面白いですね。
でも、日本的にはジェネラルなディスレクシアというか、
日本語がちょっと厳しかったら英語も厳しいみたいな感じ。
多くの人はそうなんだけども、
たまにそれこそ言語による特異的なディスレクシアがあるみたいな理解であってます。
そうですね。そのときの研究は、
ディスレクシアの人を対象にしてやったわけじゃないので、
一般の方々に傾向と言いますかね、
混乱さの傾向を見てやったのであれなんですけど、
でも実際にディスレクシアの方の様子を見たりしても、
対立してるというのは結構あるようには思いますね。
個人的な見解として。
それこそ、将来報告とかも、
加工科みたいな話が出てて、
まだ結局含んでなかったりもするんですけど、
英語は結構できるけど、
日本語はダメみたいな人もいたりして、
ディスレクシアの方だと、
日本語はかなり書くの大変とか、
日常生活も大変ってなってくるようなレベルなんですけど、
でも英語だったら、わりとそんなに混乱さなくできるみたいな。
そういう人も多くいたりして、面白いなと思ったりもして。
英語とかって、せいぜいアルファベット26字しかなくて、
形的にはそんなに難しくない。
もちろん組み合わせで認識に混乱が生じる可能性はたくさんあるんだろうけども、
日本語の漢字を何千個覚えていて、
ひらがな50個覚えてとか、
ちょっとやっぱり違う世界線な感じがしますよね。
そうですね。
英語の難しいのは、
一個の文字と一個の文が一対一で対応してないんですね。
あれはもう英語の歴史的にぐちゃぐちゃになっちゃって、
AO、AとかOとかいろいろ読んだりとか。
そこが音韻的な難しさが英語際立ってる。
日本語の場合には、そこもそうですけど、
視覚的な認識とかそういうところも結構大きいのかなっていう。
漢字の書き方の棒が一本あるとかないとか。
そうですね。
言語によっても貢献するその認知能力の内側っていうのは結構言われたりしてるみたいな。
面白いですね。
今は多分この研究メインではないかもしれないんですけど、
こういう研究進んでいくことによって、
もしかしたらそういう苦しみを抱えている。
もう数は少ないかもしれないけども、
英語とか外国語の学習になった時に、
自分の努力とか勉強量とかとは関係なく、
何かできない、全然上達しないみたいな人たちに光が当たったらいいですよね。
もしかしたらいるかもしれないですね、周りにも。
本当にそうですね。
自分自身、読み書きのところから、困難さもそうですけど、
読み書きがどう得意になるかとか、
そういうところからスタートして、
じゃあ内的な読む力とか解答する力とかっていうところから、
内元につながったところもあったりする。
いいですね。
結構いい足渡しな感じがしていて、
内元の話も聞いていきたい。
ディスレクチャーの話最後に1個だけ聞きたいのは、
もともと先生になりたくてみたいなところがあったから、
その研究をしたんですかね。
そうなんです。もともとすごい小さい頃から小学校の先生になりたくて、
で、福岡に行ったんですけど、
でも、福岡の本当は教育に入りたかったんです。
でも教育はセンター試験の点数が足りなくて、
障害化学類っていう、
ちょっと下がるみたいな言い方したら失礼ですけど、
どっちに行ったんですね。
でもそこに行ったことによって僕は、
すごい人生の1個の大きな転換点だったなと思う。
そこでディスレクチャーとかいろんな発達障害の研究というか、
そういう学問分野ってあって、
むしろ今でも基礎研究に行ってますけど、
子どもの発達の支援とか障害の支援とか、
そこがやっぱり今でも主軸にあって、
そこからそことどう基礎研究と折り合いをつけていくかっていうところになって、
教員とか教育はもともと安心があるところではありますね。
なるほど。そういう話はすごい大好物ですよ。
こっちに行ってしまって、そこでね、
偶然の出会いとか今があるっていうのはすごいいいなと思いましたね。
本当に僕も教員免許持ってるんですけど、
