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2024-05-17 15:39

(37) 無印の生活者としてやっていきたい気持ち

  • 役職呼称
  • 間接的ポインティング
  • 揮発性の高い属性、不変の属性
  • ウェブ上のjunebokuというアイデンティティ

#声活

 

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こんにちは、純朴声活です。2024年5月17日、金曜日に収録しています。
はい、今日のうちに配信するつもりです。エピソード37ですかね。
はい、えーっと、そうそう、関西したみツアーをやってた時は、結構頻繁に更新していて、それからね、
ちょっと空いたか、間が空きましたね。でもなんか、なんかね、何日か撮ってないとね、そうだな、3日ぐらい更新してないと、そろそろ撮りたいなって気持ちにはね、いつもなるんですよね。
それで撮ってるのが、今日ですね。はい、5月17日。だいぶもう、夏っぽくなってきてませんか?
暖かいですよね。今日もね、少し外歩きましたけれども、特に正午から14時ぐらいまでの間は、もうちょっとお散歩するにしても、もうちょっと早い時間にするか、暑くなる前の朝とか、
ちょっと日が沈んできた夕方とか、ちょっと涼しい時間にしとこうかなと思うぐらいね、お散歩してても、だいぶ晴れてる日はね、暑いですよね。こんな調子だと、7月、8月はどうなっちゃうんだろうと、少し心配したりしています。
今日は松本市の市街地の方、ちょろっとね、用事があって見てきましたけども、結構ね、人いましたね。ぱっと見で、外からいらしたのかなっていうね、観光か何かで、旅行か何かでいらしたのかなというふうに見える人が結構多かったかな。
いろんな人が松本市に来てくれるのは、市民として嬉しいことだなと思っています。
今日はですね、また僕のお得意のというか、いつも考えてることだからしょうがないんだけど、よく話すような、自己認識というか、自己の在り方みたいな話をしたいなと思って撮っています。
で、例えばこの純木生活というポッドキャストの名前からしてですね、ここに番組名に自分の名前の成分である純木を入れてることからもわかるより、
僕は結構僕という個人がまずあって、そこにいろんなものが付随して、二次的に他の属性とかなんやかんやが付随してるっていう感覚が強くあるんですよね。
多分そういうスタンスで生きてるのが自分だなと思います。
なので例えば所属であるとか、何かしらの属性であるとか、そういうものをそんなに全面に出したいと思ってないんですよね。
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なので結構役職呼称とかもあんまり好きじゃないから、例えば友達でも知り合いな、何かの場でイベントの会場でお話しすることになった相手がいてもあんまり役職呼称をするのが好きじゃないから。
基本は名前、ファーストネーム、ギブンネームに算付けかファミリーネームに算付けか、あるいはその方がこれで呼んでねって言っているものがあれば、本人の希望があればそれに素直に従って。
例えばふわちゃんって呼んでねって言われたらふわちゃんって呼びますとかそういう感じですね。
一番最優先は本人がどう呼ばれたいかで、それがなければギブンネームに算付けかファミリーネームに算付けになることが多いですね。
役職呼称ね、たまに昇進した直後の人にちょっと面白がって仲良い人なんですよ、関係性がある場合はちょっと面白がって、例えば友達があるタイミングで社長になったとか言った場合は、
何ですか社長みたいなそういう軽いお戯れとしてそういう役職で呼称することあって、最近も友人が部長になったんで、話してるときにそこは部長の力で何とかとか言ったら、
それほんとやめてねって言われて、がははってね、ごめんごめんって言って、一回いじったらそれっきりにしようと思ってたって言っていただいて、そんなやり取りも最近ありましたね。
なので、役職とかあとは間接的に呼ぶとかね、そういうのはあんまり好きじゃなくて、結構僕自身も一個人として、私は純僕ですっていうストレートな一個人っていうところにアイデンティティ持ってるし、
