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こんにちは、いわみです。
2月3日の月曜日、いかがお過ごしでしょうか。
節分は確か昨日ですよね。
2月3日、じゃなくて2月2日が節分。
なんかその天文学的な理由で、2日になる時と3日になる年があって、
今年は2月2日が節分っていうのをね、アレクサが言ってましたが、はい。
だから昨日うちは、アレ豆まきしましたね。
あのね、古い家なんですけど、広いというか2階もね、部屋が多いから、
豆まきするのは大変でしたが、子供は楽しんでたので。
僕毎年お兄やってますけどね、だんだん雑になってきますが、
サングラスかけてね、やりました。なんでしょうね、まあいいや。
それであの、えほうまいりってね、あるんですよね。
最近話題になっているのが、前からあった出来事なのかわからないですけど、
えほうまきとかね、えほうまきは割と商売のアレが入ってますけど、
えほうまいりっていうのもあって、えほうにある神社にお参りするっていうのがあるらしいんですよ。
最近ね、わざわざその方角を調べて、家族でお参りするみたいなことを、
去年もやったし、一昨日もやりましたね。
子供が生まれてから、レジャー的にその方向に向かって神社にお参りに行くっていうのをやってますけど、
今年は確かね、西南西って言ってたんで、
結構この辺をね、僕の住んでいる周りには神社がたくさんあるんで、
まあこの辺かなってね、ちゃんと調べてないんですけど、
多分西南西なのは間違いないんですけど、
その距離とかね、本当は厳密に言うとあるらしいんですが、
走るついでにね、ジョギングついでにお参りをさっきしてきたんですが、
この辺はね、本当に古い神社がいっぱいありますね。
誰が手入れをしているのかわからないけど、それなりに綺麗に、
建物とか鳥居とかは古いんですけど、
ちゃんと掃除してきれいになっているなと思いましたが、
はい、皆さんもね、
確かえほんお参り、本当は確か今日2月3日って言ってましたけど、
そんなに多分厳密には決まってないんで、
まあ次の休みの日とかでも、
サンポガテラね、地図を調べて、
自分の家の近くのね、その西南西の方にある神社にね、
お参りに行く。
結構そのちっちゃいね、やしろみたいので言うと、
わりといろんなところにね、神社的なものがあると思うので、
これを機に調べてみるのもちょっと面白いかなと思いました。
世間の神社、
日本もアメリカも株価が暴落しているし、
まあ今日は別に特にそれについて話すような気分でもないので、
すごいね、あの、
ドメスティックな話をしてみようと思いますが、
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何の話かと言うと、
事業参観はね、先週の金曜日にあったんですよ、
しばらく前に。
事業参観はね、
先週の金曜日にあったんですよ、
金曜日にね、事業参観、
皆さんのところはどうですかね。
土曜日にね、事業参観やるっていう学校もあって、
我々のところも今までは結構土曜日が多かったですけど、
今回に限っては平日、金曜日の午後に、
事業参観。
3学期最後って言ってましたね。
1学期に1回ずつ行って、
2学期に1回ずつ行って、
3学期に1回ずつ行って、
3学期に1回ずつ行って、
3学期最後って言ってましたね。
1学期に1回ずつぐらい、
年に3回か4回ぐらい事業参観的なイベントがあって、
今年度はこれが最後っていうことですけど、
偉いもんでというか、
平日の割には、
親御さんがみんな来てましたね。
何人かその、
僕はその後ろからね、
事業そっちにおけて周りを色々観察している時間の方が長かったんですけど、
両親のどちらかが来ている子が大半で、
母親父親両方来ているところはですね、
2家族ぐらい。
ちなみにうちもそうだったんですけど、
それでその祖母が来ているところが一家庭あって、
たぶん誰も来ていない子はね、
1人いましたね。
そういう割合で、
平日なのにみんなたぶん会社を休むか、
早退か何かをして、
事業参観に来るっていうね。
今はどうでしょうね。
子供が少なくなって、
そういうイベントごと大事にする人が増えているのか、
高知の地方の限定の現象なのか分かりませんけど、
やっぱ都会だとね、なかなかそうはいかないんじゃないかなっていう。
そもそも平日に事業参観っていうのを、
あまりやらない気がするし、
やっても半分ぐらいに来れない親が多いんじゃないかなっていう気がしますが、
それでね、事業参観って、
国語の授業だったんですけど、
それをいつも通りというか、
ちょっと特別仕様なのか、
やっているところをね、
後ろから見ているわけですけど、
こう言っちゃうんですけど、
事業自体は別に楽しくはないというか、
こういうことをやっているのねっていう。
