1. ”心理学に触れる” 一日一語
  2. #774【心理学対談#24 大谷康太..
2025-09-24 58:22

#774【心理学対談#24 大谷康太さん】子どもの内なる声「内言」はどのように発達するのか?

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【大谷さんの研究者プロフィール】
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【取り上げた論文】
大谷 康太・三盃 亜美・福田 有美 (2024). 日本人学生における外国語としての英語の読み書き困難と日本語および認知能力との関連. LD 研究, 33(1), 56-69. https://doi.org/10.32198/jald.33.1_56

Otani, K., Watanabe, R., Kuwamizu, R., Yamamoto, N., & Moriguchi, Y. (2025). The developmental origin of inner speech: Evidence from mental counting task for 3–6 years-old children. SSRN. https://doi.org/10.2139/ssrn.5277036

【クラファン挑戦者との過去の対談】
#615【心理学対談#19 山本希さん】攻撃行動と敵対的認知の発達に迫る
https://r.voicy.jp/G4VWgOlPVeM

#516【心理学対談#15 桑水隆多さん】瞳孔は人のこころの何を語るか?
https://r.voicy.jp/5P9a0d0AmeQ

【心理学対談#2 渡部綾一さん】意識研究ってそんなこと可能?
https://r.voicy.jp/0dVBLJEWmgq

サマリー

大谷康太さんが内言の発達について語り、ディスレクシアの研究を通じて子どもの言語発達と教育の重要性を探っています。また、彼の教育者としての経験やクラウドファンディングの取り組みについても触れています。このエピソードでは、内言の発達過程について大谷康太さんが話し、特に子供における内言の形成と行動調整の関係についての研究が紹介されます。内言の測定方法やその発達段階についても考察されます。また、内言の研究や教育的アプローチについての考察が展開され、クラウドファンディングを通じた研究活動への支援の重要性が述べられています。このエピソードでは、大谷康太さんとの対談を通じて、子どもの内なる声「内言」の発達が探求され、心理学の研究の複雑さや今後の進展についても語られています。

大谷康太の紹介と研究背景
はい、始まったかな?
それでは今日は心理学者の方と対談をしていきたいと思います。
今日のゲストは大谷康太さんです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。大谷康太といいます。
自己紹介していただきましょうかね。
長くても大丈夫ですが、
研究の話とか、今やっていることとか教えていただければ嬉しいです。
そうですね、どこから話せばいいのかな。
元々、学部の方は筑波大学を出ていまして、
筑波大学の時にはディスレクシアという読み書きの障害の研究をしていまして、
そこから京都大学のほうに修士課程で移りまして、
そこで主に内言という、自分自身に向けた頭の中で響いてるような言葉とか声とか、
そういったものを研究してまして、
ちょっと博士課程のほうも迷ったんですけど、
一旦そこにはいかず、小学校の教員のほうになりまして、
小学校の教員として働いた後、
今は保育の専門学校で保育士を養成するような立場として、
それこそ18歳、9歳ぐらいの学生を対象に、
言語発達ですとか、保育実習ですとか教育実習ですとか、
そういった授業を担当しながらやっていますね。
あと大学院のときには英語の非常勤講師とかもやりまして、
高校で受験英語の先生をしたりですとか、
特別支援学校の先生をしたりですとか、
教員はいろいろちょこちょこ、
はいつまみながらですけども、やってきました。
はい、そんな感じです。
ディスレクシアの研究内容
ありがとうございます。
どこからいきましょうね。
そういうことはたくさんあるんですが、
せっかくなんで、
今日は内限の話と発達過程みたいな話、
それに紐づく大谷さんたちが今取り組んでおられる
クラウドファンディングの話とかを、
おそらく中心ではそっちやっていきたいんですけど、
ちょっと最初なんで、
僕も大谷さんのことを初めて知った情報も今の中に
結構含まれておりまして、
いくつか聞きたいなと思っているんですけど、よろしいですかね。
はい、なんでも。
ありがとうございます。
ディスレクシアの話を聞きたいですね。
はい。
結構このポッドキャストを聞いておられる方でも、
そういったディスレクシアとか学習障害とかに
興味のある方が多いような印象を勝手に持っていまして、
どうですか。
学部の時の研究なので、
どれくらい深くまでやられたかはちょっとわからないんですけども、
もしこういうことをやったよみたいなこととか、
おそらく興味のスタートがどこかにあるはずなので、
そのあたりの話とかを聞かせていただければ
すごい嬉しいんですけど、いかがですか。
そうですね。
そのディスレクシアの研究は、
一応論文も出してまして、
日本語なので、
もしお興味のある方いれば、
読んでいただきたいなと思うんですけども、
僕が主にやったのは、
外国語のディスレクシア。
つまり日本人の英語の読み書きの困難さみたいなところをやりまして、
ディスレクシアって日本語の母語のディスレクシアっていうのは、
結構研究が、それでもまだまだのところはありますけど、
進んできて、
どういうふうな認知機能の障害があるから、
こういう症状が起きるんだとか、
そういう障害のメカニズムみたいなところは、
だいぶ明らかにはなってきたんですけれども、
ディスレクシアの出現頻度みたいなところに着目したときに、
言語によって全然違うわけなんですよね。
日本語よりもやっぱり英語のほうが、
言語の仕組み的にかなり高めだと出現頻度が。
例えば日本語では問題がないけれども、
英語になると問題が生じてくるような、
健在化してくるような、
そういうパターンってもしかしたらあるんじゃないの?
