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こんにちは、いわみです。
5月8日の木曜日、いかがお過ごしでしょうか。
今日はこの後もやることがあるので、いつも言ってますが、
今日の配信は短く、最初に宣言をして、10分くらいで収めてみようと思います。
いつも言ってる気がしますけど、短く収める方がやっぱり難しいんですよね。
だらだら喋ってしまいがちなので、喋りたいことを決めてキュッと喋る。
そんな中でも雑談をしてしまうんですけど、
まとめるときに最近チャットGPTを使ったりするんですけど、
それは良いんですが、最近チャットGPTが結構ちょっとうざったいなって思うことがあって、
何かというと、やたらと褒めてくるんですよね。
何か質問をするじゃないですか。
そうするとまず第一声が、とても素晴らしい質問ですねとか、鋭い質問ですねって、
必ずそれを入れてくるんですよね。
最初のうちは結構自分は鋭い質問をしているのかな、
良い気持ちにはならないけど気にしなかったわけですけど、
何を質問してもこの返答が出てくるってことに気づいてからですね、
結構鬱陶しくなってきた面があって、
オープンAIっていうチャットGPTの社長のサム・アルトマンさんもそれをどっかで言ってたんですよ。
だからそれは次のバージョンではこのめんどくささをなくすみたいなことを言っていたんですけど、
なるほどなって思いました。
使っている方は分かると思いますけど、
O3という方とGPT-4を使い分けているんですけど、
GPT-4の方がですね、早いんですね。
O3の方はすごい深い思考ができて、より高度な思考ができるAIなんですけど、
ちょっと返答に時間がかかるんで、
そんなに難しくないことを聞くだったらGPT-4でいいやと思って、
大体そのGPT-4を使っているんですけど、
GPT-4の方はやたら褒めてくるんで、ちょっとめんどくせえなと思っている、
今日この頃です。
ルーティーンの重要性
今日話してみたいことは、
ルーティーンをずらす必要性みたいなね、
そんな話をしてみたいと思います。
別のタイトルをつけるんだったら、ルーティーンに潜む罠というか、
ルーティーンの講座みたいなことですけど、
そもそも何の話かというと、
僕はですね、もともとルーティーンを結構大事にする方だったし、
個人になって、フリーランスになってから特にその傾向が強まったなって思っているんですけど、
起きる時間とか、食事の時間とか、大体生活パターンがですね、
生活パターンと仕事する時間みたいなのが、
大体一定になっているっていう。
そんなに別に、かっちり何時から何時まではこの時間って決めているわけじゃなくて、
なんとなく気分で何パターンかを使い分けているみたいなね、
その程度のあれなんですけど、
でも大体その生活パターンっていうのは基本的には同じなんですよ。
ルーティーンはね、やっぱり有効だなって思うところがいくつかあって、
例えばその、よく言われますけど、
意志力ね、その思考を決定するエネルギーが少なくて済むっていう、
毎回毎回新しいこととか決断をしていると、
それによってその思考力というか意志の決定力みたいなエネルギーをわざわざ消費して、
大事なところでエネルギーが足りなくなっちゃうみたいなことが起こるから、
それだったら日々の何を食べるとか、服を何を着るかみたいのを一定にしておくと、
それに決定するための意志力を使わないから節約になるっていうね、
そういう話ですよね。
ルーティーンをうまく使うことによって日々の仕事とか作業の安定感と、
長い目で見たときのその作業量が増えるっていうね、
多分そういうメリットがあるわけですよ。
ルーティーンを多用するのは僕だけじゃなくて、
個人で何か仕事をしている人とか、
クリエイティブと言うつもりはないけど、
一人で黙々とやらなきゃいけない作業をなりわいとしている人は、
結構ルーティーンを使っている人が多いと思うんですよ。
僕も例外に漏れずというか、ルーティーンの活用をしてきたわけですけど、
固定化による疲弊
でもですね、最近思うのは、
あまりにもそのルーティーンが固定化するとそれも良くないなって思ったことがあったんですよ。
何があったのかって、そんなに大変なことがあったわけじゃないんだけど、
じわじわと疲れているなってことにね、
具体的には昨日気づいたんですね。
昨日何があったのかっていうと、
別に昨日は何もないんだけど、連休明けの初日だったわけですよね。
ゴールデンウィークが明けて、昨日から家族が学校とか仕事に行ったので、
僕もそれでいつも通りの日常に戻ったわけですけど、