英語の先生に会いたかったんですよ、それこそ。
そうですか。
そういうのもあって、
クバといえば教育みたいなところがあるんで、
今結構いろいろとつながったような感じがしています。
よし、じゃあ、内容の話聞きますか。
そこから教題の方に来られて、
森口先生のところですよね、最初っから。
はい、そうです。
発達心理学というか、発達科学の研究に来られたっていうのは、
どういう背景だったんですかね。
最初から内言やりたくて来たんですかね。
そうですね、最初すごいぼやっとしてたんです。
言語っていうのはある程度違くあったんですけど、
ディセレクションの方をより突き詰めていくっていうのも
案としてあったんですけど、
それやる前に、もうちょっと定型発達のほうをきちんとしろって。
まずそもそも言語のきちんとした発達のことを勉強したいですとか、
そういうところからスタートして、
自分自身、言語が違うとどういうふうに世界の見え方が変わってくるのかみたいな。
ディセレクションでもそうですけど、
言語が違うとどういうふうにいろんなものが変わってくるのかなっていうのに興味があって。
そこからいろいろサピア・ウォーフ仮説に出会ったりとか。
あれいいですよね。僕も最初あれ研究したかった。
思い出しました、今。
あれ感動的な。
ああいう言語が違うとどうなるのか。
あとはルリアの言語調整機能とか。
いいですね。
言語によってどうコントロールされるのか。
あの辺の言語調整機能をやってみたいなとか、
言語によってこれがどう変わるのかなっていうところあたりから、
森口県に行ってみようかなって。
そこから美語付きに行ってっていう感じなんですかね。
なるほど。いいですね。
なるほど。大谷さんの出してるプレプリントだけちょっとだけ読ませてもらって、
ちょっと僕の口から断定解を言うのはちょっとあれなので、
その研究をちょっとお聞かせいただきたいなと思うんですけど、
あれが一応最初の試みですか。
そうですね。あれが最初の試みで、今もちょっと頑張って投稿中なんですけれど。
どういったことをされたんですか、最初に。
まず子供の美ごつきのセオリーがあって、
じゃあ内言になるのっていつなんだろうって。
うん。気になる。
ひとり言はある程度、観察大変ですけど聞けばわかる。
でも内的に沈み込んでいくって美ごつきは言うけども、
それがいつからなのかっていうのが、
わかればいろんな教育的な支援だとかがやってくるかもしれないし。
じゃあいつなんだっていうのを考える上で、
どうしたらそれを子供の内言というのは測れるかなっていうので、
いろいろ先行研究を見ていったんですけど、
よくあるのがインタビューみたいなのですとか、
実際に質問したりだとか。
でもやっぱりそれって大人だったらいいんですけども、
子供はどうしても信頼がなかなかできるデータが得られないので、
どうなるかっていうと、実験的に何か行動資料でデータを取ったりだとか、
あるいはノーイメージングのほうでなってくるわけなんですけど、
ノーイメージングも、やっぱりなかなかMRIとかを子供でやるのは難しいですし、
NIRSとかもノイズが入ったり。
NIRSを取れたとしてももちろん取れるんですけど、
取れたとしてもここのところが活発になってますよ、復活してますよってなってます。
それが一体どういうことを示すのかっていう解釈がなかなか難しいっていう問題もあったりすると思うので。
これから内限をもっと広く、簡便に測っていこうっていうふうになったときに、
やっぱり限られた環境じゃないと測定できないっていうふうになるので、
やっぱりもっと簡便に、客観指標、行動指標で誰でもやりやすいと考えたときに、
じゃあどうしようかっていうふうにしばらく悩みまして。
それこそ、ここにも出ていただいた渡辺さんですとか、
バーミスさんとかとも議論を重ねまして、
まずは声に出してなんか言ってるときと、声に出してないときを条件作って、
