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2023-04-11 07:16

王道を通らなくても夢はかなえられる|安藤彩英子さん(ベトナム漆画家/ホーチミン)

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 ─インタビュー概要─
芸術家になるなら美大。音楽家になるなら音大──今回のUpdater安藤彩英子さんの画家への道は、そんな「ステレオタイプ」な夢の実現の仕方とは一線を画すものだった。夢をかなえる入口はひとつじゃない。大切なのはむしろ出口。たとえ今は夢からほど遠い場所にいたとしても、実現の道はいくらでもある。客室乗務員から画家への転身を果たした安藤さんとの対話は、そんな気づきを与えてくれるものとなった。
(2015年10月ホーチミンで対談)

【プロフィール】あんどう・さえこ/ベトナム、ホーチミン市在住愛知県生まれ。1992年、早稲田大学第一文学部哲学科卒業。在学中は東洋哲学と日本の文化・芸術を研究する。卒業と共に日本航空入社。客室乗務員として世界各地を訪れ、多種多様な芸術に刺激を受ける。94年に画家を志し退社。翌年ベトナムに移住し、漆画家チン・トアン氏に師事して現代漆画技法を学ぶ。その後、漆芸家ゾアン・チー・チュン氏の工房で漆画技法はもとより、漆の精製から、下地製作、塗り、研ぎ磨きといったベトナム伝統漆芸技法を習得する。2000年には外国人としては初めてハノイ美術協会会員に認定。14年には第二の故郷とも呼べるベトナム北部ハノイから南部の大都市ホーチミン市に活動拠点を移す。漆画家としてベトナム国内外での展覧会を通して作品を発表するとともに、ベトナムや日本をはじめとするアジア諸国の漆芸研究家としても講演や発表活動を続けている。
(プロフィールは2015年10月の取材当時)

─聞き手─
早川洋平(プロインタビュアー) はやかわ・ようへい/1980年横浜生まれ。新聞記者等を経て2008年キクタス株式会社設立。羽生結弦、コシノジュンコ、髙田賢三など世界で活躍する著名人、経営者、スポーツ選手等ジャンルを超えて対談。13年からは「世界を生きる人」に現地インタビューするオーディオマガジン『コスモポリタン』を創刊。 海外での取材を本格化するいっぽうで、戦争体験者の肉声を世界へ発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。 公共機関・企業・作家などのパーソナルメディアのプロデュースも手がけ、キクタス配信全番組のダウンロード数は毎月約200万回。累計は3億回を超える。『We are Netflix Podcast@Tokyo』『横浜美術館「ラジオ美術館」』『石田衣良「大人の放課後ラジオ」』などプロデュース多数。近年はユニクロやネスレ、P&GなどのCMのインタビュアーとしても活躍。 外国人から見た日本を聞く番組『What does Japan mean to you?』で英語での発信もしている。

