1. ともに奏でるラジオ
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2025-02-21 36:15

#33 ゲスト回16弾 大竹莉瑚さん(りこちゃん)(前編):ともに奏でるラジオ

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ともに奏でるラジオは、「誰もが有機的につながり、協奏が生まれ続ける世界をつくる」をVISIONとかかげる株式会社ジャムセッションズが、即興演奏から生まれる「協奏」をテーマに、チームメンバーや様々なゲストとともに対話を繰り広げる、そんなポッドキャストです。

京都を中心にジャムセッション的に活動(協奏)しているゲストをお招きしてお届けしている「ともに奏でるラジオ」。今回のゲストは、「ふらふら人材」 「絶賛迷子中」などを肩書きに掲げる大竹莉瑚さん(りこちゃん)。


「らくさいっこ」のメンバーとして京都の洛西ニュータウンで活動するりこちゃん。
当初は地域課題の解決を目指していましたが、活動を通じて「ワクワクを広げる」という新しい価値観に出会います。社会課題解決という枠組みから一歩踏み出し、自分たちが楽しむことから始める地域との関わり方には、これからの時代における関係性づくりのヒントが詰まっています。
 

前編では、国際支援への夢を抱いて大学に入学したものの、コロナ禍での経験を経て休学を決意するまでの経緯や、地域活動との出会いについて、じっくりとお話を伺いました。
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ともに奏でるラジオは、毎週金曜日に更新しています。
次回の更新を、どうぞお楽しみに✨
◈株式会社ジャムセッションズ(Jam Sessionz)
VISION:誰もが有機的につながり、協奏が生まれ続ける世界をつくる
https://jam-sessionz.com/

サマリー

「ともに奏でるラジオ」では、大竹莉瑚さんがゲストとして招かれ、自己紹介や現在の活動についてお話しされます。彼女の休学や将来への展望も掘り下げられ、多様な経験が共有されます。大竹莉瑚さんが地域の課題に取り組む「落差役」の活動についても語られ、各自の個性を尊重しながら、地域でワクワクする体験を共有する重要性が強調されます。このエピソードでは、共に奏でるというテーマの下、参加者たちの自由な発想や意見の交流が重視されます。特に、地域づくりや人口減少に対する新しい視点が語られ、楽しさや心の充実感に焦点を当てた活動が強調されます。

大竹莉瑚の紹介
みなさん、こんにちは。Jam Sessionzのりょうこです。
けいたです。
共に奏でるラジオ、この番組は、株式会社Jam Sessionzが、国境演奏から生まれる協奏をテーマに、チームメンバーや様々なゲストとともに対話を繰り広げる、そんな番組です。
はい、けいたさん、もうあっという間に1月も年終わり迎えてますけどね。
もう、末ですね、気づけば。
びっくりですね。
はいはい。
1年1ヶ月過ぎちゃったっていうのがね、私も衝撃なんですけどね、最近。
ね。
はい、まあでも、旧歴で言うと、昨日がね、中国とかでは新年で。
そうですね、入ったぐらいですよね、旧歴でね。
なんか、だからまた新年、もう2回目、新年迎えてるぐらいの気持ちで、ちょっと2月過ごしていきたいなと思って。
はい、じゃあ今日もね、早速、わくわくな素敵なゲストさん、来てくださってますので、早速お呼びしたいと思います。
今日のなんとゲストはですね、多分今までで一番。
最年少。
最年少ですね。
最年少記録を更新いたしました大竹梨子ちゃんに来ていただいてます。
こんにちは。
こんにちは。よろしくお願いします。
お願いします。
ようこそお共に奏でるラジオへ。
ありがとうございます。楽しみにしてました。
ありがとうございます。あの噂によると梨子ちゃんも最近ラジオを始められたので、ポッドキャストで。
ずっとやりたかったんですけど、なかなかタイミングがとか、どういうコンテンツにするかみたいなのを悩み続けていたんですけど、ちょっといいタイミングと合い方がミスったので。
