1. IN YOU RADIO 引用ラジオ
  2. #92「地べたの日常と、極めて..
#92「地べたの日常と、極めて個人的な人間関係」:アン・マッシー (著) 大野千鶴 (翻訳)『女性たちのデザイン史 Women in Design』長嶋りかこさんによる日本語版特別寄稿から
2026-07-13 31:59

#92「地べたの日常と、極めて個人的な人間関係」:アン・マッシー (著) 大野千鶴 (翻訳)『女性たちのデザイン史 Women in Design』長嶋りかこさんによる日本語版特別寄稿から

第92回は『女性たちのデザイン史』から、かしまが引用しました。


30代に入り、仕事も人生も大切にしたいと思う一方で、これからどんなバランスで生きていきたいのかを考えることが増えてきました。そんなタイミングで、時代ごとの女性デザイナーたちの実践や選択に背中を押された一冊です。


今回はこの本をきっかけに、仕事や日常で感じる小さな摩擦や、結婚、出産、子育て、親の介護など、この先訪れるかもしれない「地べたの日常」を前に、自分たちはどんな選択をしていきたいのかを話しました。また、その「地べたの日常」をめぐる男女の経験の違いについてもおしゃべりしています。




★毎週月曜日 夕方5時に配信しています★



【メンバー】

わたる:発起人。テレビの制作会社ディレクター。テレビを見るより本が好き。



ひかる:わたるの大学からの友だち。会社員。道端に落ちているものを写真におさめたり、飼い犬を愛でるのが好き。



つかだ:ひかるの前の会社の先輩。ゆいこの塾の友だち。つかだくんと呼ばれているけど、みんなと仲がいいつもり。本が好き。



ゆいこ:みんなの友だち。ラジオやポッドキャストが好き。小学生からくるりを聴いている。



かしま:ゆいこの幼馴染。IN YOU RADIOのサムネイルをデザインしたデザイナー。



【おたよりフォーム】

おたより、ご感想、ご指摘、なんでもうれしいです!

リンクのフォームよりご投稿ください。

https://forms.gle/PDRaXBB26Ku81vAY8

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

このエピソードでは、アン・マッシー著『女性たちのデザイン史』をきっかけに、デザイン史における女性の貢献と、現代社会における「地べたの日常」と個人的な人間関係が仕事や人生の選択に与える影響について語られています。特に、長嶋りか子氏による日本語版への寄稿文から引用された「地べたの日常と極めて個人的な人間関係」という言葉が、働く女性が直面する見えにくい背景や、社会構造の中で自身の選択肢をどう見出すかという議論の核となりました。 メンバーは、自身のキャリアや人生の転換期における仕事とプライベートのバランス、結婚、出産、子育て、親の介護といった将来的な「地べたの日常」について、具体的な経験や葛藤を共有しました。男性の視点からは、無邪気に選択できた労働環境が、実は性別やマジョリティであることによって与えられた前提条件に基づいていたのではないかという内省も語られました。また、デザインの歴史における女性の活躍領域の変化や、現代のUI/UXデザインが新たな「手工芸」となり得る可能性についても触れられています。 さらに、男性の小便器のデザインに見る「トキシック・マスキュリニティ」や、自己犠牲を強いる働き方、そして家族を大切にしないパートナーへの違和感といったテーマも掘り下げられました。最終的に、個々人が直面する「摩擦」は非常に個人的で、周囲からの支援が難しい場合もあるとしつつも、社会的な状況を想像し、自身の選択肢を主体的に見出すことの重要性が強調されました。