でも事業参観ってね、
僕は割と好きなイベントというか、
何が楽しい見方がいろいろあるなと思っていて、
その一つがね、
子供たちを定点観測していて、
キャラクターみたいのをね、
読み解いていくのがね、
割と楽しいなっていうね、
思ったんですよ。
これ別にあのね、
ただの矢島的なことでね、
この子はね、
なんか勉強できるねとか、
元気がいいねっていうことだけじゃなくて、
自分のね、
この子をどういうふうに見ているかっていうのを、
ちゃんと後で言語化してみると、
自分のね、
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世界観みたいのはね、
それによってちょっと分かってくるところがあるんですよ。
それについて今日話してみたいんですが、
どういうことかと言いますとですね、
これ結論から言うと、
僕はね、
子供たちを見るときに結構ね、
資本主義的なね、
成功をね、
誰がするかみたいなね、
そういうなんかね、
カチューマ当てゲームみたいなのを
自分の頭の中でやってるなと思って、
別に反省はしてないんだけど、
なんか、
俺も結構なんか、
資本主義的な価値観に
すごい染められてるなってことにね、
気づいたんですよ。
例えば、
子供はね、20人とか、
20何人とかいるんですが、
いろんな子がいますよね、もちろんですけど。
元気な子もいれば、
シャイな子もいるし、
静かに見えるんだけど、
なんかすごいね、
独特な子がいたりとか、
男の子、女の子でも結構その、
二年生なんですが、
それぐらいだと特徴というか、
まだ男の子の方がね、
元気というか、
くったくがない感じがしたりね。
それでその、
資本主義的なのはどういうことかっていうと、
今現時点で、
成績がいいというか、
勉強ができるっぽい子がね、
この先どうなるんだろうなって、
僕は結構ね、
それを見ちゃうんですよね。
高校生とか、
中学生、高校生とか、
もっとねその、
20代、30代ぐらいになって、
この特性というのはどうやって変わっていくんだろうな、
っていうのをね、
すごいなんか想像しちゃうんですよね。
これまあ自分の子供でもやりますけど、
自分の子供じゃない子供をですね、
見ることによってですね、
よりなんていうんだろう、
客観的に見れるなっていう気がして、
これ変な見方かもしれないけど、
授業参加に行くとね、
あんまり自分の子供をね、
ないですね。一応後ろにいたから、
目には入ってますけど、
基本的に視線で追っかけてるのはね、
その他の子供、
普段会わない子供っていうか、
見ない子供ばっかりをずっと見ててね、
観察しているって。
こんなこと聞いたら誰かに怒られそうですけど、
まああんまり誰にも聞かれてないので、
勝手にこれは一人言で喋っていますが、
その理解度みたいのでも、
やっぱり後ろから見てるとね、
この子はちゃんと理解してるなとか、
この子はよくわかってないなっていうのはね、
結構ね、わかるんですよね。
特にちょっとややこしい問題というか、
国語だったんですけど、
あれ、どんなことやってたかな。
あ、そうだ、国語の授業がね、
しりとりみたいな、
縛りをつけた三文字とかね、
食べ物のしりとりみたいなね、
わりとその遊び的なゲームだったんだけど、
その後に防災の工作みたいな授業があったんですよ。
なんか新聞紙を使ってね、
防災グッズを作る。
それで別にそんなに難しいことじゃないんだけれど、
折り紙的なことをやるときって、
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その子の気長面さみたいなの結構出るじゃないですか。
ちなみに僕は結構ね、
雑な方なんですけど、
うちの子供もそうでしたが、
中にすごい気長面な子とか、
折り目をぴったり折る子とか、
やり方が早い子とか遅い子とかね、
いろいろいるんですけど、
特徴というか性格みたいなのが、
僕はね、
基本的に見ているのは、
今の自分の興味がそこにあるからなんですけど、
こういう特性が、
今からの世の中で、
どういう風にね、
役立って、もしくは役立たない
ものなんだろうなっていうのをね、
僕はそれをずっと考えてるなってことにね、
自分で気づいたんですよ。
例えばね、
頭の回転がすごい早い子がいます。
よく喋るし、
その子は男の子だったんですけど、
よく喋るし、
反応速度はね、多分反射神経というか、
早いんですよね。
そういうことを逆に反射神経が早くない子とか、
あとあんまり深くね、
考えないで、
幼稚に見える子もいるし、
2年生ぐらいだとね、
そんなに差が出ないかもしれないけど、
これがね、
この後どういう開き方をしていくのかなってね、
割と僕はね、
2年生までいるとなると、
人数もそんなに多くない。
割といろんなこうね、定点観測できるなと思って、
