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こんにちは、いわみです。
6月7日の金曜日、いかがお過ごしでしょうか。
ようやく一週間がね、終わりますよね。
僕はあんまり関係ないですけど、でもやっぱり、家族が平日スケジュールで動いていると、何となくね、ホッとする感触はあります。
ネットで買い物をしたんですけど、Amazonとか楽天じゃなくて、初めて使うECサイトを使ったんですね。
中国のTEMU、小文字で4文字のサイトを初めて使ったんですね。
それで夏のサンダルを買ったんですけど、まだちゃんと履いてはないんですけど、ちょっと値段の割にこのものがすげえなっていうか、これはいい意味でね。
こんなちゃんとしたのが来るのかって、ちょっと衝撃を受けて、さっきツイッターにも投稿しちゃったんですけど、
最近でこの中華系のECサイトが割とクオリティが高いっていう、一部界隈で話題になっていて、
僕もちょっと並に乗ってみようと思ってね、初めて試したんですけど、確かにすごいなと思いました。
サンダルで2300円くらいだったらそんなに普通なのかもしれないけど、他のものね、スマホのケースとか、
あといろんな雑貨とかですね、本当に100円とか200円とかザラにあって、それもそんなに物が悪くないみたいな話を聞いているんで、
100均のなんかもっとバリエーションがあるような感じかもしれませんけど、ちょっとこの話はまたいずれ改めて考えてみたいんですが、
ちょっとこの中華系のECサイトやばいなって、これちょっとAmazonを食われるんじゃないかって僕は一瞬思ったので、その話をしてみました。
今日の話題は、AI時代に埋もれない尖った意見を育む方法というですね、そんな話をしてみたいと思います。
AI使っている方はもちろん多いと思いますけど、本当にどんどん進化して、さっきのECサイトじゃないけど、
本当にAIの進化はやばいなって思うんですよ。ちょっと声が少なくて申し訳ないんですけど、
本当にね、基本的な動作というか作業だったら、何でもこのAIでね、生成AIでできてしまうんで、
もう人間のやる仕事はどんどんなくなっていくっていうね、よく言われてますけど、僕もそれを感じているわけです。
それでじゃあ人間に何ができるのかって言ったら、人間にしかできないことはあるけど、そのほとんどは多分Macジョブというか、
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肉体労働的なことがね、機械、AIではできないことが多いから、そういうところに人が盛れるんだっていう話ですよね。
その一方でクリエイティブな一部の人だけが格差の上に行くみたいな、そんな二極化が起こるっていうふうに言われていますが、
そんなときにどういう考え方でいればいいのかっていうか、どういうふうに動けばいいのかっていうよりも、
もっと根本的な思考の問題というか考え方として、尖った意見っていうのね、尖ったっていうのは、
別の言い方をすると波ではない、多数派ではない意見を持つっていうのは、僕はすごくね、今まで以上に大事なことなのかなと最近思っているんですね。
これがそのAIとどう繋がるのかっていう話ですが、AIっていうのは生成AIね、チャットGPTとかを使うとわかりますけど、
基本的にはその無難なこと、無難な答えを完璧な言い方で隙のないというか、落台点ではない言い方で答える。
しかもそれがめちゃめちゃ量産できる、多分そこだと思うんですね、そのAIの強みっていうのは。
だから60点ぐらいのものだったら、もう無限にね、ほぼノーコストで作れるっていうのがAIのすごいところだと思うんですね。
だったらその70点80点のところをやるか、もしくはその60点を使いこなしていかに立ち回るかみたいなね、そういう話だと思うんですよ。
60点ぐらいの意見をね、普通の人間が持っててもそれはもう完全にAIに漏れてしまうというか、数がいっぱい作れない分ね、生身の人間だと時間とか肉体的な制限がある分、作れない分明らかに人間の方が不利なわけですよ。
その場合どうしたらいいのかっていうと、機械では、AIでは出せない価値というか意見というか、そういうのを出す必要があるわけですけど、そういうのを僕は尖った意見というふうに表現したんですね。
