道化殺しの謎
こんにちは。さて、今回はですね、手元にある資料、YouTubeのイタローチャンネルの書き起こしをもとに、ちょっと変わったテーマを深く掘り下げていこうと思います。
テーマは、文学における道化殺し、です。
道化を殺す、ですか。いやー、いきなり強烈な言葉ですね。
本当に。でも、これかですね、単なる文学オタクの話じゃないから面白いんですよ。
資料によれば、ドンキホーテとか、ハムレッド、それにドストエフスキーのカラマゾフの兄弟まで、
ええ。
もう誰もが知っているような歴史的な名作の中に、この道化殺しの構造がはっきり見て取れるって言うんです。
人を笑わせるのが仕事のはずの道化が、なんで物語の最後で殺されたり、排除されたりしなきゃいけないのか、一体どういうことなんでしょうね。
今回はその謎にじっくり迫っていきたいと思います。
このモーチーフ、実は古代の神話の時代から原型があった可能性も指摘されてるんですが、
おっしゃる通り、特に近代文学の世界で非常に洗練されて複雑なテーマとして描かれ続けてきたんですよね。
今回の話のゴールは、この道化殺しっていう一見奇妙なパターンを読み解くことを通して、
我々人間がですね、心の奥底で無意識に抱えている衝動とか、
あるいは、社会がガラッと変わる、そういう大きな変動機に決まって現れる、ある種の心理的なパターンを理解することにあります。
では早速ですが、一番素朴な疑問からいかせてください。
道化って、まあ、おどけてて、楽しくて、でもどこか物悲しさもあって、
なんていうか、愛すべきキャラクターじゃないですか。
ええ、そうですね。
なんでそんな存在を、物語の中でわざわざ殺すなんて、そんなひどいことをする必要があるんでしょうか。
いや、そこが一番の疑問ですよね。
その問いに答えるには、まず、道化が何を象徴しているのかを理解する必要があるんです。
資料で非常に面白い言葉が使われていました。
ええ、読みました。
すべてを笑い飛ばし、めちゃくちゃにしてしまいたい、っていう混沌、つまりカオスへの衝動、これを道化性と読むんですよね。
その通りです。
この道化性、ちょっと深掘りしてみると、
実は誰の心の中にも進んでいる、かなり根源的な欲動なんです。
例えば、すごく真面目で退屈な会議の最中に、突然テーブルの上に飛び乗って踊り出したいとか。
ああ。
理由もなく、ただただ転げ回って笑いながら、目の前の秩序を全部ひっくり返したいみたいな、そういう衝動です。
ああ、わかります。めちゃくちゃわかります。
もちろん実行はしますけど、もう全部どうでもよくなれって思う瞬間ありますよね。
それが道化性、なるほど。
まさにそれです。
で、その衝動を自分の中に抱えていると、どこかで処理しないと苦しくなる。
そこで道化殺しの一つ目の大きな理由が出てくるわけです。
物語の中で、その道化性を体現するキャラクターを象徴的に殺す、つまり罰することで、
読者である私たちは、自分の中にあるその破壊衝動を一緒に遭遇さることができる。
はい、はい。
それによって精神的な落ち着きを取り戻して、また社会の秩序の中に戻っていくと、
一種のカタルシス、心の浄化作用が働くわけですね。
なるほど。言われてみれば、自分の中の破壊衝動を物語のキャラクターに肩代わりさせて、疑似的に殺すことでスッキリする。
まるで物語が、社会の崩発を防ぐための安全弁みたいな役割を果たしているということですね。
非常に的確な表現だと思います。
個人の内なるカオスを縮めるための、まあ儀式と言ってもいいかもしれません。
個人の内なるカオスを縮めるというのはよくわかります。
でも、ハムレットとかドンキホーテみたいな、あれだけ壮大な物語のテーマが、それだけだとはちょっと思えないので、
もっと大きな社会全体に関わるような理由が、この道化殺しには隠されているんじゃないですか?
ご明細です。
笑いのないユートピア思想
そこからが、このテーマのさらに深く、そして少し不気味な2つ目の理由に繋がっていきます。
資料ではこれを、笑いなきユートピア思想と呼んでいますね。
笑いのないユートピア。
言葉の組み合わせがもう矛盾してるというか、怖いですね。
これはですね、もしこの世界から笑いという不真面目で物事を茶化す要素が完全になくなったら、
この世界は一点の曇りもない完璧なものになるのではないかという、
人間の無意識下にあるある種の闘卒した願望なんです。
でもちょっと待ってください。
笑いがない世界が完璧だなんて、本気で誰かが願うんでしょうか?
普通に考えたらディストピアそのものですよね。
なぜそんな奇妙な願望が生まれると資料は分析してるんですか?
