母親の施設入所と初期の状況
こんにちは、東京でゲストハウスをやっているジュリーです。 今日は家族の話をしたいと思っています。
私の母はですね、もう長いこと施設に入っておりまして、2019年の春からですね、施設に入っていて、
始めはですね、多分、その数年前から認知症みたいなものが進んではいたと思うんですが、その2019年施設に入るもう何ヶ月も前から、かなり家にいてもですね、
なんだ、表情が乏しかったりとか、あとはちょっともう寝るわって言って、部屋で寝ていることがかなり多くなったんですね。
もともと触が細かったんですけれども、あるとき立てないみたいな、どんどん痩せていってしまって立てないみたいな感じになってしまい、
しかもおトイレに一人で行けなくなった状態だったんですね。これはやばいと思って一回病院に連れて行ったら、
その病院では特にその症状、具体的に治療しなきゃいけない症状が出ていないから戻ってくださいと言われ、
私の実家は外階段で2階が家なんですよね。その階段を、母は歩けない状態になっていて、上に部屋に戻さなきゃいけないという状況になって、
そのときに父も妹も、そんなそんなお母さんをおんぶなんて無理無理みたいな感じで、
じゃあ私がやらなきゃダメかなと思って、私が必死に母をおぶって、母も私と同じぐらいの体型で小柄なんですけれども、
そうは言っても私もかといって母一人をおぶって階段これ厳しいって感じで、本当にこれは何とかしなきゃいけないなという状況になり、
ほどなく施設を探して、施設に入ったんですよね。
コロナ禍と母親の容体変化
初めは本人もまだ自宅と違うなっていう感じを感じて、軽いパニックみたいな感じにはなってたんですけれども、
ほどなくなんとなく馴染み、施設に入っていてもほとんど寝てることが多かったりとか、
いろんなことへの興味っていうのは、もともとすごい欠如していた状態でしたね。
コロナ禍に一度やっぱりちょっと具合が悪くなって病院に入ったんですね。
少し入院したりなんかして、また施設に戻れますというタイミングで会った時には、
ベッドから大丈夫よ、大丈夫よみたいな感じで声をかけてくれたぐらいだったんです。
それがだから2021年とかだったのかな。
もともとの施設に戻るのではなくて、さらにのんびり過ごせるような施設を見つけて、そこに一番長くいるんですけれども、
ただコロナ禍で頻繁に面会もできず、やっぱり母と接触できない、会えない時間が長ければ長いほど、
次に会えるようになった時にはもう車椅子で、目は開いてるんだけれども、どこ見てるんだろうみたいな、
家族が来てるってことはもう全然わからない状態になっていて、
コロナが明けていった時も車椅子には乗ってますけれども、ほとんど寝てることが多かったりしている状態でした。
母親の容体悪化と父親への面会
それでここのところでですね、ちょうど2年前の春ですね、2024年の春にですね、
実はこのスタイフで私がその母の面会に、父に一緒に面会に行こうっていうふうに誘えないんですみたいなね、
そんなことをトロするスタイフを配信したことがありまして、今見てみたらそれが2年前の5月だったんで、ずいぶん時間が経っちゃったなと思ってるんですけど、
実はいよいよですね、母の状態が悪くて、ずっと父を面会に誘えてない状態のまま時間だけが過ぎてしまったんですけれども、
いよいよ母が、去年の夏にですね、顎が外れてしまって、ずっと顎バンテージみたいな感じで固定はしてたんですけれども、
その時に施設の人にもですね、こうなるとちょっと固いもの、普通の食べ物が多分取れなくなるので、
そういう意味では栄養が取れづらい、少なくなってしまうので、援護とかのリスクもあるから、
そういう意味ではやっぱりどうしても衰弱していく可能性があるので、あとはお母さんの体力です、みたいに言われた時があって、
とにかく私たち、私と妹としては苦しまないようにしてほしいというのが願いだったんですね。
だから必要以上の延命措置とか、急に急変するですね、体調が悪くなったりとかした時に救急車を呼んで病院に送るとか、