それでこのAIの時代に埋もれない尖った意見を育むというか育てる方法、3つあるなと思ったんですよ。
1つはね、まず最初にやることは、自分がつまらないっていう意見を言っていることに気づくことだと僕は思ったんですよ。
結構人はね、ちゃんと喋れたなって思うと自分の意見がすごい価値のあるものに思えてしまうことってあるんですよ。
それは半分ぐらい思い違いというかバイアスだと僕は思っていまして、自分の内側から出てきたものを人はやたら5割増しぐらいで愛する傾向があると思っていて、
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でもそれはそう感じているのは自分とかだけとか、少なくとも多くても自分の周りに身の回りにいる人だけが身内美意気みたいなことを知って評価してくれるかもしれないけど、
一般的に見たらですね、よくある意見ってことは間違いないと思うんですよ。
これはネット上とかを覗いてても、この人すごい楽しそうに喋っているなとか、すごい偉そうに喋っているなって思うことがあっても、言っている内容は普通だよなっていうことはよくあると思うんですよ。
これが多分自分の意見のつまらなさに気づいていない状態だと僕は思うんですね。
自分の意見のつまらなさに気づくためにはどうしたらいいかっていうことですけど、客観的に眺めるっていう方法もあるんですけど、もう一つ別の方法があると思っていて、
それがですね、話術と話している意見っていうのは別物だって考えるっていうことなんですよ。
これはどういうことかというと、一つの意見がね、例えば一行ぐらいで話せる意見があって、それをすごい話術が巧みな人は、
人を引きつける喋り方とか、声色とかアクセントとか、身振り手振りとか使ってうまく喋れる人は結構いると思うんですよ。
多分YouTuberなんてそういう人が多いと思うんですけど、それはそれで立派なスキルだし、人間のやるべきことだと思うんですけど、
でもその喋るスキルと、そこで喋られている意見っていうのは別物なんだと思った方がいいというか、それは間違いなくそうだと思うんですね。
例えばAとBという意見が人がいるとして、AさんとBさんとね、Aさんはすごいタドタドしいんだけど、喋り方もあんまり上手じゃないんだけど、
言っていることがすごく独創的で、誰も持っていない意見を持っている。
対してBさんは、意見としては別に対してありふれたことなんだけど、喋り方がうまくて、うちは受けというか、一部には受けるっていう。
その2人がいるとしたときに、どっちに将来性というか価値があるのかって考えると、僕は明らかにAさんだと思うんですね。
つまり、話し方はそんなにうまくないけど、持っている意見が尖っている独特な人ということです。
なぜAさんの方が尖った意見を持って、話術がそんなに巧みじゃない方が価値があるのかというとですね、
スキルというのは後付けで身につけられるし、今だと本当にテクノロジーを使ってですね、AIとかを使っていくらでも補強できるから、サポートできるからなんですよね。
意見というのは機械には作れないわけですから、そこの核の部分、エネルギー源の部分はやっぱり今のところ人間でないと作れないので、
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そこを意識して育てるというのは一番大事なことかなと思いました。
それで2番目なんですけど、自分が自分のつまらなさに気づいて、じゃあどうしたらいいのかということですけど、
一つ僕はあると思うのは、つまらない意見の言う人にあんまり会わないというか話さないというか、それ結構重要なことだと思うんですよね。
ありふれた意見にあまり立ち、近寄らないようにする。
難しいのは、このありふれた意見というのは時代とか状況によって変わるので、人によって意見はあるかもしれませんけど、
僕はメインストリームというのはあまり好きじゃなくて、メインストリームというのはよくある多数派の意見ということですけど、
そこに乗っかるのは楽だし気持ちいいことでもあるんですけど、そればっかりに触れているとやっぱり意見がすごく凡庸なものになるし、それは良くないなと思っています。
やっぱり人の意見とか考えることっていうのは、僕は環境から作られると思うんですね。
