早速ですね、今回のゲストの方お呼びしようかなというふうに思います。
今回はですね、佛現寺の副住職でありですね、かつ、株式会社Gnsの肩書がCBOというちょっと変わった肩書の油小路和貴さんにゲストにお越しいただきました。どうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
油小路さん、多分この共に奏でるラジオ初めてのお坊さんゲストだと思います。
やったー。
初お坊さん枠ですね。
嬉しいです。
結構哲学者の方とかちょっと変わった人がお越しいただいているラジオなので、そこにお坊さんも加わっていただいて我々も嬉しかったんですけれども。
今回は油小路さんにお越しいただいておりますけれども。
そうですね、私は最近連続してリアルでお会いして、いろんなイベントでご一緒することがあって。
その流れで、共に奏でるラジオ出てくれませんかっていうので、ちょっとお願いしてご開拓いただいたという感じなんですけれども。
啓太さんと油小路さんのつながりはどこら辺からスタートしているんですか。
僕めっちゃ偶然なんですけど、今ちょっと引っ越して京都の北大路っていうところに住んでるんですけど、それまで四条烏丸の方に住んでたんですね。
そのときに家の近所で普通に歩いてたら、お寺が開いてて、飲み会やってます?みたいなの書いてたんですよ。
僕は何かの用事があった帰りに、ふらふらふらーって入り口のところに行って、飲み会やってるんですか?みたいな感じで入ってたんですよね。
この後もちょっと話あるかもしれない。
「てらのみ」っていうイベントで、町の人にお寺を開いて、いろんな人が入ってコミュニケーション取ったりとか、町の人同士でそこで偶然の出会いがあったりとか、そういう場があってはすごい良かったんで。
一回帰って、奥さん呼んで、面白いイベントあったからもう一回行くぞって言って。
ちょっと寝てたけどタクタク起こして、またイベント行って、また来ました?みたいな感じで行ったのが、油小路さんがやってるお寺なんですよ。佛現寺っていうお寺で。
そっからもちょくちょくいろんなイベントでお会いするようになって、「てらのみ」も何回も参加させてもらってという感じで、そんな偶然の出会いですね。
1年前か1年半ぐらい前かもしれない。
そうなんですね。偶然なんですね。
偶然。イベントとかじゃなくて「てらのみ」に僕がたまたま参加したっていうところ。
多分僕がお会いしたのはその後だと思いますね。
多分ケイタさんと油野コインさんが繋がって、それでJam Sessionzがやってるイベントなのか、それとも我々がたまたま行ったイベントとかでご一緒してっていう感じで繋がらせていただいたっていう記憶がありまして。
すごい偶然な出会いからスタートしたこの3人の関係なんですけれども。
さっきの「てらのみ」っていうのも私も行かせていただいたりとか、この後もちょっとご説明いただこうかなと思うんですけど、いろいろいろんな肩書きからいろんな情報がたくさんあって、情報量が多すぎるので。
まず初めて油小路さんのことを推しになるリスナーの方もいると思うので、軽く自己紹介をしていただくところからちょっとスタートしようかなと思いますが、軽くで。
ありがとうございます。いまだに私も自分の自己紹介、どこまでの長さでしゃべればいいだろうと迷っておりますが、ちょっと軽めにさせていただきますと、今ご紹介にあったように、京都の二条城の近くにある佛現寺というお寺で副住職をしています、油小路と申します。
私、今35歳で、ちょうど先月2人目の男の子が生まれて、啓太さんと同じく子育てをしながらお寺を開く活動、かつお坊さんとして活動をメインでしておるといったところなんですが、それと同時に京都のIT企業のGnsっていう会社でCBOと正式なので言うと、
チーフブランディングオフィサーというのがあるらしいんですけども、私はチーフ坊主オフィサーとして入らせていただいておりまして、何をしていないといったら坊さんとして自由にフラフラしていると。
