2025-01-11 47:38

vol.107 不親切なデザインがつくる消費行動は幸せなのか -頭で考えず山に入って百を知る?- 山本 円郁さん(デザイナー/ 行者・山伏)

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💎 Summary fm要約

今回の会話は、山本 円郁さんと別の参加者とのディスカッションを通じて、デザインや環境、倫理観について考えられました。特に、デザインにおける人間の尊厳やダークパターン、そして自然との関わりについて深く議論されました。デザインが持つ社会的責任や影響力についても言及があり、デザイナーとしての考え方や行動の重要性が強調されました。さらに、自然体験や信念の大切さについても触れられており、デザインを通じて社会や個人の尊厳を尊重する姿勢が求められていることが示唆されました。このエピソードは、デザインや社会に対する新たな視点を開く内容となっており、デザイナーや倫理観に興味を持つ方にとって、聴きどころが多いポッドキャストとなっています。


⏰ Summary fmタイムスタンプ

欲望と幸福 経済不安 新しい体験とエピソード ノイズキャンセリング技術 複数の活動同時に行うことの影響 デザイナーの美意識と倫理 鳥籠のゲストハウスのデザイン カプセルホテルと人間の尊厳 自然体験と社会変革


ハッシュタグ:  #自然資本論


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サマリー

今回のエピソードでは、デザイナーの山本円郁さんが、不親切なデザインが消費者の行動に及ぼす影響や、自然との向き合いを通じて得られる気づきについて語っています。ダークパターンや便利さによる幸福感についても考察されており、現代の消費社会における自己選択の重要性が強調されています。また、山での体験がどのように人々の幸福感を生むかも探求されています。ノイズキャンセリング技術が社会に与える影響や、デザイナーの役割についても触れられています。加えて、デザイナーの倫理観や消費行動の影響、自然との共存の重要性についても述べられています。山入体験を通じて得られる知識の意義や、ダークパターンが消費者に及ぼす影響についても言及されています。このエピソードは、デザインの不親切さが消費者の行動に与える影響や、自然体験を通じて得られる洞察を探る内容です。

ダークパターンの影響
自然と生きるを考える 自然資本論〜
この番組は森で働くことを愛する高橋&奥田が、マーケティングやデザイン視点を持ちながら、森、海、里など自然資本を巡る話を面白おかしくしていく番組です。
はい、高橋です。はい、奥田です。よろしくお願いします。 よろしくお願いします。
はい、今回も前回に引き続きまして、山伏でデザイナーの山本 円郁さんにお越しいただいているので、早速入っていただければと思います。お願いします。
はい、山本です。よろしくお願いします。
前回ね、ダークパターンというか、最初にちょっと山伏になった経緯みたいな話を聞きながら、デザインに絶望をしながら、デザインが社会にもたらしてきた影響みたいな話をしてきたんですけど、
後半はそのダークパターンみたいな話に対して、じゃあこれからのデザインとか、これからのビジネスみたいなものがどこに呼びどころを置いていけばいいのかみたいな話をしていけたらいいなと思います。
なのでそれでいくと、宮さんとしては、ダークパターンとかデザインの講座、いろいろ学ばれている中で、こっち側に行ったらいいよなみたいな、ちょっと信仰の話も出てましたよ、宗教の話も出てましたけど、なんか改めてどんなふうに感じてらっしゃいますか。
そうですね。日本でもダークパターン研究っていうのはまだまだ始まったばっかりで、これからどうなるかわからないところではあるんですけど、
わかりやすいところで言ったら、こういったデザインのためで法整理が進むとか、そういったことは可能性としてはあり得ると思うんですよね。
今でも消費者庁とか、総務省とか、厚生取引委員会とかが、あまりにも小さい文字だったらダメだよとかいうのはあるので、それの延長として成立していくっていうのはあるかなとは思うんですね。
ただ、とはいえ法律でダメって言われてるからやっちゃダメみたいなのは、人としての態度としていいのかどうかっていう問題があると思うんですね。
できればそれは法律でダメって言われてるからやっちゃいけないんだってやらないじゃなくて、そもそも自分たちの中で、これはやらない方がいいなっていう倫理感がちゃんと立ち上がって、ブレーキが効く方が理想だと思うので。
そういったデザイナーが増えるといいなとは思いますね。
消費行動と幸福感
ダークパターンのデザイン、パターンみたいな話、こういうふうにしたら人は買っちゃうとか、焦って消費行動を変えるとか、もしくは一旦加入して大会しづらくしとくみたいなのも、僕はそれはデザインかと思ってないとしてもあるんですけど。
そもそもね。
そうですね。
なんかでも、デザインとして分類されてるっちゃされてるってことなんですね。
そうですね。確かにデザインをしない方がいいんだとは思いますね。それは単なる消費を促すテクニックであって、デザインではないと言いたいところではあるんですが。
そこのダークパターンとかの中で、フミヤさんが一番、何だろう、なぜ良くないのかっていうのを、例えばそれをやる人たちからすると、
例えば宿だったら困ってる人に素早く情報をお届けするためのデザインです、みたいなことをもしかしたら言うかもしれないんですけど、
それに対して、それって本当にそうなん?みたいなところで、どういう違和感を感じられますか?