それもね、ぜひそのお話も含めつつ、今日はね、いろんなことを聞いていきたいと思ってますが、最初にまず簡単に。
リスナーの皆さんに向けてですね、梨子ちゃんの自己紹介からお願いしてるので。
はい。
よろしいですか。
はい。
はい。
今、名前は大竹梨子と言います。
年は22歳で、今年23歳になるんですけれども。
そうですね、最近いろんなイベント行かせていただいたりする中で、自己紹介っていうのが必要になってくるんですけど、結構今本当に自己喪失中っていう感じで。
自分は今何者なのかというか、それを今探している道仲間みたいなところがあるので、その分かりやすい肩書みたいなのは、あんま今しっかり自分の中で見つけられていないんですけど。
よく使うのは絶賛迷子中ですとか、ふらふらしてますとかいう表現を使うので、そういう何でしょう、そういう抽象的な肩書はあります。
はい、具体的に落差1校っていう大学生3人で、京都の落差地域で町の中にワクワクを広げていく活動をしていたりとか、さっきご紹介いただいたラジオとか。
あと環境系のことをやっているような法人、公益財団法人の職員を週2ぐらいでさせていただいたりとかですね。はい、いろいろあるんです。思い浮かぶのがちょっとこれぐらいですけど、こんな感じです。
ありがとうございます。
休学の理由と気づき
京都市の未来協奏チーム会議、25年続く京都市の基本構想を考える役員みたいなことも今させていただいていたりとか。
そういえば大学生でした私。
そうですよね。
面白い。
確か大学生だったよねって聞きたかった。
そういえばそうだった。ですよね、今、県庁さんの顔を見て思い出しました。大学生もしてるんですけど。
そういえば大学生もしてますね。
そういえば大学生ですね。
一番それがちゃんとした肩書きでした。3回生終わって、でも今1年休学していて、今年の4月から復旧するんですけど、忘れてました大学生のことを。
全然いいと思うというか、すごく私に早速共感ポイントがあってですね、肩書きってね、なんでそもそも、皆さん、社会人になると必ずね、名刺みたいなのを持って、どこどこの誰々ですっていうのから始まるんですけどね。
なんかわかんないですよね、なんか自分が何者なのかとかね。
そうそう。
その肩書きが全て表してるかというとそうじゃないし。
そうなんですよね、自分がね、難しいですよね、説明するのね。
りこちゃんがある意味本質的な問いに向き合ってるだろうなというふうに思ってて、私たちが素通りしちゃうような社会の当たり前をね、
どんなふうにりこちゃんを感じて、
休学するっていうのも一つの選択だったと思うんだけど、その辺をいっぱい聞きたいなぁなんて早速思ってましたけど、
ケントさんはどのあたりがなんか、りこちゃんに聞きたいなとかありますか。
そうですね、いろんなところで顔を合わせていろんな動きをしている中で、僕はこれまでどういう変遷で今に至るのかみたいなところと、
後半はやっぱこれからどうしていこうと思ってるかとか、
そういう未来の話もちょっと聞いてみたいなとかっていうのは今日ね、ぼんやり思ってます。
全部ですね。
全部ですね。
全部ですね。
全部じゃん。
僕らとりこちゃんの出会いってどの辺でしたっけ。
そうだね、確かに確かに。
ケントさんは正直覚えてなくて、
りょうこさん多分畑だった気がするんですけど、
俺は畑じゃないっけ。
畑の前があった気がするんですよ、なんか。
なんかあったなぁ。
どこやろうね。
なんかあった。
なんかとびらかな。
ありそうよね。
とびらかな。
多分とびらじゃないですかね、洛西、あれ洛西っ子の活動って、
畑の前、アバンファームの前。
畑の前です。
ちょっとだけ、12月19日ぐらいから。
その洛西っ子の活動を始める前ぐらいからなんかちょっと、
そうですね。
存在はお互い多分知ってて、ちゃんと話したことはなくて、
なかった。
うん。
で、畑はきっかけで。
ゆっくりね、なんかちょいちょいいろんなイベントでお会いするけど、
確かにじっくりね、じっくりこう語る場としても今日は貴重な、
長い時間だなと思ってます。
はい。
はい。
あの絶賛フラフラ中っていうね、
あの実はジャムフェッションズのメンバーにも、
フラフラという言葉を積極的に使ってるメンバー多くて。
嬉しい。はい。
なんかね、世の中にこう、いろいろ変わってきてんじゃない?
