第93回はひかるが担当。
江國香織さんの夫婦生活を綴ったエッセイ『いくつもの週末』からの引用です。
自ら選びとる幸せ、予定不調和のなかにいる幸せ、最後は老いや死との付き合いについておしゃべりしました。
めちゃくちゃ素敵なエッセイなので、ぜひ読んでみてください!
感想
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サマリー
このエピソードでは、江國香織のエッセイ『いくつもの週末』から「桜ドライブとお正月」という一篇を取り上げ、その中の「来年もこの人と一緒に桜を見れるかしら」という一節に込められた「可能性の幸福」について深く掘り下げています。語り手は、夫婦が毎年春に深夜の桜並木をドライブする習慣に触れ、一緒に桜を見る「可能性」があるからこそ、その瞬間が希望に満ちて輝くという江國さんの感覚に共感を示します。この「見ない可能性」があってこその「見る可能性」の喜びは、人生における選択や偶然性、そして限りある時間の中で現在を肯定する感覚と結びつけられます。さらに、過去の人間関係や、亡くなった祖父母との桜の思い出を語る中で、老いや死といった避けられない現実と向き合うことの切なさや、それらが現在の瞬間をより愛おしく感じさせる力についても考察が及びます。最終的に、人は皆、限られた可能性の中から一つを選び取り、その選択や経験を心の宝物として大切にすることで、人生を肯定的に歩んでいくのではないか、というメッセージが語られます。
江國香織『いくつもの週末』の紹介と「桜ドライブとお正月」
引用ラジオ
小説や映画、ドラマや絵本など、日常で出会った言葉たち。
心に残った言葉に、その人だけの経験や、普段考えていることが透けて見えてくる。
引用する言葉から、あなたの中に湧き上がる何かが垣間見えたら。
メンバーたちが持ち寄った言葉を取り上げながら、社会や生活を考え、雑談するポッドキャストです。
お願いします。
渡るです。
橋間です。
渡るです。
引き続き、3人でお届けします。
早速、私の引用を今回します。
実はこれ、この間フライング引用したんだよね。
しかもその後、光が担当するというフリっぽいのをしておきながら、出てこなかったんだけど。
あいだいちゃった。シャープ。
あれ、いくつだ。88か。
の塚田くん担当会で、ちょっとだけフライング引用させていただいた。
衆英社文庫から出ている、えくにかおりさんの「いくつもの週末」というエッセイを引用したいと思います。
えくにかおりさんは、小説とか童話とか詩とかエッセイとか、翻訳もやったりされてるんだけど。
有名な小説だと、キラキラ光るとか、東京タワーが有名な方で、結構恋愛の小説が多いんですけど。
このエッセイは、ご自身の夫婦関係について書かれているエッセイになっております。
2001年に最初の初版が出ているんですね。
2024年に27刷りしてる。
すごいね。すごくない?
すごいね。
すごいね。1ずり分で何部するんだろうね。
すごいね。相当売れている。
すげー。知らなかった。
25年前の作品なんだ。すごいな。
すごい、いいなーっていう文章めちゃくちゃあって、いっぱい付箋貼ってるんですけど。
今回引用したいのは、桜ドライブとお正月っていうタイトルのエッセイで。
序盤というか流れを説明すると、
友達の夫婦の話が最初にあって、
その夫婦はすごい夫婦喧嘩が多い夫婦なので。
で、この妻側と多分えくにさんがお友達なんだけど、
しょっちゅうもう別れるみたいなことを言ってるらしいんだけど、
その女性の妻の方がすごい江戸っ子らしくて、
お祭りの神田明神のお祭りの時期に、
毎年やっぱり私別れられないっていう連絡が来るんだって。
それはなぜかというと、
その夫のお祭りのハッピー姿が本当にかっこいい。
とてつもなくかっこよくて、
もう絶対別れられないって毎年電話がかかってくるんだみたいな話があって、
で、なんかそういう、こういうのって結構大事だよねみたいな話が書いてあって、
古典的なテレビドラマとかで、
結婚記念日を覚えてないみたいなのがその夫婦喧嘩の種になるように、
こういうなんか1年に1度ぐらい初心に立ち返りたくなるものだみたいな。
で、初心をこう無理やり引っ張り出すようなことが大事なんだみたいなことをまず書いてあって、
