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この番組は、いろんな意味でマイノリティ、30代内向人間の仕事や学びの感動、もやもやを、重大無人に発信していきます。
そんな横軸、縦軸の広がりから、聞いてくださった方々の脳みそに奥行きを開放させていけたら嬉しい、そんないるだうなコンテンツです。
はい、ということで、週末放送…今回3連休なので、ちょっと週末だということで、許していただければと思いますね。
許してない人っていないと思うんですけど、なんか声があれですね、なんか久しぶりに出した気がするので、ちょっと枯れてるかもしれませんが、
たぶんこの放送中に直っていけばいいかな。
なんか、そうですね、なんか、あれが、なんていうんだっけ、ハスキーじゃなくて、
ウィスパー身勝ちなんかちょっと増しちゃった気がしますね。なんかいいとこ、いいとこに、なんか声が絡んでる気がします。
はい、ということでですね、お便りが1個来ているので、紹介させていただきたいと思います。
これはですね、たぶん前回ぐらいの、第28回、結構前ですね、全然前回どころじゃなかった。
9月22日に投稿した、第28回、男らしさと向き合った単発眼鏡、二眼で語る日をなさっていう回にいただいた回です。
奥行きネームが、マサイヌさんです。
マサイヌさんはですね、僕は読書界でしている方で、
最近はリビアコンラジオでもコーナーがあって、今日のマサイヌさんっていうところがあるので、興味のある方は、
あ、てかこれ、先に、あれじゃなくて、ちょっと後でそちらの話はします。
ご意見ご感想ということで、
私の単発眼鏡は、26歳くらいの時です。
心も体も貧弱で、いじけたばかりの人生。
せめて見た目だけは爽やかにイケている、イケイケ本音に近づけねばと思い、単発にしました。
爽やかに仕上がったものの、イジイジした自分を、外見でごまかしている気がして、10年以上経った今でも、髪を切りに行くたびに落ち着きません。
自信なんかなくても、無理やり私爽やかですって顔して生きております。
はい、ということで、マサイヌさんありがとうございました。
まさに僕が求めていたじゃないですけど、この単発眼鏡みたいなところで、
自分もね、そういう男らしさっていうと、何か画意的かもしれませんが、
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今ある自分像みたいなからの脱却みたいなところを求めてやっていたっていうところだと、同じようなところかなと思います。
そうですね、爽やかに仕上がったと。
自分の中で一層になったみたいな外見。もともと多分その美容アフターで、
アフターとして思い描いていたものからはそんな遠くはなかったけれども、
その外見でごまかしている気がして、10年以上経った今でも、髪を切りに行くたびに落ち着きません。
っていうのは、10年以上経っても、なかなか解消されないっていうのはこともあるんですね。
もう毎回、仕上がりとかって全く同じにならないだろうし、
僕もどっちかっていうと毎回何かした変化を入れたいなって。
毎回やる毎回ちょっと実験的に、前回こうだったからこうかなみたいな、
少なくとも直近の回よりかはちょっと変えたりとかしたいなって思う。
周りが気づかないレベルだと思いますけど。
でも結局髪伸びるから、その時は確かに違和感があっても、ちょっと経ってみたら慣れてきたりとか、
逆にちょっと経ったらまとめ切らないとなとか、
何で前回こんなに切っちゃったんだろうとか思うこともなくはないですけど、
ある意味、僕この前測ったら2日で1ミリ伸びてたんですね。
だから1日0.5ミリぐらいだから、だいたいだから20日間ぐらいで1センチ伸びるんですね。
1センチほど伸びると結構単髪っていうところからと結構印象変わるんで、
特に単髪にする限りは、
印象って結構日に日に週替わりぐらい変わっていくのかなと思いますね。
でも最終的に政井のさんのご意見としては、
自信なんかなくても、無理やり私爽やかですって顔して生きておりますってところで、
ここは素晴らしいなと思いますというか、
結局自信とかって正直ない人の方が多いというか、
特に根拠のある自信みたいなところ。
結構自信って自分だけでつけられるものじゃないと思うんで、
なおさら難しいと思うんですけど願ってできるみたいなところは。
でも自信なんかなくても自信がある風というか、
爽やか風に過ごすってことは多分誰でもいつでもできると思うのでやろうと思えばね。
だからそこを許されているっていうところでは、
多分当初はそれが難しかったりしたのかもしれませんが、
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その頃に比べると多分ご自身でも納得できているというか、
