんですけれども、
そこの特任助教。 特任助教、先生にもなられた。
本当不思議な生き方というか、お仕事を今されている方ということで。 じゃあ、なんでそもそも収録することになったっていう。カニ兵との接点のところを話すと、そもそもスーさんってさっき
MSCの漁業認証のサポートをやられていると話してましたが、MSCで働かれてたことがあるんですよね。
そうですね。2013年から2019年まで6年ほどMSCジャパンにいました。
その期間に、私がその水産関係のお仕事をしているときに、その仕事の中でMSC認証のちょっとお力というか、地形を伺いたいというので、お話しさせていただいたのが、多分接点スタート7年前ぐらいですね。
そうですね。懐かしいですね。 懐かしいですね。オフィスに来ていただいて、話して、MSCちょっとレストラン向けのビジネス、導入やっぱり寝室みたいな感じの印象を抱いた記憶もあるんですけど、その後何だかんだ毎年ちょっとしたチャットとかLINEとかでやり取りさせていただくのが続いて、
で、まあ独立して、独立されたんだとかもありつつ、立ち上げた小さな小学校で、真鯛の先生?何でしたっけあれ? 真鯛の授業ですね。スペシャルゲスト。タイのラップをね、歌ってもらったんですよね。
一応この魚食屋ラジオでも昔を振り返るとその音源出てくるんですけど、ラップは流したの。 あ、そうでしたね。
一応恥を全国公開してるんですけど、なかなか特殊な授業をやらせていただいて、どうだったんですか? 今から振り返ると結構尖った回でしたね。
そうですね、子供たちも何を聞かされてるんだろうみたいな。 いやもう本当あれだって、初めてまだ10回目とかだったんで。 そう、初年度でしたよね。
そう、そう。 スーさんも組み立てをどうするかみたいな悩まれたときに。
ありがとうございました。 こちらこそありがとうございます。
そんな接点がありつつ、ずっと私はスーさんをすごい特殊なキャリアを歩まれてるので、どういう考えで今までキャリアを歩まれてるかっていうのを聞きたくて、
実際このみんなの水産キャリアも絶対スーさんに出ていただこうっていう想定でコーナー作ったような部分も。
ありがとうございます。
なので、ちょっとスーさんにいろいろ話を聞くのをすごい楽しみにしてましたということで、スーさん簡単な自己紹介さっき、今どういう仕事をしてるかっていうのを聞いたんですけど、
実際のそのご経歴ですね、大学卒業からの経歴を私の方でババーッと話していきたいと思います。
スーさん、まず生まれですね。生まれが1980年10月3日登山の日、東京都生まれということで今45歳ですね。
京都大学総合人間学部に進学されて、そこを卒業後、一社目が今谷豊洲の修理会社である大都漁類、当時は築地ですね。
築地で8年間、競輪として勤務されて、その後その競輪を辞められて、東京大学の大学院で学びながら、
国際的な漁業認証である先ほどのMSCの管理をする比喩団体、MSCの日本事務所に入り、
そしてそこでは全国の漁協や行政団体を回って、MSCのその認証プラグラムやMSC自体を広める活動に尽力されたと。
このMSCを6年ぐらい働かれた後に、2019年6月、39歳の年に日本漁業認証サポートを設立。
これは個人事業種としてやられて、今も継続されている仕事を設立され、
2021年4月、約4年前ですね、には先ほど少し触れた子どもたちに向けたオンライン授業、大阪の小学校を開講して、
この年に一般社団法人日本サステナブルシーフード協会というのを立ち上げて、
そこの協会の活動として、お魚小学校をやっているという感じですね。
そうなんですね。それは比喩団体として立ち上げて、
お魚小学校での知見をベースに、2023年7月、2年前にはリトルモア社から本も出版されていて、
本のタイトルは、いただきますから始めるお魚学。
一匹の魚から海の未来を考えようという素敵な本を出版され、
今年10月1日から東京海洋大学、水産サステナビリティ講座の特任助教に就任されたという経歴ですね。
だから、結構本当に兄弟を出られて世倫人になるまでは、たまにはいるかなと思うんですけど、
それを8年間も継続されて、大学院かつMSCに行くという、
さらにそこで留まらずに、独立もしちゃうみたいなところは、唯一無二な経歴だなと思いますね。
じゃあちょっと一つずつ、最初のキャリアの部分から深掘りさせていただくと、
兄弟を出て世倫人になろうって、普通はあまり思わないと思うんですけど、
この時何を考えた?
大学6年いたんですよね。
院まで行ったってことですか?
いや、一級一流。
なるほど。若干古くなったらしい。
5年目に休学して、6年目に留年をしたんですけど。
そうなんですか。それは海外に行ってみようとか、いろいろやりたいことがあっての?