で、それがえくにさんのご夫婦の中でどういうものかっていうのが書いてあるところがすごい素敵で、
いい助走。
そこ引用したいなと思います。
ちょっと長いんだけど。
我が家ではそれは例えば春。
1年に1度夜会社から帰った夫に桜を見たいという。
普段お月見しようとか夜のドライブをしようとか、
散歩に行こうとか誘っても今度ねとあっさり断られてしまうのだけれど、
桜だけは特別。
次の日が風や雨だったらたちまち散ってしまうからだ。
夫は大抵いいよと言ってくれる。
近所に桜並木がたくさんある。
双子玉川に行く途中とか大きな教会の近くとか。
夫と私は車の屋根を開けて深夜その道を走ることになっている。
私は立ち上がって屋根から顔を出すので夫はゆっくりゆっくり走ってくれる。
そうでないと風が顔にぶつかって息ができないからだ。
住宅地なのであたりは本当に静か。
顔は寒いけれどあれは素敵なドライブだ。
街灯のあるところは特にきれいでつい口を開けてしまう。
月も見える。
もう一回とか別の道を通ってとか嬉しくてたまらない私は言う。
白い花びらを見上げながら来年もこの人と一緒に桜を見れるかしらと思う。
これは全く単純な疑問文として思うのだ。
一緒に見たいと思うのではない一緒に見るのかしらと思う。
それはなんだか不思議な感じでそう思うとき私は自分の人生をちょっと好きになる。
来年もこの人と一緒に桜を見る可能性がある。
そのことがとても希望に満ちたことに思えて嬉しい。
そしてそれはもちろん一緒に桜を見ない可能性もあるからこその嬉しさなのだ。
物語が幸福なのはいくつもの可能性の中から一つが選ばれていくからで
それは私を素晴らしくぞくぞくさせるという文章で
文章としてすごい好きだなと思うんですけど
前半のえっくにさん自身の無邪気さというか
式の中の移ろいの一つのイベントみたいなものをすごい大事にしていることとか
車の屋根を開けてそこから顔を出して桜を感じている姿の少女みたいな
アドキナさんみたいなところがすごい目に浮かぶというか
そういうところの素敵さと後半がすごいえっくにさんらしい文章だなと思って
なんかえっくにさんってえっくにさんの作品結構いろいろ読んでるんだけど
そこに出てくる主人公がすごい恋愛に没頭してたりとか相手の人のことがすごい好きだったりとか
そうじゃないこともあるんだけど
そうであったとしてもどこかに
どこまで行っても他人であったりとか交わりきれない分かりきれないみたいなことの孤独とか
近づききれない余白とか別れてしまう予感とかそういうものがどこかに漂ってるところが
すごい引き込まれる部分としてあって
一緒に見たいとかじゃなくて見れるのかしらって思うみたいなところとか
見ない可能性をこんなに桜を一緒に見ることを無邪気に楽しんでいながらも
見たいって思うんじゃなくて見ない可能性もどこかで感じてるみたいな
そういうところがすごい素敵だなと思って引用しました
これちょっとね今回問いないんですよ
どう思いましたこの文章なんか
いやー震えるね震える
震える文章?震えた?
最後一冊何つってた?なんかすごい文章で終わったよね
最後もすごい好きなんだけど
物語が幸福なのはいくつもの可能性の中から一つが選ばれていくからで
それは私を素晴らしくぞくぞくさせるっていう
すごいよね
ハッピーエンドだったらいいってことじゃないってことだよね
自分が描いてた予定調和のハッピーエンドじゃなくて
あくまでもこの人と桜を見ない可能性見る可能性
そもそも桜が咲いていない可能性
桜が咲いているところに住んでいない可能性とか
いろいろある中でこれが今回は選ばれたっていうことが
嬉しいってことだもんね
いろんなこう自分が選べなかった選択肢とか選ばなかった選択肢がある中の
今自分が手にしているのはこれだということに幸福を感じるっていう
なんかそれってわかる
すごいなんか女優みたいなしゃべることになってんじゃん
それってわかるなって思って
なんかさ私ちょっとこれ違うかもしれないんだけど
なんかあの
なんていうのかな
昔付き合ってた人と話すのとか結構好きで
昔付き合ってた人と昔話をするの
昔話じゃなくてもいいんだけど
しかもそれなんかわざわざ会って話すとかじゃなくて
もうみんなでこう久しぶりに大人数で集まった時に