っていうところが必要だよねと。
声に出してないときに、でもこれ声に出してるなってわかるような実験パラダイムというかモデルみたいなのを編み出さないといけない。
歌を心の中で歌わせるとか、いろいろと複雑させるとか、いろいろ考えて、
だいたい3歳から5、6歳ぐらいを対象にしたいなと思ったときに、文字はなかなか読めないし。
じゃあみんなでユニバーサルにある程度3歳、4歳ぐらいできることって言ったら、
歌歌うとか数数えるとか、あいうえおとかそれくらいかなっていうことで、数数えるでいってみようかということで、
10はどうかな、もしかしたら怪しいかなっていうことで予備実験もやったりして、
5くらいまでだったら確実にいけんだろうっていうことで、
5くらいまでの数を数えてもらって、
それを声に出す条件と、声に出さない条件を作って。
ここがまあ難しいところなんですけど、声に出す1から5までを声に出して数えてねって言って、
それを1、2、3、4、5とか5回、その5まで数えるのを5回やってもらって、
声に出さないのを5回やってもらって、計10回やるんですね。
それを1から5まで数えるのをやってもらうときに、
最初に数えて、2回目に移るときに、
一番最初に数えたときと同じ速さで、
やってくださいね、唱えてくださいねって表示するんですね。
そうすると、1回目、例えば5まで数えるのに4.7秒かかりました。
2回目も4.65秒かかりました。
だいたい5回やっても、声に出してもかかる時間ってそんなに変わらないはずじゃないですか。
大人で声に出さないで、内言でそれをやったとしても、
恐らく感覚的にそんなに大きく毎回ぐちゃぐちゃになるってことはないじゃないですか。
恐らく1回目やっぱり4.7秒できたんだったら、
2回目も4.6秒とか3.7秒になるってことはおそらくないだろうと。
これを安定して内言を使えることとして、使ってみようというところで、
もし子どもに内言がなかったりだとか、不安定な状態の内言だったら、
声出して5回はできる。
心の中で5回っていうのが、これが1回目は4.7秒、2回目は3.1秒、3回目は7.1秒とか、
そういうふうにぐちゃぐちゃになっちゃうんじゃないか。
少なくとも安定はしないんじゃないか。
外言ほど。
っていうふうに考えまして、
そのばらつきを内言の一個の発達の指標みたいなのを使っている指標として使えないかなと思ってやったっていうのが、
あのプレプリントの研究でして。
面白いね。
結果として、当たり前ですけども、子どものほうが確実に大人よりもばらつきが大きい。
で、興味深いのは、心の中で唱えたときのばらつき。
1回目、2回目、3回目、4回目、5回目のばらつきのところが、
月に上がるにつれてそのばらつきが小さくなってた。
不の相関を示して。
で、最終的に大人になると一番小さくなる、そのばらつきが。
なのでそれってつまり、内言ができていく過程みたいな。
そういうものをある種捉えられてるんじゃないか。
ということで、この内言の数える安定性というものが、
客観的にかつ勘弁に、内言の発達を捉える一つの仕様になるんじゃないか。
というのを示したのがロボットですね。
面白いね。
そもそも声に出して数えてねっていうのはできるんですけど、
3歳以下だと心の中で数えてねって言っても、
そもそも教授が理解できてないのかなっていう問題はあるんですけど、
それは一旦置いといて、がんばってやろうとするんですよ。
ん、ん、ん、んって言っちゃったりするんですね。
あとはどうしても手が動いちゃったりだとか、
体どうしても動かさないでねって何回教授しても、こうなっちゃうんですよね。
唇を動かさないでやってみようとか言っても、んってなっちゃったりだとか。
それってつまり内言がないのか、あるんだけど自分から生成するのが難しいのか。
あるいは内言ができる途中段階なのかとか。
そういうのもありまして。
ちょっと話が飛んじゃったんですけど、内言をきちんと声に出さないでできることを、
