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2024-09-12 13:50

自己承認欲求が弱くなった理由|音声遺言についてのアイディア


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こんにちは、いわみです。
9月12日の木曜日、いかがお過ごしでしょうか。
今日はだいぶ暑かったので、エアコンをつけているわけですけど、
むしむしすると思ってドライにしてたらね、なんか暑いなって思ったので、
冷房に切り替えたら、途端にちょっと寒くなるというか、調整がね難しいですよね。
その前にね、9月入ったぐらいに、もうだいぶ飽きめいてきて、
そろそろエアコンいらなくなるかなっていう話をした記憶があるんですが、
あれからね、また残暑というか夏が戻ってきた感じがありますね。
ここ最近本当に35度近く行く日が続いていますよね。
相当出てない、あんまり出てないんですけど、でも32、3度は多分ありますね。
あとやっぱね、湿度が高いので、それが結構体にくるなと思っていますが、
皆さんのところはいかがでしょうか。
さっきね、うちの妻が埼玉県時代の友達というか、ママ友みたいな人たちと
ビデオ会議というか、お話をしてて、
僕は下に飲み物取りに行くときにね、あんまり映りたくないなと思って、
こっそり取りに行ったんですけど、そういうのありますよね。
あんまり映りたくなかったんですけど、映らなかったんでよかったんですが、
ふとね、話している内容が耳に入ってきて、雑談なのかなと思ったら、
移住してきて何が変わったみたいなね、そういう本質的なテーマの質問が飛んでて、
すごいお話をしているなと思ったんですが、
それですぐ上がってきちゃったんで、どんな会話がその後展開したのかは知らないんですが、
移住してきて何が変わったって聞かれてもね、結構困るというかね、いろいろありますよね。
僕はね、それを聞いてふとね、今思ったことがあるんですけど、
いろいろ変わりましたけど、別に僕が聞かれたわけじゃないんであれですが、
一つね、承認欲求みたいなのがなくなったなっていう気がするんですよ。
承認欲求ってね、自分を承認してほしいっていう欲求そのままですけど、
それがね、もともとそんなに強い方ではなかったかもしれないけど、それがさらになくなってきた気がして、
それがなんでかなって思うと、一つね、ちょっと仮説みたいなのが、
反対の承認をする人がいなくなったかなっていう仮説をちょっと立ててみたんですよ。
この理由もあるんじゃないかなと思って、どういうことかっていうと、
承認しない人、なんていうんだろうな、承認欲求が強い人っていうのは、
寂しい人もいるかもしれないけど、僕は逆にその反対の力をね、日々かけられている人は、
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その反発として承認欲求が出てくることってあるんじゃないかなと思ったんですよね。
その反対の力っていうのは、何でしょうね、非承認というか、
自分のことを認めない人というか、敵対してくる人とか、
そういう人が周りに多くいると、その反動としてね、
無条件で受け入れてくれる人を求めるというか、マウンティングじゃないけど、
自分を大きくとかよく見せようっていう言動を、
出やすいんじゃないかなっていう気がしたんですよ。
この仮説に基づいてみると、僕が田舎に移住をしてきて、
承認欲求がなくなったなって思うのは、
基本的にね、非承認してくる人がいないからですよね。
以前はいたのかっていうと、そんなに目立って反発してくる人とか、
否認してくる人はいなかったですけど、
やっぱりでも会社に勤めていたりとか、
集団の中でね、仕事をしていたりすると、
多かれ少なかれそういう目に遭うことってあると思うんですが、
そんな時に反動として承認欲求が出てくる人と来ない人もいると思うんですよね。
それで出てくる人っていうのは、反対と反発されたことによって、
自分の自己承認みたいなのが揺らいでしまうというか、
薄くなってしまうことがあると、
それを立て直すために他社からの承認を求めるみたいなね、
そういうのがあるんじゃないかなと思ったんですけど、
ちょっと初めからややこしい、難しい話をしてしまいましたね。
そんなに広がらない話なので、ここで終わりにしたいと思います、この話はね。
音声配信のいろんな使い道みたいな話をちょっとしてみたいと思うんですが、
僕これ多分4年ぐらい前から主張していることがあるんですけど、
音声配信っていうのは発信のツールにも使えるけど、
また別の使い方として、
優位言的な使い方ができるなと前から思っているんですよ。
調べてみたら、僕が音声配信を始めたね、
2020年ぐらいなんですけど、
今メモを見てみたら2020年の10月になってたんで、
10月22日になってたんで、その時に考えたことだと思うんですが、
音声配信の使い道にコミュニケーションツールと発信ツールともつながっていて、
ボイスポートレートみたいな、これは音声の優位言と言ってもいいんですけど、
優位言って言うと死んだ時にっていうことですけど、
ポートレートっていうのは基本的には自分がいなくなった後にも、
家族とか友達がそれを残せるっていうことですから、
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僕は自分がいなくなった後にも、
自分がいなくなった後にも、
自分がいなくなった後にも、
残せるっていうことですから、
僕はこの使い方は結構地味なようで、
結構本質的なんじゃないかなと思っているんですよ。
何が本質的なのかっていうと、
未来のコミュニケーションというか、
人とのつながり方において、
一方通行のコミュニケーション、発信みたいなのを相互に受け取るみたいなのは、
一般的になっていくんじゃないかなという、
漠然とした予測というか感覚があるんですよ。
例えば音声配信って、