ふと同じ空間にその人がいて
でその時は別にわざわざ話に行ったりとかもしないんだけど
なんかこう何回か何時回かの時に席が近くなってとか
帰りの電車がたまたま一緒でとか
そういう時にふと話すのとかが結構好きで
それはなんか別になんか未練とかもちろんないし
そこからの発展とかを全く期待してないんだけど
なんかなんていうのかな
その一度はすごく親密な関係になった人で
でいろんな結末があり得た人じゃない
今も一緒にいたかもしれないし
別れてそこから絶縁
すごい嫌な別れ方しても口も聞かないみたいな
絶縁もあり得たかもしれないとか
いろんな可能性がある中で別に今
そんなにすごく親密でしょっちゅう会わせたりとか
するわけじゃないけど
ちょっとなんていうのか
自分が選んでいたかもしれない選択がちょっと
目の前をよぎるとかもそうだし
決して近い場所にいるわけではないんだけど
なんかこうなんていうのかな
お互いなんかなんていうのかな
通りを道を返して手を振り合うぐらいの距離感で
繋がったり会話を持つことはできるっていうことの
幸せとかそういうのを感じたりするのね
その感覚にこの書いてあることがちょっと近いなって思って
いろんなあり得たかもしれない可能性の中で
今その目の前にある一つの現在というものがすごい
確かにね
ちょっと輝いて見える瞬間みたいなのってあるなと思って
確かに
それは結構上手くいってる人間関係よりも
一度ある意味終わったというか
収束した関係がもう一回浮上した時とかの方が
より感じやすいのかもね
そうかもね
そう思うといかにかおりが全然
現在進行形のパートナーに対してそう思えてるのは
ストリーテラーならでは
確かにね
あんまり普段生きてて思わない可能性の束の一つだって
そうだよね
しかも特に結婚してる相手とかだったら
来年も一緒に桜を見ない可能性とかって
なかなか考えないよね
そうだね
でも
うまくいってない
ドロドロ不倫のドラマとか見ると
こういう可能性もあったのに
仲良くできててありがたいなみたいな
みたいなのも
突然夫に感謝とかしよう
「可能性の幸福」と人生の選択
二人がありがとうとかはあるけどね
私はそういう影を見ないと光が見えないタイプかもしれない
感じがきない
影を外部に摂取しにいってんだ
そうやると気づけないかもしれない
なんかさ
この本がさ
前引用した
あなたを選んでくれるものっていう
選んだ時代の本がさ
ちょうど何回だ
30回くらいかな
結構前だよね
そこはちょっとちゃんと
ちゃんとあれしますね
ちょうど一年前
シャープ31だ
2025年5月12日にリリースした回で
この本引用してるんだけどさ
きっとだから人は結婚するのだろう
物語に至るフィクションを作るために
っていう文章から始まって
登場人物を誰も彼も入れることができないのは
何も映画に限ったことではない
他ならぬ私たちがそうなのだ
人はみんな自分の人生を奮いにかけて
愛情と優しさを注ぐ先を定める
そしてそれは美しい素敵なことなのだ
みたいな
なんか
感情が動く瞬間って
なんかやっぱり限界がある時だと思ってて
限界を感じた時
物理的な
身体的なとか
時間軸とか
例えば
来年も来るとか
それも限定だし
限界だし
来年が365日に来る
365日って結構な時間軸で
その間に何が起こるかわからない
みたいなのも限界だし
それでその上でやっぱり他人だし
相手も他人だみたいなことも限界
自分があれもこれも欲しいものを手に入れる
例えば車で通り過ぎる時に
ある程度のスピードで通り過ぎてしまうこととか
風が顔に当たる感じって
その場に留まらないことを意識させられる
みたいな感じもするし
あの道行ってみたい
ここの道通ってって言うけれども
それは通り過ぎる場所であって
そこに浸り続けることはできない感じも
選びきれない限界みたいなのを
すごい感じたなと思った
選びきれなさみたいな
今持っているもので結構手一杯だったり
でもそれも確実ではないみたいな
そういう限界があるんだ
身体的にも時間的にも
限界があるんだと感じると
より愛おしく感じたりとか
あるいはすでにありえなくなってしまった未来
みたいなのもある種の限界の究極というか
そうだね
とかいろいろ感じるね
もう一回最後のところを読んでもらっていいですか?