いいですね。 そういったところで、坊さんならではの価値の出し方というのがあるんじゃないかなということで、お寺でもいろいろ先ほどご紹介になった寺のみっていうイベントだったり、お寺を開くイベントもたくさん開催させていただいたりだとか、また自身坊主が社会に出てフラフラしながらどんな価値が提供できるんだろうっていうのを今模索している途中の坊主です。どうぞよろしくお願いします。
ありがとうございます。余計混乱をする情報がたくさんあったかもしれないんですけど、お寺、まずお寺の副住所を越されているということなんで、このお寺は代々油野孝司家ですかね。油野孝司さんのご家族が継がれてきたお寺っていう感じですか。
そうですね。私でちょうど、今父で14代目になってまして、私が継ぎますと15代目になる。お寺ができたのが大抵1600年ぐらいって言われてます。
1600年ですか。じゃあもう、400年以上続いている有象有象の寺というところで、副住職ということなんで、お父様の次に住職についているわけなんですけど。
僕も前聞いたかもしれないんですけど、油野孝司通りって京都の人なら誰でも知ってるような通りあるじゃないですか。あの通りとの関係性っていうのはあるんでしょうか。
そうですね。うちのお寺が油野孝司通りにあって、そこに住んでる油野孝司ってことでよく伺う質問なんですけども、はっきりとは分かってないんですよ。
どうも京都の偉い貴族と、市条家なのか何なのか分からないですけども、方と仲が良かったお寺ってことで通り目をもらったみたいなお話とか。
あとは貴族の油野孝司家っていうのがあるらしいんですよ。今東京の方にあるらしいんですけど、それの京都の忘れられた血脈なんじゃないだろうかみたいな話とか。
いろんな説があるんですね。
そうなんですよ。家のもんが誰も分かってないっていう。
こんな感じです。
どうですか。14代続いている、でもまだ分からないことがあるっていうのは、すごい京都の奥深さをすごく表してるなっていうふうに思うんですけど。
お坊さんでっていうところだけでも、知り合いにお坊さんがいるってことはそんなにたくさんあることではないので、珍しいなって思いつつ。
かつ株式会社でCBOを勤めているという。
株式会社GNSという会社でCBOを勤めているということですね。
これ情報量が多すぎるんですけど、そもそもお坊さんは兼業家なんですか?っていう不思議な質問をしますけど。
そうですね、全然家ですね。むしろ業界で行くと兼業してるお坊さんの方が多いと思う。
違うな、半々くらいかな、周波にもあると思うんですけど、結構多いです。
お坊さんが兼業するのに一般的なお仕事は何なんですか。
農家さんが多いですよね。
農家さんも多いですね。あとは、都市部でよく違反のは区役所とか、あとは学校の先生とか。
学校の先生が確かに。
公務員の方が多いんですよ。
へー、知らんかった。なるほど。
お坊さんがっていうよりも区役所職員さんとか学校の先生だったら、兼業としてお寺はOKっていうふうな形になってたんですよ。
経理的な活動だからとかですかね。
そうそうそう。
あとは、どこかのお寺に勤めてるお坊さんとか、大きいお寺。
なるほど。
自分の家のお寺と他の大きなお寺にも勤めてるっていう、そういう兼業の仕方ってことですか。
そうですね。なので、私の父である今の住職も本願寺に勤めながら、うちのお寺の住職をしてるっていう形でやってるんです、実は。
今現在もそうなんですか。
そうですね。今年一杯で定年で辞めるんですけども、ずっと。
30年くらいかな、本願寺で働いててっていう。
そういう働き方がお坊さんはできるというかしてるんですね。
できるというか、おそらくたぶんしなければ寺が維持できないっていう問題のところになってきませんけど。
へー、そうなんですね。
そうですね。うちのお寺もお寺だけだと、子供二人とかだと全然食っていかせることができなかったりとか。
なるほど。
確かに大きいお寺とかってお祭禅とかいろんな、なんていうんですかね、あるじゃないですか、物販って言うと変ですけど。
お墓とか。
お墓とかもそうか。
そうですよね。
仏願寺ってお祭禅とかそういう場所ってあんまなかったですよね。
お祭禅箱はまず壊れちゃって置けてるっていう。
そういう形じゃないので、一般的なお葬式の法事とかそういうのですかね。
そうですね。
