1. LIFE UPDATE │ YOHEI HAYAKAWA
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2021-10-06 23:50

Playback:新宿『花尾』にこめた仕掛け │ 松山智一さん(美術家)(#1:2021年9月)

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【松山智一さんへのインタビュー一覧】
Talk.1|新宿『花尾』にこめた仕掛け
(10/7公開)Talk.2|創造プロセスと思考
(10/9公開)Talk.3|「才能は関係ない」と言える理由
(10/11公開)Talk.4|組織は「粒違い」がいい

今回のUpdaterはニューヨークを拠点に活動する美術家の松山智一さん。
大学卒業後25歳で単身渡米、美術経験ゼロから独学で自身の表現を確立し、世界中のアーティストがしのぎを削る舞台でキャリアをスタートさせた松山さん。
いまやマイクロソフトやドバイ王室にコレクションされるなど、世界中のアートシーンから注目を集めるまでの存在になった彼は、日頃どんな思考と創造をしているのか? パンデミックは彼をどう変えたのか?
一時帰国の貴重な時間をいただき、お話をうかがった。
キーワードは「問い」

【プロフィール】まつやま・ともかず/1976年岐阜県生まれ。上智大学経済学部を卒業後、2002年渡米。ニューヨークのプラット・インスティテュートコミュニケーションデザイン学科を卒業し、現在もニューヨークにスタジオを構え活動。ペインティングを中心に、彫刻やインスタレーションを手がける。世界各地のギャラリー、美術館、大学施設等にて個展・展覧会を多数開催。19年にはニューヨーク「バワリー・ミューラル」の壁画を手がけたほか、20年〜21年にかけて龍美美術館(上海)で大規模個展も開催した。
https://matzu.net/

■目次
OP
芸術家とgentrification
「作品の完成」のタイミング
『花尾』にこめた仕掛けとは
「松山智一」を評するなら?

▼10/29(金)「月末LIVE」開催
[URLは後日確定、お楽しみに♪]
Q&A、フリートークスペシャルをお届けします

▼番組への感想・早川洋平への質問募集中です。
(いただいた質問は、毎月月末のYoutube Liveでお答えいたします!)
https://bit.ly/INTERVIEW_QandA

▼「QR CAFE」(毎月開催)
「人生を変える一冊」を見つけに行こう
http://life-upd.com/cafe/qr3.html

▼【聞き手・早川洋平プロフィール】 はやかわ・ようへい/新聞記者等を経て2008年キクタス株式会社設立。羽生結弦、髙田賢三ら各界のトップランナーから市井の人々まで広くインタビュー。近年は欧州を中心に海外取材を本格化するいっぽうで、戦争体験者の肉声を発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。公共機関・企業・作家などのメディアプロデュースも手がけ、キクタス配信全番組のダウンロード数は毎月約200万回。累計は3億回を数える。『石田衣良「大人の放課後ラジオ」』『横浜美術館「ラジオ美術館」』などプロデュース多数。 近年はユニクロやP&GなどのCMのインタビュアーとしても活動している。
https://linktr.ee/yoh.haya

▼関連キーワード
#会う力
#松山智一
#パブリックアート

Editor : 中江公大(Kimihiro Nakae)

