1. 純朴声活
  2. (38) すてき ナイス ✨
2024-05-19 15:20

(38) すてき ナイス ✨

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  • アイデンティティ迷子
  • 考えがまとまっていないことこそ #声活 していく
  • すてき ナイス ✨
おしゃべりの内容とは関係ない、今日のサギの様子

 

サマリー

2024年5月19日の21時過ぎ、純朴生活が自然音の中で喋っています。喋りのまとまりにこだわらず、自由に考えを展開していくことの大切さを感じると話しています。小学生と接する際には慎重に言葉を選び、ジェンダーステレオタイプや外見に関する話には注意しています。最近の世の中ではかわいいという言葉は避けられる傾向にあります。その代わりに素敵やナイスといった言葉が使われることが増えており、特に絵文字のスパークルスやスパークルスコロンが人気です。

自然音の中での喋り
どうも、純朴生活です。2024年5月19日の21時過ぎというところですね。はい、日曜日の夜に喋っています。
最近は、なんていうか、クリアな音質も好きだけれども、環境音が入っているのも好きだなぁと思いましてですね。
今日はちょっと家の外に出て、まあね、涼しい夜なんで気持ちいいなっていうのもあって、今ちょっとね、家の外で撮ってます。
カエルの鳴き声って聞こえるもんですかね?あとちょっと今ね、雨がしとしと降っているので、もしかしたらカエルの声と雨の音がBGMになっているのかなと思います。
撮り終わったら自分でも音確認するのが楽しみです。エピソード、これが38になるのかな?はい、前回は無印の生活者としてやっていきたい気持ちみたいなそんな話をしました。
自分でもね、喋り終わって公開した後、一回聞き直してみるんですけどね、文字を越し読んだりして、あんまりまとまってないことを喋ったなぁと思いましたね。
その上で、それがあんまり悪いとも思わなくて、文章だとね、まとまってない、なんか考えがまとまってない状態で文章にすると、すごく仕上がりに対して、なんかまとまってないからうまく書けなかったなーって気持ちになるんだけれども、
音声は文章と比べると、そこまでまとまっていないことをネガティブに感じないなぁと、そんな感覚を持ちましたね。
喋ってみて、まとまってなくて、公開した後で、ああこういうことかもなって考えが進んだりもしたんで、むしろまとまってないことこそ、こうやって喋って、公開して、自分で聞いてみたり、あるいは他の人が聞いてくれてコメントくれたりもするんで、
そういうのをどんどんやって、議論というほどしっかりしたものじゃないけど、喋って会話する中で考えが整理できたり、認識が前に進んだりしたら、それはすごく自分にとってはありがたいんでね、そういうことを積極的にやっていってもいいなと思いました。
で、自分の属性みたいなのはあんまり全面に出したくないって話をしたんだけども、あれね、話した後思ったのはね、今結構自分がアイデンティティのモラトリアム機関みたいな感じなんだろうなぁと思いましたね、自分で。
今は次、なんていうのかな、タマゴッチとかデジモンで言うと、次変身したら何になるのかなっていうのを楽しみにしていて、不確定でモラトリアムの機関なのかもしれないなと思いますね。
だからあんまり自分を今ある属性で縛りすぎて、未来の可能性が狭まるようなことをしたくないのかもしれないなと思いました。
モラトリアム機関ね、人生で何回かあるじゃないですか、進路選択の前とかいろいろあると思うんですけども、あるいは学校において就職するのか進学するのかとか、どの学校行くのかとかどの会社選ぶのかとかいろいろ人生においてそういうちょっとした選択の進路が分かれ道に感じられる時があると思うんですけど、
今が自分がそんな状況なんでしょうね、きっとね。なんで、なるべくニュートラルにいろんな可能性を模索したい時期なのかなと思いました。