こう働き方とかね、こう考え方とか。
なので、すごくね、ポジティブに私は捉えてるんですけど、
りこちゃん的には、なんかそもそもそのフラフラになる前は、
なんかどんなきっかけとかで、
何にこうなんだろうな、ちょっともやもやしてたのかとか、
なんかきっかけみたいなのがあったら教えていただけると嬉しいです。
はい。
そうですね、なんかこういう振り返る機会があると、
なんか自分にとってもやっぱいいなって思いながら今ちょっと話聞いてたんですけど、
休学、一番多分最初のわかりやすい、
なんかこうフラフラのタイミングは休学だったんだろうなって思うんですけど、
休学をしようって思ったのは、
なんとなくやりたいことがあって大学に、
その時はこれがやりたいと思って大学に入ってきたんですけど、
今はそのコロナ世代で高3から大学1、2回生までの間を、
あんまりこう自分のやりたいことが一切できない状態にならない。
いろいろ制限されちゃって。
その中でその実践はしてないけれども、
やりたいことに対しての知識だけがついちゃって、
その時になんか私が今こうやってやろうとしてることは、
本当に社会にとっていいことなのかなとか、
私がやりたいことなのかなっていうのが、
先に情報をインプットしすぎたせいで、
なんかわかんなくなってきたタイミングでもありましたし、
大学3回生の秋頃って大体もうみんな就職活動を始める時期だったんですけど、
なんとなくこう自分の中でしっくりくるものがない中で、
でもなんかこう当たり前普通だったら、
経験がないとか会社のこと知らないだけだからって、
いろんな企業の説明会行ったりとか、
とりあえず面接受けてみるみたいなことを周りはやっていたんですけど、
自分の中でそれもあまりしっくりこなかったし、
なんかこのまま何も考えずに大人になってしまったら、
本当にもう面白くなくなっていくんだろうなっていう感覚がすごいあって、
普段その当時の日常の中で出会う大人の人に対して、
あまりポジティブなイメージがあまりなくて、
すごい疲れていらっしゃったりとか、
朝の満員電車でもう苦しそうにしてるとか、
朝からもうめっちゃ眠そうにしてるみたいな。
こうなっていくのかなとか、
これになることが社会維持になること、大人になることなんだとしたら、
そんな悲しいことがあっていいのかなって思っちゃって、
いろんなご縁もあったので、その時、
休学を最後のチャンスだなと思って、
立ち止まって考えられる。
休学を選びました。
国際関係への関心
なるほどね。
ちなみに勉強の科目みたいなのは何を専攻してたりしてたんですか?
国際関係学部で、やりたいこととしては国際支援というか、
そういうことをもっと興味がありました。
そこも私もそうだったので、
確かに。
近い。
領域一緒ですね。
畑でもちらっと話したかもしれないので、
ちらっと国際的な。
私もだったんですよ。
私は工学部だったんですけど、
そこには全く興味がなく、
どちらかというと世界の出来事とか、
いろんな国があることへ不思議だなと思った時とか、
できるだけいろんな国に行きたいみたいなのがあったので、
国際関係法コースというので。
国際関係法が実行してます。
そういう感じの授業をしてました。
国際みたいなのに興味関心を持った体験みたいなのはどこかにある?
これ結構小学生ぐらいの時からずっと思ってて、
多分社会の教科書なんですけど、
青年海外協力隊みたいなのとか、
在家っていうのが社会の資料の中に載ってて、
こういう人を助けるものってその時私は捉えたんですけど、
人を助けるみたいなことが仕事として成り立つっていうことに
すごく衝撃を受けて、
それまではパティシエとか女の子が思い描くような、
服の関係の人とかってイメージだったんですけど、
そういうものとは違うのが仕事になる衝撃と、
何もこの世界のこと知らないなとか、
見に行きたいなみたいな感覚が多分あって、
地域活動の始まり
その時から全く文化も見た目も違うようなアフリカみたいなところとかに、
結構ずっと思いを馳せてたりします。
なるほどね。在家とかが載ってるんだね。
載ってるんですね。
最近はね。
それで国際関係学部に入って、
ある意味行きたい学部に入れたってことよね。
そうです。
そこから就職活動になった時に、やりたいことに入って、
そのままやりたいことができるみたいな感じにはならなかった?