そこを代わりにしたいよね
3回目
あんまり消化できてない
どこから読もうか
一緒に見たいと思うのではない
一緒に見るのかしらと思う
それはなんだか不思議な感じで
そう思うとき
私は自分の人生をちょっと好きになる
来年もこの人と一緒に桜を見る可能性がある
そのことがとても希望に満ちたことに思えて嬉しい
そうしてそれはもちろん
一緒に桜を見ない可能性もあるからこその嬉しさだ
物語が幸福なのは
いくつもの可能性の中から
一つが選ばれていくからで
それは私を素晴らしくゾクゾクさせる
なんで見ない可能性があるのが嬉しいんだろうね
そう思った
あとなんか
そういう嬉しい選択肢を取れなかった場合も
ゾクゾクはすんだよね
可能性があることに対してゾクゾクする
だから別に何を選んだかは
そんなに重要じゃない
やっぱり
そこが驚きなのか
出会いなのか発見なのかわからないけど
やっぱその未知なるものに常に向かっているっていう
桜がまた咲くことは知ってるし
この道で
あそこに行ったら桜がまた咲いてるだろう
今年もみたいなことはわかる
でもなんか
それ以外のことはもうほぼ全て
未知である
ということが
物語たらしめてるみたいな
彼女にとって
常になんか未知であるこの先は
本を読み進めるときもさ
この後どうなるんだろうみたいなのがあるから
ドキドキゾクゾクするみたいなとこあるじゃん
この後どうなっちゃうんだろうみたいな
基本なんかその読み進める物語の楽しさってそこにあって
まあもちろんすでに知ってるプロットを
なぞるように楽しむみたいなのもあるけど
なんかそのなんか
どうなっちゃうんだろうみたいな
もう手に入らないかもしれない
もう手放さなきゃいけないかもしれないみたいなことすら
未知であるという
続々感みたいなことを
味わってるって感じじゃないかな
またなんか選択する喜びみたいなのもあるよね
なんか自分が
どういう結果であれ自分が選んだのだとか
まあ夫と桜を見るとか
自分一人で選べることではないけど
自分がそこにたどり着いた喜びみたいなのは
なんかあるかもしれないなと思って
なんかそのちょっと思い出してたのが
なんかその旅行をするときに
私はこう予定を決めるのが本当に苦手で
っていうのが予定を決めたら
絶対にその通りに守んなきゃいけないっていう
もう強制ルール発動みたいになっちゃって
もうスタンプラリーになっちゃうの一気に
でもう1分1秒ずれると
もうなんか発狂しちゃうみたいな
予定から外れたっていう
なんか目の前の景色というより
そのタスクになっちゃうんだけど
でもなんかそうじゃなくて
何も決めないと逆に
その場その場で起きることに
一つずつ反応できる感じがあって
だからなんか全然内容としては違うんだけど
なんかそのあらゆる可能性がある中で
今私はこの景色を見ているとか
なんかあらゆる可能性があった中で
ここにたどり着いて
これを食べているみたいな
っていうなんか喜びはなんかあるのかもしれない
たぶん柏さんはやっぱ選択の納得感みたいなのが
たぶん大事な人なんだろうね
選択それを自分があるし
その選択したって
なんかそこに主体性が
まあ多少なりともあるということが
なんか納得感というか
自分の人生に対する納得感
なんかさ人によってはさ
なんか思わぬところにたどり着いちゃった
そのなんか偶然性が好きな人もいるなと思ってて
なんかえいくにさんはもっとそっちが
偶然性というか
その未知みたいな方に
何かこの行き心地を感じるんだろうなと思って
柏さんはなんか自分がこれまでやってきたこととの
見えない線なり見えてる線が
接続しているということで
なんか行き心地
なんかある意味してそこに必然性を読み取るというか
うん確かに
そこのなんか振り返りとか
その見方みたいなのが
ちょっとずつ違うのもなんか面白いなって今思った
確かに
老いや死との向き合い、そして現在を愛おしく思う
私も結構偶然というか予定不調和的なるものが好きだから
多分共感
えいくにさんに共感したのかもなと思う
なんかもしこれ来年また一緒に桜を見れたとしても
その時抱いてる感情とか
関係性って2人の関係性ってまた全く違うものかもしれない
ってなるとその桜を見るというその1個の
そこにピンが立ってて
そこを起点に毎年ぐるぐる回って
毎年家族写真撮るみたいなことかもしれないけど
ちょっとずつそこの経年変化とか
そういうものも含めて
なんか予定不調和な変化みたいなのを楽しんでるのかな
なんか悲しくなってきちゃった
なんで?
なんで?
なんかあの泣きそう
え、なんで?どうしたの?
どうしたの?
