ダークパターンのデザイン、パターンみたいな話、こういうふうにしたら人は買っちゃうとか、焦って消費行動を変えるとか、もしくは一旦加入して大会しづらくしとくみたいなのも、僕はそれはデザインかと思ってないとしてもあるんですけど。
そもそもね。
そうですね。
なんかでも、デザインとして分類されてるっちゃされてるってことなんですね。
そうですね。確かにデザインをしない方がいいんだとは思いますね。それは単なる消費を促すテクニックであって、デザインではないと言いたいところではあるんですが。
そこのダークパターンとかの中で、フミヤさんが一番、何だろう、なぜ良くないのかっていうのを、例えばそれをやる人たちからすると、
例えば宿だったら困ってる人に素早く情報をお届けするためのデザインです、みたいなことをもしかしたら言うかもしれないんですけど、
それに対して、それって本当にそうなん?みたいなところで、どういう違和感を感じられますか?
そうですね。やはりどうしても言うと思うんですよね。迷ってる意思決定の背中を押しているんだとか、いろんな言い方はできると思うんですけど、
やっぱりそれって限定合理性の中で、効率的に1秒でも早く答えにたどり着く、みたいなものが正義になっちゃってると思うんですね。
でもやっぱりそれがそもそも良いことだと思っていなくて、やっぱりAmazonとかもそうですけど、自分の関心に基づいて、
アルゴリズム的に必要そうなものしかレコメンドしてこない。それをやはり、なるべく買わせるような構造になっているので、
それって別に幸せではないなと思っちゃうんですよね。
なんとなくアルゴリズムが導き出した、確率的にこれ良いんじゃない?が出てるだけであって、そういう確率の世界の中で生かされているみたいになっちゃうので、
もっとそうじゃなくて、本当は山に入ったりすると出っ取り早いと思うんですけど、世界ってそんな狭くなくて、もっと意味のわかんない出会いに溢れていたりとか、
僕みたいに唐突に山の中に移住してきたら、たまたま業者との出会いがあって山節になってしまったみたいな、
人生の中のすごい、言ってしまえばアクシデントみたいなことがあって、大きく人生が変わるわけですよね。
でもそれによって僕の人生はすごく豊かになっていて、そういったきっかけっていうのは、報道経済学によるナッチみたいなものでは生み出せないんじゃないかと思うんですよね。
なので法律よく予約させる、買わせるっていうのが、果たして本当にポジティブな影響を実際に与えているのかっていう、
もっと事故みたいなのがあっていいんじゃないかって思っちゃうというか。
いやー、分かるな。結構ビジネスも買っちゃうんですけど、ビジネスも買ってるとレコモディされていくのがビジネスもばっかりになっちゃって、
だんだんつまんなくなってくるっていうか、自分の行動によってちょっと悲しくなってくるんですけど、
小さい本屋さんとかがなくなってきて、本屋さんをぷらぷら歩いて、たまたま出会って買う本とかがすごく楽しかったりしてたはずなのに、
いつの間にかその出会いが完全になくなってしまっているっていうのは、最近のすごい悲しみとしてあるんで。
そうですね。
そうですよね。
欲のドライバーとか、合理的というか、勘弁にその人が欲しそうなものを身の回りに与えてもらえるっていう状況が、
果たして人間とか人類が幸せに暮らす中での一つの解として提案されている現代だと思うんですけど、
でもそれで本当にただいいんだっけっていうことの取り直しが重要ですよね、みたいなのはありますよね。
そうですね。もちろんウェブの業界ではある程度前から言われていることでもあるんですけど、
社会学者の宮台真実さんとかが、Amazonは便利だけど感動を与えられないからダメだみたいなことをかなり前から言っていて、
確かにそうだなと思ったりとか。
やっぱりダークパターンみたいな議論とセットで、そもそも何をすべきかっていうのは取り直してみようかなと思いますね。
そうですね。
ただやっぱりダークパターンの中でも多分色々、その解約のしづらさとか、結構不親切なもの、不親切な消費行動みたいなのが結構あるなっていうのは思うので、
それは先ほどの歴史に貢献するとか、本当にそれで誰かが見ててもそれやるの?みたいなのは、