いい問いですね。
それは、笑いが持つ本質的な力に関係しています。
笑いという行為は、どんなに偉い権威もどんなに素晴らしい思想もルールも一瞬で相対化して、
その価値を無意味にしてしまう、まあ危険な力を持ってるからです。
ああ。
例えば、王様の大冠式っていう非常に神聖な儀式の最中に、誰かがお腹を抱えて笑い出したらどうでしょう?
うわあ。
その場の神聖さとか権威は一瞬で崩れ去ってしまいますよね。
たしまに、全部が茶番に見えてしまいます。
どんなに真面目な話をしてても、笑いが一つ入るだけでその深刻さが失われる。
そうなんです。
だからこそ、何か一つの絶対的な原理、例えば神であったり偉大なイデオロギーであったり、
あるいは強力な独裁者であったり、そういったものの下で社会を完璧に統一したいと考える人々にとって、笑いは最大の敵になる。
なるほど。
だから、その笑いの原理そのものを体現する存在である同家を殺すことで、一切の揺らぎのない完璧な社会が実現できるんじゃないかと、そういう思考が働くわけです。
うわあ、それはゾッとしますね。
つまり、多様な価値観を認めず、たった一つの正しさを押し付ける全体主義的な思想と、この同家殺しは非常に神話性が高いということですか?
まさにその通りです。
その危うさこそがこのテーマの核心なんですよ。
そして、あなたが今感じたゾッとするっていう感覚が実は非常に重要で、資料にも同家殺しをあえてしていない作品の例として、ラブレーのガルガンチュアとパンタグリエルが挙げられていました。
ああ、ありましたね。
あの作品は真逆で、同家的な力がもうやりたい放題に発揮されて、既存の世界をめちゃくちゃに破壊しつくす。
でもその徹底的な破壊の後に、新しい生命力あふれる再生が訪れるという話でした。
このガルガンチュアのような奔放な物語と対比することで、ドンキホーテやハムレットの時代から、同家殺しというモチーフがいかに文学の主要テーマとして高度化し、シリアスなものになっていったかがよくわかります。
しかし同時に、この同家殺しという構造自体には当時から批判的な視点も内包されていたんです。
批判ですか?どういうものでしょう?
資料では大きく二つ挙げられていますね。
一つ目は繰り返しの問題です。
そもそも人間の笑いへの欲求とか、物事を茶化して相対化したいという衝動は決してなくならない。
だから同家殺しなんてやっても、それは一時的なガス抜きにすぎなくて、結局またどこから新しい同家が生まれてきて同じことの繰り返しになるだけじゃないかと。
確かに。一時的に笑いを封じ込めても、また別の形で皮肉や風刺は生まれてきますもんね。なんかもぐら叩きみたいや。
そして二つ目の批判が、先ほどあなたが感じたユートピアへの違和感に直結します。
つまり、そもそも笑いのない世界というもの自体が我々人間にとって全く魅力的ではないと、むしろ不気味で息苦しいだけだと。
おそらくセルバンテスやシェイクスピアーといった偉大な作家たち自身も、そのことを百も承知で、あえてこのテーマを得いたんじゃないでしょうか。
現代への影響
ああ、なるほど。彼らは笑いのない世界は素晴らしいと主張したかったわけじゃなくて、むしろ完璧な世界を求める人間の欲望ってこんなにも奇妙で暴よいものなんだよと。
その構造がはらむ不気味さそのものを描き出すために、同家殺しというモチーフを使ったのかもしれないということですね。
その可能性は非常に高いと思います。答えを提示するんじゃなくて、複雑な問いを読者に投げかける。それこそが偉大な文学の役割ですからね。
なるほどな。では、もしこの同家殺しがある種の社会的なパターンなのだとしたら、どういう時に特にこういう物語は求められるようになるんでしょうか。
そこがこのテーマを現代で考える上で最も重要なポイントかもしれません。資料が革新的な指摘として挙げているのは、それは世の中が大きく変動する時であるということです。
世の中が変動する時。
はい。社会に悪意とか不満、閉塞感が充満して、多くの人がもうこの世はめちゃくちゃだ、どうしようもないと感じるような時代。
そしてもう一つ重要な条件があります。それは人々が生贄にする大賞、つまり槍玉にあげる大賞が尽きてしまった時です。
槍玉にあげる大賞が尽きる、どういうことでしょう。
我々は不乱無意識のうちに、悪いのは政治家だとか、大企業だとか、あの国だとか、誰かや何かを生贄に仕立てあげて、それを叩くことで不満を解消してますよね。
はい。
でも、その生贄を次から次へと消費しつくして、もう叩く相手すら見つからなくなった玉切れの状態です。
なるほど。もう誰のせいにすればいいのかすらわからなくなった。末期的な状況ですね。
まさに、その時人々は最後の手段として、混沌の原理そのものである同型を生贄に捧げることを求め始める、と資料は分析しています。
同型殺しの概念
あらゆる物事を茶化し無意味にしてしまう、笑いの原理そのものを社会から遭遇り去ることで、何か新しい真面目で偉大なものが生まれるはずだ、と期待するわけです。
