サマリー
助産師として、母として、そして自身として生きる道を模索しているみほは、4人のかーちゃん助産師です。自身の子育て経験について話しています。4人の子供を育てながら、助産師としても母親としても未熟さを感じながらも、自身の成長を実感しています。
母と助産師の両立
こんにちは。助産師として、母として、私として、生きる道を模索する、4人のかーちゃん助産師のみほです。
今日は、母としてのお話を少ししたいなと思います。
今までの3回が、助産師として、助産師としてという助産師煽りを繰り返してきたので、ちょっとここで小休憩というか、違う話を盛り込んでいきたいなと思っています。
私は、4人のかーちゃんと言っている通り、4人の子供がいます。
上から11歳の男の子、8歳の男の子、4歳の女の子、1歳の男の子です。
私はですね、看護師を1年やって、助産師学校に行って、助産師になったんですけど、助産師として就職するときに結婚して、結婚してるからいいかなと思って、助産師1年目で妊娠しました。
まあいろいろあったんですけど、助産師2年目の最初、2年目になると同時に出産をして、1年育児休暇をもらって、また復帰して、みたいな感じの助産師人生と母親人生のスタートを切ったので、
ほぼほぼ助産師歴と母親歴が同じという感じになります。
そこから助産師としても未熟ですし、母親としても未熟ですし、この11年間ずっと両立みたいなものを課題に駆け抜けてきたかなと思います。
私4人もいるので、子供好きなんでしょうみたいな、よく言われるんですけど、子供は好きか嫌いかで言ったら、嫌い?好きか嫌いかで言ったらって言ったら自分がいけないんですけど、
どっちかっていうと、嫌いよりというか、得意ではないかな。得意か苦手と言ったら苦手かな。嫌いではないけど苦手です。
なので、4人も子供がいるのが、自分でも不思議と言えば不思議なんですけれども、なんか自分の子供の魔力みたいなものに取り憑かれてる感じがします。
可愛いから産むというよりも、なんか魔力ですよね。
産んで1歳を過ぎて、赤ちゃんから子供になってきてしまうと、すごく寂しくなって、また赤ちゃんが欲しいなみたいな感じに囚われて産んじゃうみたいなことを繰り返してきた気がします。
子供が得意か苦手って言ったら苦手ってさっき言ったんですけど、特に上の2人を育ててる時、2人育児をしてる時は、
なんか本当に子供、自分の子供可愛いんですけど、心から可愛いとか、今思うと思えてなかったなって思います。
自分の子供だから可愛いって思わなきゃいけない。可愛いもんだよねみたいな感じで、自分にすごいいい気がしていたというか、
本当に心の底から溢れ出る可愛さみたいなのは感じられてなかったなって思う。
3人目を産んだ時に、性別が違って女の子ってこともあったと思うんですけど、
生まれた瞬間本当に可愛い。心から可愛くて。毎日、毎日っていうかもう見るたび、可愛いねって言って、この4年間育ててきました。
何が違うのかなって考えると、性別とかもあると思うんですけど、やっぱ自分の余裕度が違くて、
1人目2人目を育ててる時って、なんかもうとにかく余裕がなくて、なんか助産主だし、
子育ての喜びと苦労
しっかり育てをしなければいけないって思いながらも、できない自分にイライラしたりとか、
子供に対して、なんでっていう思いが先行してしまったりとか、そういうので自分をすごい追い詰めて、余裕がなかったなって思います。
3人目を産んだあたりから、まあもう2人育てているので、いい意味で多分力が抜けて、
子供ってこんなもんだよね、みたいな境地に行けたことで、ちょっと自分の心に余白が生まれて、
目の前にいる子供を可愛いなって思える余裕ができたんじゃないかなと思います。
なので、よく4人子供がいますって言うと、すごい大変だね、みたいな。
例えば2人子供がいる方とかに、うちは2人でいっぱいいっぱいなのに4人育てるなんて、ほんと尊敬する、みたいな。
よく言われることなんですけど、私の中で一番大変だったのは、やっぱ2人育児をしている時で、
そこから3人、4人になって、子育てが大変になったっていう感覚は、今のところないかなと思います。
タスクは増えるんですよね。やることは増えるから、大変と言えば大変。
家事能力とかは向上させなきゃいけないなとは確かに思う。
けど、自分の辛さとか、心の苦しさ、みたいな。