オープニングと『女性たちのデザイン史』の紹介
IN YOU RADIO
引用ラジオ、小説や映画、ドラマや絵本など、日常で出会った言葉たち。
心に残った言葉に、その人だけの経験や、普段考えていることが透けて見えてくる。
引用する言葉から、あなたの中に湧き上がる何かが垣間見えたら。
メンバーたちが持ち寄った言葉を取り上げながら、社会や生活を考え、雑談するポッドキャストです。
お願いします。
ヒカルです。
渡辺です。
鹿島です。
引き続きお邪魔します。
わーい。
すごい、引用するのほんと、何ヶ月、8ヶ月ぶりくらいかもしれない。
そっか、そんなに久しぶりか。
お待たせしました、皆さま。
お待たせしすぎたかもしれません。
何だっけこれ。
全裸監督。
全裸監督か。
ムラにしておる。
今日は私が、私鹿島が引用するんですけど、
今日持ってきたのは、女性たちのデザイン誌という本ですね。
最近BNM社から出たばかりの本で、4月15日に初版が出てますね。
2026年4月15日。
最近の本か。
でも翻訳書なんで、現地はもっと前に出てると思うんだけど。
これは名前の通り、1900年代から今に至るまでのデザインの歴史の中で、
女性のデザイナーがどのような作品を作ってきたかとか、
あとは基本的にデザイン誌っていうのは、男性のデザイナー中心で今まで語られてきたところを、
女性のデザイナーはそもそもどこにいたのかとか、
なぜ語られなかったのかとか、
表だって語られている男性デザイナーの作品の裏に、
実は女性のこういう貢献があったとか、
女性のデザイナーがいわば市民権を獲得するまでの過程を100年分書いた本ですね。
本の大半はこの時代に、
こういう女性デザイナーはこういう仕事をして、
こういうデザイナーはこういうことをして、
こういうデザイナーはこういうことをして、
みたいな紹介が割と多いんだけど、
その途中で結構男性デザイナーおよび、
それを編集していた歴史家たちを指すようなことがポイントポイントに入ってて、
結構元気出る。
私もデザイン科は別に出てないけど、
いわば女性デザイナーではあって、仕事としては。
だからそもそもデザイン史とかあんまり知らないから、
その復習も兼ねて、
勉強としていいなっていうのと、
あと自分が生活デザイナーであり、
「地べたの日常と極めて個人的な人間関係」からの引用と考察
一人間として生活するときに、
仕事と人生の折り合いをどうやってつけたらいいのかなとか。
結構30歳になって結婚もして、
結構思うタイミングが最近は増えてきてて、
そういう面でもみんなどうしてたんだろうとか思って、
ちょっと読んでたっていう感じですね。
で、引用でいろいろちょっとおもろポイントはあったんだけど、
今日引用したいなと思ってるのは前書き。
本編ですらない。
日本語版特別機構がついてて最初に。
これは長島理科子さんというグラフィックデザイナーの人が
寄稿しているところの一節を早速引用しようかなと思っています。
ちょっと長いけど読みます。
私は子供を産んでからというもの、世の中にある普及の名作でも、
どんなに誰しもが優れたデザインだと表しているものでも、
一旦は背景を想像するようになった。
背景というのはその名作ができる前の
アイディアや完成までのプロセスといったデザインの手前と言われる部分ではなく、
もっと手前の背景。
地べたな日常と極めて個人的な人間関係のことだ。
その優れたデザインの仕事を可能にできたのは、
誰のどんな支えや我慢があったのかという超個人的かつ政治的な背景だ。
見えないというよりもこれまでは見えてこなかった背景といった方が正しいかもしれない。
という部分ですね。
地べたの日常と極めて個人的な人間関係という言葉の端わりがすごくいいなと思って、
特に印象に残っていたんだけど、
この一説は結構女性の、もちろん各人間がいろんな状況があるんだけど、
平たく見ると働く女性は地べたの日常が常に迫ってきていて、
それによって活躍が可視化されてこなかったという歴史があると思っていて、
逆に言うと今自分が働けていることとかは、
夫の理解があって働けているみたいなこともあるかもしれないし、
そもそも社会が30歳とかでも全然共働きを容認しているとか、
そもそも女性にこういうポストがあるみたいなこととかが、
まず箱としてあるから私がそこに入れるっていうのがあって、
この本自体はそういう背景を想像しましょうねという話と、