昨日思ったのはですね、やたらと調子が良いなって思ったんですよ。
これは本当に感覚的なものなので、別に作業がいつもよりも倍もはかどったとか、
文字数がめちゃめちゃ増えたとか、
そういうことではないんですけど、感覚的に気分が良いというか、
気分的な問題だけじゃなくて、いくつか細かいポイントはあるんですけど、
それはともかく自分で感じたのは、思考力みたいなのが回復しているなって感じたわけですよ。
回復したって感じているってことは、それやっぱりダメージを受けていたってことですよね、逆から言うと。
僕はそのことに今まであまり気づいていなくて、
これなんで気づいていなかったのかなって思うと、やっぱりねじわじわと削られてきたからだと思うんですよね。
厳密にはね、自分でもはっきりしないんですけど、
年が明けて、だいたいその連休明けて慣れたりとかして、だんだんその日常を取り戻すと思うんですけど、
お正月、冬休みがあって、1月の半ばか頭ぐらいから仕事をして、
そこから5月の連休までは4ヶ月ぐらいあって、
特に僕は多分3月、4月ぐらいでかなりルーティーンが固定化されたなっていうね、自覚があるんですよ。
いろいろ原因はあるんですけど、結果として同じことを毎日やっているなっていう感じがあったんですよ。
ルーティーンって基本的には良きものというか、エネルギーの節約になるし、
ひいては作業効率を上げてくれるものだと思っては、確かにその面はあるんですけど、
でもその一方で、あまりそのルーティーンが続きすぎると、だんだん疲弊してくるなってこともわかったわけですよ。
さっきも言ったように、そんなに厳密なルーティーンをこなしているわけじゃなくて、
だいたいその1日の中でこれをやってとか、家の中でずっと仕事している分だけでも、
それは新鮮さとかなくなるっていうのはもちろんあるんですけど、
そんな中でも外に走りに行ったりとか、音楽を聴いたりとか楽器を弾いたりとかしながら、
自分の中で保っていたわけですけど、今言ったのは多分脳のいろんな箇所を意識的に使うっていうことだと思うんですよ。
仕事をする脳、本を読むときの脳、運動するときの脳の使い方ってあると思うんですけど、
それを例えば4つか5つ脳の部位があるとして、例えの話ですけど、
その4つか5つの部位を使い分けていても、その使い分け方自体がルーティーン化すると、
それはそれでだんだん消耗してくることがあるなと思うわけですよ。
僕は脳科学とか全然詳しくないですけど、これは多分脳の柔軟性が失われている状態で、
多分脳科学的に言うと報酬系ってやつがだんだん弱まってきている現象じゃないかとちょっと調べただけですけど、そう思ったわけです。
よく報酬系回路、ドーパミンとかが脳から出ると、
それがたくさんあまり出すぎるのも多分良くないみたいだけど、適度に出ていると人間は活力を持続できるっていう話ですけど、
ドーパミンの出る行動を自分で意識的に今日はこれ、今度はこれみたいな感じでルーティーンを組んでやっていると、
その切り替えは切り替えることによって短期的には新鮮さを保てるんだけど、
だからといってその一通りのサイクル自体がルーティン化して固定化されていくと、
だんだんそれで報酬系みたいなのが下がってくるっていう、そういう現象が起きていたんじゃないかなと想像しています。
旅行によるリフレッシュ
それでなんでそこから回復したのかというと、これは簡単な話で、旅行に行ったからなんですね。
昨日もちょっと話しましたがゴールデンウィークに家族でね、2泊3日の車で旅に出てきたわけですが、
結構それ疲れたし、そんな大したことはしてない家族でね、海に行ったりとか川で遊んだりとかね、
基本的に四国は、高地は自然しかないって言ったらあれですけど、自然にね増えてきたわけです。
自然なんて今住んでいるところにもあるわけですけど、それはともかくたくさん遊んできたと。
それで帰ってきてね、1日休んでその次の日から本格稼働したわけですが、
昨日ですね、その時になんか回復してるなって、その時になって気づくわけですよ。
ということは今まで結構疲れていたというか、すり減っていたなってことにそこでようやく気づいたっていう話なんですね。
結論というか、これからどうしていこうかなっていうことを自分なりに考えてみたんですけど、
ルーティーンは必要だけど、あんまり固定化させすぎるのも良くないっていうね、割と凡庸な答えなんですけど、
でもこれね、実行するのはそれなりに工夫がいるなと思っていて、今言った2つのことは結構矛盾しているわけですよ。
基本的にはルーティーンをうまく使いつつ、それをたまにずらすというか、
徐々にずらすっていうのはあんまり効果がないような気がします。
