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2023-04-18 05:03

クリエイティブな環境をクリエイトする|内海直仁さん(ジュエリーデザイナー/英国)

インタビュー全編はこちらから↓
https://bit.ly/cm_naohitoutsumi-san

「Life Update CLUB」について
動画 https://youtu.be/P6EtEcDiwwI
HP https://bit.ly/Life_Update_CLUB

 ─インタビュー概要─
18歳で日本を飛び出し、英国ロンドンで靴職人を目指した。ジュエリーデザイナーに転身したが、もの作りへの熱い気持ちは変わらない。東京とロンドンに店舗を持つ創業者が、支えにしてきた言葉がある。「自由であることが一番の財産。お金よりも自由になる時間が大切になる」。成功者の言葉には、説得力がある。

22歳だった。人生が変わった瞬間だった。「パリコレの展示会で、フランスで一番有名なセレクトショップのオーナー夫妻が、僕の作ったジュエリーを見て『そのサンプルを全部くれ』って言ったんだ。お店に並べたいからって。現金、札束でその場で払ってくれたんだ」。認められた。心が震えた。海外で飛躍したい人、必聴です!
(2015年英国で対談)

【プロフィール】うつみ・なおひと/宮城県出身、宮城県生まれ。18歳でロンドンに移住。以後、独学でジュエリーを製作。2002年にロンドンで「RUST」を設立し、パリで作品を発表。05年、25歳でRUST東京直営店を、08年にRUSTロンドン店をオープンした。09年に英国永住権を取得。現在は英国南部のワイト島をベースに、ロンドン、エジンバラ、パリ、アムステルダム、東京など世界を舞台に活躍している。
(プロフィールは2015年の取材当時)

─聞き手─
早川洋平(プロインタビュアー) はやかわ・ようへい/1980年横浜生まれ。新聞記者等を経て2008年キクタス株式会社設立。羽生結弦、コシノジュンコ、髙田賢三など世界で活躍する著名人、経営者、スポーツ選手等ジャンルを超えて対談。13年からは「世界を生きる人」に現地インタビューするオーディオマガジン『コスモポリタン』を創刊。 海外での取材を本格化するいっぽうで、戦争体験者の肉声を世界へ発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。 公共機関・企業・作家などのパーソナルメディアのプロデュースも手がけ、キクタス配信全番組のダウンロード数は毎月約200万回。累計は3億回を超える。『We are Netflix Podcast@Tokyo』『横浜美術館「ラジオ美術館」』『石田衣良「大人の放課後ラジオ」』などプロデュース多数。近年はユニクロやネスレ、P&GなどのCMのインタビュアーとしても活躍。 外国人から見た日本を聞く番組『What does Japan mean to you?』で英語での発信もしている。

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#インタビュー #RUST #英国
#イギリス #デザイナー

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僕は最初、手作りの靴を手縫いで買ったんですけど、それをしたくてロンドンを選んだんですが、
やっぱり手縫いの靴というと、イタリア式でしたり、フランス式でしたり、イギリス式でしたり、いろんな様式があるんですけども、
やっぱりイギリスの作り方がどちらかというと日本に近い、日本の気候に近いというのもありまして、
それでワイヒリスの作り方を勉強しに、それがロンドンを選んだきっかけなんですけれども、
当時国立高専という五年制の学校に行ってまして、一応大学卒業くらいのことまでやるんですけれども、
企業にとってみれば大卒業くらいのことはできるけれども、給料は専門学校の卒業程度の給料で済むんですよ。
なので、求人がすごく多いんですね。
就職氷河期とか無縁の世界で、普通に卒業すればNECとかアソニーとかそういう大きな会社には入れた学校だと思うんですよ。
単位制なので必修科目とかがあって、それさえ落とさなければ留年落題しなくて済むっていう。
とにかく落題さえしなければ就職できるっていう流れだったんですね。
なのでみんなだらけちゃって、体育の授業にゴルフがあったりとか。
もうそういうサラリーマン養成学校に思えてきて、この中にいたらその流れを止めることは無理だなって思ったんですよ。
やっぱり人生が2回あれば1回ぐらいそういう出世回路とか試してみても面白いかなと思ったんですけれども、
1回しかないので、17ぐらいの時から思ってたんですね。
そういう流れにしてみればすごく嬉しいじゃないですか。
大手に就職できて。
それを言いくるめてでもその流れを止めるって思ったら、やはり海外に出るのが一番のやりやすい手段かなと思ったので、
そこでまず海外に、そこでロンドンを選んで、上には休学するっていう言い方で辞めてきたんですけれども、
もう僕は戻るつもりはなかったので、それでロンドンに着いたっていう流れですね。
僕はそういういい大学に入って、一流の企業に就職しようっていう希望はほぼゼロに近かったと思うんですよ。
ただ、多分世代にもよると思うんですけれども、やはりいい大学に出て、一流の企業に就職して、一生あんたに暮らしたいっていうのがスタンダードだった世代だと思うので、
そういう概念から抜け出すっていうのが一つのテーマだったと思うんですね。
それを親をとか、そういう世代をとか、そういう風潮を変えようっていうふうには思わなかったんですね。
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それは一つの意思だと思うので、それはそれで尊重すべきだと思うんですよ。
それと同じだけ自分にもそれから抜けたいっていう意思があるので、それはそれで尊重してほしいっていうのがあったと思うので、
やっぱり人を変えるよりは自分が変わった方が早いと思うんですよ。
今思えば何かしようっていう自分に対するプレッシャーみたいなのがすごく大きかったと思うんですよ。
やはり自分でその生活を課せるのがなくちゃいけないっていうのが大前提で、それでのみの一で自作アクセサリーを作り始めて、
だから本当は靴をやりたかったんですけれども、靴の場合は1、2枚になるには3年とか5年とかかかってしまうので、
じゃあその間どうやって食べていくのかっていう部分ですよね。
けどもそういうアクセサリーであればすぐ割と結果が出るっていう意味で、
週末日曜日にアスピタウルヒールズマーケットって東にあるロンドンの飲みのうちなんですけれども、
そこに行って、もう折り畳みのテーブルをお願いしてオーガナイズする人に、
それでいいから、折り畳みのちっちゃなテーブルでいいからってお願いして、
それを出してもらうのがいつもの日曜日の朝の儀式っていうか日課だったんですね。
それがたまたまもうトイレの前しか空いてなくって、そこで店を広げることになったんですけれども、
皆さんトイレ行かれるんで絶対通らざるを得ないんですよ。
実はいいリッチだと思う。
そうなんです。なのでそこで結構もう本当に最初のうちからそこそこ食べるだけの。
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