やっぱり一回もそういうことを海外で生活したりとか、
NPOとかでもいいと思うんですけど、
そういう支援、協力みたいなことを自分がしたことないのに、
それを自分の仕事として選ぶことにも不安があったし、
当時から支援って何なんだろうみたいなのをすごい感じてたし、
する側も、それを受ける側も、
こんなにだって世界中支援だらけでやってるのに、
全然うまくいってないっていうか、
いい方向にいってない感覚がずっとあったので、
自分がやることはこれでいいのかなっていうのを、
この時は思ってましたね。
なるほどね。
それで情報はいっぱい色々調べたりとか、
勉強したりで入ってきたけど、
その辺の手触り感とか実感みたいなのが、
ないまま進むことが、
自分はちょっとストップがかかっちゃったって感じだったのかな。
そうですね。
一旦海外行ってみようかなみたいなことも考えてはいましたし、
最初休学選んだ時は、
お金貯めて半年だけでも海外行きたいっていうふうには思ってたんですけど、
自分の場合は経済的にゆとりがある家計じゃなかったので、
当時は結構自分がやりたいことと、
いろんな事情でできることをずっと葛藤してたというか、
なんとなくのこんなことに興味あるみたいな感覚だけで、
いろんな意味でやりたいというか、
負担がかかるような選択を簡単には取れなかったから、
すごい慎重だったというか、
自分も納得してないとそこに対してお金とか時間をかけることはできなかったし、
それを家族だったりとか周りの人にも理解していただけないと、
ワクワクを広げる
ちょっと選べなかったかなって感じです。
確かにね。やっぱりそこのしっかりと、
自分の中でね、ちゃんと腹打ちして初めて周りに伝えられるし、
行動もできるっていうところはありますよね。
じゃあその一旦休学して、
休学して最初にやったことっていうか、
それ僕もその辺聞いてみたので、
どんな気持ちで、どんな一歩を踏み出したんだろうみたいな。
もちろんね、いろんな時期があったと思うから。
そうですね。そこら辺は結構曖昧っちゃ曖昧なんですけど、
休学はでも結構早い段階から頭には浮かんでて、
でもあったんですよね。
なんですけど、これって決め手としてあるのはやっぱり落差1校。
落差での地域活動でしたね。
その前にナカディさんって衝撃をくらったんですけど。
そこだよね。
そうです。だから休学の中で、本当最初は留学みたいな感じだったんですけど、
でもそれの現実的なところがあまり自分の中で実感を持てないまま、
何の休学をするんだろう私はとりあえずで、
1年間休学みたいなことを選んでもいいんだろうかって思ってたタイミングで、
落差で何かやってみないって声をかけられたので、
あ、なんか世界はいきなりこう、
いろんな学校の中で、
行くことは難しいし、
今の自分にできることはないかもしれないけど、地域とかだったら
やりたいことができるのかもしれないと思って、
飛び込んできたって感じです。
なるほどな。そこが入り口だったのね。
ちなみに落差で一緒にやってみないっていうお誘いはナカディさん?
ナカディさんはどこになるの?落差育始まる前?
私がインターン、今働いてるところでもともとインターンしてたんですけど、
そこのイベントの参加者として来てて、
たまたま話したことがきっかけで、
また別日にとびらに行ってみて話したら、
本当にわけがわからなくて。
とびらに迷い込んだというか。そうなんです。
たどり着いてしまったんですね。
ちなみに、第1回のラジオのゲストがナカディさん。
私たちも本当に
ナカディさんは本当にいろんな
いろんな物事とかいろんな人にとっての
一緒になっている人ですよね。そうですね。価値観がわけわからなくなる人ですよね。
面白すぎて。
でも落差でそれまでどうでした?そんなに関わりがあったわけではなくて、
どこからですよね?
一切なくて、場所もわからなければ行ったこともないし、
市内なの?ぐらいのところから始めちゃいました。
落差役の3人はもともと知り合いだった3人?
一切誰一人。始めましてが落差役でした。
始めましてが落差役でしたね。
現地で。
3人いるんですよね。
ルーツとかは全然バラバラで?
そうですね。3人とも唯一の共通点はナカディさんを知っている。
同じような時期に会って話をもらって
みたいな。
運命的に出会ったって感じですね。
始めましてのメンバーで、初めての地域で、
どんな活動をしているか?
