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スピーカー 1
まず冒頭で話した民選議員設立憲法書、これについてなんだけれども、明治6年の政変っていうのが起きることで、
明治政府っていうのは分裂をしますと。簡単に言うと、
西郷隆盛を中心とする青函論を支持していたグループと、伊藤博文だったり奥歩俊道だったりっていう、
いわゆる岩倉施設団に行ってた人たちの間で、国内国外の政策っていうものが全然違ってきちゃって分裂をしちゃう。
で、西郷たちが政府から去るっていうような、まあ事件が明治6年の政変なんだけれども、
この時に同じく西郷と一緒に政府を辞めてた板垣大輔が、その政府を辞めた人々を集めて愛国公党っていう政治結社を結成して、
その愛国公党が、いわゆる自由民権運動を巻き起こすことになっていくっていうのが、
その自由民権運動の回でも言っていたことなわけです。
で、この自由民権運動っていうのは、要は政府にとっては自由民権運動みたいな、
そういう民間、いわゆるその民に政治を任せるっていうことは、自分たちにとっては都合が悪いわけよ。
まあそれは簡単だよね。だって自分たちがやりたいようにやっていたものがさ、今度人の目を気にしないとやっていけなくなっちゃうっていうのは不都合だよね。
不都合というかやりづらい。だからそういったいわゆる自由民権運動っていうものに対しては、もう弾圧をするのよ。
で、これは例えば1875年の残暴律であったり、新聞史条例であったり、出版条例の改正をしたりっていうところで、いわゆる言論統制を行うことで民権派っていうものを取り締まったっていうのもあるし、
1880年に周回条例っていうのを作って、これは自由民権運動、当時ってさ、今みたいにさ、もちろんインターネットなんてないからさ、
集まって基本的には話し合いとかをやらなきゃいけなかったわけよ。だからそういう集まり、周回とか結社っていう自由を制限することによって、
政治っていうもの、政治結社とか、要はその政治的な批判とか、そういう周回運動っていうのを未然に防ぐっていう役割をしていたんだよね。
で、前回言ったらそういうのもあんまり関係なく自由民権運動っていうのは、ただただどんどん盛り上がっていったっていうような話をしたと思うんだけれども、
今回のちょっとメインの方に入るんだけれども、じゃあ政府側ってずっとこういう自由民権運動っていうのはもうとにかく潰そうっていう動きをしていたかっていうと、実はそうでもなかったんだよね。
これは政府内でも意見が結構分かれてて、で、自由民権運動っていうのが盛り上がっているっていうところもあるし、
あとは、例えば伊藤博文とかってさ、岩倉施設団で世界を見てきてるわけじゃん。
でさ、その世界の列強国の多くでは、いわゆる民主的な国会っていうものがあるんだよね。
日本の最終目標というか、まあ最終的には国会っていうものを作って民主的な政治をするべきだっていうのは、これはどちらかというと天皇寄りだった伊藤博文も持っていたわけよ。
で、国内が不安定なのはその国会がないから、まあ要は国会がないイコール、民意が反映できていないから、例えば西南戦争みたいな内乱が起こってしまったり、
まあ自由民権運動みたいなそういうものが起こるっていうところをやっぱり政府も危惧はしてたわけ、ずっと。
だから政府としても国会っていうのはいずれ作らなきゃいけないだろうっていうのは漠然とずっと意見は持っていた。
ただ、どんな国会にしていくかっていうところで完全に意見が割れてたのよ。
まあ国会って言ってもさ、例えば国会にどれだけ権力を持たせるかとかそういった部分で結構こう変わってくるのね。意味合いっていうところでも。
スピーカー 2
主にその意見が割れていたのは国会の権力と天皇の権力のバランスっていう部分なんだよ。
スピーカー 1
伊藤博文っていうのはちょっとさっきも軽く触れたけれども、どちらかというと天皇寄りなわけ。天皇中心の政治権限を持たせて国会っていうのはちょっとこう力は抑えておいた方がいいだろうと。
あんまり民意を反映しすぎると天皇中心の国家体制っていうのが作れなくなってしまうから、どちらかというと国会は制限するべきだっていうのが伊藤博文の立場。
反対に大熊茂信は君臨すれども統治せずっていう有名な言葉があるんだけれども、これイギリスの言葉なんだけれども、要はイギリスを真似るような国会を作った方がいいと思う。
君臨すれども統治せずっていうのは要は天皇っていうのは、まあ君臨しているけれども実際政治には口をあまり出さないようにするっていうような形を取りたいっていうのが大熊茂信の意見だったわけ。
だから政府、今二人の意見しか言ってないけれども、政府の中の有力者っていうところで見てみてもこう意見が真っ二つに割れてるわけ。全然似てないじゃん。