っていうふうなところから疑問を持ちまして、
これで日本人の大学生、
本当は子どもとかやってみたかったんですけど、
大学生を対象に読み書きの検査と、
あとは認知検査。
認知検査っていうのは、音韻認識とか、
音を正しく認識する能力ですとか、
あとは視覚的に記憶する力ですとか、
あとは語彙ですかね。
いろんなタイプの認知検査をやりまして、
英語の読み書きの能力と、
日本語の読み書きの能力と、
その認知検査がどういうふうに関連しているかっていうのを見ました。
日本語の読み書きできない人は、
認知検査は結構引っかかってくるんですけど、
英語の読み書きは、
だいたいは日本語と英語。
日本語がやっぱり難しいと、英語も難しくなってくるんですけども、
片方だけが苦手だっていう人も、
やっぱり当然ですけどいるんですよ。
日本語は問題なくできるけど、
英語だと検査で引っかかってくる。
そういう人で、
それが認知検査で引っかからなければ、
たぶんただの、ただのって言うとあれですけど、
英語がちょっと勉強して苦手。
勉強不足に、
不足って言うとちょっといろいろ語弊があるかもしれませんけども、
英語の勉強量による環境的な要因で言えると思うんですけど、
もし英語が苦手で、
認知検査においても音韻能力とか、
そういうところでちょっと苦手さが弱さがあるってなってくると、
それは単に英語の勉強量の問題っていうだけじゃなくて、
認知的に難しさがあることによって、
そういう英語の大変さっていうのが出てきてるっていうことで、
そういうことを報告して、
この英語の苦手さっていうのが、
実は日本語が苦手だってなると、
けっこう支援しなきゃなってなると思うんですけど、
英語が苦手だってなっても、
それは勉強しろよっていうふうな感じの流れが、
どうしても、僕も英語の教員やってたんで、
あるんですけど、そこにちょっと一石を投じるというか、
英語が苦手ってもしかしたら認知的な背景があって、
っていうのかもしれないよっていう、
そういうことを研究してましたね。
教育者としての視点
面白いですね。
でも、日本的にはジェネラルなディスレクシアというか、
日本語がちょっと厳しかったら英語も厳しいみたいな感じ。
多くの人はそうなんだけども、
たまにそれこそ言語による特異的なディスレクシアがあるみたいな理解であってます。
そうですね。そのときの研究は、
ディスレクシアの人を対象にしてやったわけじゃないので、
一般の方々に傾向と言いますかね、
混乱さの傾向を見てやったのであれなんですけど、
でも実際にディスレクシアの方の様子を見たりしても、
対立してるというのは結構あるようには思いますね。
個人的な見解として。
それこそ、将来報告とかも、
加工科みたいな話が出てて、
まだ結局含んでなかったりもするんですけど、
英語は結構できるけど、
日本語はダメみたいな人もいたりして、
ディスレクシアの方だと、
日本語はかなり書くの大変とか、
日常生活も大変ってなってくるようなレベルなんですけど、
でも英語だったら、わりとそんなに混乱さなくできるみたいな。
そういう人も多くいたりして、面白いなと思ったりもして。
英語とかって、せいぜいアルファベット26字しかなくて、
形的にはそんなに難しくない。
もちろん組み合わせで認識に混乱が生じる可能性はたくさんあるんだろうけども、
日本語の漢字を何千個覚えていて、
ひらがな50個覚えてとか、
ちょっとやっぱり違う世界線な感じがしますよね。
そうですね。
英語の難しいのは、
一個の文字と一個の文が一対一で対応してないんですね。
あれはもう英語の歴史的にぐちゃぐちゃになっちゃって、
AO、AとかOとかいろいろ読んだりとか。
そこが音韻的な難しさが英語際立ってる。
日本語の場合には、そこもそうですけど、
視覚的な認識とかそういうところも結構大きいのかなっていう。
漢字の書き方の棒が一本あるとかないとか。
そうですね。
言語によっても貢献するその認知能力の内側っていうのは結構言われたりしてるみたいな。
面白いですね。
今は多分この研究メインではないかもしれないんですけど、
こういう研究進んでいくことによって、
もしかしたらそういう苦しみを抱えている。
もう数は少ないかもしれないけども、
英語とか外国語の学習になった時に、
自分の努力とか勉強量とかとは関係なく、
何かできない、全然上達しないみたいな人たちに光が当たったらいいですよね。
もしかしたらいるかもしれないですね、周りにも。
本当にそうですね。
自分自身、読み書きのところから、困難さもそうですけど、
読み書きがどう得意になるかとか、
そういうところからスタートして、
