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2025-12-11 14:50

TTT多数決が民意❓夫婦別姓問題と民主主義TTT

❌ 民主主義=多数決ではない

⭕ 民主主義=多数決+少数者の権利保障

❌ 少数意見を尊重したら民意と逆になる

⭕ 民意とは「誰の自由も奪わない制度を作ること」

夫婦別姓の問題は
多数派と少数派の意見がぶつかるイデオロギー問題ではなく、
“多数の自由も少数の自由も両方守る制度設計”の問題

サマリー

今回のエピソードでは、夫婦別姓問題を通じて民主主義の本質と民意について考察されています。特に、多数決による決定が必ずしも民意を反映しないことや、少数意見を尊重する重要性が挙げられています。夫婦別姓問題を通じて、民主主義や多数決がどのように機能するのかについての考察が行われています。また、少数意見の尊重と人権の保障が民主主義の核心であることが強調されています。

夫婦別姓問題の概要
夫婦別姓問題。 別姓にしたいですか?
それとも反対ですか?
夫婦同姓であることに賛成する人もいます。 長い日本の文化とか伝統、そういった価値も無視できない。
多くの人が別姓はいらないんじゃない?って主張したとしても、いや、そんなことはない。 反対する一部の人もいる。
その意見を受け入れるべきなんでしょうか? そもそも民主主義って多数決なの?っていうのもありますよね。たくさんの人の声が通るのが民主主義なんでしょうか?
で、もう一方で多様性を認める社会。多様性ね、少数意見がありますね。 じゃあ少数意見を尊重すると、どういう何が起きるか?
多数決とは別の反対の方向に進んじゃいますよね。 それって民意って言えるんでしょうか?
The Thinking Track 気になったテーマを深まり。
改めまして、今回はテーマとしては夫婦別姓問題を取り上げましたけども、そもそも民主主義って何?民意って何?って話に続けます。
結論から言うと、民主主義っていうのは多数決ではないということ。 民主主義というのは多数決と少数の権利の保障両方を同時に実現すること。
そして民意って何か?って言ったら、少数意見を尊重すると民意と逆になるかといえばそうではない。
民意っていうのは誰の自由も奪わない制度を作るってことなんです。
だいぶややこしいですが、順番に紐解いていきましょう。
よく民主主義が多数決と勘違いされることが多くて、小学校の頃からやっぱり多数決で決めることが多かった。
それが民主主義でしょ?なんて言う人もいる一方で、
いや、人数が多ければそっちがいつも勝ちなのか?って言ったらそんなことないよねって。
少数意見だって正しいことはあるよね?っていうのもありますよね。
だから多数決のルールとしては確かに多数決の原理がある。
それは効率的に意思決定をするための必要な手段。
手段としては悪くはない。でも手段の一つでしかないのも事実なんですね。
多数決の原理。マジョリティルールってやつですよ。
その一方で手段の一つにしないということはもう一つ何があるかというと、
少数意見の尊重ですよ。マイノリティ・ライツ。
これが2つセットで同時になり立つのが民主主義ということで、多数決のイコール関係ではないって話。
多数決だけで決めちゃうと極端な話。
多数派って少数派に対して何をしてもいいんじゃね?っていうふうに、ある意味独裁に近い片方向に進むことに歯止めが効かなくなってしまう。
多数派の先生なんて呼ばれるそうですけどね。先生ってティーチャーの先生じゃないんですよ。
専門の制度の先生ですね。
で、少数派の意見で何が大事かっていうと、
尊重する。常に正しいかどうかは多数が正しいということは必ずしもそうでないこともある。
特に重要なのは個人の人権に関わる問題。人権ね。人権って子が尊重されますよね。
日本の憲法で基本的人権保障されています。第三条ね。
それって結局、個人の人権を侵害したら違憲ですよ、法律違反ですよっていうのを最高裁判所が判断するわけじゃないですか。