なので、うちのお寺の収入といったらあれですけども、入ってくる禁制のところで入ってくるのっていうのは、
桁さんがおっしゃっていただいたようにお葬式とか法事とかの法制がメインになってます。
他のお寺、お寺だけでくってけって貼るところっていうのは、
門徒さんっていういわゆる信者さんですね、そこに属してあるお寺の数がめっちゃ多いとか。
かつお墓を持ってる。
で、なるとお墓の管理費とかそういうので月額でいくらとかいろいろあったりとか。
あとはそのお寺に属してるだけで、サブスクみたいな感じですね。
月何千円とかがあったりとかっていうので持ってるみたいなところが多いですね。
うちはそれがほぼほぼ全部ないので、属してある方も100件あるかないかぐらいで、
すごくこれはお寺でいうと霊祭寺院って言われるぐらい。
お墓もないし、本堂と庭だけっていう感じのお寺です。
なるほど。
そういうお坊さん事情があるということも全然知らない私だったんですけど、
そんな中、兼業しているのがIT企業ということなんですけど、
すごいそういうお坊さんって他にいるんですかっていうのとか、
あと実際どういう経緯で今の会社にジョインすることになったりとか、
もう少し具体的にどういうお仕事をその会社でしてるのかっていうところがすごい気になるなって思ったんですけど、
どういう経緯なんですかね。
そうですね、かなりちょっと長くなるというかなんですけども、
結構そもそものお寺の活動からスタートしたっていうのが一個あるんです。
そのIT企業に私業として入ったっていうのがですね、
実は私の自己紹介、人生の経歴プラスお寺の活動、
トマリギプロジェクトっていう活動をしてるんですけど、そこに絡めてお話できればと思います。
私自身経歴がかなり、自分でいうのは変わってまして、
中高大はキリスト教の学校に通ってまして、その後普通に就職をして銀行員を3年間勤める。
その後に仏教に興味を持ってお坊さんの専門学校に2年間行った後に、
お坊さん、仏教系の大学院に6年間研究活動をして家に戻るという経歴をしてるんですけども、
その家に戻る、大学院を終えて家に戻るきっかけとなったのが、
小学校の親友との出会いだったんです。もう十数年ぶりかな。
彼が渡辺っていう人間なんですけども、小学校時代の大親友でしてずっとずっと一緒に遊んでたやつだったんですけども、
中学校から進路が分かれて十何年間かな、会ってなかったんです。
それでたまたま彼が東京で会社を立ち上げて、京都にも使者を持ってくるぞということで久しぶりに会った。
そこがちょっと私がお寺でいろんな活動するきっかけとなったとこなんです。
そこで出会ったときに渡辺から、私自身お寺とかの業界に対していろいろ防災に対して、
頭でっかちにいろいろなんとかできひんかなっていう課題感みたいなのも持ってたんですけども、
動き出せずにいたところに渡辺から、こんなにごちゃごちゃ考えてしてるんやったらもう一緒に活動するぞと。
一緒にやろうやということで、お寺がいろんな人の泊まり居のような場所にしたいという僕の思い。
落ち着きにするために渡辺の会社株式会社GNS、それが株式会社GNSなんですけども、
と一緒に仏現寺でお寺をいろんな人の泊まり居のような存在にすると。
始めたのが泊まり居プロジェクトとなっておりまして、そこでもう実はほぼほぼつながってはいたような形なんですね。
なるほど。
最初に仏門に入ると同時ぐらいにもう会社ともつながりができて、ほぼ同時並行で活動をしているみたいな感じなんですかね。
泊まり居プロジェクトというのの中で進んでいく中でAIというものが出てきたりとかしたり、
私自身がAIをかなりかじっていたというか、これからの共通には必要なんじゃないかなという問題意識と被ったので、
じゃあ坊さんでもAIを触れるんやったら、京都の中小企業さんたちの導入にちょっとでも役立てるんじゃないかなというので、
そういう坊さんの使い方、社会的な使い方をしてみたら面白いんじゃないっていうので入っているという感じです。
なるほど。
じゃあ肩書きはCBOなんですけど、実際にお仕事としてとか業務としてやられているのは研修の講師だったりとか、そういうことがメイン?
