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こんにちは、いわみです。11月19日の日曜日。時刻は3時前ですね。
今日は日曜日なんですけど、今時刻を読み上げて気づきましたけど、平日僕が音声配信をやるときの時間とほぼ同じだなって。
図書館に行ってきたんですけど、大きな図書館があるんですよ。
作業スペースとか、静かな部屋とか、会議室とか、いろいろ設備がある立派な図書館なんですけど、一人だし。
ちょっと作業してこようかなと思って行ったらですね、日曜日に行ったのは初めてだったんですけど、めちゃめちゃ混んでましたね。
ほぼ高校生なのか大学生なのか、あれ多分高校生ですかね。受験勉強でもしてるのかわかりませんけど、いっぱいいましたね。
平日はすげえ空いてるんですけど、土曜日にあんなとこ使う人いないだろうと思ったら、高知の高校生はなのか、高校生というのはそんなものなのか。
家で勉強したくないんでしょうね。その気持ちはわからなくはないけど。
学生時代全然不真面目な学生だったので、ろくに勉強とかしてなかったんですけど、そのせいなのか図書館で勉強したってことが一回も記憶にないですね。
大人になってからですね、図書館でそういう勉強というか作業をするようになったのは。
仕事をするようになってから家族のいないところで集中して仕事がしたいなっていうときに、カフェみたいな感じで使ってるっていう。
カフェとはちょっと違いますけど、そういう使い方をし始めて使ったわけで。
でもよく考えたら図書館っていうのはお金もかからないし、静かだし、本もあるし、本来はそういう未成年というか学生さんたちが使うべき場所なんですけど、
そこに混じって僕みたいなおっさんもガタガタやってるっていう。
でもそういう人もいますよね。どのくらいかな、1,2割は大人でしたね。
音声配信の、急に話は変わりますけど、ボイシーとか音声配信のBroadcastとかが切り開く新しい未来みたいな話をですね、考えてみようと思いまして。
なんでそんなことを思ったのかというとですね、ちょっと前にボイシーフェスってあったと思うんですよ。
ボイシーの対談イベントみたいな、たぶん3日間くらいかけて有料でやるやつですけど、今回は買わなかったんだけど、うちの妻がチケットを購入して聞いてたんですよね。
これすごい面白いよって言われたから、妻のスマホをですね、僕のワイヤレスイヤホンに流し込んでですね、一個聞かせてもらったやつがあって、
それがボイシーの社長の尾形さんと、あたかかずひろさんかな、かずひこさん、わかんないけど、
イシューから始めようとか、それを書いている、あの人は何なんでしょう、学者というか研究家というか、そういう文化人みたいな人が喋っている話が、あれ面白かったですね。
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その中で、あたかさんが言ってたことだと思うんですけど、世の中にはですね、ディスレクシアって文字が独語障害って言いますけど、そういう人が割と一定数いて、
そういう人たちのインプットを効率よくするために、本の代わりに音声配信というのはすごい良いみたいな話をしてたんですよね。
独語障害っていうキーワードは僕はあんまり考えなかったけど、それは絶対耳から入った方が音声が取りやすいっていうのは間違いなくあるなって思って、
多分人によって目から入る情報と耳から入る情報、どっちが向いているかというと特性があるらしいんですよね。
聞き手とかみたいに、目なのか耳なのかって、僕はどっちかなって結構曖昧なところがありますけど、
テキスト情報で情報をインプットするのと、こうやってラジオとかポッドキャストみたいに耳から情報をインプットするのと、
どっちが効率が良いというか定着しやすいかって、こういうのを聞いている人だからかもしれないですけど、
ポッドキャストとか聞いている人はね、耳優位の人が多いんじゃないかなと。僕もどっちかっていうと耳ですよね。
でもそもそもの話、目か耳かどっちかが偏っているのかという問題もありますよね。
情報によっては目から入った方が必ず良いようなものもあったりするし、
例えば図が入っているやつとか、文字で入った方が、文字で分かった方が理解しやすいものっていう。
一方で耳から入った方がストーリーとかアウトラインみたいなのは入ってきやすい。
ストーリーにもよるし、情報の種類にもよるっていうのは、それが本質なんじゃないかなと。
僕も一回ね、20歳ぐらいの時に、もしかしたら僕は文字情報に向いていないんじゃないかって思ったことがそういえばあるなと思っていて、
なんか小説とかを読んでいても全然頭に入ってこないなっていう時があったんですよね。
経験値が足りなかったというか、多分文字を読んでいる絶対優が慣れていなかったんでしょうね。
あんまり学生の時って本読まなかった。僕、本を読み出したのも多分あれですね。
20歳超えて、もしくはその20歳前後ぐらいから自分から本を読みに行ったっていう。
だから全部、学校を卒業した後でそういうことで勉強を始めたっていう人間ですけど、
そういう人は割と多いんじゃないかなと思っていたりしますが。
それと同じボイシーのあたかさんの話で、才能とかそういう能力っていうのは別に人によって違うっていうのじゃなくて、
単に思考回数の差だみたいな話もしててですね。
それもなるほどなっていうか、分かるなって思ったんですよね。
それで確かの尾形さんが、関西人のツッコミが鋭いというかお笑いのセンスがあるのは、
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体質か文化というよりもそれは単なる思考回数の差ってそれも同じことじゃないかみたいな話をしてたんですよね。
それすごい分かりやすい例えだなと。
関西の人ってツッコミとかボケとかお笑いの素養みたいのがあるって言われますよね。
僕の親戚も京都とかですけど、じいちゃんばあちゃんとかおじさんとかいるんで、
この間も会いましたけどたまに会うと、やっぱりなんでしょうね、
