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#13「ことばはむずかしいとおもう なんでせかいがおなじことばではなさないのか」:東京都現代美術館での来客者メッセージ
2024-12-30 29:20

#13「ことばはむずかしいとおもう なんでせかいがおなじことばではなさないのか」:東京都現代美術館での来客者メッセージ

第13回は、わたるが東京都現代美術館の展示で目にした、来場者の感想メモからの引用です。


「翻訳できない わたしの言葉」展で目にした二文から、僕らが感じたことのある「伝わらなさ」「分かり合えなさ」を話しました。


★毎週月曜日 夕方5時に配信しています★


【メンバー】

わたる:発起人。テレビの制作会社ディレクター。テレビを見るより本が好き。


ひかる:わたるの大学からの友だち。会社員。道端に落ちているものを写真におさめたり、飼い犬を愛でるのが好き。


つかだ:ひかるの会社の先輩。ゆいこの塾の友だち。つかだくんと呼ばれているけど、みんなと仲がいいつもり。本が好き。


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00:06
IN YOU RADIO
引用ラジオ。小説や映画、ドラマや絵本など、日常で出会った言葉たち。
心に残った言葉にその人だけの経験や、普段考えていることが透けて見えてくる。
引用する言葉から、あなたの中に湧き上がる何かが垣間見えたら。
メンバーたちが持ち寄った言葉を取り上げながら、社会や生活を考え雑談するポッドキャストです。
今回は13回目になります。
ヒカルです。
塚田です。
けいこです。
今回は渡るが担当します。よろしくお願いします。
静かだね。
笑い
ちょっと静か。
言いの句をどう継ぐのか。
お見合いしちゃった、今。
今回はですね、今まで僕は、毎回今までやったやつを2回、3回やって、
これ自分のターンとしては4回目なんだ。4週目なんだ。
回ってきましたね。
本とか絵本とかだったけど、今回はね、メモなんですよ。
メモって言っても、ただのメモじゃなくて、
ある付箋に書いてあった言葉なんですけど、
清澄白川にある東京都現代美術館で、
翻訳できない私の言葉っていう展示が、
今年の2024年の7月にやってて、
それに一人でプラットに行ったときに見つけた言葉なんですけど、
どんな展示だったかっていうと、
翻訳できないいろんな言葉を取り上げてて、
いろんな言語もそうだし、手話とか、
その人の持っている世界みたいなところとか、
なんかすごい多層的なというか、複層的な展示。
展示というか、実験的な展示だったんですよ。
誰か行った?
来てないんだよね。
すごい面白くて、体験型みたいな部分もあったりとか、
手話をじーっとみんなで静かに見えるみたいなスペースもあったりとか、
すごい面白かったです。
それ一周してきたら、最後の出口のところに、
ちょっとガランとしたスペースがあって、
壁に一面に思った感想を線に書いて貼れるみたいな、
洗濯ばさみに引っ掛けられるみたいなスペースがあって、
そこに一つ一つみんな終わった人が順番にじっくり見ていく。
案外、結構みんなそこで時間過ごしてるなと思って、
じっくりみんな見てて、すごいいいスペースだったんですけど、
03:02
みんな自分の体験とか、自分でもこういう経験があって、
猫の言葉がわかるようになってきましたみたいなかわいい話もあれば、
差別を受けた経験がありますみたいな、
言葉がしゃべれなくて差別を受けた経験がありますとか、
関東大震災の時に、韓国人、朝鮮人が井戸に毒を入れたみたいな、
デマがルフして、
日本語をしゃべれなくて50銭みたいなのを言わせて、
とか言わせて、
ちゃんと東京弁でしゃべらせなかったら、
殺害するみたいな事件が多発してたみたいな、
そういうことも書いてる人いて、すごい興味深かった。
言葉による迫害とかもあって、
その中で拙い文字で書かれてる言葉がパッと目について、
おそらく子供っていうか10代かそれ以下なんじゃないか、
その人の青い布線に貼ってあったんですけど、
言葉は難しいと思う。
なんで世界が同じ言葉を話さないのか。
っていうのがパッと貼ってあったんです。
言葉は難しいと思う。
なんで世界が同じ言葉を話さないのか。
なんかちょっと拙い文章というか、