一方で既存のルールに乗っからずに、
自分なりの生き方みたいなのを見つけましょうねみたいなことを同時に言っていて、
女性が男性っぽくなり上がっていく方法っていうのもあるけど、
それって本当に女性の権利を獲得しているって言えるのか?
男性のために作られたルールに女性がフィットしていくんじゃなくて、
女性もそもそもこの社会にはいますよということを前提に、
ルールを作り変えていくことの方が重要じゃないかなっていうようなことが書いてあって、
みんなに聞きたいことがあるとすると、
みんなそれぞれ仕事したり、物を作ったり、いろんな活動と、
いわゆる地べたの日常があって、そこに摩擦を感じる瞬間とか、
みんなもあったりするのかなとか、
あと逆に地べたの日常、地ならししてることとかあるのかなとか、
ちょっと聞いてみたいかなと思って、みんな歳も一緒なので、
と思ったりしました。
仕事の選択と「無邪気さ」についての内省
そうだな、逆に柏ちゃんはそういう摩擦を感じたりすることがある?最近とか。
そんなに急いでるわけではないけど、子供とかどうしようとか、
あと親がいくつになったとか、最近急に思い出してきて、
私は学生が結構長くて、26歳まで学生してて、
だから今社会人として5年目?6年目?とか、
だから仕事としてはやっと覚えてきた、楽しいなみたいな感じだけど、
生物としては次の世代のことを考え始めなければならないみたいな、
とかうっすらログインしてきて、
全然釣り合い取れないかもみたいな、
でも、もともとUIデザイナーとかアプリとかウェブのデザインをするって決めたときは、
できるだけ生活の選択肢を広く持てるようにしようと思って、
場所の制約が基本的にはない職業だから、
今の会社は出勤しなきゃいけないけど、
本当は強めのWi-FiとMacbookさえあればどこでも仕事ができるから、
そういうのは自分を自由にするために結構必要かなと思って、
当時選んだ記憶があって、
それは一個、ジナらしいかもしれない。
なんかさ、今ので気づいたことがあったんだけどさ、
最初の聞いてみたいことの答えでは全然ないんだけど、
前回の会で柏さんと俺らが作ってる本の即売会っていうか、
その振り間に出したみたいに言ったけど、
その後に寿司屋で打ち上げしてて、
そこで仕事を選んだきっかけみたいな話になったじゃん。
俺自身が仕事を選んだきっかけみたいな話になったときに、
なんかすごい無邪気に、
労働環境で選んだわけじゃなくて、
洋服の話をしてて、
洋服の話をしてたときに、
今着てるようなTシャツとかシャカパンみたいなので、
毎日仕事をしてるんだけど、
それでもあんまりだからっていう話で、
そういうのを選んで、
ちゃんとしっかりした服を人に見られるのを前提で、
いろいろ選ばなきゃいけない仕事じゃなくて、
気楽にね。
服で言えばすごい気楽に、
なんでも好きなものを着ていいという、
労働環境を一つの選択軸に置いて選んだのかっていう質問を
鹿島さんからされて、確か。
で、すごい無邪気に、
やりたかった、
ドキュメンタリー作っていくってきりゃ、
いくっていけるんだったら、
それそんなありがたいことはないなと思って、
みたいな回答をしたんだけど、
今ふとそれはなんかすごい無邪気すぎたなというか、
まあまあそれ別に、
100パーは害悪な発言ではないと思うんだけど、
でもなんか、
男性だから言える無邪気さだったなっていうのはすごい今思ったね。
なんていうの、
ある種、どんなになっても別にいいみたいな、
自分はひたすら頑張る。
頑張ればなんとか、
体力の限り食いついていけば、
なんとかできる、
ような実力が求められる、
能力主義的な社会だったりもするんだけど、
うちの会社は。
とか、
好きなことでも、
自分の例えば子供が欲しいかもしれないとか、
親をケアしなきゃいけない、
そういう可能性ももちろん今でもあるけど、
そういうのを、
あまり全く気にせず、
特に子育てに関しては、
ほぼ気にせずに、
特に労働、
それこそ裁量労働制だから何なら結構時間も大変なんだけど、
そういうのはあんまり考えてなかったなと思って、
それを無邪気に選んでるし、
それが悪いとは言えないけど、
今のでもちょっとモヤモヤしたというか、
確かに無邪気すぎたなみたいな。
それを選べる前提条件が、
誰かにそもそも備わってたから、
意識せずに選ぶことができた。
そう、やっぱり男性だし、
健康状態もそれなりにあって、