じゃあ内的な読む力とか解答する力とかっていうところから、
内元につながったところもあったりする。
いいですね。
結構いい足渡しな感じがしていて、
内元の話も聞いていきたい。
ディスレクチャーの話最後に1個だけ聞きたいのは、
もともと先生になりたくてみたいなところがあったから、
その研究をしたんですかね。
そうなんです。もともとすごい小さい頃から小学校の先生になりたくて、
で、福岡に行ったんですけど、
でも、福岡の本当は教育に入りたかったんです。
でも教育はセンター試験の点数が足りなくて、
障害化学類っていう、
ちょっと下がるみたいな言い方したら失礼ですけど、
どっちに行ったんですね。
でもそこに行ったことによって僕は、
すごい人生の1個の大きな転換点だったなと思う。
そこでディスレクチャーとかいろんな発達障害の研究というか、
そういう学問分野ってあって、
むしろ今でも基礎研究に行ってますけど、
子どもの発達の支援とか障害の支援とか、
そこがやっぱり今でも主軸にあって、
そこからそことどう基礎研究と折り合いをつけていくかっていうところになって、
教員とか教育はもともと安心があるところではありますね。
なるほど。そういう話はすごい大好物ですよ。
こっちに行ってしまって、そこでね、
偶然の出会いとか今があるっていうのはすごいいいなと思いましたね。
本当に僕も教員免許持ってるんですけど、
英語の先生に会いたかったんですよ、それこそ。
そうですか。
そういうのもあって、
クバといえば教育みたいなところがあるんで、
今結構いろいろとつながったような感じがしています。
よし、じゃあ、内容の話聞きますか。
そこから教題の方に来られて、
森口先生のところですよね、最初っから。
はい、そうです。
発達心理学というか、発達科学の研究に来られたっていうのは、
どういう背景だったんですかね。
最初から内言やりたくて来たんですかね。
そうですね、最初すごいぼやっとしてたんです。
言語っていうのはある程度違くあったんですけど、
ディセレクションの方をより突き詰めていくっていうのも
案としてあったんですけど、
それやる前に、もうちょっと定型発達のほうをきちんとしろって。
まずそもそも言語のきちんとした発達のことを勉強したいですとか、
そういうところからスタートして、
自分自身、言語が違うとどういうふうに世界の見え方が変わってくるのかみたいな。
ディセレクションでもそうですけど、
言語が違うとどういうふうにいろんなものが変わってくるのかなっていうのに興味があって。
そこからいろいろサピア・ウォーフ仮説に出会ったりとか。
あれいいですよね。僕も最初あれ研究したかった。
思い出しました、今。
あれ感動的な。
ああいう言語が違うとどうなるのか。
あとはルリアの言語調整機能とか。
いいですね。
言語によってどうコントロールされるのか。
あの辺の言語調整機能をやってみたいなとか、
言語によってこれがどう変わるのかなっていうところあたりから、
森口県に行ってみようかなって。
そこから美語付きに行ってっていう感じなんですかね。
なるほど。いいですね。
内言の起源と発達
ちょっとキーワードがたくさん出てきているんですが、
多分美語付きの話はちょっと聞いておいた方がいいかなと思ってるんですけど、
内言って一番最初に言い始めたのが美語付き。
基本的にそうですね。
どういう文脈で出てきたんですか、内言みたいな話は。
なんか僕もちょっと恥ずかしながら、そこまで美語付きに恥ずかしいわけではないんですけど、
一人言のところが自己中心発話みたいなところから始まって、
美語付きは指摘発話みたいに意味のあるものとして見せようになってきて、
そこからそれがうちに沈み込んできて、
内言になるんじゃないかっていうところに発展していったのかなっていう感じではありますけど。
やっぱり一人言みたいなところはある程度これまでも他の人で注目されてきたけども、
そこに内言的なところで注目したのが美語付きなのかなと個人的には認識してますね。
先に一人言が出るんですか、その発達の順番的には。
そうですね。
それこそ幼い頃の養育者との対話の経験がベースになって、
そこから一人言が出てきて、例を示すんだったら、
こうこうこうしなさい、こうこうするといいよみたいな言葉がけがあって、
最初は養育者に言われて行動するようになったのが、
だんだんだんだんそれを自分で生成して、次こうしようとか、
次はこのおもちゃをここに置こうとか、そういうふうになっていって、
それがだんだん言わずとも生成できるようになってきて、
それが行動の調整につながってくるっていうふうに言われてますね。
