サマリー
2024年を振り返り、新たな挑戦と変化を経て自己を再評価する年だったと話しています。特に、正社員という枠を外し、自由度の高い生活を選んだことで得られた気づきや人との繋がりの重要性を強調しています。最終的に、女川町での初日の出を迎えることで新しい年の希望を感じたことに触れています。2024年の初めに女川で特別な体験をし、素晴らしい初日の出を見たことで新しい年への希望を抱いたと語っています。また、2025年に向けて新たな一歩を踏み出し、日々の成長を大切にする意志を表現しています。
2024年の挑戦と変化
こんにちは、助産師として、母として、私として、生きる道を模索する4人のかーちゃん助産師の美穂です。
あけましておめでとうございます。
2025年始まって、もう10日が経ってしまいましたが、
今年も、ちょっと、少し馴染んできたなという方針なのに、何も更新できず、
2024年があっという間に過ぎ去ってきて、
2025年も来らないと、そのまま過ぎ去ってしまうなと思ったので、
今ちょっと、ぽちっと、録音ボタンを。
2024年を、今更、ちょっと振り返ってみようと思うんですけど、
2024年は、すごい、普通の中で、当選の年だったなって思います。
何年か前も、漢字、毎年漢字、ひと文字、大体年末に変えるんですけど、
何年か前に、挑戦の章、挑むっていう漢字を書いたことがあって、
その時も、ちょっと変化が色々あった時ではあったんですけど、
大枠は変えずに、その中でできる範囲での挑戦をしたっていう感じだったんですよね。
2024年は、もう大枠も取っ払って、全部自分の戦場を変えるというか、
今まで踏み出せなかった、かなり大きい一歩を踏み出して、
見ないふりをしてた、隣の町に行ってみようと思った、みたいな感じの挑戦の仕方で、挑戦したっていう感じでしたね。
具体的に言うと、今まで私は、正社員っていうのにこだわっていて、
働き方の話なんですけど、どこかにしっかりと属して、
国民年金じゃなくて、厚生年金に入って、健康保険も社会保険に入って、
保障を結構大事にするタイプだったんですよ。こう見えて。
ずっと正社員にはこだわっていて、正社員の中でいかに自分に合った働き方をするか、みたいなのをずっと探し続けて、
10年ぐらい社会事務をやっていたんですけれども、そこの枠を決めたまま働こうとすると、
私の中ではいろいろと限界が来て、すごい怖かったんですけど、
一回正社員っていう枠を取っ払おうと思ったのが、2023年の11月です。
そのために自分の中でいろいろ横線立てをして、正社員じゃなくても生きていけるっていう、
また違う枠を自分の中で作って、初めて作って。
でもこの枠はかなり動かせる枠というか、正社員の枠ってそこにカチッて正社員っていう枠があるので、
なかなかそこからの自由度が低いんですけど、私はその正社員って枠を取っ払って、
また違う私なりの枠を作ったけれども、それはかなり自由度の高めなものにしたので、
2024年は不安要素は大きくなるんですけれども、自由度としてはかなり高くなって、
自分って何がしたいんだっけ、みたいなところを見直せた期間かなと思いました。
この決断に至ったのは、子どもたちが学校に行かなくなってしまって、
今変えなきゃ、いつ変えるんだろう、みたいな林治様的なことを思って、
ずっとぐるぐるしていたけれども、今だなって思ったんです。
これが変えるタイミングだって思って。
そう思ったらすごい行動力があるので、自多共に認める行動力があるから、
子どもが学校に本格的に行けなくなったのが、夏休み明けの9月だったんですけど、
9月の末には、いろんな働き方を変えるために動き出していて、
10月にはいろいろ整えて、それまで働かせてもらっていたところを、
政治家園を辞めてバイトになるという、ちょっとした悠々期間があって、
11月から本格主導に持っていけたので、そこはすごい早かったなって思うんですけど、
そこまで10年くすぶっていたっていう、やればできるじゃん、みたいな感じでした。
でも、やってしまえば、もっと早くこの決断ができていれば、
子どもたちとの関わり方も変わっていたかもしれないし、
子どもたちが不登校になるっていう、もしかしたら防げていたかもしれないなって思う瞬間もあるんですけど、