そうですね。
かつ、泊まり居プロジェクト。
そうですね。
なるほど。
そもそも銀行員でしたっけ。銀行員やってたのに、お坊さんになろうって思ったきっかけだったりとか、
そこら辺ってあったりするだろうなと思うんですけど、ちゃんと聞いたことないなと思って。
そこら辺って何か出来事があったのか、それとも自然な流れだったのかとか、きっかけってあるんですか。
結構そうですね。出来事が一応ありましたね。
っていうのが、ちょうど銀行員3年目の冬ぐらいだったかな。
祖母が王女といいますか、死にまして。
それが一つきっかけにはなってます。
もちろん祖母の死っていうのは、すごく悲しいもので、自分の中で。
辛い出来事であったんですけども、それ以上に自分が死ぬのがめちゃくちゃ怖くなったんです、その時期。
もう何でかわからへんけどって。理由はないんですけど、仕事をしてないとずっと不安になる。
その時の不安って、自分このままでいいんやのか、このままでは絶対死ねへんな、死にたくないみたいな。
っていうすごいふわふわした気持ちに日々支配されてたみたいな感じでしたね。
で、その時もただまだ仏教には全く興味がなくて、興味がない以前にも知らないレベル。
関心がほぼないっていう。自分家の宗派も知らないみたいな。
ぐらいのレベルでした。
ただ、そこでたまたま寝る前に、YouTubeの動画をいつも見ながら寝落ちするっていうのが、銀行医時代の良くない習慣でした、だったんですけども。
そこでたまたま見ようとした動画じゃなくて、間違えた動画をタップしちゃったんですね。
それが仏教のお説法の動画やったんですよ、たまたま。
よくは、おすすめ欄に出てくる謎のおすすめ動画。
ジャンル普段こんなの見に来ないみたいなところのやつが、仏教のお話やってたまたま。
それをタップして始まってしまったんで、寝やすいやろと。興味ないやつやしと思って聞き始めたら、
それが本当にそこのお話をきっかけでガラッと変わったんですよ。
私自身がそこで感じてた不安に対して一つ答えというか、矢印をくれたかな、目印をくれたかなと思ったんですよ。
私はその動画を見るまでは、仏教って、キリスト教も全部一緒。
宗教って、ありもしい品、存在もしない神とか仏を信じて、そこにすがっては飲み込んでるだけの意味ないことやとか、
しんどいときだけ育つのずぐぐらいにしか思ってなくて、なんやったら宗教って気持ち悪いぐらいの感じを持ってたんです。
本当の宗教とか仏教とかっていうのはそうじゃないんだと。
そこでのお話ですごく印象にあるのは、仏教っていうのはどれだけ自分に対して矢印向けて生きられるか、
どれだけ鏡の前に立ち続けられるかっていうのが仏教であり宗教なんだよっていう、その言葉。
その言葉1個だけをすごく覚えてまして。
で、自分の感じてた不安、このままじゃ死ねへんっていうのは、
あ、自分なんでそんな不安やったんかっていうと、一度も自分にベクトルを向けて、
自分の姿直視したことがないままフワフワ生きてしまったんだろうな。
そこで急に終わりっていうものを見せられたときに、いやこのままじゃ終われへん。
ってなってしまったのかなって。
自分にしっかり矢印向けて、自分の人生なのに自分で歩いてこなかった部分がかなり大きいんだろうなっていうのに気づいて、
で、そこからじゃあ何かここの仏教のこの思想の中に自分が納得した死を迎える、
納得した終わりを迎えるためのヒントがあるんじゃなかろうかということで、
3月でもパッと銀行を辞めて放算になるっていう決断をした。
へー。
すごい。でもまさに演技ですね。
で、YouTubeのおすすめに偶然出てきて、タップして印象に残り、コードに出る。
すごい、すごい話ですね。
本当にたまたまなんですけども、合うべくして終わったのかなって今になって。
そうですよね。そこは必然というかね、本当に何かあるんでしょうね。でもね、線が絡まるあれがね。
不思議ですね。
お父さんもお坊さんってことなんで、身近に仏教という宗教があったはずだし、
あとキリスト系の学校に行ってたってことなんで、キリスト教に触れる機会も多分あったかと思うんですけど、
それでもその当時は全然関心もなく、社会人3年目ぐらいの時に気づいたってことですよね。
はい。
その話を聞くタイミングとかでも変わってきますもんね、これね。
たまたまその動画を見たのが全然別のタイミングだった時に、状況が違ったらまた全然違う捉え方してたりとか、
あまり引っかからずにするしてたりとか、そういうことも起こり得る中でのそのタイミングですもんね。
そうですね。本当タイミングだったと思いますね。
全部本当そう、すべてがそうだと思うものの、自分の人生変わってしまうようなタイミングではあったんで、
あれは自分でも面白いなと。
面白いですね。
思ってて、そこで初めて自分家の宗派をしっかり知るっていうね。
親父に、住職に、話してあった先生の名前を聞いて、
ちなみにうちの宗派なんだっていうのを聞いて、同じ宗派やったんで。
おーすごいですね、それも?