何か説明でもいいし、初めて落差役のことを聞く方もいらっしゃる。
そうですね。
自己紹介のタイミングでも言ったんですけど、
私たちは落差役でワクワクを広げる活動をしている
というふうに説明させていただいているんですけど、
最初の頃は出会った一発目が落差役だったっていうのが
最初の頃は落差役だったんですけど、
今月2回、団地の自治会の中で
地域の人たちと交流するようなミニカフェというイベントを
しているんですけど、
周りからは街づくりをしている
地域で活動する3人と言っていただいているんですけど、
自分たちがやりたいことをやっている感覚はなくて、
自分たちがやりたいことを
ちょっとでも表現できる場であったりとか、
私たちのやりたいことに触発されて
やりたくなるような人が出てきたらいいな、
でも出てこなくてもいいな、自分たちが楽しいし
やりたいことがあったらいいな、みたいな感じの
すごい緩い意識高くない活動だと自分は思っていまして、
でも本当に最初は、
この地域の課題を解決するんだとか、
落差役地域ってもともとニュータウンとして
山を切り開いて、いろんな団地とか
人が住む機能しかほとんどないようなエリアになるんですけど、
今は高齢化とか飽き家の問題とか
少子化みたいなのが問題とされている場所だったので、
私たちも最初はそういうことが課題なんだろうし、
高齢化とか少子化って言ったら寂しいとか孤独とか、
そういうイメージを持って地域に入っていったりとか、
そういうイメージを持っていたので、
最初は課題解決みたいなところに意識をどうしても持っていたんですけど、
ミニカフェを始めたきっかけでもあるんですけど、
自分たちの仮説を持ちすぎて地域に行くと、
自分たちの証明の場として地域を使ってしまうみたいな、
自分たちのロジックというか、
街とはこうあるべきだ、こういうのが幸せであるべきだみたいな、
だからこの人たちはかわいそうで、支援対象で、
だから何かやってあげなきゃいけないんだみたいな感じで、
最初はそういう雰囲気もあったなって自覚してますし、
でもそういうことが多分いろんな貧困、貧困じゃないの、
過疎とかが起きているような地域ではありがちなのかなって思うんですけど、
でもその中で、そうじゃないんだなって、
街ってそんな粒の粗い集合体じゃなくて、
一人一人の個人で成り立っていて、
それを地域って言ってるけど、そこに別にどういう区切りがあって、
そんな漠然として捉えられるものでもないんだなって思い始めた段階から、
私たちの活動方針が変わって、
そのワクワクを広げる活動みたいなところに落ち着いたのかなって、
すみません、取り留めもなく長く話しちゃったんですけど。
感情の表現と場の重要性
ワクワクを起点にするっていうのがすごい大事で、
私も実を言うと、そこの大切さで、
いろんなプロジェクトを私もやる中で、
数年前に気づいたところだったんですよ。
もともとニュータウンだった場所が少し高齢化で
さびれちゃって若い人が出ていっちゃって、
課題があるからなんとかしなきゃみたいな入り方をどうしても、
行政もそうだし、私たちもつなぎ役のコーディネーターみたいな仕事をしてるんだけど、
どうしても課題入り口で入っちゃうんだよね。
でもそうすると、さっきりこちゃんが言ってくれたみたいに、
なんていうかな、
勝手にその地域でずっと暮らしてる方も顔の見える、
いろんな人生があるのに、机の上だけでじゃないけど、
大量にするみたいなね。
そんな感覚、はっとえって思ったことがあって、
それでそうなんですよ。だから課題から入らないっていうのは、
すごい大事だと思ってて、じゃあ何をエネルギーにしたらいいかって言ったら、
本当にそこの場所にご縁があった。
中の人も外の人も、
なんで私ってここの場に関わろうとしてるんだっけっていう。
この地域でこんなことやってみたいなっていう、
心の動きの方から、ワクワクの方からね。
そういうことがあったら、私も嬉しいし、
もしかしたら周りの人も喜んでくれるかなの方から立ち上げていくっていうのが、
めちゃくちゃ大事だと思ってます。
これ学科で発表してもいいんじゃないかって思ってるぐらい。
したいですよ、本当に。
一応私研究者でも。
ジャムセッションズが大事にしてるのともすごい近いなと思ってて、
僕らも会社作ろうというか、面白いことやろうってなった時に、
課題を解決、世の中の課題を解決するために起業するとかでは、
よくあったりすると思って、それ自体はすごくいいと思ってるんですけど、
僕らは多分そういう話全くならなくて、
共に奏でることの重要性
自分たちも含めて楽しいよねとか、そういうところから結構始まってって、
今までやってるイベントとかもあんまり課題を何とかしようとかじゃなくて、
テーマとかもこうなったらいいよねを真ん中に緩めに置いてみて、