いろんな恋愛に思い馳せてる
いや、じゃああの
祖父母を思い出して
あーそうだね
コロナ禍、2020年か
2020年のコロナ禍に
家の近くの桜
ちょっとした川があってさ
そこの川に桜がわーって咲いてる
ちょっと有名な
名所があって桜の地元に
そこにおばあちゃんとおじいちゃんと一緒に行ってさ
写真撮ってたり
一緒に行くみたいなのがちょっと恒例になってた
3人で行くみたいな
おじいちゃん亡くなったけど
今でもおばあちゃんと2人で地元のとこ回ってて
そう考えるとまたリアルに
老いみたいな
老いみたいな方に
道さみたいな方が来ると
ちょっとしんどくなっちゃうなと思う
私その渡るが送ってくれた写真保存してるわ
送ってくれた写真なんてあったっけ
そのおじいちゃんおばあちゃんと桜見に行って
撮った写真見せてくれてすごい
素敵で保存した記憶があるわ
そうだよね
今年もおばあちゃん連れて
去年はまた別の名所に行って
そこでおばあちゃんの写真撮って
今年は歩いてすぐ5分くらいのところに行って
でもほぼ
満開には近かったけど
パラパラしか植えられてなかったから
そこを順番に回って木の下を歩いて
2周くらいしたりとか
その寂しさもつい泣いちゃうんだけど
どうしようもないじゃんそこに対して
人は死ぬとか
人はずっと一緒にはいられない
その感情は別に嫌いじゃなくて
辛いけど
すごい大切好きな感じ
だからエクニさんと同じような
続々か続々ではないかもしれないけど
遠ざけようとはしてないっていうか
その怖さみたいなもの
そうだね
来年も見れないかもしれないみたいな可能性を
頭の片隅に置いていくことで
マインドフルネスじゃないけど
今ここみたいなことにすごい意識が向くというか
すごい強く目に焼き付けておこうみたいなことを
思ったりするよね
すみりさしちゃった
私もいろいろ思い出しちゃった
昔飼ってた犬抱っこして桜見に行ったなとか
でも愛おしいよねそういう記憶が
そういうの愛おしいし
悲しいとも違うんだよな
あんまり死者を思うときに
悲しいって思わないかもな意外と
何なんだろうねこの気持ちは
悲しいって言葉とはまたちょっと違う気がするんだよな
渡るがさ
死が悲しいのって
後進可能性がないことだみたいな話をしてて
本当そうだなと思うんだけど
後進不可能なことが
尊いというか
鍵のかかった箱の中に入っていて
それが生意気として
自分の中に存在してるみたいなことの
温かさみたいなことの方が
結構感じたりするかも
それは親とか本当に身近な人をなくしたら
そうではないのかもしれないけど
死者を思い出すときにむしろ
癒しって言うと変なんだけど
癒しみたいな感情を感じるような節があるの
そういうことなのかなとか思ったりする
癒し的な感じ
優しい気持ちになるからね
誰にも触られないものというか
自分の中に保存している
記憶とかその人との感情とかが
呼び覚まされる
誰にも邪魔されない自分の
宝箱、心の中の宝石箱みたいなのが
やっぱりあった方がいいなと思うのは
世の中は信頼できないものがいっぱいあるというか
来年どうなってるかわからないし
どれだけ愛した人でも他者であるから
自分の思い通りにはいかないとか
いろんなものが思い通りにいかない中で
でも自分が確信を持って
すごい感じた気持ちとか
したった気持ちとか
悲しさを覚える苦しみ
心の痛みみたいなものって
すごい確かなもの
自分の中ではすごい確かなものだから
そこにある種の寄り所がある気がするんだよね
外部の他者には完全に寄りかかりきれないというか
代わり得るから寄りかかりきれないけど
自分の心の中にある死者には寄りかかれるというか
自分に問うというか
自分の心の中にいるその人に語りかけられるというか
寄り所になるんだろうなと思って
結構思わぬところに広がってきました
エッセイの引用と番組の締めくくり
めちゃくちゃ何回も読んでいますが
何回目?50回くらい読んでる
ちょっと読んで
今回引用したのは
えくにかおりさんの
いくつもの週末の
さくらドライブとお正月というエッセイで
ちょっと長いので最後だけ読むと
白い花びらを見上げながら
来年もこの人と一緒に桜を見れるかしらと思う
これは全く単純な疑問文として思うのだ
一緒に見たいと思うのではない
一緒に見るのかしらと思う
それはなんだか不思議な感じで
そう思うとき私は自分の人生をちょっと好きになる
来年もこの人と一緒に桜を見る可能性がある
そのことがとても希望に満ちたことに思えて嬉しい
そうしてそれはもちろん
一緒に桜を見ない可能性もあるからこその嬉しさだ
物語が幸福なのは
いくつもの可能性の中から
一つが選ばれていくからで
それは私を素晴らしくぞくぞくさせる
でした
いいね
ありがとうございました
35:15
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