すごいここにいろいろ思いをはせて、
ぼーっとしちゃったんですよ。
その理由が、たぶんこの人が聞きたいことって、
なんで世界が同じ言葉を話さないのかではないんですよ。
なんで世界が同じ言葉を話さないのかって聞かれたら、
理由はいくつでも出てくるんですけど、
例えば、今の人類学、
今の工学の仮説だと、
人類がイチオピアで誕生したとされていて、
そこから何千年、何万年かけて、
いろんな地方に行きましたみたいな。
話をしたら、それは一つ、
科学的な根拠になる話かもしれないし、
とか、いろんな地域で独特な文化が、
環境に合わせた営みが行われるから、
そこに適した言葉とか、
そこにしか存在しない言葉が生まれるみたいな。
例えば、日本は雨の形容する言葉が多いってよく言うじゃん。
木漏れ日みたいな、翻訳できない言葉は、
そこにいる人たちが共通して感じる、
が捕まえられた感覚とか、
様子みたいなのが言葉になっていくみたいな。
いろんな説明はできるんだけど、
多分、それ聞いてもこの人は納得しないんだろうなと思ったんだよね。
なんか、その言葉が難しいと思うって言いたくなった。
何でなんだろうなとか。
あるいは、世界のみんなが同じ言葉を話せた方がいいと思っているのかとか。
いろいろ考えようがあるなと思ってたんだよね。
06:02
今、29歳になって、
同じ言葉を話せなくていいと思う。
みたいな気持ちにはなってるんだけど。
でも、子供の頃、確かに、
分かり合えたらいいなとか、
何で分かり合えないんだとか、
何で喧嘩しちゃうんだろうとか、
何でこの人こんなこと言ってくんだろうとか。
同じ気持ちを共有できない辛さみたいなことを
よく感じてたなって確かに思ったりとか。
子供の頃感じてたけど、今は勝手に腑に落ちて、
もう考えてないことって結構あるなみたいなことを思ったんですよ。
この付箋のメモを見て。
自分が忘れてたこととかをちょっと考えてみたいなと思って。
そういうのありますよ。
今、この言葉のことで思い出したことでもいいし、
子供の頃、何でこうなんだろうって思ってたけど、
今、理由が自分の中で腑に落ちてることとか。
直接ではないんですけど、この話聞いて、
確かに言葉同じっていうのは単純に文法とか使ってる言葉っていうよりは、
多分その言葉の手前にある気持ちみたいなものを
もっと分かりやすく伝えられたらみたいな話かなとは思いつつ。
確かにそういう意味では僕も誰と一緒で、
違うから面白いんじゃないかみたいな。
違うから伝えようとするし、
違うから会話が生まれるしとかはちょっと思うかもしれないなっていうのは。
でもこのメモ、本当に幼いような字で書いてあるところから推測するに、
子供だと、仮に10代以下の子供だとしたときに、
言葉は難しいと思うって出てくるのは結構相当な体験あったんだろうなとは思ったんで。
言葉は難しいと思うっていうことは結構難しいっていうか、
嫌なことを言われて嫌だったみたいなことじゃないだけじゃないというか、
そういうのが多分いろんな蓄積があるんで、
組み重ねで出てきたんだろうなと思って。
言葉は難しいと思うって。
むしろいろんな含蓄があそこにあるっていう含有されてる辛さなのか、
どうしようもなさみたいなのがあるなと思って。
子供の伝わんなさみたいな話は確か小学生のときとかすごく感じることはあったかもしれない。
ヒカルとかと飲んでるときに話したことあるかもしれないですけど、
結構質問をする子供で、先生とかにこれどういうことですかとか、なんでですかみたいな。
ちょっと今思って嫌な子供だったなと思うんですけど、
それがすごく問じられたりとか、自分がこう思うってことを喋ったときに全然届かないなとか、
09:01
喋るたびにうるさいって言われるみたいなのがあったときに伝わんないなっていうのはすごくあったかもしれない。
自分の話ですね。
それに近いこと言うと、言葉じゃないんだけど、
気持ちの伝わらなさみたいなのをすごい感じたことがあって、
小学生ぐらいのときにお父さんと話してて、
私が友達から借りてたCDをお父さんがなくしちゃったかもなのか、
その関係の話で私が困ってて怒って悲しかったみたいなときに、
それをお父さんにぶつけたときに、
いやいやそんな大したことないっしょみたいな、
笑ってたしなめるじゃないけど、みたいなことをされたときに、
家族だし親だけど、この私の悲しさとか生きどおりはこの人には伝わらないものなんだって思って、