なるほど。それはちょっと面白いですね。
でも前提条件としてそこまでまだ研究されてないですよね。
そうですね。本当におっしゃる通りで、
そこのセオリーはもう見ごつきで言われてるんですけど、
本当にじゃあそうなるの、何歳から具体的にそうなるのっていうところが、
実証研究がかなり少ないので、そこをちょっとやってみようよっていう感じなんで。
内言の実証研究
なるほど。大谷さんの出してるプレプリントだけちょっとだけ読ませてもらって、
ちょっと僕の口から断定解を言うのはちょっとあれなので、
その研究をちょっとお聞かせいただきたいなと思うんですけど、
あれが一応最初の試みですか。
そうですね。あれが最初の試みで、今もちょっと頑張って投稿中なんですけれど。
どういったことをされたんですか、最初に。
まず子供の美ごつきのセオリーがあって、
じゃあ内言になるのっていつなんだろうって。
うん。気になる。
ひとり言はある程度、観察大変ですけど聞けばわかる。
でも内的に沈み込んでいくって美ごつきは言うけども、
それがいつからなのかっていうのが、
わかればいろんな教育的な支援だとかがやってくるかもしれないし。
じゃあいつなんだっていうのを考える上で、
どうしたらそれを子供の内言というのは測れるかなっていうので、
いろいろ先行研究を見ていったんですけど、
よくあるのがインタビューみたいなのですとか、
実際に質問したりだとか。
でもやっぱりそれって大人だったらいいんですけども、
子供はどうしても信頼がなかなかできるデータが得られないので、
どうなるかっていうと、実験的に何か行動資料でデータを取ったりだとか、
あるいはノーイメージングのほうでなってくるわけなんですけど、
ノーイメージングも、やっぱりなかなかMRIとかを子供でやるのは難しいですし、
NIRSとかもノイズが入ったり。
NIRSを取れたとしてももちろん取れるんですけど、
取れたとしてもここのところが活発になってますよ、復活してますよってなってます。
それが一体どういうことを示すのかっていう解釈がなかなか難しいっていう問題もあったりすると思うので。
これから内限をもっと広く、簡便に測っていこうっていうふうになったときに、
やっぱり限られた環境じゃないと測定できないっていうふうになるので、
やっぱりもっと簡便に、客観指標、行動指標で誰でもやりやすいと考えたときに、
じゃあどうしようかっていうふうにしばらく悩みまして。
それこそ、ここにも出ていただいた渡辺さんですとか、
バーミスさんとかとも議論を重ねまして、
まずは声に出してなんか言ってるときと、声に出してないときを条件作って、
っていうところが必要だよねと。
声に出してないときに、でもこれ声に出してるなってわかるような実験パラダイムというかモデルみたいなのを編み出さないといけない。
歌を心の中で歌わせるとか、いろいろと複雑させるとか、いろいろ考えて、
だいたい3歳から5、6歳ぐらいを対象にしたいなと思ったときに、文字はなかなか読めないし。
じゃあみんなでユニバーサルにある程度3歳、4歳ぐらいできることって言ったら、
歌歌うとか数数えるとか、あいうえおとかそれくらいかなっていうことで、数数えるでいってみようかということで、
10はどうかな、もしかしたら怪しいかなっていうことで予備実験もやったりして、
5くらいまでだったら確実にいけんだろうっていうことで、
5くらいまでの数を数えてもらって、
それを声に出す条件と、声に出さない条件を作って。
ここがまあ難しいところなんですけど、声に出す1から5までを声に出して数えてねって言って、
それを1、2、3、4、5とか5回、その5まで数えるのを5回やってもらって、
声に出さないのを5回やってもらって、計10回やるんですね。
それを1から5まで数えるのをやってもらうときに、
最初に数えて、2回目に移るときに、
一番最初に数えたときと同じ速さで、
やってくださいね、唱えてくださいねって表示するんですね。
そうすると、1回目、例えば5まで数えるのに4.7秒かかりました。
2回目も4.65秒かかりました。
だいたい5回やっても、声に出してもかかる時間ってそんなに変わらないはずじゃないですか。
大人で声に出さないで、内言でそれをやったとしても、
恐らく感覚的にそんなに大きく毎回ぐちゃぐちゃになるってことはないじゃないですか。
恐らく1回目やっぱり4.7秒できたんだったら、
2回目も4.6秒とか3.7秒になるってことはおそらくないだろうと。
これを安定して内言を使えることとして、使ってみようというところで、
もし子どもに内言がなかったりだとか、不安定な状態の内言だったら、
声出して5回はできる。