基本的には一方通行的なコミュニケーションと取るかどうかは別としても、
コミュニケーションと取ってみると、
一方通行の一人語りを誰かが聞いて、
それで受け取る相手も何かしらの配信をしていたりして、
それがね、僕もそれを聞いたりすると、
一応形としては相互通行になるじゃないですか。
時間差はリアルタイムじゃないけど、相互通行のコミュニケーション。
メールとかも基本的にはそのタイプですけど、リアルタイムじゃないという意味では、
それが音声になることによって、
より広がりというか深みが、温かみみたいなのが出てくるなと思っていて、
それで音声優位言というアイディアなんですけど、
これは別に僕だけのアイディアじゃなくて、
神田大輔さんというね、僕がよく聞いている朝日新聞ポッドキャストをやっている朝日新聞の記者さんがいて、
その人は個人でもスタンドFMで配信をしているんですよ。
最近の配信だったと思いますけど、
個人の配信を何でやるのかみたいな話をちらっとしてて、
その時に全く同じことを言ってたんですよ。
別に音声優位言とかそういう言い方は確かしてなかったと思うけど、
家族の優位言って言ってたかな、ちょっと言い方は忘れましたが、
子供のために残している部分もありますみたいな話をしてたんですよ。
神田大輔さんという方の場合は、
父親を子供の頃に死んじゃったらしいので、
そういう経験があるから、
もし子供が大きくなる前にいなくなってしまった時のことも考えてみたいな話をされていて、
そういう個人的な経験があるとより必要性というか、
切実になる面はありますね。
僕の場合はそんなにそこまで切実というか、
別に自分が早く死ぬイメージは今のところ持っていないので、
順当にいけば一緒に年を重ねていけるんじゃないかとは思っているんですが、
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それにしても何かあった時とか、もしくは別に生きている時でもね、
面と向かって話せないみたいなことはやっぱり、
自分が生きている時とか、
もしくは別に生きている時でもね、
面と向かって話せないみたいなことはやっぱり中にはあるから、
そういうのを吹き込んでおくと、
時間差でいつしか聞いてくれる可能性もあるわけで、
これの何がいいかというとね、いろいろあるんですけど、
一つはね、自分に対して言い訳みたいになるっていうね、
そんなに大したこと話してないかもしれないけど、
もしかしたらタイミングによっては何かしらの役に立つかもしれないなっていうね、
ある種のモチベーションみたいになるところはあるんですよね。
発信するっていう、喋ることなんですね。
なかなかやっぱり、この一人喋りで続けるっていうのは、
やる気にならない時もあるし、
本当にやる必要あるかなと思う時もあるんだけれど、
いつかね、見知らぬ他人が聞くよりも、
自分の子供とか家族が聞くっていう風に考えた方が、
よりね、あれですよね。
他にもさっきネットの記事を見てたら、
東洋経済新聞か何かの記事で、
本のなんか抜粋だったと思うんですけど、
その人は何か商売をね、自分で始めて、
それもその遊戯本サービスみたいなことで、
それは多分ね、ビデオレターとか代行して取ってあげるみたいなね、
サービス。
ちょっとすみません、ちゃんと読んでないんで、
確かそんなことを書いてあったと思うんですが、
でもこうやってね、僕みたいに自発的に音声配信をね、
継続的に取る人っていうのは、
多分ちょっとね、おかしな人っていうか、
少数派ではあると思うから、
その遊戯本っていうね、明確な目的があるんだったら、
あれですよね、他者が干渉して、
ちゃんとお膳立てをして取ってあげるっていうのは、
商売としてありかなと思いましたよね。
しかも音声だったら結構楽だし、
でもあれですね、ちゃんとお金を払って頼むんだったら、
ビデオもついていた方がいいかもしれませんけど、
でもやっぱりカメラがね、回るとなんとなく、
普通の人は緊張したりとか、うまく喋れなかったりするから、
すごい気の抜けたというか、
普段通りの喋り方をするのが、
本当はね、その遊戯本的にね、
遊戯本って別に、いわゆる遊戯本の役割じゃなくて、
その家族が亡くなった家族のことを思い出すっていう時の場合は、
自然体の方がね、よりいいんじゃないかと思いますよね。
だからそういう意味で言うと、
改めて腰を据えて、そういう録音とか録画をするっていうよりも、
日々の風景を収めておいて、家族写真みたいなものですね。
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それの音声版みたいなものを撮った方が、
後から見る時の温かみというか、思い出す感じは、
より自然になるなと思うんですよ。
それを商売にするのは割と難しいですよね。
要するに普段の会話を録音録画しておいて、
それをちゃんと撮っておくことを商売にするっていうのは、
それはあれですね、難しいというか。
ここで何を僕が言いたかったのかというと、いくつかあるんですが、
一つは家族に思い出を残すためのコンテンツとしては、
多分音声っていうのは一番伝えるべきものを伝えられるね、
適したコンテンツなんじゃないかと思っているっていうことと、
そのうちそうやって誰かが聞いてくれるんじゃないかって思っておくと、
あまりやる気のない、発信する気が起きない時でも、
ハードルが下がるんじゃないかっていうね。
そういうモチベーションが湧かない人にはあまり当てはまらないことかもしれませんけど、
ある種の言い訳的に、内容のない喋り話をしちゃったけど、
まあいいかって思う時の一つの方便にはなっているので、
それが他の人にお勧めできるわけでは全然ないんですけど、
たまにはそういう話をしてもいいんじゃないかと僕は思っているということでした。
はい。暑い日が続きますが、体に気をつけてお過ごしください。
ありがとうございました。
良い一日をお過ごしください。さようなら。
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