1. 気づくと変わる心理学 〜心のリスキリング〜
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2024-03-26 15:44

#3 子どもの自分が書き、今も従っている、人生脚本

今回は、子どもの自分が書き、今も従っている 「人生脚本」に関するお話です。

小さな子どもの頃、自分で書き、大人になったらその存在すら覚えていないのに、そのまま今も従っていると言われるもの。始まりがあって終わりがある物語。

そんな「人生脚本」についての回です。


まだ聞いた事がない方も、

何本か聞いて番組に興味を持ってくださった方も、

気づくと変わる、いつもと違う変化を味わってみませんか?

サマリー

私たちは、子どもの頃に書いた人生の脚本に今も従っています。 自分で書いたものであり、自分が決めた物語。 書き換えられるのですが、気づいていないため、書き換えることをしません。 ただし、無意識に書き換えられることはあります。 まずは、気づくことから始めてみませんか?

脚本の始まり
こんにちは。明治大学で生涯学習講座の講師をしています、遠藤美保です。
この番組では、社会人や学生向けの生涯学習講座を10年以上行ってきた私が、日常生活でも活かせる心理学を、ポッドキャストでお伝えしていきます。
今回のテーマはこちら。
子どもの自分が書き、今も従っている人生脚本。今回は人生脚本のお話です。
人生脚本というのは、小さな子どもの頃に自分自身で書いて、大人になったらその存在すら覚えていないのに、そのまま今も従っていると言われるものです。
始まりがあって終わりがある、そういう物語です。
そう言われて、ピンと来られる方はいらっしゃいますか。
これ、ピンと来られる方というのは、例えばアニメのヒーローが好きで警察官になりましたとか、
身近な人が病気になった時、親身になってくれた姿が本当に素敵で看護師さんになりましたとか、
そんな脚本らしい脚本を書かれた方はピンと来やすいかと思います。
ただなかなかそうですね。あと他には、どんなものがあるかって言いますと、
かつて一般的だったところでは、大きくなったらお嫁さんになってお母さんになって家庭を支えて幸せに暮らすんだとか、
大きくなったら立派な人になってみんなに尊敬されるような偉大なことをするんだとか、
そんなようなお話、あったかなと思います。
それ以外にも、やはりですね、この大きくなったら何になりたいっていう質問が子どもの頃はよく聞かれていたように思うんですが、
それに答えながら、例えばこの仕事に就きたいんだとか、こんな風になりたいんだという、
その答えをしながら脚本を書いていく、そういった流れもあったように思います。
いかがでしょう。皆様思い当たるような脚本って、ちょっと一つ二つ頭に浮かんできましたでしょうか。
では、この脚本なんですが、いつ書くのかというところでちょっと掘り下げてみたいと思います。
影響を受ける出来事
まず原型、そしてですね、その後、3から6歳頃でかなり詳しく書き加えて、7歳までにはほぼ書き上げられると言われています。
前回お話をしました、親・成人・子どものうち、子どもの部分がこの脚本を書いています。
そして実際に育ててくれていた大人がどうやらそれを補強しているようなんです。ということで、
日本だとですね、大体小学生になるまでか、なってからあたりでしょうか。
その頃までに何か印象的なことって皆さんありますか。
例えば、実際の体験や身近な人、あるいはテレビで見る人やドラマ、アニメ、漫画などなど、いろいろなセリフや場面があったんじゃないかなと思うんですけれども、
その中で印象に残ったような、そんなセリフっていうのは何かありますでしょうか。あるいは場面ですね。
非常に私たちが脚本を書くときに影響が出ているのではないかなと思います。
ここでちょっとご参考になるかもしれないので、私のお話をいたしますと、私は大体こう2つ流れがあったかなと思うんですが、
非常に印象的なのは、女は愛嬌、っていうふうにすごく言われてまず育っています。
そんなわけでですね、結構何か失敗をしても、えへっていう感じで笑ってごまかしたりとか、
ごまかすっていう言い方をしたらちょっと語弊があるんですけれども、やはり愛嬌とそれからこうユーモアというか、そのあたりぐらいでかわしながら進むっていうような、そんな流れがまずあったかと思います。
あとこんなことがありました。私、男兄弟がいるんですけれども、兄弟で留守番をしていたときに電気を使いすぎたのか、