2回生、3回生くらいの時に、大学に行くのが嫌になっちゃった。
そういうタイプ?
大学に行かずにプラプラした。
登山めちゃくちゃ好きで、大学時代もすごい登山とか、そういうアウトドア系の活動?
冒険部でしたっけ?
探検部に入ってましたね。
高校時代、中学高校で山岳部に入っていて、山登りをやっていて、
大学に入ってからは富士山の登山ガイドをやってたんですよ。
夏休み。
午後に来たお客さんを山頂まで連れて、また降りて、みたいなことを。
それで大学院時代は、大学時代はそういうことをやってて、
さあ就職だって言ったのはいつから?
ちょっと脱線してるんですけど、もともと職に興味があって、
もともと農家さんの手伝いとか、高校時代にやったりとかしてたんですよね。
将来は職に関する関係のあることをしたいなと思ってたんですけど。
それはあって、だから兄弟も農学生命科学っていう、ちょっと農業系の?
兄弟は総合人間学部ということで、文化人類学をやってて、
指導教官アフリカの研究をしてるような人で。
またなんか幅がありますね。
いろいろ文化人類学系の本をいろいろ並べてますけど、
世界のいろんな民族とか、少数民族の人とかが、
アマゾンの奥地にいる未開の人とかが、どういうふうに自然を利用しながら生きてるんだろうかみたいな、
そういうことをやっている学問のところにいて、
最初そういう農業に興味があったので、
例えばタイの山岳民族とか、そういう方に興味を持ってたんですけど、
大学1年の時にナショナルジオグラフィックで、
世界の漁業が危ういっていう特集を見て、これ漁業面白そうって。
食べ物の話って、それまで農業とか米とか野菜とかばっかり考えてたんですけど、
魚もいろいろ問題もあるし、なんかすごい面白そうなテーマだなっていうふうに思ったんですよね。
ナショジオの漁業特集がなかなかセンセーショナルな。
あ、それ当時スーさんが読んで衝撃を受けたやつ。
1995年11月なんですけど、これを99年に古本屋で見つけて。
テーマが荒らされる水産資源、世界の漁業が危ういっていうのがメインテーマで。
ナショジオやっぱすごいですね。こういうのをもう1995年に。
そうなんですよ。早いですよね。今から考えると。
まだこの時はみんなサーモンおいしいとか。
日本はそう。ちょうどだから1992年に、
カナダのタラ資源が崩壊した3年後とかなので。
だから世界的には結構大きなイシューになってたはずなんですけど、日本ではまだまだっていう感じで。
ちょうど80年代90年代っていうとアフリカの間伐とかで、これから食料がなくなっていくみたいな話とかもある中で、
食料問題に関わりたいと思ってたんですよね。だから農業って思ってたんですけど、
これを見て漁業もいろいろ問題があるし、向き合っていくと面白いテーマだなというか。
面白いって言ったらあれですけど。
なるほど。当時からどっちかというとお仕事についても、お金を稼ぐとかそっちよりは社会的な社会貢献というか、
社会企業的なことをやってみたいなという意識の方が強そうな。
確かに。
そうですね。
結構なんかジャーナリスト志望だったんですよね。
なるほど。
新聞記者とかになりたかった。
でも、京大に出て選ぶのが、ちょっと待ってください。京大に出たら記者いけるんじゃないですか?
わかんないですけど。
それでナシュジーを見て、これなんか僕一生漁業のことやってきそうだなって思ったんですよ。
で、それまでずっと山登ってたし、あまり海のこと考えたことなかったんで、まさか自分が海のことやるっていう想定をしてなかったんですよね。
まだやりたいことあるしって。
大学にいる間、じゃあ海とは関係のないことをとことんやろうって決めたんですよ。
なるほど。
で、最初の年に、まずは海とは一番反対の環境に行こうと思って、たくらまかん砂漠に行ったんですね。
カラッカラに可愛い。水がない。
アフリカですと飛んでますね。
で、神戸から2泊3日、しかもなんか遠さを実感しようと思って、飛行機使わずに行ったんですよ。
え?たくらまかん砂漠ってそもそもどこにあるんですか?
中国の一番西ですね。新疆ウイグル自治区とかなんですけど。
ちょっと危ない地域、今ちょっと整備できてる地域。
そうですね。当時はそこまでじゃなかった。
神戸から2泊3日、フェリーに乗って天津まで行って、そっから60時間ぐらい電車に座り続けるみたいな感じ。
あ、もう電車で中国の端っこからそこまで行ったんですね。贅沢な時間の使い方。
いい、そうですね。
大学生っぽいけどスケールが大きいですね。
一人で?