そうですね。やはりどうしても言うと思うんですよね。迷ってる意思決定の背中を押しているんだとか、いろんな言い方はできると思うんですけど、
やっぱりそれって限定合理性の中で、効率的に1秒でも早く答えにたどり着く、みたいなものが正義になっちゃってると思うんですね。
でもやっぱりそれがそもそも良いことだと思っていなくて、やっぱりAmazonとかもそうですけど、自分の関心に基づいて、
アルゴリズム的に必要そうなものしかレコメンドしてこない。それをやはり、なるべく買わせるような構造になっているので、
それって別に幸せではないなと思っちゃうんですよね。
なんとなくアルゴリズムが導き出した、確率的にこれ良いんじゃない?が出てるだけであって、そういう確率の世界の中で生かされているみたいになっちゃうので、
もっとそうじゃなくて、本当は山に入ったりすると出っ取り早いと思うんですけど、世界ってそんな狭くなくて、もっと意味のわかんない出会いに溢れていたりとか、
僕みたいに唐突に山の中に移住してきたら、たまたま業者との出会いがあって山節になってしまったみたいな、
人生の中のすごい、言ってしまえばアクシデントみたいなことがあって、大きく人生が変わるわけですよね。
でもそれによって僕の人生はすごく豊かになっていて、そういったきっかけっていうのは、報道経済学によるナッチみたいなものでは生み出せないんじゃないかと思うんですよね。
なので法律よく予約させる、買わせるっていうのが、果たして本当にポジティブな影響を実際に与えているのかっていう、
もっと事故みたいなのがあっていいんじゃないかって思っちゃうというか。
いやー、分かるな。結構ビジネスも買っちゃうんですけど、ビジネスも買ってるとレコモディされていくのがビジネスもばっかりになっちゃって、
だんだんつまんなくなってくるっていうか、自分の行動によってちょっと悲しくなってくるんですけど、
自然体験の価値
小さい本屋さんとかがなくなってきて、本屋さんをぷらぷら歩いて、たまたま出会って買う本とかがすごく楽しかったりしてたはずなのに、
いつの間にかその出会いが完全になくなってしまっているっていうのは、最近のすごい悲しみとしてあるんで。
そうですね。
そうですよね。
欲のドライバーとか、合理的というか、勘弁にその人が欲しそうなものを身の回りに与えてもらえるっていう状況が、
果たして人間とか人類が幸せに暮らす中での一つの解として提案されている現代だと思うんですけど、
でもそれで本当にただいいんだっけっていうことの取り直しが重要ですよね、みたいなのはありますよね。
そうですね。もちろんウェブの業界ではある程度前から言われていることでもあるんですけど、
社会学者の宮台真実さんとかが、Amazonは便利だけど感動を与えられないからダメだみたいなことをかなり前から言っていて、
確かにそうだなと思ったりとか。
やっぱりダークパターンみたいな議論とセットで、そもそも何をすべきかっていうのは取り直してみようかなと思いますね。
そうですね。
ただやっぱりダークパターンの中でも多分色々、その解約のしづらさとか、結構不親切なもの、不親切な消費行動みたいなのが結構あるなっていうのは思うので、
それは先ほどの歴史に貢献するとか、本当にそれで誰かが見ててもそれやるの?みたいなのは、
多分働く人の幸福度とか、それを買った人のイラつきとか、世の中に不快は、不快はっていいと思うんですけど、
なんか嫌なストレスみたいなのを生み出すことで、社会全体の軋みみたいなのが起こっていないかみたいなのが結構ありそうな気はしますよね。
確かに、本当に無駄なストレスは絶対ない方がいいと思うんですよね。
やっぱり道に木の枝があったら溶けるわけで、道を進みやすくするっていうのは大事なんですけど、
それをやらされてるんじゃなくて、もうちょっと自分でリスク取る、冒険みたいな選択も時には人間って必要だと思うんですよね。
勇気出して選択するみたいな。Amazonがレコメントしてるからこれ安定だろうとか、
タベログの評価高いからこれ安定だろうじゃなくて、そこにある店ちょっと入ってみるとか、
失敗するかもしれないけど入ってみるとか、買ってみるとか、引っ越してみるとか、
リスクを取る行動が、やっぱり豊かさにすごくつながってるなと僕は思っているので、
そういったきっかけがいろんなビジネスの中でも本当は増えてくるんじゃないかなって思いますね。
確かに選択させられている感結構強いですもんね、最近。
しかもルールとかがあると、そのルールさえ守っておけば大丈夫みたいなところで、
でもそれもやっぱり半分コントロールされてるんじゃないかなっていう気はやっぱりするし、
その上でどう自分が選択をするのかみたいなところが、すごくなくなってきちゃってるのかもしれないですよね。
そうですね。レビューを信じすぎるっていう。
そうそうそうそう。
そうですね。でも最近ってAmazonのレビュー見てびっくりしたんですけど、
最近Amazonのレビューの一番上ってAIが書いてるんですよね。
そうなんですか?