だから個人の尊重、個人の基本的人権に関わってくると、たくさんの人が違うよって言ってもそうじゃないでしょっていう力役が働くってことなんです。
答え言っちゃったようなもんですけども、じゃあなんで少数派の権利を守る必要があるのかっていうことは、それこそ今言った通りの基本的人権、自由の権利は多数決では奪えないものなんだよ。
自由の制限と社会の秩序
誰が望んだとしても他人の選択を邪魔できないっていう、そういう話なんです。
もうみんな右利きになれ!みたいなことを。みんなね、右利きが8割だったとして残りの2割はみんな左利きやめろ!って言っちゃダメでしょみたいな。そういう話なんですよね。
まあ宗教もそうですね。少数派の宗教の人にお前らの宗教恥じる!って違う宗教の人が強制的に多数決で決めちゃったら、え?それっていいの?って。そういうことですよね。
まあ最初にわかりやすいんで、時のテーマなんで取り上げましたけども、夫婦別姓っていうのも、同じ性を選ぶっていうことを他人が強制できるかしたくない人に対して、
してもしなくてもどっちでもいいでしょっていうのを守る必要があるんじゃないかというところなんですね。
自分がいつも多数派であるとは限りませんよね。ある大多数の場合は多数派に属していてもここだけはちょっと違うぞと。
でも自分が少数派の時に何思います?少数派だったら多数派に絶対に勝てない?正しいか正しくないかってそこにはないわけみたいな。
そういう意識を持ったことある人もいるんじゃないでしょうか。それはね、将来の自分の自由を守るためにも少数意見をやっぱり尊重するっていう視点を忘れてはならない。
という話なんですね。
それでは。
少数意見を尊重したら民意と逆になっちゃうんじゃないの?ってね。
だってよく多様性、多様性って言いますけども、みんなほとんど望んでないのにごく一部の少数の人の声が通るとその人たちの声の通りに社会が進んじゃう。
それって残りの多数派が犠牲になるんじゃないかみたいな意見を、意思を感じることもあります。
なんで俺らが我慢しなきゃいけないの?ごく少数の人のためにみたいな。
それは我慢というよりも、相手の自由を奪わないような制度設計があればいいっていうことなんです。
それは必ずしも、じゃあ多数派の人が我慢を強いられる?それとも違うわけなんですね。
だから多数派の人が何の支障もなければ、少数派の意見を入れたっていいんじゃないですか?
自由を多くの人の保障するってことは誰も排除しないということ。
だから多数派が何かを強制されて、不利益が出てくるとまた違う話になっていくってことなんですね。
だから民意っていうのは強制しない。多数派にも少数派にも。ということを概念としてはなんですね。
頭でこうやって聞いてもね、なるほどっていう気がするんですけどね、やっぱどっかに違和感というのが残っちゃいますよね。
自由を守ることと、自由を無正義にすること。
ちょっとね、そこがややこしい話なんですけども、その話に移っていきます。
じゃあ自由で何やってもいいのかっていう話です。少数派でも意見通りだって少数派なんでもできるんじゃない?
ところが、ところがですよ、ちょっと例外があるんですね。
自由って制限されることもあるんですよ。憲法でね、制限も決まっている。
なるべく尊重するんだけど、一つは公共の福祉に反しない範囲で認める。
逆に言うと他人の自由や権利を侵害するんであれば、その自由は認めませんよと。
だから自由と自由がぶつかってしまうと調整が必要になる。
という話ですよ。騒ぎたい人もいる一方で、夜静かに寝たい人がいる。
夜静かに寝たい自由だってあるじゃないですか。でも夜騒ぎたい自由もある。
それってどうなの? そこにやっぱり秩序、公共の福祉という観点が必要になる。
あともう一つは、社会を維持するために必要な最低限のルールみたいな話。
人のものを盗まないとか、人を謝めないとか、税金はちゃんと払おうよとか、そういう話。
一方通行逆走すんなよみたいな。そうしないと社会が安心して暮らせなくなる。
