1. AKIKOの声日記
  2. #123 週末の公園で僕は憂鬱に..
2025-11-20 09:36

#123 週末の公園で僕は憂鬱になる

2025/11/20

オシャレカフェでランチをしても完全には楽しめない。

#声日記

 

サマリー

週末の公園でリラックスした時間の中に、都市の発展と歴史的な複雑さを感じる様子が描かれています。特に、内戦や社会の断絶についての考察が、心の中に憂鬱を引き起こしています。

公園での穏やかなひと時
2025年11月20日、16時57分、夕方です。
今日の公園日記です。
週末です。
はい、木曜日の夕方。
今日は天気も良く、暖かく、まだ明るいうちに仕事を終えて、
ああ、やれやれっていう感じで一週間を終えて、のんびり公園でベンチに座っております。
そして、そんな感じにのんびり座っている人たちがたくさんいる、大変のどかな雰囲気の公園なので、
はい、ゆったりした気持ちで公園日記を撮りたくなりました。
ゆったりした気持ちって言って、ちょっとなんだろう、
なんかね、本当に私はこの街で、また引き続きDAMの街におりますけれども、
本当に複雑な気持ちでおりますよ、毎日。
今日もね、とっても素敵なおしゃれなカフェ街を見つけてしまって、そこでお昼を食べたんですけど、
で、その後午後をね、ほとんど聞くだけでいいような会議があったので、
お昼ご飯を食べて、その後そこで座って会議に参加してっていう形で、
今日の午後はちょっと半分外出モードで、半分ゆったりお仕事をしていた。
ただそのカフェがね、本当にね、パリかよっていう感じのね、おしゃれっぷりなんですよ。
そのカフェだけではなくて周りにあるお店ね、全部。
あとお客さんの感じ、本当にヨーロッパみたい。
それはすごい嬉しいことでもあります。
この秋のヨーロッパみたいな雰囲気って大好きなので、
少し紅葉していて空気が涼しくて人々がおしゃれをしていて、
っていう雰囲気ね、秋のヨーロッパの雰囲気って本当に素敵ですよね。
で、美味しい食べ物もあり、おしゃれなカフェで気持ちよく座ると、
周りには女性たちもいっぱいいて、とても快適です。
それはとてもうれしいことです。
でも同時になんか、なんでここだけこんなに発展してるんだよっていう怒りがね、
毎回少しだけは湧いてくるんですよ。
怒りはね、自分に対してですね、
どうして私はこっち側にいる人になってるんだよっていうことですかね。
やはり国の中に大きな断絶みたいなものがあって、
すごく発展している場所とすごく取り残された場所があるときに、
なんかどうしても私のいる場所はその発展している方になって、
しまっていることが、せっかくこの革新まで入ってきたって思ったのにね。
2016年ぐらいに人道支援のN14に転職をしてから、
ずっとシリアに入りたい入りたいって思ってきて、
やっと入れるようになって今年、
本当にまた団体の中のいろんな挑戦も越えて、
やっと入ってきたときに、
今私がいる場所はここじゃないだろう、
いや違うな、でも今私がいなきゃいけない場所はここなんですよね。
仕事がここでやらなきゃいけない仕事が今あるから、
今私がいるのはここでいいんですけど、
ここで私が毎日過ごしているこれに慣れてしまってはいけないっていう感じとか、
どうしてもやっぱり私はこっち側の側にいるなということに対する怒りみたいなもの、
何話してるか全然わからないですよね、聞いている皆さん。
すみません、本当に複雑な気持ちです。
ただオシャレで本当に素敵なカフェで素敵な時間を過ごしましたって言ってもいいんですけどね、
完全にそうやって楽しめないんですよ。
すごく似ている気持ちをいただいたのは、
イスラエルに行ったときです。
ヨルダンから入って、パレスチナなどもの様子をいろいろ見て、
なんかすごく厳しい壁の建物を越えてね、
で、イスラエル、テルアビブとヨルダン、
急になんかヨーロッパかアメリカ勝手みたいに発展している街が現れるじゃないですか。
そしたらなんかそんな国内避難民の人とかいっぱい周りにいるんだから、
ここに来ればいいのにって最初一瞬思ったんですけど、違った、違ったみたいな。
内戦と社会の複雑性
ここの人たちがその避難民をむしろ生み出した人たちということですよね。
で、それが同じことがこの国でも起こったわけですよね。内戦だからね。
内戦って恐ろしいですね。
まだ他の国が敵なんだったら、
あの人たちが悪いってすごく言いやすい。
それはそれでおかしい話なのかもしれないけどね。
敵というのを断定しやすいし、それに対して、
周りの人と、あの人たちにこんなにされたんだから、
私たちは、憎しみを抱かないとしても、
私たちは私たちで立ち直っていきましょうというふうに切り替えやすいような気がするんです。
ただ国防の場合は、だからどこまでの人たちが被害者側で、
どこまでの人たちが加害者側でっていうことが、
うーん、
やっぱり被害者と加害者って分けるっていうこと自体がおかしいっていう話もあると思いますけど、
うーん、
その混ざっているということが非常に複雑な状況を、
これからも生み続けるでしょうね、ある程度。
その意向規正義とかっていう言葉、トランジショナルジャスティスという言葉を使って、
例えば今から戦争犯罪者を休断していくとして、
どういう人たちが裁きを受けるべきなのかみたいな議論を読んだことがありますけれども、
例えば本当にマネージメント側として虐殺などに意思決定者として
加わった人たちは当然裁きを受けるべきであるし、
その裁きを受けるべきな人たちは、
その虐殺などに意思決定者として加わった人たちは当然裁きを受けるべきであるし、
そうではなくて、手下としてただスタッフとして
従わざるを得なかったような人たちに関しては
ある程度許していかないと、
元旧政権の公務員全員を裁くわけにはいかないですから、
みたいな議論がありますけど、
そんな断絶みたいなことに関しては、
そういった民間の人たちの中にも、
迫害に加わったり殺害に加わったりという直接的な
内戦に関わったという話だけではなくても、
ちょっと似たようなものを感じるわけですね。
なかなか難しいトピックで、
こうやって外の外部の人で、
街の中でのんびり座っているような人が話していいトピックなのかも分かりません。
ただ忘れないようにしたいのは、
今私がここでやっている仕事は、
私がここの町で暮らすためではないということですよね。
NGOとして団体の登録をしているんです。
首都ではないですね、やっぱり。
むしろ私たちの団体は、
とても北東部の外れの田舎に本部を置いていますので、
むしろそちらの方の周りということになります。
断絶、格差、断絶という言葉は、
どこの国でも日本でもありますし、
ここではより一層、
被害者・加害者みたいなものが混ざっている感じにもよって、
とても複雑な状況を生んでいると思います。
せっかく休みののんびりした気持ちだったのに、
複雑さに巻き込まれた憂鬱な気持ちが、
今、勝ってきてしまいましたから、
ぜひ、週末はのんびりしようという気持ちの方に
切り替えていきたいと思います。
以上にします。聞いていただいてありがとうございました。
09:36

コメント

スクロール