そういう楽しみ方もあるっていうね。
こんなこと聞いたら本当にね、
いろんな人に怒られそうですけど、
そういう見方もしている。
それで、
頭の回転とかね、
そのハキハキ喋るとか、
言葉が達者とか、
そういうのを見ながら、
このどの要素がね、
これからの世界に必要っていうか、
どのスキルを持っていると、
成功しやすいんだろうなっていうのをね、
やっぱり考えちゃうんですよね。
なんで僕はそれを考えているかというと、
多分それをね、
自分に置き換えているというか、
自分がそのこの後ね、
一人というか個人で、
組織に属さない働き方をしながら、
商売するときに、
どのね、そのポイントで、
攻めていくのがね、
正解なんだろうってことを、
いつも考えているから、
子供にも置き換えてね、
見てしまうんですよね。
別にだからといって、
自分の価値観的に、
この能力を持っていても、
これからはそんなに有利じゃないよな、
っていうのを、
自分で思ったとしても、
それによってその子を別に、
マイナスに捉えたりとか、
そういうことはないんだけど、
でも勝手に自分の頭がね、
そういう視点で、
子供たちを見ているなってことをね、
その俯瞰的に考えているというか、
その現象に気づいたってことがね、
この間の事業参観の、
僕の中の発見だったんですけど、
超個人的な偏見に満ちた、
思考から言うと、
頭の回転の良さっていうのは、
これは多分ね、
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いつの時代もそれなりに有効なね、
能力というか、
私筆なんじゃないかなと、
その正解をね、
取りに行く力が早いっていうのは、
今までほどね、
その点数をたくさん取った方が有利、
じゃない社会が、
世界が来るとしたら、
あまりそれまでほど有効なスキルじゃなくなるかもしれないけど、
それでもなんて言うんでしょうね、
IQ的なね、
知能指数的なことも関係あると思うんですけど、
頭の回転の良さっていうのは、
いつの時代も普遍的に、
あれなのかなって思ったりとか、
あとやっぱり、
8歳ぐらいで、
もう結構ね、
大人びているというか、
言葉をたくさん知っていたりとか、
結構大人びてしゃべる子もいるんですけど、
これはね、僕はね、
どうなんだろうなっていうね、
思いがあって、
これは別に、
今のうちから伸ばすスキルなのかなってことをね、
考えちゃったりとか、
まあ余計なお世話なんですけど、
これは勝手にね、
つまりね、
たくさん言葉を知っていて、
それを使いこなせるみたいのは、
もちろんいいことなんだけど、
それをなんて言うんでしょうね、
わりとその子供の早いうちに、
そこにどっかしていくと、
なんていうかそのね、
伸び悩みというか、
今はまだそういう時期じゃないんじゃないかなって思っちゃったりするんですよね。
これはね、
うちの子供にもちょっと言えるような気がしていて、
結構うちの子供もね、
言語化みたいなのはね、
達者な方だと思うんですよね。
なんでそれが起こったのかよくわからないけど、
でも多分先生にもとかね、
学校でもなんか褒められたようなことがあるらしくて、
自分でも多分それをね、
わりと得意に思っている節はあるんじゃないかなっていう気がするんですけど、
でもなんかね、
客観的に見ると、
まだいいんじゃないかなって僕は思っちゃうというか、
もっと基礎体力的なものをね、
鍛える時期なんじゃないかなと思っちゃったりしますけど、
感覚とかね、
鋭さというか、
皮膚感覚的なね、
その成長で多分今一番していると思うから、
だから本当にね、
何をしたらいいかというと、
僕は外にね、いっていろんなものを触れたりとか、
遊んだりとか、
いろんな体験をしたりとか、
あと友達と遊ぶっていうのもね、
いろんな人間と触れ合ってね、
喧嘩したりとか、
結構いい経験だなと思いますけど、
そういうのはね、多分田舎の方が、
そういうのができるような気がするんで、
そういうのは微笑ましいと思いながらね、
子どもたちを見ているんですが、
それで資本主義的なね、
視点っていうところでいくと、
多分ですけど、
大人になってね、
それがいいかどうかは別にして、
資本主義的に成功しそうな子どもっていうのは、
多分今のうちはね、
全然何て言うんだろう、
おかしな子どもなんじゃないかなと、
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僕は思ってるんですよ。
あんまりその周りを返り見ないとか、
その平均点をね、
全然取らないっていう、
すごいあの、
振り切れてるというか、
そういう子が多分、
将来何か押し出かしそうなっていうことですけど、
まあこれは、
いろんな大人が多分考えそうなことかもしれませんけど、
割とだから、
そういうポイントをね、
