1. 4人のかーちゃん助産師の生きる道
  2. 11.兄弟への愛は平等?
2024-04-29 20:24

11.兄弟への愛は平等?

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4人の子どもへの愛は平等なのかを考えながら話しました。

 

#助産院夢生 #助産師 #助産師の可能性を考える #声日記

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こんにちは、助産師として、母として、私として、生きる道を模索する4人のかーちゃん助産師のみほです。
昨日、水鉄砲みたいなものを何個かいただきまして、
お風呂で子どもたちと使ってみたんですよ。
子どもたち同士で打ち合っていて、私はだいたいそういうのには参加しないで、
子どもたちだけで遊んでくれてて、楽だな、良かった良かったと思って、
傍観してるっていうスタイルなんですけれども、
昨日は、何か当たったのかな、私に。
当たってやり返すみたいな感じで、ちょっとシャシャって子どもたちにやったら、
すごい子どもが喜んでいて、私もなんかすごい、
やってみたら楽しくて、容赦なく、
子どもたちは子どもたちなりに私に遠慮して、
ちょっとあんまり当たらないようにとかしてるんですけど、
私はもう完全に容赦なく、バシュバシュ当てました。
もう大人の力を利用して、相手が反撃できないぐらい、
バシュバシュバシュバシュバシュバシュって連射してやっていたら、
次男と長女とお風呂入っていたんですけれども、
けらけらずっと笑っていて、 私もなんかすごい笑えてきて、
みんなでゲラゲラ笑いながらお風呂に入りました。 すごい楽しかったです。
そしたら寝るときに娘が、
今日の水鉄砲楽しかったね、またやろうねって言ってきてくれて、
やっぱ自分が楽しいって思ったことは子どもも楽しいんだなと思いました。
あんなどうってことない水鉄砲で、
また一つ思い出ができたなぁと思います。
でも気分によるので、今日それがまたできるかと言ったら、
またそれは別の話なんですけれども、
できる日に、やりたいときに、
またやってもいいかなと思っています。
今日は、最近ちょっと友達と話した一個のトピックスなんですけれども、
子どもたちに愛情は平等に欠けているのか、
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みたいなところを話したいなと思います。
私これすごい難しい話で、
答えはその時々によって変わるかもしれないし、
そもそも答えを出せるような問いではないとは思うんですけれども、
今現在の私の答えとして話しておきます。
私子どもを産む前は、
子どもが複数にいたら、
愛情は平等に欠けなきゃいけないと思っていました。
それができない親は、
こうちょっと違うんじゃないみたいな、
おかたい感じだったんですけれども、
助産師1年目に私妊娠中で、
その当時総合病院で働いていたので、
夜勤をやっていて、
その日先輩2人と私の3人の夜勤だったんですよ。
もう大先輩、その2人は大先輩で、
もう一番下の子も小学生みたいな感じのお2人。
2人とも2人以上の子どもを育てるママさん。
で、3人で夜ちょっとって考えた時に、
そういう話になったんですよ。
子どもに愛情って平等かみたいな。
で、そしたら1人の先輩は、
もちろんそうだよって。
そんな差を出すなんてない、みたいな言い方をして、
そしたらもう1人の先輩が、
愛情というか、やっぱ相性みたいなものがあって、
この子とは相性合うけど、
この子とはちょっと相性合わないなとかは正直ある。
だから愛情が平等かわからないけど、
その接し方とかが変わってしまったりとか、
この子とお話ししたいな、みたいなふうに思っちゃう、
みたいな言っていて。
私その時は子どもを産んでない、妊娠中だったので、
その愛情があるって言った先輩の言うことが、
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えーって思ったんですよね。
それってお母さんとして、
私が子どもで、お母さんがそういうスタンスだったら、
なんか嫌かもしれないなって思いました。
私自身も3人兄弟で、
母親から完全に対等に扱われてたかって言ったら、
わからないんですけれども、
そんなにすごい差を感じたことは、
まあ多分なかったと思うので、