そうなんですよ、ちょうど最後に何万だって言ってあったんですよ、先生が。
そういえば親父も同じようなことを言うてるなみたいな。
で、その先生がお坊さんの専門学校にも息子さんが教えに来た春よとか。
いうのを聞いて、これめっちゃなんかようわからんけど、さっき言った綿ってやつっぽいっていうので、
人生の流れ的にこのノリに乗ったほうがいいんじゃないかっていうので、結婚やめて坊さんになるっていう。
お父さんの反応とかってどんな反応だったんですか、その決断を聞いたときは。
もうね、あっそうみたいな、えんちゃうっていうぐらいのもので。
就活のときもそうやったんですよ。
もう勝手に好きにしたらええという、かなり放任主義で育てていただいたので。
それはそれで逆に、だからこそ今こうなってるのかなと思ったりとか。
次々言われたら多分逆についてなかったと思う。
自然とそう、仏教を勉強したい、坊さんになりたいで、自然と後継ぎになったみたいな感じです。
白い日本ですね。
人生何があるかわからないですね。
そこからガッと坊さんになってるじゃないですか。本業として坊さんされてるじゃないですか。
それを見たお父さんもニュートラルな反応なんですか。
そうですね、だいぶニュートラルですね。
いいですね。
寺の身で人がやたら来てるときとか。
お父さんたまに来られますよね。
多いなぐらいの。
そうですね。
別にもう基本ニュートラルな感じですね。
そのスタンスがいいですね。
僕も好き勝手してる部分があるんで。
実際そういうきっかけで仏教の世界に入ってみて、それ一本でやっていこうだったりとか、
いわゆる一般的なお坊さんとしての活動だけではなくて、
そういうふうにお寺を開いていこうとか、いろんな影響して活動しているっていうのって、
なんだろう、仏教っていう世界の何か課題を感じているとか、
それとも何か自分の中で原動力があってそういう活動をしているのか、
そこらへん今の活動につながる課題意識なのか問題意識なのかっていうのは何かあったりとかするんですか。
そうですね。
もう多分そんなんばっかりが頭の中でぐるぐるしていた大学院生時代だったのかなっていうのを思ってます。
かつそれが今の原動力になってるのかなと思ってるんですけども。
それが何なのかっていうと、結構具体的にはいろいろあるんですが、本当に理論ばっかりが増えて頭でっかちになって法治葬式ばっかりやってるとか、
自分自身だったりとかもそうですし、結構一番大きかったのはコロナのちょうど時期やったんです。
大学院時代っていうのが。
そうなんですね。
そうなんですよ。かぶってて。
ちょうどあの頃ってもう、外に出たらあかんとか、人に会うだけでも絶対ダメとかっていうときに、
うちのホテルは小さいとはいえども、月に2、3回人が来たりとか、
そんなんはあったんです、この名前までは。
で、何ヶ月かに1回大きい法要があって、ごもんとさん、信者さんが何十人か来てお参り一緒にしてっていうのがあった。
それがまあ日常の光景やったんですけども、コロナになってから、もう一切それがなくなった。
毎月もガランとした本堂があって、人が誰も来なくなってしまった本堂だったり、お参りに行くこともできない自分っていう。
で、世間ではお葬式もさせてもらえへんって悲しんでる人もいて、私もそこに行けないし。
これ、ほんまにお寺のある方って何なんだろうっていう、その景色を見てすごく自問自答してた時期。
そこの問いがかなり原動力に自分の中でなってるのかなと思いますね。
本当にもうずっと障子を一切開けない期間っていうのはもう1年ぐらい。掃除で開けたりはするんですけども、全開にして皆さんを呼んで人を入れてとか。