あらゆるレビューをAIがまとめて一番上に書いてるんですよ。
だからこんなレビューはAIが書いたものですって書いてあるんですけど、
だからあらゆる人間のレビューは単なるAIのデータベースになっているんだなみたいな。
面白いですね。AIが消費者代表になってきて。
そうです。代表になっているんですよね。
AIも消費者になってくるっていう世界観ですね。
そうですね。
でもダークパターンの話はあれですけど、
そういう不誠実に思えるような営みっていうのは、
結構みんなの気持ちがやられちゃうなっていうのは思うので、
それはもしかしたら消費者の行動が云々っていう以前に、
働いている人たちも辛い気持ちがあるし、
これなんか騙してみたら嫌だなって言って、
上司の人にもうこんなんの?どうなんですか?って言ったら、
うるせえって言われて、
上司も本音ではそう思ってるけど言えないわなみたいな。
それで儲かる人たちは経営者っていうよりは株主だったりするから、
なんかこれはちょっと気持ち良くないなみたいなのは思うので、
そこに対して多分みんなが、
これって本当に社会とか歴史性にとって胸が腫れるのかなっていう思考を取り戻す、
きっかけがないみたいなのが問題な気もするんですけど、
それはさすがにみんなに山節になろうとは言えないんですけど、
山節にならずとも、
どうやったらその気持ちを獲得したり思い出したりできるのかなっていうのは、
どう思います?
そうですね、やっぱり僕がこっち引っ越してきて、
初めて御滝屋さんの元に行った時に、
御滝屋さんがあまりにも大きくてめちゃくちゃ感動したんですよね。
それにやっぱり心打たれたっていうのが大きかったので、
やっぱりそういった圧倒的な存在を目の当たりにするとか、
とりあえず山に登ってみるとか、
そういった頭で考えるんじゃなくて、
まず体で地球の大きさを体感するとか、
そういったことをすると、
自分がやってたことってどうなんだろうなって、
ちょっと考えるきっかけになるんじゃないかなとは思うんですよね。
山登ってたら絶対そこの山汚しちゃいけないなって思うもんね。
それでもね、もちろん富士山のゴミの問題とか普通にあるんだけど、
もちろん人にはよると思うんだけど、
結構多くの人がそういう存在を近くに感じた時に、
自分の行動が改まるっていうのはめちゃくちゃある気がしますね。
そうですよね、ご来訪を見て感動するとかでもいいですし、
リトリートとかでもいいんですけど、
リトリートだと割と頭で考えちゃう人が今多いなと思っていて、
疲れた都会の人が時々自然に行ってリフレッシュするやつに、
みたいな解釈する人もいるので、
リトリートの中でもプログラムを工夫するとか、
もっと大きな存在に近づいていくとか、
それこそ1300年の歴史に触れてみるとか、
別に山節にはならなくても、
一日山節について山登るとかはあってもいいと思いますし、
なので僕も今年はできるだけいろんな人を山に連れていくことをしてましたね。
でもある種悔しさみたいなのもあり得るかもしれないですね。
例えばあと8分以内に注文したらみたいな、
出てきたらもう注文しないというか負けないっていうか、
その誘導にはやられない。
お得にはやられないっていうのとかもあるけど、
今ちょうどブラックフライデーの西暦かな。
そうだね。
どれだけの商品が動いてるのかしらって、
消費行動とデザインの影響
やっぱりそのプロモーションもやたら流れてくるからさ。
そうだね。
ありますけど。
そうですよね。相当動いてるでしょうね。
ですね。
そうだよね。
中でもやっぱりその余裕のなさから来るものって結構やっぱり難しいところあるよ。
難しいっていうか、その金銭的な余裕のなさから来る、
結局心の余裕のなさみたいなところにつながっていることを考えると、
結局そのやっぱり資本主義に縛られてるようなっていう感じはどうしてもしちゃうよね。
だからそこからこう、そういう苦しさが本当にある人たちはどうやったら脱却できるんだろうって、
なんかよく考えるんだけど、どうしても成功するのがやっぱりその、
自分の心配みたいなところがきっと先行するんだろうなっていうふうに思ってるんだよな。
でもそれって結局自分が何か作り出せたりしてないからなんですかね。
その野菜を作って、米作って、もうそれがあったら死なないと思ったら意外と大丈夫になるのかな。
何かしらの安心っていうのはありそうですよね。
自分が作ってなくても。
そうだね。
親戚に。
友達がお裾開きをくれる体験とかで、
ああ、なんか生きていけるかもしれないとかあるのかもしれないけど。
なんかやっぱみんながみんな法律よく限られた時間とお金の中で、
なるべく失敗しないっていいものを選びたいみたいな思考になっているから、
やっぱこう、いいかもなんですよね。
失敗しないというのがあれですね。
そこに縛られているのかもしれないな。
間違いない。
その後買い物とか行動で、やっぱりキリがないですし、
なんか実は自分で選択していないから、
自分の自立性とか自尊心にもつながっていかないし、
