つもり貯金ってあるじゃないですか。 買い物とかね、旅行とかしたつもりになって、実際はそれを行わずに、その分のお金を貯金するっていう
つもり貯金。 結構この概念を知ってからずいぶん経つと思うんですけど、
憧れはするものの、1回もやったことないんですよ。 つもり貯金。
あの僕、ストレスが溜まると、仕事とかで主に、仕事が忙しすぎたりするとストレスが溜まったりするんですけど、
今多分そういう状況だと思うんですけど、 ストレス発散によく買い物をするんですよ。
ここのとこ、この11月によくやっている買い物は、 本屋さんに行って本を買うみたいな。
昨日も本屋さんに行って、
水木しげるの悪魔くんの
漫画買ったりとか、 あと杉吉春コレクションの
なんか短編の漫画集、何冊か買ったりとか。 あと前ちらっと言った浅井涼さんのエッセイ3部作
買ったりとか。
あとスターウォーズのマンダロリアンの公式アートブックもね、 昨日つい買っちゃいましたね。
なんかそんな感じで本屋さんに行って本を買う。
あと最近、バリューブックスっていうその古本を扱っている、
買取もしてるんですけど、通販もできる、古本の通販もできるサイトで、
つい検索機能がすごくいいので、 中西ヨーロッパ関連の本を、
中古でちょっと安くなっているのをいいことに、 結構大量に買い込んだり、
中西ヨーロッパのお城に関する 欧版の本を結構買ったりとか、歴史の本を買ったりとか。
まあそんな感じで 結構本を買い込んだりしてるんですよね。
ストレス発散、半分ストレス発散で。 ちゃんとその買ったものは
読むので、まあ半分は積んどくになるかもしれないですけど、 半分はちゃんと読むので、まあいっかと思いながらやってるんですけど。
まあ例えば、アマゾンとかバリューブックスもそうなんですけど、 こういう通販サイトで
積もり貯金ができたらいいなぁって思うんですよね。 アマゾンにすごいそっくりなサイトで、
そこで買い物をしたら、 実際の買い物はできなくて、使った分だけ、そこで
支払った分だけ実は貯金されてるみたいな。 そんなサービスがあったら
めっちゃ流行るような気がするんですよね。
これAIとかに相談して自作できたら いいなぁ
だって自分だけでね、使う サービスなんで
なんかそういうの作れたらいいなぁって 無双してます。
MAKE FRIENDS実験レイド スペースボール系のシーズン2
始まりましたMAKE FRIENDS実験レイド スペースボール系のシーズン2
僕が鳥取生ギターポップ育ちのケイジ君です。大阪市在住です。 この番組は音声メディアを通じてMCとリスナーが友達になることが
できるのかを実験検証していくポッドキャスト番組なのですが、 シーズン2からは青春編としてポッドキャストで青春を謳歌していくことが
できるのかも合わせて実験検証していく番組となっております。 というわけで
青春を謳歌したい したいなぁと思うんですけど
本当に 本当になんかこう
バタバタしておりまして 青春を謳歌できてないというか
切ない 切ないけどでもあの週末は
D&D部っていうね みんなでダンジョンズ&ドラゴンズをする回
月に2回やってるやつができて それは相当楽しかったですねもうD&D部ぐらいしか今楽しみがない
楽しみがないかもしれないぐらいちょっと仕事を 仕事に追われている毎日なんですけども
でいつもはねこのオープニングでですねXで見つけた感想ポストを紹介しているんですが なんと今回は
ゼロ件 感想ポストが一つを見つけることができなかったので
ここで残念ながら紹介することがすることのできる感想がないんですけど
前回のアヴァンのあのひらめき逆バンジーの話がちょっとひどすぎたんですかね
ひらめき逆バンジーって本当にあの瞬間にあの思いついたんで今このひらめき逆バンジー
って文字列を見て何なんだろうって思いますし これも2、3ヶ月後にこの文字列見た時には全くその意味を思い出せないんじゃないかな
っていう気がしますねひらめき逆バンジー
ひらめき逆バンジーに共感してくれる人はいなかったっていうことなんでしょうきっと
あとあのメインの話題が演劇の話だったんですけど だいたい演劇の話と
テーブルトーカーRPGの話をした回は毎回リアクションが薄いなぁっていうのはずっと そんな気がしてたんですけど
