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2024-12-20 16:05

これからの時代に必要な「訂正する力」。自分の間違いを認めて訂正するできますか?


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こんにちは、いわみです。
12月20日の金曜日、いかがお過ごしでしょうか。
今年もあと10日で2024年が終わるっていうのは、なんかびっくりしちゃいますけど早いですね。
あと10日、風邪などひかずに、インフルエンザとかね、流行ってるみたいですから気をつけていきましょう。
クリスマス、なんか皆さん考えてますかね。
うちは家族で食事をするぐらいですけど、この年末ってやっぱりその、なんていうか、胃腸が持たれるイベントが結構ね、立て込んでるんで、
どっか一箇所ぐらいね、クリスマスぐらいサボったっていいんじゃないかなという気はしますけど、
とはいってもね、お酒とか飲みたくなっちゃうんで、適度にやっていこうかなと思います。
今日は、これからの時代はね、間違いを認めて訂正する力っていうのはね、大事になるんじゃないかなと思ったっていう話をします。
これはね、なぜそう思ったのかっていうと、わかりやすくてですね、本を読んだんですよ。
何の本かというと、その名の通り、訂正する力っていうですね、
あずまひろきさんが書いた、これは朝日新書から出てる新書なんですけど、最近の本だと思いますが、今読んでるんですよ。
まだ全部読み終わってないんですけど、2023年10月に出てるから、ちょうど1年ぐらい前の本ですね。
これね、すごく興味深いというか、今読んどいてよかったなと思った本なので、気になったポイントを、自分の頭をまとめがてら紹介してみたいと思います。
タイトルの通り、この本はですね、訂正する力っていうことについて、それをテーマに書いてある本なんですけど、
訂正する力とは何だっていうことはですね、このはじめにに書いてあることを、そのまま読んじゃうと一番わかりやすいかなと思うんで、
あいつまんで読んでみると、日本にはまさにこの変化、訂正を嫌う文化があります。
政治家は謝りません。官僚も間違いを認めません。一度決めた計画は変更しません。
特にネットではこの傾向が顕著です。
かつての自分の意見とわずかでも異なる意見を述べると、以前の発言と矛盾すると指摘されて、集中放火を浴びて炎上する、そういう事件が日常的に起きています。
そのような状況を根底から変える必要があります。
そのための第一歩として必要なのは、間違いを認めて改めるという訂正する力を読むことです。
間違いを認めて訂正するというのは、いろいろな大きさの尺度で言えると思いますが、
僕はこの本を読んで訂正する力が自分にあるかなと思ったら、結構あるなと思ったんですよ。
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例えば、僕は20代くらいのときに書いた本を読んだ時に、
結局うまくいかなくて、辞めて地元に戻ったりとか、いろんな会社員に会ったりとか、
いろいろな人に会ったりとか、いろいろな人に会ったりとか、
そういった状況があった時期があるんですけど、
その時期があって、僕は自分の中で何をしているのかというと、
自分の中で何をしているのかというと、
結局うまくいかなくて、辞めて地元に戻ったりとか、いろんな会社員に会ったりとかして今に至るわけですけど、
これを間違いというか、ある意味間違いじゃないですか。
ある意味じゃなくて、普通に完全なつまずきと言ってもいいんですけど、
これをどう捉えるかということですよね。
ここに訂正する力というのが、ここに当てはめてみるとどういうことかというと、
20代を結構無駄に過ごしたかもしれないけど、
でもここの経験で得たものというのは、10年くらい時間を置いて、
結構今生きているなと思うから、長い目で見たら間違いじゃなかったと思っています。
これ僕の本心なんですよ。
これはまさに訂正する力じゃないかなって僕は思っています。
分かりやすくすると、これを訂正しない人だったらどうなるかというと、
多分二通りの訂正しなさがあると思うんですけど、
一つは完全にもう間違っていたというですね、
いいとこは一個もなかったというふうに落ち込んじゃうパターン、
そのまま落ちていくパターンと、もう一個は間違ってすらいなかった、
これがこのルートが俺が考えていたルートなんだと、
強引に押し通すやり方というか、
極端ですけど、その二つがあったとして、
僕が取っているのはその中間くらい。
最初はちょっと落ち込んだけど、今となっては良かったというか、
これを良くするために今の自分がありますよということになると思うんですよ。
それでこれを訂正する力だと僕はね、
僕の中での訂正だとすると、
訂正と修正の違いみたいなのがこの本に書いてあって、
似ている言葉ですけど、訂正と修正ってね、
修正ってあんまり良いイメージがないというか、