そういうものは、俺は逆走したいんだよって言ったからと言って、その自由まで認めちゃうと、社会が成り立たなくなっちゃうよねっていうことで、制限もあるんですね。自由というのはね。
何でもしていいとは言っていないという話なんです。
なんかどんどん難しくなってきますね。話がね。
夫婦別姓問題の考察
基本的人権って難しいですよね。
まあ、平たく言うと、無制限にはでも保証はされてないってことなんですよね。
他人の人権と衝突してしまう場合は、どっちかが犠牲になっちゃうので、調整が入るし、公共の社会福祉のため、社会全体の利益安全実情を守るためには、やむを得ず人権は制約されることがあるということなんですよ。
冒頭のあの夫婦別姓問題で言うと、どうなるのかと。
現行の法律民法では、婚姻の自由とか個人の尊厳を不当に制約しているよ、侵害しているよって言って、違憲じゃないの?っていう意見がある一方で、その違憲か合憲かを判断する最高裁判所は大法廷の判決で、合憲であるって判断しちゃったんですよね。
それが冒頭ちょっとキーワードにも出しましたけども、昔ながらの社会的な観光とかね、監修、家族の故障とか、歴史的文化的なものも含めて、そこまで含めて総合的に判断すると、その判決の時点では、そんな不合理でもない、侵害とまでは言えないんじゃないかっていうね、
絶対的なものではなく、相対的に現時点ではまだ、違憲じゃないんじゃないの?違憲じゃない、違憲じゃない、違憲、なんちって、しゃり言ってる場合じゃないですね、はい、ということだったんですけども、ただ法改正を必要かどうかっていうのは、国会で議論しなさいということで、今国会でいろいろ盛り上がっているわけですよ、うーん、はい、こういうことを意識した上で自分の意見を言っていく。
だからどっちでもいいんですよ。賛成でも反対でもいいんです。賛成する人と反対する人の折り合いをつけるのが大事であって、折り合いの着地点をどこにするかですよ。お互いをちゃんと守り抜くというかね。折り合いのつくバランスってどこなの?っていうこと。
それが一つの、選択的夫婦別姓というのはありますけども、それは一つの出口の一つなのかなという気がしています。一緒である合理性と分ける合理性の両方が共存できる。ややややこしくなる気もしますけども、強制的にどっちかに統一するよりは折り合いのつきやすい着地点なのかなという気もしています。
外国はどうなんでしょうとかね。外国の歴史的背景はどうなんでしょうとか。時間をかけて、自分も国会の答弁には参加しませんけども、自分なりに考える機会を増やしていくと、そのための時間なのかなと。国会で議論するのと同時に自分たちでも議論していく。そういうテーマなのかなと感じた次第です。
別に夫婦別姓の是非を私は言いたかったわけじゃなくて、多数決と民主主義ってどういうことなんだろうということと、あとはみんながこう言ってるのに少数派遣を通したらそれは民意じゃないんじゃないのっていうことに対して明確な答えがなかったので、ちょっとそれを整理しようと思ったのが今回のスタートラインでした。皆さんはいかにどのようにお考えでしょうか。
もう一度ね、最初の冒頭の疑問の結論に行きますと、民主主義っていうのは決して多数決ではないですよと。少数の人でも特に人権に関わる問題はちゃんと権利を保障しなければならない。いくら大勢が行ったとしても個人の権利を侵害することはできない。それが民主主義ということと。
あと、多くの人の意見がこうなのに少数の意見を尊重したら民意と逆じゃねえのっていうことではない。両方の意見を両方の授与を奪わない制度を作るのが民意だっていうお話だったんです。いかがでしたでしょうか。今回はこの辺りで。
最後にお断りを一つ。今話した内容、参考資料としてAIから得た情報を使っています。内容の正確性につきましてはくれぐれもご自身で最終判断をしてください。お気づきの点がございましたらお知らせいただけると助かります。
バイバイ。
14:50

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