なのでまあそのダブルパンチだったんでしょうか前回は 12月末に開催される
一劇屋っていうね劇団のお芝居を見に行きたいっていう話をしてたんですけど
これは一緒に見に行ってくれる人もいなさそうな 感じなんでしょうか
はい まあそもそもあの
ポッドキャストのアナリティクス的なやつ普段は見ないんですけど たまたまちょっと見てみたら
最初の1分2分ぐらいでも4割ぐらいの人が利圧してるんですよね あのアバンでいきなり
初めて聞いた人がひらめき逆バンジーとか聞いても 多分
なんかそれ以上聞く気が起こらない 怒らないんですよねきっとね
だからもうこの今のこのオープニングを聞いている皆さんはもう その多分今回も同じような感じになると思うんで
上位6割 上位60%の人たちですよ
ここまで聞いてくれている人たちは本当にありがたい ありがたいですねその
番組の構成として初めて聞く人にすごく 不親切な作りなんだろうなぁって
今更ながらに思うんですけど なんかこう
なんて言うんですかね 自分がやりたいことと
求められていることというか
何でしょう求められやすい番組 ユーザーフレンドリーな番組と自分がやりたい
形にこう帰りがあるんでしょうね今ね
そちらにフレンドリーな方に寄せていくかというと多分寄せていかない もうこの今のこの作りのままおそらく
続けていくんじゃないかなっていう気がしてますはい そんなわけでですね今日も
いつものようにやりたいようにやっていこうと思いますので 皆さん最後までお付き合いいただければと思っております
はいじゃあ始めていきます メイクフレンズ実験レイリオ
スペースボルケーの 心中
はいというわけで今日はですね 父親の話をしようかなと思ってるんですけど
2ヶ月ぐらい前に9月の後半に 2年ぶりぐらい実家に帰りまして母親のお墓参りがメインの用事だったんですけど
その時に久しぶりに父親と対面して 少し話したりもして
そういえばポッドキャストでお父さんの話したいなぁと思って
いろいろ書き留めてはいたんですねどんなこと話そうかなーって でもなんか
他の話題とかもいろいろあったり 合同オフ会があったりして
先送りになってきたんですけど やっとまあ
いいタイミングかなと思って あのお父さんの話をしようかなと思うんですけど
えっと僕の父親はですね昭和21年 1946年の5月30日生まれの
a 型 ですね
昭和21年なんでまぁ本当に戦後のベビーブームの 世代というか
で a 今年79歳来年80歳ですね まああの
79歳80歳にしては多分結構元気な方なのかなぁと思うんですけど あの5月30日生まれててたまたまなんですけど僕が
結成したスパゲティバビューというバンドも結成日が5月30日だったんですよ これ偶然なんですけど
なので僕自分の a 今
個人事業主として自営業で仕事してるんですけど 自分のその開業届を出す日開業日もあえて5月30日にしました
だから5月30日は自分の父親の誕生日でもあり スパゲティバビューという自分のバンドの結成日でもあり
自分の個人事業主の開業日でもあるっていう 全部まとめて同じ日にしてるので色々と便利っていうのがあるんですけど
うちの父親ですね 高校出てから地元の鳥取市のですね
山陽電機という電気メーカーに就職したんですが でまぁサラリーマンやってたんですけど
そこで母親と出会って結婚してその後に脱サラしてですね 喫茶店を開業したんですよね
でそれがえっと多分 詳しい年は知らないんですけど昭和40年代後半というか1970年代前半
でそのところあの喫茶店ブームっていうのが あったらしくって
あの調べてみたら ucc ucc のサイトに こんな風に書いてありましたね戦後のコーヒーの輸入自由化を受け
1960年確保昭和35年以降喫茶店が増え始めていきます 1970年代前半には日本で全国で
年間約8000店が新しくオープンするなど喫茶店ブームが起こります 1966年昭和41年から1975年昭和50年のたった9年の間で約6万5000店舗が新規に
オープンしたというデータもありますということで すごいですよね
だから本当にブームだった6万5000店 6万5000店って