声に出しちゃったり体を動かしちゃったり、そもそもボタンを押せないことが5秒ってことで比べたときに、
月齢がだいたい収容値の境目ぐらいが5歳だったんですね。60ヶ月。
なので、先行研究ではわりと7歳ぐらい、6、7歳が内言の獲得期って言われてたけども、
私たちの日常の感覚的に考えても、小学校1年生になっても心の中で何も言語がないってのはあまり考えがたい。
だからある程度5歳とかその辺りって後習いなのかな。
先行研究よりももうちょっと早いんじゃないかっていうことを示したっていう論文でもありますね。
面白いね。ありがとうございます。めちゃくちゃ面白いんですけど。
ちなみに5歳と大人を比べるとやっぱりそれは全然大人の方がバラツキが少ないっていうことですよね。
はい、そうです。圧倒的に少ないです。
なるほど。面白いですね。
これが内言の発達の差なのかどうかっていうことは、結構ツッコミはたくさんこれまでも受けてこられたと思うんですけど。
そこがね、今後ノートを一緒に合わせて交換が出てくるかとか整理していくとか。
最近、くわみさんがそういったところが強いですので、
私今、筑波大の研究員としてくわみさんのところでも週に一回働かせてもらってるんですけど、
そこで動向と内言の関連性ですとか、コメディと内言の関連性だとか、もちろんニュースとかとも関連性を見て、
その辺を少しでもディフェンスしていければなと思っています。
面白いですね。ありがとうございます。
めちゃくちゃ想像するだけで、声出さないでねって言うんですか?
この教授の時って3歳の人に教授するってどう言うんですか?数を数えて、心の中で数を数えてね。
心の中でも一応言うんですけど、ほぼわかってないと思うので、
声に出さない。今からしゃべっていけないんだよみたいな感じで、5まで唱えてもらう。
っていうことをやりましたね。
かわいいなあ。ありがとうございます。
どうですか?筆割りさんとかが、お子さん今ちょうどいらっしゃって、
これ内容してんじゃないかみたいな、そういう瞬間でありますか?
5ヶ月。5ヶ月はちょっと厳しいんじゃないですかね。
いけんのかな?
私たちの内言も、これもし発見したらすごいブレイクするんじゃないかみたいな。
本当ですよね。
もしかして単語では心の中でもワオ、ウー言ってたりするんじゃないかみたいな。
思うんですけど、どうですか?
内言云々もそうですけど、そもそも言語と思考ってどれぐらい結びついてるのか説みたいなのあるじゃないですか。
何かを考えてるってことは、何かしらの言語があるのかなみたいなこととかを考えると、
何かを考えてるようには見えますけどね。5ヶ月でも。
うーん。
違うのかな?
それはね、親フィルターがすごいから。
そこが難しいですよね。内言っていうものの定義がそもそも難しいというか、
思考してたら今おっしゃったように、言語が伴ってくるものなのか。
それこそ内言の対になるというか、視覚的イメージが。
それが確実に切り分けられるものなのかみたいな。
そういったところは難しい問題だと思うんですけどね。
そうですね。
今日本当にめちゃくちゃ大谷さんの話面白くて、というよりも
心理学者というか研究者という風に言ってもいいと思うんですけど、
これを知りたいってなった時に、どうやってそこにたどり着こうとしてるかみたいなのを
めちゃくちゃ葛藤とともに話してくれたらすごい。
歌を歌わせるかどうするかとか言葉じゃなくて数にしたみたいな話とか。
すごく良かったですね。
本当に沼ですね、内言の発達っていうのは。
やってても正直不安になる。
確かに。
これ何やってんだろうみたいな。
ふと我に帰ると、これやってる意味があるのかとか、本当にできてるのかとか。
何も無を掴もうとしてるみたいな。
このテーマはそうなると思います。
自分とかも全然、美しいとか何なんだろうとか、
渡辺さんとかも意識って何なんだろうみたいな、そういうのあると思うんですけど、
内言とかはちょっと巨大ですね、相手が。