一人ですね。
だいぶまた海から離れましたけど。
そうですね。あとなんか、2回生の時にフィリピンで学校を作るボランティアに行ったりとか、
で、夏は富士山でガイドやったりとか、みたいなことを2年3年ってやって、
4年目にあんまりプラプラしててもダメだなって思って1年休学して、
なるほど。
1年休学して3ヶ月イギリスに行って語学を学んだ後、日本に帰ってきて富士山にたくさん登ってお金を貯めて、
なるほど、お金がそこで貰えるわけですね。
で、今度アフリカに行ってアフリカで3ヶ月過ごした後、ヨーロッパを1ヶ月バス旅行して帰ってきたっていう年があって、
これ休学中だからかなりより自由になりましたね、行動が。
結局そっちになったんですね。
アフリカから戻ってきた。
三重の漁師の話になったわけですか、卒論が。
じゃあちょっと最初の質問に戻るんですけど、大都議類を選んだ。
収録し直した方がいいですね。
大丈夫です。
大丈夫ですか。
大丈夫です。
だいぶこっち行ったりこっち行ったり。
大都議類を選んだのは、だから就職活動っていうのは三重の漁師の見習いをやりながらやったわけですね。
さっき言ったらその汽車にもちょっとなりたいなぁみたいな気持ちもありながら、どうやってこの働く仕事を選んだんですか。
そうですね。やっぱり汽車になるのか、そうじゃないのかってすごい悩んだんですけど、単純に汽車って新聞社に入ろうと思ったら、一次面接、二次面接、三次面接、面接いっぱいあるじゃないですか。
それよりも今は漁師生活をしてたいなっていうのが一つあったんですね。
それのために何度も行けないみたいなこととか。
大変ですからね。
あとはその漁師生活をしながら、漁師さんたちが捕ってる魚って消費者の口にどうやって届いてるんだろうっていうのをすごい思ったんですよね。
なるほど。
で、漁師生活すごい楽しかったし、知らないこともいっぱいあったし、もう今までスーパーでしか見たことのないような魚がバシャバシャこう海を、ね、それまで海の上に部位が並んでるだけっていうところから漁師さんたちがロープを引っ張ると網が上がってきて魚が上がってくる。
まあデジャメ特にいろんな魚が入ってるし。
面白い。
面白いですよね。漁業の中で。
本当に見たことのないような魚が上がってくるのとか、それをもらって食べたらめちゃくちゃ美味しかったりとか。
なるほど。そっかそこが結構素朴な理由で、じゃあその全国の魚が集まる築地市場で働く仕事って面白いんじゃないかみたいなそういう感じの文脈ですね。
漁通が知りたいって思ったときに、誰も本読んでも漁通に書いておろし寄り市場法があってみたいな、一応公式のルールみたいなのはわかるけれども、じゃあ実際にどういうふうに魚が取引されてるのかとかって全然わからなかったし、漁師さんたちに聞いてもあんまりよくわからない。
そうですね。結構今でこそYouTubeとかでいろいろ見れるかもしれないですけど、当時本とか読んでもあんまり漁通って肌を持って知るってなかなか難しいですよね。寄りやってる仕事ですし。
例えば新聞記者になって水産漁通のことを記事にしようと思ったら、3年ぐらいまず下積みをして、それから多分自分でやりたいことを企画出してみたいな感じになってくるかなと思ったんですけど、でもこれ今知りたいんだよねって思った。
水産的な最短距離が潜入取材というか。
それで潜入。あと大学院に行くっていう選択肢もあったんですけど、どう考えても市場の人たち忙しいんで、お金を払って大学院に行って忙しい市場の人たちに取材をしたり聞き取りをしたりするよりも、中に入ってしまえばお金ももらえるし肌でわかるし、その方が面白いんじゃないかって。
すごいですね、そういう動機で。丸中とか東一とかいろいろあるじゃないですか。
大東にした理由って何かあるんですか?たまたま?
たまたまっすね。
偶然ご縁ですね。
そうですね。
それでじゃあ大都議理はそういう理由で入りましたと。ここまではすごいあるかなっていう。100本譲ってはあり得るキャリアだと思うんですけど、8年間働き続けるっていうのがさっきの動機からしたら長いなっていう感じがして。
私も転職結構3年4年、3年5年ぐらいでどんどん転職してるんですけど、5年って結構働いたなみたいな感覚を覚えてるんですけど。
この期間ってなんで他に行こうという気持ちもないながら、セリーニさんって結構大変じゃないですか?いろいろ働く仕事。
特にスーさんみたいな、いろんな海外に行ったりとか、ちょっと自由な行き方も好きそうな方にとって、セリーニの仕事って制約もまあまあ多い仕事にも感じるんですけど。
それはなぜ続けれたかっていう。
単純に面白かった。
そうだったんです。何の仕事、何の盛りを担当したんですか?