同じ国会を作るでも天皇中心にした政治体制にしたいっていうのと、天皇はもうお飾りっていう言い方は良くないけれども、ちょっとお飾りに近い感じの天皇を目指す国会とっていう形でさ、全然意見が違ったわけ。
あとプラス、伊藤博文っていうのはどちらかというと慎重だったわけ。国会開設には。徐々に議会っていうのを開いていくべきだっていう人だったんだよ。
で、反対に大熊茂信っていうのは、もう今すぐ議会開いた方がいいぞと。もうとっとと民間にこう開放して民意を反映させようっていう感じだったわけ。
スピーカー 1
いわゆる大熊茂信の方が求心的だったわけ。で、大熊と伊藤っていうのは意見の対立はあったんだけど、まあ仲良くはやってたわけ。ある程度は。
ただ、大熊が伊藤博文とか岩倉智美を抜かして、当時の佐大臣、有栖川宮樽人信之っていう人がいるんだけれども、その方に国会開設を認めてもらおうとするための意見書を渡しちゃうのよ。
普通だったら、そういう伊藤博文とかそういった人たちに相談して、じゃあこういう意見書を渡そうねとかってやるところをすっ飛ばして、自分の意見だけを要はこう言っちゃったわけ。簡単に言うと。
で、ただ有栖川宮樽人信の方は、これってそんな安易に、まあちなみに佐大臣だからすごい偉い人なんだけれども、有栖川宮樽人信の方はこんなの安易になんか自分だけの意見で、例えば天皇に報告したりとかもまずいよなとかって思って、
このことを岩倉智美に相談するのよ。ちなみに大熊はちょっと岩倉とか伊藤には言わないでねっていうような感じで、一応その意見書を出したらしいのよ。
でも有栖川宮樽人信の方は、いやこれは重大だからちょっとダメでしょって言うんで、報告したわけ。簡単に言うと。ちくっちゃったんだよね。すごく平べったく言うと。
で、岩倉もこれはちょっと伊藤博文抜きでやるのはまずくないって言うんで、最終的に伊藤博文がそれを知ってしまうの。その大熊の行動を。
で、伊藤博文はもう激怒するわけ。なんつったって自分を抜かして、そうやって勝手に進めようとしてたわけだから。
で、伊藤博文が今度は怒っちゃって、やめてやるって言うんで、辞表を出して政権に来なくなっちゃったりもするのよ。
で、これはもちろん本気で辞めようと思ったかどうかちょっとわかんないんだけど、まあ脅しなんだよね。結局岩倉智美も伊藤博文辞められちゃったら困るし、で、岩倉智美が大熊の方に寄っちゃったらまずいから、とにかく伊藤博文側に岩倉を寄せようとして脅したわけ。
俺は辞めちゃうよみたいな。いいのって。良くないよねっていう感じ。
で、そんな中、大事件が起きるのよ。1881年なんだけれども、開拓し勧誘物払い下げ事件っていうのが起きるのよ。
スピーカー 2
なんか長い名前だね。
スピーカー 1
そう。これなんじゃそれ?って感じなんだけれども、すごいざっくり言うと、300万円使って北海道の土地を開拓するっていう事業を国主導でやってたわけよ。
つまりこの300万っていうのは国のお金だよね。で、その開拓した土地をなんと黒田清隆が39万円で5台トマトに売ろうとするのよ。
だって300万が39万だよ。
スピーカー 2
ね、だいぶ違うんね。
スピーカー 1
そう。国家予算を使ってさ、せっかく開拓した土地をさ、もうバーゲンセール以上のもう10分の1ぐらいじゃん。300万が39万だから。
そんな激安で売ろうとしていたっていうのがリークされちゃうのよ。マスコミに。
で、これを知った国民がもうめちゃめちゃ怒るわけ。おかしいだろってそんなのって。
国、まあ要は俺らから吸い上げた税金でそんなことしてんのかっていう感じで、ここで自由民権運動を行ってた民権派っていうのがもうめちゃめちゃ勢いづいちゃうわけ。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
で、結局もう政府は民権派を抑えきれなくなっちゃうわけ。ちょっともうこれやばいなと思う。マジで反乱、もう全国で反乱が起きちゃうよみたいな感じになるから、
もう渋々政府は10年後に国会を設立することをここで宣言するわけよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
いわゆる国会開設の直輸っていう言葉で教科書とかには載ってるんだけれども、1881年に国会開設の直輸っていうのを出して、
実際に1890年に、まあ要はその10年後だよね。に国会っていうのは設立することになるんだよ。
うん。
で、この事件、ちゃんとオチもあって、この事件をマスメディアに情報リークしたやつが絶対いるだろっていう風になるわけよ。
こんな普通にやったらバレないじゃんみたいな。まあもちろん政府が主導で賄賂みたいなことをやろうとしたわけじゃないんだよ。
もちろんそういうわけじゃないんだけれども、この情報をリークしたら絶対やばいだろっていうのは誰しもが分かってたんだけどリークされちゃったわけ。
で、このリークしたのが大隈重信なんじゃないかっていう噂が立つのよ。
スピーカー 2
ああそうなんだ。