体的には大変かもしれないんですけど、心的な大変さみたいなのは、2人目の時が一番強かったので、
今4人を育ててるからと言って、日々すごい大変だなって感じることはないなと思います。
なので、2人目がすごい大変だから、3人目欲しいけど悩んでる、みたいな方が世の中いっぱいいると思うんですが、
3人目は本当に可愛いから、いろんな向上権が許すのであれば、ぜひ産んで欲しいな、産める世の中になって欲しいなって思います。
2人目大変だからって言ってやめるのは、いろいろあって一概には言えないんですけど、もったいないな。
3人目こそ、自分へのご褒美というか、ここまで頑張ってきてよかったって思える存在であるので、
そういう人もいるよって、ちょっと思ってもらえる一つになればいいかなと思います。
子供による変化
さっきから3人目は可愛いって言っているんですけど、
よく孫って可愛いって言うじゃないですか。責任がないから可愛いよね、みたいな。
多分ね、孫ってこういう可愛さなんだろうなって、3人目と接しててすごく思います。
もちろん自分の実の子供なので、責任はあるんですけど、
なんかこう、ただただ可愛いんですよね。うまく言えないんですけど。
なんかね、自分の人格を変えてくれた気がします。
私ほんと子供に対して、長男、次男の時の子育てとかを振り返ると、
まだ赤ちゃんの頃、子供は話せないって時に、こっちだけ話しかけるとかできなかったんですよ。
なんか今日はいい天気だねとか、おしっこ出ちゃったんだねとかっていうのが、
なんか一方通行な会話をしているようですごい恥ずかしいっていうか、
意味あるのかな、これ、みたいな。
そういう妄想を考えている時点で、自然と言葉が出てこないっていうか、
っていう人間だったんですけど、3人目生まれてから、なんかそういうの外れて、自分の中で。
もう自然とそういう言葉とかも出てくるし、今4人目に至っては、
なんかもうこう、独り言が多いおばちゃんみたいな感じで、ずっと喋ってる。
自分が子供に対して、反応なくてもずっと喋って、
もうその反応がないことも可愛いから、可愛いなーみたいな感じで、ずっと言ってる。
もうほんと10年前の自分と比べると、考えられない人格の変化だなって思うんですけど、
そういう自分の人間性みたいなのを、子供たちって変えてくれる存在であるのかなって思います。
だから、子育てって言うけれども、やっぱ子供を育てるって、すごく自分を育ててくれてるなって思うんですよね。
子供、物理的には育ててるんですけれども、ご飯あげて、毎日お世話して、
いろいろ考えて、お金も投資して、育ててはいる。
でも結果、自分の心とか、親の方が変化させてもらってるというか、
もし子供を育ててなかったら、全然違う人格で、全然違う考え方。
それが悪いとかではないと思うんですけど、平面の自分しか見れなかったかなって思います。
子供を育てさせてもらったことで、奥行きが出たっていうか、自分の知らなかった自分を発掘させてもらえて、
その自分が好きとか嫌いとかじゃなくて、人間として幅ができたのかなって感じられるかな。
だから子育てってすごい、やらせていただいてありがとうみたいな精神で、今は入れますね。
もちろん1人目2人目を育ててる時は、必死すぎて育ててあげてるっていう感情がすごく勝っていたんですけれども、
今10年子育てをやってみて、こういう境地に今のところ来れているかな。
日々いろいろ事件は勃発してるし、子供たちはどんどん変わっていくので、
今この瞬間はこんなこと言ってるんですけど、
明日、例えば何か床にぶちまけられるとかあると、うわーって思うと思うんですよね。
またやらなきゃいけない子育てって大変だとか思うかもしれないんですけど、
今とりあえず落ち着いて考えられるのは、子供に育ててもらっている私のあの4人の子供たち、
私を育ててくれてありがとうっていう境地であるという記録をここに残しておきたいと思います。
またうちの4人たちすごく個性派で、全員違った面白みがあるので、
今後そういう話もしていけたらいいなと思っています。
とりあえず今日は私の子育て感的なところをお話できたと思うので、
これで終わりにしたいと思います。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
ではまたぼちぼち撮っていこうと思うので、よろしくお願いします。
ありがとうございます。
17:47
コメント
スクロール