家族だけど他人なんだなって初めて感じたことを覚えてて、
街中とかで小学生よりもすごい小さい子供とかがわーって泣いてて、
親がそれに対して笑ってるみたいな、そんなことでまた泣いてみたいな状況を見ると、
結構ちょっと胸が辛くなるっていうか、
この子にとってこの瞬間が私がそれを感じたときみたいな経験に、
どこかで気づくからいいと思うんだけど、
そうなって泣いていいなってちょっと思ったりする。
思い出すのはいろいろあるね、自分もそういう経験ある。
やっぱり親とか母親とか特にすごい信頼してさ、無条件に。
身を委ねるような状態の関係性で成長してこれたというか、
そういう中で分かってくれないと思った瞬間の、
あの子のすごい深い溝が急に見えてきたみたいな感じがあるよね。
それは確かにすごい辛いなと思うし。
そうだよね、しかも子供って寄り所が少ないからさ、
家族って大きい柱がすごい万弱なものじゃなかったのかなっていう感覚に
すごい脅かされるっていうかね。
なんか言葉は難しいと思う。難しいと思う。
なんかさ、思春期とか子供の頃に感情がガーってガーってなるぐらい腹が立つ。
12:06
自分が正確に何て思ってるのか分かんないけど、
めっちゃ苦しい、めっちゃ嫌だみたいになる時にあんまり反抗期、
あんまり反抗期した反抗期がなくて、
すごい人と喧嘩するぐらいキレるような子供あんまりなかったんだけど、
とはいえ思春期とか反抗期みたいな時に高ぶる何かはあったんだけど、
その高ぶる何かが頭の中にある時にすごいいろんなこと、いろんな言葉が浮かんでいくんだけど、
それをなんか書いたりとかしてみると、なんかこうじゃないみたいな。
勢いよく例えばなんだろう、それこそめっちゃ強い言葉だけど、
死ねみたいなことって子供とかよく言うじゃん。
なんかクソみたいな。書いてみると全然違う温度感になって、
なんか急にめっちゃ冷めるみたいな。
書いてみると、とは思ってないかみたいな。
書いてみたら、とは思ってないわなってなって、
なんかちょっと引いちゃうみたいな。
なんだけど、一回詳細の内容はほとんど覚えてないんだけど、
兄が結構気難しい人かなって、
お兄ちゃんは割とキレるタイプなんだけど、
ああって書いてて、
こうこうこうだったから許さないみたいなさ、
怒りの鉛筆書き。
筆圧強かったね。
2Bみたいな。
そのルーズリーフを見たことがあって、
えっ、よく書き切れたなって。
結構長かった。
えっ、よく書き切れたなと同時に、
そこの熱量から、書いても書いても冷めないエネルギーに。
急に思ってる時と言葉に出す瞬間と書く瞬間で、
全然同じ言葉でも温度が変わっちゃって。
大学1年生くらいの時とかに付き合ってた相手がいて、
恋愛をちゃんと、高校の時とかそんなにちゃんとしなかった。
大学でちゃんと恋愛をしようとした時に、
LINEがあってよかったなって思った。
テキストで喧嘩をするというか。
テキストで思ったことを言うと、
まさに自分の気持ちを結構正確に書かないといけない。
かつ相手に伝えて分かるようにしないといけないから、
結構そこで客観視をする訓練になったのではないかと今思ってて。
15:02
そう思える人も多くないと思うけどね。
そうじゃない方向もあるじゃん。
怒りのままにぶつけて送っちゃうみたいな。
確かにあるかもしれない。
多分そのモロ派でそっちの経験もあったからこそ、
確かに言葉は難しいっていうのと同時に、
言葉って結構救いというかギリ寄りどころになるなっていう、
人間関係になるなっていうのは今の話を聞いててすごく思った。
確かに。
仲良い会社の先輩が日記をずっと書いてるみたいな人がいて、
見せてもらったことがあるんだけど、
なんか喋るみたいに書いてるわけよ。
自分にはできないなと思ったんですよ。
喋るみたいにブワーって書いて、
でもすごい羨ましいなと思ったの。
出せるみたいなことが。
その時の切実な思いをそのまま出せて、
しかも違う、違うみたいにならない。
羨ましいなと思ったんだよね。
羨ましいよね。
その時そういう気持ちだったこととか、
自分の中ですごく大きな感情の動きがあった出来事を
日記に書くっていうのはあるんだけど、
そこってもう一個熱量がラップした後みたいな感じの、
熱々じゃないみたいなね。
それを書いてる途中に覚めずに書き切る力ってやっぱすごいなって。
すごいよね。