やっぱりみんなはあんまり評価していないけど、
自分がこれが好きなみたいなものを持っている方がよっぽど幸せだと思うんですよね。
山での体験と幸福感
だからやっぱりレコメンドに負けない強い気持ちが必要なんですけど。
そうなんですよね。結構強い気持ちって言っちゃったりですけど、
そういうことになっちゃいますよね、きっと。
そうですね。
人の冒険心みたいなこととか、失敗怖いみたいな話に対して、
これって失敗って言うほどのものかみたいなのを思いますけどね。
そんな失敗って何やろうみたいなので、
確かにその定義ね。
よくわかんないなと思うんですけど、
でも僕、芸人さんのラジオとか聞いてる時に、
この人たちなんでこんなエピソードあるんだろうって思うことが結構あるんですけど、
この間東京行った時に知り合いに、
日本でかなり古い居酒屋があるからそこ行ってみようみたいなの言われて行ったら、
マスクをしてない人は来店不可だったんですよ。
え、マジで?ってなって、
じゃあマスク買いに行きますか?って言って、
3人で行って2人が出て、1人がマスクないとダメですか?って聞いてて、
後から追いかけてきて、
もう今からマスク買ってきてもダメですよって言われちゃったって言ったんですけど、
その時結構びっくりしたんです。
びっくりしたけど、こういうことかってすぐ思って、
行動したり動いたり、
普段行かないお店行くからみんなエピソードが生まれていて、
同じ道、同じことをして日々ネットで買い物をしたりとか、
自分の行動範囲が広がらなければ、
家族内ですらエピソード話すことがなくなります。
確かに確かに。
偶発的な出会い的なものはないよね。
本当にその行動が限られたの中では。
田舎の方が突発的なものでしづらいと思うんですけど、
だからこそ、もうちょっとチャレンジングな週末とか日常を過ごしてみてもいいような気はすごいしますね。
とりあえず何も考えずに滝に打たれろって言われて、
わかりました。言えるかどうかっていう。
そうですね。
そういう全然違う世界があるっていうのを知るだけでも大きいと思うんですよ。
実はすぐ隣に全然知らない世界があったりするじゃないですか。
そういった出会いってAmazonのブラックフライト見てるだけじゃ手に入らないので。
もう商品多すぎて調べられないですもんね。
確かにね。
そして多機業という商品は多分ないだろうからね。
そうですね。
多機業も基本的には例えば行きたいなと思っても、
そんなインターネットで多機業体験者募集なんていうのもあんまりないので、
やっぱりそのご縁の中で導かれていくものなんですよね。
だからそう簡単には手に入らないというか、
でもそういったところにすごく大きな価値があるなと思いますし、
シンプルな言い方ですけど、そういった出会いっていうものがどんどん思い出になっていくじゃないですか。
さっきの小倉さんの話もそうだと思うんですけど、
思い出が多い方が人は幸せだなと思うので、
やっぱり僕にAmazon見てるだけではあまり思い出が増えないんじゃないかなとは思っちゃいますね。
ノイズキャンセリング技術の社会的影響
確かにな。
なんか意味性みたいなところで、
例えば割引があるとか、これは自分にとって価値があるみたいな話と同様に、
それがダークパターン的に提案されるということと同様に、
イヤホンのノイズキャンセリングが作り出した世界っていうのも、
結構自然とかけ離れた世界観だなってめちゃくちゃ思うんですけど、
東京歩いてたらみんなイヤホンしてて、
ノイズキャンセリングによって雑踏は消えたけど、現実には存在していて、
電車とか買い物の通路とかで、
すいません、乗りますって言っても全く聞こえてないみたいなことが、
ここは何なんだろうっていうか。
最近はそんな風になってるのか。
この間東京行って、
そうするともう体でフィジカルで通るじゃないですか。
無理やりこじ開けるみたいな感じしかないもんね。
降りれないって。
その時にお互いイラッとするじゃないですか。
そういうのもすごい良くない社会だなっていうのは感じるので、
それはノイズキャンセリングによってめちゃめちゃ瞬間的幸福のある、
例えば東京のカフェの横が近すぎて、
むしろノイズキャンセリングしないと本も読めないような状態になってるなって思うんですよ。
それによって誰かの課題は解決してるんだけど、
社会の課題は増えていない。
自分に対しての課題だけ解決している状態だもんね。
他の人に対しての想像力と欠如がそこで生まれてしまうみたいな感じだよね。
僕も田舎の、
長野のスタバでノイズキャンセリングをしながら仕事をしていることが結構あるので、
全面的に悪く言うつもりはないんですけど、
ただ、歩いたりとか注文をしたりする時までずっとノイズキャンセリングをした状態の人がいるなって思うと、
いるのか。
いるか。
いますよ。
とか、ワイヤレスイヤホンが出る前に、
イヤホンをしている若い人が結構いた時に、
親子でご飯を食べていて、
お母さんが前に行って息子がイヤホンをしながら飯を食っているみたいな風景があったりして、
どういう状況?