なんかまあセブンイレブンの店舗とかより多いんじゃないですか だからそれぐらい喫茶店が今そんなに喫茶店多くないと思うんですけど
全国にいっぱい 喫茶店がオープンしたんですオープンしただけでそれ6万5000店なんで9年の間
まあそのうちの1個が鳥取県鳥取市でうちの両親が開業した喫茶店だったんですね えっと茶屋っていう
お茶屋さんの茶屋茶屋っていう名前だったんですけど だから最初の店が純喫茶やとかそんな名前だったのかな
僕生まれる前1970年代前半まあ40昭和40年代後半に 鳥取市の小山っていう
鳥取大学がある町がありましてそこで学生向けに やってたのかな喫茶店開業
してましたね で僕が生まれ生まれた頃前後に実家の敷地内に移転してですね
まあえっと2号店というか2つ目の店を出しまあ一つ目を占めて2つ目の店を 鳥取駅の
南川にね コーヒーハウス茶屋っていうちょっと名前が変わってコーヒーハウス茶屋っていう
お店をオープンさせましたまあそれは僕が小学校2年生がもっとか5年生ぐらいまで そこでやってたんで
すごく記憶にありますそのレンガ作りの平屋の 喫茶店
中で他あの 前もちらと言いましたけど
ジャンプとかサンデーとか 読み始めた
でずっとその学校から帰ってきて ちょっと
ローキお客さんが少なくなった頃にお店に出て ずっと漫画読んだりとかしてましたね
なんで自分にとって父親は何か喫茶店のマスターっていう そういう印象が
ずっとあります でえっとね僕が
小学校6年生ぐらいかなになった時にお店を建て替えてですね カフェと茶屋っていう
お店に生まれ変わりまして なんか今度は4階建ての建物の1階が駐車場で2階が店舗で3階と
4階をアパートにして人に貸すみたいな そんな感じのちょっと大きめな建物になりまして
その喫茶店ではえっとね直売船のマシンも入れて 直売船も始めましたね直売船でコーヒーが美味しいと評判のお店だった
気がします でその頃80年代後半から90年代前半は
あの鳥取市で一番 ucc の金豆を仕入れていたお店だったと言われてた記憶があります
ね でいつもだから
いつも毎日じゃないですかね2日に1回ぐらいは コーヒー豆の焙煎をしてました
いつもその焙煎室お店の中に焙煎室があったんですけど 焙煎室でいつもこうざるの上に
木豆をこう出して 豆を選別してちょっとでも傷んでる豆があったりとかしたら
全部捨てて綺麗な豆だけを焙煎するみたいなこだわり 豆を焙煎してましたねあとその
世界各地からいろんな 産地からあの浅袋に入った木豆が届くんで
その浅袋の中にかさ増しのために石を 入れていることがあったっぽかったんですよなんか現地の人がね
かさ増しするためにあの小石を入れていることが多くあって なのでその焙煎室の壁のところには
いろんな産地の浅袋に入ってた石が 並んでましたあのやっぱり産地別に
当たり前ですけど土が違うので石も違ってその 産地ごとにその色が違うみたいな石を集めてましたねそれもすごい覚えてますね
あと えっと
その喫茶店で出すお皿とか お皿っていうかコーヒーカップかコーヒーカップ
塗装さをすごくこだわってて あの全部違う
のりたけのカップが 色違いとかでいろんなのりたけのカップが揃ってて
そのお客さんの雰囲気に合わせてこう父親が使うカップを選んでコーヒーを出すみたいな そんなことやってましたねあとお店は
カフェド茶屋 その大きい店舗になってからはなんか天井が高くて
道路に明示している部分全面ガラス張りだったんですよねでその中で結構寛容植物 コーヒーの豆とかも含めて
コーヒーの木かコーヒーの木も含めていろんな寛容植物を 育ててたりとかお店の中にガラス張りの
温室みたいなところも作ってそこで何か植物育てたりとかしてましたね なんか父親は植物と会話ができるっていうか植物が言ってることがわかるって
言ってました その辺はよくわかんないんですけど
そんな喫茶店のマスターをやっている
父親の影響でですね僕はコーヒーの閉鎖教育を受けてまして 中学1年生小学生の時は飲ませてもらえなかったんですなんか
背が伸びなくなるからって言ってでも中1からはコーヒー解禁になりまして で父親の
教育方針コーヒー教育方針は コーヒーはブラックで飲みなさいということで
砂糖とかミルクとか入れて飲むのは邪道だということで ブラックで初っ端からブラックで飲むように言われました