00:01
一回だけなんですけど、ニューヨークというかブルックリンとマンハッタンを行ったことがあって、今回バーリーミューラルの壁画。
あれって、僕3年4年くらい前に行ったんですよ。つまり2019年ですよね。
なのでそういえばなかったなと思って、タイミング、あと1年遅ければ見られたんだな、みたいに思ってたんですけど。
あれ、場所は大体どの辺なんですか?
ソウホーっていうのがサウス・オブ・ハウストンと言いまして、ハウストン通りっていうところから南側がソウホーと言われるエリアなんですよ。
そのエリアと、ニューヨークって1ブロック挟んですぐにエリア分けがされるんですけれど、
中華街、チャイナタウンとソウホーとイーストビレッジとノリータと言われる4つのエリアが開催する場所のハブみたいなところなんですよ。
ニューヨークのマンハッタのダウンタウンっていうのは、あらゆる意味でニューヨークを象徴する文化があるんですよ。
5番の目のように1番街、2番街ってあるんですけれど、1番街より東になるとアベニューA、アベニューB、アベニューCってなるんですよ。
そこはアルファベットシティって言われてまして、80年代70年代はバスケ屋とかが住んでたエリアなんですけれど、最も治安が悪いって言われたエリアなんですよ。
麻薬だったりが売買されて、お廃墟みたいなところで暮らすような。
ただそこには確実にあの時代の文化があったんですよ。お金がない時代のアーティストが暮らすような文化が。
そうしたエリアから最も元気でエネルギーしいな中華街があって、それで80年代に象徴するような文化ファッションの都のソウホーがある。
そういうニューヨークのエネルギーが一箇所にまともった場所が、ちょうどバーリンミューラルと言われる3番街とハウストン通りの角っこなんですよ。
生き返る人も今でもファッションモデルの人がいれば、お金持ちの人もいれば、すぐそばに麻薬中毒者がリカバリするような施設があるので、そういう人たちもいれば、本当にカルチャー系の人たちもいるので、
ニューヨークらしい良いエネルギーも悪いエネルギーも一箇所に集約するようなロケーションなんですね。
松山さんが最初にニューヨークに住まった時も、かなり治安が悪いところを僕は見たんですけど、それはブルックリンだったんですか?
僕が言ったのはテロの直後なんですよ。2001年。あの時がニューヨークの治安の悪さがまだ残っている最後だったんですね。
ただ、どう見るかなんですけど、治安が悪いエリアがニューヨークにあった時の方がエネルギーがあったんですよ。
要はそこに産業が生まれて経済がついてくると、やはり若い者っていうのは失われていく傾向は別にニューヨークじゃなくてもあると思うんですよ。
03:01
僕が行った時のあのエリアっていうのは、まだやっぱり治安が悪かったり、誰々がこの間ここで打たれて殺されたんだよとか、
西海岸みたいな派手なギャングの構想はないんですけれど、小さいギャングで誰々と誰々がすごい揉めたみたいだから気を付けた方がいいよとか、店員さんが刺されちゃったよみたいな。
とはいえ、まだローアイソサイドって言われる文化で、ニューヨークがすごくギラギラ輝いていた文化発信している時代だったので、
ちょっと危険の隣り合わせなスキャンダラスなニューヨークの魔力的な魅力みたいなのはある時代でしたね。
今おっしゃったように、私はニューヨーク一回しか行ったことないですけど、ロンドンは結構好きで、
この間もコロナギリギリの時に行ってて、ショーディッチとかのあの辺にいたんですけど、
やっぱりブルックリンとかもそうだと思うんですけど、もともとすごい治安が悪いところほど、おっしゃったように新しいものが生まれるみたいなのをすごく感じて、
たぶんブルックリンもそうだと思いますし、ロンドンのショーディッチとかもそうですけど、
ジェントリフィケーションじゃないですけど、結構いわゆるおしゃれな感じになってきていると思うんですけど、
そういう意味ではブルックリンもまだそういう犯罪のニューがしたみたいな、
時から今完全に勝者な感じになっちゃって、両方見てこられてるって感じなんですかね。
なんかこのニューヨークにいてね、僕がすごくいいなと思うのって、
ジェントリフィケーションのきっかけが僕らなんですよ。
つまりどういうことかっていうと、お金がなくて地価が一番安いところにアーティストはたまらざるを得ないんです。
それはまずお金がないからなんですね、我々は。
そこにニューヨークの場合は、コミュニティがあると治安が悪くなったりするんですよ。
それがラテンコミュニティでも、そこにコミュニティが存在することで地元のカラーができて、
