1. 4人のかーちゃん助産師の生きる道
  2. 17.間違えるのを恐れるのはや..
2024-05-05 22:31

17.間違えるのを恐れるのはやめた

spotify amazon_music

バイトからの学び。間違えることを過度に恐れず、人間は間違えてもいいんだよという子へのお手本になろうという話です。

 

#助産院夢生 #助産師 #助産師の可能性を考える #声日記

サマリー

彼はゴールデンウィーク中に、一日間違えて休みを取ってしまったことに気づき、間違えることへの恐怖心について考えています。牛乳配達の仕事でも間違えることがあるけれど、対応すれば問題ないと感じています。間違えた時には相手に対応し、反省して生かすことが大切だと考えています。子育てには正解がなく、間違いを恐れることもあるが、間違ってもいいから挑戦してほしいという親心が大切だと思います。

恐怖心への直面
こんにちは、助産師として、母として、私として、生きる道を模索する、4人のかーちゃん助産師のみほです。
今日、まだゴールデンウィーク中です。
撮ってるのは5月3日の早朝なので、
やっと後半戦に入ったかなってところなんですけれども、
私、昨日すごい衝撃的な事実に直面しまして、
なんと、私ゴールデンウィークは3連休中3日あって、3連休と思っていたんですが、
後ろが4連休だったってことに、昨日気がつきました。
なんかすごい1日、ゴールが先延ばしになった気がして、ドヨーンってなっています。
でも、我が家は明日から、明日、今日、今日の昼間からキャンプに行く予定があって、
子供たちは昨日眠れないほどワクワクしていて、
一大イベントという感じで待ち受けているので、それを大人の私も存分に楽しんで、
最後のその伸びた1日は、片付けとかやることはたっぷりあると思うので、
一瞬で終わるんだろうなと思っています。
あと4日、頑張りましょう。
牛乳配達の間違い
今日はですね、間違えることへの恐怖心みたいなところを話したいと思います。
私今、夜中に牛乳配達のバイトを週に3日していて、
だからこの朝早朝にこの音声を録っていたりするんですけれども、
その牛乳配達のバイトが、もうルートが決まっていて、
このお宅には何本、このお宅には何本っていうのも決まっていて、それを配る。
新聞配達みたいなものなんですけれども、取り扱っている商品も何種類かあって、
で、今日はお休みとか、もう終わりにしたい、逆に今日から新しく入ってくるみたいな、
思った以上に流動性がある仕事で、
今日は何という商品を何本積んでもっていかなきゃいけないというのも、自分で管理しなきゃいけないんですよね。
で、日にもよるんですけれども、
夜中の12時ぐらいから4時ぐらいまでの間で配達をする感じなので、
もしそこで間違いがあっても、誰にも電話とかで頼ることができない。
これってこうでしたっけ、みたいなのがその場で聞けないし、
もちろんお客さんのところにピンポンとかもできないし、間違いが発覚したときにすごい孤独な戦いになるんですよね。
ねえ、私今初めて半年ぐらいなんですけれども、最初の頃はめちゃめちゃ間違えていて、
こう全部配り終わったと思ったのに、一本残っちゃったから、どこかの家に多分入れてないんだけど、
どこだろうみたいな感じで、最初から一件一件、もう一回回ったりとか、
今日配る本数が書いてある紙みたいなのがあるんですけど、それを全部見直して、
どこに入れなかったんだろう、みたいな感じで泣きそうになりながら考えたり、
それでもわからないと、もう昼間になって事務所に連絡をしなきゃいけないんですけど、
そういうことも何回かあったし、今はだいぶ慣れて、
だいぶ減ったんですけど、でも多分人に比べるとよくそういうのがあって、
今日も配り終わったと思ったら3本残ってて、
なんで?って思いながら原因を探したら、
もう中止にしますって言った人の分を載せてしまっていたというのが発覚して、
良かったって思ったってところなんですけれども、
で、今日、今配達し終わって、
積み込む場所に戻ったら、同じように配達をこの時間帯にしてる方に会って、
2人で片付けをしてたんですよ。
で、そしたら、その方全然私よりも年上の方なんですけど、
その方が、お姉さんは間違えることとかない?って聞いてきて、
そう聞くってことは今日きっと間違えたんだろうなとは思うんですけど、
私が全然ありますよって、
なんなら今日も間違えましたみたいな話をしたら、
本当に?
なんかたまには間違えてもいいのかなって言うから、
