2024-08-22 18:08

自己紹介(出身)

自己紹介、出身編です。 #自己紹介 #ワーママ
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https://stand.fm/channels/6247ba117cd2c743280381e8
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おはようございます。マイサードプレイスです。このチャンネルは何のスキルも実績もない、ただの荒法フルタイムワーママが何の足しにもならないおしゃべりをただただ続けるチャンネルでございます。
今日、2024年8月22日です。今6時14分なんですけれども、私毎朝5時20分頃に起きていて、そこから準備して仕事を始めるんですけれども、
今日も同じように仕事を始めようかなと思って今準備をしているところで、まず一本収録してみようかなと思って撮っております。
今日から何日間かに分けてちょっと自己紹介をしてみようかなって思いました。
昨日からこのチャンネル、思いつきで始めては見たものの、自己紹介っているよねって思って、昨日原稿を書いていたところ、なんか案外長いなと思ったので、
私の出身ですとか職歴だとか趣味だとかみたいなことについて、誰かよくわからない人の自己紹介をだらだら長く聞くのって結構苦痛じゃないですか。
なので短く切って何日かに分けてお届けしようかなというふうに思っております。
まず名前ですね。名前なんですけど、今現在ビジネスネームを考えている最中で、これっていういいのが思いつかないので、今は名前もチャンネル名もマイサードプレイスってことにしております。
とりあえず、なんでこの名前にしたのかっていうのについては一応考えたことがあるので、それをまた後日ご説明しようかなというふうに思います。
年齢は40代です。
私は小学校卒業まで親の都合で住んでいた東海地方に住んでいたんですけれども、その後中学入学と同時に親の地元である中々の田舎に引っ越しをして、
高校卒業と同時に大阪に出て行って、それで終わりじゃなくて、そこでもう東海に着かれたなと思って、
30代半ばで一回地元に戻って、自分はもう一生地元で生きていくんだというふうに思っていたんですけれども、
結婚を機に今住んでいる場所に引っ越しをしてきて、今に至るという感じでございます。
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私、あれなんですよね、中1から親の地元に引っ越しをしたので、
親の地元っていうのがもうめちゃくちゃ田舎で、夜になると真っ暗で本当に何もない。
隣の家も、隣、お隣さんっていうのが何メートルだろう、20メートルどこじゃないな、
3、40メートルぐらいお隣さん離れてるし、隣に家はあっても、その反対側の隣には家はないし、
隣は基本田んぼです、みたいなところで住んでいたので、
本当は中学高校の6年間はもう本当に田舎が嫌で嫌で、とにかく都会に住みたくてっていう6年間を過ごしました。
とはいえ、高校に入学すると、私が高校生だった頃ってコギャルブームで、
スカートめちゃくちゃ短くして、ルーズソックス履いてみたいなのが流行ってた時で、
そういうことが楽しくなってきちゃって、そこまで田舎であることの執着がなくなってきてはいたんですけれども、
やっぱりそれでも、自分の意思であっち行ったりこっち行ったりできるような年齢になった時に、
気軽にひょいと電車に乗って、東京でいうと渋谷みたいなところだとか、大阪だと梅田だとか南みたいなところに、
ふらふらと行けるような環境ではなかったので、それがすごい嫌で、
例えば雑誌見てて流行ってそうな化粧品が欲しいと思って、すぐ買いに行けない環境ってすごいフラストレーションがたまりません?