困ることはないマジョリティ側だから、
考えなきゃいけないことが少ないんだろうなと思ったね。
摩擦か。
出産・子育てと「地べたの日常」のリアルな影響
そうだね、私今の、
去年か、転職して、
そこからは、
結構プライベートと仕事のバランスがすごい今取れてて、
仕事にプライベートすごく侵食されるとか、
仕事が侵食してきて、
例えば本を読む気力も体力もないとか、
そういうことがすごい減ってきたのね。
なんだけど、その前の仕事は業界的にかなりハードだったから、
クライアントワークだったし、
人生の最優先事項を仕事にせざるを得ない。
別に仕事が好きでそうしてるっていうより、
そういう構造になっているから、
クライアントに明日までって言われたら、
今日の夜の予定をキャンセルしてやりますみたいな。
そういう感じだったのね。
めちゃくちゃ摩擦が大きかった。
今そんなに摩擦があるかと言われればないんだけど、
ここに出産子育てが入ってくるとかなり、
劇的に変わるだろうなみたいな。
普通に、自分一人で生きてる分には全く摩擦がない環境であっても、
出産子育て入ってくると結構変わるなと思ってて。
今結構暫定解なんだけど、
私は子供欲しいか分かんないなみたいな感じになってて。
子供とかすごい好きだし、
子供育てるという経験って本当に何事にも買いがたいだろうな、
みたいなことはすごい思うんだけど。
特に出産のところかな、恐怖が結構大きくて。
これは20代の時とかは全然考えてなかったことなんだけど、
結構同世代で子供を産み始めている子とか増えてきて、
結構リアルな出産の体型の話とかを聞くと、
そんなこと人がしていいんですか?みたいなレベルの。
現代においてそんなことがまだ起きるんですか?みたいな。
本当に聞くのよ。
もう血が止まらないとか。
ちょっとグロい話になっちゃうけど、
子供を産まれた時に、
湿のところが裂けて肛門と繋がっちゃったみたいな。
穴が全部一つに。
その場でぺぺぺって塗って終わりみたいな。
産後1ヶ月くらいはオロって言われる。
血がずっと出続けるみたいな話とか。
全然知らなかったし、
もちろん学校とかでも教えてくれなかったことなんだけど、
ストリートの話を聞くと、
どんどん怖くなってしまって。
子育てをするとなったら、
それはパートナーも一緒に育てていくことだし、
責任になってやっていくことなんだけど、
出産って女性がどうしても一人で世話なきゃいけないことだから、
そこの目線ってずっと合わないんだろうな、
みたいなことはすごい思ったりするかも。
それは相手がどうこうとか、相手の理解がどうこうみたいな話というよりは、
生物的に仕方のないこと、
自分の体で起きていることかそうじゃないことかっていう明確な違いがあるから、
そういうのは人生の選択をする上で、
結構今タイムリーに考えていることとしてはあるかなと思う。
不妊治療とかも話を聞くと、
注射は自分で?みたいな。
怖すぎるじゃん、みたいな。
すごいよね。
デザイン史における女性の活躍領域と現代への接続
すごいなと思って。
結婚した時も結婚ってすごいどでかプロジェクトだなって思ったんだけど、
その日じゃない変数多すぎみたいな。
予想できなすぎ、爆知すぎ、みたいな。
ほんとそうだよね。他人の人生を開始させる行為だからさ。
絶対に戻れないしね。
そうなんだよね。
結構すごいことだよね。
すごいこと。
キャリアとかもさ、やっぱり子供とか家庭を持つとかってなるとどうしても変数が増える。
いろんな選択肢が増えたとしても変数があるってなった時に、
このデザイン集の本で読んでたって気づいたのが、
まだ女性が活躍する土壌が整っていないながらに活躍してた女性たちは、
テキスタイルとか編み物とか折り物とか刺繍みたいな領域とか、
インテリアとかで結構活躍してたみたいなことが書いてあって、
それはそういう領域は女性が得意でしょみたいな風に性別的に当てがわれてたっていうのもあるし、
モダニズムとかでミニマルシンプルみたいなののデザインをどんどん男性が担ってた中で担い手がいなかった領域にうまく入ってたって話が書いてあんだけど、
それ以上にこれ全部ツワリとかでもできる仕事じゃんみたいな。
寝たままになっちゃったり、お家の中から出られなかったとしても生み出すことができる仕事じゃんっていうのが途中で気づいて、
大規模な建築とかだったら現場に行かなきゃいけないとかあるし、
その意味でもうすでにそこにフレームがあって、
