1. メタ音声配信ラジオ
  2. 暇に負けないメンタルを作る(..
2025-02-14 18:00

暇に負けないメンタルを作る(本の感想)


---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/5e86845e35414a1b15a1cf7a
00:05
こんにちは、いわみです。
2月14日の金曜日、いかがお過ごしでしょうか。
さっきGoogleで調べ物をしていたら、
スマホでGoogleを開くと、下の方にDiscoveryって、
いろんな記事のサムネイルとかタイトルが並ぶ画面があると思うんですけど、
何時なしにいろいろ見ていたら、
文字起こしアプリの広告が入っていたんですよ。
これよく見ると広告って書いてあって、
ノッタっていう有名なアプリを使ったことがありますけど、
それの広告が入っていて、
これはやっぱり僕に特化された、パーソナライズされた広告なんだなと思うと、
やっぱりちょっと気持ち悪くなるなっていうのが改めてあるんですよね。
それでGoogleで僕それを調べたかなと思ってね、
もしかしたら調べたのかもしれないけど、
音声配信で最近文字起こしとかの話をしたことはあるんですけど、
それGoogleで調べたかなって、最近あんまりGoogle使わないんで、
調べ物するときはChatGPTとかPowerPlexyとかAIツールをよく使うんで、
多分Googleも使ったんでしょうけど、
それで何を言いたいのかというと、
こういうのをなくすためにもやっぱりAI使った方がいいよなって思ったんですよね。
Googleで検索をするとそれに紐づいた広告が流れてくるから、
要するに検索キーワードを売り渡しているというか、
それがGoogleのデータにされてそれに近しい広告が流れてくるっていうのは結構鬱陶しいので、
それを避けるためにはAIを使うといいっていう思ったんですけど、
多分の想像ですけど、
これも近いうちにAIも広告を流してくるようになるんじゃないかなと。
今はChatGPTとか本当に便利に何の気になしに使えてますけど、
もしかしたらそのChatGPTとかの答えの中に広告的なものを入れてくるようなことがあったらやだなって思いますよね。
そういう雑談でしたが、
今日の本題は短く本の感想を話してみたいと思います。
読み始めた本、まだ半分ぐらいしか読んでいない本の感想というか、
全部読んじゃうと多分話し切れないんで、今のところの感想ということですけど、
何の本かというと、「暇と退屈の倫理学」っていうタイトルからしてちょっと難しそうな本ですが、
これ多分知っている人は知っているというか、有名な本かもしれませんが、
書いたのは国武広一郎さんという日本の哲学者の方ですけど、
03:03
ちょっと前に目的への抵抗という大学の講義家が文字起こしされた新書みたいな本がかなり売れたことがかなり面白かったんですよね。
その人が2011年の10月に出ているから、15年近く前の本になるんですね。
それを前々から読もうと思っていたんですけど、ちょっと難しそうだなと思って躊躇していたんですが、
オーディブルであったので、それを割と流し行きしながら、最近散歩しながらこれを読んでいるんですけど、
これはすごく面白いと言えるほど理解できている気はしませんけど、
すごく興味深いというか、これは何回も考えた方がいいよなというテーマだったので、
それを全部読み切る前に、今の段階で30%、40%しか読んでいない段階で、
自分の理解したところを自分の言葉で喋ってみたいと思います。
この本のテーマはまさにタイトルのあるように、暇と退屈についてなんですけど、
暇であること、退屈であることというのは、結構現代人の誰しもが抱えたテーマで、
途中から暇と退屈というのを分けて考えているんですけど、そこから話してみようかな。
暇と退屈というのは、自分の理解したところを自分の言葉で喋ってみたいと思います。
そこから話してみようかな。
暇と退屈というのは、基本的には別物で、似ているようだけど違うという話が第2章だからに出てくるんですね。
2章、ちょっと忘れましたけど。
それで暇というのは、やることがないという、やることがない状態というか、
やらなきゃいけないことが特にないというか、状態で。
別に暇というのは、ただの状態のことなわけですよね。
退屈というのは、それをちょっと嫌に苦しんでいるというか、嫌だと思っている状態を退屈というから、
一番暇と退屈を分けるものの一番大きなものとして挙げられるものがあるとしたら、
退屈というのは基本的に苦痛な嫌な状態ということになりますよね。
暇というのは別に、人によって別に嫌じゃなかったりというか、暇のことは別に悪いことじゃないとも言えますよね。
本にも書いてあったんですけど、その勇敢階級という、暇のある階級という、
昔その勇敢マダムみたいな言葉が流行したのかなということはあったみたいですけど、