友達の浜崎健吾君が、自分の住んでるマンションの名前をハッシュタグにするやつが無印の生活者なわけないだろうみたいなコメントをくれてたんですけど、すごいですね、僕の12年前ぐらいの話を覚えててくれる友達がいるのはありがたいことだなと思いましたね。
当時、ガローアというね、東京都高畑にあるマンションに住んでいて、確かに僕はね、ガローアっていうハッシュタグをつけていろいろ家のこととかね、やっていたりイベントやったりしたんで、まあすごい懐かしいですね、そうそう、でもね、これなんか面白いなって思ったのは、そうなんですよ、その友達が見てくれてる僕って別に職業がどうとかじゃなくて、その具体的なエピソードとかで、
覚えていてくれるから、それがまあ生活者っていう、一人の人間、一人の生活者ってことなんだよなぁと思いましたね。あんまりわかりやすさに抵抗して、あまり自分を単一のラベルに押し込めたくないっていうのは改めて思いましたね。
というわけで、まとまってない話をしてみるのは、なかなかいいじゃんとね、味を占めたところもあるので、今回もあんまりまとまりきってないけど最近気になっているトピックを一つ持ってきたので、それについてちょっとだけ喋ります。
ちょうど明日、小学校に行く日でですね、小学校と接してるときに、どんな声かけをするかとか、どんな接し方をするかっていうのは、すごく慎重になるんですね。
もちろん相手が誰であっても、どんな言葉をかけるかっていうのは慎重になるんですけども、特にこれから価値観が形成されていくであろう、人格が形成されていくであろう時期の人相手には、僕が何気なく言った言葉がそれに強く影響しちゃったり、柔らかい部分がまだまだ残っている人であればあるほど、
僕が何気なくツンって触った部分がね、グッと凹んでそれが形になっちゃったりとか、起きやすい傾向にはあると思うんですよね。
でも自分と同い年ぐらいの人が相手であれば、お互いにある程度自分はこうっていうのがあって、僕がフッと言った一言で強い影響を受けるってことが起きにくくはなっていると思うんでね。
まあそういう意味で小学生と話すときはね、すごくこういうことは言わない方がいいだろうなって思うことはいくつか浮かんでいるので、それは言わないように気をつけてるんですよね。
ジェンダーステレオタイプと外見に関する話
例えばだけど、わかりやすいところだと、児童が何か頼もしい姿を見せたときに、男らしいねとか、逆にそうじゃない姿を見せたときに、めめしいねなんてそういうジェンダーステレオタイプをね、植え付けるような関わり方はしたくないとは思ってるんですよね。
一人一人を見て、あまりその人がたまたまそういう属性だっていうことと、その人がどういうね、何を好き好んで何をあまり好き好まないのかっていうのを分離して考えたいなと思うので、それは気をつけて接しているつもりではあります。
それと似た話、似てないか別の話か、美衆の話とかもすごく難しいなと思っていてですね、特に見た目に関することって本人が選べないことでもあるから、それが変な受け止められ方になる。
こちらが意図してない情報が伝わるようなこともなるべく言いたくないと思うから、なるべく言わないようにしてる。
だから会社の中で言ったらね、セクハラ研修で習うようなことかもしれませんね。
そもそも見た目についてあんまり不要意に言及しない方がいいと思っていて、全くダメとも思わないし、例えば相手がその話をしたいんであれば、例えば週末、髪切ったんですよってね、今回の髪型めっちゃ気に入ってますって朝会とかで誰かが言ってくれたら、いいですねって素敵ですねとかね。
そういう受け答えとしてそういうことを言って、特に問題ないシーンっていうのはあると思っているんで、相手がその話したいんだったら応じるし、こういうこと言ってほしいっていうんだったら言うし、本人がその話を全然してないのに、そういう話したいかどうかを確認せずにこちらから踏み込むっていうのはリスクがあると思うんでやらないんで、小学生相手にもね、そんな感じですね。
例えば、具体的に扱いが難しいなと思っているフレーズの一つが、かわいいっていうやつで、僕が今中年男性として生活をしていて、