人生長みたいなものを実感できているところがあるんじゃないかなと思います。
結構多分こういうご意見の方多いんじゃないかなと思うので、
何か聞いてくださった方の中でも共感があるんじゃないでしょうか。
僕はあまり皆さんに共感を求められるような、
共感していただけるようなエピソードを出せることって少ない気がするので、
こういうお便りをいただけるのはありがたいですね。
マサイヌさんありがとうございました。
ということでマサイヌさんは今日のマサイヌというコーナーを、
リベコンラジオの中で、あれは定期コーナーなんでしょうか。
少なくとも1ヶ月ぐらい続いていると思うんですけど、
されているので、特に最近の回ですね。
マサイヌさんに興味を持たれた方は聞いてみてください。
こんな宣伝というか、求めてマサイヌさん送ってくれないと思うんですけど。
嫌だったらどうしようと思う。
オープンにされていることなので、いいということにします。
マサイヌさんありがとうございました。
ということでですね。
私冒頭にも言ったんですけど、本当は土曜に更新するつもりだったんですけど、
日曜にやろうと思って、結局月曜になっちゃったんですって。
しかも夕方になっちゃったんですけど。
なんで遅れてるっていうか、
本とかも読もうと思ってたのができてないし、
仕事も3年休中中やらないとって思ってたので、
ほぼできてないし、
なんかいろいろ遅れてるんですよね。
ジムとかもちょっと足が遠のいっちゃってるところがあるし。
その原因はね、なんでかっていうと、
意外かもしれないんですけど、完璧主義なところがあって、
完璧主義のくせにできてねえじゃんっていう、
だから完璧主義じゃないんじゃないのっていうのもあるんですけど、
なんか一定の自分として納得いくものをやりたいっていう気持ちが、
なんかね、できてないときこそ働いちゃうんですよね。
なんかうまくいってるときは、
フットワーク軽く、はいこれ、次やって、はい次、はい次ってできるんですけど、
なんか一回ハマっちゃうとそれが難しくって、
それで一個バランスが崩れると全体的に崩れるんですよね。
だからね、なんかすごい派手な日を一日入れたいとかしても、
結構そういうこと起こっちゃうから、
本当にそれこそ毎日平坦にいきたいっていうのが本当に僕の理想なんですけども、
でもね、今振り返ってみても、
そういうふうに生きている元気なときにさえ、
完璧主義なんて別にできてないんで、
だからその完璧主義っていうこと自体が間違ってるというか、
自分には向いてないと思うんですけど、
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でもこういうときにこそやれてないっていう、
今やってもどうせこういうことになっちゃうしみたいなことで、
結局そういうふうなスパイラルなんですよね。
でも、そんなのをね、いつから考えるようになったかっていうと、
たぶんある程度大きくなってからですよね。
子供の頃って全然そんなこと考えなかったし、
その完璧主義とか、
何かクオリティ用とか言うほど、
一つのことをずっとやってなかったというか、
ハマってるものとかあったけど、
そんなこと考えないぐらい目移りして、
いい目移りというか、
いろいろチャレンジしていくっていうのができてたと思うんですけど、
今もそういうふうにできるのが理想ですよね。
結局はアウトプットが自分に残るものになるんで。
最近大学の授業もだんだんと始まってきたりとかあったんですけど、
そもそも大学に入ったのも何でかっていうと、
そういう完璧とか、
完璧じゃなくても利益とか、
役に立つとか、
そういうのを追求する社会の風潮が嫌だったから、
だからこそ仕事に役に立たない分野でやってみようと思ったんですけど、
そこでちょっと取り上げたいテーマとして、
不便役っていう言葉を皆さんはご存知でしょうか。
川上博史先生という方が提唱されていて、
日本語の不便役っていうのは川上先生ですね。
不便役研究所っていうのもサイトとかもやられてるんですけど、
不便役ってどういうことかっていうと、
不便だけど便役があるっていうようなことですね。
例えば山登りとか、
例えばその特定の高さまで登るってあれだったら、
エレベーターとか使えばいいけど、
そうじゃなくてゆっくり山の景色とかを見ながら、
自分の足で時間をかけて登っていくっていうことに、
何らかの豊かさがあるよねとか、
あとは手書き文字とかも入るらしいです。
ゆっくり書くことによって思考が整理されるとか、
記憶に定着するとか本当かどうかわかんないですけど。
あとは思うのは、
映画作品の小説をあえて読むとかね、
結末知ってるけど、
結末知らなくても、
自分はこの作品見たいけど小説で読もうとか、