これも本に書いてあったんですけど、歴史修正主義みたいな言葉をね、
これはすごくイメージが悪い言葉ですよね。
戦争とか、日本で言ったら南京の大虐殺とか、
あと中国の天安門事件とかをなかったというか、
歴史を塗り替えてしまうというのが修正主義ですけど、
訂正というのは違うんですよね。
あったことはあったという認めて、
それも間違いだったかもしれないという認めつつ、
それです。
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訂正しながら先に進むというね。
修正と訂正というのは似ているようだけど、
全然やっていることが違うんだという話ですよね。
この読んでいる本の訂正する力という、
はずまひろきさんの、基本的にはこれね、
日本に今訂正する力が必要だということなんですけど、
国の訂正する力って何かということで、
最初の方にヨーロッパのしたたかさという話があるんですよ。
したたかさ。
ヨーロッパはすごく訂正が上手だというね、
したたかだということが書いてあって、
例えば、この本で書いてあるのは、
結構ヨーロッパとかアメリカとか、
ルールを変更するけど、
しれっとやってくるというイメージが結構ありましたよね。
僕スポーツとかあまり詳しくないですけど、
オリンピックとかの競技で、
日本とか別の国がヨーロッパより強くなってくると、
そのルールをヨーロッパよりに結構変更してくるみたいな話。
これはあんまりフェアじゃないあれかもしれないけど、
その時彼ら、ヨーロッパ人的な視点でいうと、
ちゃんと理屈があるんですよね。
これこれこういう理由で、
このスポーツがもっと純粋になるためには、
こういうルール変更した方がいい。
言い訳というか、主張をするわけですけど、
結局それ自分が有利になるように変更しているだけじゃないかって、
周りが思うことはあっても、いわゆるそうじゃないんだって言うんですね。
多分それ本人は本気で思っている部分は結構多いと思うんですけど、
このズルが濃さというか、したたかさというか、
そういうのは見習った方がいいなと思う面はあるんですよね。
この本にも書いてあるのは、
原発を少し前までは脱原発と言っていたドイツが、
でもやっぱりウクライナ戦争とかでエネルギーが足りなくなってくると、
やっぱり原発と石炭火力も必要だと言い出しているらしいんですけど、
これもやっぱりドイツは、
必要に応じて、状況に応じて今までのやり方を変えるっていうね、
それをだからいかにスムーズにやるかみたいなことだと思うんですけど、
日本って多分それ苦手そうですよね。
日本人というか、日本の政治というかね、
政治家が苦手な感じがしますけど、
でも本によると、
日本は昔は帝政は得意だって言ってたんですけど、
明治とかそのくらいの日本は結構上手に帝政をしてきた。
特に戦後になってから硬直して帝政できなくなったっていう、
一回決めたことを帝政できないし、
だからこそあんまり思い切ったことができないみたいなことって、
多分そっちの方が問題だと思うんですよ。
前言を撤回すると、
みんなに責められるというか、
結局それでね、自利品になってどんどん貧しくなっていくみたいなのは、
結構いろんなところで言われていることだと思いますけど、
その帝政というのをもっと日常的な言葉に置き換えて、
実は〜だったっていうね、
実は〜だったっていうのは、
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すごい便利な言葉というか、
これをもっと、
日本の人たちに、
日本の人たちに、
日本の人たちに、
何々だったっていうのは、
すごい便利な言葉というか、
これを応用すれば、
いろんなことが帝政できますよね。
例えばさっきの僕の例で言うと、
経済的には、
ちょっと一回間違った道を行くけど、
実はその時の経験が今になって、
花開いているっていうか、
生きているみたいなことを言えるじゃないですか。
これね、なんていうか、
言ってみるとわかりますけど、
一旦使えるんですよ。
一旦ガチっていうか、
これは別に、
間違いだったって言うか言わないかはね、
結局どっちでもいいというか、
間違いを訂正するって、
抵抗がある人いると思うんですけど、
それだったらね、
僕は別に間違いってね、
認めなくてもね、
一旦いいんじゃないかなって、
本当は一回これは間違いだったけど、
でもこれこれこうしていくことで、
実は結局良かったんだよっていうことは言えるんだけど、
そこの間違いだったって言いたくないんだったら、
いやいやこれはそういうことじゃなくて、
こうなんだよって言って、
実際やっていることは、
完全な軌道修正なんだけど、
華麗なる方向転換なんだけど、
その理屈をね、
ちゃんと自分の中で咀嚼して言うっていう、
自分をね、
自分と周りを納得させる、
論理というか、
ロジックが作れたら、
訂正って結構簡単というか、
うまいことできる、
気がしますよね。
でもそう考えると、
なんで訂正できない人は、
ロジックの構築が苦手なのか、
そういう人もいるかもしれないけど、