なんかその、平等だよって言い切った先輩の方が、
そうだよねって思ったんですよ。
でも今、4人子育てをしてみて、
その愛情があるって言った先輩の意見が、
ものすごくわかるし、
負に落ちるんですよね。
私も4人に対して、
どの子が一番好きかとかはなくて、
みんなもちろん大切だし、
もう変えがたい存在であるっていうのは4人一緒。
だから私の中で、愛情は一緒だと思います。
4人平等に欠けてるというか、
思いは4人一緒。
でもやっぱり、相性というか、
何だろうな、
この子は私のこのいいタイミングで話しかけてきてくれて、
いい雰囲気で話ができるなとか、
この子とは話が、
私が重要はなくても、わかってくれるところがあるな。
で、私も逆にその子が言いたいことを、
わかることが多いな、みたいな感じで、
自分の子供なんですけれども、
やっぱり子供によって、私との相性、
ごめんなさい、
相性という言葉しか思いつかないんだけれども、
そういう、合わないってことはないんですけれども、
やっぱ同じ時間を過ごしていても、
感じるものが違うっていうか、
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っていうのはすごくある。
だから愛情は一緒だけれども、
相性があるっていうのは、
あの先輩が言ってることは間違ってなかったんだって、
現時点では思います。
ただ、愛情は私は一緒だと思っているので、
誰かを悲喜してるとかはないし、
こう、悲喜と取られることをやってはいけないっていうか、
私の考えとしては、
なるべくやりたくないなと思っています。
例えば、言葉の端々とかですごい、
ああ、やっちゃったかもって思うのは、
末っ子とかが今すごい可愛い盛りなので、
今日も何々は可愛いねとか言っちゃうんですけど、
何々はって言ってしまうと、
他の兄弟が聞いてた時に、
あ、その末っ子だけ可愛いって思ってて、
他は別に可愛くないのかなって思われちゃったりするのかなとか、
思っちゃう。
だから、何々は可愛いねって言った後に、
ちょっとあれに帰って、
一人ずつ可愛いねって言ったりするんですけど、
そういう端々に気を使っても、
なかなか咄嗟に出る言葉で、
気を使えないところがあるなと感じています。
それを子供が気にしてるか分かんないんですけど、
気にする子は気にすると思うので、
兄弟って難しいなって思う。
そしてですね、
なんだっけ、言いたかったことを今ちょっとど忘れしたんですけれども、
あ、そう、親の私が愛情は同じように向けていると思っていても、
やっぱり子供の受け取り方によっては、
その愛情が差が出ちゃうことってあると思うんですよね。
それは、心ってよくコップとかで例えられると思うんですけど、
子供たちは人間なので、
それぞれ持ってるコップと大きさとか形が違うと思うんですよ。
同じ私から生まれてきた子供たちであっても、
大きいコップを持ってる子もいれば、
小さいコップを持ってる子もいて、
小さいコップの子は、私がシャッて水を、
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愛情の水をシャッて注げば、
コップが満たされて、
あ、もう僕愛されてるんだ、
私愛されてるんだって感じることができると思うんですけど、
大きいコップの子が兄弟の中にいると、
その同じシャッてかけただけだと、
全然半分も満たされませんみたいな状態になって、
僕って、私って、そんなに愛されてないんだって、
満たされない気持ちになってしまうのかなって思う。
そのコップの大きさを見極めるのも、
親の一つの、
見極めといた方が親自身が楽なのかなって思うんですけど、
私は多分この子は大きいコップなんだろうなとか、
この子はちょっとちっちゃめなのかなとかっていうのを、
今の現時点でなんとなく思っていて、
だからその大きいコップの子には、
より密に、
他の子よりも多く水をあげるようにしないと、
満たされていかないから、
密に関わってあげたいなっていう気持ちがあります。
でもそんなことをしてると、他の子から見たら、
なんであの子だけなんかちょっと多めに関わってるんだろうとか、
思われてしまうと思うので、
難しいところではあるんですけれども、
うまくそのコップの大きさも配慮しつつ、
兄弟の目も気にしつつ、
一人一人に愛情を満たすように、
関わっていけたらいいのかなとは思っている。
子供の立場に立ったことがないので、
私のその4人の子供たちになったことはないので、