私そういうのはすごい嫌で、とにかく自分のマインドの中に都会に出ていきたいっていう気持ちがすごい強くて、
だから進学進路についても、もう本当に都会に出る一択で、
なぜ大阪にしたかっていうのも、今となっては覚えてないんですけど、
その時行こうと思っていた専門学校が大阪にあったからっていう理由だったのかなっていうふうに思います。
専門学校っていうのが外国語の専門学校に行きました。
私が行ってた高校は進学校なので、多くの人が大学に行くんですよね。
ほとんどが4大に。
その中でも私は受験勉強してまで大学に行きたくないって思っちゃって、
今となっては大学に行っておけばよかったって思うんですけどね。
大学行ってる子たちって、大学中はサークルがあったりとかして楽しそうだし、
卒業後も大学つながりでコミュニティがあって楽しそうじゃないですか。
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そういうのにすごい憧れるなって今思うので、大学に行っておけばよかったなって思います。
私はその中で専門学校を選んだんですけど、
英語が好きだったので、英語が学べる専門学校がいいなって思って、
私が行った専門学校を選んだわけなんですけれども、
英語が好きってなると当然大学の英文化っていうのも選択肢に入ってくるわけで、
学校の進路操作の先生からもそっちはどうですかみたいな感じで話はされたんですけれども、
当時の私の調べによると英文化っていうのは英語の文学を学ぶ学科なんだっていうのを調べた記憶があって、
英語は好きだけど英文学には興味ないですって思っちゃって、
私は英語をツールとして何かできるようになりたいっていうふうに思うから、
その時に英文化っていうのは選択肢から外れるなって思っちゃったんですよね。
だから私がその時考えてたようなことで売り文句にしていた専門学校、
英語を使って何かしようみたいなことを言ってる専門学校があって、
そこにかなり強引に私はここに行きたいんですと親に交渉してそこに行かせてもらったっていう感じです。
私の同級生で卒業と同時に県外に出た子っていうのはいると思うんですけど、
周りの子たちの中には全くいなかったっていう感じで、
多分あれですね、今となっちゃう、進学で地元を離れた子も結構戻ってきてると思います。
でも私に至っては卒業後も全然帰らなくて、そのまま就職して30代半ばぐらいまでずっと大阪に住んでました。
都会はすごい楽しくて、
いくつだったかな、高校卒業した時なので19歳になる春ですかね。
3月に引っ越しした日のことを今もよく覚えていて、
引っ越しの片付けとかそういうのは親も手伝いに来てくれたんですが、
学生の一人暮らしのマンションなのでめちゃくちゃ狭いんで、
そこに親が泊まれるっていう感じではなかったので、
親がじゃあねって言って帰っていった。
帰っていった後のあの開放感、
今日からここが私の城でいつ何してても誰にも何も言われないんだって思ったら、
ものすごく開放感に包まれていたのをすごい覚えてます。
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結構上京した子ってそこで寂しさを感じたりとかっていうのをたまに聞くんですけど、
私そういうのはなくて、正確にはあったんですけど、
そのタイミングが全然引っ越ししたばっかりの時では全然なかったっていう。
後々結構一人で住んでみて、これって結構寂しいのかもって思ってきた時はありましたけどね、確かに。
でもそんな時間よりも都会楽しい最高って思っていた記憶の方が強いですね。
入学式があったりとか、専門学校なので大学もそうなのかもしれないんですけど、
そんな毎日にっちり学校行かないんですよ。
それでも1年生の時は結構行ったと思うんですけど、
それまで自分が送ってきた学生生活とは違って始まる時間がいつも一緒じゃなかったりとか、
終わるのもそうですけど一緒じゃないのでいつもより早い遅いとかいろいろあるんで、
帰りには待てに遊びに行ってみたいな。
私当時、コギャルブームに乗ってたぐらいなので、
渋谷109系のファッションがすごい好きだったんですよね。
そういうファッションって私の地元には売ってはなくはないけど、
それを買いに行こうと思ったら、
まず自転車で最寄りの駅まで1時間ぐらいかけて行って、
そこから電車15分乗ってみたいなことをしなきゃいけないので、
ふらーっと買い物行けないんですよね。
なんですが都会だとその時の衝動でふらーっと行けちゃうので、
学校代わりによく買い物をしたりとかもしてました。
そういうのがすごい楽しいなと思いながら生活をしていて、
就職してからも一緒ですね。
ずっと憧れていたアパレルの仕事を押し出して就職したんですけれども、
就職して大好きなファッションの仕事をしているのに、
休みの日も服を見に行きたいんですよ。
友達とランチして服を見に行って、買ってその場で着替えて、
みたいなことをよくやっていました。
社会人も10年ぐらいアパレルをやっていたので、
それでもその10年間ずっと洋服を好きでした。
でも遊び方みたいなのが変わってくるので、