だからこそ楽しいと言いたい。
まさにこの筆割さんのやってるような研究も、
個人的に興味があると言いますか、
結構文学的なところと心理学の研究っていうか、
そういうところをもっとミックスしていくとすごい面白いですよね。
そういうところをミックスしていくとすごい面白いのかなと個人的に思ったりしてて。
最近ってどうしても、ちょっと話外れますけど、
どうしても文学ってなかなか、二の次みたいになってるところがある。
そう思います。
個人的に、去年まで国語の先生やってたんですよ。
教科担のとこだったので。
そんなのもあって、子供と一緒に詩作ったりだとか、
それこそ俳句一緒に作ったりだとか。
いいですね。
そういうことをやったりしてて、小説もゴンギツネやったりです。
いいですね。
そういうところで、
なんでこれを読んで悲しい気持ちになるのはなんでだろうっていう。
そういうふうな授業をよく展開してて、
これを読んでこう感じるっていうのは、仕掛けがあるからだよって常に思ってたんです。
合言葉で、そう思うのは仕掛けがあるからっていうふうな合言葉を子供に言わせてたんですけど、
例えばこれを一文を読んで悲しいなとか、
これがなんか嬉しいような気持ちになるなとか。
なんかどっかにヒントっていうか仕掛けが必ずあるはずで、
ここの言い出しとか、こういうふうに最後切ったからとか。
それを見つけるっていうのがある種、読解なのかなと思ったりして。
難しいですよね。
なんとなくそういうもんだからで片付けちゃうと読解にならないんですけど、
ここにこういう描写があるから。
あくまで主体、主人公は悲しいって一言も言ってない。
ここに悲しいって言葉が出てきてる?って子供たちに聞いて、
いや出てきてないって。
なんで悲しいと思うのよって煽ったりして、子供たちを。
いいねー。いいですねー。
ここにこういう発言があるからとか、発言じゃなくても、
こういうふうな歩き方してるからとか、こういうふうに木がこんな感じだからとか。
そうやって読解のポイントみたいなのが見えてくるんですよね。
だからそういう話それちゃったんですけど、
文学的なところをもっと楽しむとか、科学の領域として取り入れていって、
もっといろんな人に関心を持ってほしいなとか、
そういうのは常々思ってるんで、
そういう俳句とかもいいなと思ったりするんですよね。
嬉しいですね。
国語の先生だったとはちょっと。
そうなんです。
なんかね、そういう、
僕もやっぱり教育に何かお返ししたいみたいな気持ちがあったりするので、
俳句とか詩とか文学を楽しめる人が増えたら、
それだけで結構世界っていい方向に行くんじゃないかみたいな、
そういう楽観的な観測というか希望的観測みたいなのもあるので。
どうしても今ってどんどん説明文とか論説文ばっかりで、
それをいかに早く読むかみたいな、
そういうところにばっかり焦点が当てられがちで、
文学を味わうとか楽しむとか、
そういうのがどんどん軽視されてるような感じがして。
ご存知かもしれないんですけども、
小学校とか中高とかもどんどん教科書、
もちろんある程度は担保されてますけど、
どうしても論説文、小説家の比重が大きくなってきてます。
英語に限ってはもう、
昔は結構小説とかあったらしいんですけども、
もう今、英語の教科書で小説って、
もう緩末にちょろっと入ってるくらい。
もうほぼないんですよね。
だからそういうところはちょっと怖いなぁなんて思いながら。
それは結構同じような問題意識だなと思いますね。
なるほど。ありがとうございます。
ちょっと最後、終盤に入っていきたいんですけど、
ちょっと迷ってて、
もう基本的にクラファンの話聞いていくっていう方向と、
動向の話ちょっと聞きたいんですよね。
動向。
動向の話ってまだあまり喋らない方がいいんでしたっけ?論文になってない?
でも学会とかでは出してるので、
ちょっとそこら辺も交えながら。
ちょっとだけ聞いてもいいですか?