あまり不要意に、かわいいとか誰かとか、物とか人とかに対してあんまりかわいいって言わないほうがいいんだろうなっていう世の中の雰囲気はここ数年感じていますね。
スラックとかディスコードのカスタム絵文字でひらがな四文字のかわいいってやつが登録されているサーバーとかワークスペースって結構あると思うんですけど、他の皆さんがかわいいってスタンプを何人もが絵文字リアクションとして押してるときに、
自分だけはね、自分だけかわからないけど、自分はそれをね、なんかかわいいって気軽に使う言葉じゃないんだよなーみたいな気持ちがあって、別のにしとこうみたいに思うこともありますね。
世の中のセクハラ、パワハラ事例とかね、摘発されて、現場の人からこういうことがあったっていう告発とかみたいのがあって、調査されてこういうのがあったっていうと、結構よく見るのが、
年上の男性による、現場の年下の女性に対する頭ポンポンとか、そういうのがすごい嫌だったみたいな話ってね、なんか見たことあって、なんか結構良かれと思って可愛がってるつもりみたいな一方的なやつって、
結構その可愛がっている、可愛い頭ポンポンみたいな、そういうところに現れてるなーっていうね、感触があってね、まあこれ一歩間違えると、一歩間違えなくてもなのかもしれないけど、まあね、そこは相手に嫌な気持ちさせることがあるだろうなと思うので、結構可愛いっていうフレーズは要注意が必要。
なんか考えなしに使うのは良くないんだろうなっていうのは思ってます。
で、そういうときに僕が避難先にしてるのが、素敵っていう言葉だなとね、すごく思っていて、素敵、素敵だねとか素敵ですねは、あんまり世の中トラブってるのを見たことがないので、
例えば小学校行って児童が、あ、純先生、これ作ったんだーとか、絵描いて描いたんだーって言って見せてくれるときがね、嬉しいことがあるんですよ、そういうときに、素敵だねーっていうのはよく言ってますね、それは素敵だなと思うからそう言っていて、素敵は今んところ当たり障りないんじゃないかなと思ってます。
で、それが素敵っていうのは英単語で言うと、ナイスとかに該当するのかなと思いますし、絵文字で言うと、スパークルス、キラキラってしてるやつ、菱形、ダイヤ形みたいな光が2つ3つキラキラってしてるスパークルスね、スラックとかディスコだとコロン、スパークルスコロンで入力できるやつね。
あれは嫌味が少ないのかなと思って、素敵とナイスとスパークルスに結構逃げてる、ここはたぶん2024年5月現在、これは割と大丈夫なんじゃないかなと思って、それをよく使ってますね。
素敵やナイスの代替
小学生と接するときには、素敵、あれ素敵だねーって言ったり、スラックとかディスコでは、いいのがあったときにスパークルスをつけるっていうのをよくやってますね。
ただこれも、僕はそう思ってるけど、僕からスパークルスつけられて気持ち悪かったとかね、それあるかもしれないし、時代が変わればね。
苦闘典の意味一つも、時代とか世代が変われば受け止め方変わるみたいですからね。
世の中の動向を見ながら、なるべく別にね、不快感を与えずに済むなら与えたくないですからね。
うまいことやっていきたいなと思っていますよ。
なんかね、その辺、女性同士だと、ハートの絵文字とか、かわいいみたいな声かけが全然トラブルにならずに流通しているように僕には見えるんだけれども、
どうもね、中年男性って自分からはなかなかハートの絵文字、かわいい、その辺、むずいなと思っています。
なるべく皆さんと良好な関係を築いてやっていきたいと思ってます。
これを聞いてくれてるような人は、そもそもね、良い関係、悪くない関係だとは信じてますけれども、
いろんな距離感のいろんな人と接してるので、安排に逃げがちだなというのを感じています。
今日はそんな感じで、またまとまってないことを喋ってみました。
それではまた次のエピソードでお会いしましょう。
お相手はじゅんぼくでした。
バイバイ。
15:20

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