要するに暇があるというのは、悪性苦労働しなくても食べていけるという状態で、
06:03
羨ましい状態ではありますよね。
多くの人は暇を避けているというか、暇を持て余す人が多い。
暇になっても退屈にならないためには、教養が必要ということが書いてあって、
暇イコール退屈になってしまう人というのは、労働者階級というか教養のない階級ということになりますよね。
何かでそんなにバシッと言うのもどうかなと思うけど、
でもちょっと簡単には反論できない説得力があるなとも思ってしまうんですが、
教養が必要と言われたのはずいぶん昔の話だと思いますが、今だとどうですかね。
暇を持て余さずに楽しむには何が必要か。
もしかすると暇になりに行こうとしている人はどのくらいいるかということですけど、
皆さんはどうですかね。暇は嫌ですかね。
暇と退屈を分けて考えた時に、退屈というのは基本的にはあまり良くないもの。
暇もそうかもしれないけど、でも厳密に分けると暇になりに行こうとしている人が多い。
経営者の人とかは割と自分を暇に置こうとしている人っているなと聞いたこともありますけど、
つまり自分は特に何もせずに暇をプラプラしていて、
いろいろその事業のアイディアを考えたりとか、
世の中を楽しみにしている人が多い。
ちょうど今読んでいるあたりのところに、暇と退屈を4証言みたいにして考えるところがあって、
4つは何かというと、暇で退屈な状態ということと、
暇だけど退屈な状態ということ。
1つは何かというと、暇で退屈な状態。
2つは何かというと、暇で退屈な状態。
4つは何かというと、暇で退屈な状態ということと、
暇だけど退屈じゃない状態というのと、
暇じゃないけど退屈な状態というのと、
暇でも退屈でもないという状態、その4つですよね。
このフォーマットって何に対しても面白く使えるなと思うんですけど、
僕は思ったのはそのうちの1つの、暇じゃないけど退屈な状態っていうね、
これね、今現代の人にすごく多いなって思ったんですよ。
暇じゃないけど退屈な状態ってどういうことかっていうと、
つまりめっちゃ忙しく働いてるけど、全然楽しくないっていうね、
そういう状態のことですけど、世の中の多くの人って言ったら失礼かもしれないけど、
なんかね、ただ忙しく働いてる人って、やっぱり今でも結構いるなと思っていて、
09:02
それはね、生活費を稼がなきゃいけないっていうのもあるけど、
僕はどうもそれだけじゃないような気がしていて、
ただね、自分が暇になることを恐れて、あえて忙しくして、
結局それでお金が稼げるからいいじゃんっていうのを言い訳にして、
どんどん自分を忙しくしているような人ってね、
やっぱり今の世の中でも結構いるような気がするんですよね。
で、これを言っている僕はどうなのかっていうと、
僕はね、こう言ったらなんだけど、割とね、暇を大事にしているというか、
暇はそんなに怖くないですね。
もともと忙しいのがあんまり好きじゃないっていうタイプでもありますけど、
でもね、会社を辞めてから特にね、暇を恐れなくなりましたね。
いや、暇を恐れなくなったってちょっと公平があるけど、
つまりね、暇の買い慣らし方をね、だんだん学びつつあるなっていうことですね。
これ暇っていうのはね、フリーランスになると暇っていうのはね、すごくね、
この暇との付き合い方ってね、重要になってくるんですよ。
何が重要なのかっていうと、暇になるのを恐れて、
どんどん安い仕事とかをバンバン受けていくと、
どんどん自分の首を絞めていくっていうことなんですよ。
で、ちょっと仕事今切れちゃったなっていうときに、
何でもいいから仕事を取りに行って、
面白くもなくて単価も安い仕事を取っていくと、
後々ね、自分のためにならないし、
伸ばしたい能力をもう伸ばせない仕事だったりとか、
単価だけじゃなくて楽しくもない仕事をどんどん増えてしまうっていう、
だから悪循環に陥ることが結構あるんですよね。
僕は割とそれを気づいてからは、意識的に暇なときにも、
いくら今仕事がないとは言っても、
これは辞めた方がいいなって仕事は断るようにしてるんですよね。
これは最初のうち結構勇気がいったんですけど、
何でもいいから仕事しといた方がいいんじゃないかって思うときはあるんだけど、
でもね、やっぱり最低限選んでいった方がいいなと思うんですよ。
これは年齢とかにもよりますね。
若いうちは何でもしていった方がいいと思うけど、
僕くらいの年齢になるとそれをやってるとちょっときついなっていうところがあったので、
多少遠回りになることがあったとしても、
なるべく消耗する、疲弊するような、
疲弊だけするような仕事は受けない方がいいっていうのが思ったんですよね。
そう、そのときに暇を飼い慣らすというか、
暇と対峙する力みたいなのは結構重要になると思っていて、
退屈っていうのはね、これも重要なファクターですよね。
暇だからといって安かったりとか、