それはもう一種の革命への待望感みたいなものですね。古い価値観を笑い飛ばすことすらも破壊して、全く新しい秩序を作りたいと。
その通りです。この同型殺しという行為によって、人々はニヒリズムも超えるほどの強烈なカタルシスを得て、何か決定的なことが起きるに違いない、世の中を根っこから変えなければ、という非常にラディカルで強い欲動に駆られる、と説明されています。
そういう視点で見ると、日本文学の話も興味深かったです。資料では大罪や大江健三郎の名前が挙がっていました。特に大罪の人間失格の主人公、破ちゃんはまさに同型を演じ続けることでしか生きられなかった人物ですよね。
彼の結末は、西洋的な同型殺しみたいに誰かに殺されるわけじゃなく、もっと自己破壊的な形で社会から静かに消えていく。これが資料の言う、日本の同型殺しはどこか手心がある、という指摘につながるんでしょうか。
非常に鋭い読み解きですね。西洋文学の同型殺しが、社会の再生のための象徴的な処刑という側面が強いのに対し、日本の場合は、同型を演じる個人の内面でその役割が自戒していくような、より内向的なプロセスとして描かれる傾向があるのかもしれません。
その違いを手心と表現したのは面白い視点ですよね。ただ、一方で、夢の草句のドグラマグラのように、そんな手心は一切なく、読者の脳髄をかき乱すような、かなりえぐい同型性の発露を描いた作品も日本には存在します。
確かに一筋縄ではいかないですね。しかし、ここでもっても重要な指摘がありました。それは、同型は不死身である、ということです。
ええ、そこが救いであり、この話の肝でもあります。
不死身ですか?なんだか希望が持てる話ですね。どんなに権力者が笑いを憶発しようとしても、結局はどこから新しい同型、つまり皮肉や風刺、カウンターカルチャーが生まれてくる。人間の精神って、そう簡単には支配されないぞ、と、そういうメッセージにも聞こえます。
おっしゃる通りです。笑いの原理、物事を斜めから見る批判精神といったものは、決して社会から根絶やしにはできないんです。一時的に憶発され、殺されたように見えても、必ず別の形、別の時代の騒髄をまとってそがえてくる。だから、同型サロシとその後の新たな同型の登場は、歴史の中で延々と繰り返されるサイクルなんです。
それはつまり、私たちが社会の中で型とか常識を作って、やがてそれが古くなると、誰かがそれを壊し、また新しい型を作る、という営みそのものみたいですね。
ええ。
同型は、その型を壊す伝理の象徴だから。
その通りです。同型殺しとは、その型を壊す原理すらも壊そうとする、非常にラディカルで究極的な試みと言えるでしょうね。
文学の問いかけ
こうしてじっくり話を伺ってくると、同型殺しという言葉が、もう単なる文学上のモチーフには思えなくなってきました。
これは、社会が混乱し、変革を求め、時に危うい方向に進もうとする時に現れる、人間の心理的な動きを読み解くための鍵そのものなんですね。
まさにそう捉えることができます。単なる昔の物語のパターンではなく、現代を読み解くためのフレームワーク、分析ツールとして使えるんです。
ということは、私たちが今世の中で起きている様々な出来事、例えばSNSでの炎上とか、特定の思想への過激な攻撃とか、そういうものを見た時に、これはひょっとして同型殺しの段階に入っているんじゃないかと考えてみる。
ええ。
誰かを生贄にして満足する段階を越えて、もっと根本的な笑いや多様性といった原理そのものを破壊しようとする動きがあるんじゃないかと、そういう視点を持つことには大きな意味がありそうですね。
非常に有効な視点だと思います。そして最後に、このテーマをさらに面白くするために、資料の語り手が投げかけている、ある種謎めいたアドバイスをあなたと、そして聞いているあなたにも共有したいと思います。
何でしょう?気になります。
究極の問いはこれです。一体誰が同型を殺しているのか。
誰がですか?
考えてみてください。ドン・キホーテでは誰が、あるいは何が、あの純粋な同型を殺したのか。
ハムレットでは、そしてあなたがこれから読む物語や見る映画では、作品ごとに、時代ごとに、そしてあなた自身の解釈によって、何が、どういうメカニズムで同型を殺すのかを考えてみること。
その分析こそが、このテーマの最も興味深い白心部分であり、答えは決して一つではない、と資料は示唆しています。
なるほど。主人公自身が自分の中の同型性を殺しているのか、それとも冷酷な社会の現実が殺しているのか。あるいは作者の意図、時代の空気、もっと目に見えない何かが殺しているのか。
そうです。その殺す死体と殺すメカニズムを突き詰めていくこと。それがあなたが今後、物語や、あるいはこの現実世界で起きている出来事を見る上での、新しい、そしてとてつもなく深い視点になるはずです。
この問いこそが、今回の話から持ち帰っていただきたい一番のお土産ですね。