自分が誰かと接するときにもその人、個人となるべく向き合いたいな、そういう付き合いインターフェースが好みだなと思っています。
この音声コンテンツの番組であるとか、あるいはブログとか動画とか見てると、結構自分みたいな誰々の声日記みたいに、まず個人名が先頭にくるタイプもあれば、
その人のポジションとか役割とか属性を手前に持ってくるパターンもよくあるなと思うんですよね。
例えば渋谷で働く社長のブログとか、そういうのもあると思っていて。
考えてみると、僕は自分はそういうラベルの付け方、ラベルの押し出し方をしたことない。したことあるかな。
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ちょっとパッと軽く脳内を探ってみた感じだと、自分ってあんまりそういう見せ方しないなと思うんですよね。
例えば今だと松本市で働くソフトウェアエンジニアの声日記とか、そういうのも嘘じゃないかね。それは事実だと思うんだけど、あんまりそういうふうにやろうと思ったことがないんですよね。
そういう属性は二次的なものであって、あんまり自分にとっては一次的なものじゃないんだよ。そこに自分のアイデンティティをね。住んでる場所とか職種とか専門性とか、役割とか。
例えば役割で言ったら僕は妻と二人で営んでいる家庭の夫という属柄というかポジションを持ってますけど、夫婦の夫であるっていうことにもあんまりそんなに自分のアイデンティティを見出してないというか。
夫だからこういうことを言ってるとかっていうのはあんまりないからでしょうね。なんで、あとそういう属性って結構意外と変わっちゃうからね。あんまり長く使えるものとも思ってないんだろうな。
例えば所属とかね。あと住んでる場所も。最近、去年とか、なんかに僕の名前を載せてもらうときに所属どうしましょうかって。去年だな、去年聞かれて。
肩書とか所属どうしますって聞かれて、じゃあ松本市民でお願いしますって言ったんだけど、それも結構会社勤めしてないから面白がって言ってるところもあって、かつ松本市民じゃなくなるってわかってるから言えるみたいな。
あんまりそこに土産庫を、そこにアイデンティティ見出してないんだよね。今口から土産庫って言ったのは、土産庫っていう部分には結構アイデンティティを持ってるなと思って、それは変わんないからですね。そうか。今整理できた気がする。
なんか所属とか役割とか今のポジションとかって結構変わるから、あんまり寿命が長いラベルじゃないと思ってるんだ。一方で土産庫っていうのは少なくともこの人生において僕が北海道で生まれて育ったっていうのは今後も変わんないから、土産庫属性みたいなのは少しいろいろある属性の中でも少し使う機会が多いんだな。
分かってきた。大和田純です。純木ですっていうのがファーストにあって、その次に変わりようのない部分。例えば何だろうね。
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土産庫、北海道生まれ土産庫もそうだし、生物学的に男性っていうのも変わんないのか。だから、ただ男として何か言いたいシーンっていうのはあんまりないしね。でも年齢も変わるし、今住んでるとこも変わるし、職業も変わるし、最近何やってるかっていう、そのときそのとき何に興味あるかも変わるから、それはさらに二次的三次的だと思ってるんだろうな。
そこに強いアイデンティティーを持ってないんだよな。あとは、誰か経由で間接的に参照されるのもあんまり気持ちのいいものだと思ってなくて。
例えばですけど、例えば僕が、僕の父親が社長、何かの企業の社長だったとして、社長の息子とかご子息みたいなのって、僕じゃなくて父の付属物として見られてるみたいな感じになるから、それも好きじゃないんだよね。
例えば社長夫人とか誰々さんのお子さんとか誰々さんの妻とか、いろいろ誰々さんの師匠とか、いろんな間接的誰か経由でやれる。
例えば肉屋の息子とか、いろいろ娘とか、あそこの花屋の息子とかいろいろあると思うんだけど、そういうのも便宜上、その場ではそうするしかないと思ってそうなることはあって、それは機能としてしょうがないと思うんだけど。