僕は、鮮魚部の関西科っていうところにいて、マグロ部、鮮魚部、寿司種部、エビ部みたいな感じのいろいろある中の、主に一般鮮魚ですよね。
いろんな種類の鮮魚。
サバとかアジとかイカとかカツオとか扱っている部署の関西科っていう、東京よりも西の魚を扱う部署にいて、
その中でも、サバを売っているセリーニンとか、イカを売っているセリーニンとか、ブリを売っているセリーニンっていうのは、一漁師を大量に売っていて、すごい花型って感じなんですけど、
僕はそれ以外のいろいろなものを売っている感じで、
イサキとかカマスとかエボダイとか。
それこそが日本の豊富な、多種多様な魚って感じはしますけど、仕事で考えるとまあまあ大変な。
そうですね、そうそうそうそう。
なんかニザダイとか。
ニザダイどうしようみたいな。
コショウダイとか。
キロ300円でも魚が買ってくれるところが、うーみたいな時もあったりする。
なんか上司がその産地からこれ売れるかって言われたら、とりあえず頑張って売りますって言って呼べっていうタイプの人だったんで、
いろいろ経験させてもらおうと思って。
いろんな魚を置くようになったら、お客さんもついてくるし、
そうするとだんだん商売ももっと広がるし、みたいな感じで。
それは面白かったんですよね。
なるほど、その深夜に行って、セリーニンの仕事だとどういうタイムラインですかね。
2時ぐらいに市場に行ってみたいな。
そうですね。2時には行ってないと。
行ってないと。それには間に合うように行って、魚をまず中折さんとかスーパーさんに売り屋さんに売って、帰るのって何時ぐらいなん?
帰るのが早くって12時ぐらい?
昼ぐらい。
普通は2時ぐらいですかね。
午後2時?
2時には絶対出勤してるとなると、12時間働いてやっと帰ってみたいな。
タフはタフですよね。
タフですね。
実感で言うと、朝だいたい6時ぐらいから10時ぐらいにかけて、3時から電話がかかってきて、こういう魚があるけど売れるみたいな感じで。
深夜から集まった魚を販売した人段落ついたら。
売りながら電話がかかってくるみたいな。
そっか、その間まだちょっと売れ残りが魚がいたりするんですか?6時ぐらいだと。
僕はそれでも結構近場の魚が多かったんですけど、例えばアジ売ってるセリ人とかだと、夜中3時ぐらいに長崎とかから電話がかかってくる。
まだこれ売り始めぐらいの段階で、翌日の相場を想像して収穫しなきゃいけないみたいな。
まだ目の前の魚のところに。
そうそうそう。
明日天気どうだっけ?みたいな意識しながら。
夜から6時、10時ぐらいから電話がかかってきて、数が決まるのが大体10時から夕方にかけて。
朝9時から10時ぐらいにお客さんに対して、明日こういうのが魚がありますっていう紹介。
流しっていうんですけど。
そのバイヤーさんが各店舗に、例えば長崎の岬が3キロ12尾で1000円ですみたいな感じで情報を流すと、
店舗からの注文が3時ぐらいにバイヤーさんのところに来て、それを集計して買える注文っていうのが5時ぐらいにあると。
なるほど。
で、大学院に行こうと思ったんです。夜中1時から昼1時までの仕事なんで、仕事してから午後大学院に行こうと思った。
すごい考えですね。それもタフですね。
そしたら会社からダメって言われて、どっちか選べるって言われて。
そうなんですか。今だったら変わっているかもしれないですけど、当時はまだそういう事例が少なかったですかね。
で、後先考えずに辞めますって言った。
そうなんですね。そう言われたから。
で、トラックの荷卸したりとか、デパ地下の魚屋さんで働いたりとか、中卸さんの手伝いをしながら大学院に行こうと思ってたら、たまたま奥さんが陸ナビでMSCの求人を見つけたんです。
へー。もうじゃあ先に辞めるがあったわけですか。
そう、先に辞める。
で、大学院はもう決めてた。東京大学のところはもう決まり。
会社からダメって言われたら辞めようと思ってたんで。
で、MSCがたまたま陸ナビ。
で、それとMSCの条件が、英語が喋れて、水産業界の経験が5年以上あって、大学院を出てるっていうことだったんです。
ほうほう。あれ?一個大学院。
そんな人いないじゃないですか。
まあ貴重な人材ですね。
で、まず英語はそんなに喋れなかったんですけど、英語の面接があって、とりあえず全文書いて、それを自分で喋ってテープに引き込んで、聞いて丸暗記してみたいな感じで臨み、業界経験はもう8年あったんで、そこは絶対あれに負けないっていうのがあり、大学院は2年後に出ますって言ったんです。
なるほど。じゃあ大学院を通いながら入れてくださいっていうのね。
そう、最初の2年間。
じゃあそれで無事MSCも採用してくれて。
そうですね。最初の2年間は大学院2週に行きながら週3、MSCに行くって生活をしていて。
へえ。じゃあMSCはフルタイムで働けてたっていう感じなんですかね。
週3ですね。
週3か。それも許してもらえてたっていう。
関与ですね。
関与ですよね。
なるほど。その時、じゃあ1個ずつ聞きましょうか。東京大学では結局どういう研究されてたっていうのと、MSCでどういう仕事をしてたかっていうのを両方聞きたいんですけど、東京大学の大学院では何系の研究室なんですか?その漁業なんて。
そうですね。国際水産開発学研究室っていうところだったんですけど、水産×経済みたいな。社会学みたいな。
ヤギ先生?