でも、私がこの10年くすぶり続けた、それでも制裁という枠に囚わったっていうのは、
すごいベースとして大きくて、無駄な経験ではなかったなって思います。
また、保障の面とかあるので、
制裁に戻って働けるなら働きたいなっていう思いも全然あるんですけど、
今、自分に合っているのは、自由度の高めな生活なんだろうなっていうのは、
すごいしっくりきているので、動き出せて、
2020年、いろいろと悩んだり、つらいこともありましたけど、
人との繋がりの重要性
1年、とにかくやってみてよかったなって思えるときでした。
その中で、自分を我慢しなきゃいけないところもあって、
困ってしまうところもあったので、
そこの自分の出口、かめていくだけだとたぶん、
しんどくなる、もっと自由度の高い生活にしたことを、
もしかしたら後悔したりしてしまうかもしれなかったんですけど、
ためていたものを出す出口として、
おこえ日記を始められたりとか、お患者団塊も始められたり、
あとは、ティーチャーティーチャーのコミュニティに入らせてもらったってことは、
私の変化した生活でたまったいろんなストレスとかフラストレーションを出す技として、
たまたま、どれもたまたま、たぶん出会えたところだったんですけど、
2024年に始めたりとか、出会えたっていうことは必然だったのかなって思います。
2024年の私には必要なものだと僕は思います。
こうやってたまたまのように、偶然のように、
必然ってその辺に転がっていて、
偶然と思っても必然と思っても、それは受け取り手の私の自由だと思うんですけど、
上手くそれを、偶然だって思うとあそこで終わると思うんですけど、
ああ、必然だったなとか思えれば、
それのありがたみとか重みが増してくると思うので、
必然だったなって私は思いたいなと思います。
2024年、私、お患者団塊の方でも言ったんですけど、
簡単に一文字で表すと、繋がるっていう文字なんですよね。
繋がるって、手を取り合って繋がっていくイメージ。
輪飾りが輪がバババババババって繋がっていくようなイメージで、
ただ人と面識が生まれましたとかだけじゃなくて、
その面識が生まれた人からさらに次の縁が繋がって、
また別のところで私を介して繋がる人がいたりとかして、
本当人と関わったなっていう充実感がすごいある年でした。
2023年の夏休み明けに子どもたちが本格的に非登校になったときは、
なんかすごい孤独って感じだったんですよ。
夫も同じ目線で子どもたちと関わってくれてはいたけれども、
なんかもうそこすら目に入らないくらい視野が狭くなっていて、
もう誰もここには気づいてくれないんじゃないかみたいな、
孤独感が結構あったと思うんですよね。今思うと。
どうしようっていう感じだったんですけど、
そこからぱーって視野が開けて、こう開けだしたら、
どんどんどんどんぱーってなっていったみたいな年だったなと思います。
髪半期はまだ結構開けてなかったと思うんですけど、
背も半期に一気にもう転がるような感じで、
ぱーって開けて、ああ、2024年、なんかいい感じだな、いい運気つけるな、みたいなのを最終的に感じられる年になったので、
女川町で迎えた新年
始まったときを思うと全然違う感覚だなと思います。
2024年の始まりは、私、宮城県の女川町にいました。
2023年に女川で縁があって、
女川の町で初日の出を見たいと思って、
年越しを女川でさせてもらったんですよね。
女川町とは、今後も細々とでもいいから繋がっていきたいなって思う素敵な町で、
その場所で初日の出を見れたっていうのは、
あれも結構大きかったかなって思います。
私、初日の出って思えば多分見たことなくて、
いつも年越しまで起きてるんですけど、
寝て朝初詣に行くっていう決まりっていうか、ここ数年になっているので、
初日の出を見るって多分なかったと思うんですよね。
2024年の始まりと希望
その初めての経験を女川でして、
女川って震災でかなりの被害があって、町全体を再建してるんですけど、
その再建するときに商店街を海に向かって伸ばして、
伸ばした先に初日の出が上がるように、
家の角度とかを計算してやってるっていうのを聞いて、
そんな素敵な初日の出だったら見てみたいと思って。