大本(おおもと)のブレーカーがブッて飛んで、部屋の中がこう真っ暗になったことがありました。
これブレーカーが飛ぶっていうのはこれ今でもありますでしょうか。
おそらく電力の総量が契約した量よりも超えてしまったっていうことだと思うんですけれども、そのブレーカーが飛んだわけです。
その時に、大人が誰もいなかった時だったので、子ども二人で留守番してたもんですから、どうしよう、でもやり方知らないもので、どうリカバリーもできないまま、ちょっと真っ暗な中で待ってるってことがあったんですけれども、
そのうち大人が帰ってきて、男兄弟を呼んで、こういうふうに直すんだっていうことで、直し方を伝え始めたんですね。
私は、私が一人になった時にまた同じことが起きてしまうと、いやそれは困るじゃないと思って、やはり私もぜひ教えてほしいと思ってですね、いそいそと私も教えてほしいって言って寄って行ったんですが、
いいって言われまして、触らせない見せないっていう体制なんですけれど、どうしてって聞いても理由も特に言ってもらえず、これちょっと、だいぶ不満そうだと思うんですが、これ実際不満だったんですけれども、全然その時に教えてもらえず、なんだろうっていうことで終わったりしていました。
これはですね、先ほどの女は愛嬌っていうのと合わせまして、女の役割男の役割っていうようなものの、暗にメッセージっていうんですかね、それがこう補強されてまして、やはり先ほどの大きくなったらお嫁さんになってお母さんになって、そして家庭を守るんだっていうそっちのこの脚本に向けてですね、
ちょっとこう流れを作っていたというか、作られていたような、そんな気がするんですけれども。ただ子育てって大変ですよね。やはり育ててる側も方針がなかなか一つに絞りきれないところがあるんじゃないのかなと思うんですが、もう一つ私には流れがあったように思うんですけれども。非常に負けず嫌いだったっていうこともありまして、
いろいろなこの大会に出たりとか、あるいは何かこう応募してみたりっていうようなことをちょいちょいやってたんですけれども、ある時水泳大会に出まして2番だったんです。これ当時、平泳ぎがすごく得意な子どもだったんですけれども、2番でヤッタって感じで、2番だよっていうことで帰ってきたんですが、
親から第一声言われたのがですね、なんだ2番かっていう。こういう、なんだ2番か、1番じゃなきゃ意味がないの、何っていう、ちょっとかつてのどこかの誰かのセリフを思い出してしまうような、そういうセリフをもらったんですけれども、当時やはりちょっと、うちの親もですね、私のことは奮起させるといろいろ頑張って結果が良くなると思っていた節がありまして、
すごく私を奮い立たせるような、そっちの方角にすごくですね、流れを作っていたように思います。
脚本による制約
このように子どもの頃に自分で書き上げて、そしてですね、育ててくれている人たちからも補強されながら書き上げていく脚本なんですけれども、一度この脚本を書いた後に起きること、これどんなことが起きるのかなというところ、これも注意点なのでお伝えしていきたいと思います。
脚本を書きますと、目の前の現実だと思っていることは、この脚本に合わせて再定義されていきます。つまりこれはもう書いたことすら忘れているうちに、もう現実を再定義してしまうので、無意識の枠組みでもあるので、気づかないわけなんです。
そして脚本通りに進んでいく。そう見える聞こえる思えるっていうところなんですけれども、例えば私がですね、女の子はお嫁さんになってお母さんになって、だからこそ家庭を守って幸せに暮らせるんだ。
こういう脚本を、もし私が本気で強く強く書いたとします。そうすると自分自身で、そこから外れるような事実はなかなか見えないということなんです。つまりお嫁さんになってお母さんになって、そんなふうにしなくても幸せに暮らしている人はたくさんいるわけですし、あと自分自身も、別にそれ以外の選択肢もあるわけなんですけれども、なかなかそちらが見えない。
そうすると、例えば先ほどのブレーカーの件などでもですね、私って機械音痴なんだって、だんだん思うようになってしまったりして、うわぁ、ごめんなさい。私、ちょっと機械苦手なの。なんて言いながら女は愛嬌で、ちょっとにこっと笑ってやってもらうというような、そういうことを繰り返すうちに脚本通りにこうだんだん進んでいくということなんです。