心の中で5回っていうのが、これが1回目は4.7秒、2回目は3.1秒、3回目は7.1秒とか、
そういうふうにぐちゃぐちゃになっちゃうんじゃないか。
少なくとも安定はしないんじゃないか。
外言ほど。
っていうふうに考えまして、
そのばらつきを内言の一個の発達の指標みたいなのを使っている指標として使えないかなと思ってやったっていうのが、
あのプレプリントの研究でして。
面白いね。
結果として、当たり前ですけども、子どものほうが確実に大人よりもばらつきが大きい。
で、興味深いのは、心の中で唱えたときのばらつき。
1回目、2回目、3回目、4回目、5回目のばらつきのところが、
月に上がるにつれてそのばらつきが小さくなってた。
不の相関を示して。
で、最終的に大人になると一番小さくなる、そのばらつきが。
なのでそれってつまり、内言ができていく過程みたいな。
そういうものをある種捉えられてるんじゃないか。
ということで、この内言の数える安定性というものが、
客観的にかつ勘弁に、内言の発達を捉える一つの仕様になるんじゃないか。
内言の発達の示唆
というのを示したのがロボットですね。
面白いね。
そもそも声に出して数えてねっていうのはできるんですけど、
3歳以下だと心の中で数えてねって言っても、
そもそも教授が理解できてないのかなっていう問題はあるんですけど、
それは一旦置いといて、がんばってやろうとするんですよ。
ん、ん、ん、んって言っちゃったりするんですね。
あとはどうしても手が動いちゃったりだとか、
体どうしても動かさないでねって何回教授しても、こうなっちゃうんですよね。
唇を動かさないでやってみようとか言っても、んってなっちゃったりだとか。
それってつまり内言がないのか、あるんだけど自分から生成するのが難しいのか。
あるいは内言ができる途中段階なのかとか。
そういうのもありまして。
ちょっと話が飛んじゃったんですけど、内言をきちんと声に出さないでできることを、
声に出しちゃったり体を動かしちゃったり、そもそもボタンを押せないことが5秒ってことで比べたときに、
月齢がだいたい収容値の境目ぐらいが5歳だったんですね。60ヶ月。
なので、先行研究ではわりと7歳ぐらい、6、7歳が内言の獲得期って言われてたけども、
私たちの日常の感覚的に考えても、小学校1年生になっても心の中で何も言語がないってのはあまり考えがたい。
だからある程度5歳とかその辺りって後習いなのかな。
先行研究よりももうちょっと早いんじゃないかっていうことを示したっていう論文でもありますね。
面白いね。ありがとうございます。めちゃくちゃ面白いんですけど。
ちなみに5歳と大人を比べるとやっぱりそれは全然大人の方がバラツキが少ないっていうことですよね。
はい、そうです。圧倒的に少ないです。
なるほど。面白いですね。
これが内言の発達の差なのかどうかっていうことは、結構ツッコミはたくさんこれまでも受けてこられたと思うんですけど。
そこがね、今後ノートを一緒に合わせて交換が出てくるかとか整理していくとか。
最近、くわみさんがそういったところが強いですので、
私今、筑波大の研究員としてくわみさんのところでも週に一回働かせてもらってるんですけど、
そこで動向と内言の関連性ですとか、コメディと内言の関連性だとか、もちろんニュースとかとも関連性を見て、
その辺を少しでもディフェンスしていければなと思っています。
面白いですね。ありがとうございます。
めちゃくちゃ想像するだけで、声出さないでねって言うんですか?
この教授の時って3歳の人に教授するってどう言うんですか?数を数えて、心の中で数を数えてね。
心の中でも一応言うんですけど、ほぼわかってないと思うので、
声に出さない。今からしゃべっていけないんだよみたいな感じで、5まで唱えてもらう。
っていうことをやりましたね。
かわいいなあ。ありがとうございます。
どうですか?筆割りさんとかが、お子さん今ちょうどいらっしゃって、
これ内容してんじゃないかみたいな、そういう瞬間でありますか?
5ヶ月。5ヶ月はちょっと厳しいんじゃないですかね。
いけんのかな?
私たちの内言も、これもし発見したらすごいブレイクするんじゃないかみたいな。
本当ですよね。
もしかして単語では心の中でもワオ、ウー言ってたりするんじゃないかみたいな。
思うんですけど、どうですか?
内言云々もそうですけど、そもそも言語と思考ってどれぐらい結びついてるのか説みたいなのあるじゃないですか。
何かを考えてるってことは、何かしらの言語があるのかなみたいなこととかを考えると、
何かを考えてるようには見えますけどね。5ヶ月でも。
うーん。
違うのかな?