結局ちょっと曇ってたので、海から上がる初日の出じゃなくて、
海の上にある雲から上がってくる初日の出っていう感じだったんですけど、
なんか高豪しくて、
なんかいい一年になりそうだなって思った記憶があるんですよね。
あとはその日、女川でまだ過ごしていて、
女川でログハウスみたいなのを借りて家族で過ごしていたんですけど、
夕方にノートで地震が起こって、
女川でも地震速報とかすごいなって、
最初は震災地震速報みたいなのがただ鳴ってて、
どこでどのぐらいの地震があったとかもわからずに、
ただ地震が来ますみたいなのが鳴ってたから、
女川だし、これ本気で地震が来たら津波とかマジで怖いと思って、
すごい最初はビビって、
逃げたほうがいいのかなとかなってたんですけど、
すぐ情報で、ノートでの地震で、女川は津波は大丈夫という情報が流れてきて、
安心して。
でもなんかその時に、
私ノートに友達もいて、被災地に友達がいて、
ノートの状況とかを簡単から目の当たりにして、
なんかね、やっぱ被災地で大地震、
そこではないけど、日本の別の場所のことだけど、
自分が被災地っていう場所にいる状態で、
なんか地震を経験したっていうのが、
すごい衝撃で、
高豪しい初日までを見て、いい一年になりそうって思って、
夕方そのことが起こって、
なんか、すごい当たり前だけど、
できてるって当たり前じゃないんだなって、また改めて思ったんです。
なんかこう、被災地でその地震を経験するって、
なんか意味あるなと思って、
頑張ろうって思ったんですよね。
そんな感じで始まった2024年、
最終的にいい一年になったし、
自分の中では頑張れたなって思える一年だったので、
2025年に向けての新たな一歩
いい一年と言っていいのではないかなと思います。
2025年は私、患者質問で進むに来たんですけれども、
枠を取っ払って新しく進もうとした一歩を、
今まだ一歩目で終わってる感じがすごいあるんですけど、
それをちょっとでも前に進めたいというか、
新しい枠を育てていきたいなっていうところがあるので、
2025年は2024年にいただいたご縁とか、
私自身が始められた一歩を大事にしつつ、
前に進んでいきたいなと思います。
ただね、前に進もうって思っちゃうと、
私そこしか多分目に入らない性格で、
前に進めなきゃいけないみたいな感じでこうなってしまうので、
本当、ちょっとでも前に進めればいいなぐらいに思っておきたい。
進むぞ。進めたらいいなぐらいの感じですね。
結構ね、年始まって子どもたちは3学期が始まって、
3月までの3ヶ月ってあっという間な印象なんですよね。
あっという間に年度終わっちゃったなって思って、
4月になるとまたあっという間にC5とか終わっちゃう。
そのことを知ると、半年終わっちゃったってだいたい毎年なるので、
あと2025年はこの前半戦の半年も進みしめながらいきたいなと思っております。
この恋日記も今85回ぐらいできていて、
できれば2024年に100回行っときたかったんですけど行けなかったので、
今年度中には100回行きたいなと思っています。
数じゃないんですけどね、コツコツと続けるっていうことも私の人生の課題でもありますので、
細く長くコツコツと続けていけたらいいなと思っておりますので、
もし聞いてくださっている方がいたら、ぜひお付き合いお願いします。
あとは最後に、昨日かな、今年一発目に上げさせてもらった音声が、
末っ子の声を上げさせてもらって、
唐突に何の説明もなく子供の声だけが流れている音声なんですけど、
録って上げさせてもらって、自分で聞いたらすごくお気に入りの音声です。
ああ、こういうのが音声っていいところだよなぁって思ったので、
本当にただ子供が喋ってるだけの音声なんですけど、
よかったら、なんかストレス溜まった時にでも聞いてください。
こういう子供の成長も感じられる、ちゃんと感じていける一年にしたいです。
ではこんな感じで、実質の新年一発目終わらせてもらおうと思います。
どうぞ今年もよろしくお願いします。
最後まで聞いていただきありがとうございました。
25:26
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