別に全然何もない内側から湧いてくるわけじゃなくて、日々触れている中でだんだんそこに溜まっていって、それが合わさってその人の考え方とか意見になると思うんですよ。
だからなるべくその凡庸な意見に触れないとか、自分がつまらないなって思う人には近寄らないっていうのは、難しいかもしれないけど、僕は大事だなと最近では、
もちろん無理をして尖った意見に飛びつく必要はないんですけど、なんとなくつまらないけどしょうがないから話を聞いているみたいな状態はなるべく作らない方が、自分の精神衛生上とか自分の意見を育むということから見ても大事だなと思うわけです。
今二つ言ったんですけど、三つ目は人から嫌われることを恐れないということです。
やっぱり少数派の意見を持っていると煙たがられたりとか、ちょっと邪見に扱われたりとか、もっと言うと罵声を浴びるではないけど、批判的な意見を喰らうことっていうのはあると思うんですよ。
その時にそれが嫌だから自分の意見を言わないってなると、なんかもったいないというか意味がないなと思っているんですね。
自分が好きで凡庸な意見を持って言っているんだったらいいけど、本当はそう思っていないのにこれを言ったら嫌われるかもなとか批判されるかもなって思ってそれを引っ込めていると、
もともと持っていたものがなくなってしまって、本当は好きじゃないんだけどっていうものにどんどん染まっていくっていうのはやっぱりもったいないというかつまらないことだと思うんですね。
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嫌われたりとか批判されることに恐れないためにはっていうのは、これは別に心持ちとかの問題じゃなくて、僕は環境の作り方だと思うんですよ。
もっと具体的に言うと尖った意見を言っても、少なくとも受け入れられる場所を一つ持っておくっていう。
僕の場合はこれは完全に家族なんですけど、家族がいる人は予想でどんだけ尖った意見を言っていっても家族は家族で別にそこにいますから、
帰れる場所というか落ち着ける場所があるとエネルギーを補給できるわけですよね。
そういう心理的安全性みたいなのが担保・確保されていないと、なかなかどんなに強い人だったとしても、その尖った意見を持ってそれを持ち続けるっていうのは難しいんじゃないかなと僕は思うんです。
例えば作家とか哲学者でもいいですけど、過去の偉人みたいな人いますよね。
だいたいそういう人のプライベートみたいなのを本とかで読んでみると、プライベートはすごく凡庸というか規則正しい生活をしていて、思考の部分だけで尖っていったっていう人が割と多いんですよ。
わかりやすい例で言うと、カントとかね。今にいるカントっていう有名な哲学者がいますけど、あの人なんかは毎日同じ時間に散歩をして、同じ時間にご飯を食べて、規則正しい生活をしながら、
試作というか考えに向けるところだけその時間を確保して、後世まで残る哲学を築き上げたっていうね。
カントを持ち出したのはね、僕も全然詳しいわけじゃないから読みかじりの知識ですけど、そこまで偉大な人を持ち出すべくだけではなくて、
普通に現代のクリエイターの人とかネットで発信している人でも、独創的な意見を持っている人っていうのは、実はね、生活自体はすごくシンプルで普通の人が多いなっていう印象が僕にはあるんですよ。
これは多分そんなに間違っていないというか、たぶん統計を取ったわけではないけど、そういう傾向はね、あると思います。
それに今僕ね、自分の意見が自信がなくて、わりともごもごした喋り方になりましたけど、これをね、もっと心理的な安全性を持っていると、別に間違っていてもですね、突っ走れるんですよ。
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たぶん意見が強い人っていうのは、自分の意見が間違っているかどうか微妙なラインでもかなり強気に出れるっていうね、そういう姿勢の人はわりと多いなと思っています。
例えば池早さんとかね、池早さんすげえなと思うのが、昨日だか今日のボイシーの配信でね、AIの話をしてたんですけど、なんかちょっと聞いたところによると、
今最近になってようやくね、その生成AIを使い始めたっていう、それまで全然使っていなかったっていうね、使い始めたと同時にですね、
AIを使っていない人はバカですってね、そんな話配信をしたんですよ。