そこでアメリカみたいな経済格差があるところですと、貧困の差が出てきて格差が出てくる中に、
だいたいアーティストコミュニティが住めるところってそういうエリアになるんですよ。
そうするとアーティストが住みだすと、だんだんそこに一番最初はバーができてきて、
その後に飲食の職ができてきて、ギャラリーができてきて、
そうするとカッコイイっていうメディアが話題になるとファッションが入ってきて、
最後レジリニスが入ってくると、一番最初に追い出されるのは一番最初に住んだ僕らなんですよ。
それが50年代の双方から始まって、トライベッカですとかウエストビレッジですとか、
文化発信するところが文化から経済に繋がっていって、
そのままアーティストはノマド的に新しい場所を見つけ出すっていう。
それが今度ローアイソサイドになって、僕がニューヨークに行った時にはブルックリンに移ってたんですよ。
今でこそブルックリンってオシャレなのは、ボロボロの工場地帯にアーティストが勝手に住みだして、
ロフトって言われる工場なのかエネなのかわからないところで、創作活動に没頭しながらそこに暮らす。
それが今度かっこよく見えてしまって、そこに人がまた介入してくるって感じなんですよね。
06:01
なるほど。
今はニューヨークの話を伺いましたが、
今日は東京都内のエンパイアステートビルじゃないドコモのタワーがありますけど、
ちょっとニューヨークと無理矢理くっつけてみましたけど。
ニューヨークですよね。
やっぱり似てますよね。
ちょうどおそまきながら、この間新宿の花男さんを直接見てきてですね。
僕自体、いつでもどこでも仕事できるような職業なので、
あんまりもう新宿とか最近行ってなかったんで、
あそこに松山さんの作品が、もちろん映像では見てますけど、どうなのかなと思って、
これ個人の感想なんですけど、思った以上に完全に馴染んでるなっていう感じが受けて、
夜に行ったんですけど、本当に今ね、なかなか新宿は人わい雑な感じであったんですけど、
本当に人が癒やしな感じでサークルのところに座ってて、
なのでファブリックアートって当然そういうものなんでしょうけど、
何が伺いたいかというと、
松山さん、ファブリックアートって文字通りなんて言うんでしょう?
ファブリックアート、あと普通のご自身の作品もあると思うんですけど、
ご自身の手を離れたら、作品はファブリックアートであろうが、他のアートであろうが、
なんて言うんでしょう?
同じなんですかね。それかファブリックアートは、
なんかよりもう完全に自分が作ったものじゃない感じなのか、
つまり、ちょっとすみません、まどろっこしかったんですけど、
例えば私、小説家の方とかともよくやりとりするんですけど、
作品って一回もう出版して夜に出されたら、
実はあんまりもう手離れしてるから、
なんか愛着はもちろんあるけど、
なんか自分のものだとか、それをどう批判されようが、
あんまり気にしないみたいなことを言ってる方が結構いたりするんですけど、
いわゆる松山さんにとって、
その作品、特にファブリックアートって一回手離れしたらどういう感覚なのか?
素晴らしい質問なんですよ。
っていうのが、どこをもって作品とするのかが違うんですよ。
要は今おっしゃってた作家さんですと、
書いたものがパソコンでも筆でもいいんですけれども、
出て流通するシステムに乗って、
それで作品が共有されたことで、
どこをもって作品とするかっていう物語と一連の流れ、
インフラが整備されてるわけですよね。
ファブリックアートの場合は少しそれが違うんです。
人が接点を触れたときに作品として完成するのか、
僕が作品が終わった時の完成なのかを見極めないといけないんですよ。
それはロケーションが持っているキャラクターだったり、
機能というものと作品というものが結びつかないと、
ただのエゴになるんですよね。
要は公共の施設に自分のアトリエで作っているものを持ってきても、
そこに対話性がないと、
あと親和性がないと関わる人が乖離してしまうんですね。
09:03
今、すごくいいキーワードを言っていただいたのが、
なんであんな雑多な場所で馴染んじゃったんだろうっていうのが、
僕が一番意図して情熱をかけたところなんです。
あそこの空間に馴染むために、
いろいろなクリエイティブな装置を入れてるんですよ。
なので、行った時にあれ浮いてないとか、
まさしく僕もあそこの話をもらった時に、
一番最初に思ったことが、
新宿の中でも一番ダーティーな汚れた場所なんですよ。
もともとはルーブルみたいなトライアングルがあって、
あそこタクシーがロータリーで、
