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サマリー
このエピソードでは、イスタンブールのタクシム広場にあるモニュメントをきっかけに、トルコ共和国の建国とムスタファ・ケマル・アタチュルクが尊敬される理由を探ります。第一次世界大戦後のオスマン帝国が連合国に分割されようとした際、ケマル・アタチュルク率いる国民軍が領土を守り、近代的なトルコ共和国を樹立した独立戦争の経緯を詳細に解説。この戦争が単なる領土奪還に留まらず、政教分離に基づく近代国家への転換や、アジア・アフリカの反植民地主義運動の先駆けとなった意義を考察し、真の民主主義構築について語ります。
導入と調査の動機
4月5日日曜日の11時51分です。 4月5日日曜日の11時51分です。
さて、急に新しいコーナー。世界の民主主義の歴史を探る、歴史から学ぶ、AKIKO展ラジオです。
タクシム広場、イスタンブールのタクシム広場にモニュメントがあって、
トルコの共和国の建国を記念したモニュメントなんですね。
そこに、建国の父のケマルアタチュルクが、北側と南側に銅像になっていて、
ケマルアタチュルクは何で尊敬されているのかとか、
トルコ共和国の建国というのを、どうして独立戦争と呼ぶのかっていうことを、
私は全然勉強したことあるのかもしれませんけど、忘れてましたので、
それらのことを今、日向で公園のお日様のポカポカ当たるところに座って、
いろいろ調べたら結構面白かったので、記録しておこうと思います。
タクシム広場のモニュメント
まず、タクシム広場のモニュメントですけど、1926年に作られています。
これは、トルコ共和国の建国を記念してイタリアの彫刻家が作った。
モニュメントには、北側と南側の2つの面があって、
北側には独立戦争中のケマルアタチュルク軍服姿が描かれています。
そして南側、反対側を見ると、
共和国宣言後のアタチュルク背広姿と彼の仲間たちが描かれており、
近代的なトルコ国家への意向を象徴しています。
これ、明治維新みたいな感じですよ。
侍が刀を捨てて、武装解除じゃなくて、日本の場合は、
江戸時代から明治になった時の文明としての国家を、近代国家を作っていこうという、
そういった象徴としてのモニュメントなんですね。
トルコ独立戦争の背景と経緯
それで、あれ、トルコ独立戦争って何から何に独立するんだっけ、
ということが疑問に思ったので、調べました。
ジェミニさんによれば、
トルコ独立戦争、1919年から1923年は、第一次世界大戦で敗北したオスマン帝国が、
連合国、イギリス、フランス、ギリシャなどによって分割されようとした際、
ムスタファー・ケマル、後のアタチュルクを中心としたトルコの国民軍が領土を守り、
近代的なトルコ共和国を受立するために戦った解放戦争です。
この戦争の大きな流れを重要なポイントに絞って解説します。
ここは軽く省略しながら読むと、1918年に、まずオスマン帝国は第一次世界大戦に敗れて、
ムドロス共戦協定を結びます。その後、イギリスやフランスなど連合国がトルコ国地を占領。
1919年にギリシャ軍がイズミルに上陸したことが、トルコ人の怒りに火をつけました。
そこから、ムスタファ・ケマル率いる国民運動、抵抗運動が開始され、1919年5月19日、この日はトルコの祝日です、今でも。
そして1920年にアンカラに大国民議会が設立され、ケマルが議長に選出。
オスマン帝国政府イスタンブールとは別の独自の統治組織が動き出しました。
オスマン帝国はこの時点でまだあるのですが、平行して20年にアンカラを首都として設立して、大国民議会を作りました。
その後、三つの戦線、東部戦線、南部戦線、西部戦線などで戦争が行われ、
最後にギリシャ軍との戦いが一番激しかったのですが、1922年にケマル率いる国民軍がギリシャ軍を泉るから完全に追い出しました。
そして軍事的な勝利の後、外交交渉によってローザンヌ条約1923年、第一次世界大戦後の不平等なセーブル条約を破棄させ、トルコの主権と現在の国境戦を国際的に認めさせました。
そして1923年10月29日、共和国宣言、ここでオスマン帝国の君主制、スルザン制を廃止し、トルコ共和国が誕生、ムスタファ・ケマルが初代大統領に就任しました。
トルコ独立戦争の意義とケマル・アタチュルク
そしてトルコ独立戦争は単なる領土の奪還にとどまりませんでした。
脱オスマン、600年続いた帝国を終わらせ、政教分離に基づいた近代国家へ転換するきっかけとなりました。
第一次世界大戦後にヨーロッパに領土が占領されたということから領土を奪還しつつ、オスマン帝国制度だったものから民主主義国家に移行したと。
そして反植民地主義の先駆け、帝国主義的な列強を打ち破ったこの戦いは後にアジアやアフリカの独立運動にも大きな影響を与えました。
だからこのムスタファー・ケマル・アトルチュルクという人がここまで尊敬を集めているというのは、帝国主義を終わらせて植民地主義に反対するという象徴として、
トルコだけではなくて世界の中での独立運動へのモメンタムというかモチベーションを与えたという影響力があったというわけですね。
民主主義と歴史学習への考察
やっぱりこういうのって知識として一旦学んでいてもすっかり忘れているし、やっぱりその場に立って何かを見たときなどにこうやって調べるとすごくなるほどねと思うことがあるので、歴史を学ぶためにも世界を旅するというのはとても大切なことだと思うんですけど、
またこうやってまたいろいろ戦争が起こったりするとね、そもそも世界を旅するということさえもできなくやりにくくなってしまうので、本当に困ったものです。
まあまああれですよね、でもここで一番大きい私は教訓として心に留めたいことは、民主主義をつくるという動きで、ここで言えば欧州、このイギリス、フランス、ギリシャなどによる植民地主義に反対する動きとして国の内側から起こったわけです。
そういう動きがあって、やっぱりあるどこかの国が民主的な国家として、何だろう、体制を変えていこうということは、そういう革命というのはすごく、何ていうのかな、
もしそこで戦いがあったとしても、意味のある戦いと言っていいのかちょっとわかんないけど、言い方が難しいけど、でもそこには何というか正義というか、国の人たちの思いのある戦いだと思うので、
そういったものを私たちはフランス革命とか、トルコの独立戦争とかに見るわけですけど、
じゃあ例えば今、イランで言い訳的に使われている、特にアメリカによって提示されているナラティブ、民主主義をつくるためだ、何ていうのはやっぱりあくまでも言い訳でしかないし、
そんな外の人が爆弾を使ってつくる民主主義、何ていうものが本当にうまく運行できるかというと、そんなことは全然ないというふうに私は思っているわけです。
まとめ
はい、ではアキコテンラジオコーナー、以上にしたいと思います。いいのかなこんなの。はい、いいことにしましょう。以上です。ありがとうございました。
10:47
コメント
最後のAKIKOさんの民主化に対する考えに激しく同感💕今日、日本は日曜日で終日レポートを頑張って書いていて、息抜きにこのようなポッドキャストを聴けて嬉しいです。ありがとうございます。
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