あとあのキキコーヒーもさせられましたね なんかの豆の回転を良くするためだと思うんですけど
8毎日サービスコーヒーっていうのが 決まってまして月曜日から土曜日まで営業してたんですけど
例えば月曜日マンデリン火曜日モカ 水曜キリマンジャロ木曜ブラジル金曜コロンビア土曜日カテマラみたいな感じで
その曜日はそのコーヒーが安くなるんですよね たぶんね一杯普通のコーヒーが300円とか350円だった気がするんですけどサービス
コーヒーになると250円になるとか そんなんだった気がするんですよねもっと安かったかなぁいやでもまぁそんな
値段だったと思うんですけど なんでなんか
コーヒーの種類結構あったんですよ 今言った以外にももちろんオリジナルブレンドもあったし
あとブルマンブルーマウンテンとかもあったんですけど で
このコーヒーは何でしょうみたいな感じで飲んで 当てるみたいな
ブラジルとモカが なんか味がわかりやすかった印象が
ありますねブラジルが特に飲みやすいからって言ってよく ブラジルを出してくれてたような気がするんですけど
そんな あの
教育を 受けてましたあとお店では
サイフォンでコーヒー立ててたんですけど まああの
ハードドリップのコーヒーの立て方も教えてもらって 大学生で一人暮らしになっ
するようになってからもずっと毎日 コーヒー立てて
飲んでます豆をひいてコーヒーを立てて飲むっていうのも毎日それからもうね 30年
ぐらいずっと毎日まあだいたい朝はコーヒー立てて飲む感じですよね で朝以外も昼も
時には夜もコーヒーを立てて飲む感じでも毎日すごいコーヒーを 飲む生活をしてます
そうだなぁ ああそうそれでえっとそうですね90年代後半に
喫茶店を畳むことになるんですけどそれはですねその 長いことを使ってた焙煎機が
ダメになってしまって 多分新しいのを買い替えるのにもう何百万
とかかかるから もうそれするぐらいだったらもうそろそろやめよっかみたいな感じで
あの辞めたと思うんですけど その時そうですね父親はもう50代前半だったかな
だから50代前半ぐらいで喫茶店のマスターを引退してそこからまあ 悠々時的な生活を送っていると
そんな感じ ですだから僕の中の
お父さんの一番の印象は 喫茶店のマスター
スペインホルケーのシーズン2 青春編
はいでまぁ喫茶店のマスターっていうのが自分の中の父親像の まあ一番メインではあるんですけどまぁそれ以外にパッと
思うことが2つぐらいあって一つがですね すごい賢くて何でも器用にこなすことができる
っていうのと あの
割と無口で職人肌みたいな感じではあるんですけど
僕と弟息子 たち2人をすごく可愛くてたまらんみたいな感じのところがあるっていう
が父親の印象としてあるんですけどまず一つ目のその賢くて何でもできる 器用にできるというところなんですけど
そもそもあの 運動も
できるし 勉強も割とできた特に理系科目が得意だったみたいな感じではあるんですよね
ただまぁ大学に行ってなくて高校卒業してすぐ働きだしたんですけど そもそも地頭が賢い感じはありましたね
あとすごいなっていつも思ってたのが なんか3次元の認識能力がめっちゃ高いんですよ
あの 例えばなんか靴紐とかロープとか
なんか結んであるものを見た時にパッと見てすぐその結びを再現できたりとか あと編み物が得意だったりミシンを使うのが上手だったりとか
なんかねそういうのありましたねだからの小学校の時にあの夏休みが終わると なんか
小学校に雑巾を持ってかよくちゃいけなかったりとかあったんですけど僕らの時代 そういう雑巾をなんか古くなったタオルで作ったりするのはいつも父親の仕事でしたね
なんかミシンを上手に使ってすぐ雑巾作ってくれた印象がありますね あと編み物が得意っていうのはあのうちの父親釣りがすごい好きだったんですけど
えっとと編みっていうねこう 投げて使う網があるんですよね
愛を取るのが好きだったんで鳥取の川で愛を 取るためにあの釣り竿を使って釣るっていうのが
あの普通なんですけどうちはある時から突然と網を投げて 愛を取ることにはまったんですね
とはみって買うと 当時でも十数万円から20万円ぐらいしたと思うんですよね