それで合ってるかわからないんですけれども、
今の私の母親感としては、
私ができることはそういうことなのかな。
愛情は平等にかけたいけれども、
その子の受け皿によって、
ちょっとかけ方を変えたりとかする必要もあるのかな。
あとやっぱり愛情があるので、
同じように話してても、
すごく楽しいって感じてくれる子もいれば、
なんかお母さんとうまく合わないなって思う子も多分いると思うので、
その辺もすごい難しいんですけれども、
やっぱりこうやって考えて思うことは、
私が生んだ子供だけれども、
一人の人間であって、
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全く私とは別物なんだなっていうのを、
再認識させられますよね。
だから普通にその職場とかの人間関係と一緒で、
ちゃんと相手の性格とかをある程度認識して付き合っていかないと、
こっちだけ一方通行の、
何?
ただずっと渡してるだけとかでもダメ。
私、愛情渡したからいいよね、
みたいなだけだとダメ。
ちゃんと向こうが受け取る受け皿があって、
受け取りましたってならないと、
人間関係って成り立たないと思うので、
親だからやってあげてるからいいでしょ、
みたいなのはなしにしたいなと思ってます。
今すごく私の中で課題なのは、
やっぱり小学生組がちょっと学校に行けなくて、
私も仕事を変えたりして、
小学生の子たちとは前より密に関わるようになって、
前より関係がちょっと上向きになったのかなって感じるところがあるんですけれども、
そうすると、
保育園組の長女が最近なんとなく長女不安定になってきてしまって、
やっぱり時間としては私と関わる時間が圧倒的に少ないので、
そこをしっかり埋められてなかったんだなっていうのが私の課題です。
長女は私から見たらそのコップが大きめな子だと思っていて、
他にも長女を満たしてくれる人はいっぱいいるので、
ちょっといいだろうって思ってしまうところがあったんですけれども、
やっぱりそんなに甘いもんじゃないよねって、
4月になって、環境の変わり目とかもあっての長女不安定ではあるんですけど、
そういうところをカバーしきれていないので、
もう一回愛情とかについて考え直す必要があるなと思っています。
私は一人しかいないので、どこかにバランスを傾けようと思うと、
どこかが薄くなってしまうのは申し訳ないんですけれども、
それが相手が人間なので、わからさまになってしまうことがないように、
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でも自分も無理のないように、どうしようかなって考え中です。
ただ兄弟がいて、なんか親の愛情が薄くなるんじゃないかとか、
聞かれることもよくあるんですけど、
たとえ親の愛情が一人っ子の子よりも密に感じられなくても、
他の兄弟だったりが下の子にすごい愛情を持って接してくれてるのを見ると、
親だけの愛情でその子っぷを満たそうとしなくても、
いいんだなっていうのもすごく思います。
だから一人っ子の子でも、おじいちゃんおばあちゃんとか周りの大人とか、
いろんな人にいろんな水を注いでもらうってこともすごく大切。
兄弟がいっぱいいて、親の愛が何となく分散されてしまうかもしれないけれども、
それでも他の兄弟とか他の大人とかが水を満たしてあげれば、
子供ってある程度満たっていくものだと思うので、
いっぱい子供がいるから私一人が頑張らなきゃとか思うのもちょっと違うのかなと思います。
そんな感じで今日は、兄弟に対する愛情は平等なのかなってところを話したんですけれども、
なかなか難しい課題で、ずっと頭の片隅に置いときながら、
生活はしていかなければいけないことなのかなとは思っていますが、
とりあえず今日の時点で私が思っていることを話をさせてもらいました。
では今日もこの辺で終わりにしようと思います。
聞いてくださりありがとうございました。
ではまた配信させてもらいます。
20:24

コメント

1番下は親からだけじゃなくて兄妹からの愛情ももれなくたっぷり貰ってる感覚ありますね〜☺️それがまた微笑ましかったりもする☺️

miho

一番下ってお得ですよね♥ 自分は愛されてるって顔で育っていくのが面白い。 親から見るとその兄妹愛にほっこりですよね

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