喋り方というか関西弁だからっていうだけじゃなくて、
ちょっとツッコミが入りますよね、必ず。
ちょっとボケるというかツッコムというか、
普通のコミュニケーションにそういったお笑い的な要素があるっていう。
僕ね、それってすごく豊かなことがあって、最近は思ってたりするんですけど、
そういうのも血にそういうのが入ってるわけじゃなくて、
やっぱり環境というか、環境というのはどういうことかというと、
思考回数っていうことでもありますよね。
つまりテレビで吉本新喜劇やっていたりとか、
みんながそういうのを当たり前に触れていると会話にも出てくるだろうし、
何よりその家族とか友達のコミュニケーションで、
普段からそういうボケツッコミみたいのがあると、
勝手に触れてるから考えるわけで、
そうすると勝手に経験値が上がって、
センスというよりもただの環境。
今関西人の話をしてて思ったんですけど、
そういえば音声配信とかをポッドキャストに、
あんまり関西弁って聞かないなって思ったんですけど、
これは何でなんでしょうね。
僕がそういう人を聞いてないだけなのか、
関東弁というか標準語というか、
東京弁のあれですよね、
普通の鉛のない言葉で喋ってる人が割と多い気がするんですけど、
やっぱりあれですかね、
一般的な不特定達成に聞かれるものだと、
本当は関西弁なんだけど、
もしくは鉛があるんだけど、
それを矯正して普通に喋ってるっていうことなんですかね。
別にお笑いの番組じゃなくて、
普段あたりのポッドキャストみたいなのでも、
関西弁があっても良さそうなもんだなと思ったけど、
そういえばそういう話を、
そういう放送を僕は聞いたことがないなって。
別の観点から見ると、
まだそこまでポッドキャストみたいなのが、
一般的に普及する前だからかもしれないですよね。
普通の世間話みたいなものが、
ポッドキャストとかで、
スタンドFMとかでガンガン流れて、
多分もう流れてるのかもしれないですけど、
僕はそういうのをあまり、
最近の新しいのを発掘するモチベーションが今はないので、
聞いてないだけかもしれませんが、
検索機能とかAIの能力が上がって、
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ポッドキャストの情報も全部テキストに変えられて、
それは検索可能になったら、
やっぱりかなりある意味で、
情報は爆発的に広がるけど、
ある意味で結構それはプライバシーが全くないっていうか、
何でも検索できてしまうかもしれないっていうね。
それはならないような方向に進んでいるのか、
正義をしないとそうなっちゃいますよね。
ただブログに書くものは検索されたくて書くわけですけど、
音声配信は別に検索されたくてしゃべるわけじゃないじゃないですか。
タイトルとかタグとかそういうのはキーワードを載せてしゃべる人はいるかもしれませんけど、
しゃべってる内容を検索されたら結構あれですよね。
嫌だなって思うかもしれないし。
でもこういうのも普通にそれが当たり前になっていくと、
そういう話題について語っている音声を全部一覧で検索できて、
その中から自分の好きなものを見つけるみたいな、
そういう時代は多分遠からず来るんじゃないかなっていう気はするんですが、
こういうことに関して考えだすと割と取り留めがなくなるので、
今日はこのぐらいにしておこうと思いますが、
最後に食べ物の話を簡単にしてみようと思いますが、
食べ物がおいしい国は戦争が弱いっていう話を何かで読んだことがあって、
イタリアとか食べ物がおいしい国ありますよね。
多分中国とかもそうだと思うんですけど、
そういう食べ物が何をしなくても幸せになれるような食べ物がおいしい国は、
国民性的に我慢強くなくなって、結果戦争に勝てないみたいな話を
誰かが言っていてですね、
なんかちょっと説得力があるなって思ったっていうことなんですけど、
逆にどこが強いかというとイギリスとかドイツっていうのは、
今は多分違うと思いますけど、
昔は食事がまずいっていう、
イギリスなんてちょっと前まで結構ひどいっていう噂を僕は聞いたことがありますけど、
そういうのあんのかなと思って、
そう考えるとですね、僕の住んでいる高地とか地区っていうのは、
食べ物がうまいんですよね。
普通にその辺に売っている果物とか野菜が関東基準で比べると新鮮だし、
本当にその辺で作っているやつっていうか地のものがすごい多いから、
魚にしても。
みかんが10個くらい入ってて300円くらいで売ってて、
そのみかんが関東とかで売っているね、500、600円のみかんよりうまい。
みかんのうまさなんて大したことじゃないかもしれないけど、
でもそういうのがいろんな食材で掘って安いと、
人間は我慢強くなくなるのかっていうのは、
ちょっと考えてみると面白い話だなって僕はふっと思ったので、
そんな話をしてみましたが、
別にこれを広げようというつもりは今のところないので、
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ただ投げかけてですね、
終わりにしようかなと思いました。
食べ物がおいしい国は戦争が弱いだとしたら、
四国とかそういう温かい国の人はっていうことなのか、
土壌の豊かな国は戦争が弱いのかっていったら、
でもなんかそんなこともない気がしますよね。
逆にみんな力があって強いのかなって。
もしかしたら昔の常識かもしれないですね。
今だと違うかもしれない。
むしろ今、情報的に強い人がそういう温かいとか環境的に優れた、
優れた豊かな場所に行けて、
寒すぎたり暑すぎたりするところに留まらなきゃいけないのは、
むしろ弱い方の立場の人かもしれないっていう話ですが、
ちょっとわけわかんなくなってきたので、
今日は終わりにしたいと思います。
また一週間が始まりますが、
豆油を入れてこようと思いますので、
皆さんもあったかくしてお過ごしください。
それでは聞いていただいてありがとうございました。
良い一週間をお過ごしください。
さよなら。