お母さんはいないものなんだろうな。
そんなに聞かないといけない情報が流れているのか、そこには。
悲しい。
悲しいですね。
これ、どう見ても悲しいですよね。
違和感しかない。
山とかでも、本来は自然の音とかに敏感に耳を傍立てない。
傍立てることで見えるものとか、危機を察知したりすることがあるんですけど、
山でもノイキャンをつけたりすると、危ないなと思ったりはするので。
そうだね。
そんな人、山でもいるの?山でもいる?
どうだろう。いないかな。
わかんない。でも、居てもおかしくないかもね。昨今では。
なんでそうなるかというと、一つのことを一つの時間でやるということがとても苦手になって、
常に耳からは、例えばビジネスニュースを聞きながら移動をするとか、
オーリブルで本を聞きながら皿洗いをするということの生産性みたいな。
山も登った山頂が目的だとしたら、間は暇になるから。
確かにね。目的じゃないからね。
ビジネスニュースを聞きながら山を登るみたいなことが起こりうるかもしれないね。
少ないなと思ってもおかしくないですね。
そうですね。そんな話もありつつなんですけど、
デザインがこれから、むしろさっきのビジネスをより良い社会に連れていくためのデザインということを
僕も考えたいなって日々思うんですけど、
フミヤさんとしてはそのあたりの改造感ってどんなふうに見えてらっしゃいますか?
そうですね。
いわゆるデザインとか、デザイン経営とか、テクノロジーとかがこれまでずっとフロンティアだったんですよね。
全然先人がそんなにいなくて、自分たちで開拓していくみたいな。
それがビジネスともマッチして、
行動経済学とか認知理学とかでビジネスを加速していくっていうところに、
やっぱりマッチしすぎてしまったっていうのはあったので、
それはやはり卒業しなきゃいけないな。
それは自然とかそういった存在が目の当たりにすることで、
利用者側の気持ちとかリテラシーを変えていく必要もあると思いますし、
そうなっていくと本当はダークパターンみたいなことをしても、
やっぱり通用しなくなっていくのがいいと思うんですよね。
そうすればする必要がなくなるので、
だからそこは両方で成長していかなきゃいけない部分だと思うんですけど、
デザイナーっていうのはどっちにも貢献しなきゃいけないと思うので、
利用者側に対する啓蒙、こういうダークパターンっていうのがあるから、
良くないよっていう利用者側への啓蒙も必要だと思いますし、
もちろんビジネス側への啓蒙も続けていって、
まずはそういった現状を知ってもらうところから始めないといけないなと思うので、
先は長いんですけど、
デザイナーはそこに責任を負わないとデザイナーじゃないなと思うんですよね。
だからこう、ちゃんと悪いものは悪いって言うとか、
そういったことを言えるデザイナーが増えていくと、まずはいいんじゃないかなと思ってはいますかね。
そっか、でもデザイナーさんの中では、
そういう美意識、自分の美意識として、
そういう心情を持っている方は結構いらっしゃるなっていう印象もやっぱりあるので、
経営者のマインドや理念みたいなことが、
やっぱり結構重要なところもある気がしますよね。
クライアント側の美意識があれば、デザイナーがクライアントワークやってても、
デザインが得にならない可能性もあるんでね。
いやすごくあると思います。
そうだね。
いやそうだよね、なんかそれは本当そんな気がするわ。
デザイナーだけの問題では全然ないよね。
そう、やっぱり美意識みたいなのが大事ですよね。
そうですね。
昔やっぱり建築家の人と話した時にもそういう話になって、
やっぱり建築の人って、そういった倫理観とか美意識をかなり高く学ぶようなパリケランがあったりとか、
そうなっている人が多い。
だからその中でクライアントに何か言われても、
自分の倫理観とか美意識を優先して突っ跳ねるってことが建築家に求められていたりとかしていく。
で、なんでかって言うとずっと残るものだし、
そこで暮らす人たちの命を預かるみたいなこともあるからやっぱり責任が重いんだって話を聞いて、
デザインの倫理と社会的責任
そういった観点でいくとデザイナーっていうのは、
そういった責任を感じるみたいな場面が少ないのかなって思いましたね。
歴史に作っても別に100年残るわけじゃないし、
そこで人が事故に遭うみたいなことも建築よりは直接的には少ないかなみたいな。
でも見えないところでもちろん人々の自由な選択を奪っていたりとか、
あと物理的に残らないと言っても、
実はホームページとかウェブサービスが増えれば増えるほどサーバーは、
稼働するサーバーも増えて、電気はめちゃくちゃ使うし、水も使うしっていう、