ヤギ先生のところですね。
お名前は?
はい。漁通の研究をしたかったんで、今、築地とか卸売市場には何が求められているんだろうかみたいなことが。
結局選んだのは牡蠣を選んだんですけど、
殻付きの牡蠣の流通が、当時オイスターバーがすごい増えた時期だったんですよ。
オイスターバーが増えたり、震災もあったりしたんですけど、それを機に築地の牡蠣流通がどういう風に変わったかっていうテーマで。
なるほど。震災も1つのテーマになりますね。
震災前って、ほとんど築地で出回ってた殻付きの牡蠣って岩手県産だった。
ほぼ9割ぐらい岩手県産だった。
それまでは?
はい。だったんですけど、震災後とか2000年代ぐらいから少しずつ岩垣が夏に流通するようになった。
今では結構当たり前に日本海の方から来ますよね。
それがね、90年代ゼロだった。
そうなんですね。
本当に冬だけに岩手県産だけが、岩手県産の牡蠣が冬、本当に12月、1月、2月とかにピョンピョンっていう感じでパルスのように流通するっていうのが。
なるほど。牡蠣がオイスターバーによって通電食べたいみたいな感じになって、夏も美味しい岩垣も増えたみたいな、そういう感じで。
なるほど、そういう研究は大学院ではされて、一方でMSCでは漁業認証ですから、牡蠣とかではなく魚?
そうですね。
大規模な漁業関係のあれですか?
小規模な漁業から大規模な漁業まで結構いろんな産地に行って、MSCっていう制度がありまして。
なるほど、エヴァンジリストみたいな感じですね。広める仕事。
大学院は無事3年間で卒業?
2年間です。
2年間ですか。週始ですね。
2013年に入って15年に卒業した。
晴れたMSCも今度はフルタイムになって、そこからMSCは4年?6年っておっしゃってましたよね。
そこからはそうですね、4年。2019年までいたので。
働かれて。普通というのも言い方はご迷惑ありますけど、MSCっていわゆるサステナビリティ意識しながら水産に関わりたい人にとっては、全然最終キャリアとしてもいい団体なのかなっていう感じもするんですけど、そこからさらにMSCを飛び出したっていう時はどういう考えがあったんですかね?MSCに働いてっていうのを。
そうですね。当時、僕がMSCに入った2013年と今だと水産業界におけるMSCの位置っていうか認知度ってめちゃめちゃ変わったと思うんですよ。
もう何か当たり前のように。
今はもうコンビニのたらことかにもMSCマークが付いてたりとかする。
何も見かけるようになりましたね。
結構大手の水産会社とか小売店も調達方針の中にMSCって入れてきたりしますけど、当時は全然そうじゃなかったし。
法人認知度はもう結構浸透してますね。
2019年当時ってまだ国内の認証漁業が北海道のホタテ、京都のアカガレ、それから名宝漁業かつ一本釣りぐらいだった。
3つぐらい。
だったと思いますね。あと市原水産のかつ一本釣りがあったかな。多分4つ。
僕がサポートしてたっていうか、MSCのスタッフとしてMSC取りませんかって言った先が、
気仙沼の薄福本店のタイ製用黒マグロ。
2017年ぐらいから準備始めて18年に審査入りして。
マグロでは初?日本で。
ビンチョンとかはありますけど、タイ製用黒マグロは世界初でした。
世界初でした薄福さんって。ちょっと話題になりましたもんね。
あれをスーさんがサポートしたんですか?