それはね、親フィルターがすごいから。
そこが難しいですよね。内言っていうものの定義がそもそも難しいというか、
思考してたら今おっしゃったように、言語が伴ってくるものなのか。
それこそ内言の対になるというか、視覚的イメージが。
それが確実に切り分けられるものなのかみたいな。
そういったところは難しい問題だと思うんですけどね。
そうですね。
今日本当にめちゃくちゃ大谷さんの話面白くて、というよりも
心理学者というか研究者という風に言ってもいいと思うんですけど、
これを知りたいってなった時に、どうやってそこにたどり着こうとしてるかみたいなのを
めちゃくちゃ葛藤とともに話してくれたらすごい。
歌を歌わせるかどうするかとか言葉じゃなくて数にしたみたいな話とか。
すごく良かったですね。
本当に沼ですね、内言の発達っていうのは。
やってても正直不安になる。
確かに。
内言の発達と教育
これ何やってんだろうみたいな。
ふと我に帰ると、これやってる意味があるのかとか、本当にできてるのかとか。
何も無を掴もうとしてるみたいな。
このテーマはそうなると思います。
自分とかも全然、美しいとか何なんだろうとか、
渡辺さんとかも意識って何なんだろうみたいな、そういうのあると思うんですけど、
内言とかはちょっと巨大ですね、相手が。
だからこそ楽しいと言いたい。
まさにこの筆割さんのやってるような研究も、
個人的に興味があると言いますか、
結構文学的なところと心理学の研究っていうか、
そういうところをもっとミックスしていくとすごい面白いですよね。
そういうところをミックスしていくとすごい面白いのかなと個人的に思ったりしてて。
最近ってどうしても、ちょっと話外れますけど、
どうしても文学ってなかなか、二の次みたいになってるところがある。
そう思います。
個人的に、去年まで国語の先生やってたんですよ。
教科担のとこだったので。
そんなのもあって、子供と一緒に詩作ったりだとか、
それこそ俳句一緒に作ったりだとか。
いいですね。
そういうことをやったりしてて、小説もゴンギツネやったりです。
いいですね。
そういうところで、
なんでこれを読んで悲しい気持ちになるのはなんでだろうっていう。
そういうふうな授業をよく展開してて、
これを読んでこう感じるっていうのは、仕掛けがあるからだよって常に思ってたんです。
合言葉で、そう思うのは仕掛けがあるからっていうふうな合言葉を子供に言わせてたんですけど、
例えばこれを一文を読んで悲しいなとか、
これがなんか嬉しいような気持ちになるなとか。
なんかどっかにヒントっていうか仕掛けが必ずあるはずで、
ここの言い出しとか、こういうふうに最後切ったからとか。
それを見つけるっていうのがある種、読解なのかなと思ったりして。
難しいですよね。
なんとなくそういうもんだからで片付けちゃうと読解にならないんですけど、
ここにこういう描写があるから。
あくまで主体、主人公は悲しいって一言も言ってない。
ここに悲しいって言葉が出てきてる?って子供たちに聞いて、
いや出てきてないって。
なんで悲しいと思うのよって煽ったりして、子供たちを。
いいねー。いいですねー。
ここにこういう発言があるからとか、発言じゃなくても、
こういうふうな歩き方してるからとか、こういうふうに木がこんな感じだからとか。
そうやって読解のポイントみたいなのが見えてくるんですよね。
だからそういう話それちゃったんですけど、
文学的なところをもっと楽しむとか、科学の領域として取り入れていって、
もっといろんな人に関心を持ってほしいなとか、
そういうのは常々思ってるんで、
そういう俳句とかもいいなと思ったりするんですよね。
嬉しいですね。
国語の先生だったとはちょっと。
そうなんです。
なんかね、そういう、
僕もやっぱり教育に何かお返ししたいみたいな気持ちがあったりするので、
俳句とか詩とか文学を楽しめる人が増えたら、
それだけで結構世界っていい方向に行くんじゃないかみたいな、
そういう楽観的な観測というか希望的観測みたいなのもあるので。
どうしても今ってどんどん説明文とか論説文ばっかりで、
それをいかに早く読むかみたいな、
そういうところにばっかり焦点が当てられがちで、
文学を味わうとか楽しむとか、
そういうのがどんどん軽視されてるような感じがして。
ご存知かもしれないんですけども、
クラウドファンディングの挑戦
小学校とか中高とかもどんどん教科書、
もちろんある程度は担保されてますけど、
どうしても論説文、小説家の比重が大きくなってきてます。
英語に限ってはもう、
昔は結構小説とかあったらしいんですけども、
もう今、英語の教科書で小説って、
もう緩末にちょろっと入ってるくらい。
もうほぼないんですよね。
だからそういうところはちょっと怖いなぁなんて思いながら。
それは結構同じような問題意識だなと思いますね。
なるほど。ありがとうございます。
ちょっと最後、終盤に入っていきたいんですけど、
ちょっと迷ってて、
もう基本的にクラファンの話聞いていくっていう方向と、
動向の話ちょっと聞きたいんですよね。
動向。
動向の話ってまだあまり喋らない方がいいんでしたっけ?論文になってない?
でも学会とかでは出してるので、
ちょっとそこら辺も交えながら。
ちょっとだけ聞いてもいいですか?