そういう環境問題も実ははらんでいるので、
そういったところへの想像力が意外とテクノロジーのウェブサービスとかやってる中では育まりにくいのかなって思ってますね。
確かに。
僕はちょっと奥田さんにも、山本さんにも聞いてみたかったんですけど、
僕は逆に非デザイナーというかデザインを学んだことは全然本当にない人間なので、
僕からするとデザイナーという職種を選んでいる人たちって、
美意識を学んでいる人たちだと思っているんですけど、
決して道がいろいろありすぎてそういうふうにはならないって感じっていうことですよね、きっと。
多分中にはすごい美意識を持った方がもちろんいるわけなので、
どこでそれが道を違ってしまうんだろうみたいな。
そうですね。
特に昔のデザイナーとかはそういった美意識を持っている強い方が多かった気がしますね。
社会性も持っていたりとか。
ただやはりウェブサービスのデザイナーとかになると、
本当に言うと学校教育とかが今でこそ少しずつ大学でデザインを教える、
サービスデザインとか人間中心デザインを教えるっていう学校も増えてますけど、
やっぱり10年前とかは全然なかったですし、
なので社会人になってから独学でデザインを学んでデザイナーになるっていう人がかなり多かったんですよね。
なのでそういった美意識とか倫理みたいなものを学ぶっていう機会がなかった人も多いと思います。
なるほど。時代的にそういうふうに徐々に変わっていってしまったってことなんですね。
そうですね。そこでやっぱりビジネス、デザイン系とか、
デザイナーの生存戦略としてビジネスにすり寄るっていうのが中心になっていた。
ダークパターンの生まれる背景
なるほど。確かに。
それめっちゃわかりやすいな。
その中でやっぱりダークパターンとかが生まれていったっていう流れだと思いますね。
なるほどな。
だからダークパターンもデザイナーの生存戦略の一つではあったんですよね。
ビジネスにこんな貢献できるかっていう。
でもそれは今分解すると結果的にやっぱり人々を騙してビジネスを成長させていたってことにもかなりつながっていたので、
やっぱりそこは振り返って反対しなければいけないの、そういう時代なのかなと思うんですね。
なんか今、新規事業開発の話とか、いろんなところでいろんなお話をさせてもらうことがあるんですけど、
そこで圧倒的に多分足りないんだろうなっていうのは結構現代的なものだったりするんですよね。
自然とか地球と自分が関係しているっていう状態を学んだり体感したりしていない時に、
社会がどう存在するとか自然がどう存在するかっていうことを自分の中に知恵としてない状態の時に、
じゃあこのデザインを通してクライアントの売り上げを上げるっていうのが重要だなって思った時に、
そこに違和感がないかもしれないなって今思って。
でも僕らとか、僕も自然とどう共存するかみたいなのが前提として考えた時には、めっちゃ違和感があることがいっぱいあるんですよね、多分。
これやりたくねーみたいな。
それがやっぱり重要なのかもしれないですね。
人間の暮らし、どんな暮らしがいいのかなとかっていうことが考える時間とか余白とかっていうのを、
どこかの時点で持っているっていうのが、子供の時でもいいし、大人とかでもいいんですけど。
確かに。
僕の知り合いでかなり合理的で、合理的なのかわかんないですけど、そういった効率的な思考をする知り合いがいて、
その人に山に入ることとか、登山とかちょっと勧めたことがあるんですよ。
そしたらその人は、登山ブームってこういった流れで、こういった社会背景であるやつでしょみたいな感じで解釈して、
だから行かなくていいみたいな、そういう思考になってたんですよね。
でもそれってやっぱこう、自分の頭の中で理解して知った気になってるけど、それって全く一も知ってないじゃないですか。
そうですね。
本当は山入ったら1万ぐらい知ることがあるのに、一も知ってない状態で何かでも解釈して構造を理解して知った気になっているっていう人がちょうどいたんですよね。
ちょっと話し通じないなって思っちゃったことが、少し前にあったのを思い出してました。
そういう人も少し増えているかもしれないですね。
自然との関係性と人間の尊厳
そうですね。前回のお話の中で、頭で考えすぎる癖があることに気がついたっていう、その修行の体験を聞いたと思うんですけど、
そうですね。
多分そこですよね。頭で考えすぎ、頭にしか考えられなくなっちゃうっていうのが、自分の精神性の違和感。
これをやったら人としていかがなの?みたいなのを素直に感じ取れるかっていうのが、仕事だからいかがになっちゃうのかわからないんですけど、
なっちゃっていたとしたら、やっぱりそこは本当にそれでいいんだろうかっていうのが痛いところですよね。