僕が声掛けをしたんですね。薄福さんやりませんって言って。
そうだったんですか。
タイ製用黒マグロは2010年ぐらいに枯渇しかけてたっていうのもあって、そこから回復途上にあった。
海外のNGOはまだ十分に回復してないって言ってたんですよ。
いろいろネガティブな審査の過程で海外のNGOからネガティブなコメントが上がってきてたんですね。
このままじゃ認証取れないかもっていう感じになった。
その影響も受けるんですか?その認証の段階で。
それで、これ誰かが薄福さん守らなきゃいけないなって思ったんですよ。
海外のNGOからのコメントを跳ね返す役割っていうのが、海外には結構そういうMSC認証のコンサルタントってたくさんいて、
漁業会社が認証を取ろうと思ったら、だいたいそういう人が入ってやってるんですけど。
MSCの人ではなく。
MSCの人は中立な立場じゃなきゃいけないので、僕も中立な立場を貫かなきゃいけない。
あんまこの一事業者に対して堅いではいけないんですよね。
そういう制約があるんですね。
だけど、これ誰かサポートしないと薄福さん認証取れない。
もし僕がこのままそれを見て見ぬふりをして、MSCに残ったとして、薄福さんが認証を取れなくて、
お金払ったけど認証取れなかったって言ったら、ちょっとその世界でMSCのスタッフとしてやっていくのはしんどいなって思ったんですよ。
じゃあもう独立して薄福さんサポートしよう。
なるほど、それが大きなきっかけで、39歳の時に日本漁業認証サポートに設立して、
これが薄福さんのサポートのために独立しようと思ってやって。
他にも2つぐらいプロジェクトがあって、やっぱり同じように別の理由で空中分解する。
カツオも手掛けてませんでしたっけ?
カツオ一本ずり漁業。
カツオがやっぱりその一事業者では取れないから、何社かで取りまとめて取らないとやっぱりMSCの費用って賄えないみたいな話があって、
あれをスーさんが結構サポートしてたみたいな。
僕があれは金海のカツオ一本ずり船っていう100トンぐらいの船でやってる、生のカツオを取ってるやつ。
で、高知と宮崎と三重と静岡で当時40隻ぐらい船がいたんですけど、やるっていう船とやらないっていう船があって、
その前に僕がMSCのスタッフとして予備審査っていうのをみんなでやりましょうよって予算どっか引っ張ってきて、
みんなでやったんですね。で、たぶん認証取れるでしょうって結果が出た。
で、じゃあ本審査いきますか?でも本審査の費用は自分たちで負担しなければいけませんってなった時に、やるっていう船とやらないっていう船があって。
結構意外とお金かかるから、じゃあやっぱいいかなみたいなところはどうしても出ちゃいますね。
そうですね。で、結局20隻ぐらいになった時に、その金貝盆釣りの組合が、もし全船やるんだったらうちが窓口になるけど、
1隻でも抜けたらうちは窓口はできないって言ったんですね。で、やっぱりこれも日本で一番たぶんMSC認証取りやすい漁業だったんですけど、
釣り漁業だし。
根格は少ないし、カツオは国際管理されてるし。
まあそれなりの漁獲量もあるし。
そうですね。でもこれも空中分解しそうだなって思って。
じゃあやっぱり独立して、もう事務局やりますかって。
なるほど。結局取ってましたよね。
取りました。今でも続いてます。
今さっき言ってたカツオを結局取りまとめて取れるようになりましたと。
それが仮に1社2社ちょっとうちは取らないってなったとお金さえあれば一応取れるは取れたんですかね。その船で取ったやつはMSC認証ですっていうのは。
そうですね。
でもやっぱりその組合が窓口になっていただけることで、お金もちゃんとそこもカバーして。
そうですね。特にコーチ宮崎っていうのは複数の漁協、複数の県をまたいでいるのでお金のやり取りとか審査機関にデータをまとめて提供するとか。
そこのどうしても取りまとめはどこかやってもらわないといけなかったんですね。
はい。
なるほど。すごいですね。実務的にそこの取りまとめも入ってコンサルしたりするんですか?
そうですね。事務局っていう感じで。
事務局。
そっちはやってます。
なるほど。それが今も続いている大きな仕事の一つ。
そうですね。はい。
その仕事を続けながらも2年後、今度は大阪の小学校開校されてますけど、これをきっかけは何かあったんですかね?
えっと2019年に独立をしたんですけど、独立をした時に漁業のサポートとそれから頑張っている漁師さんたちのことを伝える仕事と2つやろうっていう風に決めてたんですね。
日本サステナブルシーフード協会っていうのを作って発信をしていこうっていうのは独立当時から思ってた。
そっか。一回ランチ会?緑層でのランチ会を呼んでいただいたのは大阪の小学校開校する前?
あれ前ですね。
いろいろ試しでどういう取り組みをしたら伝わるんだろうっていうのを模索してた?
まさに。まさに。
段階ですね。
お魚小学校。
ちょうどその2021年ぐらい行ってコロナ禍になってZoomだとかオンラインツールの発展がすごい意識しかったので、本当時代にもマッチしてた感じがしますよね。それから4年継続されてるんですもんね。
そうですね。
いやいや、まあ1時間ぐらい。約1時間ぐらい経ちましたけど。
ちょっとじゃあ予定した質問をいくつかまた聞きたいんですけど、もうちょっとだけそのキャリアの話深掘りすると、こうスーさん生きてきた中でいろんな節目節目でのお考え聞いたんですけど、
水産業界、セリニンでキャリアをスタートして振り返ると良かったかな悪かったかなっていうとどうです?