まずクラファンの話ということで、
そんなこんなでですね。
そんなこんなでですよ。
困難な極めだからですね、研究をやってきて。
それをいかに継続していくかっていうところが、
やっぱりどうしても研究費が必要っていうところがあったりですとか、
特に今回僕が一応、
最初に名前が載ってる人としてクラファンやってるんですけど、
特にリーダーとか決めてないんですけども、
僕が一番最初に名前になってるのは、
やっぱり僕どうしても専門学校の教員で、
ドクターもまだ持ってないですので、
研究費ってものが、
持てないんですよね。
難しさあって、
なのでいかにして研究費を集めるかっていうことが難しくて、
それもあって、他の方は課件とか出そうと思ったら出せるんですけど、
そうじゃない。
私がどうやって自分で、
自身の足で立って研究していくかっていうふうになったときに、
やっぱりああいう手段になってくるので、
内言の研究を継続させる。
子どもの内言っていうものを、
今言ったようなカウンティングの課題とかを、
よりエビデンスのあるものにしていく。
あとは、内言と他の動向ですとか、
山本臨さんがやってるようなそういった感情の部分と、
内言ってどう関わってくるんだって。
そういうところをきちんと明らかにしていこうねって。
でもそのためにはもっと研究調査をやっていかないといけなくて、
人とそれに対してお礼の借金ですとか、
そういうところを引き抜こうにはあってきますので、
やっぱりそこはちょっと頑張っていかないとならないなということで。
ちょうど昨日かな、50%に達しまして、
50万円に達しましたので100万円まで折り返し地点ということで、
残り1ヶ月ちょっとあるなとは思うんですけども、
ちょっと頑張らないとなということで、
学会でもビラ配りをかんゆみさんと一緒にやったりですとかしてるんですけど、
つくば駅でビラ配りでもしたほうがいいんじゃないかってやってないんですけども、
したほうがいいんじゃないかとかいろんなところで宣伝をしたりしてるので、
ぜひとも1000円から寄付できますので、
ちょっとでもその研究の位置上というか、
メンバーに代わってほしいなっていうところがありますね。
その内限の研究が発展していくと、
おそらく支援してくださる方は自分のこの支援がどうつながるのかって、
もちろん寄付って意味もあると思うんですけど、
どうつながるのか、どう意味のあるものになるのかっていうことを求めてらっしゃると思うので。
それぞれ4人のいろんな思いはあると思うんですけど、
私としては、もともと支援、発達障害とか困難さを抱える人の支援っていうところからやってきたので、
これをここまでページには書いてないんですけども、
例えば、内限の発達にちょっと遅れがあるだとか、
内限がちょっとやりづらいですとか、
あとは視覚的イメージのほうが得意で、
内限はそんなに普段使わないだとか、
そういった方もおそらくいる。
内限いろんな多様性があって、
じゃあ例えば小学校の授業で、目読をしようねとか、
別に授業じゃなくても本を読むときに目読をするとか、そういうときに、
もしかしたら人によってそういうのって差があるかもしれない。
やり方の差、あとはできる量、速さの差が。
今までは外限だけに注目されてきたけども、
内限にもそういう多様性ってあったりするかもしれないので、
そこを明らかにしていくっていうのは、
より広く支援をしていくというか、
支援というと、できない人の足場を作るみたいなイメージですけど、
そうじゃなくてもっと、
内的世界の多様性を明らかにするって意味でも、
意味のあるものなのかなと個人的には思うので、
そういった面でも意味のある研究に、すぐにはつながらないでしょうけど、
将来的になっていくのかなと思うので、
そういう意味でも。
別にお金でなくても、ちょっと拡散でも、
言葉でもいいので、あと少しなので、
何らかのご縁があるといいなと思っています。
ありがとうございます。
そうは言わずにお金をみなさんお願いします。
これね、でも、
1,000円でも本当にありがたいです。
税込1,100円ですからね。
結構ね、クラファーをやった方とかは、
すごくわかると思うんですけど、
この数ってのすごい大事なんですね。
いろんな人に応援してもらってやってますっていう、
そういう背中の押し方をしたいなと思うので、
動向と内言の関係
もちろん5,000円、1万円って出していただきたいんですけど、
もしそういうちょっと余裕がないという方でも、
1,000円ぜひ研究者のこれからのために出していただけたら、
嬉しいなというふうに思っていますね。
あれですかね、ちょっと動向の話も。
もうデータ取ってますもんね、動向に関しては。
そうですね、大人なんですけどそれは。
そっかそっか、大人の話。
やってます。
ちょっと奥もそんなに軽々しく、
厳しく喋っていいのかなって感じなんですけど、
声に出して数字唱えるのと、心の中で唱えるのと、
何も考えない、レスティングみたいな話題ですね。
それで動向の大きさがどういうふうに変わるのか、
違いがあるのかっていうことを調べて、
その結果として、内元のときには動向が外元よりも小さくなったんですね。
縮小した。
どうそれを解釈するかっていうのは難しいと思うんですけど、
でも外元と内元で違ったっていうのは面白いと思ってて、
レスティングとももちろん違ったっていうところが意味があるもんだと思って、
それってつまり、すごく大きく言えば、
目を通じて心の中が見える可能性がちょっとあるってわけですよね。
動向が内元のときになんで小さくなるのかっていうのは、
いろんな要素が考えられると思うんですけど、
もちろん喋ってて、運動をしてるから、
運動に筋肉を使ってって高音の問題とかもいろいろあると思うんですけども。
でもレスティングともまた違うっていうのは個人的に面白いなと思ってまして、
そんな違いがあるよという感じですかね。
何もしてないレスティングのときと比べたら、
比べても小さくなるんでしたっけ?