そうですね。
高橋さんもその解釈に耐えきれずに。
そうだね。でもやっぱりそれって、きっと子供の頃に自然にずっと触れてたりとかしてる体験があったから、そこにすごい強烈な違和感を覚えてしまったっていうのがあるんだろうなとは思うよね。
だって他の人はやめないわけだから。きっと違和感を持っている可能性はあるし、仕方ないで片付けられてしまうのか、片付かないのか、慣れもきっとあるんだとは思うんだけど。
そこ面白いですよね。大量廃棄の現実に対して違和感を感じた高橋さんは新潟出身だけど、別に同年代やもっと上の世代で自然と過ごした、若い頃に自然と共に生きた人たちもたくさんいたろうに。
そうだね。
そこに違和感を感じないみたいなのは不思議だ。
いやーそうだよね。
そこがどっかのタイミングで何が大事かが変化していくんですかね。
そうかもしれない。
会社の中での位置づけとか意味づけの方が人生において重要だなって思い始めたりとか。
そうだね。どういう選択が取れるのかっていうのも結構タイミングも重要だったりはする気がするからね、やっぱりね。
僕は幸い動きやすい状態だったからっていうところももちろんあるし、なんかそういうのはそれも縁に近いものがあるかもしれないね。
そうですね。もちろん皆さんが偶然性みたいなところに関与になると、その面白さが開けていきそうな気はするから、レビューに頼らずお店に入ってみようみたいな気がしたわ。
そうですね。それはやっぱりもちろん悪い体験の可能性もかなり高くて。
でもそれはそれで思い出になってくるはずなんですよね。
そうなんですよね。いや、結局でも覚えてることってそっちの方が多いですよね。
いや多い多い。強烈な体験の方が絶対覚えてる。
笑い話とかもそうだけど。
うん、そうですよね。
なんか上手くいったなとかってことはスッと忘れていっちゃうけど、ちょっと恥ずかしかったなとかって一生覚えてたりするから、何なんだろうあれ。
そうだね、確かに。だから失敗してることが多い人の方がエピソードが多いんだろうな。
いいよね。
確かに。
失敗しましょう。失敗していきましょう、どんどん。
そうしよう、そうしよう。
いや、そうだね。僕もいまだに秋葉原で泊まったゲストハウスの、結構前ですけど、鳥小屋みたいなゲストハウスだったんですけど。
なんていうんですか、そのケージに閉じ込められてるみたいな。
網みたいなのが横にあってみたいな感じ。
細長い。細長い。狭い。
やだな。
っていうのをずっと覚えてますもんね。
なんだろう、この鶏の気持ち、鶏ごめんっていう気持ちがやっぱり湧き上がる。
いや、本当でもそうだね。カプセルホテルも本当に無理だもんね。
よくみんなあそこにいられると思ってしまう。もちろんね、他高いからしょうがないっていうところもあると思うけど、みんなね。
でもさ、カプセルっていうか、そういうケージみたいなものをデザインするときに、これをさすがに人間らしからぬんではないかみたいな、
寝れればいいでしょっていう提案?安くて寝れればいいんでしょっていう提案、まあいいんだけど。
そこに入るデザイナーだとしたら、じゃあもうちょっといたときの体験の価値を上げるにはどうしたらいいんだろうみたいなのを考えてみてもいいんじゃないか。
いや、確かにそうだよ。なるべく削って効率よく人を収めるっていう設計になりますもんね。
でもそこにやっぱり、もちろん仕方ない部分ってあると思うんですけど、
やっぱりデザイナーだったら、小倉さんおっしゃったように、そういう思考になってほしいし、やっぱりそうやって人間の尊厳を身につけることがあるじゃないですか。
そうですね。
で、ダークパターンとかもそうなんですよね。レコメントとか選択肢を狭めるっていうのは尊厳の問題にかなり関わってくるので、
自分でこれを選択したんだって、自立性も獲得できないし、こんなとこにコンパクトに収められている自分みたいになっちゃったりとかして、
やっぱり尊厳が傷ついていくので、そういったものを尊重する設計が増えていかないといけないんだろうなと思いました。
本当に入ってて、飼育されている動物ってこんな気持ちなのかなって思ったもんね。
思うよね。
思う。
それは逆に創造性の獲得で。
そうだよね。いや、俺もそうだよね。本当にそう思った。
確かに。そうですね。僕もやっぱり、大企業のホテルに泊まった時に、僕もトイレとかに入った時にすごい手がぶつかるんですよ。
横のトイレとかに。これ本当に最低限のスペースしかないんだなみたいに感じたんですよね。
極限まで小さくして、小さくして、多少ぶつかるけど大丈夫でしょうみたいなものが前提に設計されてて、
ここに人間いないんだなと思ったというか、そういったのを経験したことがあったので。