そういったことはすごく望まないっていうふうに言ったんです。
とにかく母親が苦しまないように、これは寿命だし、母が一生懸命こうやって、施設に入ってからでも、
今2026年、7年ずっと頑張ってくれたことで、お母さん頑張ったよっていうような気持ちで、
昨年、施設の人に言われた時には、必要以上に救急対応みたいなことはしないでほしいと、
ただ本当に苦しそうだったら、それはその時はちょっと言ってくださいみたいな状態にしていたんですよね。
現在の厳しい状況と面会への決意
それで先週ですね、先週熱があって、熱が下がらないと胆がすごく絡んでしまって、
顎が外れてるからずっと口が半開きみたいな状態なんですよね。
筋が喉に直撃していっちゃって、それはもうどうしようもない、呼吸器もつけないですし、
胆が絡んでいて、食事が援護でリスクがあるので、
ちょっと先生が食事は一旦やめましょうということになっているんですね。
だから注射が効いて、抗生物質が効いて、熱が下がって、また胆がなくなって流動食でも取れるようになれば、
また車椅子に戻れるかもわからないけれども、これはお母さんの頑張り次第ということなんですよね。
いよいよ週末に行っていたんですけれども、施設からも時間制限なしで面会していていいですとか、
いつでも来てくださいみたいに言われて、これはやっぱりいよいよただ事じゃないんじゃないかと思っているんです。
いよいよ2年ちょっと前にずっと気にはなっていた、父を誘えないというのも、いよいよちょっと誘わなきゃなと思っていて、
行くんですけど一緒に。
父親との面会への不安と期待
自分が母と2人きりならまだしも、目の前に横たわっている母と、例えば妹とか。
妹が母に語りかけてたりとか、そのシチュエーションが自分としてはとっても辛くて、
なんて言うんだろうな、自分も辛いけど、この妹が一生懸命母に話しかけている、その切ない感じが切なくて。
それにグッと来るというか、泣けてくるんですよね。
いよいよちょっと父を連れて行くとどうなっちゃうかなみたいな。
それがちょっと今不安で嫌だなと思っているんですけど、そうは言っても亡くなる前に、
もちろん母がもう一回復活して車椅子に戻ってくれればいいんですけど、その可能性も分からないし。
父はもう本当に施設に入った時に見送った、だから7年前に施設に入った以来、
その時はまだちょっとはヨボヨボしてましたけども、歩いてたし、ほとんど会話はなかったけれども、
そういう母だったんで、たぶんこの7年の落差というのは、いろいろ想像、父なりに想像はしているかも分からないけれども、
いや全く想像していないかもしれませんが、なかなかショッキングではあるんじゃないかと思うんですが、
それは父は父でね、自分なんかよりももちろん年を重ねて経験値もあるだろうし、
親しい友人だったりとか、もちろん兄弟ももちろん親も亡くしている経験を持っているから、
なんとか受け止めるだろうと期待しているというか、こんなこと私が勝手に想像して心配しているよりも、
きっと父は毅然としていてくれるんじゃないかと思うんですが、
ちょっとこれで面会をしてもらおうかなと思っています。
決意のきっかけと今後の展望
なんでこんなに2年半も経っちゃったんだろうという気持ちと、
でもまあそれは仕方がなかったような気もするし、とにかくそれでも面会という機会をちょっとなんとか乗り越えていきたいと思います。
概要欄に過去の時の配信を貼ってみます。
それで今回のこの配信を撮ろうと決心したきっかけが、
やっぱり原さんが2年前ですね、2024年の春だったかな、
お母様とお別れができましたっていう音声配信があって、
その音声配信にすごく励まされてたんですね、当時も。
今も時折、母のこと、自分の母のことを思い出すとその原さんの音声配信を思い出すし、
また最近その母の様態が悪くなってから、またそれを聞いたりなんかしてたんですけれども、
原さんのご家族なりに乗り越えたことで、
うちはうちなりにおかしな家族ですが、なんとか乗り越えられるかなと思っています。