多分働く人の幸福度とか、それを買った人のイラつきとか、世の中に不快は、不快はっていいと思うんですけど、
なんか嫌なストレスみたいなのを生み出すことで、社会全体の軋みみたいなのが起こっていないかみたいなのが結構ありそうな気はしますよね。
確かに、本当に無駄なストレスは絶対ない方がいいと思うんですよね。
やっぱり道に木の枝があったら溶けるわけで、道を進みやすくするっていうのは大事なんですけど、
それをやらされてるんじゃなくて、もうちょっと自分でリスク取る、冒険みたいな選択も時には人間って必要だと思うんですよね。
勇気出して選択するみたいな。Amazonがレコメントしてるからこれ安定だろうとか、
タベログの評価高いからこれ安定だろうじゃなくて、そこにある店ちょっと入ってみるとか、
失敗するかもしれないけど入ってみるとか、買ってみるとか、引っ越してみるとか、
リスクを取る行動が、やっぱり豊かさにすごくつながってるなと僕は思っているので、
そういったきっかけがいろんなビジネスの中でも本当は増えてくるんじゃないかなって思いますね。
確かに選択させられている感結構強いですもんね、最近。
しかもルールとかがあると、そのルールさえ守っておけば大丈夫みたいなところで、
でもそれもやっぱり半分コントロールされてるんじゃないかなっていう気はやっぱりするし、
その上でどう自分が選択をするのかみたいなところが、すごくなくなってきちゃってるのかもしれないですよね。
そうですね。レビューを信じすぎるっていう。
そうそうそうそう。
そうですね。でも最近ってAmazonのレビュー見てびっくりしたんですけど、
最近Amazonのレビューの一番上ってAIが書いてるんですよね。
そうなんですか?
あらゆるレビューをAIがまとめて一番上に書いてるんですよ。
だからこんなレビューはAIが書いたものですって書いてあるんですけど、
だからあらゆる人間のレビューは単なるAIのデータベースになっているんだなみたいな。
面白いですね。AIが消費者代表になってきて。
そうです。代表になっているんですよね。
AIも消費者になってくるっていう世界観ですね。
そうですね。
でもダークパターンの話はあれですけど、
そういう不誠実に思えるような営みっていうのは、
結構みんなの気持ちがやられちゃうなっていうのは思うので、
それはもしかしたら消費者の行動が云々っていう以前に、
働いている人たちも辛い気持ちがあるし、
これなんか騙してみたら嫌だなって言って、
上司の人にもうこんなんの?どうなんですか?って言ったら、
うるせえって言われて、
上司も本音ではそう思ってるけど言えないわなみたいな。
それで儲かる人たちは経営者っていうよりは株主だったりするから、
なんかこれはちょっと気持ち良くないなみたいなのは思うので、
そこに対して多分みんなが、
これって本当に社会とか歴史性にとって胸が腫れるのかなっていう思考を取り戻す、
きっかけがないみたいなのが問題な気もするんですけど、
それはさすがにみんなに山節になろうとは言えないんですけど、
山節にならずとも、
どうやったらその気持ちを獲得したり思い出したりできるのかなっていうのは、
どう思います?
そうですね、やっぱり僕がこっち引っ越してきて、
初めて御滝屋さんの元に行った時に、
御滝屋さんがあまりにも大きくてめちゃくちゃ感動したんですよね。
それにやっぱり心打たれたっていうのが大きかったので、
やっぱりそういった圧倒的な存在を目の当たりにするとか、
とりあえず山に登ってみるとか、
そういった頭で考えるんじゃなくて、
まず体で地球の大きさを体感するとか、
そういったことをすると、
自分がやってたことってどうなんだろうなって、
ちょっと考えるきっかけになるんじゃないかなとは思うんですよね。
山登ってたら絶対そこの山汚しちゃいけないなって思うもんね。
それでもね、もちろん富士山のゴミの問題とか普通にあるんだけど、
もちろん人にはよると思うんだけど、
結構多くの人がそういう存在を近くに感じた時に、
自分の行動が改まるっていうのはめちゃくちゃある気がしますね。
そうですよね、ご来訪を見て感動するとかでもいいですし、
リトリートとかでもいいんですけど、