自分の実感ですけど、それよりは基本的にルーティーンは続く限りやっといて、
週に1回とか2週間に1回とか全然違うことをぶち込むと、そうすると多分脳がちょっとびっくりして、
それでまた次の同じルーティーンに戻った時にまた回復しているみたいなね、そういう感じなのかなと思ったりしました。
でもね、全然違うことをするっていうのは家族がいて日常生活をしている中では結構難しいと思うので、
パッと思いつくのは旅行するぐらいしかないと思うんですけど、
旅行するのが大中小の、大のね、ビッグの方の、ヘビーの方のルーティーンの壊し方だとすると、
もう少しその規模の小さいというか、ミドルもしくはライトみたいなルーティーンの崩し方っていろいろあると思うんですよ。
新しい体験の重要性
ライトなルーティーンの崩し方だとたくさんあるけど、たぶん食べ物とか、いつも食べてないものを食べるとか、
本とか本を読んだりとか音楽を聞いたりっていうのも、たぶんそれは新鮮さを取り戻すというか、脳に驚きを与えるみたいなことだと思うんですけど、
もう少しだからそれが規模が大きくなってくると、例えば新しい人と会うとかね、
あとは僕はジョギングをしたりするので、それのルートがねやっぱり固定化されてくるなあってね、
僕の住んでるところは結構自然がいろいろあって散歩できるところがいろいろあるんですけど、
それにしてもやっぱりルートがいくつか限定されてくるので、
そう考えてみると、ここ数ヶ月は大体同じようなところを走ったり歩いたりしてたなと思ったので、
たまには全然違うルートとか道順とかだけでもいいと思うんですね。
右回りで行ってたやつを左回りにするぐらいのことでもたぶんちょっとした効果はあると思うんで、
そういうのをもっと意識的に取り入れていかなきゃダメだなと思いました。
そういうのがルーティンを微妙に崩すというかずらしていくための具体的な方法だったんですけど、
最後にもう一つそのルーティンがね自分の知らない間に固定化されてきて、
ちょっと消耗してきたなあっていう時のサインみたいのはねあるなと思っていて、
体の反応と言ってもいいんですけど、そういうのをちょっと自分の中で気づいたやつを最後にいくつか挙げてみて、
それで終わりにしたいと思います。
いくつかありますけど、例えば本をゆっくり読めなくなるとね、
僕の場合は結構疲れてる合図だなと。
大体夜とか一人で静かになった時に1時間ぐらい読書をするのは最近の習慣なんですけど、
旅行行く前ぐらいの4月終わりぐらいってなんかあんまり本が読めてなかったなって思うんですね。
一応本は開くんだけどなんか頭がぼーっとしていてというか内容が頭に入ってこなかったりとかそういうのがあったなと。
あともう一個あるのはね、字が汚くなるっていうのはあるなと思っていて、
疲れていると待てなくなるというか、腰をすべて一つの物事に取り組めなくなるみたいな、
それの一つの表れなような気もするんですけど、適面に僕の場合は字がぐちゃぐちゃになるなと思っていて、
僕の場合は元々結構字が汚いタイプなんですよ。
これはあんまり直すつもりもないというか、そういうタイプなんだと開き直っていたりするんですけど、
それでも書こうと思えば丁寧に書くことはできるんですよ。
僕の場合は文字を書く時にモードが2つあって、丁寧に書くモードの時と、
頭の中を喋るみたいに吐き出す時に殴り書きするという時の両方の使い分けをしているんですけど、
その丁寧に書くモードの時に、そのモードに切り替えられない時があって、
それは一つのサインだなと。
あとこれが出たら結構危険だなって思うことが、新しいことをやりたくなくなるっていう。
それは結構この兆候が出たらやばいなと自分で思います。
さっき言ったように、ルーティンを崩すためにあえてその新しいことを取り入れたりとか、
いつもと違うことをちょこちょこ試していると、ドーパミンというか報酬系みたいなのが刺激されて、
新鮮さを脳の柔軟性が保たれると思うんですけど、疲れてくると脳の柔軟性が失われてくると、
それを回避するための行動ができなくなるんですよね。
だんだんループになってきて、脳の柔軟性を取り戻すための行動がですね、
柔軟性がなくなることによってできなくなるっていう、そういう悪循環に陥るなと思うんで、
これ言っててね、結構孤独な老人というか、孤独な老人といってはあれだな、
年を取ってくると結構新しいことをしなくなる人っていると思うんですけど、
そこらも同じ現象だなとね、話しながら思いました。
はい、10分と言いつつ結構長くまたオーバーしてしまった気がしますが、
今日はまとめずにこれぐらいで終わりにします。
はい、お聞きいただいてありがとうございました。
良い1日をお過ごしください。さようなら。