もしかしたら私すごい機械に強くて、逆にブレーカーなんか分解しちゃって、そしてまた組み立ててですね、ブレーカーのその仕組み自体について詳しくなって、すごい機械工学の権威になったかもしれないのに、それなのに脚本の中で私はそういう機械は苦手、触ったりしないっていうようなことを書いて、詳細を付け加えていきますと、そちらの方に進まないので、
そういうふうな現実にはつながらなくなっていくということなんです。これが人生脚本と言われるものなんですが、これ、ポイントは自分で書いたってことなので、自分で書いたんですから書き直せばいいんですけれども。それだけ。
そしてそれと違う現実をちゃんとですね、事実として認識していきながら、違う脚本に向かって進んでいけばいいだけなんですが、そもそもそういう脚本を自分で書いて、自分がこういう人って決めてる、っていうことにも気づいていないので、なかなかそうしようとすら思わない、自分がそれができるとすら思えないというような、
それがこの脚本の深さと言いますか、根深さ、面白さっていうんでしょうか、かなと思います。ちなみにですね、これ無意識に書き直されることもありまして、これはまあ、また私の例でいきますと、最初の社会人生活を過ごした会社で、このちょっとブレーカーにつながるようなお話があるので、ちょっとご披露させていただきたいと思います。
当時、社会人になりたての20代の若手でしたけれども、その時に営業職として担当している会社で、簡単なこのパソコンの納品がありました。
先輩社員から、明日誰がセッティングするのっていうふうに聞かれたわけなんですけれども、私はですね、これ、ユーザーセットアップって書いてますので、お客様がセッティングされますって答えました。すると、その先輩社員からまた同じ質問が来まして、いやだからさ、明日誰がセッティングするのって聞かれまして、
え、ユーザーセットアップなので、お客様がセッティングされます、と繰り返し答えましたら、違うでしょう。営業でしょう。セッティングするのはというふうに言われまして。で私ですね、え、私ですか。
え、でも私できませんけど、でももできませんも言っちゃいけないんですけれども、そう言っちゃいまして、その方から、いやだって、家でね、自分家で機械が何か届いたらどうするの、誰がやるの?っていうふうに聞かれたもので、私思わずですね、いや家では、家ではそれ、父の仕事です。って言ったんです。
ブレーカーのこともあるので、皆さんすでにお気づきだと思うんですが、これは家ではですね、男性の仕事ということで区分けがされてましたので、いやそれ父の仕事です。って思わず答えちゃったんですけれども。そうしたらその先輩から、本当にほとほと呆れたような顔で、キャパシティの狭いやつだな。っていう一言がありました。
で、当時私、キャパシティっていうことがちょっとよくわかってなかったんですけれども、とにかくなんかキャパシティってよくわからないけれども、なんかすごくバカにされてるっていうのはすごくわかったもので、はぁーと思いながら、いや大丈夫、わかりました。じゃあ私がセッティングしてきます。って言いながら、うわどうしようと思いながら。もう当時同じ機種が社内にありましたので、
それがどんなふうにつながって、どういうふうにセッティングされてるのかっていうのを、あちこち潜って確認しながら、そして無事セッティングを完了させたわけなんですけれども。すみませんちょっと長くなりましたが、これ私の中では先ほどのブレーカーの話とつながってまして、
今から思えばですけれども、ありがたい環境だったので、非常にですね、見逃されることもなくビシビシと鍛えていただいて、無事にですね、この私の中のブレーカーにつながる無意識の脚本がおそらく書き直されたんじゃないかなというふうに思います。
自分の脚本に気づく
そんなわけで脚本というものは非常にこういろいろなところに影響が出ているんですけれども、自分で書いたんですから書き直せばいい。ただ本当にそもそも気づいていないわけなので、まずは気づくことから第一歩、進めていただければと思います。
では今回覚えていただきたいポイントは、子どもの自分が書き、今も従っている人生脚本がある。まずは気づくこと、そしていつもと違う変化を味わってみませんか?
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お相手は遠藤美保でした。ありがとうございました。
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