リトリートだと割と頭で考えちゃう人が今多いなと思っていて、
疲れた都会の人が時々自然に行ってリフレッシュするやつに、
みたいな解釈する人もいるので、
リトリートの中でもプログラムを工夫するとか、
もっと大きな存在に近づいていくとか、
それこそ1300年の歴史に触れてみるとか、
別に山節にはならなくても、
一日山節について山登るとかはあってもいいと思いますし、
なので僕も今年はできるだけいろんな人を山に連れていくことをしてましたね。
でもある種悔しさみたいなのもあり得るかもしれないですね。
例えばあと8分以内に注文したらみたいな、
出てきたらもう注文しないというか負けないっていうか、
その誘導にはやられない。
お得にはやられないっていうのとかもあるけど、
今ちょうどブラックフライデーの西暦かな。
そうだね。
どれだけの商品が動いてるのかしらって、
確かにな。
なんか意味性みたいなところで、
例えば割引があるとか、これは自分にとって価値があるみたいな話と同様に、
それがダークパターン的に提案されるということと同様に、
イヤホンのノイズキャンセリングが作り出した世界っていうのも、
結構自然とかけ離れた世界観だなってめちゃくちゃ思うんですけど、
東京歩いてたらみんなイヤホンしてて、
ノイズキャンセリングによって雑踏は消えたけど、現実には存在していて、
電車とか買い物の通路とかで、
すいません、乗りますって言っても全く聞こえてないみたいなことが、
ここは何なんだろうっていうか。
最近はそんな風になってるのか。
この間東京行って、
そうするともう体でフィジカルで通るじゃないですか。
無理やりこじ開けるみたいな感じしかないもんね。
降りれないって。
その時にお互いイラッとするじゃないですか。
そういうのもすごい良くない社会だなっていうのは感じるので、
それはノイズキャンセリングによってめちゃめちゃ瞬間的幸福のある、
例えば東京のカフェの横が近すぎて、
むしろノイズキャンセリングしないと本も読めないような状態になってるなって思うんですよ。
それによって誰かの課題は解決してるんだけど、
社会の課題は増えていない。
自分に対しての課題だけ解決している状態だもんね。
他の人に対しての想像力と欠如がそこで生まれてしまうみたいな感じだよね。
僕も田舎の、
長野のスタバでノイズキャンセリングをしながら仕事をしていることが結構あるので、
全面的に悪く言うつもりはないんですけど、
ただ、歩いたりとか注文をしたりする時までずっとノイズキャンセリングをした状態の人がいるなって思うと、
いるのか。
いるか。
いますよ。
とか、ワイヤレスイヤホンが出る前に、
イヤホンをしている若い人が結構いた時に、
親子でご飯を食べていて、
お母さんが前に行って息子がイヤホンをしながら飯を食っているみたいな風景があったりして、
どういう状況?
お母さんはいないものなんだろうな。
そんなに聞かないといけない情報が流れているのか、そこには。
悲しい。
悲しいですね。
これ、どう見ても悲しいですよね。
違和感しかない。
山とかでも、本来は自然の音とかに敏感に耳を傍立てない。
傍立てることで見えるものとか、危機を察知したりすることがあるんですけど、
山でもノイキャンをつけたりすると、危ないなと思ったりはするので。
そうだね。
そんな人、山でもいるの?山でもいる?
どうだろう。いないかな。
わかんない。でも、居てもおかしくないかもね。昨今では。
なんでそうなるかというと、一つのことを一つの時間でやるということがとても苦手になって、
常に耳からは、例えばビジネスニュースを聞きながら移動をするとか、
オーリブルで本を聞きながら皿洗いをするということの生産性みたいな。
山も登った山頂が目的だとしたら、間は暇になるから。
確かにね。目的じゃないからね。
ビジネスニュースを聞きながら山を登るみたいなことが起こりうるかもしれないね。
少ないなと思ってもおかしくないですね。
そうですね。そんな話もありつつなんですけど、
デザインがこれから、むしろさっきのビジネスをより良い社会に連れていくためのデザインということを
僕も考えたいなって日々思うんですけど、
フミヤさんとしてはそのあたりの改造感ってどんなふうに見えてらっしゃいますか?