そうですね、確かそうだったと思います。
謎ですね。
そのレスティングっていうのがなかなか難しいんですけどね。
何も考えないっていうのは、どうやるのかっていうのが難しい。
そうですね、そうですね。
今後これを子どもでやってみて、どうなるのか。
子どもでもし動向がでかくなったりしたら、
結構認知資源割いてたりしたりする。
そういうふうにつながってきて面白いかなと思う。
確かに。
そうですよね。
大きくなりそうだもんな。
なのでその辺の整理しようが、今後の鍵になるのかなっていう。
ありがとうございます。
それにはお金が必要なので、ぜひお願いしたいというのを繰り返し言うのと、
あとは今日のお話、大谷さんのスタンスがすごく嬉しいというか、
伝わったらいいなって思ったのが、さっきの実験計画みたいなところと、
動向とか脳のイメージング、脳の画像を撮ったりとかするっていう、
内言の発達に関する対談
そういう研究手法への態度っていうのが、
なかなかこれ伝わってないのかなって一般の方に思うときがあって、
脳を撮ったらすぐにいろんなことが分かるかって言われたら、
あと動向もそうですけど、
動向を測ったら人間の主観的なもの以外の客観的な指標としてすごくいいんじゃないかっていうのは、
想像はできるんですけど、
実はそんなに単純な話でもなくて、
さっきも言ったように動向が小さくなったっていうことが何を意味してるのかっていうのは、
大きくなったときって、例えば感情がすごい快楽的なものが巻き上がってきたときも大きくなるし、
ただ単にすごく認知的に何かタスクに集中を割いていたときも大きくなるだろうし、
疲れていたらちっちゃくなるとか、眠くなってたらちっちゃくなるとか、
いろいろあるわけですよね、解釈の仕方。
そのときに大谷さんが最初にやった、めちゃくちゃ頭をひねって作り出したカウンティング課題みたいなこととかが、
まず先にやって、その上で動向を取るとか脳の画像を取るとかっていう、
そういう順番で解釈を絞っていくというか、脳の活動量とかに意味づけをしていくっていう、
こういう順番で研究ってやられていくんだよねっていうこととかが伝わったらすごく嬉しいなって思いながら、
聞いていましたね。
それは本当におっしゃる通りですね。
何やっても脳ってどこが知るの?
なんとでも言えちゃうから、難しいですね。
だからやっぱり心理学者の仕事は実験をするって、
それをできるだけ精緻に分けていくっていうことなのかなって思うので、
そのあたりの苦悩とたまに喜びと伝わったら嬉しいなと思いますし、
今後さらなる、聞いていただいたら分かったと思うんですけど、
やらないといけないこといっぱいというか、まだまだ分かってないことだらけだし、
6、7歳からって言われたら5歳からなんじゃないかみたいなことって、
さらっと言いましたけど、結構すごい発見になりそうなことじゃないですか。
それだけで正規の発見とは言えないけども、
これまで言われてきたことじゃないことを、
それをちょっと修正するようなことを言うってなかなかロマンになることだなと思うので、
研究の今後と支援のお願い
そういうロマンとかも買っていただきたいというふうに。
第3者の割にめちゃくちゃこいつ、上手く押すんじゃないかっていう感じですか。
本当に嬉しいです。
思ってますので、ぜひよろしくお願いします。
概要欄にクラファンのリンクを貼ってますので、
ぜひすぐに支援していただければ嬉しいですし、
あと今日出てきた論文、主には2つかな、ディスレクションの話前半したのと、
あとはプレプリントの論文を貼っておこうと思うので、
ぜひ興味のある方はチェックしていただけたらと思います。
よろしくお願いします。
じゃあそんな感じ、大谷さんちょっと最後どうですか感想というか、
あと重ねてお願いなどあれば、
ぜひ締めていただきたいんですけどいかがでしょうか。
でもこういうところに出演するっていうのは初めてでして、
階段を人にお見せするっていうことはあんまりしたことなかったんですけども、
でもあっという間に1時間過ぎてしまって、
もうひつがりさんのお話もいろいろ。
本当に結構似てるのかなって個人的には研究分野が思ってまして、
そういうところとか文学の話とかもっとまたぜひ機会があったらしたいなと。
ぜひぜひ。
今回は一応クラファンのっていうことでしたけども、
それ以外のところでもぜひいろいろと本当に支援ももちろんですけども、
繋がらなかったとしてもぜひこれからの研究に、
ひつがりさんのも私のも注目していただきたいなと思います。
ありがとうございます。
じゃあ今日のゲストは大谷さんでした。
僕もすごい楽しかったです。ありがとうございました。
ありがとうございます。
58:22

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