それって何の力なんだろうね。
わかんない。
例えばさ、めっちゃ腹立ちます。
電話で怒ります。
あるじゃん。
電話で怒るのはまだちょっと想像できる。
何なの?みたいな。
手紙で同じ熱量で切れるってなかなか難しいじゃん。
手書きでこうやって書いてる。
客観しちゃうしね、その怒りを。
書き終わった頃には、まあわかるけど。
なってそうなの。
だからさ、多分ここでちょっと共有が今出来てたのは、
やっぱり自分の気持ちですら翻訳しきれないというか、
自分の気持ちですらこの日本語っていう流暢に話せと思ってる言語に
翻訳しきれないみたいな。
それがあるじゃん。
と同時に、人が書いた文章に自分が共感したりとか、
こういうこと言いたかったのかもしれないみたいな言葉に出会うこともあったりとか。
本来は自分の言葉ですら、自分の気持ちですら自分の言葉で言い切れないみたいなことを
すごい日々感じるなとは思う。
そうだね。
言ってるのが本当なのか、書いてるのが本当なのか、
思ってる段階しか本当じゃないのかとか。
伝わるで言ったらさ、本当に思ってることだけがニュアンスで、
18:03
もう全然違う伝わり方しちゃってとかもあるし。
それは難しいよね。
さっき、思春期の時の親とのぶつかり合いみたいなことを
いろいろ思い返してて思ったけど、
あの時みたいなすごい大きい感情の爆発みたいなことがもうない。
特に怒りとか悲しみに関してないなと思って。
自分の中にあってもそれを人にぶつけることって本当になくなったなと思って。
それは自分が年を重ねたからなのか、
もしくはさっきLINEがあってよかったみたいな話があったけど、
テキストカルチャーになりすぎて、話す時でさえ一回書いてるみたいな気持ちで変換して、
タイピングして編集して。
タイピングしながら話してる感覚がすごいあって、
そのせいもあるのかなみたいな。
それはめっちゃおもろいね。
しかもメールとかの速さじゃなくて、
LINEによって結構喋り方変えられてる気がするね。
考え方とか。
自分は日記をずっと書いてた時期があって、公開してノートに書いてたんだけど、
だけど自分はどっちかというと喋り優位だなって思うことがよくあって、
考えていくことを整理する時とか、結構喋った方が発想できるし、
発散もできるなあみたいなことを思ったりするんだよね。
で、思い出して書く時は、難しいな。
全然違うものではあるかもな、やっぱり話と。
思い出しながら話してることと、
それはスピードが違うもんね。スピードが違うし。
あれってあります?
あんまり本当は思ってなかったかもしれないけど、
めっちゃ違うこと言っちゃったなあみたいなとか、
その場で本当は言うべきじゃなかったけど、
結構言っちゃったなあみたいなことってあります?
あるね。そんなのばっか。
飲み会とかはある?
普段あんまないかも。
あんまないね。
改めてちゃんと言いたいと思ったら。
持ち帰って。
何が言いたかったのかよく分かんなかったけど、
喋ってる間に何が言いたかったかよく分かんなくなっちゃったわ。
それがあんまりない。
ちょっと分かんなくなっちゃいそうだから待ってみたいな。
21:02
先にね。
あんまりでもないかな。
言いたいことはなんとなくあって、
でも相手もなんか、
それジャズじゃないけどさ、やっぱり。
そのうねりの中で共有できるところ、タッチポイントを探していくみたいな。
いつもスタンスな気がするから。
だから翻訳できないのは前提だっていうか、
自分でも別に言い切れないし、相手もきっと言い切れてないから、
でも相手の言葉に結構傷ついちゃうときもあるな、過剰に。
自分は自分の言葉を言い切れてないと思ってるのに、相手の言葉はナイイブに受け取っちゃう気がする。
確かに分かる。
そんなことないって思ってるつもりなんだけど、
それは勢い任せに言ったんだとか、
本当に言いたいことはこれじゃないんだろうなとかって、
バッファー持たせてるような気ではいるんだけど、
傷つきはするような。
言われてる方って覚えてるよね。
言われた方は方が覚えてるんだよね。
それも言葉の難しさのかもしれないね。
発する方よりも実は言葉にしてるからこそ伝わる方により比重が置かれるというか、
言われた側の方が覚えてしまってるっていうのは、
気持ちってそうじゃないかもしれないけど、
言葉にすると実はそうなのかもしれない。
あの時ああいう気持ちを向けられてたなって思い出すことはあんまりないけど、