口はベラベラ喋れるけど、
政治家とか、
でも訂正するのが苦手というか、
できない空気みたいなのがあるから、
これはだからロジックだけの問題じゃないのかもしれないけど、
いきなり問いかけてみますけど、
これを聞いている皆さんは、
自分の間違いを認めることはね、
できますかっていう、
聞いてみたいですよね。
別に答えなくてもいいんですけど、
個人のレベルから始めたほうが、
僕はいいと思っていて、
間違いを認めるっていうのは、
それは別に悪いことでも恥ずかしいことでもなくて、
みんなやってるんだって当たり前なんだよっていうことですよね。
例えば僕の世代とかでも、
これが苦手な人ね、
結構いるなと思うんですよ。
その間違いをね、異様に怖がるというか、
いますよね。
これ多分子供とかでも言う気がするな。
正解があると思っているから、
間違うことが恥ずかしいというか、
悪いことってなるけど、
例えば子供の勉強とかで言うと、
よく分かっていないで正解をかけることになるよりも、
いっぱい間違って、
間違いのパターンを学習して、
そこから正解する力を身につけたほうが、
学力って意味でも強いじゃないですか。
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僕はそう思うんですけど、
でもその考え方をね、
なかなか身につけるのは大変だよなとも思うんですよね。
この本には子供の教育みたいなの書いてなかったけど、
子育てとか教育にも有効な話かもしれないですね。
この訂正する力っていうのは。
とりあえずその問題を自分の頭でやってみて、
間違えますよね。
そこからスタートというか、
これは間違って、
だから間違っているっていう言葉がもしかしたら
良くないのかもしれないけど、
そういう考え方もあるけど、
こういう考え方もあって、
一般的に言うとこっちのが正解となりますよぐらいのね。
でもそれって結構ややこしいから
子供には多分理解できないかもしれないし、
間違いが認められないその土壌というか、
国民性を作っているのは大人ですよね。
子供がもし間違いを怖がる体質があるんだとしたら、
それは子供とか別に教育のせいというよりも
大人のせいですよね。
さらに言うと別に大人には、
お父さんの上にはおじいちゃんがいて、
その前もあるから、
だからもっと大きなことで言うと別に個人の問題じゃなくて、
風土の問題ね。
日本に暮らしていると基本的にはもう間違いが認められなくなるというか、
間違いを怖がるように、
この国ができているんだよということですよね。
この構造というか、
この仕組みを一回認識しないと、
それを解体して直していけないと思うので、
ここでもいい。
訂正というか、
一回その間違いというか、
僕らはすごい間違いを怖がる国民性があって、
例外は別にあんまりいなくて、
僕も訂正するの得意って、
一回その間違いというか、
僕らはすごい間違いを怖がる国民性があって、
例外は別にあんまりいなくて、
僕も訂正するの得意って言ったかもしれないけど、
やっぱり日本人的なところはすごくあるし、
間違うと恥ずかしいと思うことも今でもあるから、
それを一回受け入れるところから始まるんじゃないかなと思ったりしました。
訂正するという行為は、
結構みんな日常的に小さいレベルではやっているわけで、
その一番小さい単位で言うと、
運動とか、手を伸ばして何かを取るとか、
そういう認知とかでも、
多分細かい訂正みたいなのが無数に行われていますよね。
これ試行錯誤みたいなもんですけど、
訂正する力というのは、
目を逸らすことじゃなくて、
再解釈する、現実を直視する力。
AIとかChatGPTみたいな、
生成AIには訂正ができない、
もちろん今言っていたことは間違いでした。
そういう訂正はできない。
ここで言う、この本で書いてある訂正というのは、
もっと身体的というか、
細かい連続的な訂正のことを言っていると思うんですよ。
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その実は何々だった、
例えば人間関係とかで言うと、
あの人ちょっと嫌な人だと思ったけど、
よくよく話してみたら、
そんなに悪いやつじゃなかったということは、
誰しも経験があると思うんですけど、
それが訂正、イメージというか、
印象を訂正しながらやっていく。
これってすごく身体的な力だし、
だからこそ今からの時代に、
訂正する力というのは必要だと思うし、
いつでも必要だと思うんだけど、
特に言語化して訂正する力というお題も与えられて、
ラベルを付けてそれを認識することで、
意識できるようになるから、
目を逸らすんじゃなくて、
機動修正をするんだというのを
いろいろ応用していくと、
結構楽に生きれるようになるんじゃないかなと思いました。
今日は終わりにします。
ありがとうございました。
良い一日をお過ごしください。
さようなら。
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