そうですね。
いわゆるデザインとか、デザイン経営とか、テクノロジーとかがこれまでずっとフロンティアだったんですよね。
全然先人がそんなにいなくて、自分たちで開拓していくみたいな。
それがビジネスともマッチして、
行動経済学とか認知理学とかでビジネスを加速していくっていうところに、
やっぱりマッチしすぎてしまったっていうのはあったので、
それはやはり卒業しなきゃいけないな。
それは自然とかそういった存在が目の当たりにすることで、
利用者側の気持ちとかリテラシーを変えていく必要もあると思いますし、
そうなっていくと本当はダークパターンみたいなことをしても、
やっぱり通用しなくなっていくのがいいと思うんですよね。
そうすればする必要がなくなるので、
だからそこは両方で成長していかなきゃいけない部分だと思うんですけど、
デザイナーっていうのはどっちにも貢献しなきゃいけないと思うので、
利用者側に対する啓蒙、こういうダークパターンっていうのがあるから、
良くないよっていう利用者側への啓蒙も必要だと思いますし、
もちろんビジネス側への啓蒙も続けていって、
まずはそういった現状を知ってもらうところから始めないといけないなと思うので、
先は長いんですけど、
デザイナーはそこに責任を負わないとデザイナーじゃないなと思うんですよね。
だからこう、ちゃんと悪いものは悪いって言うとか、
そういったことを言えるデザイナーが増えていくと、まずはいいんじゃないかなと思ってはいますかね。
そっか、でもデザイナーさんの中では、
そういう美意識、自分の美意識として、
そういう心情を持っている方は結構いらっしゃるなっていう印象もやっぱりあるので、
経営者のマインドや理念みたいなことが、
やっぱり結構重要なところもある気がしますよね。
クライアント側の美意識があれば、デザイナーがクライアントワークやってても、
デザインが得にならない可能性もあるんでね。
いやすごくあると思います。
そうだね。
いやそうだよね、なんかそれは本当そんな気がするわ。
デザイナーだけの問題では全然ないよね。
そう、やっぱり美意識みたいなのが大事ですよね。
そうですね。
昔やっぱり建築家の人と話した時にもそういう話になって、
やっぱり建築の人って、そういった倫理観とか美意識をかなり高く学ぶようなパリケランがあったりとか、
そうなっている人が多い。
だからその中でクライアントに何か言われても、
自分の倫理観とか美意識を優先して突っ跳ねるってことが建築家に求められていたりとかしていく。
で、なんでかって言うとずっと残るものだし、
そこで暮らす人たちの命を預かるみたいなこともあるからやっぱり責任が重いんだって話を聞いて、
そうですね。前回のお話の中で、頭で考えすぎる癖があることに気がついたっていう、その修行の体験を聞いたと思うんですけど、
そうですね。
多分そこですよね。頭で考えすぎ、頭にしか考えられなくなっちゃうっていうのが、自分の精神性の違和感。
これをやったら人としていかがなの?みたいなのを素直に感じ取れるかっていうのが、仕事だからいかがになっちゃうのかわからないんですけど、
なっちゃっていたとしたら、やっぱりそこは本当にそれでいいんだろうかっていうのが痛いところですよね。
そうですね。
高橋さんもその解釈に耐えきれずに。
そうだね。でもやっぱりそれって、きっと子供の頃に自然にずっと触れてたりとかしてる体験があったから、そこにすごい強烈な違和感を覚えてしまったっていうのがあるんだろうなとは思うよね。
だって他の人はやめないわけだから。きっと違和感を持っている可能性はあるし、仕方ないで片付けられてしまうのか、片付かないのか、慣れもきっとあるんだとは思うんだけど。
そこ面白いですよね。大量廃棄の現実に対して違和感を感じた高橋さんは新潟出身だけど、別に同年代やもっと上の世代で自然と過ごした、若い頃に自然と共に生きた人たちもたくさんいたろうに。
そうだね。
そこに違和感を感じないみたいなのは不思議だ。
いやーそうだよね。
そこがどっかのタイミングで何が大事かが変化していくんですかね。
そうかもしれない。
会社の中での位置づけとか意味づけの方が人生において重要だなって思い始めたりとか。
そうだね。どういう選択が取れるのかっていうのも結構タイミングも重要だったりはする気がするからね、やっぱりね。
僕は幸い動きやすい状態だったからっていうところももちろんあるし、なんかそういうのはそれも縁に近いものがあるかもしれないね。
そうですね。もちろん皆さんが偶然性みたいなところに関与になると、その面白さが開けていきそうな気はするから、レビューに頼らずお店に入ってみようみたいな気がしたわ。