結構まあ精密な作りなんですよとはみってパッて投げたらパーって広がって で引っ張ったらあの網の先が
細かい重りがついてて網の先が閉じて 魚を捕まえるみたいな道具なので結構繊細な作りなんですけど
とはみを 自分でゼロから編んでましたね
1年半くらいかけて うーんとはみって自作できるんだめっちゃびっくりした記憶があるんですけど
だから買うと20万円ぐらいするやつを自分で まあ材料
かかるのはえっと釣り糸とちょっとした重りだけなんで 安上がりって言ってましたけど
1年半かけてとはみを編むのすごいなぁでもある自分自作するとあの 修理も自分でできるから
すごくコスパ的には良かったみたいですね それぐらい手先が器用というか
そんなことできる人ですね あとあの分析力が高いというか
ものの考え方がすごいスマートっていうか例えばのフェルミ推定みたいな考え方あると思うんですけど あれもなんか自然にやってる感じでしたよね僕は逆にフェルミ推定というものを初めて
知った時にああこれお父さんいつもやってたやつだみたいな 感じがありましたし
なんか 僕に何かを説明する時もすごく論理立ててこう理屈をきっちり
なぜそうなっているのかなぜそれが必要なのかをきっちりこう理屈で説明してくれる から理解
もう納得もしやすかったみたいな のありますなんかこう
同じ失敗を繰り返さないように対策を練ることが肝心みたいな しつけをされたというか
ありますねあとすごく印象深い 思い出としては
あの小学校2年生ぐらいの時に 当時テレビで
あなたの知らない世界という番組があったんですよね あの
世にも奇妙な物語みたいな 短いオムニバスのドラマ
の番組だったんですけどえっとそれの 怖い話
だけ集めている あなたの知らない世界っていうのがあってまぁ小学生が見たらだからすごい怖かったんですよね
で あまり怖いから見なかったんですけど当時
たまたま見ちゃったのが なんか一松人形みたいなのが出てきて
それを ある家族があの捨てようとする
だけど捨てるたびになぜか 気づいたら家に戻ってきてて何度も何度も捨てようとするけど
人形が家に戻ってくるみたいな まあ今思えば
ありがちな怖い話だなと思うんですけど それを見て僕めちゃくちゃもう
怖くなって夜寝れないぐらいな 怖くてお化けが怖いみたいな
小学2年生ですからねまぁそんな感じになりますよね それでそれをお父さんに相談したんですよ
それを見てすごく怖くて寝れない夜が怖いって お父さんにお父さんお化け怖くないのって聞いたら
お父さんはいや全然お化けとか怖くないよみたいな お父さん何が怖いのって聞いたら
家族を失うことが一番怖い お前たちがいなくなる
と思ったらそれが一番怖いみたいなことを言ってて それで僕ハッとしてこう
視野が広がる気がしたんですよねなんか ああなんか怖いってお化けが怖いとかそういうことじゃないんだみたいな
それ以来もうお化けが全然怖くなく なりましたねだから
あの夜道が怖いとか暗い場所が怖いとかも全然思わなく なったのを記憶してます
はい あともう一個のその息子たちが可愛くてたまらん
話っていうのは えっと
本人が常に父親自体が常に僕とか弟のこと可愛い可愛いって可愛がってたわけでは ないんですよね直接僕たちにそういうことを言ってたわけじゃなくて
周りの人とも自分の友達とかにそういう話をしてたっていうのを 伝え聞いた
話なんですけど あのそれも一番覚えているのが僕はのここの
配信でも過去に何度も言ってきたように 8大学
入るのにも浪人したんですけど 大学出るときも留年をしまくったんですよね
3回留年して なので3回生を4回行ったんですけど
7年かけて大学卒業したんですけど だから留年しまくってたわけですよまあ親には申し訳ないなぁと思いながら
で a 僕は
申し訳ないなぁと思ってたんですけど
あの父親がそのことに関してどう思っているかというのは全然聞いたことなくて まああの留年が決まった時に毎年
3回留年しましたから3回親にそのことを報告したんですけど 毎回まあ電話して母親に報告してたんで
父親には直接報告はしてなかったんですけど あのある時大学生の
夏休み に
地元に帰って本屋さんに行ってた時に たまたま高校の時の同級生と
あったんですけどその同級生は 父親同士が