間違えても大丈夫ですよって言ったら、なんかすごい、
ああそうなんだって、ふーって安堵したような顔になったんですよ。
で、その方、いつもだったら私と片付け被る時間、
あんまなくて、誰が何時に出て何時に帰ってきたみたいな表があるんですけど、
それ見るといつも全然私より前に終わって帰っている方なので、
今日は多分その間違いを、私みたいに、どこで間違えたんだろうとか、
いっけいっけ回るとかもしかしたらやって、
私と同じ時間になったのかなと思うと、
すごい、勝手な想像をして、勝手に胸が私は苦しくなって、
でも私の一言で、ちょっと良かったって思えたなら、
良かったなって勝手に思ったんですけど、全て想像の話で。
間違えることへの対応
で、その出来事から、
なんかすごい、間違いを極度に嫌がる体質が私たちにはあるなって思ったんですよね。
それが日本人の特性なのか、県民性なのか、
一人一人の個人的な性格なのかわかんないんですけど、
結構私の周りを見回しても、間違えるのが嫌だなって感じる人は多いなって思っていますね。
今回のその牛乳配達のことだと、
仕事なので、間違えない方がいいと思うんですよ。
お客さん、相手のことなので、何か一本商品が足りなかったとか、逆に間違えて入っちゃったとかあると、
迷惑かけちゃうし、お金も動かさなきゃいけないことだし、
間違えないなら間違えない方がいいとは思う。
でも、
もちろんやる方も、それは知ってるし、間違えないようにしようとも思ってる。
間違えたくて間違える人ってあまりないと思うんですけど、間違えないようにしようと思っていてやってるけれども、
それでも間違えちゃうのってあるじゃないですか。
私なんか、結構、間違えないようにしなきゃって思えば思うほど、
どつぼにはまって間違えるみたいな性格があるなって自分で思うんですけど、
だから思えば思うほど間違えちゃうから、思わないようにしようって思うんだけど、思わないようにすると、それもそれで間違えちゃう。
本当に仕事できない奴だなって感じなんですけど、本当そういうことあるから、
間違えを別に極度に恐れなくていいのかなって思います。
それで迷惑かかるかもしれないけど、
でも、牛乳のことで言えば、別に足りなかったらもう一回配達してもらえればいいし、
多かったらそれでこっちがちょっと損するかもしれないけど、そんなに人生終わっちゃうほどの損では絶対ないし、
それで別に間違えた後に処理できることであれば、全然それで処理すればいいのかなって思っちゃう。
それをなんでそう思えるかっていうと、
牛乳配達の事務所の方が結構寛容で、
私とかが失敗して、今日一本余っちゃったけど原因がわからなかったんです、すいません、みたいな電話をすると、
はい、わかりました、みたいな感じで、もうそれで終わり。
じゃあ、一本足りないってお客さんから連絡来たら伝えますね、みたいな。
一切責められずに、言葉で責めなくても口調で責めてる方とかいるじゃないですか。
いいですよって言いながら、もうすごい、今のなんか口調めっちゃ責められてるみたいなことってあると思うんですけど、
その事務所の方たちは本当にいいですよって思ってるって感じで言ってくれて、
ちゃんとドライに受け止めてくれるので、
それを何回か繰り返したら、あ、そんなに過度に申し訳なかったって思わずに、
ちゃんとその後対応すればいいんだって思えてきたな、というところ。
だから今日あった、間違えちゃってもいいのかなって言った方も、何回かもし間違いをしていくのであれば、
だんだん気づけていってほしいなと思うんですけど、
間違えてるくせにそんな偉そうに言うなって感じなんですが、 人間間違えるものなので。
反省しないのも良くないと思うんですけど、 だから今日間違えちゃったの何でだろうって考えて、次に
生かさなきゃいけない。間違えた時にやらなきゃいけないのは、相手がいることであれば相手に対して対応するのと、
あと今日は何で間違えちゃったのかなっていう反省をして、次に生かす。 そこでやってはいけないのは、自分を
不必要に責める。 なんで自分が
できないんだとか、 本当にダメな奴だなとか、そういう感情を芽生えたところで、
自分を傷つけたところで、一切 メリットは誰にもない
ってことに気づいて、それはやらないようにしなければいけないなって、
この仕事をして、ちょっとずつ
分かってきました。
子育ての責任感と間違いの恐れ
で、 今回の配達のことだったら、
まあ、動くお金もそんなに大きくないですし、 迷惑をかけると言っても、そんなに