探しているなっていうことにも気が付いたし、
当たり前かもしれないけど、
その小学校の一クラスぐらいで、
その飛び抜けた子っていうのはね、
あんまりいないっていうか、
見えないですよね。
1時間弱の授業だからっていうのもあるかもしれないし、
その科目とかね、
そういうことにもよるかもしれないけど、
だからもしかしたら、
そういったしりとりだとか、
国語のね、
授業とかに、
全く興味が持てなくて、
全然ね、
そっぽ向いて、
違うことをやっているような子の方が、
もしかしたらね、
伸びしろって言ったらまたつまんない言い方かもしれないけど、
そういうものはあるのかもしれないなと、
思ったりしますよね。
何が言いたいのかというと、
そうやってね、
普段見ない光景を目にして、
そこにね、
今まさに成長している子どもたちがたくさんいるのを、
自分が見ながら、
自分が何に着目しているのかなっていうことをね、
客観的に捉えてみると、
自分の世界観みたいなのが、
理解できるなっていうね。
最初にも言いましたけど、
これが僕にとっての一つの収穫というか、
気づきだったなというふうに思います。
だから僕はね、
その子どもたちを見て、
この子どもたちを見ると、
自分の世界観というか、
自分の世界観というか、
だから僕はね、
その子どもたちを見て、
この子は小学校2年というラインだと、
上に行ったり下に行ったりするけど、
それって別に、
長い目で見たら、
全然どうってことないことがね、
ほとんどですよね。
走るのが速かろうが、
ちょっと勉強はね、
漢字をたくさん書けようが、
数学ができようができまいが、
大したね、ことじゃないというか、
特にね、
この時代っていうのは、
勉強的なことよりも、
なんか本当に尖った個性がある方が、
いいんじゃないかなって、
思っているっていうね、
それを思っている自分にまず気づくわけですよ。
これはね、
別に僕は自分が正解を
言っているとあまり思っていなくて、
多分ね、
この考え方自体がもうすでにね、
ちょっと古いんですよ、おそらく。
今からね、その10年とか20年経って、
その子どもたちが大人になっていくと、
多分世界はね、
また全然違う場所になっていて、
その時はね、
こういう能力があるといいよ、
みたいなのがね、
位置づけみたいなのがだいぶ変わってきていると思うから、
それにもね、
自覚的でありたいなと思ったんですよ。
自分の考えていることが、
多分間違えている。
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それはしょうがないとして、
どうやって間違えていて、
どこが間違っていて、
どこがそんなに変わらない部分なのかっていうのを、
やっぱりね、
考え続けていきたいなと思っていたりします。
やっぱり子育てをするっていうのはね、
もちろん、
子どもをちゃんと育てないといけないっていうね、
責務みたいなのはあるんだけど、
自分をね、
また違う視点で見る、
親にとってのその、
親育てみたいなのにも、
本当になるなっていうのをね、
改めて思っていますが、
別に子どもいない人でも、
普段触れ合わない人でも、
普段触れ合わない人たちをですね、
観察して、
自分がそういう人たちをどういう風に
眺めているのかっていうのをね、
言語化してみるっていうのは、
割とこれはね、
自分の価値観を知るのに
有効な方法だなと思います。
その時に別になるべく、
芸能人とか、
インフルエンサーとか、
そういう人たちを見るんじゃなくて、
何の変哲もないというか、
普通のね、
見ることに慣れていない、
素のままの人たちがたくさんいるところを
観察できたら、
それは結構有効なね、
観察になるんじゃないかって。
もしかしたらあるかもしれないですね。
今ふと思いましたけど、
リアリティーショーって、
そういうことなのかもしれないですね。
テレビの、
バチェラーでしたっけ、
そういうリアリティーショーって
あると思いますけど、
僕はほとんど見たことがないので、
完全に想像で言ってますけど、
一般の人たちから応募して、
共同生活とかをして、
その中でね、
あれば多分恋愛的なね、
やり取りをカメラでずっと追いかけていく
みたいなことですけど、
それが何て言うんだろう、
視聴者に受けるっていうのは、
見ることに慣れられている人たちが、
じゃなくて、
一般人というか、
そういう人たちの日頃のね、
素の振る舞いが見えるところを
面白いのかなと思ったりしましたが、
リアリティーショーをね、
事業参観と同列で捉えたら、
今度こそ怒られてしまいそうな気がしますが、
そういうのもね、
子供がいる特権だなとちょっと思いましたが、
はい、そんな話で、
今日は終わりにしたいと思います。
お聞きいただいてありがとうございました。
良い1日をお過ごしください。
さよなら。