僕がニューヨークに行く前って、自転車がもう乱雑に置いてあって、
暗い感じで。
現に新宿駅の人たちも近年まで、
麻薬だったりが売買されていて、
新宿ダークサイドだと。
概要に僕は面白いと思ったんですよ。
パブリックアートってきっと皆さんが連想するのって、
都市開発が行われてる新しい東京のエリアとかに、
素晴らしい建築家が作った建物の目の前に、
すごいファンシーな情報がドーンと枯れるっていうものが、
一番スタイリッシュでかっこいいわけですよ。
一方ですよ、さっきのジェントリフィケーションじゃないんですけど、
僕はニューヨークでそういう天変地異が起こるような
こういうアーティストがしてきて、
そういうところに起こる地場があるところで活動してきたんですよ。
手つかずの雑居ビルしかない、
最も日本人が見た時に汚い街並みの中で、
どうやってアートを置いた時に、
あそこを一つの言語として、
ステートメントとして説得力を持たせるかっていうことを
すごく考えたんですね。
一番わかりやすいのが最初のアプローチは、
あそこの汚れたグレーの、
いろんなものが溜まってしまったところの
サイド自体を上げることによって、
ギラついている感じをよりギラつかせれば、
あそこが鼓動みたいな感じで目立つんじゃないかと思ったんです。
設置音と中途半端なことをやると一番ダメと思いまして、
だったらとことんそれをやり切る。
要はノイズみたいな雑音みたいな新宿を
より大きな雑音でかき消すっていうことが一番だと思ったんですよ。
東京でも最近、緑地化を目指してやられている場所って
いろんなところにあるんですけれど、
僕観点でいうと全て失敗してるんですね。
だって自然を潰して建物を建てた上に、
もう一回自然を置いてもそこに幸せは生まれないじゃないですか。
ここなんかはずっとある自然なんで、
バランスはいいと思うんですけれど、
そうした時にやっぱり新宿ってのは、
自然がそもそもあってはいけないような場所じゃないですか。
最もそぐわない場所っていうか。
なので、そこで何をしたかっていうと、
あそこ一番あるのはネオンなんですよね。
あと看板ですよね。
乱雑にいろんなところに色が配置されているっていう部分を。
地面にランドスケープのアート的な感じで、
いろんな色を入れてるんですけれど、
12:00
あれはアイデアとして尺形みたいな形で、
周りにあるロゴの色を集約してるんですよ。
だからあそこ歩いた時に、なんでこんな色が馴染むんだろうっていうのは、
あの周りに散らばってる色を下に僕は整理しておいてるだけなんで。
色としては。
そこに今度、もちろん植栽として自然も置いてますし、
人工的に作られた植物っていうのも地面に描かれてるんですね。
彫刻自体に。
人工物と都会の中にある自然っていうものの接点を持ちたいと思ったことと、
新宿の機能を持っていくことによって、
あそこにある乱雑な情報っていうものが、
あそこで集約して整理するようにできてるっていうことなんですよ。
なおかつ機能的に見た時に、
僕はニューヨークという場所で活動していると、
様々な文化都市で展覧会をする機会に巡らせがあって、
非常に光栄なことなんですけれど、
そうすると僕が仕事で行ける場所って大体経済都市なんですよ。
ロンドン、パリ、ロサンゼルス。
そういうところに行くと必ず駅っていうのは巨大なコミュニティスペースがあるんですね。
新宿って駅は300万人1日使うのに、
あれだけ大きくてコミュニティスペースがないんですよ。
そうした時に、地球にある方にはグラウンドセンタルステーションが乗って、
行こうという観光する場所になっているのに、
新宿駅に行こうって誰もならないじゃないですか、バンドが来た時に。
ただ、新宿の中にある歌舞伎町でもゴールデン街でもそこへ行くんですよね。
駅自体がアイコニックな文化象徴として成り立っていないので、
ランドスケープのデザイナーと一緒に機能できる巨大な台座みたいなものが円卓になってみんなで座れるとか、
夜になると照明もギロまで選んだので、カップルがイチャイチャできたりする環境になったりとか。
アートが持つことでそこの地場が変わって、
あそこに最も人が来ないところに人の動線を作れれば、
それが文化効果から経済に直結するんじゃないかって、
僕はニューヨークで見てきたさっきのジェントリフィケーションというものを、
違った形で体系化できないか体現化できないかと思って、
あそこに2年間くらいかけて様々な方の協力をいただき、
もちろんJRさんもそうですし、ルミネさんもそうですし、
いろんな人たちがこういうものをやることが今の日本とって意味があるんだということを、