スピーカー 1
そう、大隈重信がこの情報をリークするっていうのは、まあ大隈と伊藤博文っていうのは仲が悪くなってたし、
これを民権派にやれば民権派が盛り上がって国会開設を要求するっていうような流れになるっていうのもまあ読めるじゃん。
うん。
だから大隈がリークしたっていうのが定かではないんだけれども、一理あるよねっていうところは一応あるわけじゃん。
だから要は大隈がリークすることに対してそんなに疑いがないというかさ、いやあの人はそんなことしないよっていうような目では見られなくなっちゃったわけ。
だからこれで伊藤博文がもう絶対大隈でしょみたいな感じに思っちゃって、もう大隈に対する不信感が半端なくなっちゃったわけ。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
で、結局この不信感がマックスになったことで伊藤博文は明治天皇から信頼も厚かったから妻家をもらって大隈重信を追い出すっていう風にするの結局政権から。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、いわゆるこれが明治14年の政変って呼ばれることなんだよね。
スピーカー 2
あ、そうなんだ。
スピーカー 1
そう。明治6年の政変で政府は分裂しました。で、この明治14年の政変でもやっぱり反乱分子っていうのが追い出されるっていうわけ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
時代は繰り返すというか。まあそんな感じで明治14年の政変によって伊藤博文に反対するような、まあ要は反乱分子っていうのを追い出すことに成功するわけ伊藤博文は。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、結局国会開設は決まったよね。とは言ってもさ、国会開設の直輸は出しちゃってるから国会はもう約束しちゃった。国民に約束しちゃった。ってことは次はその国会が開設されるまでに何をすればいいかっていうと、何だと思う?
スピーカー 2
えー、憲法。
スピーカー 1
あ、そうだね。憲法もそう。すげー単純なところで国会っていうのは選挙で人を選ぶよね。その国会議員を。つまり選挙の準備をしなきゃいけなくなるわけよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
より自分らの意見に近い人たちが議員になれば政権運営しやすいでしょ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
だからそういう人を自分たち、要は自分たちの派閥を集めようみたいなそういう流れになっていくわけ。だからこれは逆に大熊茂信とか、例えば板垣大輔もこの流れに乗るわけよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
大熊茂信は、いわゆるそのイギリス流の議会を目指してたから、イギリス流の議会ができるような政治体制を作りたくて、自分と同じ考えを持つ人を集めて立憲改新党っていうものを立ち上げるのよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、板垣大輔は国会規制同盟っていうものを作ってたけれども、この国会規制同盟はもう国会開設されるって約束ができたから、もう役割を終えたことで徐々にその国会規制同盟っていうのが自由党へこう移っていくわけよ。
要は、大熊茂信も板垣大輔もそれぞれ政党を作って、その政党で選挙を戦っていこうっていう体制に変わっていくわけ。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
で、あとは明治政府だよね。明治政府っていうのは天皇中心の国会を作りたいっていうところで、すごい大きく言うとこの三巣組み状態になるわけ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、そんな流れがあって、やっと帝国議会っていうのは開設されることになるんだけれども、さっき尾形郎が言った通り1890年に開設されるんだけれど、帝国議会っていうのは国会ね。当時の国会の呼び方が帝国議会なんだけれども。
その帝国議会開設は1890年だけれども、その1年前に尾形郎が言った大日本帝国憲法が発布されるわけよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
つまり国会開設っていうものを憲法の中に盛り込むことで国会を開設するっていう、まあすごいざっくりとした流れだけれども、憲法を制定することによって日本の政治体制っていうものを確立させて、それで国会を作って、あとは民意を反映させていくっていうようなのが今後の日本の政治の流れになっていくっていうところなんだよね。