あの時こういうこと言われたなって思い出すことが多い気がするね。
かっこたるものに見えちゃうんだよね、言葉ってさ。
出てきた言葉とか、発話された言葉とか、書かれた言葉って。
それがよく働く時もあると思ってて、
創作活動とかはさ、言葉として落とすことで、
その先の流れができてきたりとかするじゃん、きっと。
編集とかもこのカットを繋いでみたら、
次これ入れたらストーリーになるなみたいなことも多分あるし、
表現活動においては言葉の推進力とか、
見た目の強さみたいな、固さみたいな、
信頼性を持っていそうな雰囲気みたいなものが今働く時もあるなとか、
言葉に欠かせるみたいな。
24:01
そこまで創作してないけど、プロと比べたら。
だけどみんな、ホムラさんからみんな新聞記者であり詩人であるみたいなこと書いてたじゃん。
だから新聞記者みたいなロジカルな事実を情報として丁寧に述べるみたいなこともできるし、
でも詩的な言語活動もできるみたいな面はあると思うんだよね。
言葉に欠かせるみたいな状態に自分を持っていくこと。
それも楽しみたいみたいな気持ちもあるっていうか。
喋りの時はそっちかもしれない。
どんどん喋って、訂正して、これで言い直すとか、
言い止みつつ、また再挑戦してみるみたいな。
マジで生きるツールだね。
ブロードな言い方になっちゃうけど。
言葉は。
言葉によって、さっきの新聞記者にも詩人にもなれるというか、
相手に対しての場をどういう環境を作っていくかとか、
どういう状況をしていくかっていうのを、
同じ気持ちであっても言い方を変えるだけで変わるっていうのは、
その人がどう生きたいかに密接に関わってくるものだよなということを改めて思ったし。
道具だと分かってない瞬間もあるなと思って。
道具ってそこまで引いてみれないときもあるよね。
そんなに道具だと思って使えたら多分楽だんだろうけど。
道具に使われちゃうときもあると思うし、振り回されるときとか。
そういう意味だと、下手な言い方だけど、
SNSとかって出てきてすごいよね。
つまり言葉が明らかに氾濫するようになってるわけじゃん。
個人の言葉として。
それによって言葉を道具だと思ってるか否かの認識ってどう変わっていくのか単純に気になるよね。
50年後とか100年後とか。
道具だと思いすぎるのも嫌だなみたいな。
要はSNSが優位なのは、やっぱり言語感覚が強い人が優位に立てる社会だと思うんだよね。
それ以外に言語ってたくさんあって、言葉以外の言語が。
絵画とか写真とか映像とか、体の動きとか目線の動きとかさ。
文字としての言葉が優位すぎるとまた窮屈だなみたいなことも思うし。
それが万能の道具だと思ってほしくない気持ちもある。
すごい抽象的な難しい話になってきた。
かわいい字だよね。
写真撮るなって言われたんだけど撮っちゃった。
27:03
これ多分子供が書いてるんだけど。
子供のこういうシンプルな文章にハッとさせられることってあるよね。
詩人だよね。
個人的にはこれもちろん子供の新鮮な視点とかさ。
受け取り手がちょっとでも持ってないとこれを選べ取れないと思うんだよね。
そういう意味で渡辺はこれに美しい問題指揮内容を持ってたからこそこれが考えてみえたんだと思う。
そうだね。
これをタイピングされた文字で漢字変換された文字で。
これ全部ひらがななんですけど。
変換された文字で見たら通り過ぎてたかもしれない。
確かに。
世界は一つの言葉じゃない方がいいよみたいな正論で返しちゃってたと思うんだよね。
これがひらがなに開かれてて拙い文字で書かれてたからこそそこでのより想像ができたっていうことがあるかもしれない。
なんかこの表現にコンテキストが載せられてるよね。
想像ししろみたいなこの言葉に。
冗談だねこれ。
結果的にすごく不思議だよね。
狙って書いたわけじゃないよって思うし。
そんな感じですね。
そんな感じですか。
ということで今回取り上げた引用は東京都現代美術館で行われていた
翻訳できない私の言葉展の感想コーナーに貼ってあったメモ。
言葉は難しいと思う。
なんで世界が同じ言葉を話さないのか。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
29:20

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