ない。ある意味異常な期間を1年過ごしたことで、仏教もそうだし、私自身もこんなもんじゃなかろうみたいな。
仏教もおおさんも私も、もっとできることがあるやろ、こんなもんじゃないやろ、また捨てたもんじゃないやろっていう。
それを何か形にしたいっていうのが一番の原動力かなと。
それは多分今でも続いてる、私の中の原動力だと思ってますね。
それが今いろんな色になって出ているのかなと思ってます。
なるほどね。
実際、コロナの時って本当にリアルな活動って確かに止まってたじゃないですか。
例えばお坊さんとかお寺っていうのは、その中でも活動してたのか、それとも全然できなかったのかって。
確かに私もコロナ禍で京都にいましたけど、とにかく観光地に人はいなかったから、そういう意味で収入が途絶えただろうなっていうのは予想はつくんですけど。
でも油の小路さんのところって観光地ではないから、もともとそういうお祭典とかで盛況を立てたわけでもないし、また別のたぶん光景があったんだろうなっていうふうには思ったんですけど。
コロナ禍でどういうふうに過ごされてたんですか。
私個人でいきますと、ずっと研究活動、勉強をしてるっていうようなのが子育てと勉強ですね、がメインでしたね。
で、その時も当時も確か1人目がまだ何歳やったかな。
4、5歳とか幼稚園かそれぐらいだったので、子育てと論文書いたりとかっていうのがメインで。
で、その合間にしていた法事とか葬式がなくなったっていう感じですね。
お寺の全体で見た時には収入自体は住職のその本願寺からのお給与、サラビっていう基本は医師ができてましたので、
ご飯食べれへんとかはなかったんですけども、
そこのお布施の収入って言われるようなところはほぼなくなったっていう時期でしたね。
確かにそうなると、お寺としての社会的意義みたいなところがね、
存在意義みたいなところが問われる出来事だったんだろうなっていう感じがしますね。
社会がああいう時こそ必要になってくるっていう考え方だったりもしますよね。
そうですね。
今の自分なら多分違ったことをしてたんだろうなっていうのはすごく思いますね、もう本当に。
テラに籠って、そう、結局やっぱそのコロナがあったんでテラを開きたいっていうのがあったんですよ。
自分自身も出たりして、その出て行って、こんなもんじゃないんや、また捨てたもんじゃないんやっていうのを伝えるには、
開くだけじゃなくて自分も出て行かないかよなとかもあったんで。
多分また同じ、今のままコロナの頃に戻ると多分僕は若干叩かれてるようなお坊さんになってたんじゃないかなっていうご時世。
確かに。
いろいろ多分、何かしらで人と繋がる柵をめちゃくちゃ打ち出してたんじゃないかなと。
いやなんかそういうね、特にコロナという社会情勢があったからこそ、今のアブララン・コウジさんの活動に繋がっているということで、
さっき出てきたテラのみだったりとか、外に出ていろんな公園をしたりとか、なんかそういう活動に繋がっていったんだろうなっていうふうに思って、
まさにそこの部分がお寺とか仏教の世界っていうところに留まらずに活動されているのが、
我々Jam Sessionzとすごく親和性が高いだろうなっていうようなところもあって、
ぜひそんな話を聞いていきたいなというふうに思うんですけど、
ちょうど前半戦がここら辺で切るのがちょうど良さそうだなと思ったんで、
今の活動とか、お寺っていうところを飛び越えて、飛び越えてというか外に出て活動している具体的な活動を後編で聞いていきたいなというふうに思いますので、
一旦前半はここで終わりたいと思います。後半も引き続きよろしくお願いします。