これ人によってね、何言ってんだって思う人もいるかもしれませんけど、僕はちょっとこれをね、池早さんの配信を聞いてちょっと感心してしまったというか、すげえなって尖ってんなって思ってですね、ちょっと面白かったんですけど。
これは一つの例ですけど、合ってるか合ってないかとか、正しいか間違っているかみたいなところを迷っているときにですね、どんだけその飛び出せるかっていうね。
飛び出して怪我することもあるけど、怪我したときにそのね、すぐ戻れる場所があると、その簡単に飛び出しやすくなるっていうね。
これはもちろん比喩的なもんですから、道路とかね、横断歩道で飛び出したらすぐ引かれちゃいますけど、意見のね、出し方っていうところでは、僕はどんどんね、車がビュンビュン走っているところでもどんどん飛び出していっていいと思うんですよ。
別に意見が間違っていてもね、死なないですから、怪我もしないですから、ちょっと嫌な思いをしたりとかするかもしれないけど、それをね、恐れるか恐れないかっていう、そんなわけで3つ話しました。
AI時代に埋もれない尖った意見を育てる方法っていうのは3つあって、1つ目は自分の意見がつまらないってことにまず気づくっていうことですね。
それでその時に話すスキル、書くでもいいですけど、和術とかライティングスキルと意見っていうのは別物なんだということですね。
和術とかスキルっていうのはそれを伝えるためのテクニックであって、そこで何を伝えるかっていうのはまた別物だってことですね。
何を伝えるかってその中身の方が重要っていうことです。
2つ目はなるべくつまらない意見には触れない。
少なくとも自分があまり面白くないなとか気持ちよくないなってものにはなるべく近づかないようにする。
人間っていうのは基本的には環境から作られるので、触れているものに影響されるので、何を触ってどんな人と付き合うっていうのはよくよく考えた方がいいなと思います。
最後の3つ目は他人から嫌われたり批判されることを恐れないっていうことですね。
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嫌われることを恐れて自分の意見が言えなくなっていると、せっかく生まれてきた意見を閉じ込めて結局ないものにしてしまうので、それはもったいないと思います。
批判されたり嫌われたりすることを恐れないためには、心理的な安全性というか、安全が確保されている場所を持っておくっていうことは誰にとっても重要だと思います。
家族でもいいし、ペットでもいいし、趣味とかでもいいし、それは人によって違うと思いますけど、その自分の意見と関係ないですね、認めてもらえる場所とか、心が休められる場所っていうのを持っていると、
人はいざというときに飛び出せるというか、尖っていけるということを持っていますという、そんな話でした。
別に意見が凡庸だっていいじゃないかとか、尖った意見なんて必要ないじゃないかって思う人もいると思うんですけど、もちろんね、別に誰しもが人と違う意見を持ったりとか、尖った考え方をしている必要はないんですけど、
僕はそれだとつまらないなと思っているので、どうせだったら尖っていきたいというよりは、あんまり忖度したくないなっていう方が強いかもしれないですね。
3つ目に言ったような、これを言ったら嫌われるんじゃないかとか、これを言ったらいろんな人から批判されそうだなって思って動けないと、やっぱり考え方の柔軟さとか発想みたいなのがどんどん鈍っていくと思うので、
消極的な理由で飛び出すのを躊躇するような考え方では痛くないなと思っています。
本当の心の中では今のところゴブゴブだなって思っているような微妙なラインでも、Aと決めたらAで、Bと決めたらBでですね。
とりあえず言い切ってしまうことっていうのは、それは一つの尖った意見というか、自分の意見を明確にするための一つのやり方ですよね。
その時に間違っていたからといって、そんなに傷はないというか、別に誰かを傷つけるわけじゃないし、一番そのダメージがあるのは言っても自分の羞恥心とか、プライドみたいなところだと思うんですよ。
それさえ乗り越えられたらですね、とりあえず自分の意見を主張していくと、割と早めに前に進めるんじゃないかなと思います。
今日の話は以上です。ありがとうございました。良い一日をお過ごしください。さようなら。