理解いただきながら進めていったって感じなんですよ。
ありがとうございます。でもそうやって丁寧に案内していただくと、
なおさらですけど本当になんて言うんでしょう、まさにちょっと後出しになっちゃいますけど、
新宿とか池袋って個人的には、そういう人もちろん多いですけど、
憩いの場が本当の意味でなくて、普通っちゃ普通の意見ですけど、
なのでやっぱり苦手なんですけど、本当に馴染んでいると同時に、
ちょっとボキャブラリーなくて恐縮ですけど、やっぱりほっとあそこに入った瞬間に一息ついて、
15:00
ただつくづく思ったのが、やっぱりアートってそこに行かないとわからないなというふうに思って、
今回はなおももちろん、はなおさんですね。
はなおさんもいろいろ事前にこちらの写真集とかでもいろいろ見させていただいてたんですけど、
当然ですけど、やっぱり行かないと伝わらないっていうか、その辺のホット感とか全然わからなかったので、
実際どうなんでしょう、松山さんパブリックアートでも既存の作品もそうですけど、
当然今もう活躍されていて、松山智一がやるものだったらっていい意味でも、
場合によっては悪いというかプレッシャーもあるかもしれないですけど、
ある程度松山さんが出すものだったらってみんなイメージを抱くかもしれないですけど、
特に最初とかって、遠く離れたところにいる人が、例えば僕が松山さんのこと全然存じ上げなくて、
この美術手帳とかで例えば知って、見た時に、もちろんこの作品は素晴らしいと思いましたし、思う人もいると思うんですけど、
本当にリアルで見るのと、写真とかを通して見るものって全く違うなっていうことを改めて気づいて、
なのでその作品を作り上げる時に、パブリックアートの場合が特に特殊かもしれないですけど、
両方って見てるんですか?つまりこれを当然その場で見る人、触れる人と、
あとはその前の段階、もしくはそこまでは来られないけど、何かメディアを通して見る人とかが見た時にどういうふうに見えるんだろうとか、
どんな感じなんですかね?
またすごく非常に高度なご質問で、もう少し噛み砕くと、考えてるんです。
ニューヨークっていう場所で、僕25歳の時にニューヨークに行ったんですよ。
最初は芸術家になろうと思ってないで行ったんですね。
ニューヨークに行ってからアート活動っていうものを始めて、
それまではデザインだったり商業的なこと、何かをやろうと思って行ったんですけど、
向こうに行ってからアーティストっていう存在が身近にいることに気がつき、
衝撃を受けてこういうことをやりたいと思ったんですよ。
発表の場が外部になかったんで、あの手この手使ってカフェで発表したり、
街中に筆画を描いたりするということで、自分の表現を行う場所、プラットフォームを自分で作ってきたんですよ。
今20年こうして発表するようになって、
ギャラリーだったり美術館っていういわゆる敷居が高いところで発表できるようになると、
美術館なんかっていうのも入場料払って見に行くような、究極な目的地化されたような場所ですよね。
そこに行けば行くだけ、本来行きたいと思ってたところに行ってるんですけれど、
限られた限定的な人にしか自分がコミュニケーションを、
作品を介して図られてないって思うことは増えてたんです。
美大を行ってなく、アカデミックなアートの教育を受けてなかったので、
壁画を描いたりしてる時も、コミュニティ、大衆性っていうものとの関わり方とアートっていうものの中で作品を発表してきたんですね。
18:04
なので今僕が発表する時って、ポピュラリティっていうことがポップって意味じゃなくて、
大衆性って意味でどういう機能を果たせるんだろうっていうことはすごく感じるんです。
アートの中にはすごく現代美術っていう括りでやってるんですけれど、
すごく文脈的でハイチューニングな芸術作品もたくさんあるんです。
もちろん僕も大好きですし、
あとアンディ・ウォーホルデスとか、皆さん知ってるバスキャンみたいな人っていうのは、
ポピュラリティもありながらアートの歴史の中に組み込んでいて、
美術っていう長い歴史がある中の一つの言語として入ってるわけですよね。
僕は良い時代に生まれて、
そうした時に両方交えながらアートを作れる異人たちが、
ちょっと前にいたんです。数十年前に。
その影響権というのは今はなお濃くなっていきますよね。
日本っていうのは結構振り返ってみると、
逆にニューヨークに行くことで、日本っていうことをすごく幸せを持って見れるようになるんですよ。
離れてる分。
そうした時に日本の文化っていうのは、
常に大衆の近いところにあったものが、