セリニンスタート?その最初のファーストキャリア。
あの本当あの当時の自分に会うことができたらよく選んだって。
なるほど。
本当に最高の選択をしたなって。
ああそうですか。それどういうところで今振り返ると生きてきてるというか。
やっぱり現場を知っているっていうことで、その水産業界にいる人たちと話すときに生の話ができるなっていうか。
信頼してもらえるっていうのもあるし。
開講ブースさんの大野さんともコミュニケーション取ったりされてますけど、それもセリニンの時にお付き合いが?
そうですね。鈴木を売ってたんですよ。
大野さんの鈴木を。
かおろしさんともお客さんだったからすぐお話を聞けたりするわけですよね。
どこで上がるどういう魚がどういう価値があってみたいなのとか、魚見たらだいたいなんとなく値段がわかるとか。
なるほど。
日本全国どこでどういう魚が獲れるかとか、それが昔と比べてどういうふうに変わっているかとか、なんとなくわかる。
流通自体は流通の要にいたので熟知できるし、振り返っても他の選択肢なかったし、冷静に考えちゃうとその選択肢なかなか選べなかったから、よく選んだみたいな感じになります。
そうですね。それはやっぱり今に役に立っているということですけど、
競り人の仕事って売って買って売って買ってっていうか、仕入れて売ってっていうその判断が個人個人の競り人にすごい任されているので、
よくも悪くも俗人なので、最初の先輩の魚のサポートをしていた1年間を除いては、やっぱり自分でこの判断をするっていうことがすごく多かった。
判断を決めたり売る、売らない。売れなくてどうしようっていう時に、じゃあ本当は400円で売りたいものがこのお客さんから200円でどうって言われた時に200円で売ってしまうのか、あるいは我慢するのかみたいな判断を本当に1日に何十回何百回ってするわけじゃないですか。
そうですね。確かに。
それって自分にとっては単に魚の業界のことを知っているだけではなくて、一つ一つの意思決定をする時の訓練だったなと。
確かに、値札が貼られたものを売るわけじゃなく、大体の相場感を経験値を元に頭に入れておいて、それで探り合うみたいな。
騙し合いみたいな。
かなり高度なコミュニケーション。スキルと物への価値、魚への価値観というのを必要とする。すごい仕事ですよね。しかも時間に限りあるし。
なんでみんなセリニーにならないんだろうって。
逆に?
そう。まずセリニーをやろうよって。
そうですね。確かにな。なるほど。
市場で水産の仕事をずっとやりたい人は一回市場で働くと、そこらへんは一気に身につきますよね。
あとやっぱり性格が明るくなりましたね。
それまではちょっと暗かったんですか?
もうちょっと頭でっかちですね。
行動的でもありますけどね。話聞くと。
あんまり初対面の人に自分から声かけるとかやらないタイプだったんですか?
今でも一人見知りはします。
そうなんですね。意外と。
もっとニコニコして仕事しないとダメだよって。
いい意味で真面目なんですね。
人生の糧ですね。
わかりました。リスナーさんから一つ質問が来ていて。
私も尋ねなかったことになるんですけど、東京都にお住まいのサメ太郎さんという方から、今後どのような活動をされていくのか。
今やりたいこととか将来的にどんなことをしたいかっていうのはありますか?という質問が来ていまして。
今こう話を聞いていると、おさかな小学校と漁業認証のサポートという2つの軸で。
お金自体は漁業認証サポートの方がシュートだと思うんですけど。
バランスと取れているのかなと思うんですが。
そうですね。せっかく10月1日から対応代の助教にならせていただいたので。
確かにこの展開が待っている。
これ5年間の期限です。人気付きなんですけれども。
その中で自分が今までやってきたことをいかに若者たちに伝えていくかみたいなのはやっていきたいですね。
やりがいがありそうですね。
特に認証関係はどういうふうに漁業をサポートしていくのかとか。
自分が捕っている魚の持続可能性みたいなのを自分でセルフチェックができるようになったりとか。
海外の人たちはどういうふうに持続可能性というものを考えているのかとか。
いろいろテーマというか考えるポイントがあるし、役立ちポイントがあるので。
なるほど。じゃあそれは先生になって授業の中だったり学生と話す中で伝えていきたいというのがやりたいこと?
さっきの話を聞いていると海外にはMSCのサポートするような人たちが結構いたりすると伺って。
日本にはあまりいないと。
そうですね。
スーさんがそれを立ち上げて。
ってなるとスーさんが何でしょう。その仕事をもうちょっと大きくする展開もあり得るかなと思うんですけど。
そこら辺ってどうなんですか?