いや、そうですね。
効率とか便利ってそっちに向かっちゃうんですよね。
確かに。
結局は収納人数を増やして回転数を上げてみたいな話になってたりするので。
はい。
ね。
なんでやっぱり、なんだろう。そっちの方が儲かる世界からの脱却をみんなで目指したいねって話だと思うんで。
そうですね。
僕ら、ヤマトワもキラボシもそうかもしれないですけど、やっぱり社会とか従業員のことを考えて経営をしたいわけですけど、
ソーシャルへの社会にとって良いことみたいなのを考えると、どうしてもスケールしづらいし儲かりづらいみたいなのがまだまだ立ちはだかるし、
そうなると、それは僕らの努力不足もあるけど、選んでもらうとか買ってもらうということの難しさもやっぱり出てくるから、
そういうものがもうちょっと、そういうダークパターン的な営業をしなくても選んでいただける社会が訪れてほしいよねって話だと思うんですけどね。
我々はそれを信じて待つのと、それを伝え続けることしかできないからね。
そうですね。カルチャー作りだからっていう。
気の長いカルチャー作りだから、本当に。
土耕していくしかないんだなって思いますけど。
僕もやっぱりスケールみたいなことはすごく愛称が悪い話だと思うので、
自然体験の意義
僕が今年いろんな人を山に連れて行ったっていうのも、やっぱり僕一人が連れて行くから、そんなに多い人連れて行けないんですよね。
だからその山に連れて行って自然体験してもらうっていうのはスケールするような活動じゃないんですけど、
でも一人一人にそういった圧倒的な自然を目の当たりにするみたいな機会を提供できれば、
一人一人変わっていくにも変わっていけばいいのかなと思っているので、
小さくとも大事なことを続けていきたいなと思います。
そうですね。なんかでも山も本当に人が居すぎたりオーバーツーリズムになったら尊厳は感じられなくなると思うんで、
多分少人数でいいんだと思います、きっと。
そうですね、確かに。
本当ですね。
富士山はやっぱり信仰している人もいまだにいますからね。
そうですよね。
僕の知り合いがお祈りしながら富士山登ってたら観光客にうるせえって言われて、すごい傷ついてました。
それは悲しい。
それが現実ですね。
本当に寂しいんですけど。
リアルにそういうことが起こっているんだ。
確かに。めちゃくちゃ面白かったです。
人の尊厳みたいな話と、信仰心とか信心深さみたいなこととかが意味を持つ世界観っていうのを、
デザインも含めて次の時代を作っていこうぜみたいなのが大事な気はするので、ぜひ。
他にもふみやさんいろいろやってることもあると思うんですけど、今回はこんな感じで。
山節話、前半にしか聞いてなかったんですけど、山節とデザインというテーマでお聞きしてきましたが。
研究と活動の展望
ふみやさん、最近はお知らせじゃないですけど、今こういうの目指してますよとかやってますよみたいなのってあったりしますか?
そうですね。
やはりダークパターン研究、ダークパターン研究界っていうのは拘束して啓蒙活動とかをしていこうと思いますので、
興味関心ある方いたらご協力いただけたらなと思うのと、
あとは夏になったらぜひ本滝さんに来てほしいなと思いますね。
そこでやっぱり大きな自然の力とかを目の当たりにすることでいろいろ得るものもあると思いますし、
そこで得たものっていうのは必ず外界での仕事にもつながってくるものだと思うので、
本滝さんぜひ興味ある方は一緒に登りましょうと。
いいですね。
でも反省・反続的考え方っていうのはどれくらい拡張していいのかわからないですけど、
かなり面白い考え方ですよね。
そうかもね、確かに。今までないもんね、逆に。
そうですね。
なくなっちゃったから、もう一回それが復活するのは本当にきっと考え方的にはありなんだろうな。
そうですね。しかも拡張可能な気がします、もう少し。
奥田さんとか高橋さんがやってらっしゃることも、やっぱりビジネスを超えたもっと大事なものを大事にしつつ、
でも属っぽくちゃんと活動するっていう両面持ってると思うので。
そうですね。
はい。
じゃあ、文座さん本当に長い時間になっちゃいました。ありがとうございました。
ありがとうございました。
またよろしくお願いします。
はい、どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
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それではまた次回お会いしましょう。
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