自分のやりたくないような仕事を受けていくと、
忙しいけど暇はないのに退屈するっていうのは、
12:02
僕、これはね、豊かじゃないなというか、
そういう人生は嫌だなと思っているわけで、
それを避けているわけですけど、
そのときにどうしたらいいのかというと、
暇を恐れないということですよね。
暇だけど、
暇を恐れないというか、
暇を恐れないというか、
暇を恐れないということですよね。
暇だけど、退屈ではないっていう。
そっちを選ぶっていうね。
暇と退屈のどっちを選ぶかってなったときに、
暇を選ぶっていうことですよね。
そうすると、いずれ退屈じゃないのに加えて、
暇でも退屈でもないっていう状態に入れるんじゃないかなと。
入っているときもあるんですけど、
その状態をなるべくキープできたりとか、
増やしたりできるんじゃないかなと思っているわけです。
今日はこれ以上話を広げずに、
ちょっとだけまとめて終わろうと思うんですが、
暇と退屈の倫理学っていうね、
面白い本を読んでいて、
最初の暇と退屈を分類するっていうのは、
本当にこの本では前提の話なんですけど、
その時点だけでもなかなか興味深いというか、
考えさせられる内容だったので、
今日はそれだけについて喋ってみたんですが、
つまり暇と退屈っていうのは、
別物として考えると、
働き方とか生き方のヒントになるなと思ったんですよ。
暇っていうのは、仕事がないとか、
やることがないっていう状態ですけど、
それをね、
必ずしも悪いものと考えない方がいいというか、
考えてしまう人がいて、
それはね、なぜそうなるのかっていうと、
暇と退屈をごっちゃにしてるからっていうことなんじゃないかなと思うんですよね。
退屈っていうのは、
精神的にあんまり良くない状態かもしれないけど、
暇っていうのはただね、
時間があるっていう状態だから、
暇だけど退屈じゃないっていう状態に自分を置くには、
それはその人次第なわけで、
考え方というか、生き方というか、
その状態に自分を持っていくためには、
やっぱりね、これもあれかもしれないけど、
ある程度のトレーニングというか、
思考力みたいなのが必要になるんですよね。
暇を楽しむためには、教養が必要だみたいなね、
本の内容を紹介しましたけど、
教養とまでは言わなくても、
ある程度のその何て言うんだろうね、
暇を飼いならすためのノウハウみたいなのが必要になって、
それがイコール教養と言われたらね、
もしかしたらそうかもしれないですね。
テレビとか、何て言うんだろう、
ゲームとか、そういうのばっかりやってると多分ね、
15:00
退屈になってしまうわけですね。
消費と浪費って話もこの辺にあったけど、
それはまた別の機会にしゃべるとして、
暇だけど退屈じゃない状態をすると、
暇だけど退屈じゃない状態をするには、
やっぱり自分の中から湧き出てくるものを大事にするというか、
もっと言うと読書とか芸術とか、
そういうことが多分必要になってくるから、
ある意味教養が必要ということになるのかもしれないですよね。
僕はこの本を、たまたま暇と退屈の倫理学っていうのを
読み始めて思っているわけですけど、
でもこれは今からの時代に結構重要なヒントになるなと思って、
それは一つは、AIが最近すごく話題ですけど、
AIがどんどんできることが増えていって、
人の仕事がなくなっていくと言われてますけど、
そうなっていくと、やっぱり人間って暇になるわけじゃないですか。
稼がなきゃいけないから暇にはならないのかもしれないけど、
多分もうちょっとしたらベーシックインカムとか、
僕は多分そうならざるを得ないと思っているんですけど、
もしベーシックインカムが本当に実装されて、
社会に働かなくても生きていけるという状態がほぼ達成されるとしたら、
もう完全に人間は暇になるわけじゃないですか。
その時にやっぱり暇をどう使いこなしていくかっていうのは、
本当に生きる上の一番重要な問題というか、
死活問題になってくると思うんですよね。
大昔に人々が農耕を始めるようになって、
それに蓄えができて、それによって勇敢階級っていうね、
王様とか貴族みたいなのが生まれて、
その中から哲学とか今で言うところの教養みたいなのが生まれたっていうのは、
必ずしも偶然じゃなくて、
人は退屈になると考え事をしてしまうわけですよね。
その考え事をちゃんとするには、
やっぱりちゃんとした思考力とか哲学みたいなのが必要になるわけで、
今までは僕は結構少数派だと思っていたけど、
本当にこれみんながみんな暇になると、
哲学とか哲学的なことを考えるのが多数派になる時代っていうのは、
もしかしたらすぐ近い将来来るのかもしれないですね。
近い将来来るのかもしれないなと思うと、
ちょっと恐ろしいようでもあるけど楽しみでもあるなと思いました。
今日の話はこれで終わりにします。
ありがとうございました。
良い一日をお過ごしください。さようなら。
18:00

コメント

スクロール