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#ベトナム #漆芸研究家 #漆

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ほうちみんに来ています。ほうちみんの漆絵画家の安藤紗友子さんにお話を伺います。
安藤さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
実は、もうすでに緩い感じなんですけども、なぜかというと、
安藤さんと事前にコンタクトを取らせていただいて、せっかくだったら、漆絵って正直よく分かってないので、
どういうものなのかっていうのを体験させていただこうということで、
実はこのインタビューの前に、なんだかんだ言って2時間以上やってましたよね。
そうですね。
漆絵を体験させていただいた、漆絵を体験って言っていいんですかね?
あれは、漆絵の厳密などの工程?
一番最後の工程ですね。漆絵というか、漆画というか、ベトナム得意なものなので、
日本語にするとちょっといくらでも言いがあるんですけど、私は漆画と呼んでいるんですけれども、
要は1層目に仕掛けをしておいて、どんどん重ねていって、最終的に研ぎ出すことで、
地層のようにいろんな質感とか絵柄が現れてくるっていう、そういうことなんですね、基本的に。
体験すると言うと、一つ一つを重ねていくとなると1ヶ月ぐらい、地に台座していただかないといけないので、
ちょっと知恵を絞って、以前からワークショップなんかでやっていることなんですけど、
事前に書いておいた、層を重ねて書き上がった作品を研いで磨いていただくっていうことをやっていただきました。
映像じゃない、音声なりによく説明していただいて、なんとなく多分皆さんわかったと思うんですけど。
なんでやっぱりここにいるのかってことですよね。
つまり、話すと長いと思うんですけど、長くて結構なので、ここに至るまでの経緯。
ベトナムに来たのも、ウルシュを始めたのも、実は偶然なんですね。
偶然。
もともと大学で日本の文化とか芸術を勉強したくて勉強してまして、
哲学科で勉強していたので哲学なんかをやっていて、全然芸術とは関係ないところだったんですけど、
昔から物作りが好きでいたんですが、卒業とともに外国に美術の勉強で留学したいと思ったんですけど、
やっぱりお金がないとできないということで、実はたまたま就職試験の案内が国外社から来ていて。
たまたま。
いや、そういうふうに思い始めたときにそれが届いていて、出したら当然なんですけど返事が返ってきたので、
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オフィスワークじゃなければ私もできるかもしれないということで、試験を受けたところを受かりまして。
それで客室上院を2年半やったんです。
いろいろ美術館に行ったりとか、現地の文化に触れたりとか。
あとお金を貯めるっていうのが第一の目的だったんですけれど。
短期だったんですけれども充実した生活を送って。
その2年半、3年弱で、もうそろそろいいだろうということで。
本当はインドネシアの方にアーティストの友達がいて、そこに行こうかなと思ってたんですけれども、
バンコク経由で行くつもりがバンコクに行ったらベトナムに行くビザとエアチケットが
簡単に手に入るということで、ちょっと行ってみようかということで1ヶ月のビザを取って、
行ったのがベトナムに来たきっかけなんです。
なので、もともとルシオがあるってことを知っていて、もともとベトナムが大好きで来たんだと思われる方も多いんですけど、
全くそういうことではなくて、本当に偶然というか運命というか、そんな感じでした。
そういう意味では逆に必然だったのかもしれないですけどね。
そうですね。
じゃあ、もしそのときベトナムのビザが取りやすいとか、話なかったらインドネシアに行ってたかもしれない。
そうですね。それか別の国に行っていたかですね。
そういうと、皆さん行って異国情緒だとか、人情に触れたとか、すごくいい経験をして、いい体験をして、
じゃあベトナムに行きたいって思ったんですねって言われるんですけど、それも全く違って、
実は95年ってまだ、どいもいは始まってたんですけど、
まだやっぱり、特に北の方ではベトナムに住んでいるベトナム人の人たちが外の世界と簡単には馴染めないっていうか、
外国人と見ると話しかけるとちょっと不安になに話してたんだって言われるんじゃないかとか、そんな感じで、
こっちがにっこりして挨拶しても、ぷいっていう感じで、非常に冷たくて暗い感じだったんですよ。
なんて嫌なところだろうな、感じ悪いなと思って、本当に印象が悪くて、
外国人、だんだん入ってきた時期だったんですけど、そうすると物を取る人とか、
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すりとかもいっぱいいましたし、物込みもいっぱいいたし、
あと、宿路に乗っても、ちゃんと値段を決めて乗ったのに、後ですごい包外な値段を要求されたりとか、
本当に嫌な思いばっかりしてたんです。
いるうちに実は体調を崩しまして、
泊まっていたゲストハウスの女主人が、どうも彼女は具合が悪いらしいってことに気づいてくれて、
薬を買いに走ってくれたり、看病してくれたりとか、
でもニコりともしなかったんですね、相変わらず。
その時に、私はもしかしたらこの国の人が誤解してるんじゃないかって、
何も分かっていないうちに判断して、ここは私は嫌いだって言って立ち去るのがすごく悔しいっていうか納得いかなくて。
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