そうですね。それはやっぱりもちろん悪い体験の可能性もかなり高くて。
でもそれはそれで思い出になってくるはずなんですよね。
そうなんですよね。いや、結局でも覚えてることってそっちの方が多いですよね。
いや多い多い。強烈な体験の方が絶対覚えてる。
笑い話とかもそうだけど。
うん、そうですよね。
なんか上手くいったなとかってことはスッと忘れていっちゃうけど、ちょっと恥ずかしかったなとかって一生覚えてたりするから、何なんだろうあれ。
そうだね、確かに。だから失敗してることが多い人の方がエピソードが多いんだろうな。
いいよね。
確かに。
失敗しましょう。失敗していきましょう、どんどん。
そうしよう、そうしよう。
いや、そうだね。僕もいまだに秋葉原で泊まったゲストハウスの、結構前ですけど、鳥小屋みたいなゲストハウスだったんですけど。
なんていうんですか、そのケージに閉じ込められてるみたいな。
網みたいなのが横にあってみたいな感じ。
細長い。細長い。狭い。
やだな。
っていうのをずっと覚えてますもんね。
なんだろう、この鶏の気持ち、鶏ごめんっていう気持ちがやっぱり湧き上がる。
いや、本当でもそうだね。カプセルホテルも本当に無理だもんね。
よくみんなあそこにいられると思ってしまう。もちろんね、他高いからしょうがないっていうところもあると思うけど、みんなね。
でもさ、カプセルっていうか、そういうケージみたいなものをデザインするときに、これをさすがに人間らしからぬんではないかみたいな、
寝れればいいでしょっていう提案?安くて寝れればいいんでしょっていう提案、まあいいんだけど。
そこに入るデザイナーだとしたら、じゃあもうちょっといたときの体験の価値を上げるにはどうしたらいいんだろうみたいなのを考えてみてもいいんじゃないか。
いや、確かにそうだよ。なるべく削って効率よく人を収めるっていう設計になりますもんね。
でもそこにやっぱり、もちろん仕方ない部分ってあると思うんですけど、
やっぱりデザイナーだったら、小倉さんおっしゃったように、そういう思考になってほしいし、やっぱりそうやって人間の尊厳を身につけることがあるじゃないですか。
そうですね。
で、ダークパターンとかもそうなんですよね。レコメントとか選択肢を狭めるっていうのは尊厳の問題にかなり関わってくるので、
自分でこれを選択したんだって、自立性も獲得できないし、こんなとこにコンパクトに収められている自分みたいになっちゃったりとかして、
やっぱり尊厳が傷ついていくので、そういったものを尊重する設計が増えていかないといけないんだろうなと思いました。
本当に入ってて、飼育されている動物ってこんな気持ちなのかなって思ったもんね。
思うよね。
思う。
それは逆に創造性の獲得で。
そうだよね。いや、俺もそうだよね。本当にそう思った。
確かに。そうですね。僕もやっぱり、大企業のホテルに泊まった時に、僕もトイレとかに入った時にすごい手がぶつかるんですよ。
横のトイレとかに。これ本当に最低限のスペースしかないんだなみたいに感じたんですよね。
極限まで小さくして、小さくして、多少ぶつかるけど大丈夫でしょうみたいなものが前提に設計されてて、
ここに人間いないんだなと思ったというか、そういったのを経験したことがあったので。
いや、そうですね。
効率とか便利ってそっちに向かっちゃうんですよね。
確かに。
結局は収納人数を増やして回転数を上げてみたいな話になってたりするので。
はい。
ね。
なんでやっぱり、なんだろう。そっちの方が儲かる世界からの脱却をみんなで目指したいねって話だと思うんで。
そうですね。
僕ら、ヤマトワもキラボシもそうかもしれないですけど、やっぱり社会とか従業員のことを考えて経営をしたいわけですけど、
ソーシャルへの社会にとって良いことみたいなのを考えると、どうしてもスケールしづらいし儲かりづらいみたいなのがまだまだ立ちはだかるし、
そうなると、それは僕らの努力不足もあるけど、選んでもらうとか買ってもらうということの難しさもやっぱり出てくるから、
そういうものがもうちょっと、そういうダークパターン的な営業をしなくても選んでいただける社会が訪れてほしいよねって話だと思うんですけどね。
我々はそれを信じて待つのと、それを伝え続けることしかできないからね。
そうですね。カルチャー作りだからっていう。
気の長いカルチャー作りだから、本当に。
土耕していくしかないんだなって思いますけど。
僕もやっぱりスケールみたいなことはすごく愛称が悪い話だと思うので、