小説の方がもちろん情報量とか多いし、
描かれてない、
映像では描かれてない部分が描かれてないとかね、
でもその分時間はかかります。
あとはそういうのも含め、
情報のまとめサイトとかもそうですよね。
結局その詳細部分はカットされてしまうっていうところ。
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時短的にはすごく便利だし、
その分いろいろ他のことがやれるようになるっていうのはあると思うんですけど、
だから今あるものを使わないっていう、
今あるメリットのあるものを使わないっていう意味では、
ある意味制限があることかなと思うんですけど、
マッチングアプリとかはね、
そもそも距離とかの制限があるとか、
時間とかの制限があるっていうのを、
もっと便利にしたものだと思うんですけど、
それが普通になると、
利益とさえ思えなくなってしまうっていうのはあるんかなと思いますね。
もともとは掲示板とかで画像を1個交換するでも、
すごいラリーがあったりとか、
やってみても、
今はSNS連動とかしてるから、
どういう人かって分かってるんですけど、
そういうのも服装とかも分からなかったりとかして、
芸みたいなのもいい思い出かもしれないですけど、
それもひとつひとつ丁寧にやってた、
向き合ってたっていうこととも言えるのかな、みたいな。
ただ考えたいところとしては、
便宜っていうところはやっぱり、
評価軸があって、
何らかの軸で評価をしてるってことですね。
だからそこに対して、
効果が高い低いみたいなのが言えると思うんですけど、
それに対して評価できてしまうっていう話ですよね。
ただ不便さみたいなことに関しては、
もともと不便なんで評価が低いわけだから、
ケチが逆につけられないし、
便利さってある程度確率的なものになってしまうと思うんですよね。
ある程度クオリティが高くなってしまうと。
けど不便さみたいなところは、
ある意味多様であるというか、
制限があることによる、
別のベクトルの制限の無さみたいなのが出てくるのかな。
でも難しいのが、
結局突き詰めると不便気を享受するみたいなことが、
例えば目的化してしまうと、
それで結局メリットを追ってることになっちゃうから、
そこの見極めは必要かなと思いますけどね。
僕のもともとの、
バランスを失っちゃいがちだっていうところの、
完璧主義みたいなのに戻ると、
完璧主義とか何らかのクオリティが、
そういったのを置いて、
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今やりたくて、必要で、
これを今するっていうか、
成したいなっていうことを淡々とやっていくっていうところは、
必要なことだし、
精神的にも気持ち的にも身体的にも、
多分合理的なんじゃないかなという感じですね。
だから何とも言いますけど、
理想はメリットとかを考えなかった、
子供時代のように日々を、
夏休みのように暮らしていけるのが、
自分の中の理想の生活なんですよね。
子供じゃなくて猫とかでもいいけど、
自由気ままな感じっていうところを切り取ると、
猫でもいいかなっていう感じですけど、
そういう感じに生きれたらいいですね。
しかも毎回どうせ完璧にできてないってところにつながりますけど、
毎回反省はあるんですよ。
言いたいことの結局やっぱり通文しか言えないし、
結局一発で取るから、
言い漏らしたこととか結構あるんですね。
直前に考えてメモまでしてたけど、
でも言ってなかったなとか。
そういうの毎回あるんでし、
でも別に一回きりで一生言えないってわけでもないから、
別に次もあるんで、
次の回が言えなかったら、
その回で言えなかったら次の回で保管していくとか、
そう続けていければ良いだけじゃないかなと思いますが。
この後も仕事をしなきゃいけないんで、
気持ち的には休日なのにやりたいこともあるのにっていうのもあるけど、
それはちょっと義務としてやらなきゃいけないことなので、
気持ちを切り替えて、
気持ちを切り替えるほどでもないかもしれませんが、
このようにしゃあねえかっていう感じでやってやりたいと思います。
結局自分のせいっていうことなんですけど、
皆さんも気持ちが前に進めないみたいな時はあるかもしれませんが、
結局やらなきゃいけないんだけど、
なんでやれないんだっけみたいなところを振り返ってみたりすると、
別にそうじゃなくてもいいんじゃないっていう自分、
もう一人の自分が優しくしてくれたり、
他の方がもしかしたら優しい声とかかけてくるかもしれないので、
よかったらそういう感じで振り返ってみてください。
毎回こんなこと言わないのに。
ということで今回は不明域っていうものをテーマに話してみました。
ではありがとうございました。バイバイ。