っていうのとかすごい思った。
女性だから家にまつわることがそういう小さいこととかが得意というよりは、
女性が置かれている社会的な環境が家に得たりは得なくて、
それ故に得意になっていくっていう順番なんだよなみたいな。
すでに用意されている中で選択肢が、すでに用意されている選択肢が。
用意されているって言ってたらだけど、その中で主体的に選択して、
それをより何か作り上げていったっていう見方もできるっていう。
そう思うとウェブデザイナーとかUIデザイナーみたいなのは次なる手工芸なのかもみたいな。
っていうのをちょっと思ってはいて、家でできるし。
だからこの女性たちのデザイン師のもう100年後分みたいなのを作ると、
1900年代まではテキスタイルが女性の仕事だったが、
2000年代からはUIデザインとなったみたいな。
なんのかなって。
実際UI、UXデザイナーの男女比率ってどれくらいなんだろうね。
どれなんだろうね。
でも体感半々ぐらいな気がする。
でも偉い人はみんなおじさんだね。
それはそう。
でももうちょっと、あと10年くらいするともしかしたら影変わるかもしれないけど、
今やっぱポストについてる人々は、
20代の時ごてつして広告作ってましたとか、
そういう紙のデザインの時代を生き抜いた人たちが、
紙からウェブになってっていう感じで、
私の世代くらいから多分最初からウェブ作ってるみたいな感じになってくるから、
そうするとだいぶ違うかもしれないけどね。
デザインと性別みたいな話で一個思い出したのはさ、
デザインと男性性、自己犠牲の働き方
働き方みたいな男じゃないかもしれないけど、
あるデザインを見て、
それにまつわる批評というかコメントから、
男性性についてすごい考えた瞬間があって、
男性の自分たち自身の性の見方。
それが何かというと、男性のタチション便器なんだけど、
例えば表参道にトイレがあるんだけど、
表参道のトイレって、
タチション便器の横の壁がほぼないの。
ただの壁ってこと?丸くなってカバーみたいなのがない?
下だけちょっと湾曲してるケースがあるんだけど、
横の側面がほぼないの。
これ何かっていうと、
すごい近いの、隣同士が。
技術が。
そこでタチションしようとすると、
前に歩んでざるを得ないっていうか、
それを狙ってるの。
手前によくあるのが、
タチション便器に立つときに、
便器と自分の距離がありすぎて、
下におしっこがびちゃびちゃ飛び散るみたいな。
めっちゃ汚いところとかいっぱいあるんだけど。
それを防ぐために、
横の人に自分の陰部を見られるのが恥ずかしいっていう、
羞恥心を利用して、
ちょっと前に立たせようとしてるの。
俺これもう非人道的なデザインだなと思ってるの。
すごい軽蔑してるんだけど、とうとう。
とうとうを軽蔑してるんだ。
それの根底にあるのは何かって言ったら、
男性のタチション便器って結構、
横に壁があったとしても、
便器自体の側面があったとしても壁がないとか、
平気で見えるようになってるわけ。
個室にはなってないってこと?
個室にはなってないし、パーティーションもないから、
お互いの陰部を容易に見られる環境になるわけよ。
それについて、ツイッターかXかなんかで、
こういうタチション便器を見ると、
男性がいかに自分自身を大切にしてないかっていうのがわかる。
男性自身、自分自身も大切にしないし、
男性ならお互い大切にしなくてもいいよねっていう、
ある種性をない場所にする価値観みたいなのが、
男性性として、トクシックな男性性としてあるっていう指摘をしてる人がいて、
すごい面白いなと思ったんだよね。
面白いね。
確かにね。
なんかそういう、
それちょっと中島さんの問いから離れちゃうかもしれないけど、
そういう、
自分自身すら大事にしなくていいみたいな価値観で働けるとか、
ある種犠牲を払うっていうところがあるじゃん。
自己犠牲とか大切にしないからこそ、
いいパフォーマンスができるとか、
そういう姿こそ称賛されるみたいな。
まだ全然あるし。
そうだね。
確かにな。
なんかさ、
「地べたの日常」における個人の制約と社会状況の想像
バター、
うん、はいはい。
ゆずきあさこさんのバターでさ、
これは大テーマじゃないんだけど、
主人公が感じてた一つの違和感として、
お父さん、働き詰めになったりとかして、
家族と距離ができてしまったお父さんが、
自称的になっている。
たとえば離婚したお父さんが、