あらさと言われるぐらいの年齢になる頃には、
休みの前の日はオールで遊んで、
休みの日は朝帰ってきても昼過ぎまで寝ている、
みたいな生活をしだしましたね。
その前の日の夜何をして遊ぶかというと、
飲みに行って、その後クラブ行って、
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みたいなことをずっとやっていて、
それがたまらなく楽しかったですね。
自分の地元ではそんなことはできないので、
飲みに行くのに居酒屋とか行こうと思った時に、
車がないと行けないので、
行けても飲んでしまえば車で帰れなくなっちゃうので、
誰かに迎えに来てもらうとか、
帰るための手配が必要になるのでめんどくさくて、
地元にいたのは高校生までなので、
そもそもお酒飲めないので、
そんなこともしてなかったですし、
電車で気軽にふらーっと飲みに行って、
そのままふらーっと帰ってこれちゃう、
なんならタクシーでも帰ってこれちゃうというのが
めちゃくちゃ楽しかったです。
クラブも確か学生の頃から行ってたと思うんですよね。
クラブで最初は何かナンパされるのを目的に
行ってたと思うんですけど、
クラブで出会う男の子ってすごいかっこよく見えるじゃないですか。
クラブ行って踊りもせず、
飲み物持って壁の端っこにひっついて待ってると
誰か話しかけてくれるので、
そういうのを待ってナンパされて
私モテてるみたいに思ってるのが楽しかった頃もありますし、
そういうのもずっとやってると飽きてきちゃうんで、
最後の方は本気で踊りに行ってました。
汗だくになるぐらい。
朝まで踊って帰ってくるみたいな生活をしていました。
そういうのも30代過ぎてくると
20代後半からそんなことしているもんだから
30代過ぎて周りが結婚しだす頃には
やっぱり飽きてくるっていうか、
虚しさを感じるんですよね。
私いつまでこんなことやってるんだろうみたいなことを考えだして
私の世代って、私80年代生まれなんですけど
女の幸せは結婚とか
結婚は30までにしないとねみたいな価値観あったんですよ。
私も当然そういうふうに思っていて
今振り返れば
本当に家庭というものに入りたいと思っていたかどうかっていうのは
もうよくわかんないんですけど
世間のその時のトレンドに惑わされて
私も30までに結婚っていうのにすごい焦っていて
実際30を超えた時その時の自分っていうのは
結婚は当然してないですし
結婚を意識できるような付き合いをしている方もいなかったので
どうしようどうしようみたいな感じで結婚を焦ってきたのを覚えています。
30過ぎて結婚するぞみたいな感じで結婚活をした時に
出会う人とか結婚後生活する場所って
絶対地元の方がいいよなって思ったんですよ
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子供生まれたりとかした時に
助けてもらえる両親が近くにいる環境で子育てできたらなって思ったので
これは地元だと思って
30過ぎですね
地元に帰ろうと思って帰ってきて
たまたま仕事も辞めて帰るつもりだったんですけど
移動できるよって会社の上司に言ってもらえて
じゃあまあいいやと思って
地元に移動したんですよ
地元で何年くらいだろう
4、5年くらい住んでて
そうすると30代半ばどころか後半に差し掛かってくるんですよね
そんな混乱してると
あれ30までに結婚って言ってたのに
なんか30半ば過ぎちゃったって思い出して
いよいよ結婚に焦ってきて
婚活して最終的に結婚したんですけどね
私は結婚した後に出産して
自分の親に頼るために
実家に帰ってきたのに
結果結婚した相手が
地元の人ではなくて
また全然違う出身の方
かつ転勤族だったので
移動になったんですよ
それはきっかけに結婚した部分ってあるんですけどね
今のところに引っ越しをしてきて
今に至るみたいな感じです
今住んでる場所はめちゃくちゃ都会じゃないですけど
そこそことかいっていう感じで
めちゃくちゃ住みやすいです
ただ子供を育てるとなった時に
田舎ほど自由に遊ばせられないというか
家を一歩出れば車ビンビン走ってますし
公園に行ってもそんな公園広くないですね
なので田舎で子育てをするイメージを持っていた自分からすると
だいぶ子育てには窮屈な環境ですね
っていう感じでございます
大人だけで住むんだったら
何でも身近にあってすごい便利なんですけどね
子育てをするっていうフェーズになると
自分の価値観も変わるなっていうふうに思っております
自分の出身だけで結構しゃべっちゃったんですけれども
私の出身はそんなところでございます
では今日この後仕事したいと思います
今日はあれなんですよ
子供が昨日の夜ちょっと発熱しちゃって
今もちょっと微熱が続いているんで
今日も保育園休ませようかなと思って
今日は自宅保育をしながらの在宅勤務になる予定です
皆様もお仕事頑張ってください
本日聞いていただきありがとうございました
18:00
では行ってらっしゃい
18:08

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