そこにどう思うかはみんなの自由だし、
それを材料にみんなで話せたらいいよねみたいなノリでやってたりするので、
ちょっと近いですよね、そういう面。
一気にもうそのままだね。
だから私たちが共に作るのほうの協奏ではなくて、
音楽のほうで共に奏でるにしたのも思いがあるんですよね。
共に作るも大事、そのコークリエーションで。
もちろん京都知事さんもやってたり、りこちゃんも参加してる会議とか大事なんだけど、
なんかすごい目的化しちゃって、
ハマっちゃう感じもどこかであるから、
私たちはもうちょっといいんでゆるく、
なんか生まれたらいいし、生まれなくてもいいし、
でも結果生まれてるほうがやっぱり多いというか、
みんなワクワクしながらやってるとね。
そうなんですよ。
自分がやり方を作ってしまうようなやり方を手放したきっかけが
何個かあったんですけど、
まず一つ思い出したのが、
私、実はお母さんが車いすユーザーなんですよ。
昔はその中で、
行政だったりとか社会システムだとかで、
何でこうなってんの?みたいな、
怒りに近いような感情を持つことが多かったんですよね。
街中で生活すると不便のほうがどうしても目立ってしまうし、
もっとこう便利だったら、
こういうことやりやすい、生きやすかったら、
もっとこうだったのに、みたいな感覚だったんですけど、
そこにハマって、
そしたら、私がびっくりするくらい、自分ですごく行動するようになったんですよ。
昔は私があそこ行きたいとか、あそこ行ってみない、旅行行ってみないって
どんだけ働きかけても、
大変だしいいよって言ってたのが、
推しをきっかけにすごい行動力を身につけてて、
自分が行動するときに必要なのって、
便利とか快適になっていったりすることよりも、
もっと自分の心が躍って会いに行く理由だったりとか、
楽しみみたいなところを広げるためにやるっていうのが
すごく行動原理として大きいんだろうなっていうのを
遠くに住んでる家族からも感じたし、
家族にとっても大変で、どうしても町に入っていくと
できることできないことっていうのがあるし、
課題解決が逆に課題を生むみたいなこともあって、
自分がこの町に対して働きかけてることが
うまくいくのか、悪い方に転がってしまうのかっていうのは
1年ぐらいの時間軸の中だと全然見えないなって思って、
地域の影響って多分何十年とか何百年ぐらいの
単位じゃないと、いいか悪いかなんて測れないんだなって
なった時に、一つ諦めに近いんですけど、
自分たちがやってることに意味があるかどうかなんて
そもそもわかんないし、人間が認知できる時間的なものでも
そうだし、領域なんて狭いんだから、そんなことをこだわるぐらい
楽しむ方が絶対大事じゃないかってなったのを
今思い出しました、お話聞いてて。
なるほどね。本当、人がね、周りからいくら働きかけたりとか
こういう制度があるからとかじゃなくて、やっぱりお母さんが
そうだったように、自分が生きたいし楽しいしの方が
絶対私も持続的だと思ってます。だからめちゃくちゃ
納得というか。
やっぱりその街づくりがそんな短い時間では測れないと
まさにそうですよね。今このタイミングでやった方がいいと思って
やったことは、数十年経った後に、実はそれがきっかけで
別の課題を10年後にやるとかってあったりすると思うんですよね。
そんなに簡単にこれが課題だからみたいなのって言えない
言いにくい世界。
人口減少してて高齢化してるから、じゃあ単に人を入れればいいのか
って言ったらそういうわけでもなくて、今もう日本全体で
人口が減ってるんだったら、頑張っていろんな税金投入して
移住の応援だったりとかっていうのはありますけど、結局
税金使って人を日本の中で奪い合ってるだけじゃなくて
人口が減っていくっていうのが変わりのない事実なので
だったら人が減ってても楽しく暮らせる暮らしとか
IKEAが増えていくんだったら、もっと面白い活用ができないのかな
住むとか以外にも楽しく街の中で使えないのかな
っていう思いもあって、コミュニティスペースみたいなのを
ダンジョンの中に入れていきたいなって思って
作ったりとかしてますね。
それも一つの、私たちにも結構とらわれだよね
人口を減るっていうことをさ、それ自体が悪いこととか
すごい悲観的な感じになってますね
人は絶対増やさないといけないっていう縛りがあるけど
別に本当にりこちゃんが言ってくれたように
そういうのをめちゃくちゃ共感しまくってて
時間をすっかり忘れていたんですが
一旦、あれかな、啓太さん
ちょっとチャプターを区切って
後半に移りましょうかね
やりこちゃん、続きをまたぜひぜひお願いします
地域づくりの新しい視点
一旦、前編はここで区切りたいと思います
36:15

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