自分を大事にしない生活を送っているということに傷つくみたいな。
娘がね。
みたいな表現があって、
すごいそれ面白くて、
やっぱ女性から見たら不可解なんだよね。
やっぱ大切な自分の家族とか、
自分のパートナーとかが、
自分自身を大切にしないということが辛い。
なぜ大切にしないのか、
自分自身を大切にしないのかが不可解とか、
なんかそれによって、
本人は傷つかなくても、
家族とか大切な人が傷つくみたいな構図ってあるなとか。
あるね。
確かにね。
ミルク代稼ぐみたいなロジックとかも、
ちょっと俺違和感があって、
ミルク代稼がなくていい社会になるべきだと思うし、
しこたも赤ちゃんに会えないとか、
妻がワンオペしなきゃいけない状態では、
ミルク代稼がなきゃいけない社会がやっぱおかしいなとは、
思いたい。
そうだよね。
それで言うとさ、
私の今の会社はちょっと偏僻なところにあって、
ちょっとアクセス、
私はまだ通える距離だけど、
結構通うのが大変な人が多くて、
でも出社はまあまあしなきゃいけないってなったら、
最近入ったばっかりの人が、
まだ入って3ヶ月とかだけど、
通うのが大変すぎるから辞めますって言われて、
そういう人には子供がいて、
その修行時間とコアタイムに間に合うように家を出ると、
子供が起きてる時間に会えないって言ってて、
だから出るときはもちろん寝てるし、
帰ってきても寝てるのが、
週3とか週5とかあると、
子供が子供である時間のうち、
ほとんど自分が起きてる状態で会えないのがすごい辛いから、
仕事自体はすごい好きだし、
他に不満はないけれども、
自分のプライオリティーを考え直したみたいなことを言ってて、
そういうところも結構地べたの日常だと思って、
自分がまだ通えているのとかも、
そもそも会社からそう遠くない距離に住むお金があって、
住めるという選択肢を持っていて、
子供も今別にいないから、
何時に出て何時に帰ってきても基本的に問題ないみたいなのがあるから、
自分は自分で制約があると思ってたけど、
女性としてどう生きるかみたいな、
でもそうじゃない、その人は男性だったんだけど、
その人でもいろんな制約があって、
そもそもここに来れているということとか、
この選択肢を取れているってことに、
どういう社会的な状況があるのかみたいなのは、
結構常に想像しないとまずいなみたいな、
って改めて思ったりして、
すごい一緒に働いていて楽しかったのにみたいな、
会社がここにあるばかりにと思って、
なんか悲しかったね。
そういう摩擦がどこにあるのかって本当に、
人によってもちろん違うし、
すごい個人的なものだからやっぱり、
周りから近くできないし、
なかなか手を差し伸べるのが難しいっていうのもすごいあるよ。
その本読みたいな、ちゃんと。
『女性たちのデザイン史』のエンパワーメントと再引用
その紹介されているところも普通に気になる。
面白かった。
後半にいくにつれてどんどんアゲアゲになっていくから。
アゲアゲ?
カリカリになってくる?
最初は、
カリカリ。
最初は壁が高いっていう話から始まって、
壁がどんどん低くはならないんだけど、
壁を壊して乗り越えていくっていう、
結構大きい100年の中でのサクセスストーリーみたいな部分もあるから、
最後ビビアン・ウエストウッドが出てきたりとかして、
女性がブランドを作るっていうこと。
結構なんか元気が出ます。
エンパワーメントがある。
あるある。
ということで、
もう一回最後に引用すると、
全部読むと長いけど、
一旦全部読もう。
私は、
私が今日引用したのは、
アン・マッシー・ジョ・オーノ・チズルさんが翻訳した、
女性たちのデザイン誌から、
私は子供を産んでからというもの、
世にある普及の名作でも、
どんなに誰しもが優れたデザインだと表しているものでも、
一旦は背景を想像するようになった。
背景というのは、その名作ができる前のアイディアや、
完成までのプロセスといった、
デザインの手前と言われる部分ではなく、
もっと手前の背景、
地べたの日常と、
極めて個人的な人間関係のことだ。
その優れたデザインの仕事を可能にできたのは、
誰のどんな支えや我慢があったのかという、
超個人的かつ中立的な背景だ。
見えないというよりも、
これまでは見えていかなかった背景といった方が正しいかもしれない。
以上です。
ありがとうございました。
31:59

コメント

スクロール