まずクラファンの話ということで、
そんなこんなでですね。
そんなこんなでですよ。
困難な極めだからですね、研究をやってきて。
それをいかに継続していくかっていうところが、
やっぱりどうしても研究費が必要っていうところがあったりですとか、
特に今回僕が一応、
最初に名前が載ってる人としてクラファンやってるんですけど、
特にリーダーとか決めてないんですけども、
僕が一番最初に名前になってるのは、
やっぱり僕どうしても専門学校の教員で、
ドクターもまだ持ってないですので、
研究費ってものが、
持てないんですよね。
難しさあって、
なのでいかにして研究費を集めるかっていうことが難しくて、
それもあって、他の方は課件とか出そうと思ったら出せるんですけど、
そうじゃない。
私がどうやって自分で、
自身の足で立って研究していくかっていうふうになったときに、
やっぱりああいう手段になってくるので、
内言の研究を継続させる。
子どもの内言っていうものを、
今言ったようなカウンティングの課題とかを、
よりエビデンスのあるものにしていく。
あとは、内言と他の動向ですとか、
山本臨さんがやってるようなそういった感情の部分と、
内言ってどう関わってくるんだって。
そういうところをきちんと明らかにしていこうねって。
でもそのためにはもっと研究調査をやっていかないといけなくて、
人とそれに対してお礼の借金ですとか、
そういうところを引き抜こうにはあってきますので、
やっぱりそこはちょっと頑張っていかないとならないなということで。
ちょうど昨日かな、50%に達しまして、
50万円に達しましたので100万円まで折り返し地点ということで、
残り1ヶ月ちょっとあるなとは思うんですけども、
ちょっと頑張らないとなということで、
学会でもビラ配りをかんゆみさんと一緒にやったりですとかしてるんですけど、
つくば駅でビラ配りでもしたほうがいいんじゃないかってやってないんですけども、
したほうがいいんじゃないかとかいろんなところで宣伝をしたりしてるので、
ぜひとも1000円から寄付できますので、
ちょっとでもその研究の位置上というか、
メンバーに代わってほしいなっていうところがありますね。
その内限の研究が発展していくと、
おそらく支援してくださる方は自分のこの支援がどうつながるのかって、
もちろん寄付って意味もあると思うんですけど、
どうつながるのか、どう意味のあるものになるのかっていうことを求めてらっしゃると思うので。
それぞれ4人のいろんな思いはあると思うんですけど、
私としては、もともと支援、発達障害とか困難さを抱える人の支援っていうところからやってきたので、
これをここまでページには書いてないんですけども、
例えば、内限の発達にちょっと遅れがあるだとか、
内限がちょっとやりづらいですとか、
あとは視覚的イメージのほうが得意で、
内限はそんなに普段使わないだとか、
そういった方もおそらくいる。
内限いろんな多様性があって、
じゃあ例えば小学校の授業で、目読をしようねとか、
別に授業じゃなくても本を読むときに目読をするとか、そういうときに、
もしかしたら人によってそういうのって差があるかもしれない。
やり方の差、あとはできる量、速さの差が。
今までは外限だけに注目されてきたけども、
内限にもそういう多様性ってあったりするかもしれないので、
そこを明らかにしていくっていうのは、
より広く支援をしていくというか、
支援というと、できない人の足場を作るみたいなイメージですけど、
そうじゃなくてもっと、
内的世界の多様性を明らかにするって意味でも、
意味のあるものなのかなと個人的には思うので、
そういった面でも意味のある研究に、すぐにはつながらないでしょうけど、
将来的になっていくのかなと思うので、
そういう意味でも。
別にお金でなくても、ちょっと拡散でも、
言葉でもいいので、あと少しなので、
何らかのご縁があるといいなと思っています。
ありがとうございます。
そうは言わずにお金をみなさんお願いします。
これね、でも、
1,000円でも本当にありがたいです。
税込1,100円ですからね。
結構ね、クラファーをやった方とかは、
すごくわかると思うんですけど、
この数ってのすごい大事なんですね。
いろんな人に応援してもらってやってますっていう、
そういう背中の押し方をしたいなと思うので、