人生左右するような迷惑をかけることはないと思うので、そういうスタンスでいけるんですけど、
やっぱりそれが、
お母さんとして、
ってなると、もっと間違いに敏感になっちゃう。
子供に対しての、この今の発言、 合ってたかなとか、
私のあの時の言動、間違ってたから、今こうなったのかなとか、
すごい思ってしまうし、 対子供だと、
本当にそれこそ間違えちゃいけないっていう、 恐れが
すごくあって、 すごい
窮屈だなって思う時が多い。
で、子供って、
子育てって、やり直しが効かない、
じゃないですか。だから、 さっき言った、
その、 反省して次に生かす、みたいなことが
できないって 思っちゃうから、今この一瞬一瞬を
間違いのないように、やらなければいけない。 子供と接しなければいけないって、
すごい思ってしまっていたんですけれども、
今でも思うんだけれども、 でも、
お母さんも、 人間なので、
間違いがないなんて絶対なくて、 間違えて試行錯誤しながら、
子育てしていくと思うんですよ。 その間違えたって思うのも、
本当は間違えてないのかもしれないし、 逆観的に見てみないとわからない。
だから、子育てには本当正解がないから、 正解がないってことは間違いもないのかなと思うんですが、
逆に漠然としすぎてて、全てが間違いに感じるのかなと思うんですよ。
だから、間違いなのかもしれないって感じたら、
次、それをやらなければいい。
やっぱり、排達と一緒で、 反省して、
次を改めていくことが大切かなと思います。
この間も話したんですけど、過去は変えられないから、 あの時のあの言動、間違いだったなって、
思って自分を責める時間があるんだったら、
子供に、あの時、ああ言っちゃって、お母さん間違えちゃったと思う。
これからは気をつけるから、ごめんね。見守っててねって言った方が全然早いと思うんですよ。
だから、子育てってなると、責任感がすごくて、
押しつぶされそうになって、 間違いはすごい恐れてしまうんですけれども、
やっぱり、人間なので、間違えるし、
間違いかもわかんないけど、 自分を責めちゃうし、
でも、そんなのもいいんだよって、 やっぱり自分を認めてあげるってことが大事かなって思います。
親が間違えることの大切さ
結局、この間と同じ話になっちゃって、自分でびっくりしてるんですけど。
で、なんで私が間違えるのすごい嫌なのかなって思うと、
なんか子供の頃から、 ちょっと適当にやると、いろんなことがそれなりにできちゃう感じの、
子供時代、高校生ぐらいまでは。 なんとなくちょっとやれば、
まあそれなりにできる、勉強とか運動とかっていうのがあって、
あんまり間違えるってことが、
なかったと思う。
その時の主観だと。 客観的に見るとよくわかんないんですけど、
子供の時の主観だと、そんなに大きく間違えるってことはなかったから、
そこでなんか自分は、 あんまり間違えることがない人だって勝手に認識してて、
大人になって仕事とかで、 ミスをすると、すごい過度に落ち込んで、
で、ミスすると、また緊張が強くなって、
またミスをして、 っていうのを繰り返していくうちに、自分ってダメなやつだっていう、
なんか子供の頃の自分への認識と真逆のことが起こってしまったんで、
で、どんどん自己肯定感が下がるみたいなことが起こっていったんですけれども、
でもやっぱまたそこから、 一周回って、
もう自分は、 そういう人間なんだって受け止めなければいけないなっていうところに、
やっと40を目前にして思えることができてると思う。
自信ないけど、 今はそう思っているということにしておくという感じです。
だから、で、私が思うのは、やっぱり子供には失敗してもいいから、
挑戦してほしいっていうことを思う。 間違ってもいいから、
やりたいことをやってほしいなって思うのが親心だから、 その間違えるってことのお手本にも、
親がならなければいけないなって開き直って思っています。 やっぱ完璧を求めて完璧に見える親だと、
間違えてはいけないんだって、 子供も思ってしまうと思うので、
親だって間違えるんだよってことを、
示すことも大切かなって思っています。
なので、 間違ってもいいんですと伝えたい。
今日の牛乳配達のあの人も、 帰ってから落ち込んでないといいなと思います。
では、 今日はこの辺で終わりにしたいと思います。
最後まで聞いてくださりありがとうございました。 ゴールデンウィーク後半戦頑張りましょう。
22:31

コメント

スクロール