芸術として高いところに強化されている。
歴史があるっていうものが、一つ東洋美術、日本の美術の成り立ち方なんですよね。
言ってかわって西洋美術の成り立ち方っていうのは、
もう権威性の中にあるので、
そうした時にまたそこで自分のDNAで、
どういう風に大衆性っていうのを持ちながらも、
ヒストリカルなものっていう関係性を、
自分の活動を通したりして、
モテるのかなっていうことは非常に大事にしています。
そこでパブリックアートだったんです。
てことですね。
はい。
そうか。
その中で今もう少し、
ちょうど次伺いたいことに入っていったのかなと思うんですけど、
改めてですけど、松山智一さんを、
全く知らない人に、
ご自身の作家性とか作風を、
すみません、1本ぴったりじゃなくていいですけど、
紹介するとしたら、ご自身でどう評価でますか?
じゃあ、簡単な自己紹介からいきますね。
はい。
名前は松山智一と言います。
美術作家、現代美術という括りで、
世界中のギャラリーや美術館で作品を発表しているんですけれども、
パブリックアート、公共の中にモニュメントを作るっていうことも、
自分の一つの表現言語として、
ここ5,6年活動してきているんですね。
僕が興味あることは、
作品に関して何を発表したいかというと、
日本の時代に僕らという存在定義は何を持ってなされるのだろうということに興味があるんです。
ニューヨークみたいな人種のるつぼにいると、
とにかく人種の利権みたいなものをみんな争い合うわけですよね。
有名なのが大統領が変わるとガラッと変わって、
近年ですと、去年だったらBLMっていうので、
アメリカの抱えている社会問題が露呈される形で、
黒人の方々の承認システムが上がってくるみたいな。
21:00
そこまで僕は人種云々ということよりも、
いろんな形で僕らの位置付け、定義付け、文化帰属性というのが曖昧になっていくじゃないですか。
がゆえに非常に面白いと思うんですよ。
肌の色というものが、
より顕著に差が出ながらも、
個人というものの定義付けがより曖昧になっていっている時代でもあると思うんですね。
肌の色だけじゃなくて、自分の個人の定義ができるようになるというか、
なおかつそれの操作もできるというか、
よく言うんですけど、SNSとかで自分で撮ったものを画像をいじると。
要は自分のリアリティをフェイク化できるみたいな。
リアリティとフェイクというものの間を作品を介して作ることで、
見てる人が面白いって入ってこれるようなものを作りたいんです。
僕がやりたいことというのは、作品を介して何かの答えを出すんじゃなくて、
最高の問いを見たいんですよ。
アートというのは答えを出すことじゃなくて、質問を作ることだと思っているんですよ。
そうすれば自分が没入しているように、見てくれる人も
何だろうこれって言って自分の世の中に勝手に入ってくれるっていう。
質問を作るか。
じゃあちょっと同業者ですね。
そうですね。
そうなんですよ。本当にそうなんですよ。
考えてもらうきっかけを作るというのが芸術家の仕事なんです。
僕のやってるポップで、東洋と西洋を混ぜているとか、
伝統と現代を混ぜているとかっていう、
表層的なことをよくサブタイトルって言われることはあるんですけど、
実は違って、ぶつかる価値観みたいなものをできるだけ多く
一つの画面の中だったり作品の中に組み込むことで、
いい居心地の良さと変な居心地の悪さみたいなものが両立することで、
何だろうって思ってもらえるきっかけができればなと思っています。
だからさっき新宿で馴染むっていうのは僕にとって最高の褒め言葉ですけど、
多くのアーティストにとっては、作家ってどちらかというとエゴイスティックに
どうだ俺はって見せる方だからそれが嫌がる人がいるんですけど、
僕の場合、アーティストにとって珍しくバランスっていうものはすごく意識するんです。
そのバランスの中に見えてくるアンバランスさみたいなものは楽しい。
これから伺いたいことにもいろいろ関係するのかなと思うんですけど、
そのバランスって言っても当然、例えば平均点100点満点ってすると、
平均点50点と言っても50点取った人の50点と、
100点と0点の2回取ったら平均点50点じゃないですか。
やっぱりダイナミックにバランスを取っている感じがするんですけど、
いわゆるど真ん中じゃやっぱりそれはそれで。
やっぱり何かのタイミングというのが大事だと思うんですよ。
ありがとうございます。
23:50

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