でも本人の名前とかがわかってれば別に名前で呼べばいいじゃんみたいに思ってるんでね。間接的な指し示し、間接的なポインティングもあんまり自分は好きじゃないからやられたくないと思ってるし、自分もあんまりやりたくないと思っていますね。
最近もある人と話してるときに、その人のご家族の話よく出たんで、最初は誰々さんの、例えばその人の母親でしょうか、誰々さんのお母さんっていう、最初は初めて話に出てきたときは手がかりかそれしかないから誰々さんのお母さんだけど、
繰り返し話で出てくるうちに、お母さんお名前ちなみに何て言うんですかって聞いて、名前を覚えたら以降はもう名前で誰々さんって直接呼んでいくっていうのは最近もありましたね。
そんな感じで、結構個人というものに対して強い思い入れがあるので、個人に付随する、しかもある程度揮発性のある属性についてはあんまりそこを頼りにしてないなと思いますね。
皆さんはどうですかね。特にブログのタイトルの付け方とかポッドキャスト番組のタイトルの付け方を見ると、結構属性を荒さなんちゃらのとかね、そういうのあるけど、それって変わるからね。
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変わったらたぶん番組を変えるとかってできるから、別に全然ブログにしてもポッドキャストにしても一生ものなんてそんな重い捉え方しなくてもいいから、それはそうなんだろうけど、自分自身は割と長く使えるものというか古びないものというか、そういうのを思考してるところがあるなと思いますね。
キマグレエフエムなんかを思い出してみても、キマグレエフエムもですね、いつも冒頭で読み上げてる番組の紹介文は高橋と潤木が送るきまぐれ雑談系ポッドキャスト、キマグレエフエムって言ってるから、きまぐれに雑談している分には別に僕らの属性がどう変わろうとも大丈夫な強度のあるやつにしてますよね。
僕の好みでもあるし、高橋さんもそうなんじゃないかな。あんまり属性、職業とか、高橋さん僕もソフトエンジニアではあるし、会話の端々からソフトエンジニアっぽい話し方をしてることはあると思うんだけど、
あんまりソフトエンジニア、例えばアラフォー男性ソフトエンジニア2人が送るみたいな言い方をこれまでもしてきてないし、たぶん2人とはあんまりそういうの好みじゃないんでしょうね。もうちょっと1人の生活者としてしゃべってる。
生活者ですよ。で、いろいろ状況は変わりますよ。たぶん話していくことも変わってますよっていうね。自分とか自分たちっていうところに寄りどころを求めて、その周りの付随するものはもうちょっと移ろいゆくものとして扱ってる気がしますね。
皆さんはどうですか。逆に何かの役割とかに強くアイデンティティを身に出してる人もいると思うので、そういう人のこういう話も聞いてみたいですね。今の自分はここにアイデンティティがあるからこういう発信してるんだみたいなったら、それはすごく興味があるのでぜひ聞いてみたいなと思ってます。
僕自身はもう20年近くなのか、ウェブ上に自分のアイデンティティを求めるようになってから。そういうのもあるんでね。
ウェブ上のアイデンティティという意味でも、すごく何ヶ月か考えた、JUNEBOKUという純木という文字列に人格を宿して、どこのサービス上でもまず自分だと分かるようにこの文字列を、どのサービスでも他の人に使われてないようなものとして、純木というアイデンティティを身に出す文字列を設定したりしてるんで、そういうところにも自分のスタンスがよく現れてるなと思います。
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属性を脱ぎ捨てて、一人の生活者として裸の心で取り組んでるような発信活動になるのかなと思ってます。
今日はそんな話をしてみました。皆さんはどんなスタンスで音声配信だったり、他のメディアの配信をやってるのかなっていうのはぜひ聞いてみたいところです。
今日はそんなところです。JUNEBOKU生活でした。また次のエピソードでお会いしましょう。バイバイ。
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