会社的に従業員を雇ってみたいなところはどうなんですか?
そうですね。やっぱりその業務がたくさん溜まっているときとかは何人かいたら助かるなみたいなことはやっぱり考えたりもするんですけども。
やっぱり安定しないんで。
ああそうなんですね。
そんなに需要もないかなと思って。
悲しい。
今のところ。
なるほど。じゃあ自分がご飯食べるのでちょうどバランスするかなぐらい。
そうですね。今のところそんな気もしますね。
安定しないもんなんですね。そのやっぱりいつ巣立つかわかんない部分ですか?サポートしてる。
そうですね。
日本の漁業が伸びないと水が高まらないっていうところで考えると。
そうですね。新規でMSC取ろうみたいなことがそんなにしょっちゅうあるわけではないので。
ちょっと一段落ついてる感じなんですかね。一通りいろんな会社も検討した。
どうなんですかね。カツオマグロ漁業とかがどんどん増えてはいるんですけど、それ以外はあんまり。
まずはニーズがあるかっていうこともあるし、ニーズがあったとして資源状態とかを考えたときに認証取れるかっていう問題と。
認証取れたときにその分ペイするのかみたいなこととか。いくつか条件が揃わないと、じゃあお金払って認証取りましょうってなるんですね。
シーフードレガシーさんっていらっしゃるじゃないですか。やってる領域ちょっと近いのかなと思うんですけど、近いんですか。また違うんですか。
どっちかというとレガシーさんはマーケットトランスフォーメーションって言うんですかね。
マーケット変えようっていう感じ。
もっとサステナブルな水産品を食べてもらうように。
そうですね、B2Bのコミュニケーションが多いんですけど、小売さんとかのその調達方針とか。
なるほど、CSRにやっぱりこういう調達方針掲げないとみたいなところのお仕事ですかね。
一部シーフードレガシーさんがサポートしてるカツオマグロ漁業みたいなのもあるんですけど。
そうなんですね。
そこはうまく連携しながら。
なるほどな。
分かりました。じゃあ今はちょっとワクワクしてるというか、やっていきたいなと思っているのはやっぱり大学東京歌謡大の特任助教になられたので。
はい。
じゃあどういう授業をやろうかなみたいな。そういうところですね。
そうですね。
分かりました。ありがとうございます。
今45歳でまたそのこれから50歳の壁がありますから50まで何をしようかみたいなそういう。
そうですよね。とりあえず50まではこの歌謡大のポストがあるので。
本当にね、大学教員になるっていうのは全く想定外だったんで。
これなんかご縁があったんですかね。応募があったんですかね。
応募があって応募があるよっていうのを教えてもらったんですね。
これもともとはマルハニチュロさん、来年ウミオスさんになりますけど、そこがやっぱりサスペンシャリティーの意識が高くて、出資しながら作ったコーダーみたいな。
そうですね。
立て付け的には。
そうですね。マルハニチュロさんとあとセブン&アイさん。
あーそっかセブン&アイさんもいて。
それからセブン&アイさんの財団ですね。その3社が寄付をして。
寄付をして作った。で、教授はカタノさんですね。
そうですね。カタノアMさん。
カタノアMさん。もう今、もう昔からこの日本の資源化についてのご発想されてる方。
はい。
カタノさんともこの研究室でお話しされることってあるんですか?
カタノさんの研究室の方が広くて綺麗なので。
ここはもうスーさんの専用の部屋?
そうそう。ここは僕の部屋です。カタノさんの部屋は3階で。
そうなんですか。
全然。
もっと広い。
ちょっとカオスを目指してるカタノさんですが、カタノ先生の所はすごい整然です。
そうなんですね。
全然違います。
時々その授業に関してワンオンで話をしたりとか。
そうですね。話をする時はカタノ先生の部屋で。
部屋にいたり。
いいですね。そこもいろんな展開が待ってそうで。
そうですね。やっぱりカタノさんはノルウェーをはじめ世界の漁業のいろいろな先進的な事例をよくご存知なので、いろいろ勉強させていただきたいなと思っています。
分かりました。ちょっと1時間がっつりスーさんのキャリアを振り返らせていただきました。スーさんすみません。ありがとうございました。
ありがとうございます。
スーさん1時間話していただいたんですけど、今日は2本目の収録がありますので。
2本目は印象的な大阪の小学校のエピソードトップ3ということで、今スーさんが漁業認証のサポートと同じくらい力を入れているオンライン授業、大阪の小学校で印象的だったことを、また大阪の小学校についてのもうちょっと深掘りをさせていただきますという感じで。すみません。
引き続きよろしくお願いします。
お願いします。ありがとうございます。